8.5 二人の女

 私は痙攣して失禁していた。体に力が入らなかった。白い服の女が私の拘束を解き、服を脱がせ、吸水ペーパーとウェットティッシュで下半身を拭っていた。

 それが済むと女は私に白いワンピースを被せた。黒い服の女は椅子と床を丁寧に拭き、消臭剤を撒いていた。

 女二人だけが部屋に残った。ソファに座った黒い服の女があくびをした。外が見えないからわからないけど、経った時間を考えるともう夜なのかもしれない。

「安心しなよ。体が動かないのは一時的なものだから」黒い服の女が言った。

「一時って?」私は一時的にベッドに寝かされていた。まだ肉体の感覚が戻っていなかった。全身が痺れていて体を動かそうとしても端々まできちんと命令が行き渡っている手応えがなかった。

「ひと月もすればぴんぴんだよ」

 白い服の女が食事のトレーを持ってきた。

「飲み込める?」

 黒い服の女が私を座らせて、白い服の女が口に運んだ。私はおとなしく食べた。ここで抵抗したら喉までスプーンを突っ込むくらい屁でもないような連中だった。

「あんたたちは信じてるの?」

「一応信者だけどね、会員ってくらいなもので、別に教義がどうとか、心理がどうとか、そういうのはあんまりどうでもいいんだわ」黒い服の女が言った。

「じゃあどうして、って思うでしょ?」と白い服の女。

「金になるからだよ。いやいや、結構いいお給料なんだ。まぁでも私の場合はそれだけじゃなくてだね」

 黒い服の女は私の体を一旦白い服の女に任せて私に首筋を見せた。そこには皮膚に開いた穴を埋めたようなケロイドがあった。

「私も九木崎なのさ」

「ソケットを外したの?」

「そう。ソケットを外して、電極を引っこ抜いたんだ」

「それが済んだら親元に送り返されるんじゃないの?」

「親が頼んだ子供ならね」

「君は違うの?」

「私は自分で来たんだよ。拉致されないように気をつけなさいって言われたから、拉致されることにしたわけ」

「どうして?」

「九木崎が嫌だったからに決まってんじゃない」

「そういう人もいるんだ」

「私は十五で手術を受けたんだ。手術は無事だったけどね。でもそのあとは全然だめだった。全然外部身体に適応できなかった。感覚も入らないし、動かすこともできなかった。まあ、落ちこぼれだな。だけどここにいれば全然役に立てる」

「ちょっと、私がカネだけのためにやってるみたいじゃない?」と白い服の女。

「違うの?」

「私は別に九木崎じゃないよ」白い服の女も髪を上げて首筋を私に見せた。そこには窩の痕跡も何もなかった。ただの項だった。「自分に合うとこ探してここで働いてるのよ。私はちびっ子が好きだから」

「ガキンチョ好きなだけなら保育園か小学校の先生でもいいじゃないかって思うでしょ?」と黒服が私に訊いた。

「かわいい子供も好きなんだけどね、かわいそうな子供がもっと好きなの。その椅子の上で悶絶してるとこ見るのってたまらないのよね。すごくいいのよ」

「ね、変態でしょ?」

「否定できないなあー。だからさ、私みたいな性的嗜好の持ち主はこういう仕事じゃないとほんとの渇きを満たせないの」

「じゃあ全員あれをやられなきゃいけないんだね」私は言った。

「そうよ。あなたなんかまだ短い方よ。ソケットをつけて日が長くなるとそれだけ浄化にも時間がかかるの。それだけ脳とか神経に食い込んじゃってるってことになるみたいね」白が答えた。

「あれで短い方……」

「そうだよ。あなたはまだ体が動かないだけで感覚は残ってるでしょ」

「うん」

「もっとやるとそれもなくなるし、五感も飛んじゃうみたいね。でしょ?」白が黒に訊いた。

「そう。私なんか、いっぺん全部なくなったよ。自分の体がなくなったみたいに感じるんだ。時間だってわからなくなる。死んだのかなって思う。でもだんだん少しずつ感じられるようになる。世界が戻ってくる。一種のトランスだね」

「トランス」と私。

「アングラ風に言うとラリッてるってこと。宗教風に言うと神懸かりになってるってこと」

「私は自分でやってみたいとは思わないな」と白。

「うわ、卑怯な女」

「とにかく、二人とも信念持ってやってるんだね」私。

「教義とは関係ないけど、まあね」と黒。

「信念? 信念っていうか、生き甲斐?」と白。

「相手の子供が本気で恨んでて、仕返しされたこととか、ない?」

 私が訊くと二人は顔を見合わせた。

「ないねえ。親元に帰すなんて言ってるけどさ、ほとんどのガキンチョは嫌がるでしょ。だから寺に入れたり里子に出したりしてるんだ」黒が先に答えた。

「仕返しされたとしたら、どう、それでも胸を張って続けられる? 自分の信念や生き甲斐なんだって言える?」

「私のはほら、もともと胸を張れるようなものじゃないし。ほら、冷める前に食べちゃいなよ」今度は白が先に答えた。


 黒い服の女が食器を下げている間、白い服の女が私の頭を洗った。部屋の浴室には散髪屋と同じような洗面台と椅子があって、かなり本格的だった。顔にタオルをかけられていて、女の腕や胸が何度か顎や頬に当たった。

 そのあとは入浴だった。湯船には浸かれないからシャワーだけ。座ったまま他人に体を洗われるのは初めてだった。くすぐったかったけどもちろん何の抵抗もできなかった。屈辱だった。

 二人の女も部屋のベッドで眠るようだった。白い服の女の寝間着はやっぱり白いワンピースで、黒い服の女の寝間着もやっぱり黒いTシャツとスウェットズボンだった。二人はクイーンサイズのベッドの真ん中に私を寝かせて、両側を挟むように布団にもぐって私の体の上で手をつないだ。運動機能が戻った子供が逃げ出さないようにそうしているのだろうけど、でも二人の手の動きはとても仲がよさそうだった。お互い信頼しているし、好きなのだろう。

 私はもちろん二人のことを敵視していたけど、それを今表に出したところで状況が好転することもないだろうし、そんなことしたって相手を無駄に怒らせて自分は疲れるだけだってことはわかっていた。だから大人しくしていた。

「ねえ、復讐って言ったね、さっき」ベッドに入って五分くらいしてから黒服が言った。「だいたいこれが私にとっての復讐なんだわ」

 私は目を精一杯黒の方へ向けた。それから白の方へ向けた。白はぐっすり眠っていた。

「九木崎に対する復讐。敵対する組織に私がいる。九木崎の子供がいる。九木崎はそれを自らの罪として認めなきゃいけないんだ」

「私たちはそのダシにされてるんだね」私は言った。

「九木崎ラブな子供にとっては、そうなるだろうね。だから恨まれても仕方ない。ほんとは仕方ないって思ってるよ」

「君にも罪がある。罪を重ね続けている」

「そうだね。だからいま君に優しくするのはせめての償いと気休めだよ」

「もっとうまく生きればいいのに」

「でもこの傷は消えない」

「仕方がないって、もし連れてきた子供が後になって君を殺しに来たら、立ち向かって殺せる?」

「殺すこたあないじゃない。縛り上げておけば」

「生きている限りずっと君の命を狙い続けるんだよ」

 黒はしばらく悩んだ。

「仕方ないね。殺すよ」彼女はそう答えて片手で私を引き寄せた。「でもそんなこと言わないでよ。そんなの想像したくない。私だって恐いんだ。ただそれ以上に憎いものがあるだけなんだよ」

 歪んでる。

 二人とも歪んでいる。

 人間ってそういうものなんだろうか。

 恨まれても仕方がないと思っていれば誰かを傷つけてもいいのだろうか。

 自分が通ってきた道だったら、同じ痛みを誰かに与えてもいいのだろうか。

 違う。そんなはずない。

 私は内心反発した。でもやはりそれを表には出さなかった。怒りを隠すのは得意だった。その技を鍛えたのはあの男だ。私の母親の二番目の夫だ。

 クソヤロウ。

 私はそのイメージを頭から振り払った。

 思想はともかく、私を抱きしめている黒服の女の体は温かくてやわらかくて、とても落ち着く匂いがした。私はそのぬくもりと微妙な息苦しさの中でぐっすりと眠った。

 夢の中では浄化の最中に食らった痛みが光に変わって闇の中を方々に向かって駆け抜けていた。

 そしてその出口が開けたと思った時、目を覚ましていた。どうやら白い服の女が起き上がる時につられて気づいたみたいだった。白は「おはよう」ととろけるような笑みを浮かべて私の頭を撫でた。

 その日は再び破廉恥な手術服を着た大男が脳波計と筋電パッチを私に取り付けて「穢れ」とやらを計測した。曰くもう手術に適当な頃合いらしい。

「じゃあ、最後の準備を始めようか」大男はとても朗らかにそう言って昨日の電源用の機械から伸ばした導線の先端についたワニ口クリップを私の窩に噛ませた。

 何の抑制もない暴力的な電流が私の中に流れ込んだ。

 私の意識は一瞬で吹き飛んだ。

 吹き飛んだあとの残滓の中で私はうっすらと遠くから聞こえてくる自分の叫び声を聞いていた。頬の下に湿った感触があった。自分の涎らしかった。

 そうしてしばらく電気を流して私を焼いたあと、大男は首筋に注射を打って局部麻酔をかけた。無感覚の麻痺とはまた違った感じの麻痺が肩回りに広がっていった。

 大男は時計を見ながら待ってやがてメスを入れた。肉を切られる感覚や痛みは麻酔がブロックしていた。周りの人間たちは私の手足を押さえてその様子を眺めているようだった。

 樺電の情報部の一隊が突入してきたのはその時だ。

 スタングレネードの閃光が視界を真っ白に染め、耳鳴りが世界を満たした。その間にアーマーを着込んだ男たちが走り込んできて警棒で片っ端から連中を張り倒した。大男も一撃で倒れて床に額をぶつけ、女たちも殴られた勢いで部屋の端まで飛んでいった。

 連中が押さえ込まれる中、私は一人施術台の上でつんのめったように倒れていた。

「碧、大丈夫か、碧」九木崎女史が言った。彼女は切り取られかけた窩をタオルで上から押さえて私の顔をハンカチで拭った。

 そうやって体を揺さぶられる感覚もまだ遠くにあった。私はその状況に対して私として反応することができなかった。どうすれば喋ったり体を動かしたりできるのかわからなくなっていた。

 そして搬送されている間に完全に気を失った。

 

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