02

「あのひとが、御法真紀、か――」

 ベッドの上で仰向けになって、ぼんやりと榊美緒は呟く。呟きながら、脳みその一部が何をしているのだろう私は、などと考えている。

 彼女、天道流武術の榊美緒は、昼過ぎに御法真紀師範に決闘を挑み、敗れた。

 それで一度保健室に運ばれてから軽く検査を受け――そのまま直帰してから、ずっとこんなである。

 何も食べないままに、着替えもしないままにベッドで寝て、天井を見つめている。見つめ続けて、何度も何度も、溜め息を吐いている。溜め息だけで呼吸しているかのようだった。

 やがて、ぽつりと呟く。

「全然、届かなかった」

 当たり前ではあった。

 なんといっても、相手はあの御法真紀だ。そんじょそこらの兵法者ではない。そして自分は天才だとか神童なんて言われても、まだそんじょそこらの兵法者にすらも苦戦する程度の腕前でしかない。

 一矢くらいは報いられるだろうけど。

 彼女はそう考えられる程度には謙虚な人間だった。

 その一矢だけでも、美緒を天才と呼び足らしめることができるに十分だとしても。

 そして、御法真紀はそんな矢が到底届くような相手ではないということも、重々承知してもいたのだ。

 どうしてそんなのに挑んだのか、などと言われてしまうかもしれないが、そんなの相手と解っているからこそ挑むしかなかった。


 なんと言っても、彼女は天才なのだから。


 同世代で榊美緒以上の才覚を持つ者はそうはいない。もしかしたら、この時代においての全流派でさえもそうかもしれない。この『講武所』において、学生で彼女と真正面からの試合で勝てる人間なんてほとんどおらず、そのごく少数の例外たちでさえも修験に特化した特殊な異能持ちか、あの明やティナみたいな人外枠に片足を突っ込んだような者だけだろう。

 それだけの才覚が、彼女にはある。

 才覚。

 そう。

 あくまでも才覚なのである。

 剣理の理解、身体操作の感覚……いずれも彼女は同世代を抜きんでいる。

 だが、それだけだ。

 それだけでしかない。

 美緒の技では『剣』に至れても、『験』に届こうとも、『顕』には及ばない。

 まだ。

 及ばない。

 そのことが、その一事が、美緒には重かった。そして、耐え難い事実だった。


 現代兵法者には三段階ある。


『剣』

『験』

『顕』

 往古の先達が上達の段階を能楽の守破離になぞらえたかの如く、現代では兵法者はその三つの段階を踏んで一人前と見なされる。

 ――建前は。

 建前の話である。

『魔法』が世界に流入した最初期の頃、とある剣士がそのように定めた。彼はそれ以前から優れた使い手で自他共認める名人であったが、『魔法』に触れた直後に霊力に目覚め、門下門外問わず、その理法を伝えた。それによって、その名人は現代兵法の始祖として仰がれる存在となった。今でも彼の定めた用語が兵法用語のベースとなっている。

 とはいえ、それは十五年も前の話である。

 今となってはそれも不適当なのではないか、という意見もでていた。

 実際、『験』の段階に至らない兵法者が大半であるという現状から考えれば、『顕』に達してこそ一人前とは、あまりにも理不尽な要求ではないかと言う声は大きい。また『剣』と『験』の境目も解りにくい。そもそも開祖やら歴代の使い手たちの逸話を再現するという『験』であるが、そのあたり目立った逸話もない流派などはどうすべきか、などという問題もある。

 近年では『験』と『剣』を分けず、霊力を発現させた段階をもって『験』として一人前と見なす考え方がでてきて、ある程度の支持層を得ている。

 そしてそれで言えば、すでに美緒は一人前なのだ。

 だからこそ、彼女は焦っていた。

 他の者たちよりも早く一人前になってしまったが故に、誰もがつきあたる壁にも同世代でいち早く、真っ先にぶちあたってしまったのだ。

(今の自分は、ただ同輩の誰よりも早くに一人前の技倆に至ったと……でしかない)

 現状には不満があるし、未来には不安があった。

 彼女は自分が同世代の頂点と仰がれる立場になって痛感したが、それはただ同世代という枠組みの中での評価でしかなく、兵法者としてはペーペーもいいところだった。教官を勤めている中堅ところ以上の使い手たちと比べても、経験値含めた総合能力では劣るかもしれないと思う。

 まして、あの御法真紀とは比較の対象にするのもおこがましいだろう。

 それが彼女の今の自己評価だった。

 ほんの一日前では違っていたのだ。

 自分の力なら、あの御法真紀にもいつか届くと信じていた。信じられていたのだ。

(滑稽だな)

 と思う。

 勝てるとは思っなかった。それでも、もう少し食い下がれるとは思っていた。

 まったくの幻想にしか過ぎなかった。

 頂上に届かないどころか、裾野を踏んでさえいなかったというのを知った。

 それくらい、実力の差が隔絶していたのだ。

(当然か。最初からそれは解っていた。解っていたつもりだった)

 なにせ最初の遭遇では、呼吸器をおっぱいで塞がれて意識を失うという不覚をとってしまったのだ。

 あまりにも屈辱的な敗北であり、その雪辱をそそぐつもりで挑んだのであったのが、相手にすらもされてない結果に終わった。

 打ち込んだ全力の太刀を受けられるどころか、防御すらもされなかった。護法のための真言が唱えられることもなく、ただ突っ立ったままに肩に食らって、御法真紀は平然としていたのだ。

 そして美緒は、それを悔しいとさえ思えない自分に絶望していた。

 見上げて頂上が霞むほどの巨大な山に、鶴橋で打ち込んで崩そうとした――それほどに、自分の行為は無謀と思わされられた。生涯をかけて挑んでさえ、それは僅かな穴を作ることしかできないで終わる。崩すなんて夢のまた夢だだった。

「…………何もかも、虚しくなってきた」

 美緒はそれを声にだしてしまった。


 ……あれこれと難しく書いてしまったが、今の美緒は、要するに自分の目指していた頂点に届かないと解ってしまって、モチベーションがむちゃくちゃにだだ下がりしているわけである。

 もっと平たくいえば、天狗の鼻がへし折られたわけであるが。

(どうしよう)

 いっそ、兵法者を目指すことそのものを諦めてしまおうか、とさえ思った。

 若い頃の天才児にありがちな思考であるが、最高になれない自分というのが美緒には耐えられない。初めての挫折、というやつである。

 ここでぽっきりと折れて、そのまま辞めてしまうというのもよくあることであるが、美緒はそれを思考することはあっても、自分の兵法者でない未来というものも想像できないでいた。

 彼女の今までの人生は、兵法のためにあった。

 今までの自分のためにも、それを裏切ることなんてできやしない。

 できないのだが。

「虚しい」

 もう一度、言った。

 最高の兵法者でなくとも、社会貢献はできる。最高の戦闘力をもたずとも、より多くの戦果をあげることはできる。そう自分を鼓舞しようとする。

 あの御法真紀より強い兵法者は存在しないかもしれないが、御法真紀以上の成果を上げて、自分の名前を歴史に残すことは可能だ。例えば《魔法世界》にいって――

 そこまで考えてから、改めて溜め息を吐く。

(今の御時世で、《魔法世界》に単独でいくなんてとてもできるはずがない)

 数年前の火の国の滅亡があって以来、《魔法世界》と地球の国交は実質上断絶の状態になっている。人や物資の流通は今も続いてはいるが、その厳重にチェックはかつての非ではない。

 あの御法真紀たちのような兵法者が次元を超えて渡り、《魔法世界》をまたにかけての大冒険をする――だなんてことは、今となっては夢物語にも等しいことだ。

(大冒険か……神奈月師範は、そんないいものじゃなかった、地球人にとっては、全てが驚異であり、脅威だったって話だけど)

 柳生流の達人である神無月師範をしてそう言わしめるだなんて、とは思っていたが、今日の御法真紀の講義という名の思い出話で聞いたことも合わせて考えると、それは決して大げさなことではない。あのひとの語る戦歴に嘘はない。それは兵法者たらんとする者にとっては、当たり前のように感じるものだ。

 他の生徒にしたって、そうだろう。

「結局、踏み越えた修羅場が違うんだから、勝てるはずもない、か――」

 地球で、多分、あの御法真紀を超える兵法者という者は存在しないし、その技術が培われたのが《魔法世界》での日々であるとしたら、同じことができない現在の環境では真紀の境地に追いつけない。

 より過酷な修行を課したら、より高みに到れる――というような短絡な思考を彼女はしていないが、経験値の差というのを明確にされてしまった状況では、どうしてもそのように考えてしまうのだ。

「この地球に、《魔法世界》より過酷な土地なんてないし」

 そこまで言ってから、 榊美緒は体を起こす。

 

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