煌く迷路


 エレナはよろよろとたち上がった。

 軽いめまいがする。一歩先を歩くセリスの背中が見える。

 その手は、血塗られているのだ。エレナは怖くなり、ぶるっと震えた。

 無表情な背中において行かれそうになる。


 ――待って……。

 小さな声は届かない。


 本当になんて長い間、迷宮をさまよってきたのだろう?

 私はいつも、望んでいた。この人に、あの花冠をくれた日のような明るい微笑が戻ることを……。なのに、なぜ悩んでばかりだったのだろう?

 私の声はいつも小さくて、いつもいつも、そして今も、少し前を歩くこの人に届かない。

 いつもいつも……。

 そして……この人は、また仮面を被ってしまう。気持ちを抑えこんでしまう。

 だめ! このままこの部屋を出てしまったら……。



 エレナは必死になって言葉を練り出そうとした。

 しかし、声にならなかった。涙だけがポロポロこぼれる。どうしても伝えられない。

 そうしているうちに、セリスはこの迷宮から出て行ってしまう。

 そして、すべてを閉ざしてしまう。

 エレナは走った。

 もつれかかった足で……。言葉は出なかった。

 エレナは走り、セリスの背中に飛びつくと、そのまま抱きしめ、すがって泣いた。

 セリスの足は、そこで止まった。

「エレナ?」

 驚いたようにセリスが名を呼んだ。

 エレナはますます堅く抱きしめ、回した手を離さないでいた。

「……だめ……独りでいってしまわないで……」

 エレナはセリスの背に顔を埋め、搾り出すような声で言った。やっと、声が出た。

 セリスは、堅く結ばれた手をどうにかほどいて、エレナのほうを向いた。

「まさか……私が、あなたを置き去りになんてするわけがない。いったい、どうしたのです? 私が……怖いですか?」


 血にまみれた自分の正体を見られてしまったのだ……。

 怖がらないほうがおかしい。

 エレナは、いつも臆病だったから……。

 エレナはまっすぐにセリスを見ていた。涙を潤ませた瞳で……。

 まるで吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 セリスは、はじめての感覚に驚いていた。

 だが、それは、すぐになぜかわかった。

 エレナは、今まで一度も自分と目を合わせたことがなかったのだ。

 はにかみやで内気なエレナは、セリスが見つめるといつも目をそらす。だから、セリスはエレナの瞳を見つめたことがなかった。


 瞳は、心の窓。

 そう最初にいった者は誰なのだろう――

 ましてや、言葉が伴えば。


 怖いのは……そうやって独りで迷宮にて、さまよわれることです。

 あなたが血にまみれているというならば、私も一緒にまみれます。

 あなたが悩み、苦しむならば、私も一緒に苦しみます。


 ……どうか、独りでいってしまわないで……。


 はじめてあったあの日から、エレナはずっとそう思ってきたのだ。

 それなのに、一度も気持ちを伝えたことがなかった。摂政に、王に仕える一人の女官としての気持ちしか……。

 エレナは、セリスの胸で泣いた。とめどなく涙があふれて耐えきれなくなった。

 一人の女として秘めていた想いが、まよいまよって、今、言葉となる。

「あなたを……愛しています……」 

 金剛石の光が、壁一面に紋様を描く。七色に、赤に緑に青に黄に……。

 まっすぐに、曲線に、切れ切れに、途切れなく……。

 まるで、自分の心の迷いを具象化するような、光の乱舞。

 セリスは、その変化を眺めていた。

 だが、その腕はエレナを抱きしめていた。そして柔らかな金髪に、頬を埋めた。

「長い迷宮を……さまよいましたね……」

 きつい反射光がセリスの目を撃ち、セリスも一筋涙を流した。

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