★2-6:毛虫潰し

「いや! こないでください!」


(こっ、殺される……!)


 頭のどうかした紫髪の少女が、自分の方へとゆらゆら近づいてきている。奴隷女は絵画と血肉にまみれた部屋の中で、扉を除いて唯一外界に繋がっていそうな小窓に向けて思い切り駆けだした。


「あ、開かない……!? どうして!? うそ、うそうそうそ! いやあっ!」


 とりつき、取っ手を掴んで必死に開けようとするが、ガタガタと少しずれ動くのみで一向に開く様子が無い。よく観察すれば、枠組みの縁に透明なテープが幾重にも貼られており、それが動作の邪魔をしているようであった。


「もっ、外れて……! いや!」


 爪を立ててがりがりとテープを一枚ずつ剥がそうとする。そうしている内、足音が真後ろまで迫っていた。

 振り返ると、もう間近に紫髪の女が立っている。この血塗れた部屋にあって一際美しさを放つその女は、呪詛を吐きながら手を伸ばし、いまにも奴隷女の髪を掴もうとしていた。


「きゃあ!」


 奴隷女はその手を跳ねのけた。続けて背後から回ってきた手も、思い切りしゃがんで回避。頭に手を置いて髪飾りをかくすと、振り返りざまにユファの横を通過しようとする。

 が、彼女の後ろ髪を容易に掴まれた。そのまま人間離れした力で引き寄せられ、指で頬を優しく撫でられる。


「お前をころす」

「い、痛い! や、やめて……」


 そのまま奴隷女を死体の山に投げ倒した。うつ伏せに倒れた彼女の上にのしかかり、後頭部を掴んで容赦なく死骸の肉山に打ち付ける。


「えぶっ!?」

「お前がっ、お前らみたいなのが、あいつに近づいてくるな!」


 奴隷女の苦悶の声にまったく躊躇することなく、ユファの手によって奴隷女の顔が、生気の無い虚ろな死に顔へと何度も何度も打ち付けられる。彼女の凶行は収まらない。それどころか、興にのって更に増長していく。もはや誰のものか判別できない血しぶきが辺りに飛び散り、彼女ら二人ともを真っ赤に染めていく。


「えぶっ、えがっ! も、もうやめてくらはい! ごめんなはい、ごめんらはい!」


 ひどく血まみれになり、何度も顔を死体にぶつけられながら、奴隷女は意味も分からずひたすらに謝罪を繰り返す。どうにかしてこの狂人から逃げないと、自分はここで終わる。彼女は朦朧とした頭の中で、どうしようもなく自覚させられていた。


「ああああああくそっ! わしゃわしゃわしゃわしゃと、何匹潰してもどこかから沸いてきやがる! あいつに近づいてきた毛虫は、お前でもう、37匹目だ!」


 最後に強く打ち付けると、荒々しく叫びをあげた。肩を大きく揺らしながら呼吸を整えつつ、気を落ち着かせるよう、部屋中に貼られた男の絵を見つめる。


「はぁ……可哀そうなヴェニタス……」


 しばらくして彼女は一旦冷静になったかと思うと、今度は視線が徐々に熱っぽく変わっていく。


「きっとお前は病気なんだ。髪なんて下らないものにとらわれて。このままじゃ、お前は人を愛せない。どうにかして、僕が治してあげるんだ。それで、それでそれで僕とお前はずっと……えへ、えへへへへへ」


 上気し、だらしない顔で、夢見がちに言う。ユファは奴隷女の方を一切見ることなく、奴隷女の頭から髪飾りと共に、勢いよく数十本の髪の毛を引きちぎった。


「いっいぎ! 痛い!」


 痛ましい奴隷女の様子などいざ知らず、ユファは衝撃でところどころ折れ真っ赤に染まってしまったその髪飾りを、さも大事そうに胸元へぎゅっと抱え込んだ。その後、髪飾りにからまった奴隷女の髪を一本一本丁寧に取り去り、慎重に自分の髪へと取り付ける。


「ああ、嬉しいなあ……」


 うっとりと、ため息をつく。紫の髪に、煌めく橙色の髪飾りが映えていた。

 機嫌が良くなってきたのか、彼女の淡く薄い唇、その口角が、じわじわと上がっていく。


「きっと僕のために、頑張って選んでくれたんだろうなあ」

「うぐ……ぇぐ……それは、私がご主人様に頂いた大切な――」

「黙れ」


 奴隷女が口を利いたとたん、ユファの緩んだ顔が瞬時に能面のように無表情となった。


「せっかく僕があいつのために貰うのを我慢したってのに、横から図々しく奪いやがって。名前すら覚えられていなくせに、しゃしゃり出てくんなよ。唯一あいつの興味を引いてる髪だって、僕のに比べりゃほつれて薄汚れたモップみたいなもんだ。汚らしい」

「そ、そんな……」


 奴隷女は絶望に打ちひしがれながら、ユファを見上げた。

 彼女は血塗れになってなお余りある美貌で、不自然に柔らかく微笑んでいた。指先に黒い閃光を灯しながら、とびきりの笑顔で死を宣告する。


「心配すんな。死んだあとはちゃんと有効活用してやるよ」


 顔は笑っているが、ユファのその深い真紅の瞳からは、容赦というものが微塵も感じられなかった。奴隷女にとって、その目は見覚えがあった。


(ああ……なんでこの人を見ると、いつも背筋が震えあがるのか分かった。初めて会った時から、ご主人様の傍にいるところを見られた時から、ずっとこの人は私を殺す気だったんだ)


 ユファの手から放たれた黒い閃光が、部屋を闇で満たしていく。奴隷女はみじろぎもできぬまま、その場で意識もろとも呆気なく命を失った。

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