交差する想い
窓の外、ムンク達が滑空する。多くの情報がセリスに届く。
かつてのエーデム首都・イズーは、ウーレンの第一皇子の名前を付けて『シーア』と呼ばれている。
血の気の多い第一皇子は、何度かガラルに進軍してきている。有角となり、古代王族の力を持つようになったセリスにしても、結界なるものをはるのはたいした力を要した。
おそらく、セリスには結界という力がもともと弱いのだろう。かつて、エーデム一帯に巨大な結界の壁を作り上げたファウル王のような力は、どう考えても出せそうになかった。
その代わり、ムンク鳥達との交信は、父・アル・セルディンゆずりらしく、かなり能力があるようだった。だが、かえってそれがセリスを苦しめる。
防ぎようもない力を結集して、性懲りもなく、ウーレンが攻めてくることを、見事なまでに察知してしまう。
――恐ろしい……。どのように防げというのだ?
セリスには、思い浮かばない。
自分のか弱い結界力で、それを防げるのか……?
今回は……だが、次回は? その次は?
「父上……。私ではだめです。あなたが……あなたでなければ……」
セリスは机の中から一つの絵を取出す。父の肖像画だった。
「兄様! いらっしゃいますの?」
いきなり妹のフロルが飛びこんでくる。
角有の者は、耳もよく聞こえ、危険を察知する力が強いと言われているが、これは結界力と比例しているらしい。セリスは集中しないと、この能力を活かすことができない。
「この部屋に入るときは、ノックぐらいしなさい」
セリスの言葉をまったく無視して、おてんばな妹はツカツカ歩み寄る。
「兄様、いったいどういうおつもり? まだまだ、生活に苦しんでいる人たちがいる。なのに、どうして今、武器なの? どうして兵役なの? 私には信じられない!」
すっかり反抗期なのか生意気になって、妹は持論を展開する。
セリスにとって、妹の存在は大きかった。
エーデム陥落の時、腕に抱いて必死に守ってきた小さな妹……。
何の疑いもなく慕ってきてくれた妹……。
『あたちねぇ……大きくなったら、おにいちゃまのお嫁さんになるの!』
大きな緑色の瞳をますます大きくして、小さなフロルは真直ぐにセリスの目を見る。
セリスはいとしい妹に目を細める。
『本当? それはうれしい……。約束してくれるかい?』
『もっちろーーーん!』
まったく素直に真直ぐに……。フロルはよろこんで飛びまわる。
セリスは本気だった。
エーデム王族の血……。それを一番濃く持っているのは、アル・セルディンの血を引く自分と妹に他ならない。
アル・セルディンは、母方五代・父方三代さかのぼれば、もっとも偉大な王と呼ばれるセルディ・エーデムにたどり着く。セルディンというファミリーネームは、セルディ・エーデムの次男がエーデム王家から分家したところから始まっているのだ。
妹と結ばれれば、エーデム王を名乗るにふさわしい者が生まれるだろう。
しかし、妹は成長するにしたがって、母親を顧みない兄に反抗するようになっていった。
そして最近は、政策にさえ文句を言ってくる。
この妹を口ではいつも言い含めきれない。緑の瞳を不安で濁したくはない。セリスは天を仰ぐ。
「これはおまえの口を挟むことではない。おまえは家にいて、母の面倒を見てくれていればいい」
「兄様のバカ! バカ! バカ! 兄様だって、たまにはお母様についてあげたらいいのに! それでお母様はきっと少しは気が晴れるってものだわ! お母様が何であんなに苦しんでいらっしゃるか、兄様は考えたことがないの?」
その言葉を聞いて、セリスの顔は凍りついた。
「誰か!」
衛兵が入ってくると、セリスは淡々と命じた。
「妹は、興奮して気分がすぐれないようだ。送っていってくれ」
悪態をつきながら連れていかれるフロルの言葉を、セリスの耳は細かく聞きとってしまう。妹が出て行くと、セリスは座りこみ、机に両肘をつき頭を抑えた。
重大なブレイン会議が開かれた。
「シーアでは大々的な兵力の増強をしています。今までの小さな軍隊とは違います」
ブレインの一人から報告がなされた。
やはり……。セリスは緊張した。
向こうは騎馬である。おそらく攻めてくるのは、気候がよくなってからのことに違いない。しかし、その間にどこまで巨大な軍勢になるのか……。
「人数が多ければ多いほど、セリス様の結界に阻まれることになりましょう。心配には及びません。また、痛い目にあうのは、ウーレンです」
ブレインの一人が放った言葉に、他のブレインもうなずく。
そう……。
たしかにそうだが、持久戦を持ちかけられたら? 巨大な軍勢が小隊に分かれ、時間をかけて、交代しながら攻めてきたら?
――私は保つのだろうか?
しかし、エーデムリングの力を信じるがゆえに、希望を持っている人々を、絶望に落とし入れることはできない。
「……だが、小ざかしい敵を少しでも排除する必要がある」
セリスの言葉に、ブレイン達は静まり返った。
「我々の真の希望は、エーデムの地を我々に戻すことではなかったのか? このようなところで、安住を得ることではなかったはずだ。エーデムをとり返し、ウーレンの支配下で苦労している我が民を救い出す。そのために、今やるべきことをやる」
セリスの言葉に、ブレイン達の気持ちが揺れはじめた時だった。
一人の衛兵がノックした。
「失礼します。急報でございます」
衛兵は小さなメモを、ささっとセリスに渡すと、一礼してその場を去った。
セリスはメモに目を通し、一瞬目を見開いたが、すぐにメモをしまって話を続けた。
「我々には、地の利がある。ここでウーレンの軍勢にダメージを与えることができれば、砦にはしばしの安泰と……あわよくば、エーデムをとりもどす足がかりができる」
会議は長引いた。しかし、最終的にはセリスの案は、全員一致をみた。
フィラが三度目の吐血をする。エレナは口元を拭く。
「肺を患っているのよ。とりあえず、今の状態が収まれば……」
フロルは言葉を濁した。
収まらなければ母は死ぬ。医者もさじを投げた。
幼いころからフロルは母の命を救いたい一心で、医学をまなんだ。母からも学んだし、砦にいる医者という医者・薬師からも多くのことを吸収した。
この恐るべき才能に、エレナはたびたび驚かされてきたのだが、そのフロルがついに覚悟を決めた。
「エレナ、会議中だってかまわない! 兄様を呼んで来て! 一刻も早く!」
エレナは慌てて家を飛び出し、階段を駆け上った。心臓が飛び出しそうだった。
でも、早く伝えなければ……。
セリス様は、母親の死に目に会えなくなってしまう!
エレナは自分の母親の死を思いだし、涙が止まらなかった。
「会議中ゆえ、直接あなたを入れるわけにはいかない。しかし、大事なので、かならず摂政にお伝えいたします」
衛兵はそう約束してくれた。
時間だけが刻々と流れる……。
フィラは少し持ち直し、穏やかに眠っている。
セリスは帰ってこない。まさか、伝わっていないのでは? エレナは不安になってきた。
「私……もう一度、いってきます」
母の様子をじっと見ながら、フロルがつぶやいた。
「いいのよ……エレナ。……兄様は、そういう人なのよ……」
フロルの後姿が震えている。エレナは、悲しい気持ちになる。
「いいえ、きっと私の伝え方が……。もう一度、いってきます」
エレナがドアを開けた時、ちょうどセリスが帰ってきた。
「母は? 母はどうなのだ?」
戸口のエレナを無視して、セリスはベッドの横に座りこんでいるフロルに声をかけた。
「まさか……母上……」
「そこまで心配なら、どうしてすぐに戻ってきてくれないの!」
突然、フロルが立ち上がって怒鳴り出した。とても病人の前とも思えない剣幕だった。
「無事なのか?」
フロルの言葉を無視して、セリスはベッドに走りよった。
突然、パーーーンッと音がした。
エレナは思わず顔をそむけ、堅く目をつぶった。
フロルが思いっきり、セリスの頬を打った音だった。
「何よ! こんなに放って置いて、今更何よ! 兄様はどうせ、お母様の命よりも会議のほうが大事でしょうよ! 兄様にお母様を大事にしてほしいなんて、期待するほうが間違っていたわ!」
フロルの大きな目から、次から次へと涙が出てくる。
「兄様は何かに憑かれているのよ! エーデムの心はどこにやってしまったの? いったい何だっていうのよ! 親不幸者! 薄情者! バカ!」
セリスは、凍りついた顔で妹の悪態を聞きつづけていた。
フロルは散々悪態をつくと、部屋を飛び出してしまった。
エレナも、たまらず退室した。
セリスは一人、部屋に残ると、ベッドで安らかに眠っている母の横に腰を下ろした。
母の顔は……しばらくぶりで、じっくりと見る。やつれ果てて、父と楽しく過ごしていた頃の面影はない。
そっと、頬に、そして髪にふれてみる。手をとり、くちづけする。
「……私は……本当に親不孝です。母上……」
唇は震えていた。
その日を境に、兄妹の間は急速に冷えた。
フロルは母の回復を待って、砦を出て行くという。
エーデム村のほうが、病人のために環境がいい……などと、回りの人には話しているが、明らかにセリスとの確執が原因だった。
引越の様子を、セリスは自室の窓から眺めていた。
「エレナ……。もうこちらの片付けはいいから、あちらを手伝いなさい」
荷物を運び出したあとを、せっせと掃除するエレナに、セリスは言葉をかけた。
その言葉が、とてもさびしげでエレナは泣きそうになった。
エーデム摂政の瞳が和らぐ時……。
それは妹のフロルといる時だけだった。
その瞳を自分にも向けてもらえたら……。そう思ったこともある。
でも、そんなわがままは言わない。ただ、心穏やかでいて欲しい。
別の人に向けられたものでも、セリスの幸せそうな顔を見るのは、エレナにとっても幸せなことだった。
――なのに、どうしてこのようなことに?
「いいえ……。私はここにいます」
エレナは掃除の手を休めなかった。
「私は母と妹のため、あなたを雇いました。明日からは、あちらにいってください」
セリスの命令する言葉は、なぜか力ないものだった。
「はい……。でも、セリス様、こちらにもお伺いいたします」
セリスは驚いて、エレナを見た。
エレナはうつむいて目を合わせなかったが、言葉はっきりと懇願するように続けた。
「私をお雇いになったのは、セリス様です。お願いです。どうか、ずっと側でお仕えさせてください」
セリスはしばらく返事をせず、再び窓の外に目を移した。
差し出がましいことを言ったと思い、エレナがおどおどし始めた頃、摂政は小さな声で返事をした。
「……ありがとう……」
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