六章

真実の迷宮


 光は七色に分けられる。

 道は限りなく分けられる。

 もとをたどれば一筋の光に過ぎないものを、その石はあらゆる方向に反射させ、あらゆる紋様を描いていた。

 あまりの美しさに、エレナは吸い込まれるように石に歩み寄った。

 神々しい……。涙が出た。


 赤い光がエレナの目を射た。それは、あの夜のワインの色……。

『金剛門はのぞきこむと、過去がすべて見えるそうです。その人が見たいと思っている過去が……』

 セリスが言っていた金剛門に違いない。


 ――私のような身分の者が、たどり着けるなんて……。


 エレナは座りこんだ。

 この迷宮で、もうエレナが進めるところはない。ただ待つしか残されていない。

 ここで屍となるのか? セリスが迎えに来てくれるのか?

 エレナは目をつぶった。


 金剛門からの光が緑に変わる。


 セリスの瞳が優しく輝いた。

 花冠をくれたあの時……。

 あのまま、まっすぐ進めればよかったのに……。

 あのまま、平和が続いていたら……。


 エレナは目を開けた。

 光はころころと色を変え、エレナを惑わせた。

 意識が朦朧としてきて、夢を見ているのか、現実なのかわからなくなりそうだった。


 ――なぜ、こんな迷宮に迷いこんだの?

 そう……それはレイラ様が……。


『私、あなたのような平民とセリス様が結婚するなんて、絶対に許せないの!』


 そう……私は迷っている。

 私とセリス様が結ばれることを望まない人は、レイラ様だけではないことも知っている。

 私はセリス様の迷いも知っている。

 あの方は、エーデム王族の血を保たなければならないのだから……。

 なのに、また……。私は、あの方を困らせるだけ。


 光は一筋のはずなのに、色は限りなく分かれてゆく。

 心はたった一つなのに、選択肢は限りなく、どれも正しくてどれも間違っている。

 あの方を幸せにするために、私はどの道を選べばいいの?


 迷宮は答えない。

 光の渦の中、意識が遠ざかる。

 ここに至る身分ではなかった……。選ばれない者には、死が待っている。


 ――死ぬのかも知れない。せめてもう一度、あの方にお会いしたい。


 エレナは遠のきそうな意識の中、金剛石にすがって身体を起こした。

 金剛石は、見たいと思うことが見られるという……。

「セリス様を……見せてください」

 エレナは小さな声で、そっとお願いした。


 金剛石に人影が映った。

 自分が反射して映っている? 違う……。

 エレナは目を凝らした。意識がはっきりしてきた。

 闇をさまよう少年だった。

「セリス様?」

 エレナはつぶやいた。まだ少年のセリスが、この迷宮をさまよっている。

 まるで何かを恐れているかのように、迷路を闇雲に走りまわっている。


 手を差し伸べたい……。


 エレナは胸が詰まった。

 思えば、あの陥落の夜からセリスの苦悩は始まった。


 私はいつも、身近でそれを見て、心の中で応援していた。

 手を差し伸べるなど、大それたことはできなかった。

 でも、いつもいつも、手を差し伸べて、あなたを助けてあげたかった。


 エレナが見守る中、金剛石の中の少年は、迷いに迷っていた。

 少年は、身を躍らせて地底湖に落ちた。

 そして……死んだ。


 エレナは驚いて金剛石にかじりついた。


 そんな! そんなはずは……。

 これは本当にあった過去? 

 そんなはずはない……。セリス様は生きていらっしゃるもの!


『父上、私もあなたのもとに参ります。私はあなたと共に死にました』


 悲痛な言葉が聞こえてくる。

 血が飛び散った。


 血? 


 エレナの前でナイフが煌く。振向いた有角の者・アル・セルディンの胸から、鮮血が飛び散る。

 信じられない……という目で、セルディン公はナイフを握って立つ少年を見ていた。

 その瞬間、再び少年はナイフをふるった。

『……裏切り者!』

 少年は泣き叫んでいた。

 震える手先は殺しには向かないが、この人を殺さなければいけないという強い意思が、行動を支配していた。

 何度も何度も、自分の父親の胸を刺し、少年は返り血で真っ赤に染まった。


 エレナは悲鳴をあげた。



「エレナ……」

 背後からセリスの声がした。

 エレナの悲鳴は途切れた。硬直し、声が出ない。その様子を見て、セリスの顔も固まった。

「見てしまったのですね……」

 セリスの言葉に、エレナはちぎれんばかりに首を振った。

「私は……何も見ていません! 何も見えません!」

 興奮しすぎて、それがすぐに嘘だとわかる。セリスは視線を落とした。

「いいのです……。それは、本当にあった過去のことです」

 セリスの告白に、エレナは目に涙をためながら、否定を続けていた。

「私は……本当に何も知りません! 見ていません……」


 しばらく沈黙が流れた。

 セリスは下を向いたまま……。エレナは涙目でセリスを見つめたまま……。


「このことを知っているのは、セラファン様だけです。あの方は、私の罪を知っていながら、人の上に立つ王となれ……と言われた。それが、私への罰だとも……」

「セラファン様が……?」

 思わず聞き返して、エレナははっとした。知らないふりはもう出来ない。

「あの方は、王としてなすべきことをなしなさいと言われた。それが父上の望むことだとも……。私は、父ほどの器ではないが……」

「セリス様……」

 エレナは心苦しかった。


 未だセリスは、父親に対する劣等感から抜けられない。自分に流れる平民の血によって……。

 エレナは迷う。

 その苦しみを、平民である身は、倍増させるかも知れない。


「あなたとともに生きる決心をしておきながら、このような大事な秘密をあかさなかったことを、お詫びしたい。情けないことだが、知られてほしくなかったことだ。知って、あなたの気持ちが変わることを恐れていた」

 セリスはそういうと、背を向け歩きはじめた。

「こちらです。迷わずについてきてください。早く出てしまいましょう。あなたに会いたいという、リューマ族長を待たせていますから……」

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