我に故郷なし-3/4

 <クレアイリスの森>に到着した翌日、カブリとブレトそしてニグラの三人は早速竜退治に向かう事になってしまった。カブリとブレトの本音としてはもっと時間が欲しかった、昨晩の宴会で竜についての話を詳しく聴きたかったのだが叶わなかったのである。

 実際に竜と相対して帰って来たのは一人だけ、だがその生き残りは全身に酷い火傷を負っており、話せるような状態ではなかった。


 少なくとも竜は積極的に里を襲うつもりはない。もしそうなら三ヶ月前にとっくに吐息で焼かれているに違いないからだ。なので猶予はある、生き残りの回復を待っても良いしじっくりと調査しても構わないだろう。どちらにせよ時間が要る。

 しかし、里のエルフ達はそれを許さなかった。彼等からしてみれば二人は待ちに待った竜退治の精鋭であり、この三ヶ月の間脅かされていたという事もある。カブリとブレトの言葉に耳を貸す事は無く、追い立てられてしまった。


 一応ニグラに助力を求めたのだが、この女魔法使いは相も変わらず微笑むだけで何もしてくれないし、何を考えているのかは分からない。それもあって出立せざるを得なかった。

 竜が根城にしているという泉まではおおよそ一日掛かるという。これを聞いた時、カブリは驚いた。歩いていけば一日の距離でも、空を飛ぶ竜は何倍にも短縮する事が出来る。目と鼻の距離であってもおかしくない。


 そんな近くだというのに竜が里を襲っていないのは驚きである。とはいえ相手は人智を超えた竜である、竜には竜なりの考えというものがあるのかもしれない。ただそれ以上に驚いていた事がある。

 エルフ達の事だ。彼らは三ヶ月前に一度、討伐隊を送り失敗してからというものそれ以上は戦いを挑まなかったという。彼らが言うには、すぐにニグラがやって来て精鋭を連れて来てくれる約束をしてくれたから、だというが信じられない。


 カブリからすれば身近に脅威がいるにも関わらず挑まないという行為は臆病者のする事であって、普通でない行いである。幾ら助太刀が来るからといって、自分達で事を起こさないのは人のやる事ではなかった。

 時間の感覚にしては長命のエルフの事、だからカブリからすれば悠長すぎると感じられるだけのことかもしれない。なのでカブリは他のエルフに聞こえない所で、ブレトにこう尋ねた。


「お前の里のエルフは随分とのんびりしているように思う。幾ら助っ人がやって来るからといって、三ヶ月も暇を持て余しているのはどうであろう。それとも長くて八〇そこらの俺の様な者とエルフでは、年月の感覚というのが違うのだろうか?」

 ブレトの返答はこうだった。


「まさか、大して変わりやしませんよ。感覚が違っていたなら私とあなた、こうして肩を並べて行動を共になんて出来やしません。何もしてないのはそうですね、痛い目に合いたくない傷つきたくなんてない。それだけでしょ、そういう人たちです」

 これを聞いてカブリは<クレアイリスの森>に住むエルフ達に良い印象を持てなくなってしまった。ブレトはブレトで死罪宣告を受けた事もあり、故郷といえど良い事は言わないのかもしれない。


 ただそれを加味してもカブリはこの森のエルフ族を好きになれそうにはなかったし、彼等のために戦おうなどという気は失せていた。

 それでも帰る素振りすら見せなかったのはニグラがいたからというのもあるし、カブリはカブリ自身のために竜と相対したかったからだ。もしカブリが過去に竜というものを一度でも目にしていたのなら、ニグラに食って掛かるぐらいはしていたに違いない。


 どこか水を差されたような気分になりながら森を進む途中、ブレトは顔全体に巻いていた包帯を解いた。里のエルフ達は三人が逃げ出す等という事は考えていない上に、案内が必要とも考えていないらしく誰も付いて来なかった。里の目が無いなら顔を隠す必要もない。

 包帯を巻いていたのは一日だけだったが、カブリはブレトの素顔を久々に見た気がする。どこか浮かぬ顔をしていた。竜が相手とはいえ怯えるような男でないことをカブリは知っている、こんな表情をしているのには理由があるに違いない。


「どうしたブレト、これから竜との英雄的な戦いに赴こうという顔ではないぞ。お前の事だから怯えているわけではあるまいに、何を考えているというのだ」

「それはですね――」

 答えかけたブレトだったがすぐに口をつぐんだ。その視線の先にはニグラがいる、彼女には聞かれたくないようである。


「私の事を気にしてどうしますか、母には全てお見通しです。あなたの考えている事など手の中にあると同じ、言って差し上げましょうか?」

 クスクスとニグラは笑い、ブレトは息を吐いた。

「それには及びませんよ、隠し事が出来ないなら遠慮も要りませんね。里の連中はどうでも良いんですよ、同胞ではあっても捨てたものです。ただ一人、気になる者がいましてね。ついその事を考えてしまっていただけの事ですよ」

「以前に話してくれていた幼馴染の事か?」

 カブリの問いにブレトは、そうです、と頷いた。


「死罪を受けた私を逃がした彼女、どうなってるか気になりましてね。だからカブリさんにあんな要求をさせてしまいました。連れ出したいわけではないですただ、元気にしているかどうか知りたかった」

「そうであろうなとは思っていたから驚きもせんわ。俺は今も故郷のダンロンを愛する者、お前さんの気持ちは良う分からん。だが好きにすれば良いと思う。ただ一つ言わせて貰えばだな、竜の首を持ちながら正体を明かしてその娘を連れ去ってしまえ」


 元気付けようとカブリはブレトの背を強く叩いた。ブレトはよろめいたが怒りはしない、カブリの意図は充分に伝わっている。

「彼女を連れて行きたいとは思いませんが、正体を明かす、それは面白そうだ。竜を倒した一人が私だと知ればどんな顔をするのか興味が湧きますよ」

「あぁ、そうだろうとも。あそこのエルフ共は俺も好かん、連中がどんな面を拝ませてくれるのか俺も楽しみにさせてくれ」


 二人は顔を見合わせてハハと笑う。ブレトの胸にあった薄い雲は晴れていた、中に溜めていたものを言葉にしただけだったが、解消するにはそれで充分。暗く俯き気味になっていた顔は真っ直ぐ前を向いていた。

 そうして歩いて歩いて歩き続けて、泉まであともう一息という所に辿り着いた時のこと。泉の方角から風が吹いてきた、その中に僅かながら焦げ臭いものがある。


 それを嗅ぎ取ったブレトは鼻を一度ひくつかせて目を見開いた。里を捨ててもエルフ族であることは捨てておらず、森を愛する心は今も昔も変わりない。緑が焼かれているとなれば焦燥に駆られるのは当然の事だった。

 意識せずともブレトの足は速くなり、カブリはそれを諌めた。こういう時こそ落ち着かねばならない、前を見れば木々の向こうに黒く立ち並ぶものが見える。それは焼かれた木の成れ果てた姿だった。


 身近な木の枝は全て焼かれてしまい、太い幹だけが炭と化して哀れな骸となっている。その炭化した木々の合間には、黒く丸いものが幾つも転がっていた。当初はそれらが何か分からなかったが、近づいてみればそれが亡骸であると分かる。

 三ヶ月前に送り込まれたエルフ達の今である、焼かれ縮こまった結果丸くなり、肉だけでなく臓腑や骨まで焼かれた姿だった。芯まで焼かれたため、獣に食われる事も虫にたかられる事も泣く今も残っていたものだろう。


 美しいとしられるエルフの姿もこうなってしまえばただの骸だ。彼らに何の思い入れもないが、一度足を止めてそれぞれの弔いの文句を口にして、黒い炭が立ち並ぶ先を行く。見えてくる泉の姿、赤いものが光を反射している。

 それは竜の鱗だった、こちらに対し背を向けているものと見え、また眠っているらしく翼を丸めて規則正しく体が膨らんでは縮んでいる。カブリは無言で剣を抜き放ち、一行の先頭へと立った。


 考えなしの行動ではない。カブリの持つ魔剣<狼の爪>は冷気を放つ魔力を持つ。その魔力を使えば竜に火を吐かれたとしても、冷気をぶつける事で相殺できるかもしれないと考えての事だった。

 またも足を止める、竜はこちらに気付いている気配はない。ニグラは後ろに下がり、カブリの後ろでブレトは矢を番えたが狙いは定めていない。急所と思われる場所が見えていなかったからである。


 どうするか、考えている時間が惜しい。相談すべきなのだろうが、まずは事態を動かすべくカブリが吶喊した。その後ろでブレトは弦を引き絞り、ニグラは二人の行く末を腕を組みながら見守る。

 剣を振り上げながら駆けたカブリだったが、竜の眼前に迫った所で足を止めた。それだけでなく剣を鞘に収めてしまう。早く斬れ、とブレトは手を動かして指図したがカブリはそれを良しとしない。


 というのも、竜はこちらに気付いていないどころか寝息を立てて眠りこけていたのである。竜が強大な存在である事は既に分かっていた、だからといって寝首を掻くのはカブリの戦士としての沽券に関わる事だった。

 無論、こうなるとやる事はたった一つ。カブリは大きく息を吸う。


「起きんかぁ!」

 腹の底から大気を震わす雷鳴の如き大声を放った。

「何してるんですかこの馬鹿!」

 即座に罵倒するブレトの声も負けず劣らず大きなもの。


 さて、こんな大声がしたとなれば深い夢を旅する者でも起きる。寝息が止み、地の底から響く太い唸り声を上げながら竜はその長い首を持ち上げて、目やにのついた細く縦に長い瞳でカブリを見た。その瞳には獣の獰猛さだけでなく、大いなる智慧の光がある。

「……どうして私の眠りの邪魔をした?」


 竜の口が開かれる、並んだ太い牙の向こう、脂の臭い漂う喉の奥から放たれたのは紛れもない人の言葉であった。カブリの心臓は大きく早く鳴り出した、感動と畏怖によるものである。

 今にも体は震えそうだったが、胸を張り腕を組む事で虚勢を張った。

「お前の首を獲りに来た。だが寝ていた、相手が竜であろうと寝首をかくのは恥知らずのやる事。だから起こした」

 そうはっきりと言ってのけるカブリの背後に素早く回りこんだブレトは、彼の首根っこを掴んで下がらせようとしたが、カブリは下がらない。真っ向から竜と相対する。


「ほぅ、このハビラ=ラーコイムが恐ろしくないのか?」

「怖いに決まってますよ! ほらカブリさん、一度下がりますよ!」

 竜の問いに答えたのはブレトである、真正面からで勝ち目がないと踏んでいた。だからカブリを下がらせ、出直そうと考えているのだがカブリはてこでも動く気はない。腕を組んだまま竜の大きな瞳から目を逸らさなかった。


「ハビラ=ラーコイムというのが貴様の名か、俺の名はカブリだ。必死に逃げようとしている賢明なのが我が友のブレトである、そしてその後ろにいるのは魔法使いのニグラという女だ。今、友のブレトが言ったように俺も貴様が怖い!」

 胸を張って怖いと言ってのけたカブリ、これは竜も意外だったと見えてゆっくりと三回まばたきをした。そして首を空に向けて持ち上げると口を大きく分けて大きな息を数度に分けて吐き出す、一瞬は怒号かと思ったがどうやら笑っているようだった。


 そして竜は首を下ろした、その眦には小さな水滴がついている。

「私は竜だぞ、貴様等なぞ一吹きで炭に出来る。ここに来るまでに見ただろう、以前に私を襲ってきたものの成れの果てがあったはず。お前もそうなるのだぞ?」

「いいや、成らんな。何故なら俺には氷雪を操る魔剣がある、火炎の息ぐらい打ち消せると信じておる。それに魔法使いのニグラが今頃策を講じておる事だろうからな」

 カブリは剣を抜き放ち、竜ハビラ=ラーコイムに見せ付けるようにして天に掲げた。そうしながらちらりと後ろを振り返りニグラの様子を見る。


 彼女は炭となった木の陰に半分隠れながらこちらを見て小さく手を振っていた。こんな状況だというのに余裕綽々の笑みを浮かべている、手を出すつもりはないのだと悟ったカブリの眉間に皺がよる。

 ブレトはブレトでカブリを下がらせるのを諦めて、こうなればカブリを信じるしかないと彼の横で矢を番えなおした。狩人の瞳は竜の瞳を射抜いている、急所があるとしたらそこしかないと考えたのだ。

 これが竜ハビラ=ラーコイムにとっては面白い事だった。


「良いぞ、私の首をくれてやる。焼かれた者共を見たというに、私の寝首をかけたのに斬らなかった大馬鹿者。しかも勝ち目が無いというのに、剣を抜き弓を構える。いいぞいいぞ大馬鹿者だ、首をやっても惜しくない」

 信じられない言葉であるが、どうやら真実であるらしい。ハビラ=ラーコイムは、さぁ斬れ、と言わんばかりにカブリの前に首を横たえたのである。これにブレトは思わず構えを下げてしまったが、カブリは顔を赤くした。


「馬鹿にするでないわ!」

 怒声と共に素手で殴りつけた。竜の鱗は鋼よりも尚固く、そして厚い。殴った衝撃は全て拳へと返ってきて、骨が震えて芯が痺れる。竜は痛痒も感じていないようだった。

「首をやると言われて受け取る阿呆がどこにおる!? 俺達は戦いに来たのだ、ならば戦え! そうでなければ俺達の沽券に関わるのだ!」

 カブリは竜に怒声を浴びせかける。竜は首を横たえたまま、カブリをじっと見ていた。


 戦いの空気は遠ざかっている。どうやらこれは話をする雰囲気、ブレトは番えていた矢を背中の矢筒に納めた。

「そうは言われてもな……私はもはや戦う元気というものがないのだ。そもそもこの土地、この泉に赴いたのにも理由がある。私の寿命はもうすぐ尽きる。なら風光明媚な場所で生を終えたいと考え、飛んでいたところここが目に入った。そんな老いぼれと戦って何になる、そしてカブリといったなぁ……貴様は戦意無き者と戦える男では無かろう」

 言い返す言葉が無かった。確かにカブリは相手が何だろうと、戦う意思を持たない相手に剣を振るえぬ男である。


 そしてまた竜の言う言葉が真実だろうというのも理解できる。竜の目にはヤニが溜まっているし、駆け寄ったというのに気付かなかったのも老いさらばえているからなのだ。

「では寿命が僅かとは言いますが、具体的にはどのぐらいなのですか? 一週間? それとも一ヶ月?」

 尋ねたのはブレトである。

「さぁなぁ、近いのは分かっているが何時とまではわからんよ。日に日に力が失われていくのが分かるが、全てを失うのは果たしていつか。だが一ヶ月よりは先、もしかすると一年は向こうかも知れんな」

 答える竜は遠くを見ていた。その瞳の奥は白く濁っており、あまり遠くは見えていないようで、この竜が老境に差し掛かっているのだということを伝えてくる。


 竜が言うように、彼に残された時間はそう多くない。敵意も害意もなく、手出ししなければ彼はここで眠って過ごし、死が訪れるのを待つだけなのだろう。戦意のないものと戦う気はカブリはもとよりブレトにもない。

 だがそれでは困るというものもいる。


「ハビラ=ラーコイムさんと仰いましたね、あなたに戦う気がないのは承知しました。けれどもあなたがここにいることで不都合を被る人達もいるのですよ、それについてはどのようにお考えなのでしょうか?」

 ブレトが問うた。

「ふむ、それは私に焼かれた彼らの事を言っているのかな。だとしたらすまない事をしたとは思ってはいる、とはいえあれは不慮の事故と呼べるものだった。さっきと同じように眠りこけていたところ、雨あられと矢を射かけられたのだ。

つい咄嗟に火の息を吐き出してしまった。しまった、と気付いた時にはもうあの様よ。祈ってやるべきかとは思ったが、残念な事に私は彼らの神を知らぬ」

「そういうことではなくてですね、死んだものは死んだもの悔いても仕方がないのでどうでも良いです。私が言いたいのは、この泉の恵みを求める人々がいて、その人達はあなたに一刻も早く立ち退いて欲しいと願っているのです。現に私達がこうして赴いたのも、泉を使いたい人々にあなたを倒してくれと頼まれてきているのですよ」

「そうか……それは困ったな……」

 竜は目を閉じると脂の臭いのする大きな息を吐き出した。溜息らしい。


 困ったのはハビラ=ラーコイムだけではない、カブリとブレトも頭を悩ませる。戦えば勝てるような気がし始めていた。しかし、今の彼と戦うのは沽券に関わる。

 ブレトは後ろを振り返り、今だ木陰に半身を隠しているニグラを睨み付けた。

「あなた、竜がこんなだと知って私達を送り込みましたね?」

 ニグラは答えない、ただただ笑ってこちらを見ているだけだった。それが答えである。この女魔法使いはこういう奴なのだ。

 どんな文句をぶつけてやろうか、ブレトが考えていると竜が閉じていた目を開く。


「死に場所を求め飛んでいる時にこの泉が見えたのだ。水面に空が映っていた、ここに身を横たえていれば空の上で死ぬ気分が味わえる。そう思ったからこそここにいる」

 独り言のような呟きだったが、これを聞いてブレトはさらに頭を悩ませた。ハビラ=ラーコイムは理由があってここにいる、ちょっとやそっとで立ち退いてくれるわけがない。戦うしかないのだろうか、ブレトの視線は鋭くなって竜の急所を探し始める。

 ただその隣に立つカブリは首を前に倒す、悩みは無かった。


「つまりお前さん、空の上で死にたいわけか。それならこんな森の中より山はどうだ? 高い山なら雲を眼下に望める空の上だぞ」

 カブリが聞けば竜は、その通りだ、と返す。

「だがなぁカブリと名乗る男よ、私だってそれは考えてこれより前に山に行った。<凍てつくノートラ>に近い山や<鉄産みのラリバル>の高山に赴いた、しかしそこを追い立てられたからこそ、ここにいる。雲海を望める山では私の巨体を隠せる場所などない、人は竜を見れば怖れから武器を手に取りやって来る。山では安息のまま死ぬるなど夢のまた夢よ。もっとも、良い場所があるというのならそこに行ってやろう」

「あぁ知っているぞ、でなければ勧められんからな」

 ゆっくりと竜は首を持ち上げて、白く濁ってしまった瞳をカブリへと向けた。竜の顔が近づく、大人の前腕ほどもある巨大な牙が眼前へと迫り、脂と獣の臭いが混じった呼気が顔に吹きかかって髪が揺れる。


「そんな地がどこにあるというのだ」

「<峻険なるダンロン>の山々だ、俺の故郷でもある。高い山でな、貴様の望みを叶える景色がそこにある。人族とオーガ族が住んでいるが、どちらも俺と同じような戦士でな。戦意無き相手と戦うような真似はせん、お前さんが望めば死ぬまで手出しはせんよ」

「それは真か? 一時の嘘であれば容赦はしない、貴様等も灰になるぞ」

「嘘は好かぬ。真かどうかは俺の眼を見ればよい、濁った瞳でも真実の光ぐらいは見えるだろうよ」


 ハビラ=ラーコイムはしばらくカブリの眼を見つめていた後、彼の眼前で巨大な口を開いた。カブリの正面に広がる口腔は洞窟を思わせ、その奥からは生臭い脂の臭いが吐き出されて小さな火がチロリチロリと揺れていた。

 カブリは嘘を吐いていない、やましい所は何もない。試されているとも感じていなかった、ただただ背筋を真っ直ぐ伸ばして胸を張り、腕を組んだまま竜の言葉を待っている。


「嘘ではないようだな、では尋ねる。その<峻険なるダンロン>はどこにある?」

「ここより南に行き、さらに西に行った所にある。徒歩では遠い、砂漠や密林を抜けねばならん。しかし翼ある者ならばすぐそこだろうよ」

「ならばこれは礼だ、私を倒した証として見せるが良いよ。もう私には不要だからな」

 そう言うと竜は前脚のようにも見える腕を器用に使い、指を己が口の中に突っ込むと根元から牙を一本、ポキリと折って投げて寄越す。根元には赤黒い肉がこびりついていた。


 要らない、そう言おうとした時にはハビラ=ラーコイムは羽ばたき始めていた。巨大な翼が上下するたびに突風が全身を襲う、目を開けていられなかったし立ってもいられずにしゃがみ込む。それでもまだ飛ばされそうで、地面にへばりついて土を掴んだ。

 風の勢いが弱まって顔を上げたとき、竜は既にはるか彼方へと飛び上がっていた。挨拶のつもりなのか、竜は三度上空を旋回して短く火の息を吐き出すと南へと去ってゆく。


 あっという間の出来事だった。

「こいつをどうしろというのだ……」

 カブリは呟き、残された牙を小脇に抱えながらブレトを見た。

 だがブレトはカブリを見ていなかったし、牙も見ていなかった。彼が見ていたのはニグラであり、そのニグラは空を仰ぎ見て口笛を吹くように唇を尖らせている。どことなく満足げに見えるのは気のせいだろうか。

「おいブレトよ、この牙をどうすれば良いと思う?」

 返事が来ないのでカブリは再度尋ねた。


「礼と言っていましたし貰っておきましょうよ、竜の牙なら特別な物の材料になりますし」

 そこまで言ってブレトはふと気付いた、ニグラはこれが欲しかったのではないだろうか。彼女は魔法使い、有り得ない話ではない。それを確かめようとしたが、それより早くに彼女から答えがやって来た。

「あなた達が使いなさいな、竜の牙なんて私にはありふれた物。あぁそうだ、ブレトの矢にすれば良いんじゃないの? カブリは魔剣を持っているのに、ブレトは魔法の道具が何もないなんていうも少し不公平でしょう? そうしなさいな、凄い矢になりますよ」


 ニグラの考えている事が分からない、けれど竜の牙で矢を作れば彼女の言うとおりまたとない逸品が出来上がるに違いない。もしかしすると特別な、魔術的な力を持った矢が作れるかもしれないのだ。

 実益を兼ねてもいるが、ブレトは元々弓矢を作るのが嫌いじゃない。カブリもニグラも持て余すというなら欲しくなって来た、これで矢を作ればどんな物になるのだろうか。表情にこそ出さないが心が躍る。


「じゃあそれ、私の好きにしていいですか?」

 カブリもニグラも断るはずがない。二つ返事で承諾し、牙はブレトの手に渡る。

 これでひとまず竜退治は終わった。戦いこそ無かったが、カブリは竜を直に見れただけでなく会話が出来た事で概ね満足できていた。

 しかしブレトの心には影が差している。ハビラ=ラーコイムとの邂逅に不満があったわけではない、この後の事。エルフの集落に戻ってからの事を考えると、不安という名の靄に包み込まれてしまうのだった。

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