盲いた女-4/4

 オクトンがニグラに惚れ薬を授けられてから一週間が過ぎようとしていた。


 この一週間の間、カブリとブレトは碌に仕事もせずに暇があれば<銀夢亭>のいつもの席で酒と肴をつまみながら他愛のない世間話に興じている。というのも、進展があればオクトンが報告に来るかもしれないと考えてのことだ。

 カブリもブレトもオクトンの力になることは出来なかったが、彼の恋がどういった結末を迎えるのかに興味があった。気になるのならば彼の許へ赴けば良いという意見もあるだろう。事実として、ブレトはオクトンの居場所を知らないがメナリアの住居ならば知っている。


 結末を見たいのであれば彼女の家へ行き、それとなく探ればよいだけの事。そんなことは彼らも承知しているのだが、<銀夢亭>を離れづらい理由があったのだ。

 オクトンが惚れ薬を手にした翌日から、どういうわけだか<妖艶なるニグラ>が<銀夢亭>に屯し始めたのである。それも何を思ってかカブリとブレトのすぐ側に陣取って動こうとしない。


 彼女の巨大な角はもちろんのこと、大いに肌を露出し肉体美を余すことなく主張する彼女の衣服は人目を引く。特に欲に忠実な男性ならば釘付けにされることは間違いないというに、どういうわけだか店員も客もニグラに必要以上に視線を向けようとしない。


 ニグラもニグラで木の実を摘まみながら果実酒をちびりちびりとやるだけで、普段以上に考えていることが分からないときた。これは良からぬことを企んでいるに違いないとして、カブリとブレトは<銀夢亭>から離れがたくなってしまっていた。


「彼女……一体何を企んでいるのでしょうね……?」


 ブレトは葡萄酒の杯を傾けながら、悟られぬように瞳だけ動かしてニグラを見る。角を持つ魔女は調子を崩すことなく、楽しそうに店内を眺めながら酒を飲んでいた。


「今日だけでその言葉は三度目だぞ。いい加減に話題が尽きていることは分かっているが、もうちょっと前向きになれる楽しい話題というものはないのか」


 カブリは酒臭い溜息を吐き出した。一週間の間、寝床と<銀夢亭>を行き来しているだけなのだ。話のネタはとっくに無くなっている。


「でしたらカブリさんの方から何か出してくださいよ。あぁ、ですけどダンロンでの武勇は語らないでくださいよ。今日も既に聞いてますし、この一週間で五回は聞いている。過去の事でなく未来の話をしましょうよ」


 小さく唸り声を出したカブリは、誤魔化すように酒を煽ってブレトから視線を逸らした。ブレトに言われるまでもなく、カブリ自身も己の武勇伝を語るのに飽きている。せめて誰か、アセロかフラウダでもやって来てくれれば助かるのだが、その二人の姿は店内に無い。

 二人はまったく同じように大きなため息を吐き出した。今日だけで一〇以上の杯を空にしているため、二人の呼気は火が点きそうなほどに酒精が濃くなっている。けれども気分はちっとも楽しくないせいで、酔いは回らずに顔も赤くはなっていなかった。


「オクトンの奴めが来てくれればそれで終いなのだがな。あいつ、ちーっとも姿を見せる気配が無い。俺たち二人のどちらもが助力できなかったのは事実だが、奴のために知恵を振り絞ってやったのだ。一言ぐらいあっても良いものだろうよ」

「彼は真面目な商人のようですから、そのぐらいの義理はきっと果たしてくれますよ。それが来ないとなれば、考えられるのは……」


 ブレトは言いながらまたニグラを見た。ちょうどニグラもこちらを見ようとしていたところで、エルフと魔女の視線がかち合いブレトは肩を震わせながら即座に視線をずらす。


「ニグラの事を悪く言うつもりはないのだが、道具に頼るのが駄目だったのではないだろうか。惚れ薬の力というものを俺は知らんが、即座に効力を発揮するもののはずだ。だったら一週と経たんうちにオクトンが来ているだろう、奴は失敗したんじゃなかろうか」

「いや、まさかそんなはずは……」


 カブリとブレトはニグラの持つ力の強大さを知っている。その彼女が作った薬であれば、効果を疑う余地はない。しかし、使い方を誤るあるいは不測の事態が起きたとするならばどうだろう。

 幾ら道具が優れていようと、用いる人間が正しく使えなければ意味はないのだ。


 これは上手くいかなかったと捉える方が良いのかもしれない。それか報告するのをただ忘れているだけなのか。二人は机の上に置いたそれぞれの杯に視線を落とし、同じように腕を組んで考え込み始めた。

 それは長い時間ではなかった。というのも、今まで何も語らずに酒を飲んでいたニグラが重い腰を上げると科を作りながら二人に近づいてきたのである。


 これに気づいたカブリとブレト、顔を上げてはなるものか。無視を決め込んで災禍をやり過ごそうとしたのだが、ニグラが指を鳴らすと不可視の力で二人の顎は持ち上げられて強制的に魔女へと顔を向けさせられた。


「あなた達の考えていることなんてのは全てお見通しですからね。もちろん、あなた達が想像している通り私の薬の効果に間違いはありません。もし、問題が起きたのならそれは使い方の問題です。もっとも私の眼は彼の事も捉えていますから安心なさい、二人の不安はこれから解消されます」


 カブリとブレトは見えない力に抵抗しようとしたが筋力ではどうにもならないものだった。どうしようもないと理解しながらも抵抗を続ける二人の顔は醜いばかりに引きつっていたが、それを見るニグラは楽しそうである。

 そして言い終えたニグラが指を鳴らすと同時、二人の束縛は解けて新たな来客を告げる鈴の音が鳴る。戸は勢いをつけて開けられたらしく鈴の音は大きく忙しない。


「ニグラさん! そしてブレトさんとカブリさんはいらっしゃいますか!」


 やって来たのはオクトンである。急いできたらしく彼は肩で呼吸しており、額からは汗が吹き出し襟元が変色していた。さて、オクトンが着ている服だが一週間前よりもさらに上質な生地で作られており細やかな意匠が施された礼服である。

 カブリそしてブレトは即座にあることに思い至り、これを口に出そうとしたがそれより早く駆け寄ってきたオクトンの方が答えを提示した。


「メナリアとの婚約が決まりました! 本当はもっと早くに謝礼をしにくるべきだったのですが、式の日取りや改めて親族への挨拶回り等で来られずに申し訳ありません。今日もまだ行かねばならぬところがあるので、これで失礼させていただきますが……心ばかりとはいえこちらお礼になります」


 相当に急いでいるとみえオクトンは早口で、手近にいたブレトに今にもはちきれそうになっている麻の小袋を渡すとすぐに踵を引き返してしまった。

 めでたく婚礼が決まったオクトンに簡単ながら祝辞を述べようとした彼らだったが、祝いの文句を考えている間にもオクトンは<銀夢亭>の外へと出てしまっている。このあまりの早さに呆然としながら、握らされた袋を開けると中には一杯の金貨が入っていた。


 ざっと見てカブリあるいはブレトの半月の稼ぎと同額である。驚き、声を上げようとしたブレトの口をカブリは慌てて押さえた。<銀夢亭>の客たちは馴染みであり友でもあるが、友情を裏切りに導くのが金というものである。


「それはあなた達で分け合うと良いわ。金銭なんて私には何の価値もありはしませんからね」

「いや、しかし……」


 これはニグラの薬のおかげだ、と言いかけたブレトだったが結局言わなかった。この一週間の間、ブレトもカブリも稼ぎは無く酒で金子を浪費していたせいである。金の魔力が発揮されていた。


「ならばありがたく頂戴するとしよう。思わぬ恵みに感謝せんとな、出来ればオクトンの店で買い物をしたい。メナリアとかいう女がいるかもせん、行きづらいがブレトよ調べておいてくれ」

「私の事はお気になさらず。結婚が決まったというなら、彼女の目に私の姿は入らぬでしょうとも」


 ブレトはカブリの提案に同意の頷きを返しながら、肩の荷が降りた気がして大きく息を吐き出した。そしてついメナリアに追いかけられていた短くも忙しない日々を思い出し、視線が遠くを向く。

 これに気づいたカブリは冷やかしの言葉を掛け、ブレトは小さいながらも鼻で笑い飛ばした。


「まさか、そんなことあるはずがないですよ。私が思い出したのはメナリアさんのことじゃあない、もっと別の……そう、恩人の事ですよ」


 ブレトは力なく笑いながら肌身離さず身に着けているトネリコの木で出来た腕輪を摩った。その仕草に気づいたカブリは口をつぐみ、気配を小さくして音を立てぬように杯を傾ける。

 クレアイリスの森に生まれたエルフは何も言わず、ただ黙って北の方角を見ている。彼の瞳に映っているのは賑やかな酒場ではなく、豊かな緑が生い茂る森だった。

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