堕ちた星-後編

 太陽が再び地平の上へと姿を現すと共にシャランララは金属球の中から姿を現した。ちょうど火の番で起きていたカブリはブレトの肩を揺すって起こし、彼女に朝の挨拶を行うと彼女もまた同じように返してくれる。

 けれどどこか気の無い感じであり別の事に注意が向いているようであった。彼女の手の中には二人と同じ言葉を発する箱以外に、薄い板を持っており彼女はそれと自分が出てきた金属球を交互に眺める。


 具体的に何をしているのかわからないまでも、彼女の雰囲気から球状の物体を調べているように見えた。どうもそれに集中しているらしいので挨拶以上の言葉がけをせずに、カブリとブレトは食料の確保へと出かけた。

 昨日と同じように鳥を射ち落として戻ってきた頃には由に一刻以上の時間が経過していた。二人が戻ってくるとシャランララは腰を下ろし、金属の球に背中を預けて空を仰ぎ途方に暮れていた。


「どうしたシャランララよ? 飯の心配はせんで良いぞ、俺は獲物を取れんかったがブレトの奴が鳥をたんと射落としてくれたからな」


 カブリは絶命した鳥の首根っこを掴んで掲げて見せたが、シャランララはこれを一瞥しただけでそれ以上の反応を見せない。もしや自分たちのいない間に襲われでもしたのだろうかと危惧したが、彼女の体には一点の傷も見受けられなかった。

 怪我をしていないことはとりあえず一安心というところなのだが、ただ事でないことが起きたのは誰の目にも明らかである。二人は心配になり彼女へと近づいて視線の高さを合わせるために腰を屈めた。


「一体どうしたんです、私たちのいない間に何かあったんでしょうか? 何でも言って下さい、私たちはあなたの力になると決めているのです」


 ブレトが語りかけるとシャランララはほんの一瞬だけエルフを見たが、すぐに視線を空へと戻してしまう。その先に何かあるのだろうか、視線の先を追ってみたがそこには青空が広がり幾つかの羊雲が心地よさそうに浮かんでいた。

 眺めているだけで爽やかになるほどの良い天気であり、憂鬱になるような空模様では無い。


「お、分かったぞ。国に持ち帰る宝について悩んでいるのだろう、それならば何も不安に思うことはないぞ。世界は広いからな探せば昨日俺たちが口にした以外の宝物もたんとある、都に行けばそういった話を聞けるだろう。安心するがよい」


 彼女を心づけるためカブリは言葉に力を込めたのだが、シャランララはどこか上の空であり二人の言葉が耳に入っていないようだった。

 今は何も言わぬほうが良いだろうと二人は言葉をかけるのを止め、昨晩そうしたように鳥を捌きはじめそうしながらもシャランララに度々視線を向ける。彼女は調理を行っている二人に見向きもせず、変わらず空ばかりを眺めていた。


 鳥をさばき終え適当に作った串に肉を刺し始めた頃になって、彼女は視線を二人に向けると溜息を吐いたのか大顎をゆっくりと開きそして閉じる。そして首を横に振って小さな羽音で零し始めた。


「駄目だ。私は帰れない、船の材料がない」


 独り言だったのだろう。箱から出てくる声も小さなものだったが二人の耳にはしっかり届いていた、けれど彼らはすぐに答えることはしなかった。

 焚き火で鳥を焼き、ブレトが彼女の分を運んでやったが彼女は受け取ろうとしない。押し付けるようにして差し出してみたが、よほど食欲がないのか首を横に振るばかりだった。


 これを一体どうしたものかと悩んでいると、シャランララは翅を激しく震わせてけたたましい音を立て始めた。言葉ではない、その証拠に箱は喋りださなかった。

 激しく打ちつける雨を雷鳴を想起させる彼女の羽音は言葉にならない声だった、それは嗚咽であり慟哭であり彼女が落ちてしまった深い悲しみそのものである。


 ブレトは突然に泣き喚きだした女にどう対処したものか分からずに困り顔を浮かべて振り返った。こういった場面で当てになるような男ではないと知っていたが、カブリの他に頼れるものはいない。

 そのカブリはどういうわけかは分からぬが、顔を赤くし毛を逆立てるほどに怒っていた。ブレトはこれにも驚いてつい手に持っていた鳥の串を落としたが、カブリはエルフの事など意に介さずに大股に歩み寄ってくると力強く握り締めた拳を振り上げる。


 ブレトはすぐそれに気づいて止めようとしたが間に合わない、ブレトが手を伸ばそうとした時にはもうカブリの拳は振り下ろされておりシャランララが打擲されていた。

 鈍い音が鳴ってシャランララは殴られた頬を押さえるでもなく、額に白い光を点しながらカブリを見上げている。カブリはそこに罵声を浴びせかけたのだが、感情が篭り過ぎたために何と言ったのかは誰の耳にも分からなかった。


「貴様それでも女王を目指す女か! 女だろうと王に成ろうというのであれば、子供のように泣いてどうする! 貴様とは昨日に会ったばかりだがな、覇気というものが足りん! それも絶望的なまでにな、種族が違えど王というのであれば民草を導かねばならんのであろう。如何な困難が降りかかろうとも深く座し、構えねばならぬのが王というものではないのか。

国に帰れんのはそれは悲しいことだろう辛いことだろう、泣きたくなっても仕方がないだろう。だが貴様には許されんぞ、王を目指すとはそういうことだ。それに帰れぬのは船の材料が無いと零していたな、なら材料があれば帰れるのであろう。貴様の船は俺たちの知る船とは似ても似つかぬ、何を部材としているのか見当もつかぬ。だからといってこの地に求める物が無いとは限らんだろうが、俺たちが力になってやると言っているのだ。必要な物をとっとと口にしろ」


 シャランララの羽音が止まり、額の白色は明滅し始め少しずつ少しずつ緑色へと変わっていく。落ち着きを取り戻し始めているようだが、悲嘆の淵からは這い上がりきれていないらしく俯いたままだった。

 その間にブレトはカブリに対して抗議の声を上げた。シャランララの容姿は自分たちの知る女性どころか人間と大きく異なるもの、だけれども理由があったとして手を挙げるのは許されない。と、こういう旨の事を言ったのだがカブリはそっぽを向いてしまって聞いている振りすらしようとしなかった。


 こういう態度を取られるだろうとは想像していたし、そういう男だと理解はしているがブレトは落胆する他にない。せめてシャランララを慰撫しようと言葉を投げかけたが、彼女は首を振り慰めを拒絶した。


「カブリの言うとおりだ……王になるのなら泣いていてはいけない、悲しみを表に出してはいけない。けれども見つかるわけがない、あなた達には悪いがこの星の文明の程度は私達からすると赤ん坊のようなもの。もしかするともっと幼稚で稚拙かもしれない、それだけの隔たりがあるのだ。

私の船は川や海を渡るものではない、夜の空を浮かぶ星。その星々の間の海を渡るための船、宇宙という空間を移動するための宇宙船という乗り物だ。あなた達は私の知らぬことを知っているし出来ない事が出来る事はもう見せてもらっている。だから下に見るつもりはない、けれど宇宙船はおろか宇宙というものについてあなた達は知識があるか? 私のこの話を理解できるか?」


 ブレトはつい唇を噛んだ。シャランララの言うとおり、彼女の話を理解できていなかった。宇宙という単語は聞いたことがあるような気がしたが、それがどんなものかは知らない。星と星の間の海と言われても想像すらできなかった。

 だがエルフの隣に立つ大男は違っていた。


「馬鹿にするでない! 宇宙も宇宙船も俺は理解している!」


 カブリは腕を組んで胸を張り、鼻息も荒く喝破する。もちろんシャランラが彼の発言を信用するはずもない。「じゃあ宇宙とはなんだ?」即座にこう聞くのも当然のことである。

 そしてカブリはこの問いかけに対し、自信満々にこう答えた。


「俺は<峻険なるダンロン山>に生まれ、剣の腕ばかりを鍛えていた男だ。けれど今は違う、世界の中心であるパンネイル=フスに住まう都会人だからな。山に暮らしていた頃とは比べ物にならんほどの知見を得ている。その俺が思うに、宇宙というのはだな凄いのだ」


 ここからさらに続くのだろうと期待したのはシャランララだけではない、ブレトも同じである。けれどもこのカブリという大男はそこから先を口にしようとしない。一体何を誇っているのか、胸を張り続けていた。


「それだけですか?」


 きっとシャランララも思っているだろう事を、二人を代表してブレトが問いかける。カブリはすぐさま頷いた。


「そうだ、それだけだ。というかそれ以外に何かわかる事があるというのか。星と星の間に海があるというが、海というのはつまり水で星があるのは空つまりは上だ。水は高いところ、上から下へと落ちるのが常だが落ちてこん。雨というやつがあるが、これは星の海とは関係ないはずだ。関係があるのなら夜の間中降らんとおかしいからな。ということは星の海というのはきっと水ではないのだろう。

ではなんだ? わからん。きっと俺たちの想像できぬものである凄いものに違いない、そしてそこを動く船がシャランララの船だ。凄いところを渡る船が凄くない筈がない、さらにそれをシャランララ達の種族は作る。凄いしか出てくるものがないな、都の学者共が束になっても敵わぬ学識を持っているのだろう。というか二人とも、それ以上の理解が必要なのか? シャランララの船は俺たちの知る科学よりも遥かに優れたそれで作られた凄い船、それ以上の理解は要らんだろうに」


「いや、まぁ……そうですね。ですけど、もう少し他にないですか?」

「無い!」間髪を入れぬ即答は力強かった。


 ブレトは何も言い返せなかったし、その通りかもしれないと思わされていたが釈然とせずに眉間に皺を寄せる。

 これの何が琴線に触れたのか、シャランララは大顎が外れるのではないかというほどに一杯に広げて心地よい音色を翅で奏でた。何が可笑しくてこれほどまでに笑うのか、どこか馬鹿にされた気がしてカブリは口を尖らせる。


 たっぷりと笑ったシャランララは大顎が開かぬように手で押さえ腹を膨らませては縮ませていた。けれどもよっぽどツボを刺激されたらしく、彼女の羽音は中々止まない。


「うん、そうだ。その通りだ凄い、それだけだ。考えてみれば私だって宇宙のことを正しく理解しているのかといえば怪しいものだった。あー……これほど笑ったのは何時振りだろう、長く笑ったことは無かった気がしている。けれども心に覆い被さっていた雲が晴れたようだ、遥か遠くの異なる星で晴れ晴れとした気分になれるとは思わなかった」


 彼女の笑い声である羽音が小さくなるのを待ってからカブリは話しかける。


「気が軽くなったところで、足りない材料は何だ? 俺達には想像できないほどの凄い船のことだ、材料も凄い物が必要なのだろうとは思う。例えば金剛石のような物、あるいはもっと凄い物が必要なのだろうと思うが言うだけ言ってみればどうだ? もしかしたらということがあるかもしれんぞ」

「わかった、そうかもしれない。駄目で元々というところはある、けれど少し待って欲しい。とても専門的な話になる、難しい話だから纏める為の時間が要る」


 そのぐらいはどうという問題ではない、カブリもブレトも暇だからここに来たのである。時間はたっぷりとあった、一日でも二日でも待ってやるつもりでいたが、待つ時間は心臓が一〇〇回なる程度でしかなかった。


「正しく伝えると船の部品は外れてしまっているだけだ。だから繋げてやるだけで良いのだが、繋ぐには合金が必要なのだ」

「合金ですか。ということは二種類以上の金属が必要ということですね」


 ブレトが言うとシャランララは頷いた。


「そうだ、鉛と錫が必要なのだが……この星にそんなものは無いだろう。錫はあるだろうと思うが、鉛はあるかどうか。あれは強い毒のある金属だ、君たちが扱っているかどうか……」


 口にしておきながら無いだろうと思い込んでいるシャランララは、腹を大きく収縮させて腹の横からフゥーと空気を吐き出した。

 船の修繕に必要なものを知ったカブリとブレトは肩を落として顔を見合す。


「鉛も錫も皿や杯を作るに使うものだな、貴族や商人共が好んでおるせいで高価ではあるが格別珍しい品物ではないよな」と、カブリ。

「そうですね。鉛に毒があるなんて話は初耳ですけど、珍しくもなんともないですね。少し大きな街に行けばあるはずですから、往復で長く見積もっても二日あれば取ってこれますね」と、ブレトが言った。


 二人のこれを聞いたシャランララは額の光を長い周期で明滅させ、呆気に取られているようだったがすぐに興奮したかのようにごく短い周期で光を明滅させ始めた。


「本当か? 本当に二日で鉛と錫が手に入るのか?」


 今まで腰を下ろしていたシャランララは立ち上がると、鋭利な指を持つ両手でブレトの手を傷つけぬよう柔らかく包み込む。彼女の箱から発せられる声に抑揚はなくとも、翅の震え方から彼女が酷く興奮しているのが伝わってくる。


「どうにかしてそれを手に入れることは出来ないだろうか……?」


 殻に包まれる腕も足も小刻みに揺れている。もしシャランララが人と同じ発声器官を持っていたのであれば、この彼女の声は震えていたに違いない。


「商人の所に行って買うだけですからね。そういった品を扱っていそうな商人がいる一番近くの街へはそうですね、今から行けば明後日の夜には持ってこれるでしょう。ただどのぐらいの量がいるのです?」

「多くの量は要らない、ほんの少しで充分だ。今すぐにでも鉛と錫を持ってきて欲しい、本来は私が行くべきなのだろうけれどこの姿はあなた達と違いすぎて騒ぎを起こしてしまう……」


 彼女はまだ言葉を続けようとする気配を見せたのだが、どういうわけだかここで口をつぐむと目を伏せてしまう。けれどもやっぱり言いたいようで、何度も二人の顔を伺うようにして視線を上げるのだった。

 シャランララが何を訴えようとしているのか、瞬時に理解することは出来なかったが考える必要はなかった。彼女は遥か遠くの地から来ているのだ、当然のことながら貨幣を持っているわけがない。つまるところ、遠慮しているのであった。


 カブリに無言で促されたこともあり、ブレトはシャランララに気取られぬよう路銀を入れた革袋の中に手を突っ込んだ。ニグラに貰った路銀の一部は使ってしまっていたが、まだまだ潤沢であり金属の食器を買うぐらいはありそうに思えたので、ブレトはカブリへ目配せを送った。


「困っている奴から金を出せという気は無い。幸いなことに今の俺達はちょっとした富豪でな、鉛や錫どころか銀の杯だって変えるぐらい金はあるのだ。お前が欲しいと一言言えば、俺達は今すぐにでも鉛と錫を手に入れて来よう」


 任せろと言わんばかりに拳で己の胸板を叩いたカブリだったが、これを見てもシャランララはまだ逡巡しているらしく大顎を開いては閉じてを繰り返す。


「そう言ってくれるのは嬉しい。でもあなた達には何の利点があるのだろう、私はあなた達に贈れる物を持っていない。食べ物だってそうだ、暖かい肉を食べたのは久しぶりで嬉しかった。けれども私は何も返せていない、せいぜいお礼の言葉を言っただけだ」


 こうして口にすることで自分の中にある引け目を強く自認してしまったシャランララは、胸と腹の繋ぎ目の前で手を組むと肩を縮こまらせた。

 それを見たカブリとブレトは大いに肩を揺らす。そもそも二人は見返りなど求めていないのである、貰える物があれば貰っているが今は金に困っているわけでもない。彼らがここにやって来たのは心を躍らせるものとの出会いを求めてのことであって、その望みは既に叶えられているのだ。


「私たちとあなたの見た目は大きく違いますし、シャランララさんは私たちの言葉を話せない。でも道具を使って言葉を交わすことが出来ますし、もう共に食卓を囲んだ仲じゃないですか。それはもう友と呼んで問題ないのですよ。そして、友が困っているのなら喜んで力を貸すのが友です」

「良いことを言うではないか。そうだぞシャランララよ、ブレトが今言った通りだ。既に俺たちは友なのだ、俺たちが困った時があれば手を貸してくれればよい。けども今はお前が困っている、なら俺たちはお前のために力を奮おうではないか」


 ここまで言われてもシャランララはまだ遠慮してしまい目を伏したが、しばしの逡巡の後に意を決したように顔を上げる。二人の顔を交互に見やった後、ゆっくりと頭を垂れながら翅を鳴らした。

 彼女の箱は言葉を発さなかった、翅の音は翻訳できるような音ではないのだろう。けれども二人はシャランララが鳴らすこの翅の音の意味を正しく理解し、「任せろ」とただ一言だけ残して颯爽と彼女の許を後にした。


 向かう先はもちろん街で、船を直すために必要な鉛と錫を求めるためである。街であるなら鉛も錫も珍しくは無い、少しばかり裕福そうな商人を訪ねれば大体は在庫を置いているものだ。

 その商人を探すのも苦ではなくすぐに見つけることが出来たのだが、ここからが難しかった。カブリもブレトもパンネイル=フスの一部では名が知られているが、都を離れてしまえばただの無頼漢でしかない。加えて旅をしているところであり、埃や泥で衣服が汚れて身なりも悪かった。


 商売人にとって大事なのは金よりも信用である。一見のならず者というのは基本的に信用してもらえず、金を持っていることを主張するだけでなく実際に財布の中身を見せても売るとは言ってもらえなかった。

 仲立ちしてくれる者を探そうにもシャランララの事を考えるとその時間は惜しい。商人との付き合いが多いブレトが言葉巧みに語って信用を得ようと試みるのだが、この街の商人には慎重な性格らしく訝しむばかりで売ってくれる気配を見せなかった。


「あなたが私たちのことを怪しむのは当然のことです。けれどもこちらも急ぎ鉛と錫の皿が必要でして、何とか売っていただけないでしょうか?」

「悪いが売れないね、金を持ってるのは分かったがそれが盗んだものでないとどうして言い切れる。そこまで悪い奴には見えちゃいないがね、鉛と錫がどうして船を直すのに必要なんだい? 良からぬ事を企んでいそうな気がするね、俺は金を貰えるからって悪い奴に手を貸す危険は冒したくない」


 と、こんな調子の会話が幾度と無く繰り広げられた。他にアテがあるわけもなく、ブレトは何とかしてと必死に食い下がるのだが、必死になれば必死になるほど商人には怪しまれてしまう。

 そして遂にカブリは我慢が出来なくなった。自分たちに疚しい事は一つとしてない、それを何度も真面目に主張しているのに怪しまれる一方なのは容認しがたいものであり、とうとう腰の剣を抜くに至った。


 こうなれば商人は売るしかない。幾ら信用が大事で、悪事に手を貸すまいとしたところで命が無ければどうしようもないのである。そして提示された値段は相場よりも高いものであった。払えない額では無かったし脅したという負い目は確かに感じるものであったので、色を付けて支払うと風に乗るようにして街を去った。

 鉛と錫の皿を一枚ずつ持ってシャランララの元へと戻ったのは、出発してから次の日の夜中である。彼女の船が擱坐している窪地の中へ下りてみると、シャランララは船の陰に隠れるように明かりもつけず座り込んでいた。


 二人が金属の皿をそれぞれ手に持ち振って、月明かりを反射させながら声をかけると彼女はハッと顔を上げて額に柔らかな光を灯し細い脚で駆け寄ってきた。


「ずいぶん待たせてしまったな、鉛と錫の皿だ。こいつがあれば船を直せるのだな?」


 シャランララは両手に皿を受け取ると頭上に掲げ、月の明かりで検分し始めた。額の光も、翅の音も無いために彼女の感情は分からないが集中しているのだと見て取れる。彼女は目視を終えると今度は鋭利な指先でその表面を撫でていく、二人は固唾を飲んで彼女の検分が終わるのを待った。

 ぶぅんと翅を鳴らしたシャランララは皿を重ねると大事に胸へと抱え込み、二人に対して長いことを頭を下げた。


「ありがとう。何と礼を言えばよいのか分からない、これで私は国に帰ることが出来る」

「それは良かった、となると後は宝を探すだけですか。女王の資格を得るための宝もまだ見つけていないのですよね、私もカブリさんも宝探しを手伝いますよ」


 一息つくように肩の力を抜きながらブレトが申し出たのだが、シャランララはゆっくりと首を横に振った。


「いいや、その必要は無い。あなた達が出かけている間に、私はまたとない宝を見つけた。後は船を直すだけなのだ」

「おぉそうかそいつは良かった。しかし宝が何なのか気になるな、金剛石以上の値打ちがあるものとなれば早々お目に掛かれるものではあるまい。大事な物だから見せて欲しくはあるが無理は言わんけれども、どんな物なのかぐらいは教えてもらえんだろうか? 流石に口にしたからといって価値が減るようなものではあるまいよ」


 この近辺で宝物になりそうな物が見つかるとは到底思えなかったが、人にとってそうでなくともシャランララの種族にとっては宝になるようなものがあったのかもしれない。それは果たしてどのようなものか、人にとっても宝かもしれないし、もしかすると塵ほどの価値も無いものかもしれなかった。


 彼女にとっての宝は何か、当然のように教えてくれると思っているから聞いた。けれどシャランララは黙ってしまうのである、これはおかしい。もしや気を使って嘘を吐いているのでは無いか、ありえない話ではないのでカブリは問い詰めた。

 けれど、嘘ではない宝は見つかった、とシャランララは返してくる。だが正体を教えろというと彼女は途端に黙りこくってしまう。嘘を吐いているに違いない何としても本当のことを言わせてやる、と気合を入れ始めたカブリの肩をブレトが叩いた。


「カブリさんちょっと待ってくださいよ。あなたは口にしたところで宝の価値が減ることは無い、と仰っていますけれど本当にそうでしょうか? 私たちはずっと物だとばかり思っていますが、彼女の言う宝が魔術に関するもの……例えばそうですね、呪文だとしたらどうでしょう?」


 ブレトの話を聞いたカブリは「あっ」と声を出した。

 有り得る話である。魔術については素人だが、魔道に於いて名前は大いなる意味を持つという。場合によっては軽々しく口にするだけで呪われる名前があるという噂も聞いたことがあった。

 なるほど、彼女の見つけた宝が魔術に類するものであれば口にしないのも道理である。カブリは己の不覚を恥じ、誠意を込めてシャランララへ謝罪の言葉を口にした。これを受けたシャランララは気にしないようにと言ってくれたのだが、その様子がどうもおかしい。


 カブリは気づいていないようだったが、ブレトの狩人の目は彼女の一挙手一投足がぎこちなくなっていることを捉えていた。どうにも演技をしているように思えたのだが、それを問うより早くシャランララは丸い船の中へと入っていった。

 彼女の船は扉がしまってしまうと継ぎ目すら見当たらない丸い金属の塊で、中の様子を覗けやしないかと周りをぐるりと回ってみた。分かっていたことではあるが、やっぱり窓は無い。中でどんなことをしているのだろうかと、彼女の名を呼んでみたが返事は無かった。船の構造材が分厚くて音を通していないのだろうと二人は考えた。


 必要な物は渡したのだし、ここで帰ったところで問題はない。ただ二人の好奇心はそれを許さなかった、金属製の丸い球にしか見えないシャランララの船が星を渡るところを見てみたかった。

 渡した材料は決して多くない、ということは手を入れなければならない箇所は少ないはずである。彼女は船の中で修理のために手を動かしているに違いなく、終わるのはそう遠い時間ではない。引っかかるところが無いとはいえないが、女王の資格を得るために必要な宝も得たと彼女は言った。


 なら修理が終われば彼女は帰るはずであり、その時は船の出番である。待っていればこれが動くのもすぐだと考え、火を絶やさないようにしていたのだが船が動く気配は無くシャランララが出てくる様子も無いままに空が白み始め太陽は地平から顔を覗かせる。

 彼女を待ち他愛の無い四方山話やちょっとした賭け事に興じて時間をつぶしている間にも、太陽は天の頂を昇りきっており放つ光を赤くしながら地へと下ってゆく。このままでは夜になってしまう、シャランララも腹を空かしているだろうと二人は狩に出かけ、また鳥を掴んで戻ってきたがまだ船はそこにあるままで蜂人間の姿も見えない。


 どれだけ集中していようとも訪れるのが空腹だ、そのうち腹を空かして出てくるだろうと考えていたのだがシャランララは出てこなかった。相当に専心しているらしく夜がとっぷりと更けても彼女は現れず、カブリとブレトの二人には睡魔が忍び寄る。

 だが二人は眠らなかった。修繕が終われば胃を空っぽにした彼女がやってくるだろう、その時は笑いながら祝辞を述べてやろうとしていたのだ。けれど、待てども待てども彼女は出てこなかった。眠気から口を動かすのも億劫になり、ぼんやりと火を絶やさないように焚き火に枝木をくべながら過ごしていると空の色は黒から紺へと変わり行く。


 地平の彼方が白み始め朝の訪れも目前に迫った頃になってようやくシャランララが船から姿を現した。ずっと船を直し続けていたのだろう、彼女の肩は重く垂れており額の光も弱弱しく全身から疲労が滲み出ていた。


「終わったのか……?」


 喜びの色が見えなかったために、カブリは祝辞の前にまず確認をとることにした。疲労の重さのためかシャランララの返答は遅かったが、彼女は確かに頷いてこう言った。


「あなた達のおかげで船は正常な機能を取り戻すことが出来た。これで私は星の海を渡り故郷へと帰ることが出来る、既に帰りは遅くなってしまっている。向こうでは音沙汰の無い私のことを心配しているかもしれない、すぐ帰るつもりだ」

「すぐ帰るのですか? 見たところあなたはかなり疲れているようだ、少し休んでからでも良いでしょう。変わり映えが無くて申し訳ないですが、またあなたの分の鳥だって用意しています。せめて食事を摂ってからでも遅くは無いでしょう」


 ブレトの言葉の後、カブリは彼に賛同し同意の旨を口にした。シャランララの意志は固い、考える素振りすら無く首を横に振る。

 カブリもブレトもこの場からシャランララの故郷まで、どの程度の距離があるかは想像していない。だが彼女の航海は長旅に違いなく、そのためにも休息が必要だろうから引き止めたくはあった。ただ何を言ったところで耳を貸さないほどに彼女の決意が強固であることも分かっている。


 二人は当初からそのつもりであった祝辞を口々に述べ、せめて道中の糧食になればと焼いてあった鳥と自分たちの飲み水を彼女に差し出した。戸惑いながらも彼女はこれらを受け取り、じっと鳥と水の入った革袋を見ている。


「ありがとう、しかしこれを食べる時間も私には惜しい。船旅の中途に頂いても構わないだろうか?」

「それは構いませんが、どうしても今すぐに発たねばならないのですね?」


 ブレトの問いにシャランララは深く頷き、二人はもう足を止めるようなことを言うまいと決意した。しかしカブリはどうしても気になってしまっていることがあり、尋ねるために一歩前へと出る。


「世には口に出してはならんモノがあるのは知っている、だからここで駄目だ無理だと言われたら俺は諦めようと思う。女王を目指すシャランララよ、お前がここで見つけた宝というものは一体なんだ?」


 シャランララは黙して語らず額の光を明滅させる、その周期と強さは照れを連想させるものであった。催促したい気持ちを抑えてカブリは黙り彼女の複眼を見据えていた、シャランララは何も答えなかったが溜息を吐くように大顎を大きく開く。


「少し待っていて欲しい。あなた達に渡したいものがある」


 問い掛けへの答えではなかったが、カブリは頷いた。シャランララは一度船の中へと戻ると、手に長方形の箱を手にして出てくる。彼女の羽音を人の言葉に訳している箱とはまた別のものだ。

 差し出されたそれを受け取り仔細を観察してみる。幾つかの釦が付いており、それぞれの釦の用途を示しているらしい文字が彫られているのだがカブリにもブレトにも読めない文字だった。


「それは遠方にいる者と会話をするための装置だ。いや、正しくない。私と離れていても会話が出来るようにするためのものだ。といってもあまりに遠くになると会話は出来なくなる、ここと私の星の距離はあまりにも遠い。だからそれはただの箱、記念品程度に思っていて欲しい」

「あいわかった。けれども宝については教えてくれんのだな」

「教えられない、構わないけれども恥ずかしい。後は察してくれ」


 シャランララはカブリだけでなくブレトからも視線を逸らした。それで二人は宝の正体に気づき、大いに笑い声を上げる。この反応はシャランララにとって好ましいものだが、恥ずかしさを感じさせるものであり額の光を激しく明滅させていた。

 彼らは互いに交わすべき言葉を探したが見つからない。気の利いた台詞を、と思わないでもなかったが既にそれらは野暮なものとなっていた。言葉は無用、カブリとブレトは船から離れると窪地の縁に立ってシャランララを見下ろす。


 彼女は無言のまましばらく見上げていたが、しばらくすると船の中へと入っていった。シャランララが中へ入ると、球状の船は地面に接している箇所から強い光を放ち目が眩む。白い炎のように見える閃光だが熱は一切無かった。

 目を細めながら見守っているうちにも光は強くなり、体の芯にまで響いてくる低い音が放たれた。この音は時間の経過と共に強くなり、大気を震わせるだけでなく遂には地面までをも揺らし始めたが立っていられないほどではない。


 目の当たりにする未知に対し怖気を感じなかったといえば嘘になる。足が震えているのは決して地面が揺れているからだけではなかった。それでも二人は一歩も後ずさることなく、この驚嘆を最後まで見届けようと踏みとどまる。


 大地がひときわ激しく揺れた。


 次の瞬間にはもうシャランララの船は大地から離れ、遥か天上に広がる星の海へ目指して飛び上がっていた。網膜には流れ星のように光の軌跡が残像として映っていたが、空を仰いでも彼女の船は瞬く星々と見分けが付かないものとなっていた。

 シャランララが帰途へ着いたことを見送っても二人はすぐに動かず、夜が明けるのを待ってパンネイル=フスへと戻る。その頃には日が経っていたが、彼らの心はまだ天上へ奔る船の軌跡が鮮明に残されていた。


 数週間ぶりの<銀夢亭>にはいつもと変わらない喧騒が戻っており、ニグラの姿はそこにない。魔女の目的が果たされたかどうか、二人には定かでなかったが日常へと戻ってゆく。

 堕ちた星の話題は続いていたがそれも日に日に小さなものへとなっていった。<混迷の都>を騒がせる事件など幾らでもある、例え星が落ちたからといって何年も語り継がれるようなものではない。カブリとブレトの二人も同じで、シャランララとの出会いは満足の行くものであったが新たな冒険を繰り返すたびに記憶の端へと追いやられていく。


 誰も星の話題を口にしなくなった頃、カブリとブレトの二人もシャランララとの出会いを思い出すことはなくなっていた。けれどたまたま、過去に得た宝を並べて眺めていたときのことである。

 シャランララから渡された装置から音が鳴った、翅の音である。感情を伝える光も無く、人の言葉に訳されているわけでもない。だが歌うようなその音に二人は彼女の即位を確信し、パンネイル=フスの片隅から星の海を隔てた場所の友へと祝杯を捧げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る