我に故郷なし-4/4

 ハビラ=ラーコイムがダンロンの山々を目指し旅立った後、三人はすぐ戻る事はせず泉で一日野営する事にした。

 明けた翌日、彼等がまずしたことは己の体を傷つける事だった。短剣で服と皮膚を裂いて切り傷を作り、焼いた枝を肌に押し付け火傷を作り出す。それだけでなく炭や灰を全身に塗りたくった。


 これらは苦痛が伴う行為であるが、ニグラの提案で歯を食いしばらせながら自傷することを選んだのである。

「話し合いで立ち去らせただなんて、エルフ達が納得しないわ。戦ったということにしておきましょう、そのためには傷を付けておきませんとね」

 彼女はこう言ったのである。


 ブレトは即座に納得し、かつ承諾したのだがカブリは良く思わない。何に対しても正直な行いを良しとするのがカブリという男。言葉で解決できたなら素直にそう告げるべきで、戦って追い払った等という嘘を吐く知恵を認めない。

「俺達は言葉で分かり合ったのだ、それが真実だ。和解の証として牙も貰ったではないか、嘘を吐く理由などどこにもないわ」

 こう反論して自らを傷つけるのを良しとしていなかった。


「あの頭のお固い人等がそれで納得すると思いますかね? 私達のこと、そんなに信用もしてないですし相打ちになってくれるのが最良と考えてるに違いない。話し合いで解決できた、それが揺るぎのない真実ですが彼等にそんな度量はありやしませんよ」

 ブレトにそう言われたカブリは少し想像してみたのだ。


 集落に戻り真実を語ったら彼等はどのような反応を、表情を見せるのだろうか。一度だけでなく、二度三度と頭の中で幾つかの想定を行った。

 どれだけ考えた所でブレトの言うとおり、里のエルフ達が真実を受け入れる事は無い様に思えたのである。どれだけ真実であるか熱弁を奮った所で、聞き入れる器の無い者には意味がないことぐらいはカブリも分かっていた。


 嘘を吐くのも難儀だがエルフを分からせるのもまた難儀。天秤に掛けた時、嘘を吐くほうがまだマシというもの。それに嘘を吐いた所で竜と和解したという事実は変わる事がないし、ブレトという相棒が証明してくれる。

 と、こういうわけで結局はカブリも里のエルフ達に作り話をすることを承諾し、自傷する事もまた飲み込んだのであった。


 エルフ共を分からせるためという名目はあるものの、自分の体をそれらしく傷つけると何だか腹が立ってくる。怒りで刃を入れすぎてしまいそうになったところで、楽しみが一つあることを思い出した。

 ブレトの嫁探しである。

 嫁、というよりかは幼馴染が安息に暮らしているのかどうか。これを知りたいというのがブレトの本音だろう、ということはカブリにも分かっている。


 といってもクレアイリス里のエルフ達には嫁を寄越せ、と言っているのだから実質これは嫁探しと言っても過言ではあるまい。

 カブリはブレトの幼馴染がフレスノ、という名である事ぐらいしか知らない。一悶着あった事ぐらいは知っているが、そこはブレトが語ってくれなかったので想像に頼るしかない。そして想像するしかないぐらいなら、考えない事も間々あるのがカブリという男。

 何せ行動を共にしている相棒の幼馴染である、どんな顔をしているのかどんな話し方をする女なのか、大いに気になるところであった。


 ただ一つだけ懸念がある。

 ブレトはフレスノと再会したらどうするのだろうか。嫁が欲しい、と言ったのは幼馴染の顔を見るための方便であることは充分に考えられる。けれども、もしそれが本音だったとしたら。

 カブリがダンロンを飛び出してパンネイル=フスに来てからというもの、隣にはいつもブレトの姿があった。多くを共に体験してきた無二の友である、彼が結婚するというのであれば心から祝福できる事。これは間違いがない。


 けれどもそうなると、相棒がいなくなってしまうのではないかという、危惧に近い不安がある。ブレトにはブレトの考えがあり、人生がある。彼がそれを望むのであれば、カブリにそれを引き止める気もない。

 それでもやっぱり、気の置けない仲間と離れてしまうのは寂しいものがあった。

 楽しみもあれば寂しさもある、両方を胸に抱えてカブリは帰路に着いていた。



 

 集落に帰って来たのは日が傾きだし、空は赤く森の中の影が濃くなった頃だった。

 三人がこんなに早く戻ってくるとは思っていなかったのか、彼等は日常の生活を営んでいた。女も普通に出歩いており、広場では幾つかの集団に分かれて雑談に興じている。

 しかし、カブリ、ブレト、ニグラの三人が戻って来たのに気付くと、男達は慌てて女を隠し、女達は女達で男に促される間もなく子供を連れていそれぞれの家の中へと身を隠す。


 竜を退けて帰って来たというのに、少しぐらいは歓声を上げてくれても良いものだが、そういった声は全く無かった。やりきれなさを感じてしまうが、彼等はそういう人種なのである。

「えぇい長を呼べい! このカブリ、ブレトそしてニグラの三人は貴様等の言う竜を退治して見事戻って来たと伝えよ!」

 集落全体に響き渡る大声でカブリが呼ばわった。その声の大きさに外に出ていたエルフの大半は身を竦ませたが、一人だけ駆け寄ってくる若者がいた。


 ケタイである。彼はこれ以上は三人を集落に入れさすまいとするかのように、両腕を広げて立ちはだかる。どうも疑っているらしく、眉間に皺を寄せながら三人の姿を根目回す。

 カブリとブレトは自傷した後を見せ、無言ではあるが労苦して竜を退けたのだと主張してみせたが、ケタイの態度は変わらない。

「お前達、本当に竜を退治してきたのか? 竜とはそんな簡単に倒せるものではないだろう。傷だらけに違いはないが、魔法使い殿は全くの無傷じゃないか。戦ってきたように見せかけているだけで、本当はまだ竜がいるんじゃないだろうな?」


 これにはカブリだけでなくブレトも肝を冷やした。疑われているだけならまだしも、洞察によるものなのか偶然なのか、ケタイは真実を言い当ててしまったわけだ。

 無論、ケタイは自分の言葉が真実であるとはまだ気付いていない。しかし、カブリは嘘を繕うのが苦手だし、ブレトも咄嗟には言葉が出てこない。そこでニグラが前に進み出る。

「私は魔法使いで、それ以前に女ですからね。二人が必死になって守ってくださったのですよ、そのおかげでこうして傷なくして帰ってこられたというわけです。私が助けたということもありますが、カブリとブレトの八面六臂の活躍といったらそれはもう凄まじいもの。英雄というに相応しいものでした」

 言い終えてニグラはパチンと手を鳴らした。


 何か施したらしい、ケタイの顔から緊張は消え、穏やかなものになっている。

「なるほどな。そういえば魔剣を使うとも言っていたからそういうこともあるのか。けれども口だけでは納得できない者もいるぞ、証拠となる物品はあるんだろうな?」

「えぇそれはもちろん、言葉だけで証明できるものなぞたかが知れておりますものね。ではブレト、彼に見せて差し上げなさい。牙を引き抜いてきているでしょう」

 ニグラに言われてブレトは背嚢の中から牙を取り出す。ケタイは竜の大きさを知らなかったらしい、大人の前腕ほどもある牙を目の当たりにして目を皿にしていた。


「こ、これは……もしかして竜の牙か? わ、わかった。すぐに長老を呼んでくるから、あぁそうだな。広場で待ってろ、椅子はそのままにしてあるから」

 脅威の一端を垣間見たからだろう、ケタイの声は震えていたし、長老を呼ぶために彼は走ったがその途中で何度も転びかけていた。その様子が可笑しかったものだから、カブリとブレトは顔を見合わせ声を出さずに笑うのだった。

「しかし随分と物分りが良かったがニグラよ、一体何をしたのだ?」

「お願いしただけですよ、信じるように暗示を掛けましたけれどね。そうでもしないと私が言っても彼、素直になりはしなかったでしょうからね」


 本当に暗示という言葉で済ませていい程度なのか、本当は呪いの域に達しているのではないだろうかと疑いたくなる。だが、都合の良い方に流れているのでそこを尋ねる事はしなかった。

 そんなやり取りをしているうちに、ケタイが長老と共にのんびりとした足取りでやって来た。ケタイはまだ興奮が醒めないようで鼻息を荒くしていたが、長老はといえば浮かない顔をしていた。


 長老は三人の前に立ったが視線を合わせないようにと、顔を横に背けていた。

「本当に竜を退治したというのか?」

 無言でブレトは竜の牙を見せた。証拠の物品は何よりも雄弁に物語る。

 しかし確かな証拠を目の当たりにしても長老の表情は翳ったままで、そこには喜びの欠片もない。

「いやぁ、これは実に嬉しいですな。今日は祝いもせねばなりませんし、お礼もしなければなりませんな」

 謝辞の言葉を口にする長老だったが、やっぱり視線を合わせない。


 不意に、ブレトがカブリの背中を小突いた。カブリはその意味をすぐに悟る。

「そうだな、里の女を一人嫁にくれるという約束だったな。エルフ族の女は見目麗しい上に気立ても良いと聞いている、しかもこちらに選ばせてくれるだなどと、クレアイリス里の長老殿は我々の望むものを良く心得ておられる」

 カブリの言葉に長老は明らかにうろたえていた。ブレトはカブリの背中に隠れるようにしながら溜息を吐く、長老の考えている事は大体分かっていた。

 長老の言葉を待っていたが、老人は中々口を開かない。俯き、たまに三人を見てはまた目を逸らすという事を繰り返していた。段々と苛立ちが募り、最初に痺れを切らしたのはブレトだった。


 ブレトはカブリの背中に隠れるようにしていたが、そこから長老の眼前に立った。長老と比べるとブレトの方が頭二つ分は背が高い。無言のまま、ブレトは幾体もの獣を狩ってきた瞳で長老を見下ろした。

 老人の肩がブルリと震える、肝が冷えたのだろう。

「わ、わかった。しかしだ、出来れば考え直しては貰えないだろうか。我々エルフ族は君達の種族よりも数が少ない、あまり子を産む事もないものなのだ。女はエルフ一族にとって貴重な財産ともいえる、竜を倒してくれた事にはもちろん感謝しているとも。けれども、一人とはいえ女を差し出せというのは……その、あんまりでは……。」


 ブレトの眼光がより鋭く重さを持ったものとなる。無言の抗議だ、しかし長老は怯まない。顔を下に向け、小刻みに震えながらも承諾するつもりはないという構えである。

 長老の背後、ケタイは拳を握っていた。手を出せばやりかえす、そういう腹積もりであることは見て明らかである。空気が冷え固まってしまった頃、ニグラが柔らかな溜息を吐く。


「長老様の仰る事は分からないでもありませんよ、子を成す為に女は必要不可欠ですもの。私も女、その事は良く存じております。けれどもあなた方は約束した、契約したのです。魔法使いにとって契約は何よりも重んじられるもの、それを反故にするのでしたらこちらにも考えがあります」

「一体、何を為さろうというので?」

 長老に問われたニグラは口角を大きく吊り上げ、三日月形の笑みを作った。


「竜は死して日が浅く、一部とはいえ亡骸もここにあります。私の秘術を用いれば甦らせる、とまではいかなくとも竜の力を持った魔物を作るのも容易い事。それを置き土産とさせて頂きますわ」

「わ、わかった……。 わかったから広場で待っていてくれ、すぐに女を集める」

 カブリとブレトにはニグラがはったりをかけたような気がしないでもなかったが、ニグラなら本当にやりかねないという気もする。


 少なくとも長老とケタイはそう信じた、あっという間に血の気が失せて死人と見紛うほどに顔を青ざめさせる。そのまま足をもつれさせながら二人は里へと戻っていく。

 その後を追いかけるようにして三人も里へと入り、広場へと向かう。宴席で使っていた丸太椅子がまだ残されていたので、三人はそれぞれ腰を下ろした。

 ニグラの脅しは効果覿面で、長老は三人の前に里の女を並べ、立たせた。実際の年齢は分からないが、見た目の年齢はカブリとそう変わらず二〇から三〇の間といった所か。人数は一〇より少し多い程度で、カブリが思っていたよりも少なかった。


 噂に違わず、エルフの女はみな美しかった。色が白く透き通るような肌を持ち、髪は絹糸のようにつややかで、全体的に線が細くそれでいて胸や尻もある程度は出ている。絵画や彫刻から飛び出たかのようであり、どこか浮世離れしている印象を与えてくる。

 カブリはそのエルフ女性の美に感嘆の息を漏らしたが、それだけだった。それというのもエルフ女性は確かに美しいのだが、カブリの好む美しさとは類型が違っていた。興味があるのは、この中の誰がブレトの幼馴染であるか、というだけだ。


 さぁて一体誰がそれなのか、見定めしてやろうとカブリは不躾な視線を彼女達に向けた。エルフの女達は嫌悪も露に目を合わそうともしない。直感だが、この中に件の幼馴染はいないのではないか、そんな気がした。

「おいブレトよ、この中にお前好み……というか探しているのは幼馴染だろう? 誰なのだ、教えろよ」

 カブリは誰にも聞こえぬようブレトにそっと耳打ちしながら、茶化し気味に肘で小突いてみせた。


 しかしブレトは動かない、彫像のように身を固くしていた。これはどうも様子がおかしい、感激のあまり、というにはブレトから色が感じられなかった。

「どうした、何があった?」

 もう一度耳打ちしたがブレトは返事をしない。視線の先を追いかけたが、ブレトの目は女を見ていなかった。男達、それも権力を持っているだろう年嵩の者達へと向けられている。

「面倒を起こします、迷惑を掛けますが我慢が出来ない」

 呟くようにブレトが言った。


 やめろ、と口から出そうになったがカブリは飲み込んだ。面倒事を起こされるのが嫌な事には変わりないが、友の好きにさせてやろうという気持ちの方が強かった。

 好きにしろと言う代わりにカブリはブレトの肩を叩いて三歩ほど離れた。ブレトは頷き、呼吸を整えると顔を隠していた包帯を解く。灰色になってしまった布の下から素顔が現れると、里のエルフ達から息を飲む音がした。


 里のエルフ達、全員の視線がブレトに向いていた。誰もが目を丸くし、中には手で口を塞ぐ者もいた、目を背ける者もいた。

 ブレトは彼等を一度根目回した後、真っ直ぐに長老の下へと向かい老いたエルフを見下ろした。

「尋ねたい事があります、フレスノはどこですか?」

 フレスノというのはブレトの幼馴染の名であり、囚われ極刑を待つだけだったブレトを檻から助け出した恩人の名でもある。


 ブレトはただ、幼馴染であり恩人でもある彼女の無事を知りたかった。それ以上のものを欲しいとは思っていなかった、彼女が安穏と暮らしているかどうかを知りたいだけだった。

 年頃の女達を集めさせたのはフレスノを見つけたかっただけの事、集められた女の中にフレスノの姿があれば、ブレトはそれで良かったのだ。けれど、いなかった。そこでブレトの中で何かが弾けた、激情が体を動かした。


「フレスノはどこにいますか?」

 口を半開きにしたまま震えるばかりの長老に痺れを切らし、ブレトはもう一度尋ねる事にした。返事は中々やってこない。長老は後ずさりながらブレトを指差すばかり。

 ブレトの顔が赤くなる、手は知らずのうちに拳を握り、腕が震えだす。

「どこにいるか答えろぉ!」

 ブレトの声は大気を震わせ、木々を揺らして木の葉を舞わせた。


 普段は穏やかで、常に余裕を漂わせる相棒の大声にカブリも目を丸くするだけでなく、驚きで身が強張った。カブリとブレトの付き合いは長いが、ブレトが激しく感情的になっている所を見るのはカブリも初めてのこと。

「お前の、お前のせいじゃないか……」

 怒気を向けられているために長老の声は小さく、震えてもいたがハッキリとそう言った。言われたブレトは変わらず長老をにらみつけた、もう一度言ってみろ、その目が言っている。


「あれは良い娘だった、物怖じする事はないし面倒見も良かった。だが追放した、そうするしかなかった。全てはお前のせいだ」

 少しずつ少しずつ、長老の声が大きくなる。

「ブレト、お前が逃げ出したりするからそうなったのだ。黙ってお前が死刑になっていれば、我々も彼女を追放せずに済んだのだ。全て、全てはお前が悪いのだ」

「どういう事ですか、私が追放された時にそんな掟はありませんでしたよ」

 長老を睨み付けながらブレトは里で生活していた時の事を、里での掟を思い返していた。様々な掟があった、だがフレスノを追放に至らせるような掟なぞ無かったはず。


「あぁ、そうだとも。無かった、無かったよ。だから作った、皆で合議してな。罪を受けるべき者が消えたのだ、その罪を誰が受ければ良いのだ。逃がしたあの娘が受けるしかない、だから追放すると決まったのだ。お前が逃げなければそれで良かったのだ、都会の毒に汚れた貴様さえ消えればそれで良かった。悪いのはお前だ、お前なのだブレト!」

 最後には叫ぶほどの声量となっていた。長老の言葉に同調した里のエルフ達が、そうだそうだ、と声を上げて腕を上げる。

 お前が悪いのだ、お前が死ねばよかったのだ。罵倒がブレトに浴びせかけられ、ブレトはただ呆然とするしかない。どうして自分のせいにされているのだろう。


 彼らはブレトが悪いと口を揃えているが、フレスノを追放すると決めたのは他ならぬ彼らである。だというのにクレアイリス里のエルフ達は、フレスノを追い出したのはブレトであると責め立てる。

 突如ブレトが仰け反った、額に何か固いものが当たったのだ。足元には角ばった石ころが落ちていて、額に手を当てると真っ赤に染まった。ケタイが歯を食いしばらせ、憤怒の形相を浮かべてブレトを睨み付けている。


 石を投げたのは彼に間違いなかった。

 エルフ達の中で何かが弾けた、誰も彼も、老若男女の区別無く石や枝を拾い上げるとブレト目掛けて投げつける。怒りに任せて投げられたそれらのほとんどは当たる事は無かったが、当たる一撃は強烈でブレトの皮膚を裂いてゆく。

「いい加減にせんか貴様らぁ!」

 カブリが吠えてブレトの前に躍り出て、庇うように立ちはだかる。血走らせた目をエルフ達に向けながら剣を抜いて、白刃を煌かせた。我慢ができない、次の一発が投げられたら斬りかかるつもりでいる。

 ブレトのどこに非があるのか、カブリには分からない。


「お前は余所者だろう! それにそもそも、竜がやって来たのだってそいつのせいかもしれないじゃないか!」

 誰かが言って、剣を構えていたカブリの全身から力が抜けた。頭から水を被せられたような気分だった、どうしてそんな考えに至るのか。雷光の速さで頭を使ってみたが分からない。


 クレアイリスの里のエルフ達は皆ブレトの事を知っている。なのにどうして、竜が来たのをブレトのせいに出来るのか。あまりの信じられなさにカブリの胸で燃え盛っていた怒りの炎が消えていく。冷たい呆れがやって来る。

「ブレト、ニグラ……こいつ等に何を言っても無駄だ。剣を抜いた事すら馬鹿らしく思えてきた、去ろう」

 カブリは剣を収めるとブレトの肩を叩いた。ブレトは項垂れたまま首を縦に振ったが、歩き出す気配が無かった。ブレトにはその気力すら無くなっていた。仕方がないのでカブリは襟を掴んで引きずった、操り人形のようにブレトの足が動き出す。


 その二人の前にケタイを初めとして数人の若いエルフ男性が立ちはだかる。彼等は震えながらも胸の前で腕を組んで、決して通すまいとしていた。カブリだけなら良いのだろうが、ブレトは置いていけ、そういう事なのだろう。

 ニグラに視線を送った、良い考えを持っているのではないかと思っての事だ。カブリの視線に気付いたニグラはニッコリと笑みを浮かべ、首を横に振った。好きにやれば良い、そういう事だとカブリは受け取る。


「退け、俺達はこの里を去る。もう二度とくる事は無い、通せ」

「いいや、そういうわけにはいかん。ただの人であるお前は良い、魔法使い殿も良い。けれどブレトは駄目だ。そいつは罪人だ、罰を受けていない。置いてゆけ」

 ケタイが言った。緊張しているのだろう、その声は上ずっていたが確固たる意思が感じられる。だからカブリは大きく溜息を吐いた。

「ならば死人が出る」

 一度は収めた剣だったがそれを再び抜き放ち、切っ先をケタイの鼻先へと向けた。まだ振るうつもりは無いが、彼等が動きを見せれば鼻をそぎ落とすつもりでいた。


 どこからともなく矢が飛んでくるとも知れず、周囲に視線を巡らせる。怪しい動きは無かったが、ケタイの額から頬に掛けて一筋の汗が伝い落ちるのが見えた。

「もう良い、行かせろ……ブレトなんぞいうやつはこの里にはいなかった、生まれもしなかった。そんなエルフはいなかった」

 沈黙が漂っていた中、長老の声はやけに大きく響いたような気がした。ケタイの胸が一度大きく膨らみ縮む、そして彼は道を開けた。カブリは剣を収めず手に持ったまま、エルフ達の鋭い視線を受けながらブレトを引きずった。その後をニグラが続く。


 里を離れるに連れてブレトの気力が戻って来たらしい、少しずつ彼は足に地を付けて自らの力で歩き出した。そこでカブリはようやくブレトの襟から手を離した。

 会話の無いまま木々の合間を歩いていく。芳醇な緑の中、姿を見せぬ鳥たちの明るいさえずりが聞こえてくる。枝葉の隙間を縫って差し込む陽光は程よく温かなものだったが、暗い気分を払拭させるほどではない。

 長老のあの発言で、ブレトには故郷が無くなってしまった。生まれ育ったダンロンを今も愛すカブリからすれば、筆舌に尽くしがたい悲しみがブレトを襲っているはずなのだ。 そんなブレトの気分を楽にしてやれないかと、カブリは気を回してみたが良い文句が思い浮かばない。


 ふと、ニグラはこうなる事を予期していたのではないだろうか。分かっていてブレトを連れてきたのではないだろうか。そう思ったカブリは最後尾を歩くニグラを見た。彼女は微笑を浮かべたままで、その表情から考えを窺い知ることは出来ない。

 カブリは溜息を吐いて足取りの重いブレトに歩幅をあわせ、彼と肩を横に並べた。

「気にするな、故郷なんぞは自分で決めれば良いのだ。何なら作るというのも面白いかもしれんな」

 その言葉と共に力づけようとブレトの背中を叩いた。言った事は適当な出任せだった、叩く力も強くなかった。けれどブレトは足を止めて、下を向いていた顔を上げると真っ直ぐに前を向く。つられてカブリも足を止めた。


「あぁ、なるほど。自分で作るですか、それは面白い考えだ。その時は、手伝ってくれるんですよね?」

 ブレトが笑う、力の無い笑みだ。ただ強がっているだけだというのは誰が見てもそうと分かる笑い方だった。なのでカブリは声を出して笑った、考えがあるわけではない。とにかく今は笑うべきだ、そう感じたのだ。


「もちろんだとも、我が友が故郷を作るというのであればこのカブリ。喜んで手を貸そうではないか」

 そう言ってカブリはブレトの肩に腕を回した、ブレトもそうした。二人は肩を組んで、虚勢を張りながら森の出口を目指す。カブリの言葉がただの出任せ、励まそうとして出たものである事はブレトも分かっていた。

 けれど二人は未来が見えぬ、その言葉がいずれ真実になる日が来ることなど想像もしていない。そんな二人の後ろ姿を、ニグラはただただ笑いながら着いて行くのだった。

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