エピローグ 夢を語るは一人の騎士

第54話 誤算、敗北、物言う道具

 ブール学院でリンク=リンセントと名乗っていたオルナ・オーピメントは窮地に立たされていた。

 まばたきすら躊躇われるほどの距離に、剣の切っ先がある。

 

 返答を誤れば、たちまち抉られることになるだろう。

 

 身動きは取れない。周囲はラルフを筆頭とした近衛騎士が囲んでおり、オルナの一挙手一投足に注目していた。

 きっかけはメルディーナ王女の一言だった。


「本当にそれだけが理由か?」

 

 シャルオレーネ軍の捕虜として城塞都市アトラスに着くなり軟禁されていたオルナは、本日ようやくメルディーナ王女に拝謁する機会に恵まれた。

 

 場所は教会の礼拝室。


 案内役が扉を開けると、祭壇の前で王女と思しき少女が祈りを捧げていた。

 そこに至るまでの道の左右には、武装した近衛騎士たちが控えている。

 オルナは案内役に促され、そんな彼らの前を緊張しながら横切る。

 

 今のオルナは剣を帯び、騎士装束に身を包んでいた。

 しかしサーコートに家紋は記されておらず、真っ白のまま。

 

 王女から五歩離れた位置に立ち止まると、オルナは跪く。腰に吊るしていた剣が床を叩き、その音に引かれるようにメルディーナ王女は振り返った。


 美しい少女だった。


 噂に違わぬ黒白こくびゃくを有し、紫紺の瞳が年齢にそぐわない思慮深さを醸し出している。

 また、装飾の少ないドレスも王女の気品に一役買っていた。


 まるで、絵画に描かれた戦女神。


 全体で見ると華奢で可憐な少女なのに、顔だけは凛々しく勇ましい。

 そして、その顔つきだけが記憶にある母の姿を想起させた。


「妾はメルディーナ・ブルジェオン・ドゥ・シャルオレーネ。シャルオレーネ王国の王女であり、いずれ王位を継ぐ者」


 前置きもなく、王女は切り出した。

 形式や礼儀に頼らずとも、自らが王であると宣言するかのようだった。


「わたくしの名はオルナ・オーピメント。北方帝国の一代騎士、リンセント家の奴隷であった者です」

 

 事実、オルナは王女の響きに気圧された。この声で命令されたら、従ってしまいそうなほど心が揺れ動いている。


「リュウカ・オーピメントの息子だそうだな」

「えぇ、わたくしは――」

 

 そうして、オルナは語り始めた。

 ブール学院の地下でラルフを出し抜いたのと同じように、誤魔化し切れると信じて疑っていなかった。


「――剣を」

 

 命じられるまま、オルナは鞘から剣を抜き差し出す。

 

 ――完全に油断していた。

 

 気づけば切っ先が目前に迫り、本当にそれだけが理由か? と王女は疑いの目を向けてきた。


「どうも解せん」

「……いったい、何がでしょうか?」

 

 恐る恐る、オルナは尋ねた。


「しいて言うならば、女の勘だ」

「――は?」

 

 突拍子もない理由に、つい素で反応してしまった。


「なんだ、年相応の顔もできるではないか」

 

 それを見逃さず、メルディーナはにんまりと笑ってから剣を引く。

 そこで迂闊にも、オルナは周囲に目をやってしまった。

 助けを求めるようラルフに視線を送り、それが無駄な行為だと悟る。

 ふざけた理由でありながらも、近衛騎士たちは王女を信じていた。


 これこそが絶対王政。


 四分治政テトラルキアの帝国とは在り方が根本的に違う。

 誰一人として、王女の発言に突っかかる者はいない。たとえそれが、女の勘という根拠のないものだとしても。


「なるほど、確かにそなたの話は筋が通っている。主の意志に背かず、自らの命を守る為に我々に与する。裏切りの理由としては悪くない」

 

 再び、剣がオルナに迫る。

 今度は肩に置かれ、首元に刃が触れた。


「ラルフの話を信じるなら、そなたは随分と頭が回るはずだが、何故気づかない?」

「……何をでしょうか?」

「そなたの話には、致命的な穴があることだ」

 

 指摘されてなお、見当もつかなかった。

 それこそ、死ぬ気で考えた計画だ。


「所詮は奴隷、物言う道具か……。主の命令に従順であるあまり、思いつきもしないとは」

 

 王女は心の底から憐れみ、剣を離してやる。


「――もう私のことなんて考えなくていい。誰のモノでもなく、一人の人間として生きろ」

「どうして……それを?」

 

 リンクから受けた、最後の命令。誰にも言っていないはずなのに……オルナは完全に混乱し、思考が纏まらない。


「簡単な話ではないか。そなたが誰にも話していないのなら――」

 

 そこまで言われて、やっと気づく。


「……リンクが?」

「本当に考えもしなかったのだな」

 

 その理由は先ほど、王女が言った通りだった。


「それほどまで主の命令に忠実であったのなら、そなたがここにいる理由は他にあってしかるべきであろう」

 

 リンクはオルナの母を愛し、父を憎んでいたのだからシャルオレーネ王国に近づくのは当然のこと。

 それくらい、考えればわかるはずだった。


「もう一度だけ、問おう。リンセント家の奴隷ではなく一人の人間、オルナ・オーピメントとしてのそなたの思惑はなんだ?」

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