★2-5:不機嫌


 

 市場へ二人で出かけた次の日の朝。ユファはヴェニタスの部屋の前に立っていた。彼女はがちゃがちゃとドアノブを回しては、どうにも開かないことを確認すると、今度は激しいノックを繰り返し始めた。


「おーい! ヴェニタス、いるか? 僕だ、扉を開けろー!」


 そう言ったのち、しばし扉に耳を当ててみるが、中から何か返答がくる様子は無い。彼女は首をかしげる。


「あいつ、こんなに朝早くから出かけてるのか? それともやっぱ、昨日のこと怒ってるのかな……」


 ”しょうがない。裏庭に回って窓から中に入ろう”、そう考え始めたとき、彼女の耳に廊下を歩く音が近づいてきた。


「あ……」


 やおら離れたところで、足音の主、昨日ヴェニタスに髪を梳いてもらっていた奴隷の女が、口をぽかんと開けて突っ立っていた。気のせいか、昨日よりも髪が若干短く、小奇麗に整えられている。彼女はユファと目が合ったことで、慌てて視線を逸らした。


「なんだ、最近ヴェニタスに買われた新しい毛虫か。お前、ここに何しに来たんだよ」


 面白いおもちゃを見つけたかのように、ユファは頬をにやつかせながら近づいていく。奴隷女は声にびくりと震えると、腕を組んで後ずさりし始める。


「け、毛虫って、あの、私にだってちゃんとした名前が」

「何言ってんだ? お前なんて毛虫で十分だろ。毛がなけりゃあ、あいつがお前みたいな虫けらを呼ぶ理由なんてないだろ? なあ?」


 すぐ傍まで来て彼女の前髪をじろり睨んでは、無遠慮に手で跳ね上げた。身長はユファの方が若干上なためか、彼女が奴隷女を見下すような状態になっている。


「なんだ、前のよりもバサバサじゃん。大したもんでもないな。って、あれ……お前、これ……」

「あ、これですか?」


 奴隷女の髪には、見覚えのある髪飾りが付けてあった。彼女は頬を染め、少々恥ずかし気にそれに手を当てる。


「えへへ、昨日の夜、帰ってきたご主人様がくださって」


 ゆっくりと微笑む。そんな様子を、こわばった表情のユファが見つめる。所々にひびの入ったその髪飾りは間違いなく、先日ヴェニタスがユファに贈ろうとしていたものであった。


「へ、へぇ……? お前、昨日の晩ヴェニタスにまた会いに行ってたのか。昨日はもう帰ってくれって言われてたんじゃなかったっけ」


 彼女は問いながらも髪飾りを執拗に見つめて、視線をそらさない。真っ赤な双眸がターゲットを捉えたまま、微動だにしない。


「昨日は私の髪を切りたがっていらっしゃったので、夜にもう一度伺わせてもらいました。そしたら、ちょうどその……ご主人様が間違えて買ってしまった女物の髪飾りをどうしようか困っておいででしたので」

「ふうーーん。なるほどね。……ちょっと僕の部屋に来いよ。菓子でも食いながら話をしようぜ」


 じろじろと髪飾りを眺めるのをやめたかと思えば、ユファは奴隷女の服の袖を引っ掴んだ。そのまま袖を貫いて穴を空けてしまいそうなほど指先に力を込め、恐怖に顔をひきつらせる奴隷女を、尋常ではない力で引っ張った。


「そ、そんな。ご主人様の上官のお部屋にお邪魔するだなんてできません!」

「いいから来い」


 怯える女へ高圧的に言い返し、廊下をひきずっていった。


 ―φ―


 そうしてユファが奴隷女を連れて来たのは城の二階。二人は副隊長室と書かれた部屋の前に立っている。


「先に入っていいぞ毛虫。遠慮すんな、ほら」

「あ、あの、私、帰らせてもらっても」


 ユファがにっこり笑って扉を開け、後ろで縮こまっている奴隷女を中に促した。しかし奴隷女はその場に留まったまま、おどおどと辺りを見渡し、他の居住者が誰か通路を通ってくれないか期待する。


「はやく入れよ、めんどくせえ!」

「お、押さないでください! うっ!」


 ユファに背中を強く押され、戸惑いながらも一歩中に足を踏み入れると、強烈な腐臭が漂っていた。奴隷女は即座に口元へ手を当てた。反射的にせきこんだ彼女の目に、異様な室内が映り込む。


「あ……ああ……なに……これ……」

「どうした、止まるなよ。とろいなあ」

「ああっ!」


 そう言ってユファは奴隷女の背中を蹴り飛ばした。彼女は前のめりになり、部屋の中へ倒れ込む。

 そして顔を上げた時、もう一度室内の様相を目にする。


「い、いや……うそ……」


 彼女が知ったもの。ユファの部屋の中。それは天井、壁、その一面に貼り付けられた、とある男の姿絵の数々。もはや呪詛のようにすら見える、彼に向けて血で描かれた情熱的な愛の言葉の羅列。

 そして――、部屋の中央には悲壮な死に顔を浮かべたいくつもの女の死体が重なる山。


 がちゃん。


 背後で扉を閉められ、そうそうに奴隷女は出口を失った。部屋主のユファはにんまりと不気味に笑い、赤黒く固まった血だまりの上に死体が高く積まれた箇所を指さす。この部屋の、とてつもない腐臭の根源だった。


「その辺に腰かけといていいぞ」


 まるでその血肉の山が応接用のソファでもあるかのように語る彼女に対し、奴隷女は正気を保つのに必死だった。鍵をかけられた。もはや逃げ道を押さえられ、冷や汗が止まらない。なんとか適当に相槌を打ちながら、ちらちらと狂気に溢れた部屋中を見回し、外へ出られそうなところを探す。

 結果、脱出用にあつらえたかのように設置された小窓が目に入った。彼女は少し安堵し、目線を死体の山に立ち戻らせる。


「あ、あの。こ、こここ、これ! なんで死体が部屋の中に……!」

「ああ? ムカついたから殺しただけだよ。殺した後は実験台にしてるから、今はそこに置いてるだけ」


 部屋に倒れ伏したままの奴隷女のもとへ、ユファが帽子を外してゆっくりと近づいていく。零れ落ちたのは、すらりと、おぞましい程に滑らかで、深淵を映すような深い紫色の長髪。およそ人間が持ちえる美しさでは無かった。


「実験台って……一体なんの……ですか……」


 奴隷女は美麗な紫髪にしばし心を奪われていた。視線を向けられるユファは、手に掴んだ軍帽を床に放り投げ、不機嫌に答える。


「質問ばっかでうるせえなあ、蘇生の魔術だよ」

「え……そ、蘇生? 誰か生き返らせたい人でも、いるんですか……?」

「ああ。ヴェニタスをね」

「えっ? ご主人様は……生きていますよね?」


 奴隷女は逃げる方法を必死に考えていたところ、彼女の回答に思考を奪われる。ユファはわざとらしく、大きくため息をつく。


「そんなの当たり前だろ。これは保険のためにやってるんだ。もしあいつが死んだときのためにさ。あいつがいない世界なんて、くだんないだろ……ああ……考えるだけで恐ろしい」


 口にしたように、ヴェニタスの死を想像して怯えたのか、両腕で上体を抱え込んでぶるぶると震えながら、紫髪の女は続ける。


「ヴェニタスは……強いけど、ただの人間なんだ。年をとって、いつか死んでしまう。それでなくたって、突然べつの理由で死んじゃうかもしれない。それこそ、誰かに殺されちゃうかもしれない。そもそもあいつは常識から結構ズレてるし、めんどうな奴らに変な勘違いをされやすいし。実際もう色んな奴から殺意を向けられてるし、しかも本人は全然気づいてないわけだし。まあそこが可愛いところなんだけどさ。あのままだと僕がついててあげないと今にも死んじゃいそうだし、詰めだって甘いから、ちょっとした不注意で死んでしまうかも。このあいだの戦いだって、僕がいなけりゃ死んでた。その前も、その前の前も……そんなの嫌だ。生きててもらわなきゃ。もし死んだら生き返えらせなきゃ。たとえ何度死んじゃったとしても、何度生き返らせることになったとしても。あいつが僕の傍を離れるなんて絶対に――いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!」


 狂気じみた言動を恍惚とした表情で際限なくヴェニタスのことを喋り続ける。しかしそれが終盤に近付くと、今度は奴隷女の存在などもはや一切忘れたように自らの髪を何度も手櫛ですくいながら頭を抱えて振り回し、悶絶の言葉を繰り返し始めた。


「あ、あの、ユファさん……?」


 奴隷女がおぼろげに話しかけると、がくり、ユファの首が止まった。


「ぁ……ああ、お前、いたのか、そうか…………そういえば、僕が連れてきたんだった」


 ふさやかな睫毛で縁どられた紅い目を大きく見開き、怯える奴隷女の頭髪を凝視する。人形のように端正に整った顔が、無感情に観察してくる。


「そうか……ああ……そうだった。あいつが僕から離れるのは、死ぬときだけじゃない。だからお前を連れてきたんだった」


 その目に光はなく、闇が覗いていた。ぶつぶつと不明瞭な言葉を呟きながら、ふらふらと揺れる足取りで奴隷女の方へと近づいていく。


「お前らみたいな色気づいた毛虫が、髪だけの下らない存在が……! 僕からあいつを奪おうとしているんだった……!」


 腹の底まで冷えあがるような憎悪の声を出しながら。

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