従者


「着物、朝までに乾くかなぁ?」


 木の枝に着物を干しながら呟くと、珠樹チュシュが呆れたように息を吐く。


「朝までなんて乾くわけないだろう?明日一日干しときゃ、次の朝までには乾くよ。周和国までもう少しだし、一日ゆっくり休もう」


 そのつもりで着物洗ったんじゃないのか、とあきれ顔。乾くかと思ったんだよね、なんて言えば笑われた。明日一日無駄にするぐらいなら洗わなきゃよかった。今は少しでも早く、先に進みたい。

 捕らわれている黒龍様に宝珠をお渡しして、朝陽チャオヤンに角を返したい。

 

「朝陽、辛そうだぞ」


 水浴びをする朝陽を目で追いながら、珠樹が呟く。朝陽は自分から休みたいとは言わないが、神力のない今、相当に辛いのかもしれない。

 気ばかり急いている私と違い、珠樹はちゃんと必要な事を見ている。朝陽の為にも、ちゃんと宝珠を取り返すためにも一日休んで周和国へ向かった方が良さそうだ。

 『着物が乾かない』なんて間抜けな理由でも、頼めばきっと笑って許してくれるはず。水浴びから上がったら、頼んでみよう。


「あ、の、朝陽?実は……」


 私の力で絞った着物は、水を多く含んだためポタポタと水が滴っている。その着物を見て眉間に皺を寄せた朝陽に、着物が乾くまでここで休みたいと恐る恐る切り出してみた。朝陽も疲れているはずだからきっと同意してくれるはずって思うけど、歩みを遅らせたいと言いだすのはやっぱり怖い。


「明日一日あれば乾くのだな。ならば間男。明日はここで着物の番を頼む。我は雪花シュエファと供に風鬼ふうきに会いに行ってこよう」


 風鬼さんが近くにいる。それなら私と珠樹で呼んでくるので、朝陽は少しここで休んで欲しい。そう訴える私に、朝陽はゆっくりと首を振った。


「我が行かねば風鬼は現れぬ。其方は、先ほど黒龍と約束したのであろう。龍との約束は、命ある限り違えることは許されぬ。我が身体の動くうちに、風鬼を供とし宝珠を必ず取り戻さねば」


 あ、やっぱりさっきの約束、勝手にしたこと怒っています? 


「案ずるな。風鬼も供をしてくれるのであれば、問題ない。もとより、我が黒龍と交わさねばならぬ約束だ。雪花に背負わせてしまったが、違える気はない」


 『もう休め』と言い捨てて、木によりかかり深い息を吐く朝陽。何も言えず、珠樹と私は黙って側に横になる。


 もう七日目だから、慣れたけどね。わかっていますよ。贅沢はいけない。この辺りは夏だし、草もある。だから、地面は少し柔らかい。でも、ゴツゴツしていて、ところどころ木の根があって、眠りにくいです……。座って眠る朝陽に比べたら楽なんだろうけど。


 

 朝の光が目に刺さり、まだ覚醒していない頭でも無理やりに起こされる。この目覚めももう慣れたけど、以前の障子越しの柔らかい目覚めが恋しい。まだ、もう少し寝たい。


「雪花、重い」


 困り果てた珠樹の声が身体の下から聞こえて、一瞬で目が覚めた。なに?なに? 私、珠樹の身体の上で眠っていた?眠るとき、あまりに身体が痛くて少しでも柔らかい場所を探していたけど、それは、珠樹の上では無かった。確かに昨夜眠るときは、木の根を枕にして眠ったはず。飛び起きた私に、後ろからさも楽しそうな笑い声が響いた。


「新妻が夫の目の前で間男と眠るなど、ずいぶんに大胆だな」

 

 いや、だから、そう思うなら起こしてください……。


 赤い顔で朝食代わりの木の実を食べる私たちを、楽しそうに眺める朝陽。視線、痛いです。 


「さて、行くか」


 ひとしきり私たちの赤い顔をながめて楽しんだ後、朝陽が立ち上がる。風鬼さんに会いに行くんでしたよね。忘れてなんかいませんよ、もちろん。


「間男。ここには結界を張っていく。人はここには近づかぬ。誰か来たなら、それは人ならざる者。着物など捨て、素直に逃げるがいい」


 そんなところに珠樹を置いていくの?ほら、珠樹が脅えている。珠樹、意外に小心者なんだから。一人で山の中に取り残されるのも、本当は嫌だと思うんだよね。


「珠樹も、一緒には行ってはいけませんか?」


 今朝の醜態も忘れ思わず口にした言葉に、朝陽よりも珠樹の方が驚いていた。朝陽はなんだか楽しそう。


「我が妻は、夫である我と2人でいるよりも間男がいた方がいいと申すのか?」


 わざとらしく嘆いて見せているけど、口元が緩んでおりますよ?珠樹はなんだか気まずそうにしているし、もう。


「黒龍様から言伝を預かったのは、雪花だろう?俺はここで待つから、朝陽と二人で行って来いよ」


 まぁ、珠樹がそう言うのなら……。


「気になるか?」


 後ろを気にしながら歩く私に、朝陽が笑う。


「だって、朝陽の結界を破る者、なんて言うから」


 そんな力のある者に襲われたりしたら、珠樹なんてひとたまりもない。それなのに、朝陽はさらりと笑った。


「我が結界を破るようなものが、なんの力もない間男を狙うはずがない。あまりにも雪花と仲良くしているから少し妬いて、脅してやっただけだ。間男は気づいていたようたがな」


「……朝陽」


 脅しただけ?珠樹が気づいていた?騙されたのは、私だけか。ああ、なんだかすっごく自己嫌悪。楽しそうに震える背中に恨みがましい視線を送るも、朝陽は全く気にしてなんてくれない。


 どのくらい歩いたのだろう。もう太陽は空高く上り、まとわりつく空気は重い。汗で湿った着物が身体に張り付き、水が欲しい。こんなとき、いつも朝陽は何も言わなくても歩みを止め休ませてくれていたのに、今日は振り向くこともなく進んでいく。朝陽のまとう空気がいつもと違う気がするのは、勝手な約束をしてしまった罪悪感からだろうか。


 細く険しい山の峰を超えると、空気が変わった。風が強いせいか木々はみな低く、葉も少ない。地を覆うように低い草が生え、花が揺れている。斜面は急だがどこか柔らかな印象だ。強く吹く風が熱かった身体を冷まし、少し寒いぐらい。


「雪花、側を離れるな」


 心地よく風に吹かれている私の肩に、朝陽の長い腕が伸びてきた。いや、大丈夫だから。風くらいで転げ落ちたりしません。身体は冷えたのに、顔が熱い。


「風鬼。いるのだろう?黒龍からの言伝がある」


 澄んだ声が風に乗る。姿は見えないけれど、風鬼さんはここに居るんだろうか。言伝、私ちゃんと聞いていない。『なんか言伝を、と言われたんだけど、わかりません』なんて言ったら怒るよね?怒るよね?どうしよう……。


「久しいな、緑龍りょくりゅう


 朝陽より高い、澄んだ声が後ろから聞こえる。恐る恐る振り向いた先に立っていたのは、私よりも少し年下であろう少女。丈の短く袖の無い黒い着物を腰紐で無造作に結んでいる。袖裾からでる細い手足も、整った小さな顔も朝陽と同じように真っ白で、唇は秋の紅葉を思わせるような紅。月も星も無い夜空を思わせる漆黒の髪は胸の下までまっすぐに伸び、頭の上には牛のような太く短い角が二本。鬼、だ。

 

 言伝、許してくれるかな?


「変わらぬな、風鬼」


 柔らかく笑いかける朝陽を無視して、風鬼さんは怒りをはらんだような目で睨んでいる。私まだ何も言ってないんだけど、言伝聞き忘れたのばれています?綺麗な人の怒った顔って、背中が寒くなる。怖い。真剣に怖い。


「我が主からの言伝、確かに受け取った」


 え?なんで?いつの間に受け取ったの?ってか、私知らないんだけど?オタオタとする私に、風鬼さんがあきれたような顔をして、朝陽を見る。


「この娘は、頭が悪いのか?」


 ……ぐぅ。いや、賢いとは思っていませんよ?それでも、ねぇ。初めて会った人に、いきなりそれって。朝陽、座り込んで笑っているし。私を妻扱いするのなら、なにか一言言ってくれてもいいんじゃないかなぁ。

 私の視線に気づいた朝陽が必死で笑いをこらえ始めた。いいのですけどね、笑っても。


「いや、悪かった。風鬼、この娘は人の娘だ。龍の言伝を知らぬ。我も不要と思い教えていなかった。それだけだ」


 ああ、龍の言伝って人とは違うんですね。不要って、結構悩んでいたんですけど。

 まぁ、いいですけどね。ちゃんと伝わったのなら。


「言伝は、なんと?」


「緑龍、其方の供をするように、と」


 知っているのだろう?と明らかに不服そうな顔を上げる。風鬼さん、朝陽が嫌いなのかさっきから視線が冷たい。


「其方の、意志は?」


 冷たい視線なんて気づかないかのように笑う朝陽に、風鬼さんは忌々し気に舌打ちをした。ううん、この迫力を前に穏やかに笑える朝陽ってやっぱりすごい。


「我が主の言葉こそが、全てだ」


 思いっきり不服ですって顔をしながら、朝陽に向かって片膝をついた。


「我が主が自由になるその日まで、其方を主と思い従おう」


 ううん。不満を隠す気はないけど、主の命だからきっちり従いますよって事かなぁ。


「ならば、供を頼む。この者は雪花。私の妻だ。雪花、彼女が風鬼だ」


「あ、よろしくお願いします」


 頭を下げるが、風鬼さんはすっと目をそらした。はい。仲良くする気はないんですよね。いいんですけど……。


「早速だが、もう一人供がいる。そこまで其方の風で送ってはくれぬか」


 一瞬、本当に一瞬。むっとした風鬼さんの顔が空気を凍らせたけど、次の瞬間強い風に身体が浮いた。慌てて近くにあった木につかまろうとした私の肩を、朝陽が胸に抱く。


「来た道を歩いて戻るのは、雪花とて嫌であろう?」


 へ?歩かずに、どうやって?村長のところに行った時のように、一瞬で移動できるの?

 それなら楽かも、なんて思ったときにはもう完全に身体は木々よりも遥か上に飛び上がっていた。


「え?え?」


 ワタワタと手足をばたつかせる私に、冷めた目を向けた風鬼さんが見えた。察するにこれは風鬼さん能力なんだろう。でも、高い。足元に何もない。身体の中心がどこにあるのかまるでわからない。つかまるものと言えば、朝陽の身体だけ! 怖いよぅ。


「案ぜずに目を閉じていなさい」


 静かに響いた朝陽の声。大丈夫、と言うように肩を抱く腕が強くなる。言われたとおりに目を強く閉じると途端にフッと身体が浮く。うわぁ、これ、絶対落ちている。恐怖のあまり、朝陽の身体にしがみつく。


「雪花?いつの間に?」


 緩やかに着地した感触と共に、珠樹の間抜けな声がした。地面、だぁ。私は産まれて初めて大地のありがたみを噛みしめて、その場にへたりこんだ。


「緑龍、其方が誰を娶ろうとも意見する気はない。だが、これで我が主を救えるのか?」


 風鬼さんの冷たい声が響く。わかっていますよ、そんなの。頼りない事は自分でも承知しています。。でも、仕方ないじゃない。私は鬼でも神でも、神官でもないんだから。


「もちろんだ。雪花でなくては、黒龍は救えぬ」


 にっこりと笑って答えてくれた朝陽に、迷いはない。なんで、そんなに信じてくれるの? 


「ああ、もう一人の供、間男だ」


「珠樹、です」


 不機嫌な顔を隠さずに、珠樹が風鬼さんに頭を下げた。間男を『供』と言い放った事に面食らったのか、『間男……?』と小さく呟いた。が、それ以上突っ込む気はないらしい。目的以外はどうでもいいって感じかな?



 すでに太陽は傾きかけている。風鬼さんは細い腰を地面に下ろし、朝陽にも座るように促した。その声からは、臨時とはいえ朝陽を『主』などと認めていない事が伝わってくる。もちろん、主でもない朝陽の妻である私などは……。


「緑龍の妻、其方も座れ」


 促す声には、若干の軽蔑すら混ざっている気がする。私の方が年上なんじゃ、なんて言葉は喉の奥で怯えて縮こまって、出てくる気配もない。


「まずは、其方がどこまで理解しているのか聞きたい。其方、これからどうするつもりだ?」


 どうって、それ、私が聞きたい。具体的に何をするのか聞いてない。素直にそう言ったら、朝陽の立場がまた危うくなるかなぁ。言葉を探して口ごもっていれば、風鬼さんの視線が刺さった。


「え、と。朝陽の指示を、待って……」


「緑龍!」


 高く鋭い怒鳴り声にも、朝陽はニコニコと笑っている。


「どういうつもりだ?我が主が捕らえられたほどの神官を相手にするのに、何も出来ず、何も知らぬ娘を連れていくというのか?貴様は、我が主を救うつもりはあるのか!同じ龍であろう?なぜ、黒龍様を救おうとせぬ?貴様には、仲間の情というものがないのか?」


 貴様?貴様って、朝陽のこと?情がないって、朝陽のこと?

 風鬼さんは黒龍様を救い出すためには必要な方。黒龍様を慕うために、私に怒っている。一番は何もできない私が悪くい。朝陽への非難は、私へのものだ。


 わかっている。怒るべきは、私じゃない。風鬼さんの怒りはもっともだ。それでも、考えるよりも先に体が動いた。高い音とともに私の右の掌をジンジンとした痛みが襲う。


「『貴様』なんて言い方許さない。貴方がどんなに偉い人でも、私の村をずっと守ってくれた龍神様に、春を呼んでくれた龍神様に『貴様』なんて、『情がない』なんて、許さない!」


 勢いだけでまくしたてる私に、怒りで顔を赤くした風鬼さんが掴みかかってきた。


「何を、した?黒龍を主に持ち、風の加護を受けた鬼である私に、人間風情が何をした?」


 信じられない物を見るように風鬼さんの目が大きく開かれている。ああ、やっぱりまずかった……。でも。


「引っぱたいたのよ!」


 ここで引けるものですか!

 呆れを隠そうともしない珠樹に、困った顔で間に入ってくれた朝陽。それを無視して女二人で睨み合う。


「我にかなうと、思うか?」


「思わない!思うわけがないじゃない!ただの人間なんだから!それでも、許せないものは許せないの!」


 自信を持って言える。鬼にかなうわけなんてない。そんなこと百も承知。それでも、許せない。

 精一杯睨んでやれば、鬼気迫るといった表情を緩めてさもおかしそうに笑いだした。膝を叩いて、盛大に。


「そうか、かなわぬと、それでも、許せぬと」


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