下田の雨、故の朝食バイキング

 二日目の朝、シトシトと雨が降っていた。

 下田で雨が降るとお手上げである。

 何もする事がない。


 食べる事以外。


 なので、ついに朝食バイキングについて書きたいと思う。旅行記で朝食バイキングについて書き始めたらいよいよ終わりではないかと思うんだけど、まあ仕方がない。本当に書く事がないのだ。


 僕が泊まったホテルは朝からアルコールが飲める。カウンターに日本酒と白ワインと赤ワインが用意されていて、セルフで注いで持っていく。これはとても珍しいと思う。朝からアルコール飲み放題の朝食バイキングなんて聞いたことがない。アルコールは本来、夜、疲れて緊張した脳や身体をリラックスさせる為に飲むものだからだ。事前に教えてもらって、「へー」等と思っていたが、想像以上にインパクトがあった。正月か。


 朝食バイキングについて一応説明しておくと、料理集合場所に様々な料理が大皿でたっぷりと用意されていて、客はトレイに皿を載せて、備え付けのおたまやシャモジでスクランブルエッグや麻婆豆腐やヒジキやご飯を好き放題載せて食べ放題というパラダイスだ。僕の年代の人達にとってはシェーキーズのランチタイムを先駆けとした青春時代に広く導入されたシステムなのだが、今の若い人達にとってはすでにお馴染みなのだろうか?


 僕の世代はガスト先駆けで全国に広まったドリンクバー形式にも半信半疑だった。え、ジュース飲み放題って天国ですか、詐欺ですかぐらいに思っていた。それまで一杯350円くらいだったので。今だと、ハンバーグで有名なびっくりドンキーがドリンクバー無しで戦っている。おかげでめっきり足が遠のいてしまった。


 バイキングなどと、余計な説明をしてしまっただろうか。あるいは、ブッフェという名前が今ではメジャーなのだろうか。ブッフェと言うのは言いにくいし、サッカー選手のブッフォンを思い出してしまい勝ちではないだろうか。でもほら、このエッセイだって小学生が読んでいるかも知れないし、バイキング或いはブッフォンについて説明をしても良いだろう。ペリーのオペニペニーの所でブラウザバックしてもらえると本当は嬉しいのだがね(だがね)。

 そういう事ですよ、この旅行記を読んでいる小学生、あるいは中学生諸君。もし君が糞虫のような想像力のない同級生や上級生(下級生の場合もある)にいじめられていたり、親に酷いことをされていたり、教師と気が合わなかったとしても、数年後にちょぴっとお金を出せば、美味しい好きなものを好きなだけ食べられるようになる。運が良ければ、朝から悪くない酒を飲む事もできる宿に宿泊できる。だから、大人になるのを楽しみにしていて欲しい。あっという間だ。本当に。


 話が逸れた。

 っていうか、死ぬ程無責任な説教くさい話をしたような気がするので、話を元に戻す。実際のところ僕はもう中学生でも高校生ではないし、大人になればどうとでも好き放題言える。そしてもし、僕が小学中高生であったとして、上記のような事を読んだとしても上手く想像ができなくて、「うるせーデブとっととピザ詰まらせて死ね」くらいにしか思えないだろう。そういうものなのだ。、と。お疲れ様です。本当にしんどいと思う。だから話を元に戻す。朝食ブッフォンと、モト冬樹の姿を最近見ない事について。(もっと逸れるし、何もかも間違っているパターン)


 朝食バイキングのスタンダードは、和食と洋食に分けられている。和食でいうと、ご飯味噌汁、シャケの切り身、アジの開き、しらす干し、大根のすり下ろし、納豆、味付け海苔、お新香などが代表的だ。全部美味しい。僕の宿は静岡の海が近い所なので、そこにわさび漬けと、なんとお寿司(四種類)もあった。ハッキリ言って、それだけで二時間は居座れる。シースー食いながら日本酒ビーチーだ。朝から1日を台無しにする覚悟さえ持てば余裕でヤれる。例えば雨の日の下田だ。神に感謝しかない。


 そして洋食のスタメンはと言うと、スクランブルエッグ、高級系茹でパリウインナー、ベーコン、ローストポーク、そしてパン数種類といった所である。パンはトースターとコンベア式加熱器が置いてあって、ちゃんと焼いて食べられる。混雑時に焼いてる最中に新鮮なオレンジジュースを注ぎに行ったりしていると、焼き上がりほやほやを別の客に取られてしまう事がある。そういう場合は、慌てず自らの脇の甘さを悔いながら再びパンをセットし、加熱した方が良いだろう。間違ってもスタッフを呼んで「あの人が私が焼いたイギリスパンとデニッシュを盗んだんです」等と訴えてはいけない。彼らはとても忙しいのだ。料理が減っていないか、冷えていないか、取り皿がなくなっていないか、取り分け用のスプーンやトングが食べ物の中に入って不潔になっていないか、去った客のテーブル後片付けは済んでいるか、コーヒーを零した老人の火傷の具合はどうか、布巾の準備は出来ているか、来客にアテンドする席はどこか、というような事を三十秒毎くらいにやっている。我々のルールはこうだ。店員の手を煩わせない事。特に、食べ放題のパンを横取りされたくらいでギャーギャー騒がないこと。そして、生き延びること。これらを守れない人は、朝食バイキングの才能がないので吉野家かコンビニでお弁当を買って自部屋で食べる事をオススメする。朝食バイキングの才能ってなんだ?


 さて、今回の朝食バイキングではアルコールも飲み放題と説明しましたが、そうなると戦略にも大幅な変更が求められる事になる。つまり、好きなものを好きなだけ食べるプラス、酒に合うコースを自ら建てて行かねばならない。これは運命のように、誰も示唆を与えてくれないし、自らが切り開く以外に道はない。GOサインを確認する暇はないのだ。


 洋食スタートか、あるいは和食スタートか。

 神がいたら教えてほしい。

 スタートのサラダバーを漁りながら問いかけた。

 もちろん返答はない。

 仮に「洋食スタートで」などと答えられても神の無駄遣いに程がある。もっと他に聞きたい事があるので。


 静岡だけに、わさびシーザードレッシングが美味い。ピリっとしたわさび風味が濃厚なチーズ味に効いて、サラダが止まらない。ちゃんとクルトンも載せた。塩気が大変よろしい。クルトンがあると、ああ、ホテルの朝食バイキングに来たなぁという気がする。


 おもむろに洋食スタートとした。

 三回もチャンスがあるのだ。焦る事はない。


 洋食初回は、ふわトロスクランブルエッグと、ソーセージ数本、とろとろベーコン、こんがり食パンとクロワッサンの構成とした。僕は何しろスクランブルエッグが好きで、これにトマトケチャップを掛ければいくらでもいける。それに加熱したバターたっぷりクロワッサンを合わせれば無敵である。おそらくカロリー的にも敵無しであろう。先程のルールに記載し忘れたが、朝食バイキングでカロリーの話題もご法度である。どこからともなく現れる黒服に連れて行かれて一生謎のシミがこびりついたシーツを眺める係に使役させられる。ご注意いただきたい。合わせる飲み物は普段であればトマトジュースのところで、白ワインである。


 トマトケチャップを付けたとろとろスクランブルエッグを口に含み、パリサクッとしたクロワッサンを齧り、落ち着いたところにキリっと冷えた白ワインで流し込む。……神は下田にいた。もう、たまらんのであります。十五回おかわりできる。


 しかして、パンを取りすぎてしまった。いわゆる食パン一枚にクロワッサン二つ、それと甘いジャムが載せられたデニッシュも取ってきてしまったのだ。これはウッカリ。作戦変更が必要かも知れぬ、と僕の脳内にいる諸葛亮がヒゲを摘みながら言った。だが次は和食に行かねばならない。洋食の次は和食なのだ。「逆に、和食の次であれば、そこに洋食あれ」と諸葛亮が言った。さすが僕の中のポンコツ諸葛亮。


 和食はやはり炊きたて白いご飯に納豆味噌汁そして魚の切り身が寅さんのごとく鉄板ではあるのだが、納豆は食べ方が面倒くさい。フィルムを破って醤油をかけ、辛子を入れてかき混ぜる。そして匂いもやや発生してしまう。そんなリスクを取ってまでお前は納豆が好きか?、という自問自答をした。ミスチルみたいに。そんなに好きじゃない。ミスチルの前では素直になる世代。自分自身に嘘は付けない。なので、納豆はスルーし、宮城県産コシヒカリと銘打たれた釜からご飯を半分ほど盛り、ほうれん草のおひたしと湯豆腐を取って醤油を適量掛けた。もちろんこれらは日本酒対策である。そして、たっぷりと大根おろしを別の皿に盛り、しらす干しも同量載せて醤油を回した。同時にわさび漬けも取る。忘れずに日本酒もワイングラスに注いで基地(テーブル)へと帰還する。途中でオリーブがあったので、緑と黒を二粒ずつ道連れにした。洋食から和食に移行するにあたって、どうしてもその橋渡し役が必要となる。僕は赤ワインが苦手なので、そのアテにちょうど良いと思ったからだ。


 そのオリーブのオイル漬けが美味い。

 オリーブはあまり食べた事が無かったのだけど、いわば西洋人の梅干しだと聞いたことがあって、いやびっくりした。口に含んだ瞬間、ちょっと塩っぱい。種は無い。実を噛むとしっとりとした歯応えで、噛むたびに豊かな味わいの汁が迸るのである。ややフルーティーながら甘くはなく、梅干しのように刺激はないが果肉の厚みから繰り出されるオリーブの滋味深い上品なお味だった。赤ワインが二秒で蒸発した。


 だいたい満腹になってきたが、オリーブでリセットした口で和食に進まねばならない。日本酒もたっぷり残っているのだ。

「あい、待たれい」

 僕の脳内ポンコツ諸葛亮が待ったをかけた。生意気だぞ。

「風が変わりましたに候」

「何ィ!?」

 ふとテーブルに視線を向けると、奥さんとその両親はデザートに突入していた。

「あらあら、このメロンはイマイチだわねぇ」

「旬の前だからかしらねぇ」

 などと言っている。

 お義父さんはコーヒーを満足そうに飲んでいらっしゃる。


 誤算……ッ!


 この朝食バイキングを攻略しようと必死だったのは僕だけだった。二時間は居座れると僕はさっき書いた。雨の下田ではなにもやる事がないから。ここには書いてないけど、寿司も最初に食べた(いまいちだったから省いた)。だのに、なぜ、歯を食いしばり、君は行くのか、そんなにしてまで。歌いたかった。


 日本酒はアルコール度数が高く、僕のトラウマでもある。概ね記憶を無くしたり、リバースしたり、使い捨てられた安い雨合羽みたいに街路樹下に打ち捨てられていた時は必ず日本酒を摂取していた。安い日本酒だからだろう、と思っていたが、高い日本酒でも同様だった。常磐線を何度か往復した。


 日本酒はゆっくり楽しみながら飲んだ方がいい。

 それが長年の飲酒歴で導き出された解であったが、事ほど左様にして宴もたけなわである。もっとも宴だったのは僕一人で、その他は普通の朝食であった訳だけれども。


 白いご飯に一匹一匹がくっきり見えるようなしっかり目のしらす干しを載せ、大根おろしを載せて喰らう。鬼神のように、ハフゥ、ムフゥ!と喰らう。美味い!(テッテレー) そこに忘れてはいけないわさび漬け(酒粕にわさびを何かしたやつ)も投入して、ハフッホフッ! 日本酒ギュウ〜! 本当にありがとうございました。やっぱり日本食だわ、って思いました。ほうれん草のおひたしは鰹出汁がたっぷりと掛けられ、湯豆腐は酒に合った。味噌汁の代わりに日本酒、最高なのでお勧めしたい。雨の日の下田は最高です。それからワッフルに生クリーム載せたのをデザートに食べた。コーヒーと一緒に。確か。


 その後の事はよく覚えてないのだけど、部屋に戻って本を読んでいたら眠ってしまって、起きたら雨が上がっていた。ほんわかと太陽が曇り空から眠たそうな顔を出していたので、居ても立ってもおられず外に出た。宿は山の中腹に位置しており、海岸線に降りるまでは相当な階段を下る必要があるし、当然帰る時には登る必要がある。それはまあ、仕方がない事だ。




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