錯綜する夢


「このままでは、士気が上がりません。エーデムには王が必要です」

 軍事訓練を買って出たホルビンが、セリスに打ち明ける。セリスは眉をひそめる。

「セリス様、エーデムの民は王を望んでおります。エーデムリングに属する王の命令ならば、民は一体となってことをなしましょう」

 王令ならば……ということに、セリスは嫌な思い出を重ねてしまうのだ。

 だが、ホルビンの言葉は熱を帯びてくる。

「しかし、摂政の言葉には、不平を言う者もあらわれます。ましてや、ウーレンと一戦を交えようなどと……。争いごとが苦手な民を、どうして引っ張り出せますでしょうか? 今更、王族の純血を唱えているのは、元貴族のブレインたちだけです。セリス様、どうかもう一度、王位につくことをお考えください」


 ブレイン会議にて、セリスは王として認められなかった。それは平民の母ゆえだ。

 セリスは悩んでいた。


 ――エーデムの民に王は必要だ。間違いなく……。


 しかし、私は……その手を血に染めている。血を嫌うエーデムの民の上に立てる者ではない。

 だからといって、父と同じ過ちを犯すつもりはない。

 父は王位につかなかったばかりに、あんな過ちを犯した。

 そして私は……。


 セリスは口を抑えた。急に吐気がした。

「セリス様?」

 ホルビンの顔が不安そうにのぞきこむ。

「まさか、エレナがろくでもない食事でも?」

「いや……そうではなく……」


 ――血塗られた手は、幻。


 ふと、いつも忙しく働いているエレナの姿を思い出した。

 エレナの料理の腕は確かだ。ホルビンが一番それを知っているはずではないか?

 娘の仕事ぶりを心配する父親ゆえなのだろう、セリスはつい笑ってしまった。

「エレナは働き者だ。その上、無駄口もない。感謝している」

「それは、もったいないお言葉で……」

 ホルビンの顔が、ふにゃっと崩れた。同時に、セリスの手に残る嫌な感触も消え、胸の悪さも収まった。

 セリスには、幾度となくエレナに癒されていると感じる事があった。

 いらいらして戻った時には、さりげなく机の上に花が飾ってあったりする。

 せっかく作ってくれた料理さえ、食欲がないと言えば無理強いしないで片付ける。そして、あとから夜食を出してくれる。父に食べさせる……といって、作ったものの食費は返す。そうされると、食欲がなくても食べなければ……という気になる。

 ホルビンは、最初のうち、かなり残り物を食べさせられたのだろう。王族の肉抜き料理は、ホルビンのような大柄な者には、辛かったに違いない。

「王位につくことは……前向きに考えよう」

 セリスはホルビン家を後にした。



 凍てつく冬……風が冷たい。

 ここには雪はない。だが、ガラルへ至る道の風は冷たく、ウーレンは春を待つ。ムンク達の言葉を得て、セリスは決断した。


「エーデムの王に私がふさわしい者か、エーデムリングにて確かめてきます」

 ブレイン達はざわめいた。

「……! そのような、そのような危険を犯す必要はありません。あなたは王にふさわしい!」

 そう叫んだのは、ベルヴィン公だった。

 別の者も追随したが、多少ニュアンスが違った。

「結界はどうなります? あなた様がいなくなられたら……あの、つまりその……」

「私には平民の血が流れている。だから、エーデムリングに拒絶され、戻って来られないと」

 言いにくい言葉を、セリスは引き継いで語った。

 ブレイン達は、押し黙ってしまった。


 年配のブレインの中には、アル・セルディンに対抗意識を燃やしたエーデム王子・ファセラ・エーデムが、エーデムリングに迷いこんだ事件を知っている者もいる。

 彼は白亜門を越えていった。迷宮に入る力はあったのだ。だが、迷わず進む力はなかった。

 ファセラは、一ヶ月後、瑠璃門より戻った。冷たい死骸となって、瑠璃門からあふれ出る水とともに、流れ出たのである。


「ファイガ王の子にして、ファウル王の兄であるファセラ様でさえ、命を落としたのですぞ! あなた様は……あなた様の血は……いや、その……」

「エーデムリングにたどりつけずとも、王になれます。そこまであなたが王になりたいというのであれば、誰も反対するものはいません」

 セリスは苦笑した。

 誰が、このような身で王位につきたいと願うか?

 それに、エーデムリングに属する王でなければ、意味はない。それは、このブレイン達の反応が物語っている。

「失礼ながら、ファイガ王はエーデムリングに選ばれたのか? 否、選ばれたのは、我が父・アル・セルディンである。したがって、ファセラ様よりも私の血は濃い」

 なんということを……暴言だ。ブレイン達はざわめいた。

「それを証明して見せましょう。エーデムリングの金剛門を越えることによって!」

 セリスは自信たっぷりに言いのけてみせた。



 冷たい風が銀髪を揺らす。

 エーデムリングを内包する神の山・ガラル山脈は、雪と氷で覆われた。氷竜の背中のように、キラキラと輝いて見える。まぶしくて直視できぬほどに……。

 セリスは伴もつけず、一人エーデム村に向かった。

 途中、白亜門の近くを通る。この門が開かなかったら、すでにこの賭けはおしまいだ。開いたら……戻って来られるかどうか……。


 母上にお別れを言いに行こう。

 フロルにも……。


 村人たちと何ら変わりない家に、フロルと母は住んでいた。ドアをノックしようとして、セリスは躊躇した。

 なぜ、お別れなど言おうと思ったのだろう? 私はかならず戻らなければならないのに。

 ここで不安そうな自分を、母に見せてどうするのだ? 母はまた、平民の血を嘆き悲しむだけだ。母の血ゆえに、私が苦しんでいることをしって……。

 セリスは、三度ほどノックをするかどうか悩んだが、やがて決心するとそのまま砦に引き返した。



「エレナ……。あなたは、私がエーデムリングに属する者だと思うか?」

 その夜、仕事を終えて帰ろうとするエレナに、セリスは突然話しかけた。

 今までこのように摂政であるセリスが、使用人であるエレナに話しかけることはなかった。しかも、実に奇妙な質問である。

 困惑するエレナの返事を待つことなしに、セリスは話を続ける。

「エーデムリングの門を越えるとそこは迷宮だ。時さえも歪んでいると聞く。そこに我が父・アル・セルディンは行ったことがあるのだ。私もそこに行ける資格があるだろうか?」

 エレナは振りかえり、ちょこんと立ち尽くしていた。セリスは、まるで独り言のように話を続ける。

「奥深く入ると、金剛門という門がある。エーデムリングの中心で、そこを抜けると古代の王国そのままの回廊が続く……。そして、すべてのエーデムリングに属した者達が、時を越えて住んでいる」

「それは……天国のようなところなのですか?」

 エレナは、おもわず聞いてしまった。

 セリスは微笑んだ。最近見たことのない穏やかな笑顔に、エレナはドキッとする。

 セリスは立ち上がると、棚の中からワインを出した。そしてグラスを二つ。

「エレナ、あなたは飲めるのか?」

 エレナは驚いてうなずいた。


 セリスがお酒を飲むとは、エレナは知らなかった。

 机の蝋燭はゆらゆら揺れて、赤いワインをさらに赤く染める。まるで血のようで、エーデムでは不吉とされている色。葬式の時に飲む酒だ。

「金剛門はのぞきこむと、過去がすべて見えるそうだ。その人が見たいと思っている過去が……」

 セリスの口は酒の力で軽くなり、エーデムリングの話をし続ける。

 エレナは、わけもわからず、でもこの時間が永久であればいいと思いながら、セリスの仕草をじっと見ていた。

 繊細な指先。灯りに映える銀髪。時にワインをかざしてみたり、楽しそうに笑ってみたり。

 セリスは、やはり王族なのだ。

 ――なんて優雅な……。やはり平民とは血が違うのだわ。

 エレナはすこしだけ落ちこんだ。


 せっかくの時間なのに、どうしてこの時間が去って行くことばかり心配してしまうのだろう?

 なぜ、せめて今だけでも素直に楽しそうに出来ないのかしら? 私。


 性分と言ってしまえば、それまでなのだろう。

 小さな頃から内気で、目立つことが苦手だった。気持ちを誰かに伝えたり、自分の意見を言ったりするのも勇気がでない。

 エレナは顔を上げた。そのとたん、セリスと目が合った。エレナの顔に血が上った。

「申し訳ない。こんなに引きとめて」

 セリスはすっかり摂政の顔に戻っていた。

「つまらない話を聞かせた上に、酔わせてしまったようだ」

 それは誤解だった。エレナにとっては至福の時だったし、顔が赤いのは別の理由だった。

「ホルビンが心配する。お詫びに家まで送ろう」

「! いえ! とんでもございません! セリス様にそのようなことをさせましたら、私が父に怒られます!」

 エレナの言葉を無視して、セリスは外套を羽織っていた。

「では、遠くから見ていよう。あなたが家まで無事に行きつけるところを……」


 そのセリスの言葉は嘘だった。

 セリスはまるで恋人同士のように、エレナと寄り添って歩いた。寒い夜、星が凍てつく夜だったが、エレナは耳まで熱かった。

「エレナ、今日は話を聞いてくれてありがとう」

 ホルビン家の玄関口まできて、セリスがいった。

「いいえ、私でよろしければ……」

 はにかみながらエレナが答える。その言葉にセリスはさびしそうに笑った。

「本当に……今までありがとう。お休み……」

「おやすみなさい……セリス様」

 エレナは、セリスが見えなくなるまで見送った。

 何か……心に引っかかるものがあった。


 外套の襟を立てて冷たい風をさえぎりながら、セリスは砦の階段を上がっていった。

 日中、母に言いたかった言葉を、いってきます以外、すべてエレナに語ってしまった。

 赤い血の色の酒。自らの葬儀をするように、かなり飲んでしまった。

 やはり……不安だ。その気持ちをどうともできないでいる。

 セリスは足早に、自室へと戻った。



 翌朝、セリスはわずかなブレインに見送られ、白亜門に立った。

 セリスが手をかざすと、白亜門は簡単に開いた。ブレイン達がざわめいた。

 そのざわめきの中、セリスは有角の持ちうる力で、別の甲高い声を聞いていた。

 その声が近づく前に旅立ちたい……。

 セリスは振向くと、軽く会釈をしてブレイン達に別れを告げた。


 フロルがたどり着いた時、白亜門はすでに閉まっており、ブレイン達も引き上げようとしていた。

 エレナが、セリスの様子がおかしいと、教えてくれたのだった。

「まって! 兄様はいったいどこへいったの? まさか……」

 ブレイン達が顔を見合わせる。ヒソヒソと、フロル様は知らないのか? とあちらこちらで驚きをもらす。

「いい加減にして! あなた達、どうして兄様を止めないのよ! 今更、そんなに王様が必要? そんなに戦いたいわけ? そこまで犠牲を払って何を手に入れたいのよ!」

 フロルはそう怒鳴って、白亜門に向き直ると激しく門をたたき出した。

「兄様のバカ! バカバカバカァ!!!」


 もちろんセリスにはもう聞こえない。フロルの大粒の涙も見えない。

 エーデムリングの迷路は錯綜し、進んでも進んでも、先が見えない。

 セリスが衰弱しきってこの白亜門より再び戻ったのは、なんと一ヶ月もあとのことである。

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