Make this go on

ゴトン、ゴトン、という規則的なリズムだけが止むことなく歌い続けている。

それが、少年だった僕に与えられた唯一の情報だった。

わけもわからぬまま、母に手を引かれ、窓の無い貨物列車に乗せられた。

これが十歳の少年にとってどれだけ心細い事だったのかは、正直を言うと覚えていない。

はある日突然、送り主も宛名も、切手すらない真っ白な封筒に入った手紙として家へやって来るらしい。

を開封した母は、ドラマチックと言えるほど大仰に膝から崩れ落ち、小さな悲鳴を上げた。

そんな母の様子を目にした当時の僕も、尋常ならざる事態だという事を瞬時に察した。

『天国』への招待状だ。

以前からあった予感が、確信めいた響きで音を立てたように思われた。

僕を連れてコンテナ列車の目前まで来た母は、これまでに見た事も無いほど動揺し、あらんばかりの力を持って僕を抱きしめ、コンテナの扉が閉まるまで涙を零し続けていた。

僕が母の顔を思い出す時、決まって真っ先に思い出されるのは、この泣き顔だった。

今思えば、突然届いた一通の手紙によって息子と引き離され、荷物のようにコンテナへ載せられる母の悲しみはどれ程だっただろう。

国はこの悲劇を栄誉だと言って憚ら無い。

周りに暮らす大人達は、この街から天使が出たと僕と母をしきりに誉めた。

当時の僕は幼く、自分の不安を置いて母の悲しみを察してはやる事は出来なかった。

それが大人になった僕を後悔させるなど、一瞬たりとも想像しなかった。

出来なくて当たり前の、無垢で愚かな幼い少年だった。

『栄誉』というものは、大切に磨いてきた宝石を、突然奪われるようなものであっただろうか。

幼い僕は脅迫めいた『栄誉』という言葉によって母から引き剥がされ、人質の様に神へ──もしかすると国へ──捧げられたに違いなかった。

自分や母の意志が無いもののように扱われた事に違和感を覚えても、国からのお達しに抵抗するなど考えもつかなかった。

鍵のかかる音を最後に、僕はコンテナへ身を預けた。

母から渡された軽いトランクには、洋服と文具、何冊かの本に時計、そして父の形見の万年筆が入っているらしかった。

窓の無いコンテナの中ではその重みだけが確かなもののように思われた。

僕はそこで初めて、取り返しのつかない事をしてしまったという不安を覚えた。

僕の心情とは裏腹に、コンテナの中は快適そのもので、フローリング貼りされた床の上には柔らかい絨毯が敷かれ、ルームランプはオレンジ色の光で室内を照らしている。

コンパクトなトイレやシャワールーム、冷蔵庫も備え付けられ、大人2人でもゆったりと眠れる大きさのベッドが置かれていた。

僕は汗をかいた手でトランクを持ち歩きながら、冷蔵庫の中から冷えた水を取り出し、ゆっくりと飲んだ。

居もしない怪物への恐怖を溶かしたような薄暗い不安は、酷く喉を乾かしていた。

照明の影に、冷蔵庫の裏に、ベッドの下に、シャワー室の向こうに、透明な姿をした怪物は潜んでいる。

「天使は特別な教育を受けなければならないの」

と悲しそうに言う母の声が、頭の中で木霊する。

僕は水のボトルを握りしめたままベッドに腰掛け、ただただ呆然としていた。

コンテナの中に時計は無く、何分か経過したと思われた後には、今が何時かもわからなくなった。

これは後に、『天国』の位置を誰にも推測させない為の対策なのだと知った。

窓の無いコンテナが天使を運ぶ籠として選ばれたのも、その為であるらしかった。

天使を育む地上の箱庭、通称『天国』。

正しい名前をリュミエール・ス・レ・ソルと言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る