第7話 雲晴れて

 丁寧に髪を梳く雷斗の手は、ほんのり温かくて、子供扱いをされていると分かっていても、私は黙って俯いて、その熱に触れていたい。

 窓を叩く雨の音と、心音だけ部屋に響く。


 不意に、静寂を破ったのは雷斗が短く吸った息の音で、ゆっくりと頭上で止まった手に、私は顔を上げた。


「……これからどうするの?」


 私の頭上に伸びる腕で、顔はよく見えなかったが、少しちいさめの間をとった聞き方には聞き覚えがある。

 風斗と出会い、写真を撮るかどうか悩んでいた頃、私を心配していた時の声と一緒なのだ。


 私は少し唇をかんで、また泣いてしまいそうなのをこらえながら、明るい声を心がけて出してみる。


「仕事? 仕事だったらまた探すよ。働かないといろいろ困るし」


「だったら、うちで働いてよ」


「えっ?」


 間髪のないついでに言うと余裕もない声は、予想もしてない誘いで、泣いていたこととか、理由とか全部吹き飛ばすくらいの風圧があった。


「それとも都会でまだ働くの?」


「いや、勢いで辞めてきちゃったし、そこまで深く考えてはなかったけ

ど、良いの?」


 思わぬ誘いに、涙も止まり彼の表情を窺う。


「いいよ。いいに決まってる。丁度人手が欲しいし」


「風斗がいるじゃん」


「画廊関連の客なら風斗相手でも問題ないけど、それ以外のお客さんに俺一人だから困ってるんだ」


 悪くない。二人と働くのに今更気兼ねもないし。


「私、カフェで働いた経験ないよ」


「んなのいらないよ。強いているなら俺と風斗を見分けるスキルくらいじゃない」


「そんなの」


「紗世以外にそれできる人いないから、紗世が一緒に働いてくれると俺達すっごく嬉しい」


 その言葉にほだされて、頷きかけて、はたととどまる。


「今日、私以外人いなかったよね。このお店にそんなに人が押し寄せることないと思うんだけど」


「……紗世って、本当に甘やかし甲斐がないよね」


「……」


「自分ではわかってないと思うから言うけど、今日はずっと難しい顔してたよ。結構きつかったんでしょ。やめてきて正解だったよ」


 ふいに真面目なお説教を開始した雷斗の言葉が、すんなりと胸に届く。


「次の仕事をするにしても、一休みしてからでも遅くないと思うんだ。ここはそのためにあるんだしさ」


「ひとやすみ」


「『ターミナル』は、日本語で駅。駅はただ通過するんじゃなくてその場にとどまる時間をくれる。先代からこの喫茶店を継いだとき、ここをそういう場所として守ってくれって頼まれた」


 そうだったんだ。


「今の紗世にはここが必要だと思う」


「一休みできる場所が、必要か……」


「どうかな?」


 さっきの取り乱しようを見られたあとじゃ、ごまかせないか。


「じゃあ、お願いしようかな」


 精一杯、恥じらいを隠して彼に差し出された手を握る。視線を彼へ向けると、彼の顔は微かな笑みに彩られていて、かっこよく見えた。


「そうと決まれば、下でいろいろと話をしなくちゃね」


 彼は、そう言葉を紡いで、私の手を握ったまま一階へ降りていく。

柔らかく握られた温かな手を放さないように、一歩一歩丁寧な歩みに着いて行きながら、彼の背中を見て思う。

 ここに来れて本当によかった。

 下の階に降りると、店じまいをしていたはずの扉が開いた。

 そこにいたのは、風斗だ。雷斗とよく似ただけど少しだけ違う風斗。風斗は私の顔を見るなり、微笑んで


「おかえり」


 そう言ったのだった。

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ひとやすみ 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731

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