8.2 プラグとソケット

 二時間半ほどで諏訪に到着した。山の斜面に団地のようなビルがあって背の高い木々に隠されていた。

 その隣に平たい芝地が広がっていて、横に大きな納屋があった。白くて四角くて、芝地の面にシャッターが並んでいた。

 裏手にくっついた前室で子供用の小さいヘルメットをかぶって納屋の中へ入った。

 中は機械の動く音でいっぱいだった。切断、溶接、プレス、ブザー。

 そして工作機械とは別にどうもヒトや他の動物を模したような大小の機械が升目に並んでいた。人間より小さいサイズのものもあれば乗り込めるサイズのものもあり、上半身だけのもの、脚だけのもの、クレーンに吊るされているもの、二本脚のもの、四本脚のもの、様々だった。

 表に近い一角でネコくらいの大きさのクモ型の機械が動いていた。それを見ている人間が二人。私と同じくらいの少女と五十絡みの白髪の男。機械には色々なコードがつながっていて、その中の一本は少女の首筋の後ろに挿さっていた。接続部は髪に隠れていて見えななかった。

 クモはあちこち飛び回っている。少女が動かしているようだが体にはまるで力が入っていない。じっと座っている。肉体と機械の動きは無関係のようだった。男の方はその様子を観察して記録をとっていた。

「よし、そろそろ休憩しよう」男はこちらをちょっと見たあとそう言って紙挟みを置いた。少女はストローの刺さったカップを取って中身を吸った。オレンジジュースだろうか。でもそんなことより私はクモが動き続けていることに意識を奪われていた。まるで本人の意思と関係なしに動いているみたいだけど、それは確かに彼女が動かしているのだ。

「私が九木崎だよ」五十絡みの男が言った。小柄で小太りで北里柴三郎みたいな顔をしている。それが九木崎博士だった。当時はまだ国内にいたのだ。

「九木崎?」私は女史を見上げた。女史は九木崎青藍だ。最初は親子かと思った。でもそれにしては顔立ちも体格も全然似ていなかった。不思議だった。

「同じ指輪をしてるだろ?」

 女史がそう言うと博士も手を見せて結婚指輪をくりくり回した。だいぶ太さが違うけど確かに同じデザインだった。

「博士は神経医学と脳科学の専門家なんだ。とても偉い先生なんだよ。私はどちらかというとコンピューターの方が得意なんだけど」

「君も彼女みたいに機械を操ってみたいかな?」博士が訊いた。

 少女も私を見上げた。自信たっぷりな視線だった。

 ここにいる人々は私が見てきたろくでもない人間たちとは全然違う、と思った。その力があれば私も違う存在になれるような気がした。

「あの大きいのも動かせる?」私は訊いた。指差した先に人型の肢機が座っていた。座った状態でも四メートルくらいは背丈があった。

「彼女は動かせる。君ができるかどうかはセンス次第だ」

「センス」

「君の脳がどれだけ外部身体に適応力を持っているか、今はまだわからない」

「それでもやってみたい?」

「やってみたい」私は頷いた。



 団地の建物の部屋は兵舎のような具合で、一部屋に二段ベッドが二つあった。でもわたしが最初に入った部屋には他に一人しかいなかった。彼女は女史が入ってくると飼い犬のように嬉しそうな顔をした。

「新しい子?」彼女は訊いた。

「そうだよ」

「名前はなんていうの?」

「まだ決めてないんだ。まずはお試しさ」女史は彼女の肩を抱いていた。

「この子はエリカ。君にここでの暮らし方を教えてくれる」

 私は身構えた。女史がいなくなった途端に彼女が豹変するかもしれないと思ったからだ。

 でもそれは杞憂だった。

「私は檜佐だよ。檜佐エリカ。名前がないってことはすぐに来たんだね」彼女――檜佐は女史を見送って扉を閉めたあと私の方へくるりと振り向いた。

「まあね。四人部屋だけど、どこもこうなの?」

「ううん、ここだけ。最初はみんなここに来るんだよ。順化槽だね」

「順化槽?」

「慣らしをするってこと。ソケットをつけて少し落ち着いたら同い年の部屋に移れるよ。こういう部屋がもういくつかあって、私のほんとの部屋は別なんだけど、新しい子が来るとこっちへ来るんだ」

「二三人一気に来ることもあるの?」

「できるだけ一人ずつだけど、兄弟で一緒に来る時は一緒の方がいいからね」

「そういうことか」

 彼女はガラス製の蓋のようなものを首筋につけていた。

「これが電極?」

「ソケットって言うんだわ。ここにプラグを挿して機体とつながるのよ」

「痛くないの?」

「ないない。最初は痒いけど、そのうち癒合しちゃうからね。ガラスの裾のところと皮膚が噛み合ってきれいにくっついちゃうんだよ。いいよ、よく見てごらん」

私は檜佐の首筋に顔を近づけてまじまじとソケットを見た。ガラスはガラスであり、皮膚は皮膚だった。その境目をケロイドのような張りつめた表皮が繋いでいた。

「くっつく……」

「何もこんなふうに触ってるだけでくっつくことはないよ」檜佐はベッドの脚を握って説明した。「でもそれは皮膚があるから。切ったりして肉が表になると時間をかけてくっつこうとする。肉って何にでもくっつこうとするんだって。だからほら、ひどい火傷をして皮膚がなくなると、指と指がくっついちゃたりするでしょ」

「そうなの?」

「そうでしょ?」

「不思議だ」

 檜佐はそんなふうにして九木崎の子供の感覚を私に教えてくれた。九木崎が独自の教育機関を持っていることとか、学年でいうと檜佐が一つ上だけど、ここではソケットを取り付けてから何年経つか、というのも重要なファクターなのだとか、そういう事情を知ったのもこの時だ。食事の時も風呂の時も檜佐は一緒だった(残念ながら風呂はまだ共用だった)。


 次の日、女史は自分の部屋に私を連れて行って大きなソファに座らせた。クジラの胃袋みたい深く沈み込むソファだった。

 向かいに九木崎博士が座っていて、賞状のようなものを読み上げた。

「君の新しい名字は柏木、君は今日から柏木だ」

「それって自分では決められないものなの?」

「うーむ、気に食わなかったかね」と博士。

「いや、名字はいいんだけど、名前は」

「変えられるかどうか確かめてみよう」女史はそう言って立ち上がり、キャビネットから取り出した分厚いファイルを机の上に開いた。

「それは?」と私。

「風水だよ」女史が答えた。

「運勢がどうとか?」

「迷信だけどね。結構体系的でね、つまりかっちりしてるのさ。どうせ非論理なら気の持ちようじゃないか」

 女史はまたいくつかページを開いた。

「なるほどね。まるで変えるのはいけないが音を減らすのはいいと出たね」

「じゃあ、ヘキ」

「ミドリでもいい」

「響きが好きじゃない。ヘキでいいよ。親につけられた名前っていうのが嫌なんだ」

 女史は頷いた。

「いいだろう。君はカシワギ・ヘキだ」


 さらに二日後に私は窩の手術を受けた。麻酔の眠りの中でメスや鉗子を置くがちがちという音が響いていた。電極は屈曲性のスリーブに通して挿入するので切開は窩の装着位置だけだった。スリーブには電極の帯電によって一方向に収縮する性質があって、撚りをかけて電圧を調節すれば針先の方向をかなり自由に決めることができた。

 数十本の電極を束ねる端子にガラスの基部をはめ込み、椎骨を挟み込むようにしてあとはガラスの底部で切開口を押さえる。基部の全周に開いた小さな穴と肉を縫い合わせて、それで手術は完了だった。


 その夜目覚めたあと、私はまず体の調子を確かめた。感覚機能と運動機能が損傷する危険性を聞かされていたからだ。

 まず手足。手指十本、足首。肘、肩、股関節、膝。次、体幹。目も見えていた。衣ずれの音も聞こえた。かすかな埃の匂いも感じた。大丈夫だ。なんだ、全然普通じゃないか。

 部屋を出てトイレに入った。夜中だというのに換気扇が回って中の空気を吸い出していた。流しの鏡に自分の横顔を映して首筋を覗き込んだ。何かついているのはわかるけど、詳しく見るには角度が悪かった。よく見ようとして顔を正面に向けると窩が首の向こうに逃げてしまうのだ。

 何度かやっているうちにイライラしてきたので首を振った。あとで合わせ鏡をしてもらえばいい。というかなんで見る必要があるんだ。

 私はベッドに戻った。でも体がぽかぽかして上手く寝つけなかった。麻酔とはいえ半日以上ぶっ通しで意識を失っていたのだ。考えてみれば当然だった。

 ものの一二分でむずむずしてきてとても布団の中にいられなかった。本でも読もうか、と思ったが病室には本棚も引き出しもなかった。

 私はまた廊下に出た。常夜灯の光が水面のような床に映っていた。それだけだ。明かりも人の気配もなかった。どの部屋も鍵が閉まっていた。本が置いてある会議室も閉まっていた。

 私はふとガレージに行ってみたくなった。階段室と玄関は防火用のシャッターが下りていて、その横についている重い防火扉を押し開けないと本来の玄関扉に取り付けなかった。

 サンダルを引っ掛けて内鍵を開け、グラウンド横のガレージの周りを一周した。でもどこも開いていなかった。

 母屋に戻って階段を上り、女史の部屋の扉を叩いた。

 扉は思いの外早く開いた。

 女史は藍色のナイトガウンを着ていた。下ろした髪はおそろしく癖のない艷やかでやわらかいストレートだった。

「裸足だね」

「靴がなかったから」

「こんなにすぐ起き上がってくるなんて誰も思わなかったんだ」

「でももう寝れない」

「牛乳でも飲むかな?」

「寝たいわけじゃないんだ。早くこれを使ってみたい」

「そうか。さすがに君は強気だな。まだそっとしておいた方がいいと思うけど」

「方がいいだけ?」

「……ま、いいか。少しだけね」

 女史は研究室を一つ開けて中へ入った。実験台にひどく簡単なアンドロイドが寝かされていた、人間の肢体を部分ごとにひとつの箱で表現したような具合だった。頭さえなかった。

 女史は投影器の電源を入れて、そこから伸びるコードの一端を私の窩に挿し込んだ。

「それで信号を強くするの?」

「機体を動かす時はね。機体の動きを感じる時は逆さ」

「弱めるの?」

「脳に流す電気はほんの少しでいいんだ。人間の脳は省エネだからすごく感度を良くして、電気をほとんど使わなくても情報や命令のやり取りができるようになってるのさ。でもそれだと鈍感な機械の方はさっぱり動かない。まあ、実際やってみた方が早いか。いくよ?」

「うん。いいよ?」

「もうやってる。何か感じない?」

「何も」

「この機体には皮膚感覚はないからね。動かさなければ何も感じない」

 女史が腕を動かす。

 キィキィ

「何?」

「何を感じた?」

「なにか聞こえたよ」

「なるほど、君の場合、まずは聴覚だったね。脳が電極の信号に慣れてないから、どこに送ればいいか迷ってるのさ」

「手術が失敗だったってこと?」

「そういうわけじゃない。これから上手く認識できるように脳を鍛えていけばいいんだ」

「鍛えるって?」

「動かしている部分を見たり触ったりして、これは動きなんだぞって脳に教え込むのさ」

「そんなんでいいわけ?」

「脳って案外柔軟なのさ」


 私はそれから毎日朝から晩まで投影器の訓練をして、だいたい一週間で肢機の動きを正しく認識できるようになり、二週間で人型の肢機を動かせるようになり、四週間であらゆる形態の肢機を隅々まで動かせるようになった。あとは正確さと速さを突き詰めるだけだった。経過を見ていた数人の研究員たちに言わせると、それはかなり驚異的なスピードであり、比較的遅く電極を埋め込んだことを考慮すればとても驚異的なスピードだった。肉体の成長の余地がより多く残されている段階で肢機の感覚を取り入れる方が適応がスムーズに進むというのが定説だった。

 九木崎の生活環境は確かに他の施設より良かったけど、それも今ほどではなかったし、私と折り合いの悪い子供だっていた。私は依然としていざこざや傷害から無縁ではいられなかった。それでも九木崎は私を追い出そうとはしなかったし、私も別の場所へ行きたいとは思わなくなっていた。それは肢機であり投影器のせいだろう。一年経つ頃には私は最も高度な研究に加わるソーカーの一人――九木崎からすれば最も便利な被験体の一人――になっていたし、私もその役目を気に入っていた。投影器のプラグとソケットが文字通り私と九木崎の靭帯になっていた。

 私は投影器周りの電気系統に注文を出し続けてまだ複雑怪奇だった肢機の制御システムを整理していった。私の意見を初めてまとまった形で具現化したのがリリウムだった。

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