第26話 アルヴェラッタ湖

「うぅ……ん? ふぁぁ」


 そうこうしている内に、今までずっと眠っていたコルトが目を覚ました。寝ぼけ眼を擦りながら大きな欠伸をしている。


「すまん。どれくらい寝てた?」

「ほんの一時間くらいだよ」

「よく寝てたですね」


 コルトはむくりと体を起こすとグッと体を伸ばして一息吐く。すると、コルトの周りでキューっと気の抜けた音が鳴る。


「腹減ったな」


 コルトはまじまじと自分のお腹を見つめながらやる気のなさそうな声でそう呟いた。

 そういう俺も今かなりお腹が空いている。朝から何も食べずにギルドに立ち寄って、そのまま流れでこんな森にまで来てしまったから、何か食べないと身がもたない。


「えっとー、大したものは持っていないですが……」


 そう言いながらニルは背負っているリュックを下ろし、リュックも口を開いて中に手を突っ込む。そして、ニルは両手で抱えるようにクッキーがぎっしりと詰まった大きな瓶を取り出した。瓶には三色のクッキーがたくさん入っていて、コルクで栓がされていた。


「ボクが作ったクッキーです。味は3種類ですよ。パーマル、チョリッカ、マローですね」


 凄い……全部聞いたことのない味だ。ピンク色とやや黄色を帯びたような色、そしてプレーンクッキーのような色のクッキーもある。どれがどれだかさっぱりだ。


「良いのか?  これ、非常食だろ?」


 そう言いながらもコルトはニルが取り出した瓶詰めクッキーに釘付けになっている。朝食の件といい、コルトは意外と食い意地張っているみたいだ。


「大丈夫です。減ったらまた作れば良いですから」


 ニルは瓶のコルクを開けて俺達に差し出した。クッキーの甘い香りとほんのりと柑橘系の酸っぱい匂いが鼻を掠める。

 コルトは瓶の中のクッキーを取り出して一つ口へ運んだ。ニルはそんなコルトをまじまじと見つめていた。多分、美味しく作れているか感想が聞きたいんだろうな。

 コルトは終始無言でモゴモゴと口を動かしクッキーを味わう。そして飲み込んだかと思うとフッと顔を俯かせしばらく黙り込む。それを察してかニルは少し悲しげな表情をしていた。

 だが、急にコルトはクッと顔を上げてニルを見つめ、ニルを指差して口を開いた。


「お前、今日から私の飯要員な。私のために飯を作り、私のために尽くせ」

「ええっ!?」


 急にそんな事を告げられて困惑するニル。本気なのか冗談なのかとっつきにくい事を言い出すコルトに俺は呆れながらもやや黄色みを帯びたクッキーを摘んで口に運んだ。

 クッキーを舌の上に乗せた瞬間、クッキー甘みと柑橘系の甘酸っぱい香りが口の中で広がる。クッキー自体は外がサクサク中がしっとりとしていて何か粒々したものが生地に練りこまれているようだ。それを噛むたびに、より強い甘酸っぱさを感じられる。多分、何かの果物を生地に練りこんでいるんだろう。何かに例えるなら……レモンクッキーに近い気がした。


「すごいな……美味しいよ」

「そうですか。良かったです!」


 ニルは苦笑いを浮かべながらも安心したようにホッと胸を撫で下ろす。

 コルトはというと、リスのように頬が膨らむほどクッキーを口に詰め込んでいた。口の隙間からクッキーの欠片がポロポロと溢れている。


「ほあえら、たへあいおは?」

「……せめて飲み込んでから喋ってくれ」


 コルトは口の中の物を飲み込もうとするが、口をへの字に曲げたまま固まっていた。ジッと地面を見つめたままスッと手をニルの方へ差し出す。


「ひず、ひずをくへっ……」


 口一杯にクッキーを詰め込んでいるせいかうまく喋ることもできず、そんな状態で無理に喋ろうとして口の端からヨダレが垂れる。


 汚ねぇ……。


「み、水ですね。ちょっと待つです」


 ニルはリュックの中を漁り、ひょうたんのような形の

 筒を取り出した。多分、あれが水筒なんだろうか。飲み口が細くコルクで栓がしてあり、そのコルク栓は飲み口の下辺りで紐で繋がれている。

 コルトはニルからその水筒を受け取ると、コルク栓を引き抜いて飲み口を口に咥えて豪快に水を飲みだした。


「……ぷはぁ。危うく口の中の水分を全部持っていかれるところだった」

「無理して頬張るからだろ? 意地汚いな」

「美味しかったんだから仕方ないだろ」


 コルトは再び水筒の水をゴクゴクと飲んで、礼も言わずにニルへ水筒を返した。ニルは水筒を受け取るとコルクで飲み口に栓をして軽く水筒を振る。


「ぜ、全部飲んでるです……」


 さすがのニルも呆れたのか顔を引きつらせながらも困ったように笑みを浮かべている。遠慮のなさといい意地汚さといい、これが最上級の冒険者なのかと思うとちょっと残念だ。


「よし、腹も膨れたし引き続きアルヴェラッタ湖を目指すぞ」

「本当、コルトって自由だよな」

「何を言っている。自由気ままなのが冒険者というものだろう?」

「確かに……そうなんだけど」


 まあ、何にも囚われずにお金が足りなくなったらクエストを受けて報酬を受け取り、生活に難がない程度にお金があればクエストを受ける必要もないのだから自由気ままって言えばそうなんだろうけど……なんかこう、誰かのためになんていうのがあっても良いんじゃないかって思うんだけどな。現実はそう上手くはいかないか。


「ま、まあ……ボクは気にしてないですから大丈夫です!」


 ニルは気を遣ってか両手を胸の前で軽く振ってそう告げる。


「ほら、こいつも気にしてないっていうんだから良いじゃないか」

「コルトがもう少し気にしろ。というか遠慮しろ」

「何をいうかと思えば……遠慮なんかしてたら食いっ逸れるぞ。得られるものは最大限に頂戴する。それが私のモットーだ」


 コルトはフンと鼻を鳴らして誇らしげに無い胸を張る。


「自慢げに言うなよ……ごめんな、ニル。コルトはこんなだから」

「い、いえいえ! 大丈夫ですよ。それよりも、セイジさんは食べないですか?」


 そう言ってニルは話を逸らすように瓶を両手で掴み、俺に差し出した。クッキーはもう半分ほど減っている。また追加で作らせることになると思うとちょっと気がひけるな。


「いいや、コルトがあんだけ食べているのを見たらなんだか悪い気がしちゃって……食べたく無いわけじゃ無いんだけど遠慮しておくよ」

「そ、そうですね。ボクもあれだけ食べてくれるとは思わなかったです。おまけに水筒の水も全部飲み干されてしまって……なんだかびっくりしたです」


 ニルは上機嫌で森を進むコルトの後ろ姿を見ながら困ったような笑みを浮かべていた。でも、それは不快に思っているとかそんなマイナスなものじゃなくて、どこか喜んでいるようなそんな印象を受けた。


「上級職の人達にはあまり良い印象を受けなかったですけど、コルトさんはその人達とは違う気がするです」

「そうか? 俺は別に感じないけどな。平気で魔物の囮にはされるし、最初の出会いでコルトがなんて言ったと思う? 冒険者になったばかりの俺に飯を奢れ、なんて言ってきたんだぞ。俺には同じように感じるけどな」


 そう話す俺を見てニルは柔らかな表情を浮かべて微笑んだ。


「でも、その割には楽しそうに話しているですよ?」

「まあ、あれでもどこか憎めないから……そのせいなんだろうね」


 確かに魔物の囮にされた時は騙された気分だったけれど、色々とあったうちにそんな事も忘れてしまっていたから、割と自分で感じている以上にコルトを受け入れているんだろう。


「おーい。お前ら早く来いよ。着いたぞ」


 遠くでコルトの声が聞こえる。大きく手を振りながら俺達に向かって叫んでいた。


「コルトさんが呼んでいるですね。行くですよ、セイジさん」

「おう」


 ニルに手を引かれて俺達はコルトに駆け寄る。森を抜けると目の前に巨大な湖が飛び込んで来た。何かの洞窟があるのかドーム型の小さな岩山が湖の中心に浮かんでいる。湖の周りは森に囲まれていて、何時間かぶりに日の光を見た気がした。


「というか、なんで急にあっさり湖が見つかったんだ? さっきからずっと同じところをグルグルと回っていたはずなのに」

「そこなんだよな。こいつの魔法でも探知できなかったみたいだし、不思議なんだよ」

「うーん。ボクでも分からないです」


 コルトでもこんな事は初めてだったのか難しい顔をしている。

 まあ、何がともあれ湖は見つかったわけだし、ニルのクエストも決闘クエストを申し込んだ相手に会う事も出来そうだ。


「ぐっ……!?」

「ううっ!」


 そう考えていた矢先、急にコルトとニルがその場に膝をついて四つん這いの体勢になった。苦しげに息をしながら額には脂汗をかいている。手足はプルプルとる震えて、何かで上から押し潰されそうになっているようなそんな素振りを見せていた。


「ど、どうしたんだよ、2人とも!」


 いきなりの事に訳が分からなくなって俺は2人に問いかける。とてもふざけてやっているようには見えない。何が起こっているんだ?


「やっぱり……お前は何も感じないのか」


 息を切らしながら言葉を紡ぐコルト。

 何も感じない? もしかして、今のこれが魔破ってやつなのか? 確かコルトの話ではより強い魔破に対して耐性がどうのと言っていたけど……コルトやニルをこんな状態に追い込むほどの魔破の持ち主が近くにいるのか!?

 俺は思わず鞘から刀を引き抜く。

 俺自身、まだ詳しい事は良く分からない。けれど、二人がこんな状態である以上、今戦えるのは俺しかいない。その相手が襲って来ないとも限らないし、ここは異世界だ。魔物だったらそれこそ話し合いなんて意味はないだろう。


「バカか! お前が敵う相手じゃない! 退け!」


 コルトが必死になって叫ぶが、俺はそれを無視する。

 何も出来ない事は自分でも痛いほど分かっているけど、二人を放って逃げ出すわけにはいかない。


「酒の肴にゃ魚が一番〜、焼くのも煮るのも乙なものよ。けれどやっぱり刺身に限る〜」


 どこからか男性の低い声で陽気に歌う声が聞こえてくる。それと同時に、濡れたスポンジを地面に落としたようなビチャ、ビチャという水音が一定の間隔で聞こえてきた。それは確実にこちらへと向かってきている。


「うぐっ!!」

「あああっ!!」


 その存在が近づいてくるたびに2人はさらに苦しみだす。息をするのも精一杯のようで必死に肺に息をため込もうと呼吸していた。だけど、まともに呼吸が出来ないようで浅く速い呼吸を繰り返している。


「今宵は満月、盃交わして朝まで酔いて踊れや大宴会〜」


 ガサガサと揺れる木々、森の奥からこちらへ近づいてくる何か。陽気な歌を歌いながら木々の奥から勢いよく飛び出すと、それは俺達の前で着地する。


「…………え?」

「あ?」


 俺はその姿を見て固まってしまう。飛び出した何かも俺達の存在に気付いて小さく声をあげた。

 筋肉質な腕と脚、それはかなり太く、相当鍛え上げられているようだ。手製の釣竿と籠を手に持ち、籠の中にはたくさんの魚が入れられて多分さっきまで釣りをしていたんだろう。

 けれど、そんな事問題にならないほど、それはインパクトの大きい存在だった。というよりツッコミどころが多すぎた。

 俺達の目の前には、手足は人間、体はどこから見ても魚の意味不明な生物が立っていた。

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