求むは名誉-後編

 <灰色石の門>を守る番兵達の言葉からカブリとフラウダは道を真っ直ぐ<大王の森>へとやって来た。森の入り口前には簡素な作りの小屋があり、その小屋の前に老いてはいるが身なりの良い番兵が一人で槍を携え弓を背負って右に左にと鋭い視線を向けている。

 彼は二人の男女が近づいている事に気づくと眼光を鋭くすると共に背筋を伸ばし槍を握る手に力を込めた。カブリとフラウダから視線を離さず、お前たちを警戒しているのだという意思をはっきりと表示している。


 この老いた番兵にはそうするだけの理由があることを理解しているが、密猟を行うつもりは無い。カブリは嫌な気分になりながらもブレトを探すためだと、こみ上げてくる不快感を抑えながら友好的に手を上げつつ老兵へと声を掛けた。


「やぁやぁご老人、仕事に精が出ておるようだな。どうもそちらは俺たちの事を良からぬ輩だと思っておるようだが、そんな事は決してない。一つお尋ねしたい事があるのだが構わぬか?」


 老兵はすぐに答えない、まずカブリの頭から爪先までを根目回すと後ろのフラウダにも全く同じ視線を向け、眉間に深い深い皺を寄せた。


「密猟はしないと言うのだな、真っ直ぐにワシの所に来るぐらいだからそれは信じてやるとしよう。しかし年老いて閑職へと追いやられたこの身に何を尋ねようと言うのだ、お前さんは悪い男ではなさそうだが後ろの女は酷く手癖が悪そうだ」


 とっくにイカサマ賭博からは足を洗っているとはいえ、一目で看破されてしまったフラウダは身を強張らせると頭に血を上らせた。これは一言言ってやらねば気がすまないと前に出ようとしたのだが、即座に察知したカブリは彼女の体を押さえてこれを止める。


「老いたとはいえ慧眼が衰えぬとは御見それいたす、それほどの眼力があるのならばさぞ物事も良く覚えておられるのだろう」

「褒めても何も出さぬぞ、こっそり森に入りたいのかもしれんがハーディガン様の森を守るのがこのわしの務めよ。そこに関してはこれっぽちの甘さを見せる気は無いからな」


 口ではこう言いながらも、褒められて悪い気がしない老兵の眉間の皺は浅くなり槍を掴む手の力も緩んだようであった。


「見ての通りの軽装だ、弓も手槍も仕掛ける罠も持っておらん。狩りをする気などさらさら無くてな、俺たちが探しているのは動物ではなく狩人のほうだ。ご老人ならばこの森で狩りをした連中の事を覚えているのではないか?」

「もちろんだとも。森に出入りする連中を見張るのもわしの仕事だ、ここ三月の間なら誰が何を狩ったか記録をみんでもそらんじる事ができるともさ」


「おぉ! だから森の番を任されておるのだな。ならば聞きたいのだが、二週ほど前にブレトというエルフが狩りをしなかったか覚えておられるか? そいつは赤毛で、身長は俺より少し低いぐらいの男だ。俺はそいつの友でカブリというの、ブレトのやつがしばらく姿を見せんから不安になって足跡を追っているのだ」


 ブレトの名前を出した途端に老兵の顔から険しさが消えて、肩からも力が抜けていった。


「なんだいブレト君のご友人か、それならそうと早く言ってくれりゃ良いものを。彼はここに良く来るからね、時間のあるときは茶飲み話に付き合ってくれたりもするし土産をくれたりもするのさ。いやいや彼の友人ならばそう警戒する事もなかった、申し訳ないことをしたね」


 先ほどまでの厳格さはどこへやら、老兵はすっかり柔和になり兵士というよりもそこらにいる好々爺になってしまった。どうもブレトは彼とはかなり仲が良いらしい、この様子ならばここから先の手がかりを得るのも楽だろうとカブリは期待を抱く。


「カブリ君といったね、君の言うとおり二週前にブレト君は狩りを楽しんで行ったよ。大きな鹿を仕留めてね、ちゃあんと規則にしたがって私の確認を取ってから獲物を担いで道をまーっすぐ都に帰っていったさ。その先はすまないが分からないね、<灰色石の門>にやる気が無いとはいえ兵たちがいるだろう。そいつらに尋ねてみれば分かるんじゃないか」

「そいつらには既に尋ねた後なのだ。ご老人が言うようにやつらはやる気は無いが、中々に覚えておったよ。連中は狩りに行くブレトの姿を見ていると証言しよったが、帰ってきたのを見ておらんのだ。だからこうして森の番をしているご老人に尋ねた次第でな」


「なるほどそうだったのか。わしが番をするのはこの森だが、もちろん森の周囲も見てまわっている。この近辺に賊が出るという噂もないからな、襲われたわけは無いだろうしそもそも腕の良い狩人のブレト君がそんじょそこらの賊にやられるはずがないだろう」

「あぁそうだとも、ブレトはダンロンに生まれたこのカブリと肩を並べる男だ。例え一人であろうとちんけな賊なぞに遅れを取るようなやつではないし、襲われたら返り討ちにするぐらいの男だと俺は信じている。だから賊などではない。しかしそうなると、やつは一体どこへ行ったんだ?」


 カブリは言いながら頭の中に周辺の地形を描き出した。故郷のダンロンを離れパンネイル=フスへやって来てから相応の年月が経っている、周辺の地理には明るくなっている自負はあった。

 しかしこの<大王の森>から<灰色石の門>に至るまでの間にブレトが立ち寄るような場所は思い至らない。途中に住家があるわけでなく、かといって水場があるわけでもない。鹿を狩ったのであれば真っ直ぐに都に帰るしかないはずなのだ。


 森の番兵もカブリと同じように考えていたのだが、やはり彼も思い当たる節が無く二人の男はうんうんと声を出して唸るばかり。そうして悩んでいるとフラウダが「そうだ」と声を上げた。


「もしかしたらジェスタ・バージムの所に行ったんじゃないかい? 盗賊に襲われたってのを無しにするなら、そのまま自分の足でどこかに行ったしかないんだ。けど鹿なんて担いでちゃいきなり遠くにはいけないだろうさ、ここから都以外ですぐ寄れるような場所っていったらジェスタ・バージムの所しかないね」

「ジェスタ・バージム? 一体誰だそいつは、名前からすると都の貴族の様ではあるがそんな名前は聞いたことは無いぞ。俺は元々、遠くダンロンの生まれではあるが都に住む都会人として貴族の名前ぐらいは覚えておるつもりだ。しかしバージムなんぞいう姓は聞いたことが無い」


 老兵は知っているだろうかと視線を向ける。表情から察するに彼もバージムの名前は知っているようだが、渋い顔をして首を横に振っていた。


「知らなくても当然さ、なんせバージムは一〇〇年以上も前に死んでるんだからね。けれども石造りの館は当時のまま、誰も住まないまま残っているのさ。場所もちょうど都とこの森の間にあるし、そこに行ったんじゃないのかい」

「娘よ、幾らなんでもそれはないだろう。バージム将軍の館には幽霊がいるともっぱらの噂で昔から目撃談も良くあるのよ。だから誰も住まず、壊される事も無く残っておる。エルフという種族はわしら人間なんぞよりよっぽど霊感に優れているらしいじゃないか、そのエルフのブレトがそんな場所に行くとは思えんのだがね」


「爺さんはそういうけれども、じゃあ他にどこに行くあてがあるっていうんだい。これから話すのは私の想像になるけれどね、何かの理由……例えば天気が悪かったとかで立ち寄ったかもしれないじゃないか。石造りの建物ってのは丈夫だからね、嵐が来たってびくともしないんだ。そんなこんなで休憩しに行って、そこで何かあったかもしれないじゃないか」


 ブレトの向かった先を巡りフラウダと老兵は言い争いを始めた。カブリは口喧嘩には加わらず、言われて思い出した廃墟のある方角を見ている。捨てられた館があることは知っていたが、そこに用事があるとは思っていなかったので気にも留めていなかった。

 友がどこに行ったかわからない、彼のことが心配で後を追いたい。となれば、フラウダが口に出したバージムの館に向かわなければならないのだが足が竦んでしまっていた。


「なぁカブリ、あんたも黙ってないでこの爺さんとあたしの話に加わったらどうだい。ブレトがどこに行っちまったか気になってんだろ?」

「あぁそれなんだがな……その捨てられた館に行くしか無かろう。二人の話は聞いていたが、ご老人は何も思い浮かばぬようだ。フラウダの話も信憑性があるとは言えんが、他に行く場所も無い。運がよければそこで何か見つかるかもしれんからな、行く価値はあるだろう。だがなぁ……」


 普段のカブリならばここで意気揚々と肩を切り向かっていくはずだ。しかし今、彼の持ち味である威勢の良さはどこかへ行ってしまっている。同じ酒場の飲み仲間でしかないフラウダにも、カブリの様子がおかしいことはすぐに分かった。


「様子がおかしいね、いつも<銀夢亭>で騒ぐあんたの姿を見てるけれども……普段のあんただったら大股で歩いて行く所だ。もしかして、幽霊が怖いのかい?」


 カブリの肩が跳ね上がった、図星である。生まれた時から戦士として育てられたカブリは、父親だけでなく里の大人から強大な相手と戦う術を身に着けられていた。よって如何なる化け物、それこそ空を飛ぶ毒の息を吐く竜を相手にした所で恐れる事は無い。

 しかし例外がある、それが幽霊だった。


「ハッハッハ。馬鹿を言うでないわ、このカブリ様に怖いものなどある筈が無いだろう。例え相手が目に見えないお化けだろうとて何を恐れる必要があるのだろうか」


 フラウダに掛けられた言葉を笑い飛ばそうとしたカブリだが、その笑いは乾いており覇気の類は一切無い。誤魔化してみた所で、本当は怖いと言っているのと何も変わりが無かった。

 そしてフラウダからしてみれば信じられない事である。二〇〇に近い身長を誇り筋骨隆々のこの大男が、子供のようにお化けを恐れているというのは認めづらい事だった。


「あんたそれ本気で言ってんのかい?」

「お前はどこまで俺を馬鹿にすれば気が済むのだ。俺は常に正直に生きている、嘘を言うのも言われるのも大嫌いだ。お化けが怖くないというのは本当の事だぞ、奴等は目に見えない存在で触れるものではない。つまりは剣が通用しないという相手だがそれがどうしたというのだ。その程度のことは知恵そして勇気で何とでもして見せようではないか」


 明らかな強がりであった。証拠にカブリの瞳は泳いでおり、いつもは真っ直ぐ相手の顔を見て喋るくせにフラウダと視線を合わせようと決してしない。彼女と共にカブリの話を聞いていた老兵も、大男がまさかこんな事をのたまうとは想像できずに呆れたように肩を落とす。

 フラウダもこのうろたえ方に呆れていたのだが、怖い理由を聞くとなるほどと納得する所があった。カブリという男は腕力と剣術に優れており、彼を知るものであればこれは誰もが認める所である。そして彼の自信の根拠はそこにあった。


 なのでこの力が通用しない存在、つまりは幽霊に対しては恐れを感じてしまうのである。これを理解したフラウダは数度頷き、深い溜息を吐いた。カブリが幽霊を恐れるのは当然だろうと思う、けれども馬鹿らしい事でもある。それは彼が腰に佩いている剣が理由だった。


「あんたが腰に下げてるその剣はなんだい、魔法の力を持つ<狼の爪>だろう。だったら何の問題もありゃしないんじゃないのかい、ただの鉄を打って作った剣ならともかくだ。それは雪と氷を呼ぶ魔剣なんだろう、その魔法の力があれば幽霊だってぶちのめせるだろうに」


 カブリの動きがピタリと止まり、数瞬の後に彼は腰の剣に目を落とす。それからおもむろに剣を引き抜いた、ドワーフの名工により鍛え上げられた剣は日光を浴びて青白い光を放っていた。

 この輝きをしばらく見ていたカブリの目が輝き始め、鼻息を荒くすると剣を一振りしてから鞘へと収める。


「うむ、そうだその通りだ! フラウダよ、良く気づかせてくれた! この<狼の爪>はただの剣ではない魔力を持つ剣である、こいつならお化けであろうと切り伏せてくれようぞ! 恐れるものは何もあらず、我が友よこのカブリが窮地を開きに行こうではないか!」


 幽霊が怖いのは剣が通じぬから、通じるならば恐れる事は何も無い。カブリは硬く握り締めた拳を天へと突き上げ、颯爽と踵を引き返し都へ続く道を引き返し始めた。フラウダは慌ててその後を追いかけ、森を守る老兵は微笑みかけながらその背中に手を振る。

 右へ左へ目を向けながら道を歩いていると、ぽつねんとして建っている石造りの建物が目に入った。遠めに見ても古いそれこそは目指すバージムの館に違いなく、道を外れ腰ほどの高さがある草たちを薙ぎ払いながらずんずんと進んでゆく。


 幽霊が居る場所だけあってさぞや怪しい雰囲気のする場所なのだろうとカブリは思っていたのだが、近づいてみてもそんな事はなかった。長く人が住み着いていないだけあって、生気を感じさせずうら寂しいものを感じさせはするがそれだけである。

 どこか拍子抜けしながらも目に付いた扉へと近づいた。木で作られていたそれは手入れもされずに風雨に晒され続けたがために下のほうが朽ち大きな隙間が開いていた。けれども扉を繋いでいる蝶番は赤く錆びていたがその機能を失っていないように見える。


 カブリは腕を組みながら扉を眺め、しばらく考え込んだが拳を作って扉を叩きつけた。太鼓のような音だけでなく、軋む音がして歪みそうなほどだったが扉は開かなかったし外れることも無かった。


「ここには誰もいないんだよ? なのに何で戸を叩くんだい?」


 フラウダの至極当然なこの疑問に対し、カブリは大きく呆れの篭った溜息を吐く。そこには馬鹿にしようという意図が明らかにあり、これに不満を抱いたフラウダは頬を膨らませた。


「イカサマが得意ならば頭も切れるだろうに、簡単な事ではないか。いいか、幽霊というやつは人間が死んで成るものだ。つまり元々は人間だ、そしてここに居るのはその元人間の幽霊である。となればだな、やはり人間と同様の礼を尽くすべきであろう」


 この理屈がフラウダには理解できない。彼女にとって幽霊というものは化け物と同じであり、人間とは大きくかけ離れた存在なのだ。そしてカブリの理論が解らぬのもあるし、目を泳がせるほど幽霊を恐れていた男が自信満々に語る姿には辟易としたものがある。

 そんな彼女の心情を汲み取る事のないカブリは、扉が開けられるのを今か今かと背筋を正して待ちわびていた。しかし待てど待てども開けられる気配はおろか、何者かが近づいてくる様子も無い。


 フラウダにとってこれは当然のこと、しかしカブリにはおかしな出来事である。カブリは自慢の腕力を活用してまた扉を叩き、先ほどの以上の音を立て朽ちて弱くなった箇所がぽろぽろと崩れ落ちた。そしてやっぱり反応は無い。

 ならば次は全力で叩いてやろうとカブリが息を吸い込んだときの事だ。扉の向こうから大きな声がした、それは人が叫んだようでもあったし獣の咆哮のようでもある。地の底深くから響いてくる低い声は体の芯まで到達し、臓腑を冷やす。


 この世ならざるものの声であると直感すると、背筋があわ立ち逃げ出したくなった。カブリは何とか堪えていたものの、フラウダは彼と比べればそこまで肝が据わっていない。迷うことなく逃げ出そうとするのだが、これを察知したカブリは素早くその襟元を掴んで逃亡を阻止した。

 カブリはこの元賭博師のことを最初から戦力として数えていないが、たった一人で幽霊と相対するのが何とも心細かったのでつい捕まえてしまったのである。もちろんフラウダは暴れ回るが、力で叶うはずは無く諦めるしかなかった。


「えぇい騒がしい奴め! ここの主を知っての狼藉か!?」


 一切の音も無く扉が開け放たれた。その向こうには灰色の貫頭衣に身を包んだ壮年の男性が立っている、体格は良いが頬は扱けており肌は青白く生気が全く感じられない。血が通っていない事は明らかだったが、黄色く濁った目だけが爛々と輝いていた。

 間違いなく幽霊である、カブリはごくりと唾を飲み込んだ。初めて目の当たりにする幽霊であったが想像していたような透明感は無い。本当に幽霊だろうかと微かに疑問を抱きながら男の足元を見た、そこに影はなかった。


「お化け!」


 驚愕と共に言葉が飛び出した。一瞬で恐慌に陥ったカブリに冷静さは欠片も残っていなかった、魔剣<狼の爪>を帯びている事も消え去っており反射的に握った拳で幽霊の顔面を殴りつける。


「ぎやっ!」と声が上がった。


 幽霊は後ろに仰け反りながら体を薄く、背後の景色を透かせたかと思えば煙のように消えてしまう。最初からそこには誰もいなかったようだったが、カブリの拳には殴った時の冷たい感触が残っている。

 更なる驚きに頭の中は空になってしまったが束の間の事である。激しく鼓を打つ心臓を胸に抱えながらも冷静さを取り戻したカブリは剣を引き抜き、恐る恐る慎重に館の中へ頭だけを入れて中の様子を伺った。


 窓はあるがどれも小さいために室内は夕方のように暗く、温度も低く氷室を連想させる。底冷えするこの冷気は石造りであるだけが理由ではないのだろう、生者を拒む意思をありとあらゆるところから発せられているように感じられた。

 人の気配はもちろん無いが、幽霊はきっといるはずだ。腹の内側を締め付ける緊張を覚えながらもカブリは突入を決意し、背後を確認するとフラウダは泡を吹いて気を失ってしまっている。彼女を放置するのは心苦しい所があったが、館の外の光があるところならば大丈夫だろう。


 自分の中にまだ残っている恐れを置き去りにするため、カブリは助走をつけて館の中へと飛び込んだ。そして天井へと顔を向け、己を鼓舞するのと潜んでいるであろう霊を威圧するために大声を上げる。

 腹の底から繰り出した声は石の壁に何度も反響して耳を貫く痛さへと変わる。幽霊だろうと何だろうと、これだけの声を上げたからには出て来るに違いない。


 来るなら来い、お化けだろうと叩きってやるとカブリは剣を構える。そのカブリの意気に呼応するように、彼の持つ魔剣<狼の爪>は自ら冷えた青い光を放ち始めた。


「なんたる狼藉者か! 貴様はここを何処だと心得る、偉大な将軍バージムの館であるぞ!」


 低く透き通った男の声がする、地面から聞こえてくるようであり天井から聞こえてくるようでもある。右かと思えば左から聞こえ、館自体が喋っているのではないかと思わされた。

 背中に汗が一筋流れ、その冷たさに体を震わせながらもカブリは剣を振りかざし己を鼓舞する。


「そんな将軍の名など知らぬ! 俺の中で偉大なものといえば大英雄モウランただ一人! バージムなぞいう奴の名なぞ聞いたことも無いわ。そんな事よりもだ、我が友であるエルフのブレトはここにおるか!?」

「ブレト……? はて、そのような名だったかは知らぬがエルフの男なら知っておるとも。しかし我が名を知らぬとは無教養というべきか、それとも……」


 壁という壁から聞こえてくる声から威圧的なものが消えたような気がしたが、カブリは決して気を抜かない。相手は幽霊、背後からだろうと上からだろうと下からだろうと、どこから来ても切り伏せるべく全方位に神経の網を張り巡らせた。


「知っておるなら話が早い、先も申したようにそやつは俺の友である。ここにおるなら連れて来い、行方を知っているというのならばさっさと話して貰おうか。どちらもせんというのなら、例え地獄の亡者であろうと我が剣の錆びにしてくれる」


 比喩ではなく本気であると、姿を見せぬ声の主に伝えるべくカブリは手近な壁を切りつけた。堅牢な石の壁であろうが<狼の爪>は欠けることなく軌跡を壁へと刻み込む。


「えぇい少しは殊勝な態度を見せるのならば、先の狼藉も寛大さで持って許してやろうかというものを。どうあろうとこの守将バージムを侮蔑するというのなら、こちらも相応の歓待をせねばならぬ。貴様に地の底深く、地獄の宴を味合わせてくれよう!」


 どこからともなく銅鑼の音が鳴り響く、それと共に気配の数が増えた。方向は左である、見ればそちらには廊下がありそこから金属が擦れあう音が近づいてくる。おそらくは複数の幽霊であり、そして敵である。

 カブリは迷わずそちらへと駆け出した。迎え撃つという考えは無く、敵がやってくる方へと向かえば望むものがあるのではないかと思ったのである。


 廊下の暗がりから現われたのは数体の鱗鎧だった、明らかに誰かが着用しているのだがそいつの姿は見えない。鎧もそして剣も宙に浮いており、見えない幽霊が鎧を着て剣を握っているに違いなかった。

 幽霊は恐ろしいものだったが、それは剣で切れず腕力で殴れぬからである。けれどそうではないのなら幽霊を恐れる必要は無い。カブリは叫び、現世を彷徨う冥界戦士の一団へと飛び掛る。


 数の上では圧倒的に不利であったが戦場は廊下で、亡霊戦士どもはカブリを取り囲めずに一対一で戦っていくしかない。そして数の不利が無ければカブリの方が圧倒的に有利であった。

 幼い頃から鍛えられ身に染み付いた剣技の数々は亡霊であっても衰えを見せずに冴え渡り、中空に蒼い軌跡が描かれるたびに一体また一体と鎧は裂かれ砕かれ、これらを動かしていた見えぬ亡霊たちは剣の魔力で霧へと消えてゆく。


 全ての動く鎧を倒すに多くの時間は掛からず、最後の鎧を砕いた所で周囲の壁から呻く声がする。新手が現われない事にカブリは勝利を確信して血を飛ばすように剣を振るってから鞘へと納めた。


「さぁてバージムとか言ったな、貴様に将の資格無し! お前が真の将であるのなら、この俺を初めとしたダンロンに生まれた戦士を相手に戦うはずなど無いからな!」


 どんな啖呵がやってくるかと期待に震えながら柄を握ったままにしていたカブリだったが、聞こえてくるのは悔しげな呻き声だけ。この様子では新手が現ることも無いだろう、ならば勝者らしく進むのみである。

 剣から手を離したカブリは肩で風を切りながら威風堂々、足音を石壁に反響させながら歩を進めてゆく。この歩みを止めようとバージムは声を響かせるがカブリの耳に入るはずも無く、速度を落とすことも無い。


 廊下を進みその先にあった螺旋階段を上ってゆく、窓から入る西日は血の様に赤かったが恐れを抱く必要は無い。階段を上りきった先には扉があった、ここも長く手入れされていないはずだが朽ちた様子は無く蝶番に錆びは見当たらない。

 このことにカブリは超常の力を感じただけでなく、またバージムがこの先にいることを直感すると剣を引き抜いた。亡霊戦士を倒すのは容易かったがその長たるバージムはまた別の、妖術のようなものを使うかもしれない。


 先の勝利を頭から取り去り剣を抜き放つ、呼吸を整えてから扉を蹴り飛ばした。丸太とさして変わらぬ太さを持つ足はけたたましい音を立てて扉を室内へと吹き飛ばし、カブリもすかさず中へと飛び込む。

 そこは寝室で中央には天蓋付きの寝台が鎮座している。寝台を覆う薄布は所々に穴が開き、布団も同様で縁は朽ちるだけでなく色も落ちてしまっていた。この寝台に一体の骸骨が横たわっており、バージムの躯であると思われる。


 ただこの部屋にいたのはバージムだけではない、寝台の脇には椅子が置かれて一人のエルフが十二の弦楽器を抱えて座っていたのだ。もしや幽霊かとカブリは目を擦ったが、透けて見えるようなことはなく紛れも無い生者であり、良く見慣れた男でもある。


 そう、ブレトがそこに座っていたのだ。


 逃げられぬようにされているのではと思ったカブリだが、彼には手枷も足枷もなく拘束されている様子は無いし、血色も良い。加え捕らえられているはずなのに、ブレトはカブリの顔を見ると疑問そうに首を傾げる始末である。


「おぉブレトよ! 無事で良かった、俺はお前を助けに来たのだ。その寝台に横たわる躯がバージムなのであろう、早くそいつから離れろ。この<狼の爪>はこの世ならざるものにも通用するが、それがどこまでかは分からん。一刻も早くここから出ようではないか」


 なんだか様子がおかしいとは思いながらも友との再会を喜び、抜き身の剣を持ったままカブリはブレトへと近づくとその肩を掴んだ。けれどもブレトは首を横に振るのである。


「あなた何を言ってるんですか? 私は助けを必要としていませんし、仕事でここにいるんですが」


 このブレトの言葉を聞いたカブリの顔は蒼白となった。これはとり憑かれてしまったに違いない、ニグラを頼るしかないだろう。だがそれはそれとしてバージムに対し新たな怒りが湧き上がる、有効打を与えられるかは知らないが躯に一撃を叩き込んでやらねば気がすまない。

 カブリは<狼の爪>を振り上げると寝台へと近づいたがブレトがこれを止めた。


「ちょっと! いきなり何をしてるんですか!?」

「えぇい止めるんじゃあない! お前はこの亡霊にとり憑かれてしまっておるのだ! 俺はそれから助けてやる術を知らぬがニグラなら出来るであろう、だがその前にこやつに一撃をくれてやらんと気がすまん!」

「だから違いますって! 私の顔を目をよく御覧なさい、これが憑かれている者の目ですか?」


 幾ら正気を失っていようが友の言葉に違いなく、カブリは彼の瞳を見た。それは虚ろな光の無いもののはずだったのだが、ブレトの瞳はいつもと変わりなく驚きを隠せないカブリの顔が映し出されている。


 友が正気であるならどうして彼は逃げないのか、その理由が想像できなかったが危険は少ないかもしれないと振り上げた剣を下ろしながらバージムの骨を見た。


「うぅむ、どうやら本当に正気らしいな。しかしどうして連絡もせずにこんな所にいたのだ?」

「それはですね――」ブレトが話しはじめようとすると骸骨の口がぱかりと開き、そこから低い低い声が響く。


「私から説明しよう、その方が早いだろうからな。カブリとか言ったな、私はそこのエルフにある仕事を頼んだ。生前の私の活躍を詩に残し楽の音と共に都で語って欲しいのだ。私が生きていたのはもう数百年は前の事となる、その頃のパンネイル=フスは今ほど大きな都ではなかった。

そして当時は近くにオーガの一族がおり彼らと長く争っており、私は彼奴等を一歩足りとて都に入れることは無かった。守った都が隆盛を極めておるのは嬉しい事なのだが、民は私のことをすっかり忘れてしまっておる。要塞でもあるこの館が朽ちてしまっておるのが証拠だ、私はその事が悲しい。今は繁栄している都でもかつては危機にあったことを、そしてそれに立ち向かった私をはじめとした将兵の事を思い出して欲しいだけなのだ」


「では何故俺を襲ったのだ? ブレトが無事で仕事をしているだけだと知っていたのなら俺は剣を抜く事も、お前の部下と戦う必要も無かったではないか」


 カブリがこれを言った瞬間、肉の無い骸骨は飛ぶ勢いで上体を起こし尖った指の骨の先を向けた。


「馬鹿たれが! 先に手を出したのは貴様の方であろうが、私は自ら攻めるを良しとせん。貴様が我が執事を殴り飛ばしただけでなく、剣を抜いて入ってくるから相応の態度を示しただけに過ぎん。貴様が最初から礼節を持って尋ねて来ておればだな、こちらも丁重にもてなしこの部屋に案内したであろうし喜んで歓待しておったわ」

「な、俺がいつそんな事を……」


 言いながらカブリは思い出した。そうだ、言われた通り最初に手を出したのはこちらであったと。はじめてみるお化けに驚いてしまい、つい手が出てしまったのだ。その後で冷静になれたとばかり思っていたが、お化けをお化けというだけで悪いと決め付けてしまっていた事を自覚した。

 カブリの顔が赤くなったがこれは羞恥によるものだ。相手がなんであろうと話を聞かずにいるのは蛮人のすることであって、知性に溢れる都会人のすることではない。また戦う意思の無いものに剣を向けるのはダンロン戦士のすることではなく、カブリは深く恥じ入った。


「全く持ってその通りだ……これは俺が悪い。頭を下げるだけで済む話ではない、とはいえ侘びの証に差し出せるものはこれしかないのだが受け取っていただけるだろうか?」


 カブリは深々と頭を下げるとバージムに対し膝を付き、愛剣を差し出した。これは命の次、いや命よりも大事なものだったがこのぐらいのことをしなければ詫び切れない。

 しかしバージムは乾いた音を鳴らして首を横に振った。


「己の非を理解し頭を下げただけで充分だ。その剣が素晴らしきものである事は分かっているし、そのようなものは優れた生きる使い手が振るうべきだ。貴様の剣はこの百戦錬磨の守将バージムの目から見ても冴え渡っておった、そのような剣士から例え侘びの証といえ相応しき剣を奪う気にはならん」

「戦う意思の無いものに剣を向けてしまったのだ、このぐらいはせんと俺の気がすまんのだ」


「良いと言っているのだから良いのである。だがどうしてもというのであればな、貴様の剣を人のために振るうと誓え。貴様のほどの剣士が力の使い方を誤れば災いとなる、故に誓え。バージムがこの地から行く末に目を光らせてやる」

「分かった、誓おうではないか。元よりダンロンの剣技は地を守るためにあるもの、それを世のため人のために振るうことに一切の躊躇いは無く望む所である。<峻険なるダンロン山>に生まれたカブリは今ここで、都を守護した将バージムに対し我が剣を人のために振るうことを誓おう」


 カブリは立ち上がると剣を真っ直ぐに構え誓約を行った、バージムはそれに頷く。肉の無い骸骨で表情が分かるはずもないのだが、笑っているように感じられた。


「ひとまず一件落着ということですか、私のことを心配してくれたのは嬉しいのですけれどまだ楽器の扱いを習得できていないのです。まだ一週間は必要になるでしょう、必ず戻りますから先に帰って<銀夢亭>で呑みながら私の詩を楽しみにしていてください」

「うぅむブレトがそう言うのであればそうしよう。バージム将軍は寛大な心を持ち死して尚、都の事を気にかける将であることを知れたからな」


 こうしてカブリは部屋を後にし、階段を下りて廊下を渡りながら斬ってしまった亡霊戦士達と幽霊執事に詫びの言葉を入れていった。返ってくるものは無かったが、漂う空気が軽くなった気がしたのできっと聞こえていたに違いない。

 館を出るとまだフラウダは伸びており、気を失ったままの彼女を抱えて都へそして<銀夢亭>へと帰ってブレトの帰りを待った。


 それからちょうど一週間の後の事、宣言した通りにブレトは十二の弦楽器と共に馴染みの店へと帰還する。エルフは店に入ってもいつもの席に座らず、店内の真ん中に腰を据えると弦を鳴らし三週の間に渡って鍛えた声を披露する。


 奏でられる音は古ぶるしくも荘厳であるが、どこか懐かしさを感じさせるものだった。これに乗せられる歌は守将バージムだけでなく、彼と共に戦った<両盾のガッシャ>や<壁上のギガン>といった戦士達の活躍が語られる。

 これらの物語は心を躍らせ振るわせるだけでなく、パンネイル=フスを支える歴史を伝えてくれた。ブレトの語りを聞くものたちは皆大好きな酒を傾ける事を忘れ、食べかけの肉を手に持ったまま耳を傾け続ける。


 弦の音が止んだ時、拍手喝采が巻き起こる。聴衆はブレトの腕を褒めるだけでなく、オーガの波から都を守るために戦ったバージムや、彼に仕えた戦士達を思い思いの言葉で称えた。これにはきっとバージムや戦士の霊も満足する事であろう。

 そしてカブリは自らも後の世に語り継がれる偉大な男になるという決意を新たにし、ブレトはバージムだけでなく多くの英雄達の歴史を語り継ごうと決めたのだった。

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