突き刺さる角


 石女・フィーマは、砦の一番高い所に住を構えていた。

 とはいっても、そこが一番贅沢な場所というわけではない。ほんの小さな部屋であり、おそらくもともとは、砦の頂上から監視する者の控え室だったのだろう。

 そしてまた、この地がエーデムの最後の砦となってからは、砦一静かだったフィーマの部屋の前は、衛兵交代がせわしく行われ、うるさくて心落ち着かない場所になってしまった。


「引越いたしますか? フィーマ様」

 衛兵代わりに砦の頂上に、セリスとフィーマはたっていた。風がエーデムリングの方向から吹き、二人の銀髪を躍らせた。

 フィーマはもう歳。最近は足腰が悪く、この場所に足を運ぶことも、砦の下方に下りてくることも少なかった。

「セリス殿、わしのことなど、気になさるな……。もうわずかな命じゃ」

「フィーマ様……」

 平和な時代、誰がこの巫女姫を大切に扱っただろうか? 

 多くの王族は、子をなせない女など、女ではないと思っている。その上、ファウル王という角有でエーデムリングに属する王を有していた。巫女姫の中途半端な力など、誰も頼りにしてはいなかった。

 父だけが……悩みある時に、ガラルまで足を伸ばしていた。

 父は、エーデムにこのような不幸が襲うことを、予感していたのであろうか? まれにみるその濃い王族の血で……。

 続ける言葉に哀れみを含みそうで、セリスは失礼になることを恐れて言いよどんでいた。

 フィーマは少し面白そうに、セリスの表情を見ていた。


 ――まだ、若い……。そして、その血の濃さゆえに、長い寿命が約束されている。


 エーデムの巫女姫の力は、セリスの未来を予見したが、フィーマはそれを告げることはなかった。

 未来は、時として口にすると結末を違えようとすることがあるからだ。

 よい未来は、迷う者には伝えるべきことではない。

「今後は、あなた様のことじゃ。自信を持ちなされ。もう一つの血を恥じることはお止めなされ。あなた様には、エーデムの王族の血があらわれておる」

 その言葉にすがるように、セリスの視線がフィーマに向く。彼女は老いた顔に皺を寄せた。

「迷うことなかれ……。信じるがままに歩みなされ」


 その時、一羽のムンク鳥が空中を舞った。

 人の心を読み、人と心で会話ができる鳥である。フィーマに何か伝えているらしいことがセリスにはわかったが、読まれても読みとる力など、セリスにはなかった。

「セリス殿! 大変じゃ!」

 鳥との会話を終えて、フィーマは青ざめていた。

「ウーレン皇女が、親ばかぶりを発揮して、イズーとその周辺統治を、息子に任せてしまったわ! あの、戦うことしか能のない第一皇子にのう」

 セリスの顔に緊張が走った。

 ウーレン皇女は無駄な戦いはしない。フィーマの結界を越えて、戦いを挑むことはしない。だが、あの第一皇子ならば……。

 地の利があるとはいえ、ウーレンに攻められるのは、ガラルとしても避けたいことだ。

 血塗られた戦いは、なんとしても……。

 セリスは、片手でこめかみを抑えた。頭が痛い……。



 その夜、フィーマは誰かに呼ばれているような気になって、砦を出た。

 足腰はまるで少女時代のように軽く、流れるように石の階段を降りることが出来た。

 エーデム陥落後の混乱も今はなく、砦の夜は静かだ。ガラル川にかかる橋を渡り、フィーマはいつのまにか、エーデムリングの入り口・白亜門の前にいた。

 眼下には、人々がエーデムを懐かしみながら建設・開墾しているエーデム村がある。

「セリス殿は、立派な方じゃ。なのになぜ、何を迷ってなさるのじゃ? なぜ、エーデムリングに選ばれないのじゃ?」

 フィーマはそっとつぶやいた。


 わしの寿命も尽きておる。

 ウーレンに対抗できる結界をはれるのは、もうセリス殿しかおらぬ。

 か弱きエーデムの民を導いていけるのは、あのお方しかおらぬというのに。


 ――なぜ?


 フィーマは白亜門に、皺だらけの手を掛けた。

 この門を越え、金剛門を開き、エーデムリングの最初の王と謁見できる者は、セリスしかいないのではないか? フィーマの瞳が少女のように潤んだ。

 満月に照らされ、白亜門は青白く光り、門をふれるフィーマの手も白く輝いた。

「……おぉ…?」

 フィーマは驚きの声を上げた。反射して輝いているのではない。手は、本当に白く艶やかであった。

 手だけではない。曲がった腰もしゃんとして、ばさつく銀髪も艶やかに輝き、月の光の中、フィーマは、自分の身体のあちらこちらに変化を見た。

 これはどうしたこと? フィーマは白亜門を見上げた。

 誰かの呼ぶ声がする。でも……行けない。

 この門は、エーデムリングに属する殿方のみが行ける場所。女は、行くことを許されていない。

 それでも誰かが呼んでいる。

 フィーマはやっと気がついた。そして、頭をあげた。若くて美しいエーデムリングの巫女姫の姿だった。

「そちらに……お呼びになってくださったのですね?」

 フィーマはゆっくりと白亜門を開けた。あふれるばかりの光の中、フィーマは歩を進めた。

 エーデムの巫女にして石女・フィーマの姿を、その後誰も見ることがなかった。



 翌朝、フィーマがいなくなったということで、砦中が大騒ぎだった。

 巫女姫にしてガラル一帯に結界をはるフィーマ。彼女がいなくなるということは、単に悲しいことだけではなく、ガラルの存亡にかかわる大事なのである。

 衛兵のみではなく、一般市民も必死になってフィーマを探した。川あさりして流されそうになった者もいた。

 セリスは執務室で報告を聞き、砦の地図にチェックを入れた。地図はどんどん真っ黒になる。


 ――フィーマ様はいったいどこへ?


 セリスは頭を抱えた。頭がいたい。

「セリス様、フィラ様からの差し入れでございます」

 そういえば、朝から何も食べてはいない。気がつかないほど、根を詰めていたのだ。

 衛兵に案内されて執務室に入ったエレナは、振りかえった摂政のきつい表情に、一瞬ビクッとした。

 壮絶……とでもいう表情だった。だが、それは一瞬で、やがてゆるんでいった。

「ありがとう……母に伝えてください。それは、こちらに……」

 血の気のない蒼白な顔でセリスは微笑み、エレナは恐る恐る奥に入り、執務室の机の上に差し入れをおいた。

 ――差し入れ。

 本当は、エレナが作ってもってきたものだった。

 フィラは、体調が今ひとつで動けなかった。だが、セリスを心配していた。だから、差し入れをすることをエレナは提案し、ついでに様子を見てくることを約束した。

 お口に合うかしら? ちらりとセリスの顔を見る。

 また厳しい表情に戻っている。常に張り詰めている。

 エレナは悲しくなってしまう。


 ――花冠をくださった時の、あの笑顔は、もうこの方にはないのだわ。


「母の献立にはないものだ」

 突然、セリスが言い出した。

 そそくさと退室しようとしていたエレナだったが、その言葉に、雷にでもうたれたように足が止まった。

「……はい……あの……私が作りました」

 嘘をついたわけではない。フィラにセリスのことを頼まれたのは事実なのだから。

 なのに、エレナは後ろめたい気分に襲われていた。硬直して肩が震えた。

「ご、ごめんなさい……」

「なぜ謝る? 美味しそうだ」

 セリスは、机の差し入れに目を落とし、作り手がどれだけ手を掛けたかを見て取った。

 だが、この頭病みは食欲を減退させる。

「あなたに母と妹をまかせたことは、正しい判断だった」

 セリスの言葉に、エレナはすっかり舞い上がり、じわりと涙が出てきそうになった。お礼をいおうとして、エレナは振りかえった。

 摂政は机の上に片手をつき、もう片手で頭を抑えていた。

「……? セリス様」

 エレナは不信に思い、二歩・三歩とセリスに歩み寄った。セリスに反応はなかった。

 エレナがセリスに手を掛けようとした瞬間、摂政はそのまま崩れるようにして、床に倒れた。

「キャァーーーー!」

 エレナのヒステリックな叫びに、部屋の外で待機していた衛兵が飛びこんできた。

「セリス様! セリス様!」

 エレナは、衛兵に引き離されるまで、セリスにすがって泣き続けた。



 セリスの意識は三日間戻らなかった。

 医者の心得があるフィラだが、セリスが倒れた理由がわからない。

「フィーマ様がいてくださったら……」

 苦しそうに顔をしかめながら眠る息子の顔を、フィラは久しぶりに見たような気がする。

 体調が悪いフィラに、セリスの看護ができるはずもなく、エレナは泊りがけでセリスの看護をした。

 替ってあげたいほど、痛々しい。

 意識がないのに、痛みはあるらしく、時々布団の端を引き裂かんばかりに握りしめる。

 その手を重ねながら、エレナはただ見ているだけだった。

「薬草を調合したの。幻覚作用があるきついヤツだけど、兄様はしばらく意識が戻りそうにないし……」

 突然、フロルが薬をもって話しかけてきた。

 小さな手で一生懸命挽いたのだろう。手も顔も薬草の露で緑色になっている。

「大丈夫です。その子の薬はよく効きますから……」

 奥のベッドからフィラの声がした。


 翌朝、ブレインの一人、ベルヴィン公がお見舞いに来た。薬が効いたのか、セリスは昏々と眠り続け、目覚める様子はなかった。

「フィーマ様は、今だ見つかりません。もう……」

 その報告に、フィラは目を伏せた。

「以前、主人から聞いたことがあります。巫女は生涯を終えるとき、エーデムリングの金剛門を抜けることを許されると……。もしかしたら、フィーマ様は……」

 その時だった。

「キャァア!!」

 甲高いフロルの声が響いた。ベルヴィン公は驚いて、小さな少女の元へ駈け寄った。

 フロルは、せっかく作った薬をすべて床にこぼして、立ちつくしていた。エレナは、セリスの手を握ったまま、その変化を呆然と見ていた。

「これは……フィーマ様の……遺品なのか……?」

 ベルヴィン公は、奇跡でも見るかのようにつぶやいた。

 セリスの耳横からは、エーデムリングに選ばれた者の証・銀の角が頭を出していた。


 通常、十歳から十三才……遅くても十五歳までには生えてくるはずの角。セリスはすでに十七歳になっていた。

 最後の巫女姫・フィーマが乗り移ったといってもおかしくはなかった。

 しかし、時期はずれの角は、通常一日で収まる苦痛を、三日間にも渡ってセリスに与え続けた。その上、命をも危ぶんだ。

 砦の人たちは、フィーマを探すことをあきらめ、今度はセリスの命が尽きぬように、祈りを捧げた。

 エーデムリングの結界のために……。

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