第13話 ぶりっ子には気を付けろ

「やばい。完全に迷った」


 人気のなくなった真っ暗な街中を地図も持たずに歩き続けた結果、俺は完全に道に迷ってしまっていた。振出しに戻ろうと公園を目指してはいるが、かなり進んでしまったようで公園がどの辺にあったかさえも覚えていない。もうかれこれ一時間ほど歩き回っている。というか、この街どんだけ広いんだよ!

 どうやら、開けた場所から入り組んだところに入ってしまったようで辺りを見渡しても建物の壁が見える程度だった。

 

「ああ……。脚が棒になりそう」


 俺はとうとう疲れ果て、下が地べただという事も忘れて座り込み、膝を伸ばして盛大に溜息を吐いた。膝を左右に軽く振って痛みを和らげる。第一、宿を示す看板が読めないのだから見つからないのは当然だ。仮に看板が見つかったとしてもそこが宿だと分からなければどのみち探しても無駄だろう。人の気配もないし、もうどうすればいいのか。そう思いながら空を見上げているうちに、段々と眠気が増していった。何度も瞬きを繰り返し、首をカクカクと揺らしながらも俺は睡魔と格闘していた。


「……ん?」


 ふと、誰かが言い争うような声が聞こえて俺は顔を上げる。俺が座り込んでいる路地のもっと奥、月明かりだけが照らしているだけの薄暗い路地の奥から途切れ途切れに声がしていた。

 こんな時間から何を言い争っているんだ? まあ……時間なんて分かる訳もないけれど。丁度良い、様子を見るついでに宿の場所を教えてもらおう。

 俺は立ち上がって、路地の奥へと足を踏み入れた。

 薄暗く狭い道を進んでいくと、突き当りに男性と女性が立っていた。良く見えないが男性が女性を壁側に追い詰めている様にもみえる。目を凝らしてじっと見つめると段々と二人の風貌が見えてきた。男性の方は大柄でシャツにズボンといったかなりラフな格好のようだ。どこかで見たような気もするけれど、俺の方に背を向けている状態だから顔が見えない。一方で女性の方は俺よりも身長が高いようで百七十センチはありそうだった。黒い髪を背中まで伸ばし、目つきは鋭く凛々しいものでどこか男らしさを感じさせる。だが、その恰好はというと、いかにも正統派メイドというようなヴィクトリアンメイドの服を身に付けていて、その手にはデッキブラシが握られていた。日本でもトイレとかでよく見る硬いブラシの付いたタイプのデッキブラシのようだ。

 


「つべこべ言わずに返せよ!」

「いやああああ!! 女の子の体を触るなんて変態ですぅ!」

「アホかテメェ! 触ってねえだろうが! とにかく返せって言ってんだよ!」


 そう言いながら女性に迫る男性。だが、女性の方はどこか抜けているのか緩い口調で叫んでいる。そんな振る舞いに男性は苛ついているようだった。話を聞く限りでは女性が男性の所有物を奪ったか何かしたんだろうけど……まだ詳しい事は分からないな。

 俺は人一人くらいは隠れられそうな壁の隙間に隠れながら、二人の様子を窺っていた。


「ええ!? 何の事か分からないですよぉ? 私、何かしましたかぁ?」

「上等じゃねえか。あんな分かりやすい事をしておいて白を切るとはな!」

「だからぁ、私は何もしていないですよぉ。ここを通してくださいよぉ」


 怒号を浴びせる男性に比べて、女性はのほほんとした緩い口調で返している。それにしてもあの女の人、状況が本当に分かっているのか? 明らかに相手の怒りを買うだけだろ、その態度じゃ。このままだと最悪な事になるかもしれないな。警察……いやいや、この世界では衛兵というべきか。どっちにしても呼びに行っている暇はないだろうし。これって、かなりまずい状況じゃないのか? 


「いい加減にしろよ!」


 とうとう痺れを切らした男性は女性へと手を伸ばす。女性は怯えた表情をしながら壁へ体を押し付けてその手から逃れようとしていた。


 ――まずい!!


「誰だ!」


 咄嗟に身体が反応してしまったせいで、腰に差していた刀が壁に擦れて音を立て、男性に気付かれてしまった。即座にこちらへ振り向く男性が見えて、俺はすぐに壁の隙間に身を隠す。刀を手で押さえながら俺は男性の様子を窺った。


「黙ってねえで出て来いよ!」

「は、はい! 済みません!」


 男性の怒号に気圧されて俺は思わず陰から飛び出てしまった。両手を上げて敵意がない事を証明しながら恐る恐る男性の方に目を向ける。


「あれ? ひょっとしてお前さん、昼間うちの店に来た客じゃねえか?」


 聞き覚えのある声がして男性の顔を目を凝らしてよく見るとそこに立っていたのは俺とモニカが武器を買いに行った武器屋の店員だった。


「え? もしかして、武器屋の……」

「ああ……そういえば名前を教えていなかったな。俺はヴェルガだ。ところで、何でこんなところにいるんだ? もう夜遅いんだぞ?」


 怪訝そうな表情を浮かべながら腕を組むヴェルガさん。その顔はほんのりと赤く染まっていて酒の匂いが漂っていた。多分、今までずっと飲んでいたんだろう。


「それが宿を探そうと思って歩いていたんですけど道に迷っちゃって……この近くで座って休んでいた時に変な声が聞こえたので」

「はあ? 宿はもうとっくに通り過ぎているぞ? ここは居住区だ。宿があるのは商業区だな」


 やっぱりか……この辺に入ってから建物の看板が見当たらないなと思っていたら、ここら一帯はこの街に住んでいる人達の住居が建ち並んでいるのか。それだったら宿がないのも普通だよな。


「まあ、お前さんはこの街は初めてみたいだし、迷うのも別におかしな事じゃねえよ。居住区は迷路みたいに入り組んでいるからな。商業区に戻りたかったら、この路地を出て左に曲がって道なりに真っ直ぐ進めばお前さんでも見慣れた建物が見えてくるはずだ」


 ヴェルガさんが指さした先にはもう一つ、俺達のいる路地へ入ってくる道があった。俺が入ってきた道とは違って、少し道幅が広めで大分明るく感じる。道の向こうには街灯の光も見えていた。


「ありがとうございます! それはそうとヴェルガさんもこんなところでどうしたんですか? 言い争っているような声がしたんですけど」


 ヴェルガさんは一瞬目を丸くして驚いた表情を見せていたが、後ろを振り向いて女性に目を合わせると盛大に溜息を吐いて再び俺に目を向けた。さっきまでの怒りが落ち着いたのか呆れたような表情をしている。


「まあ、あんだけ叫んでいたら誰かは駆けつけて来る思っていたけどよ。まさか今日出会った客が来るとは思っていなかったぞ」

「俺だって驚きましたよ。こんな夜に薄暗い路地の奥で男女が言い争っているんですよ? そういう場面に出くわしてしまったんじゃないかって思いましたよ」

「ばっ!! バカな事をいうんじゃねえよ! こいつは――がっ!?」


 ヴェルガさんが急に焦った様子で声を張り上げた途端、今まで後ろで俺達の様子をまじまじと見ていた女性が急にデッキブラシの柄でヴェルガさんの頭を殴りつけた。ヴェルガさんはその衝撃で白目を剥き、そのまま地面に突っ伏した。


「あれぇ? 思わず振り下ろしたら倒れちゃったぁ」


 相変わらず緩い口調で、驚きも怖がりもせずに首を傾げる女性。ヴェルガさんほどの大男をデッキブラシで殴った程度で、しかもたった一発で倒してしまうなんて……一体この人何者なんだ? いやいや、それよりも心配するべきはヴェルガさんの方だろう。


「だ、大丈夫ですか!?」


 俺はヴェルガさんの体を揺すって声を掛けるが反応がない。まさか、あの一撃で死んだ、なんてことはないよな? まさか、たかがデッキブラシで殴られた程度で!? 俺だったらあり得るかもしれないけど、さすがにヴェルガさん相手にはあり得ないだろ。


「心配はいらないですよぉ、気絶させただけですよ。隙を作ってくれてありがとうですぅ。おかげで助かりましたぁ」

「い、いえいえ。別に俺は何も」


 女性は緩い口調で満面の笑みを浮かべてそう言った。相変わらず襲われていたとは思えないほど緊張感のない口調だけど、やっぱり襲われていたって事なんだろうな。あのヴェルガさんの慌てようを見たらそっちの方が信ぴょう性が高いな。ヴェルガさんもただ気絶しているだけみたいだし……良かった。とにかく問題は「とでも言うと思ったか、クソが」ない……!?


 突然、女性は荒々しい声を上げてヴェルガさんの背中を片足で踏みつけた。そのままヴェルガさんの背中の方へ体重を掛ける。片手に握っていたデッキブラシを両肩に通して腕を掛け、まるでどこかのヤクザのように俺を睨みつけた。そのあまりの豹変っぷりに俺は驚きすぎて声も出せなかった。


「ヴェルガの知り合いみたいなノリだったからしくじったかと思ったけれど……そういう訳じゃなくて安心したぜ。まあなんにせよ、隙を作ってくれてありがとよ」


 女性は俺を睨みつつ卑しい笑みを浮かべている。感謝されているはずなのにどうしてか感謝されたことに対する嬉しさよりも恐怖を感じていた。なんだか、この人にこれ以上関わるのは危険な気がする。

 俺は女性と目線を合わせながらゆっくりと逃げる準備をしていた。足を進行方向へ向けてすぐにでも逃げ出せるように体勢を整える。ヴェルガさんを置いていくのは悪いけれどこればかりはどうしようもない。


「なあお前さ」


 逃げ出す準備を整えている最中、女性は急に声を掛けてきた。ヴェルガさんから離れ、ゆっくりと俺の方に歩み寄る。まずい、気付かれたか!? いやいや、逃げるなら今しかないだろ!

 けれど、そんな思いに反して体は言う事を聞いてくれない。足が震えて最初の一歩が踏み出せないでいた。そうこうしているうちに女性は手を伸ばせば俺に届きそうな距離まで迫っていた。


「な、何ですか?」


 こうなったら相手の話に上手く合わせて穏便に済ませるしか方法はない。戦うって選択肢は無しだ。相手が強者だって事は俺だって分かる。いやいや、そもそも相手はこの世界で生きてきた人間だ。異世界からひょっこりやってきた俺が敵う訳がない。

 女性は俺が恐怖を感じている事を分かっているのか、終始不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと俺の腰を指差した。そこにはベルトループに括り付けている財布がある。女性は多分、これを指差しているみたいだ。


「それ、いくら入っているんだ?」

「え? 確か……二万五千エメルくらいですけど」

「……へぇ」


 俺が答えると女性は目を細めて舌なめずりをする。獲物でも狩ろうかとでもいうような視線に俺は背筋が凍った。これは本当にまずい……多分あの女性はこのお金を狙っているはずだ。でも、これを渡してしまったら今日の宿代が無くなってしまう。けれど抵抗を見せてしまったら何をされるか分からない……やばい、本当にどうしよう。

 どうしようか迷っていると女性は両肩に掛けていたデッキブラシを振り回し、その勢いのままデッキブラシの柄の先で俺のみぞおち目掛けて突き出した。いきなりの行動にとっさに刀を抜こうと思ったが、女性の攻撃速度が予想以上に早く、柄に手を掛けたところでデッキブラシの柄の先がみぞおちを突き、腹を抉るほどの激痛が瞬時に奔った。最悪、臓器の一つでもやられたんじゃないかというほどの凄まじい痛みに耐えかね俺は腹を抱えたままその場に倒れ込む。


「ぐっ! ふぅ、ううっ!! あぁ……」


 必死で肺に空気を入れようと息をしようとするが痛みが強すぎて上手く呼吸も出来ない。そんな俺を嘲笑うように見ていた女性は俺の腰に括り付けておいた財布を引き剥がして手に取り、満足げに微笑んでいた。


「悪く思うなよ。金は口止め料として頂いておくぜ。たった二万ぽっちで命が助かったんだ。安いもんだろう?」


 女性は財布を軽く投げて遊びながらその場を去っていく。痛みに耐えかねた意識は段々と薄れてきて視界もぼやけてきた。クソ……初日の最後にヤクザにお金を全額奪われるって……本当に何なんだ。


「この世界を甘く見るなよ、新人さん」


 遠退く意識の中で女性の嘲笑う声だけが頭に響いていた。

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