四章

交わらぬ道


 セリスは地底湖のほとりにたたずんでいた。

 この冷たい水に触れるのは、セリスにとっては、苦々しい思い出に触れることでもあった。

 ここまでエレナが見つからないとは……。

 まさか、この湖の中、息絶えているのではあるまいか?

 恐ろしい想像が頭をよぎり、セリスは水面をのぞいてみた。

 水の中には、エーデム王族にふさわしい角を持つ自分の姿。セリスはそっと角に触れる。


 十七才で角有りとなった。

 あまりにおそい年齢……。


 ふと思い出に落ちて行きそうになって、セリスは慌てた。

 考えている場合ではない。早くエレナを見つけなければ……。

「氷竜たちよ、エレナはどこへ行ったのか? 教えてはくれまいか?」

 鍾乳洞の奥で、ゴオオオォと声がした。



***



 摂政となったセリスは、ブレインたちが驚く中、エーデムリング側対岸に村をおこし、難民を移住させる計画を打ち出した。

 その工事は困難を極めるのは必至、労働にたずさわった者は、移住後五年間に渡って税を徴収しないという、ブレインたちには首しめに近い案であった。

 だが、セリスは強行した。

 有り余った人々に、労働と新たな故郷・夢や希望を与える大事業だった。

 瑠璃門が見える場所に、エーデムの民が集える広場を設置し、セリスはその一角に、石つぶての男を埋葬した。

「エーデムの民が、二度と苦しみに身を貶めぬよう……」

 セリスの角は、その後も生える様子はなかったが、摂政として人々につくす姿は、多くの人々に受け入れられ、尊敬を集めた。


 エレナもホルビンも、セリスと逢うことはめったになかった。それだけ摂政は忙しく、エレナはたまに砦を視察するセリスを遠目で眺めるだけだった。

 セリス・十七才。

 父・アル・セルディンと同じくらいの長身となり、伸ばし続ける銀の髪は、すでに膝あたりに達していた。

「あなた様は、アル様ほどとはいえませんが、エーデムリングに属し、金剛門を開ける力があると、わしは感じるのじゃ。角が生えてこぬとは、解せぬのう……」

 巫女・フィーマは、いつも不思議そうにセリスに語っていた。

「母の血がそうさせるのでしょう……」

 セリスは目を伏せた。


 母の血……。

 それだけではない。

 エーデムリングにふさわしくない罪を犯しているゆえ。



 セリスは、母としっくりした関係になかった。

 母は、平民の血を嫌って責められていると思っている。しかし、セリスにはもう一つ、大きな……母にはいえぬ秘密があった。


 ――私は、この人の仇ともいえる。


 セリスは、母の目を見ることが出来ない。

 母の愛情に満ちた眼差しが、いつ自分を糾弾する瞳になるかと思うと、怖かった。


 最近、母の体調が悪い。元々身体が弱い人だった。

 幼い妹には、まだまだ母の介護は出来そうにない。

 妹のフロル……。セリスにとって、唯一の心の安らぐ存在だった。この明るく元気な妹の成長が、何よりも心和ませる。

 妹が笑う。セリスは目を細める。

 フロルは兄の髪の毛を引っ張って、遊ぼうとおねだりする。時間が限りなくあるならば、妹のために限りなく遊んであげられるのだが……。

 体調の悪い母が、フロルと遊べるはずもなく、フロルの大きな緑の瞳が涙でいっぱいになっているのに、セリスは心を鬼にして仕事に出かけなければならない。

 セリスが、家のこと・フロルの相手や母の介護のため、エレナ・ホルビンを雇うことにしても不思議はないことだった。



 エレナ・十三才。

 内向的なエレナに仕事を持たせる事によって、少しでも外に目を向けさせる事が出来たなら……という親心。ホルビンが自分の娘をセリスに推薦した理由であった。

 嫌だと言うのでは? という心配は、ホルビンの危惧に終わった。

 周りの人がうらやむような、名誉ある仕事。それよりも、セリスのために働けることが、エレナにとってはうれしかった。


 しかし、エレナは初日、いきなり落胆させられた。

 久しぶりに話すセリスの態度はエーデムの摂政であり、花冠のことも、あの辛い夜を一緒に乗り越えたことも、まったくおぼえていないようだった。

 エレナが、はい……しか言えない間に、さくさくと命令だけを残し、セリスはすぐに部屋を出て行こうとした。

「あ、あの……」

 つい、エレナが声をかけると、冷たい目のままセリスは振り返った。

「何か?」

「いえ、その……」

「何もないなら呼び止めないでもらいたい。忙しい身なのだ」

「す、すいませ……」

 エレナの言葉も最後まで聞かずに、セリスの姿は消えていた。

 まるではじめて会ったかのようなセリスの応対に、エレナは打ちのめされた。


 ――そう……あの人は、王族でありますもの。私は平民……。

 気軽な口など、聞いてはいけないのでしたわ。


 まるで、エレナの心を読んだのか、ベッドの中からセリスの母親が声をかけた。

「エレナ、許してあげてくださいね。あの子は、このガラルのこと・エーデムのことでいっぱいなのです」

 フィラ・セルディン。エレナの義理の叔母にあたる人である。

 そして、母の死に堪えきれなくて泣き叫んだエレナを、父がくるまでずっと抱きしめていてくれた優しい女性。

 気がつけば、セリスはこの母親に「行ってきます」の声すらかけずに出て行ったのだ。


 砦のかなり上部に住むセルディン一家だが、エレナの家よりもはるかに狭い空間だった。セリスはほとんどの時間をさらに上層部にある執務室で過ごし、時にはそのまま帰ってこない日も多いらしい。

 窓を開けると風が通るが、病人にいい環境とはいいがたい。まだ、エレナの家の方が日当たりもいいほどだった。

 エレナは掃除を終えると、買出しにいこうとした。

「? あ、あの……フィラ様? これでは……」

 渡されたお金を数えて、エレナはいいにくいことをいわなければならなかった。

「ええ、わかっています。これでは一人分のお食事も作れないでしょう。でも、ごめんなさい。それでなんとかやりくりしてください。幸い……私はあまり食べられないので……」

「それでは、いつまでたってもお身体がよくなりません!」

 エレナは思わず叫んでいた。

 これでは、摂政はエーデムで一番貧しい夕食を食べなければならない。

「私たちが我慢すれば、イズーでの贅沢な生活を忘れられない他のブレインたちも、不満を持ちながらもしたがってくれます。私たちは、国民の血税で養われている身の上ですから……」

 青白い顔のフィラは、かつて『清楚な百合』にもたとえられた微笑みを浮かべた。

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