刃は夜闇に煌めく-1/3

 夜に訪れる深き眠りの中、その先にある階段を降りれば着けるのか。はたまた昼に歩きに歩いた地平の向こう、日が昇る所にあるものか。

 帆船で波を切った先、大海原の彼方にあるものか。巨木ひしめく山の中、山頂超えた先にあるものか。どこにあるかは誰も知らない、向かおうとしても向かえない。けれどもそれは確かにある、剣と魔法が支配するその世界。名をイリシアといった。

 このイリシア世界の大陸の西にミルドナイト=フスという都がある。またの名を<享楽の都>といって、イリシア最大の都市パンネイル=フスに勝らずとも劣らない大都市だった。


 ミルドナイト=フスは大きく広げた湾を持ち、海を越えた先にある国々との交易で栄えていた。様々な国の商人達が行き交うこの都市で力を持つのは貴族ではない、商人だった。政を行うのは貴族達であるが、その貴族達を動かすのが商人である。

 権力とは血筋でも武力でもなく、かといって知力でもない。この都で権力と財力はほぼ同等の意味合いを持つ。金さえあればどんな夢でも叶い、不可能なのは不老と不死の二つぐらいしかないという。

 大都市の放つ輝きは眩いものだが、光れば光るだけ深く濃い影も差す。<享楽の都>といえど悦楽に浸れる人間ばかりではない、一〇人いれば八人はその日の暮らしに精一杯というのが実情である。


 ミルドナイト=フスの港湾近く、都の中心部は潮風にも強い石造りの強固な建物が多いが、外縁部には木造の掘立小屋ばかりが立ち並び庶民貧民はそこで暮らしていた。

 そうした掘立小屋の一つで、一人の女の命が潰えようとしていた。女の齢はまだ二〇になるかどうかというところ、けれどその肌に瑞々しさはなく枯れていた。瞳は白く濁り、光を失って久しい。長く伸びた髪からも艶は失われ縮れてしまっており、鼻はとうに腐り落ちている。


 女は病に侵されていた。女は娼婦で、街の中心部の娼館で客を取っていたのだが、その仕事の中で病に蝕まれてしまったのである。

 彼女のように病に掛かる娼婦は少なくない。毎日のように数多の男と肌を触れ合わせるのだ、自然と病の気に晒される。娼婦とはそういう商売であり、彼女が病に倒れて娼館から放り出されたことも、医者から見放されて命を失おうとしていることも特段に珍しいことではない。

 けれども彼女は運が良いほうだった。娼婦の最期は誰にも看取られず、屋根の無い場所で潰えることも多い。だが彼女は隙間風吹く掘立小屋だが屋根があり、寝台の上に寝かされていて、さらに隣には弟がいて手を握っていた。


「姉さんどうか死なないでください」


 弟は涙を流し、自らの熱を伝えるかのように姉の手をなでる。姉はその言葉に何も返さない、聞こえているのかどうかすら定かではない。手を強く握りしめた。

 流れる血の脈動を感じたが、一つ脈打つたびに力が弱くなってゆく。弟はもう言葉も出せず、ただただ姉の手を握り締めて祈り続けた。誰隔てなく救いの手を差し伸べるという<新聖なるマールクリス>に祈りを捧げ続けた。

 空から星が一つ、流れて落ちる。瞬きするよりも早く消えた一筋の光を知る者は誰もいない。

 


 

 さて、このミルドナイト=フスの中心からやや外れた場所、もっとも雑多な人々が行きかう辺りに<静夢亭>という店がある。治安が良いとは決して言えない立地だったが、昼夜問わず常連客で賑わう店だ。

 この<静夢亭>に三か月ほど前から常連が二人増えていた。どちらも大男で、一人は<峻険なるダンロン山>に生まれた戦士のカブリ、一人は<クレアイリスの森>に生まれたエルフ族のブレトという。どちらもいわゆる無頼漢である。


 二人は元々パンネイル=フスを根城に活動していたのだが、<混迷の都>を守る兵士と刃を交わさざるを得ない事態があった。そのために<混迷の都>を離れざるを得ず、ほとぼりが冷めるまで諸国漫遊の旅に出ている。

 けれどもその旅の道中で路銀が尽きて二進も三進もいかなくなってしまった。そこで二人は旅を続けるための資金稼ぎに<享楽の都>であるミルドナイト=フスにやって来て、<静夢亭>を拠点とすることに決めたのであった。


 ブレトは持ち前の器用さを生かして木工細工を彫ってはそれを商人に売りつけていた。カブリは鍛え上げられた肉体と剣技を使い、用心棒の仕事を請け負っている。やる事が異なるためすれ違うことも多かったが、二人は日に一度は必ず<静夢亭>で顔を突き合わせることにしていた。


 その日、ブレトは四人掛けの机を一人で占有し黙々と彫り物を行っていた。度々店の入り口に目を向けるが、扉が開けられ鈴が鳴る気配はない。酸味の強い葡萄酒を口に含みながら首を傾げた。

 窓から差し込むのは西日で、色は赤くなっていた。

 ブレトとカブリは日の高いうち、太陽が頂点に至る頃に毎日落ち合う取り決めをしているのだ。けれどもカブリはやって来ない、しかしブレトは一切の心配をしていなかった。


 カブリという男は直情気質で、馬鹿といっても良い男かもしれない。されど体の強さと剣技の冴えは一級品であり、大抵の難事はその腕力で切り抜けてしまう豪胆さがある。

 なのでブレトは気にかけず、どうせ面倒事にでも巻き込まれているのだろう面白い事件なら自分も巻き込まれたかった、そんな事を考えながら木片に小刀を入れ続ける。

 木片が人の形になり、後は仕上げのヤスリを掛ければ出来上がり、という頃には日は傾き切っていて、窓から差し込む明かりよりも店内に灯された蝋燭の火のほうが強くなっていた。


 そんな時間になってけたたましい鈴の音とともに勢いよく店の扉が開けられた。こういう開け方をするのは一人しかいない、カブリである。ようやく来たかと、ブレトは溜息を一つ吐いて彫り物用の小刀を鞘に納めた。

 カブリは店に入るやいなや店員を呼びつけ、蒸留酒と適当な肉料理を持って来るように言いつけた。それから大きな足音を立ててブレトの座る机にやってくると、ブレトの目の前に座る。


「随分と遅かったじゃないですか、というか仕事は良いんですか? やってるのは娼館の用心棒でしょうに。この時間から面倒な客が増えるから忙しいのだ、なんてこの間言ってましたよね」

 ブレトが言うとカブリは腕を組み、大きなため息を吐き出した。

「忙しいのは確かだが、夜は暇になってしまった。客が全く来んのだ、だから用心棒の仕事は無い、そう言われてしまってな。代わりに人を探すよう頼まれてしまってな、昼間にずっと歩き回って探しておったのよ」

「はぁ、人探しですか。それはまぁ大変な」


 なんて無茶な事をしているのだ、そして頼んだ方も人選を誤っている。というのがブレトの素直な感想だった。カブリは腕っぷしこそ目を見張るものがあるが、頭を使うこととなると話はまた別である。

「それで一体、誰を探してるんです? ツケを踏み倒したやつでもいるんですか?」

 カブリは首を横に振った、尋ねたブレトもまぁそうだろうとは思っていた。

「辻斬りの犯人よ、ひと月ほど前から何人も切り殺されておってな。そのぐらいはお前も知っているのではないか?」

「いいえ、知りませんね。パンネイル=フスもそうでしたけど、このミルドナイト=フスでも殺しなんて珍しい話じゃないでしょう。というよりも何でカブリさんが犯人捜しなんてしてるんですか、そんなものは捕物の役人がやるべき事でしょうに」

 またもカブリは溜息を吐いた。


「連中が動くのはそこそこ金を持っとる商人か貴族、それか身内がやられた時だけよ。斬られたのはどいつもこいつも、どこにでもいるような普通の男共だからな。通じているのは女と遊んだ帰り道、という事だけだ」

 なるほど、そういう事かと納得したブレトは頷いた。それなら用心棒のカブリまでもが動員されるわけだ。きっと今も、娼館を運営している旦那連中や女衒達が血眼になって通り魔を探しているに違いない。


 ただカブリの言った事で気になることも一つある。娼婦を買った帰り道に襲われた、と分かっているのだ。となれば、犯人は娼館の近くで獲物が出てくるあるいは入っていくのを見張っているということになる。

 娼館の前には不埒な客が寄り付かないように用心棒が立っているのが普通であり、誰かが怪しい人物を目撃しているのではないか。実は目星が既に付いているのじゃないだろうか、そうブレトは考えた。

「いやいやちょっと待ってくださいなカブリさん、そこまで分かっているなら早いのではないですか? あなたでなくても他の用心棒なり、誰かが不審な人影を見ているのでは?」

 カブリは首を横に振る。


「俺もそう思って他の店で用心棒をやっとる連中に聞いてみたのだ。ところがだ、連中の方が逆に知りたいという始末だ。誰もそんな奴は見ておらん、という。そこで俺達はある事を考えた」

 そこまで言った所でカブリは急に辺りの視線を気にし始め、店内へと視線を巡らせた。ちょうど店員がカブリの頼んだ品を運んで来るところ、カブリは悠然と構え机の上に酒と料理が並べられるのを待った。


 そして店員が去ると蒸留酒の入った杯を一気に傾け、口から漂う酒精の残り香がはっきりと分かるほどブレトに顔を近づける。

「こいつは魔法使いの仕業かもしれん、そう考えた」

 酒の臭いから逃れるようにブレトは体を後ろに倒す、カブリは追いかけ机の上に半身を乗り出した。そこでブレトは諦めて小さく息を漏らしながら肩を落とす。


「それは突拍子が無さすぎやありませんか。熟達した盗賊としての技を持つ者ならどうです、そういう者なら人の目から逃れる術ぐらい身に着けていますよ。大体、斬り殺されてると言ってたじゃあないですか。魔法使いが刃を使いますかね」

「俺だって最初はそう思ったともよ、ところがそれはないのだ。断言できる理由がある」

「ならその理由ってやつを教えて下さいよ」

 尋ねるとまたカブリは周囲の目を気にし始めたのである、聞かれると良くないことがあるらしい。といってもブレトは大した理由などなく、この男が勿体ぶっているだけだと決めつけていた。

「教えてやるからちょいと耳を貸せ」


 カブリは椅子の上に腰を落ち着かせ、ブレトは呆れながらもおとなしく彼の言うことに従い、頬杖を突きながら耳を近づける。

「娼館の旦那連中だがな、街の盗賊組合と繋がっておったのだ。何故繋がりがあるのかは知らん、しかし通じ合っているのは確かでな。その盗賊組合が娼館の利にならん事をするはずがない。それに殺された奴は何にも奪われてはおらん」

 これを聞いてブレトは思わず感心してしまった。カブリの述べた内容にではない、娼館と盗賊組合の繋がりを知られないようにしようとするその行動にである。そんな勤勉さを持ち合わせていたことに驚いたのだ。


「けど、だからといって魔術師の仕業と決めつけるのは早くありませんかね。組合に属していない盗人だっているでしょう、それとも普通じゃ有り得ないような殺され方でもしてるんですか?」

「いいや、そんな事はない。俺も死体を検分してみたが、ありゃあ見事なものだったぞ。たった一刀で肉を割いて骨を断っていた、一目見て相当な修練を積んでなければ出来ん芸当だった、惚れ惚れするほどにな」

 ブレトの眉間に深い皺が刻まれる。


 カブリの言うことが本当なら、ますます魔術師の仕業などでは有り得ないではないか。魔道を征く者は剣の道を歩まない、魔術師如きがカブリが驚嘆するほどの剣技を身に着けているわけがないのだ。

 ならどうして彼等は魔術師の仕業だと決めつけたのか、根拠が薄すぎる。そこでブレトはふと気づいた、これもしかしてカブリが勝手に言っているだけじゃなかろうか。

「あの、カブリさん。さっきは俺達と言ってましたけど、もしかして魔術師だと言っているのあなただけじゃありませんかね?」

「あぁそうだが、他の連中は有り得ないとばかり言いよる。それこそ有り得ない話だろうがブレトよ、理屈で考えてもみろ。熟達した剣士は誇り高いものだ、俺みたいにな。そんなやつが辻斬りなどするか、いいやしまい。そして盗賊ではないのに卑劣な事をするのは商人、特に金貸しと相場が決まっておるが、商売人が剣技を修められるわけがない。だが魔法使いならどうだ、連中なら魔法で剣の技だって再現できるに違いないぞ」


 あぁやっぱりそうだ、真面目に考えて損をした気分だ。ブレトは全身から力が抜けていくのを感じ、景気づけにとカブリの杯を奪って度数の高い蒸留酒を喉へと流し込んだ。

 果実酒よりも激しい熱で喉が焼かれるようだったが、おかげで椅子から滑り落ちずに済んだ。といっても呆れからくる溜息を止められはしなかったが。

「途中からそんな事ではないかと思いましたが、そりゃ短気というもんですよ」

「何を言うか、俺はパンネイル=フスで活動し今はこのミルドナイト=フスを根城にする都会人だぞ。都会人というのは利口なもんだ、その利口な俺が魔法使いだと言っている。それが間違いだというんならな、お前は目星がついているんだろうな?」

 考えを否定された、というよりも酒を奪われたことに対する怒りの方が強いのだろうがカブリは口を尖らせた。


「そんなものつくはずがないでしょう。手掛かりがある、というならまだしもですよ、話を聞いている限りじゃそんなもの全くないじゃないですか。といっても、思うところはあるといえばありますけどね」

「ほう、なんだそれは言ってみろ」

 カブリは腕を組みふんぞり返っている。何を偉そうな態度をとるのか、そう思いはすれどもカブリとはそういう男。ブレトはこれについて何かを言うことは無い。


「目星というほどのもんじゃないと前置きしますよ。犯人は恨みで動いてるんでしょうよ、物盗りじゃないっていうのならそのぐらいしかありませんよ」

「なるほど、恨みかそりゃ有り得そうな話だなブレトよ。しかしだな、何に対しての恨みなのだ? 娼館あるいは娼婦に対してじゃないか、と思いそうになった。だがそれだとおかしな話だ、そういうのを恨んでるならどうして客を斬る? 娼婦や旦那連中、あるいは俺達用心棒は一切手を出されておらんぞ」

「さぁ、皆目見当もつきませんね」

 ブレトは首を横に振った、頭を働かせれば幾らでも浮かんできそうだった。けれどそれは想像力を働かせて生み出した妄想と呼べるものであって、推理推察と言えるようなものではない。


 カブリは腕を組んだまま鼻から息を吐きだした。

 これでこの話は終わり、後はこっちが代り映えのしない日常を送っていた話をして一日が終わる。ブレトはそう思っている。

 けどもカブリは話を終わらせなかった。


「なぁブレトよ、乗り掛かった船ともいうだろう。お前もちょっと犯人探しに付き合わんか? 旦那連中は犯人をとっ捕まえたら報奨金を出すと言っとる、俺と山分けになる形になるがその辺は別に構わんだろ」

「はい?」

 果実酒の入った杯を胸の高さまで持ち上げながらブレトは首を傾げ、顔を引きつらせた。カブリの話は愚痴を零しているのと変わらなくて、話を聞くだけだと思っていた。ところがカブリ、ブレトを巻き込む気になっている。


 ともあれ、ブレトは果実酒に一口つけて少しばかり気を落ち着かせた。突然に話を持ち掛けられたので驚いてしまったが、悪い話ではない。路銀を稼ぐためとはいえ日がな一日、材木と格闘するのに飽いていたところがある。

 そこにやって来た殺人犯探し、興味を惹かれているのが本音だった。元々、ブレトは森の中で狩人をして暮らしていた男である。対象が何であれ、獲物を追いかけるとなると心が躍るところがあった。


「やるかやらんか、そのぐらいはすぐ口にして欲しいもんだな」

「えぇえぇ、やりますよ、やりますとも。やるんだったら早くしましょう」

 ブレトは机に両手をつきながら立ち上がる。口では不承不承といった風を装いはしたが、その目の輝きを隠すことはできない。ブレトの目からはすっかり穏やかさが消えて、狩猟者の鋭さが宿っていた。

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