堕ちた星-前編


 それはどこにあるものか。眠りの彼方、夢の階段を下りた先か。何処か知れぬ次元の壁を隔てた先か、彼岸の事を指しているのかもしれない。あるいは星間宇宙を超えた向こう、遠い銀河の恒星系を巡る星の一つなのかもしれない。

 どこにあるかは露知れぬ、けれども確かにあるその地の名をイリシアという。このイリシアの地にも我々が知るのと同じ昼と夜があり、夜になれば空は星に覆いつくされる。


 だが私たちの夜空がそうであるように、このイリシアでも星が流れ暗い空を切り裂くことがあった。流れる星は尾を引いて、束の間の輝きを見せたかと思えば燃え尽きる。イリシアの人々は流れ星を夜空を彩る装飾のようなものと捉えていた。


 もっとも、それは地に落ちることが無ければの話である。


 その日、イリシアの空に星が流れた。いつものように空に筋を引くのではなかった、真っ赤に輝く玉のような光は空に長い長い尾を引いてゆく。これを見たイリシアの人々は皆一様に背筋を震わせた。

 流れ星は珍しいものではない、一夜の間、空を眺めていれば少なくとも三つ多ければ八つは見えるものだからだ。しかしこの日の流れ星は彼らが見慣れた煌びやかなものではなかったのである。


 地へと近づいてゆくにつれて輝きは増し、人々の不安と恐怖も大きなものへとなっていく。そうして星は燃え尽きることなく、イリシアの夜空をほんの束の間、衝撃と共に赤く照らした。揺れる大地、押し寄せる音の波に人々は地に伏し涙を流しそれぞれの神に許しを請う。

 これは王侯貴族とて例外ではなかった。むしろ恐慌の度合いで言えば彼らの方が大きかった。一夜明けてしまえば民草はなんてことはなかったと笑う者もいたが、貴族たちは時が経つに連れてかつてない凶兆に顔を青ざめさせてゆく。


 イリシアの中心にある<混迷の都>とも呼ばれるパンネイル=フスを治めるジェムズガン・ハーディガンも例外ではない。星が落ちた日に、彼は都中の魔術師を集めてこれから起こることを占わせた。ある者は戦争が起きるといった、ある者は病が流行るといった、そしてある者は飢饉が起こるというのであった。

 誰一人として同じことを言う者はいない、共通点は国難が起きるというその一点だけ。ジェムズガン・ハーディガンが普段と同じく冷静であったのなら、彼らが未来を見通していないという判断を下していただろう。


 だがこの時の領主は平静でいられなかった。星が落ちた際の耳をつんざく轟音により彼の神経は異常を来しており、一種の恐慌状態へと陥っていたのである。このために彼は一貫しない魔術師達の予言を全て聞き入れ、誰も予期できない難事が起きると信じ込んでしまった。

 領主はあらゆる国難に対応すべく、兵を動かし食糧を備蓄するため農民に新たな税を課した。これにより楽観視していた民草も、これは危難が来るに違いない、と領主の恐慌が微弱ながらも伝染してしまい煤煙に覆われるパンネイル=フス全体に陰鬱な空気が蔓延し始めた。


 これは酔漢達の集う居酒屋<銀夢亭>も例外ではない。いつもは昼夜問わず酔っ払い達の喧騒に賑わう店内だったが、常の半分ほどしか客がおらず賑わいも穏やかなものだった。

 そんな店内を黙って眺めつつ、ダンロンに生まれた戦士カブリは蒸留酒の杯を煽り、眉間に皺を寄せた。いつもと同じ酒を飲んでいるはず、味だって変わらないというのに美味いと感じることができない。


 骨付きの肉を齧ってみたが同じことだった。今日は質の良い物を仕入れたらしく、肉は脂の甘みを強く感じることができたのだが舌鼓を打てない。

 味覚がおかしくなってしまったわけでもないというのに、これはどうしたことだろうかとカブリは首を傾げた。すると、彼の向かいに座るブレトという名のエルフ族の青年が小さく息を吐き出した。


「どうしたんですか? さっきから食べても飲んでも神妙な顔をしてばっかりですけど。今日の酒と肉、不味い物でも当ててしまったんですか?」

「いいや、そういうわけではないのだ。酒はいつもと変わらんし、肉は良い物が入ったと見え美味いものだ。しかし、しかしだ。どういうわけだか味が舌の上を滑っていく、味が分からんわけではない。美味いということも分かる、だがそうとは感じないのだ。俺は一体どうかしてしまったのだろうか?」


 カブリは杯を腕を組み、深刻に悩んでいるのだと小さく唸った。それを見たブレトは得心がいった、と大きく二度ほど頷いたのである。


「簡単な話です、普段の<銀夢亭>と違うから味気なく感じてしまっているだけですよ。私だっていつもと変わらない葡萄酒を飲んでるつもりですけど、カブリさんと同じです。味は分かりますけど、美味しいとは感じられない」

「雰囲気か、確かにあるだろうな。一人で食うより大勢で食べる方が美味いし、静かな場所より賑やかな場所の方が美味く感じるものだからな。しかしこうまで、感じ方に差があるものだろうか」


「そりゃ地面が揺れましたからね。地震なんていうものは長く体験してませんでしたから、あの日はぐっすり寝てたはずなのに大声を上げて跳び起きてしまいましたよ。そのせいか寝ようとしても緊張しちゃって上手く寝れません」

「俺は地震には慣れておるからな、あの程度の揺れではびくともせん。ここが山ならば話は違ったがな、山で地震に逢った時は土砂崩れや雪崩を考えねばならん。けれどもこの都の建物は強固で、しかしこれが――」


 一体どこで接点がつながったというのか、カブリはまたも故郷ダンロンの雄大な自然について熱弁し始める。何度も聞かされ、下手すればそらんじることが出来るほどだったがブレトは楽しく耳を傾けた。

 客がいない<銀夢亭>は誰も互いに語ろうとせず、楽しみというものが無い。聞き飽きた自慢話でも、何の娯楽もないよりかはよっぽどマシである。


 自分の分だけでなく、カブリの分も酒と肴を注文してダンロン自慢を続けさせていたブレトではあるが長くは続かない。ブレトも話を続けやすいようにと普段以上に相槌や合いの手を入れていたのではあるが、いかんせん店の空気自体が重すぎた。

 話せど話せどカブリは興奮しきれずに、ふと口をつぐんでしまう。


「今日はこの辺にしようではないか、あまり話していても種が無くなってしまうからな。いや、やはり正直に言おう。興が乗りきらんのだ」


 すまんな、と聞き取れるか怪しいほどの声量で呟くカブリは珍しい。実のところ、カブリも以前にも同じ話をしてそれを繰り返しているという自覚があったのである。

 にも関わらずにそんな風も見せずに語り続けたのはブレト同様、今のこの店内で娯楽を見出すことが出来なかったからだ。


「でしたらたまには私の話でもしましょうか?」


 ブレトのこの提案にカブリは首を横に振った。


「せんで良い、今の気分で聞いたところで楽しいことなどないからな。それにお前は以前に、昔の話それも故郷の話はあまりしたくないと言っていたではないか。幾ら楽しみが無いからといってだな、語り手が気乗りせんような話を俺は聞きたくない」


 このカブリの言葉にブレトは少しばかりはにかんだ。彼の言う通り、ブレトは身の上話を好まない。聞かれたくないとかではなく、気乗りがしないという程度で必要ならばするのだが、それをこの大男が覚えていたのが嬉しかったのである。

 ただ困ったのはこれで正真正銘、何もすることがなくなってしまった。<銀夢亭>の外を出て、<王の大路>を歩いてみたところで余計に気分を沈ませることになるのは目に見えている。


 いつもならば多様な露店が並び、大道芸人が楽しませてくれる<王の大路>ではあるが、星が落ちてからというもの暗い雰囲気が漂っていた。店は変わらず数が出ているが、並んでいる商品、特に野菜や果物は明らかに質が落ちていた。大道芸人達も動きのキレが悪くなっている。

 娼婦たちに楽しませてもらうという手もあるが、そもそもそこまで昂ることすら出来ない二人である。話の種も無くなってしまい、黙々と舐めるように酒を飲み肴をぼそぼそと齧る以外にない。いっそ下宿に帰って寝こけている方が建設的ではなかろうか、二人は無言のまま同じことを考えていると近くの席に誰かが座った気配がした。


 <銀夢亭>の入り口には鈴が付いているが鳴らなかった。平素と比べ静かな店内だ、誰かが近づけば足音はよく聞こえる。鈴の音も足音も、どちらも二人の耳には聞こえていなかった。

 これはあの女に違いない、また厄介事を持ち込んできたのだろう。けれども心臓が止まりそうなほど退屈な今であれば、そんな厄介事ですらありがたい二人であり同時に気配の方へと顔を向ける。


「ここは居酒屋でしょう? そんな眠たい顔をせずに、飲んで食べて騒がしくしたらどう?」


 案の定、そこにいたのは<妖艶なるニグラ>であった。

 毎度毎度、断ることの出来ない難事を持ち込んでくる彼女は疎ましい存在である。けれども今この時ばかりは心の底からありがたかった。


「ニグラよ、いつも言っておるがそんな前置きなどいらん。貴様が姿を現すときは俺たちに何かをさせようという時だけだ、俺たちもそんなことは重々承知している。さっさと本題に入ってくれた方が無駄が無くて良いしそれに、だ」


 カブリはそこで言葉を止めてブレトを見る、彼の意図を察したブレトは弦を張っていない弓を机の上に置いた。これにカブリは頷き、ブレト同様に己の剣を机の上に置いたのであった。


「と、このようにですね私たちは既に準備は万端というわけなのです。此度は何をすれば良いのですか? 荒事だろうと今だったら大歓迎です」


 さぁ早く言え、と前のめりな二人の態度にニグラは喜びを覚えたものの驚きも大きかった。

 何せこの二人はニグラが来るとみれば逃げ切れるわけが無い事を理解しつつも逃げよう逃げようとすることが多く、頼みごとをしても後ろ向きな態度ばかりを取る。それがどうしたことか、こんなにも積極的になってくれていることにニグラはほろりと涙をこぼした。


「あぁ……あなた達はようやく私の心を理解してくれたのですね。千の仔を持つ母として大変に嬉しく思います、よくぞ成長してくれました」


 感極まっているニグラだが、二人は彼女の心なんぞを理解しているわけがない。死にそうなほど退屈だったところに、面倒とはいえ暇つぶしが出来たことを喜んでいるだけである。

 感動されるのは迷惑だったが、わざわざ訂正するのも面倒くさく二人は触れないことに決めた。


「あー……喜んでいただけたようで何より。けれどそれどころじゃないのでしょう? 何か、そう大変なことが起きている。あなたが私たちの前に姿を現すということはそういうことですからね、至急その要件を伝えた方が良いのでは」

「えぇそう。全くもってその通り、ブレトの言う通りです。おぉ可愛く愛しい我が仔がこれほどまで心強くなってくれるとは、母としてこれに勝る喜びはありませんとも。えぇ、えぇ。二人に頼みたい事はですね、星が落ちた場所へと向かって欲しいのです。そこで落ちた星に触れて欲しいのです」


 流れる涙を手巾で拭きながらニグラは語り、内容を聞いた二人は首を傾げる。これは無理難題というやつではないかと思い、二人を代表してカブリが尋ねた。


「なぁニグラよ、そいつはちょいとばかし無理な頼みというやつでは無いだろうか。俺の故郷ダンロンでも星が落ちる話を祈祷師から聞いたことがあるが、星は落ちるとその姿を消すというではないか。後には丸い窪地があるだけで、落ちてきた星の姿は無いというぞ。俺たちだって知っているようなことを知らんお前ではあるまい」

「まぁなんと! 二人はそんな事まで知っているのですか、あぁ今日は何と嬉しいことが続く日なのでしょう。えぇ、そうですそうですよ。星は落ちると窪地を作ります、星は粉微塵になってしまい姿を残すことはありません。ですけれど、落ちてきたのが星でなかったとしたらどうでしょう?」

「その言い方ですと落ちたのは星ではない、という風にしか聞こえませんね。あなたが言うのでしたら星では無いのでしょうが、でしたら何だというんですか? 空から落ちてくる物は星以外にもありますよ、例えば雹とか。けれど地面に窪地を作る程の雹が降ってきたなんていう話は聞きませんし、雹は輝きながら空に尾を引いたりなんてしませんよ」


 ブレトの言葉にカブリは頷き同意を示す。

 夜空を裂いて落ちる星の姿は二人も目にしていたし、地面の揺れも体験していた。あれが雹であるはずはないし、星以外には考えられなかったのである。


「えぇそうですね、あれは空に浮かぶ星ではありません」

「では何だというのだ? 誰も知らんのでは仕方がないかもしれんが、お前の事だ何かしら知っているのだろう。ならばさっさと教えろ、星でもないのに地面を揺らすほどの得体の知れん物に近づくなど真っ平御免だぞ」


 カブリの問いは最もなものでブレトもニグラが答えてくれることを期待したのだが、魔女は何も言わずに目を細め唇を曲げ、豊満な胸元の前で手を組むのみ。

 これは答える気が無いと察した二人は大きく溜息を吐いた。どのような意図があってのことかは知らないが、こういう場合のニグラはどれだけ問い詰めたところで答えることが無い事を二人は知っていた。


「未知との出会いも旅の醍醐味というものです、可愛い仔の貴重な機会を奪ってしまうわけにはいきませんからね。二人も知っての通り星が落ちたのはこの都を出て西へと行ったところ、何かと入用になるでしょうから資金は用意してあげましたよ」


 そしてニグラは男を魅了する谷間へと手を入れると膨れ上がった革袋を取り出し、机の上に置いた。早速その中身を検分すると金銀銅貨が詰まっており、長旅をしてもなんら問題は起きなさそうな額が入っている。

 ただ一つ、問題があるとするならばニグラの大きな胸といえど革袋を隠せるほどではないということ。どんな奇術魔術を用いたのか、聞いても教えてはくれないし考えても辿り着けるものではないので二人は簡単に礼を述べて金子を受け取った。


「ま、準備は出来ていますしこれだけ路銀があれば本当になんとでもなるでしょうね。何が待っているかは知りませんけれど、出立しますか?」

「あぁそうだな。ニグラの頼みというのが癪に障るところがありはすれど、暇を持て余しておったところだ。旅となればそこそこ長く楽しめそうだ、では行ってくるぞ」


 カブリとブレトは近所の散歩へと赴くようなふらりとした気軽さで<銀夢亭>を出て行く。その二人の後ろ姿を見ながら、ニグラは大きく溜息を吐いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る