傘さし狸と迎え人 ――蛙――12

 折り紙というものは、形のすべてが面と線の屈折と、紙を染めた色の調和からできている。ただそれだけのものが、これほどまでに美しいのだ。誰がいつ考え出したとも知れず、しかし時代を超えて受け継がれてきたのは、極限まで単純化された美しさの故なのだろう。


 たちまち完成したそれに、蒼生はふうっと息を吹きかける。


 途端、ぐにゃっと熱した飴細工のように形が歪む。現れたのは、紅猿子を彷彿とさせる赤い小鳥だ。


 ――物から、生き物へ。


 そう、おそらくこれこそが折紙堂の術なのだ。


「それじゃあ、頼みましたよ」


 言うが早いか、折り紙から生まれた二羽は、先を争うように飛び出して行った。


「さて、と。これで後は待つばかりですね」


 しばらくの間、蒼生は黙ってお茶をすすっていた。


 三十分ほど経ったろうか。


 開け放しになった戸口から、先ほどの小鳥が一羽飛びこんできた。蒼生の肩にとまった小鳥は、くちばしに奇妙な物をくわえている。


 なんと黒フレームの角縁眼鏡だ。それを蒼生の膝に落とした小鳥は、すり、と蒼生の頬にくちばしをすり寄せるや否や、ぱっと元の折り紙に戻ってしまった。


(あれ? この眼鏡、どこかで見覚えがあるような)


 そう漱也が首を傾げた、その時。


「すみません! さっきこの店に小鳥が――」


 ガラ、と引き戸が開いた。そして息を切らせて飛びこんできたのは――。


「羽根川先生?」


 とっくの昔に教職員用アパートに帰ったはずの羽根川だった。


「さ、早冬? お前、一体どうしてこんな所に」


 ぽかんと口を開けた漱也に、羽根川もまた狐につままれた顔をしている。

 と、その時。


「ようこそ。お待ちしてましたよ、羽根川先生」


 凛とした声が空気を裂いた。


 声の主は蒼生だった。膝の上の眼鏡をとって羽根川へと差し出しながら、


「だいたいのいきさつは、この人に聞かせてもらいました。今から答え合わせをするので、ちょっとお立合い願おうと思いましてね。そら、ちょうどいいところに」


 言うや否や、羽音をたててもう一羽の小鳥が飛びこんできた。


 その足に一本の掛け軸が握られている。ぽとっと蒼生の膝に落とすと、やはり元通りの折り紙の姿に戻っていった。


 慣れた仕草で掛け軸の巻緒をといた蒼生が、畳に軸を置いて丁寧に広げていく。


 現れたのは、浮世絵の美人画だった。


 素人目にも巧みな筆遣いに圧倒される逸品だ。ただし状態は悲惨の一言に尽きる。絹地の表面にぽつぽつと斑点状の黴が目立ち、よほど保管が悪いのか茶色の雨染みまであった。


 そして。


「とくとご覧なさい。この掛け軸こそが、アンタの探し続けた答えですよ」

 一瞬、羽根川が呼吸を止めたのがわかった。横から「あ」と漱也も声を上げる。


「そんな、まさか」


 呆然と呟いた羽根川の声が震えている。


 視線の先にあったのは、金襴緞子をまとった一人の花魁だ。


 灰色がかった武家屋敷を背に、まるで大輪の花のように蛇の目傘を咲かせながら。


「そう、彼女こそが、幼いアンタに手を差しのべた傘さし狸なんですよ」

果たして、その姿こそがかつて羽根川の出逢った幻の女そのものだった。


「初めから、もしやと思ってはいたんですよ」


 愕然と声を失った羽根川に、蒼生は淡々とそう切り出した。


「一口に江戸時代と言っても、優に二六〇年。美女は世につれ、世は美女につれって言うわけじゃありませんが、その時代ごとの顔ってものがあるんですよ。だから浮世絵に描かれる美女も、描かれた時期によって条件が変わるんですね。八頭身に及ぶ長身に、すらりと長い手足、切れ長で涼し気な目元――アンタの語った女の容貌は、一八世紀後半の天明期に描かれた、いわゆる天明美人の典型なんですよ」


 まさに立て板に水の調子だ。しかし肝心の羽根川は、身じろぎ一つせずに固まったまま、聞いているか否かも判然としない。


「浮世絵と言えば、版画のイメージが根強いですけどね、もともとは肉筆画から始まったんですよ。安価な木版画が量産されるようになってからも、この絵のような掛け軸や屏風絵として、肉筆画の注文制作を請け負うことも多かったんです。要は、金持ち御用達のオーダーメイド作品なんですね」

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