堕ちた星-中編

 <銀夢亭>を後にした二人は食料と水を買い込むと早々に都を後にした。もっと入念な準備が必要ではないだろうかと話し合いはしたのだが、待っているものの正体が分からない以上、どれだけ準備をしたところで足りなくなるに違いない。

 それならいっそのこと水と食料だけの方が道中が楽だということになったのである。そういうわけで二人は期間の分からない旅だというのにかなりの軽装で都を出ると、<眠らぬ都>ミルドナァト=フスへと続く街道を西へ西へと歩いて行った。


 どこかで街道を外れねばならないはずなので、途中ですれ違う旅人や隊商達に星の事を訊ねながら進んでゆく。その度に彼ら二人は怪訝な顔をされながらも情報を得て行った。

 ある者によると星の落ちた地には毒が立ち込めているという、別の者は凶悪な魔物が現われたというし、また別のある者は怪しげな人を焼く光が放たれているという。


 これらの話に共通点はないが、どれもこれもが噂話の域を出るものではない。だが星が落ちただけならばこんな様々な噂は出てこないだろうし、近づく事を躊躇わせる何らかの事象があるだろうというのが二人の共通した見解だった。

 一体全体、向かう場所に何が待っているのか。不安と、そしてそれ以上の好機を抱きながら街道を進むこと二日、外れて歩く事一日で星の落ちた場所へと辿り着いた。


 星の落ちた場所は木立の中にあり、落下時の衝撃により窪地の周りの木々は放射状になぎ倒されていた。中には折れているものもあったが、どの木も根っこから持っていかれたものは無く強引に幹を曲げられながらも力強く緑を茂らせている。

 窪地は綺麗な円形をしており直径は大人が一〇人横になったぐらいだろうか。

 毒があるかもしれないため二人は少し離れたところで鼻を利かせてみた。木が焼けた臭いがほのかにしていたが僅かなもので、鼻を動かせなければ緑の匂いの中に紛れて気づくことは無かっただろう。それでも二人は念を入れてすぐに近づく事はしなかった。


 道中の話にあったような毒気が立ち込めているなら、気分が悪くなる等の症状が現れるのだろうと考えたのである。二人は窪地へ視線を向けながら太陽の位置が明らかに動くまで待った。そこで体に何の不調も出ないことをお互いに確かめ合い、ゆっくりと足音を忍ばせながら窪地へと近づく。

 耳にした噂全てを信じているわけではないが、本当だった時の事を考えての事である。一歩近づく度に姿勢を低くし、縁へと来た時には腹ばいになっていた。


 音を忍ばせ息を殺して窪地の中を覗き込む。窪地の深さは大人一人半か二人ほどの深さがあり、綺麗なお椀型になっている。その真ん中、窪地の底には銀色に輝く金属で出来ているらしい構造物があった。

 それは何かの衝撃を受けて壊れてしまったものらしく、元は球状だったと見て取れるがその形は歪な物であり、周囲には構造物から飛び出したものと思われる大小雑多な破片が飛び散っている。そしてこれら破片を拾う人型があった。


 人型といっても人間ではない、かといってエルフやドワーフそしてケンタウロスといった種族でもない。背の高さは一六〇から一七〇の間で、人間と良く似た手足を持った巨大な雀蜂である。これに二人は危機感を覚え、素早く身を隠し額を突き合わせた。


「ブレトよ……お前はあのような種族を見たことがあるか? 俺は今まで多くの種族を見てきたつもりではあるがあそこまで虫に近い種族を見たことが無い」

「私も見たことありません。透明な翅を持つ妖精族なら森で度々出会うことはありますが、妖精族の姿は人間をそのまま小さくしたようなもの。あんな大きな蜂人間の格好をした種族なんてのは見たことも……長老の話にも聞いたことありません」


 あれはいったい何者だろうか、互いに意見を交わしあいたかったが蜂人間はすぐそこにいる。進むか、退くか即座に決めなければならない。雀蜂という昆虫は人間を一刺しで殺せる毒針を持ち、また群れを作る特徴があることを二人は知っている。あの雀蜂を大きくしたような蜂人間もそれと同じ特徴を持っていることは充分に考えられた。


 カブリとブレトは意識を窪地の底から周囲へと向ける。蜂と同じ特徴を持っているなら仲間が近くにいるかもしれないと考えたのだ。けれども辺りに気配はなく、窪地の中以外に蜂人間の姿は無さそうである。

 この事に一先ず安堵した二人は、無言のままに頷きあって一時の撤退を決めた。気づかれぬよう、音を立てずに腹ばいのまま後ろへと下がろうとしたところで、窪地の底からぶーんぶーんと低い羽音がする。


 気づかれたと思った二人は額にうっすらと汗を浮かべ、カブリは剣の柄を握りブレトも短剣の柄を握りしめる。


「そこにいるのは誰。 姿を見せてください」


 窪地の中から聞こえてきた声には抑揚というものが無く、発音にもおかしなところがあったが紛れもない共通語である。声の主は考えるまでもない、窪地には蜂人間しかいないのだ。

 二人は意を決して立ち上がると敵意が無い事を主張するために手を広げてみせた。蜂人間は手に金属で出来た筒のような物を持っており、その先端を二人に向けている。刃らしきものは付いていなかったが、カブリとブレトはそれが武器であるという印象を強く受けた。


「俺は<峻嶮なるダンロン山>に生まれたカブリという者だ、今は故郷を離れパンネイル=フスに住む都会人である。隣にいるのは俺の相棒で、エルフ族のブレトという者だ。俺もブレトもお前と敵対する心はない、俺たちの言葉が通じているのならそちらも名乗り生まれを教えて欲しい」


 蜂人間からの返事はなく、体躯の割には小さな翅をブーンとうならせ、額にあるガラス玉に見える器官から赤色の光を不定期に明滅させている。


「あー……警戒しないで、カブリさんの言ったように私たちに敵対の意思はありません。それを示すために武器を地面に置きます。あなたも武器を手にしているのなら、私たちと同じようにしてくれませんか」


 ブレトが腰の短剣と背中の弓そして矢筒を置いたのに続き、カブリもまた腰の剣だけでなく背中に背負っていた荷物を置いた。それからまた同じように両手を広げて見せる、その間中ずっと蜂人間は二人の動きを観察していたようだった。

 武器を地面に置いてからも蜂人間は二人の言葉と態度をまだ疑っているのか、筒を手にしたまま何度か首を傾げたようだった。けれども変化が無かったわけではなく、蜂人間の額から発せられる光の色が赤から黄色へと変わっている。


 これにブレトはもしかしてと思い至ることがあり、羽織っていた緑色のマントを体から外すと蜂人間に良く見えるようにして広げて見せる。想像が正しければこれで蜂人間に二人の意思は伝わるはずだった。


「マントを広げてそれは一体どういうことだ?」


 カブリの問いにブレトは「今は黙って」とだけ返して蜂人間をじっと見る、けれども焦点は微妙にずらしておいた。

 それでも蜂人間はまだ二人を警戒しているのか筒状の物体を手にしたまま、黄色の光を明滅させている。だがこの光の色は明滅を繰り返す度に、少しずつ緑へと近づいていき完全に緑色になると蜂人間も手にしていた筒を地面に置き、二人と同じように両手を広げた。


「おいどうなっている? 俺にはさっぱりとわからんぞ」


 再度のカブリからの問いに対しブレトは返事をするどころか聞く耳も持たず、じいっと蜂人間を見ていた。互いに動きはなく、このままだと膠着状態に陥るだろう。


「今からそちらに下りますが、宜しいでしょうか?」


 ブレトが尋ねる、蜂人間から言葉による返答はなく頷きもしなかった。額から青色の光を一度だけ明滅させる、ブレトはこれを承諾の意であると受け取りカブリを促して窪地へと降りてゆく。

 二人が窪地の底へと降りるまで間、蜂人間は両手を広げたままの姿で何かをする風は無く二人を待っているようにも見えた。


「では改めまして、私の名前はブレト。こっちの乱暴そうなのはカブリ、言葉は通じていると思います。あなたの名前を教えてもらえませんか」


 友好の意思を持っていることを示すために握手を求め、ブレトは手を差し出した。途端、蜂人間は額から黄色の光を放つと翅を動かしながら後ろへと二歩分の距離を飛ぶ。


「あぁ、どうやら文化が違うようですね。私たちは互いの手を握り合い、敵意が無いことと親交を求めていることを伝え合うのです。良いですか、私たちは敵対する意思などこれっぽちもないのです」


 手を差し出したままブレトは緑色のマントを振ってみせた。蜂人間の額がまた緑へと戻り、一歩こちらへと近づいてくる。そして蜂人間は胸に付けている鞄から金属で出来た四角い箱を取り出すと、翅を動かして音を出す、この動きに合わせて四角い箱から無機質な声が流れ出した。


「私の名前シャランララ、という。違う星からきた、あなた達からすれば宇宙人というもの。体のつくりが違う、私はあなた達と同じ声を出せない。箱を使って言葉を出す、無礼許せ」


 蜂人間の名前がシャランララであるということ、蜂人間は人と同じようには喋れず箱を使わなければ言葉でのやり取りが出来ないことを二人は知った。だがシャランララの言う、違う星から来たとはどういうことか、宇宙人とは何なのかということは二人にはわからない。


「なるほど。お前の名前はシャランララというのか、それは分かった。だがお前は一体どこから来たのだ? そしてどういう種族なのだ、お前のような種族がいるという話は聞いたことが無いぞ。呪われた忌まわしき魔族というわけでもあるまい」


 カブリの問いにシャランララは身を小さくしたようで、額の光は身近な周期で様々な色に変わってゆく。ブレトにはシャランララが困っているように感じた。


「XXXXが私の故郷。私たちの名前はXXXXという、けれど……翻訳できない」


 シャランララが翅を鳴らして箱が喋る、だが肝心なところは翻訳できないという言葉の通り全く意味をなさない砂嵐のような音になってしまっていた。

 蜂人間の出身地と種族の名前が分からないことは残念ではあるが、要望の通りに答えてくれようとしただけで二人には充分である。互いに敵対する意思が無いことを認識できればそれで良いのだ。後は時間が必要になるが、言葉さえ通じるのならば理解しあえるだろう。


 カブリとブレトは地べたの上に腰を落ち着け、シャランララと語らうことにした。当初シャランララは乗り気ではなさそうで、二人にそれとなく帰るように促し質問してものらりくらりと躱そうとしていたのだが帰ろうとしない人間たちの様子に根負けして身の上を話し出す。


 シャランララの種族は女王により統治が行われており、シャランララは一〇〇人以上いるという次代の女王候補の一人だった。二人は彼女の事を根拠もなく男だと思い込んでしまっていたため、これには大層驚いたがそれを露わにすることは無礼の極みと表情に出すことなく彼女の話を聞き続ける。

 女王になるためには試練があり、星を飛び出し別の星へと赴き宝を持ち帰らなければならないという。女王候補の持ち帰った宝は女王が品定めし、最も素晴らしい宝を持ち帰ったものが次の女王として任命されるという事だった。


「ほう……それは面白い話だな。一体どういう宝を持ち帰れば次の女王になれるのだ?」

「それは良く分からない。宝石や希少な金属を持ち帰る者もいる、違う星の戦士を連れて帰る者もいるし絵画を持ち帰ってくる者もいる。選ばれる宝はいつも違う、私たちにとっての宝を持ち帰ればいいわけではないらしい。その星にとっての宝でないといけないのかもしれない」

「つまりシャランララよ、お前は俺たちの宝が欲しいわけか?」


 軽い調子でカブリが尋ねると彼女は項垂れるような仕草を見せ、額の光が弱弱しい物へと変わっていく。どうやら落ち込んでいるらしい。


「欲しいといえば欲しい……けれどこの星の宝は私には分からない」

「俺にも正直なところ良く分からんな。俺にとって宝といえば鍛え上げられた剣だ、けれどもこれを宝だと考えぬ者もいることを知っている。誰もが宝だと認めるような品となると見当がつかん、ブレトはそういったものに心当たりがあるか?」


 話を振られたブレトは少し考えた後でぽつりと零し始める。


「誰もが宝だと認めるような物となると、金剛石ではないでしょうか。どんな業物で切り付けても傷一つつかない、永遠の輝きを持つ宝石です。これは間違いなく宝といえるのでは?」

「おぉなるほど金剛石か! 確かにそれなら誰もが宝だと認める品であろう、王侯貴族ですら喉から手が出るほど欲しがるような宝石だ。あまりの希少さに俺など話に聞いたことがあるだけで実物をお目にかかったことが無い! そういうものならシャランララの女王も認めるのではないか?」


 シャランララに表情というものはない、だが代わりに彼女は額の光で感情を表現しているらしいことが分かり始めていた。彼女の額は橙と緑色を交互に点灯させていて、カブリそしてブレトは浮かない顔をしているように思える。


「どうした? 金剛石ならば誰もが認める宝だぞ?」


 シャランララの光が白くなり、スーッと力を失うように弱くなっていく。何か言いづらいものがあるらしかったが、言ってもらわねば話にならぬとカブリは言葉にするよう催促した。


「金剛石は私の星にもある、価値のある物。だけど宝と言える程のものではない」


 彼女は肩を落として腹の両横から空気を出した。

 金剛石が宝にならないとなれば頭が痛くなってくるが、二人は思いつく限り価値ある物の名前を出していく。竜の角や牙、魔力の込められた装飾品、果てはカブリの持つ魔剣<狼の爪>の名も挙げてそれらがどういう品物なのかもシャランララに説明した。


 ただそのどれもが彼女にとって女王の試練に相応しいほどの宝ではなかったらしい。名を挙げた品々に対し「それは素晴らしい」等、賞賛の言葉を発しはしたが欲しいとは言わなかったしそれらしい素振りを見せることもなかった。

 かといってどんな物が欲しいとかいう要望を言いもしない。行き詰りつつあると感じた二人、特にカブリは強い苛立ちを感じ始めた。カブリ自身も苛立ったところで意味が無いことは承知しており、苛々を表に出さぬように努めはするものの元来感情を隠すのが苦手な男である。


 文化も種族も違うとはいえシャランララはカブリの苛立ちを察知し、申し訳なさでも感じているのか身を縮こまらせる様子を見せて口数が少なくなっていった。これでは余計に展望が見えて来ようはずもない。

 カブリよりかは焦りを感じていないブレトはまだ冷静な自分がどうすれば力になれるだろうか、そんなことを考えて空を見上げて大変なことに気づいた。太陽は地の下へ隠れようとしており、頭上の空は紺色で大きな星が早くも姿を露わにしている。


 今からでは最も近い集落に急いでも到着する前に夜がやって来てしまう。自らの腕に自信をある戦士と狩人だからこそ、夜の闇の危険さ恐ろしさを熟知していた。可能な限り身軽でいようとしたことがここで災いし、二人は食料を持っていなかった。


「カブリさん。彼女の宝が何なのか探るのも大事な事ですけれど空を見上げてください、もう夜になってしまう。今から戻っても間に合わないでしょう、どうします?」


 尋ねはしたがブレトはカブリが答えることは想像がついており、そしてその想像通りの答えを彼は口にする。


「そんなもん適当なところで火を起こして野宿するしかなかろうよ、俺もお前もマントに包まって眠るのは慣れておるしな。飯は無いが夜になりきってしまう前ならば、俺とお前が協力すれば適当な動物が狩れるだろう。おい、女王を目指すシャランララよ。お前それだけ立派な顎を持っておるのだから当然のように肉は好きであろう?」


 突然に話を振られたからだろうかシャランララは驚いたのか翅を短くブンと鳴らし、手の平を二人に向けて小さく揺らす。遠慮しているのかもしれないがカブリにそんなものが効くはずもなく、ブレトも既に彼女の分も狩るつもりでいた。

 引き留めようとする素振りを見せるシャランララを余所に早速、彼らは身支度を整えると狩りへと出た。時間もあまりない、大型の動物を狩るのは難しいが日が暮れようとするこの時間は寝床へ帰ろうとする鳥たちが空を飛び交う。


 この鳥たちは人の手が届かないようにするためか高所を飛んでいたが、火竜の骨と腱を組み合わせ作った弓を使うブレトには関係が無い。エルフは体の奥底に流れる狩人の血を湧きたたせ、血潮の声に従い弓を引き絞れば鳥が一羽また一羽と落ちていく。

 カブリはこれを見て奮い立つ、戦士に飛び道具は無いが険しい山に生まれ育った彼には肉食獣の如き俊敏さが備わっている。これを武器に地を這う獣を狩ろうと、厳しい自然に鍛えられた視力を用いて獲物を探し、そして向かう。


 だが悲しいかな、近場にいるのは小型の獣しかいなかった。彼らは早い、肉食獣の如き素早さを持っているとはいえ脚のみを武器とする彼らの速さには敵わない。額に玉のような汗を浮かべつつ、日が暮れ切ってしまうまでにカブリが捕まえられたのは一羽の兎のみであった。


 対するブレトはといえば両手に合わせて一〇羽の鳥を仕留めていた。負けず嫌いのカブリだったがこうも差を付けられては素直に負けを認めるしかなく、同時に相棒と頼るエルフの腕前を頼もしく思うのである。

 これはブレトも同じだった。カブリは弓を持たず獣を仕留めるには近づくしかないのであるが、獣というやつは人の気配に敏感であることをブレトは熟知している。にも拘わらずカブリは一羽の兎を仕留めたのだ。


「流石は森に生まれ獣を狩ることを生業とするエルフだな、この僅かな時間で鳥を一〇羽も仕留めよった。ダンロンにも弓を使う者はいたが、お前ほどの腕前の男は見たことが無い」

「そちらこそ、その二本の足と長大な剣しかないというのに見事兎を捕まえておいでだ。警戒心が強く素早い獲物を身一つで捉えるだなんて、生まれながらの肉食獣でもないと無理な話ですよ」


 このように互いの腕前を讃えあい笑いながらシャランララの許へと戻ると、彼女は調理の準備をしていた。あまり大きなものではないが鍋と皿等の食器を地面の上へと並べている。自分たちの取った獲物をこの異種族に自慢してやろうと思っていた彼らだったが、彼女が用意した器具を見てそんな気分は吹き飛んでしまう。

 鍋も皿もやや小ぶりではあるが自分たちが普段使っているものと形状は変わらない、驚いたのは材質である。艶の無い銀色できたそれらは使い込まれているようだったが疵らしい疵はなく、一分の歪みも認められなかった。


 そして何より驚いたのは軽さである。明らかに金属で出来ているというのに、これら器具や食器類は下手な木材で作ったものよりも軽かったのだ。

 鍛冶師でもドワーフでもなく、冶金には素人な二人が見てもこれらが高度な技術で作られたものだということが一目でわかる。そして同時に、こんなものを作るシャランララ達ならば金剛石を宝扱いしないだろうことにも納得がいった。


 思わぬ驚きに目を丸くしていた彼らだったが、驚いていたのは彼らだけではない。シャランララもまた驚嘆を覚えて額の光を興奮気味に激しく明滅させていた。彼らが原始的な道具だけで、しかものこの短時間の間に多くの動物を狩ってきたことが彼女には信じられないことだったのである。

 ただ驚いてばかりはいられない。既に太陽は地の底へと沈んだ、かろうじて明かりを覗かせてはいるがほんのわずかな物。カブリとブレトはいつも野宿する時と同じように、乾燥した枝木と火打石を使って火を起こして狩ってきた獲物の毛と臓物を取り去ると枝にさして焼き始める。


 彼らにはなんて事はない日常やっている事なのだが、シャランララにとっては珍しい事である。彼女に表情は無いが額の光と、じっと二人の手つきを眺める姿で興奮しながら作業に見入っているのは明白だった。


「随分と見入っていたようですけれど、あなた達にとって珍しい事だったんですか? 私たちには当たり前のことで、野宿する時にはこうして火を起こして肉を焼く。どうぞ、味付けも何もないので口に合うかはわかりませんが」


 ブレトが焼けた鳥を差し出すとシャランララは何故か躊躇する様子を見せ、鳥を受け取ったもののじっと見たままで口に運ぼうとしない。不思議に思いながら見ていると、彼女は二人の顔を交互に見やった。


「どうした、食い方が分からんのか? それとも毒があるとでも思っているのか? こいつはブレトが獲ったものだ。エルフが食えぬものを狩るはずがない、安心して齧りついたら良いこのようにな」


 ハハと笑いながらカブリは大口を開けて鳥に食らいつき、肉を引きちぎるともっしゃもっしゃと口を動かし、喉を鳴らして胃袋へと送り込む。

 ただこれを見てもシャランララは食事を始めようともせず、額を弱弱しく明滅させるばかり。何かを悩んでいるように見えなくもない。彼女はまた肉を見つめた後、意を決したかのように顔を上げて大顎を動かしてカチリカチリと音を鳴らした。


「私、あなた達のように食べることは出来ない。無礼になるかもしれない、食べるところ……見せたくはない」


 シャランララの言った事を聞いて二人はしばしの間手を止めてしまったが、すぐに大声を上げて笑い始める。これに彼女は萎縮してしまったが、カブリとブレトからすればこの発言はあまりにも可愛らしいものだった。


「馬鹿を言うなシャランララよ、そんなことわかりきっておるわ。俺たちとお前では体の作りが違うではないか、お前のような立派な顎を俺たちは持っておらん。口の形が違うのだ同じように食べられるわけが無いだろう、お前はお前の流儀で食うが良い」

「全くもってその通り、カブリさんの言うとおりだ。無礼がどうとか気にするのでしたら作法なんてものはそっちのけにして、あなたの食べやすいように食べてくださいよ。食事の席を共にしてくれる方が私たちは嬉しいんですから、ねぇ?」


 ブレトに同意を求められたカブリは間髪入れずに「あぁ全くもってその通りだ」と答える。

 彼らのこの反応に安心したのか、シャランララは肩から力を抜いてブンと翅を鳴らすと雀蜂そのものの大顎を使って千切った肉を保持した。そこからどうするのだろうと気になって見ていると、口の奥から鑢のような器官を伸ばし、顎で掴んだ肉を舐めるように削り食べていく。


 見慣れぬ異種族の食事光景を目の当たりにして好奇心が湧かぬはずもない。カブリもブレトもつい食べるのを忘れてシャランララの食事に見入ってしまう、すると彼女はすぐに気づいて額を一度だけ大きく明滅させるとぷいっと顔を背けてしまった。

 この仕草は彼らが普段見慣れている女たちと寸分違わぬものだったため、蜂そのものの姿をしていても微笑ましく見てしまう。


「馬鹿にしないと言った、なのにどうしてそんな目で見る?」


 彼女の言葉は箱を介してのものであり、箱から出る声は抑揚が小さい。けれど彼らにはシャランララの恥ずかしさと共に非難がようく伝わってきた。

 どれだけ文化そして種族が異なろうとも、相手にとって当たり前の食事作法を馬鹿にするというのは失礼極まりないことである。ついとはいえ失念してしまっていたことに、二人は深く恥じ入って真摯に謝罪の言葉を述べた。


 この誠意は生まれの大きく異なるシャランララにも伝わったようで、彼女は許してくれた。これにカブリは「さすが女王を目指すものは懐が違う」といたく感心していたのだが、ブレトは表に出しこそしなかったが背中に冷たいものを流していた。


「ところで味はどうですか? 私たちには慣れ親しんだ味ですけれど」


 話を逸らそうとブレトが尋ねると彼女は食事の手を止め、大顎から肉を離してじっとこれを見た。なにやら物思いに耽っているようにも見える。


「新鮮だ。焼いただけの肉を食べたのは初めてかもしれない、私の知っている動物の肉と比べるのは間違っているのだろう。けれども私は食事とは命を食べることなのだと、本当の意味で理解したかもしれない」

「何を当たり前のことを言っているのだお前は、肉を食おうと思ったら生き物を縊り殺さねばならん。そんなものは歩き始めたばかりの子供でも知っておるぞ」


 この発言にブレトは焦りを覚えた。カブリにシャランララを馬鹿にしようというつもりが毛頭ないことは承知している、けれどもカブリのこれは相手を怒らせかねない。

 シャランララは翅を擦り合わせて高い音を出した、楽の調べにも似たその音を聞いた二人はこれが彼女の笑い声なのだと直感する。


「そう当たり前のこと。でも私は知識でしか持っていなかった、知っていただけだった」


 彼女の言葉を伝えてくれる箱の声に抑揚というものはないのだが、それでも二人はこの言葉が彼女の心底から湧き出てきたものだということをちゃんと分かっていた。

 だからカブリもブレトも茶化すようなことをせず、彼女の言葉に共感したかのように首を縦に振り自分たちの肉に噛り付く。シャランララはそんな彼らを見て安堵したかのように、若干首を下に傾けたがすぐに頭を上げた。

 何か気づいたことがあったらしい。


「もう太陽は沈んでしまった、あなた達は明かりを持っていないようだ。近くに村があるらしいがそこに戻るにしても既に夜になってしまっている、あなた達はどうやって夜を明かすつもりなのだろうか?」


 心配してくれていることが額の明滅から窺い知れたが、二人は互いの顔を見合わせた後で声を出して笑った。そう、この二人は夜の闇と潜む危険からどのように身を守るか全く考えていなかったのである。

 いつもの旅なら夜の事を考えて、昼の間に準備を済ませてしまうなりその時に応じた手段を用意する二人である。だが今回は初めて目にする蜂人間と例えるしかない種族との出会いの驚きが習慣を忘れさせていた。


「もうここで火を起こしてしまった。あなたさえ良ければ私たちはこの場で火を絶やさないように交代しながらマントに包まらせてもらおうと思います。しかしあなたはどうするのです? 見たところ私たちのように寝具に使えるような物を持っていないように見えるのですが」

「あなた達がそうしようというのなら私に止める気はない、安全を祈るだけ。そして私の心配は要らない、動かないけれど私は船に戻ってその中で寝る」

「船?」


 カブリとブレトは機を全く同じにし、全く同じ声を上げる。窪地をざっと見渡したがそんなものはどこにも見えないしあるはずがない、ここは海でも川でもない。


「そう船だ、多分あなた達の知っている船とは大きく形が違うのだろう。あれが私の船、星の海を渡る船だ」


 彼女が指を差したのは窪地の真ん中に鎮座する球状の物体である。

 それを船であると言われても二人には納得が行かない。彼らにとって船とは海や川を渡るために水の上を浮かび、帆や櫂を使って進む流線型の乗り物である。彼女が船と主張するものは真ん丸いし、何より水の上にない。


 馬鹿なことをいうものだと感じた二人は当然のように、何故あの球が船であるのかを尋ねた。これを受けたシャランララはしばし考え込む素振りを見せた後、解説をしてくれようとしたのだがカブリはそれを止める。


「こっちから聞いておいてすまんが、解説は明日にしてくれんだろうか。お前のその素振りを見ていると話が長くなりそうだ、既に日が沈んで久しくなっている。難しい話になるだろう事は俺でも理解している、そんな話を聞くには体力が要るからな。まずは休みたい、夜が明けてからでも構わんのだろう?」

「あなた達が構わないというのなら、私に問題は無い。私は船の中で休む、この地の生物相については知らない。だが危険な生物には注意して」


 彼らなりのおやすみの挨拶なのだろうか、彼女は翅で身近な音を奏でると球状の物体へと向かっていく。歪んでいる所があるとはいえ表面に扉らしいものはなく、継ぎ目らしきところもない。

 どうやって中へ入るのだろうかと観察していると、シャランララは金属の表面を指先で何度か叩いた様だった。すると音もなく引き戸が開くように表面の一部がずれて入り口が現れる、そこから見える内部の光景は二人には理解できないものだった。


 カブリとブレトには様々な金属で出来た何かがあり、鮮明な絵が掛けられているようにも見えたし、煌びやかな印象を受ける。情報量の多さのあまりに彼らの頭は自分たちの見ているものを分析することができずに思考が停止してしまった。

 シャランララが中に入り金属球の表面が元に戻ってもしばらくの間、彼らはただただ呆然とするしかない。シャランララが何者であるのかさっぱりと分からなくなってしまったが、彼女そして彼女の種族は自分たちが夢にも見ることがないほど想像の彼方にいる存在だということは理解できた。


「カブリさん……ニグラは一体、どうして私たちをここに寄越したのでしょう?」

「俺が聞きたいぐらいだ、毎度のこととはいえあやつは俺たちに何をさせたいのかさっぱりだからな。しかし、彼女は困っているように思える。どれだけ見た目が異なろうともあれも人だ、ならば助けになってやるのが男の責務というものであろう」

「えぇ、それには全くの同意見ですよ。彼女も寝たようですし私たちも眠るとしましょう、きっと明日からが本番に違いないのです」

「うむ、その通りだ。最初の火の晩は頼んだぞ」


 カブリは一方的に役割を押し付けるとごろりと転がり、自らのマントに包まってしまった。ブレトは肩を竦めてから腰を下ろし、火を絶やさないように気をつけながら周囲に耳をそばだてる。

 いつもなら聞こえてくるカブリの地を響かせる鼾が何時まで経っても聞こえてこなかった。それを見たブレトは息を吐き出し、自分もそうなるだろうと想像し事実その通りとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る