2-4:任務前、食事

「一応言っておきますが、わたくし、あなたが大嫌いですわ」


 城下町のレストランで真っ黒なローブを着た新入りが、澄ました顔でコーヒーを啜る。そしてカップを机にことりと置くと、ほうと湯気を上げてため息をついた。


「はあ……偽装とはいえ、貴方のような最低人間と式を挙げなきゃいけないだなんて」


 狐耳を元気なく垂らす彼女は、丸テーブルの向かいにいる不愛想な長髪の男を恨めしそうに睨む。そんな不躾な視線を受けて、ヴェニタスは口を開いた。


「仕方がないだろう。隊長が言うには悪魔像が隠されている場所は、教会に祝福された新郎新婦しか入れない聖域にある。聖域なんて強固な代物を破壊するのに手間をかけるくらいなら、素直に要求された正当な順序で入る方が手っ取り早い」


 彼もパロンと同じローブを着こんでいる。長めの袖が、皿に盛られたイカ墨パスタのソースに触れないよう、器用に麺だけを、フォークにくるりと巻いて頬張る。口いっぱいに頬張りながら、器用に言う。


「嫌なら降りろ」

「そうはいきませんわ!」


 声を荒げ、パロンは両手でテーブルを勢いよく叩く。陶器の皿やカップが、がしゃりと揺れて甲高い音を立てた。


「あっ……」


 その音が室内に響き渡ったことに気付くと、彼女は立ち上がったまま、“しまった”と思った。しゅんとして恥ずかしそうにあたりを見回し、周囲の客達がこちらを気をとられていないのを確認すると、表情を一転。むすっとした顔で自席に腰を戻した。

 彼女は一層、機嫌が悪くなったようだ。「さっきの失態はお前のせいだ」と言わんばかりに人差し指の先でとんとんとテーブルを叩き始める。


「それにしても、なんで話すのがここですの? 周りに人が多くて気になりませんこと?」

「ん」


 愚痴るパロンにヴェニタスは顔を上げ、ソースで黒ずんだ自らの口元をナフキンで拭きあげる。


「ああ、城内で話していたらユファに見つかってしまうもしれないからな。あと、もし周りに聞かれてしまうことを危惧しているのなら心配はない。ここの店員は全員ラック隊長の息がかかっている。あっ、どうも。いつも悪いね」


 ヴェニタスはにっこり微笑む。ちょうど給仕らしき男が近づいてきて、ヴェニタスが追加で頼んでおいたイカ墨パスタをテーブルの上に置いたのだ。


「うっぷ、まだ食べる気ですの……」


 パロンは吐き気を催しているかのように、手のひらを口元に当てた。もう既にヴェニタスは同じ料理を既に5皿も食べていたからだ。大食漢の彼を責めるように目を細める。


「じゃあ今回の件は副隊長……ユファさんには何も伝えてこなかったんですか?」

「まあな。仕方がないだろう。あいつが今回の任務にふさわしくないのは、お前だって分かっているはずだ。あいつ、この任務の内容を知ったら間違いなく邪魔をしてくるぞ。こんな面白そうな任務、なんで呼ばなかったんだってな」


 あんな子供みたいに我儘な性格でもユファは部隊の最高戦力であり、単純な戦闘力で語れば歴史上でも比類するものはそうそう見つからない。ではなぜそんな彼女を隊長が敢えてこの任務に充てなかったのかといえば、単純に向いていないからだろう。 

 なにしろ彼女は人の言うことを聞かない。隊長の命令であろうと、状況がどうであろうと、その時々の気分に従って勝手に行動するのだ。

 次の任務では悪魔像の隠してある聖域に侵入するまで、自分たちが婚約中の男女であると教会の司祭を騙しきらなければならない。そこへ、「よーし、暇だからいっちょ騒ぎを起こしてやろう」などと普段から口にするような自由人を連れていくわけにはいかない。

 

「とにかく、ユファに今回の任務を知られると失敗する」

「分かっていますわよ……あのとき部屋で隊長がユファさんに言っていたことも、建前でしょうし。それにしたって、悪魔との戦いが上手くいくように療養するだなんて、ナンセンスですわ。変に休んだだけ、彼女の戦いの勘が鈍ってしまうんじゃないかしら」


 パロンも先日の打ち合わせの際、ヴェニタス、ユファ、ラック三名の話を部屋の隅で観葉植物に化けたまま聞いていた。ばれないように、身じろぎもできずに暇だったので、なおさらよく聞いて覚えていた。


「あいつにそんな心配はいらないさ。普通じゃないからな」


 彼はまたイカ墨パスタをぺろりと平らげると、既に5枚の皿が重なったちょっとした皿のタワーの上に、更に一枚追加した。

 そして手元のメニューを持ち上げ、眺めはじめた。


「えっ!? まだ食べますの!?」

「ん」


 信じられない、といったばかりにパロンは目を見開く。すると彼は気まずそうに視線を泳がし、そっとテーブルにメニューを置きなおした。


「いや……ちょっと見ていただけだ。もう、行くか?」

「ええ、今から歩けば次のアビス教国行きの馬車にちょうど間に合いますもの」

「そうだな」


 そう言って、ヴェニタスは手を上げてテーブルに店員を呼び出す。まもなく部屋の隅から、さきほどパスタを給仕しにきた男がやってきた。


「お呼びでしょうか」

「会計を頼む」


 店員は領収書をとって眺める。そして、とびきりの営業スマイルを見せた。


「――かしこまりました。合計で7000ミルでございます」


 ―φ―


 会計を終えたあと、店員が深くお辞儀をする。


「ぜひ、またおこしくださいませ」

「ああ。またくる」

「美味しかったですわ。それじゃ」


 お辞儀して見送る店員を背に、二人は店の出口まで歩いて扉を開けた。

 強い陽ざしが室内に差し込み、潮風が通り抜ける。


「あ、そうですわ。忘れないうちにお金は返しておかないと」


 店から出ると、パロンはむずがゆそうに鼻をこすりつつ、懐から財布を取り出した。ヴェニタスはそれを手で制する。


「いいぞ出さなくても。7000ミルくらい大したことはないからな。金ならいくらでもある」

「いいえ結構です。わたくし、貴方には奢られたくありませんの。それに、そもそもその7000ミルは、ほとんど貴方のイカ墨パスタ6皿のお代でしょうに。わたくしの分は1000も払えば十分ですからね。お分かり?」


 そういって、財布から取り出した貨幣をぐいと押し付ける。ヴェニタスは怪訝な顔をしつつ、それを受け取る。


「はあ……あの給仕さん、同じ料理6品が書いてある領収書をどんな気持ちで眺めていたのかしら」

「さあな。今日はこの人あまり食べないなって思ったんじゃないか」


 ヴェニタスは答えながら、受け取った貨幣をしまう。再びパロンの方に向き直ると、哀れみとも驚愕とも受けとれるような表情が迎えた。


「貴方の胃は底なし沼か何かなのかしら? ……くしゅんっ、ああ……早く風の当たらないところへ行きたいですわ……いい天気ですけれど、しょっぱい風のせいで鼻がむずむずしますの」

「同感だな。天気が崩れない内に、馬車のところへ向かうぞ」


 二人はそう言ってローブのフードを深くかぶり、人混みの中に紛れていった。

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