傘さし狸と迎え人 ――蛙――13


 まさにこの世にただ一つ。かけがえがないのは、絵も人も同じというわけか。


「確かこの絵師の出身は、化け狸の伝承で有名な四国徳島だったはずです。おそらく悪戯心を起こした絵師が、郷里の妖怪をモデルに掛け軸を描いたんでしょう。そして望郷の想いがこもった絵には常ならぬ力が宿ってしまった。だから時々掛け軸の中から脱け出しては、往来で悪さをしてたんですよ。こんなに手酷く扱われたんじゃあ、もうそれも難しいでしょうがね」


 途端、漱也の脳裏にご隠居の言葉がよみがえった。


 

 昔、この三軒先に呉服屋があってね、その奥に浮世絵の掛け軸が飾られてたんだよ。わしら将棋仲間はちょいと一局って時に拝んでたんだが、そりゃ大層な美人だったな。こう、お武家さんのお屋敷の前に、蛇の目傘さして凛と立ってね。うん、そう、漱也くんの言う狸の化けた女の人によく似てたよ……ん? その掛け軸かい? ああ、今はもうないんだよ。それが、ひどい話でね。



「商売に失敗した息子夫婦の尻ぬぐいとして、借金のカタに店ごと売り払われたそうです。親から継いだ商売を畳むはめになって、よほどがっくりきたんでしょうね。本来の持ち主である店主は、じきに体を壊して亡くなったんだとか。この掛け軸はね、表町のリサイクルショップの倉庫で埃をかぶってたのを、特別にお借りしてきたんですよ」


「……いや、小鳥に盗ませたんだろ」


 手口自体はファンタジーだが、立派な犯罪行為だ。


 じろっと漱也に半眼でにらまれた蒼生は、誤魔化すように咳払いをすると、


「さて、まだ思い当たりませんか? 店が売り払われたのは、今から十五年前にあたる、梅雨の明けきらない七月の半ば――ちょうどアンタが家に帰された頃なんですよ」


 途端、羽根川の目が見開かれた。起き抜けに頬を打たれたような顔つきだ。


「彼女は、借金のカタに売り飛ばされる自らの運命を悟ったからこそ、アンタを手放したんじゃないでしょうか。わざとキツイ言葉を投げかけて、もう二度と家出することのないように――幻の女の影を追って当て所なく町をさまようことのないように」


 膝の上で握った羽根川の拳が、かすかに震えているのがわかる。


 しかし直後、きつく引き結んでいた唇を開くと、


「……は、馬鹿馬鹿しい」


 痛々しくかすれた声を吐き出した。

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