第55話 そして、少年は捧げる

 おそらく、次はない。

 誤れば、そこで死ぬ。

 そもそも、今のオルナは冷静とはいえず嘘を吐く余裕などなかった。

 それでも、本当の願いだけは口にする訳にはいかない――


「……わたくしの願いは先ほど、語った通りです。それでも信じられないと仰るならば――この右腕を差し上げます」

 

 ゆっくりと、オルナは右腕を広げた。


「……正気、か?」

 

 初めて、王女が言いよどむ。


「わたくしは、武勇を認められてここにいるのではありません。片腕を失ったとしても問題ないでしょう。それであなた様が安心できるのなら、こんなものは惜しくもありません。それどころか、危害を与えると思われているのなら……こんなモノは邪魔なだけです」

 

 真実を隠し通す為だけに、オルナは利き腕を捧げようとする。


「……そうか。そこまで言うのなら、貰ってやろう」

 

 静かに宣言して、メルディーナは剣を構えた。

 これまでの扱いからして、慣れ親しんでいるようだが――果たして、その一撃はオルナに文字通りの衝撃を与えた。


「……くっ!」

 

 腕はまだ……繋がっていた。王女の振るった刃は肘の少し前に食い込みはしたものの、骨を断つまでには至らなかった。


「はぁはぁっ……つぅ……」


 それでも、あまりの痛みに我慢できず声が漏れ出てしまう。


「なるほど。人を斬るのは難しいものだな」

 

 容赦なく、メルディーナは両手で振り上げ、剣を引き離す。

 痛みで気を失いかけるも、意地でオルナは踏みとどまった。

 そして再び、鬼気迫る表情で腕を持ち上げる。


「はぁ、はぁ……」

 

 これで誤魔化せるのなら安いものだと。この腕が千切れるまで何度でも――王女の剣を受け入れる覚悟を示す。


 少年の痛ましい姿を見て、

「どうやら、そなたの右腕は妾には些か重すぎるようだ」

 王女は目線を合わせてきた。


「だから、貰うのは止めておこう。その代わり、貸してはくれまいか?」

 

 手が届く距離から見つめられ、オルナはたじろぐ。痛みからか、受け取りやすいよう差し出された剣の意味が一瞬、掴めなかった。


「駄目か?」

 だがその一言で理解し、


「……そのようなことはありません。わたくしの腕で良ければ、幾らでも貸してさしあげます」

 恐る恐る剣を受け取った。


「そうか。礼を言うぞ、オルナ」

 

 年相応の信頼の籠った笑顔。

 メルディーナは誰かに傷の手当てを頼んでから、背を向ける。


 オルナは近づいてきた騎士を手で制して、

「――メルディーナ様」

 恐れ多くも、王女を呼び止めた。


「……剣を、捧げます」

 

 振り返った少女に向かって、オルナは自分でも信じられない誓いを口にしていた。

 この剣はスーリヤから頂いたものだというのに……。


「わたくしは……」

 

 オルナの頭の中は敗北感で一杯だった。

 すべてにおいて上をいかれ、ここまで築き上げてきた自信は粉々に砕け散っていた。

 

 だから、これはである。


 利き腕を捧げようとした狂気すらも、いいように掠め取られた。彼女の寛恕を、器を示すのに使われてしまった以上、負けを認めるしかなかった。


 このまま彼女に腕を貸したとしても、望みが叶う道理はない。

 少なくとも、近衛騎士たちは絶対にオルナを認めないだろう。


「スーリヤ=ストレンジャイトを愛しています」


 騙しきれないと認め、オルナはを吐露する。


「ですが、わたくしの身分ではどうすることもできない。それでも、シャルオレーネ王国に寝返ることを思いつきました」

 

 これまで他人を出し抜いてきた成功体験のみで自分を支えてきた為、それを挫かれると駄目だった。


「北方帝国を滅ぼしてしまえば、わたくしでも皇女を手に入れることができるのではないかと考えたのです。もちろん、現実的に滅ぼすことは不可能でしょう。

 それでも、こちらに有利の条件で条約を結ばせることは可能だと判断しました。そしてその際の保証として、皇女を要求することも――」

 

 メルディーナの表情が動いたのを見逃さず、オルナは話を続ける。


「望むべくは第一皇子を貴方様の婿として迎え入れることかと存じますが、それにはよほどの戦果が必要となるのは必至。かといって、下位の皇子では弱い。

 落としどころとして、皇女は無難な選択になるはずです。娘を溺愛している北方正帝は渋るでしょうが、帝国のまつりごとは感情論だけでは動かせません。それに、わたくしは南方帝国の皇子と懇意でありますゆえ――」

 

 近衛騎士たちに動揺が走るも、ラルフから聞いていた王女は平静のまま。


「また、わたくしが望んでいると知ればスーリヤ皇女も応じるはずです。少なくとも、彼女の身一つで戦が終わり、北方帝国が救われる状況であればですが。

 そしてその為にも、わたくしはシャルオレーネ王国に――メルディーナ様に尽力する心意気であります」

 

 右腕の傷も相まって、語り終えたオルナは荒い呼吸を繰り返す。


「さすが、ラルフを打ち負かしただけはある。そなたなら戦で功を立て、皇女を迎え入れるに値する地位にまで上り詰めることも可能であろう。となれば、問題は一つだけだな」

 

 メルディーナの質問は予測できていた。


「もし、妾が北方帝国の皇女を殺せと命令したら――そなたはどうする?」

 

 そう、この答えが出せなかったからこそ、オルナは右腕を犠牲にしてまで煙に巻こうとした。

 けど、今となっては違う。

 目の前の少女に負けを認め、心から忠誠を誓ってもいいと思った時点で答えは決まった。


「その時は殺してください。他ならぬ貴方様の手で」

 

 ――捧げよう、剣を貴方に。


「この、わたくしを」


 されど、心は彼女に――


「恐ろしいほど、勝手な男だな。どう転んだとしても、北方帝国の皇女は喜びはしないと思うぞ」

 呆れながらも、メルディーナは久しぶりに一人の女として発言する。


「それでも、わたくしは彼女を欲しいと願い――それこそが、すべてであります」

「なんと、強欲な男だ」

 

 憶えのある響きに刺激され、オルナの口は滑るように動いた。


「それでこそ、人間というものでしょう?」

 

 堂々とした口ぶりに、満足したように王女は手を伸ばす。オルナの捧げる剣を取り、一度だけ強く振るって血を払う。

 真っ白なサーコートと刃に残った血を見比べ、強く刻み付けるよう剣の腹でオルナの肩を打った。

 

 ――騎士叙勲。

 それは少年が反撃する権利なしに殴られる最後の機会。

 

 だから、かつて奴隷だった少年はもうここにはいない。

 ここにいるのは一人の騎士であり、いずれ始まりの軍師として恐れられるオルナ・オーピメントという男だった。


「神と我が名において、汝の誓いを許す。これより、そなたは剣を持ちて我々の敵を斬り払い、知啓を持ちて我々に道を指し示せ」

「剣が折れ、この身が朽ち果てるまで。万難を排して、その命に従いましょう」 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

始まりの軍師~剣は貴方に心は彼女に~ 安芸空希 @aki-yuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ