戦いの道・前方


 渓谷の両サイドに弓隊を配置する。ホルビン率いる槍隊が、討ちもらした敵を始末するため、谷に布陣する。

 セリスはわずかに結界を緩め、敵を率い入れた。そして、すばやく後戻りできぬよう、結界を強める。ウーレンの騎馬隊は、まんまとおびき寄せられた。

「弓を放て!」

 セリスの号令とともに、雨のような矢がウーレンの軍勢を襲った。


 遠く離れて射る者たちは、噴出す血潮や悲鳴、痙攣する兵を感じない。エーデムのために、渓谷を走りぬけようとしている敵兵に、矢を放っているだけだ。

 しかし、有角のセリスには、まるで自分が剣をふるったかのような、リアルな感覚が残った。

 見たくはないものを……セリスは青ざめた。

 しかし、自分が倒れてしまっては、エーデム軍は士気を失う。こみ上げてくる吐気を抑えながら、セリスは平静を装った。


 突破できぬ結界に、小隊が山越えを目指したと、ムンクが伝えてくる。

 セリスは髪をほどいた。セリスの張る結界は、広範囲に強く張ることはできない。今、弓を射ることよりも、別働隊を阻止する必要があった。

 山側の弱い結界を補うように、ムンク鳥達が騎馬を攻撃する。急な崖を昇ろうとしている馬に、ムンクの攻撃は効果的であった。

 しかし、心話で共鳴していた鳥がウーレン兵の刃に倒れた時、セリスにも心を引き裂かれるようなダメージがあった。結界は、一気にゆるんだ。

 谷を進むウーレン隊は、ここぞとばかりになだれこみ、弓の攻撃は追いつかなくなった。

「銀竜よ……。父との友情のためでもいい。私に力を……」

 セリスは、自分の失態を唇をかみ締めて悔やみ、祈りの言葉を捧げた。

 ホルビンが、エーデム族とは思えぬ力で、騎馬を倒しているのが見えた。萎えかけた気持ちを、セリスは再び奮い立たせた。

「射よ! あの男を死なせるな!」

 セリスは再び弓を手にした。


 その時、セリスの目に一人の騎馬兵が浮き上がって見えた。標的にならぬよう、すでにウーレン王族の証である白マントを投げ捨ててはいるが、あきらかにウーレン第一皇子・シーアラント・ウーレンであった。

「見よ! シーアラントだ。あいつを狙え!」

 あの男さえ倒せば……。セリスは叫ぶと同時に、自分でも弓を引いていた。

 やれる! セリスは確信した。

 エーデムをあらわす銀の髪が邪魔だった。しかし、セリスは正確にシーアラントに的を合わせていた。

 エーデムに未来を……! セリスは矢を放った。


 シーアラントは動揺していた。

 エーデムの腰抜けが、こんなところで待ち伏せしているとは思わなかったのだ。

 これは戦いとはいわない。戦いはこれから始まるはずだった。しかし、集結しているはずの先導隊は、すでに死体の山となっていた。引き返すことも潔しともせず、自ら飛び込んでこのザマ……。

「全隊! 退却!」

 シーアラントは、苦々しく叫んだ。

 その時、セリスの放った矢羽が飛んできた。

 セリスが驚く中、シーアラントは持っていた剣で矢を切り払うと、射手の方に真っ赤なウーレンの瞳を投げつけた。

 セリスは、その赤い瞳に射ぬかれたように立ちすくんだ。手から弓がほろりと落ちた。

 有角のセリスゆえに感じた敵の恐ろしさ……。

 そして、他人を殺める恐怖。

 しかし、この戦いは見事な勝利に終わり、ウーレン皇子を取逃がしたものの、ウーレン軍に壊滅的打撃を与えた。


 ホルビンが、ウーレン王族の白マントを槍先につるし、腕を振り上げた。凱旋したエーデムの兵たちは、歓喜の声にて砦に迎えられた。

 ウーレンの影に、いつもおびえて暮していた砦の民は、ここに至ってはじめて、エーデム奪回を夢見るようになった。

 セリスは手を上げて、人々の声に答えた。しかし、母のもとに顔を出すこともなく、足早に自室に戻った。

 母なら……おそらく心のうちを読んでしまうだろう……セリスは、それを恐れた。


 セリスの無事を一心不乱に祈り続けていたエレナも、戦いが大勝利に終わったことに頬を紅潮させた。

 兵士たちに酒が振舞われ、中でも父・ホルビンが、真っ赤な顔をしてよろこんでいる。

 みんな、二日酔いだわ。明日は大変……と思いながらも、エレナは料理を運んだり、お酒を運んだり、忙しく振舞う。

 しかし、摂政の姿がいつのまにかないことに、エレナは不安になった。


 体調が、まだ万全ではなかったのだから……。


 こっそり抜け出し、セリスの部屋の前まできたが、エレナは声をかけることができない。

 ――私のような身分で、呼ばれもしないのに、上の者に声をかけるなどという無礼は許されないわ。

 あきらめかけて去ろうとした時、ドアが開いた。

「エレナ……どうしたのだ?」

 セリスの顔は、勝利を手にした喜びなど、みじんもなかった。

「申し訳ありません。お姿が見えなくなりましたので……」

 セリスは、明らかに無理をしていると思えるような、ひきつった笑顔を見せた。

「私は、ただ疲れただけだ。悪いが、そっとしておいてはくれぬか?」

 エレナは深く頭を下げると、小走りに立ち去った。


 エレナの影が、賑やかな砦下方に消えていくと、セリスはドアを閉めた。

 煩わしいことは避けたかった。一人になりたかった。

 自分の中に流れるエーデムの血が、あの戦いに耐えきることはできなかったのだ。

 吐気がどうしても止まらない。

 セリスは、机の中から父の肖像画を取出した。

 そして机に伏して泣いた。

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