8.4 浄化という名の拷問

 後ろのドアが開いて山のような大男が入ってきた。大男は手術のための衣装を着ていた。でもそれは男の体にはあまりに小さすぎてぴったりと張りつくような具合になっていたし、頬はほとんどマスクからはみ出していた。帽子も被っているというより頭の上に乗せているだけだった。私はなんだかとても破廉恥なものを見せられているような気分になった。でもその気分はほんの一瞬で消し飛んだ。大男が近づいてくると手術着から血の匂いがしたからだ。汚れているような感じはない。でも確かに血の匂いがした。染みついているのだ。ぞわっとした風が全身を撫でるのを感じた。

 大男は手に持っていたX線写真をスーツの男に渡した。

「ほら、見てごらん。これが君の頭の中だよ。こんなふうに電極が埋め込まれている。今は何ともなくても、この電極はいつか脳の組織を侵食する。あるいは脳の組織がこの電極に癒着する。腐食しても取り換えるのは難しい。九木崎は九木崎の研究のために君たちを使っている。色々な電極を使って長期的にどれが一番安全なのか調べようとしてるんだよ。時間がかかるから、いちいち動物でやっていたらいくら待っても人間に応用できなくなってしまう。そういう考え方なんだ。必要だから保護している。保護するのが目的じゃない。使えなくなったら、どうなるだろうか。君の周りからいなくなった子供たちはどこへ行ってしまったんだろう? 私たちのもとへ来た子供たちが全てではないよね?」

 九木崎の子供人口は少しずつ増加していた。月に五人くらい新しい子供が入り、その代わり二三人の顔を見なくなった。新しい子供の半分は空いたばかりの寝床を使うことになる。私のベッドも前は別の誰かが使っていたのだろう。でも同室の子供たちはそれについては何も語らなかった。同室の誰かがいなくなって新しい子供が入ってきても私たちは前の子供の話をしなかった。でも耐性のある子供だけが残っていくことになるので部屋のメンバーは次第に固定して変わらなくなった。そうなるともうほとんど入れ替わりを意識することはなくなっていた。

「無駄だよ。彼女は信じているんだ」大男が言った。見かけに反して将軍のような落ち着いた声だった。

 黒い服の女が壁際の機械からカチューシャのようなものを持ってきて私の頭にかけた。脳波モニターらしい。片方の端から通信用のコードが伸びている。

「怯えているね、かわいいね」大男は将軍のような声でとても気持ち悪いことを言った。

「縛らなきゃいけないのかな」

「抵抗する子が多いからね」大男が答えた。

「子供本人の意思はどうでもいいみたいだね」

「物事を正しく見られなくなっているんだ。仕方ないよ。親御さんの頼みだし、何より君のためなんだ。勝手にやってるわけじゃない」

「正しさを失っているのはあんたらの方だと私には思えるけどね」

「それこそが思い込みなんだ」

「思い込みに基づいて思い込みだと判じていると疑ってみることはしないの?」

「君もまたその論理に陥っている」

「そう。だとしたらお互い様だ。私だけがあんたの勝手にされようとしてる。平等じゃない」

「九木崎は君の未来を奪おうとしているんだよ」

「違うよ。奪われるはずだったものをつないでくれたんだ。それを奪おうとしていたのは私の親たちだよ」

「かもしれない」再びスーツの男が割って入った。「でも九木崎は多くを与えようとはしなかったね。確かに君の両親は君を苦しめただろう。それは行政も含めて多くの人々の認めるところだ。私もそれを覆すつもりはない。ただね、私は本当に九木崎にいる子供たちの将来を心配しているんだ。もっと別の施設、もっと別の親の元にいる方が幸せなんじゃないかとね。君の場合お母さんはさほど危険な人物ではないと見受けたのだけどね、もし君がそれでも嫌だというなら私たちが間に入って別の居場所を模索することはやぶさかではないよ」

「私は今の環境で満足しているんだけどな」

「何よりもまず君の可能性を狭めているのはそのBMI、ブレインマシンインターフェースだよ。九木崎では投影器という言い方しかしないのかな。それは九木崎で洗脳的な教育を受けた印のようなものだ。社会に出れば人々は君のその印、生い立ちを忌み嫌うだろう。それは除かなければならない。うつ伏せになって。投影器の装置というのは構造に個体差が大きいからね、安全に進めるためにまずいろいろなことを調べなければならない。我々はこの過程を浄化と呼んでいる。清めだ。九木崎に負わされた穢れを今ここで清めるんだよ。痛かったり不快だったりするかもしれないけど、どうか我慢してほしい」

 座席を倒して私をうつ伏せにひっくり返すと、大男はまず窩の蓋の上からU字の磁石を近づけた。ほとんど何も感じなかった。窩の基部や蓋には防磁シールドが施してあるからだ。続いて蓋を開けて同じことを繰り返す。今度はくすぐったいような感覚があった。でもそのくすぐったさは肉体のどこかからくるものではなかった。強いて言えば空中のどこかしらがくすぐったかった。外側にある感覚だ。何の外部身体にも接続していないのに感覚していた。不思議な感触だった。それが不快という意味だろうか。

 白い服の女が車内販売のようなカートに四角い機材を乗せて持ってきた。それは電源のようだった。上に鉄の延べ棒のような磁石が乗せてあって、その磁石の両端から一本ずつコードが伸びていた。とても強力そうな電磁石だった。大男はその電磁石を私の窩を挟むように翳して電圧を上げた。

「これは消毒のようなものだよ。こうして電極の周りの組織を刺激してあげると抜けやすくなるんだ」大男は言った。

 直後にものすごい不快感が襲ってきた。それは痛みではなかった。さっきのくすぐったさを鞘から抜いて剥き身で突き刺したような具合だった。私は叫び声をあげた。叫びたくなんかなかった。でもそれは不快感に抵抗するためにどうしても必要だった。私の意思ではどうすることもできなかった。私はただ私の肉体が叫んでいる事実を受け入れるしかなかった。それは不思議な感覚だった。それは今まで聞いたことがないくらいの大声だった。腹の底から口まで一直線になって叫びを放出していた。私の肉体は叫ぶための器官になっていた。

 大男はさらに電圧を上げた。私は半ば気絶したようだった。不快感は強まっていた。でもそれはもう私の感覚ではなくなっていた。私は相変わらず叫んでいたし体を硬直させていた。でもその現象はトンネルの出口の向こうで起きているみたいに遠くに感じられた。私の意識はその場にはなかった。

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