盲いた女-3/4

 汗を流し肩で息をし、ほうほうの体になりながらようやくブレトは<酔いどれ通り>にやってくることが出来た。酒精の香りが、吐瀉物の酸い臭い、捨てられたごみから漂う腐敗臭。これらが入り混じった<酔いどれ通り>のにおいというの不快なものなのだが今のブレトには懐かしく感じられる。


 ここしばらくの間、ブレトはメナリアという商家の女に付きまとわれてしまい思うように動けないでいたのだ。ブレトは自分が美丈夫だという感覚を持ってはいないが、長くとも八〇年程度の生しか持たない人間達がエルフに対して美しさや異国情緒といったものを感じることは知識として持っている。


 そういうわけで人間達に外見を褒め立てられ、好意を向けられても心が動くことはない。けれど良いように言われて悪い気にならないはずがなく、少しばかり調子に乗ってしまったことが運の尽きだった。

 ブレトに言い寄ってくる人間の女は多い、食事を楽しむぐらいのことはしてやる。けれどそこから進展することはない。まずブレトは性愛に興味がない、女と遊ぶのも悪くないがそれ以上に木彫り細工をしたり、狩猟用の罠を考えているほうがよっぽど楽しかった。


 人間のほうもどこかで種族の違いを感じているものらしく、深い仲になろうとする者はこれまで現れなかった。ところがメナリアにその感覚はないものとみえ、どこから嗅ぎ付けてくるのかブレトの行く先々に現れて付きまとってくる。

 相手は女性でまだ幼いがために強い態度に出られないにも辛い。裕福な商家の女なので<酔いどれ通り>のような場所に連れて来るわけにもいかず、今の今まで都の中でも特に清潔な場所を選んで行動していたのだが流石に限界がやってきた。


 これはもうカブリや<銀夢亭>の仲間に助けを求めるしかないと、狩りの技術を駆使しメナリアの追跡から逃れここまで来た。度々後ろを振り返ってみたが、後を追う者の気配はない。とりあえずこれで休息は確保できる、久方ぶりに<銀夢亭>の酸味の強い葡萄酒を心行くまで味わおうと扉を開ける。


 ちりんちりんと聞き親しんだ音が鳴る、この音を聞くだけで自宅に帰ってきたような安心感があった。いつものように騒がしい店内で、いつものように店員におざなりな対応をされ、いつものように自称都会人の友人と酒を交わそう。

 そうと決めていつもと同じように店の中へと足を踏み入れたのだが、店の中はいつもと同じではなかった。普段と比べて会話に興じる声は小さなもの。いつもの席へと目を向ければそこにはカブリと顔を手で覆っているアセロがいた。


 この二人がいるのは平素と変わらぬものの、カブリの真正面にはじめて見る男の姿がある。何があったかは知らないが、彼はカブリを見ながら固まっていた。面倒ごとで無ければそれで良いとブレトは彼らの所へと向かう。


「どうもお久しぶりですね。ところでこの男は誰なんですか? 商売人のようにも見えますが、カブリさんの取引相手か何かですか?」


「おぉ、これはちょうど良い所に来てくれたな。この男が誰かといえば、オクトンという衣を扱う商家の男だ。こやつ、お前と話しをしたいがためにこの店にやって来たのだ。曰くお前に婚約者を奪われたとのことでな、俺はお前が人の恋路を邪魔するような男でないのは承知している。俺もどういうことだか気になっているところで、仔細を聞かせてはくれまいか」


「そうと言われても今ひとつ話が掴めてないのですが。もしかして、このオクトンさんという方の婚約者とかいうのはメナリアという商家の女性でしょうか?」


 葡萄酒と根菜のスープを頼みながらオクトンへと目を向ける。彼はまだ固まっていた、大方ダンロン流の常識をぶつけられて面食らっているのだろう。


「オクトンさんと仰いましたか。メナリアさんの婚約者だというのでしたら、もっとしっかりして欲しいものですね。流石に首輪をつけろとまでは言いませんけれど、私は彼女に付きまとわれて辟易してるんです。何とかしてもらえませんかね?」


 ここ数日の事を思い返すと深い溜息が出た。言ってから良い態度で無い事に気づきはしたが撤回も訂正もするつもりはない、それだけブレトは困っていたしメナリアの婚約者であるオクトンの存在は渡りに船だったのである。彼に言えばメナリアを何とかしてくれるだろう。これで平穏な日常がまたやって来る、そう思うと安堵の息を吐いてしまうのもおかしなことではない。


 ただこの態度、オクトンからすれば快いものではなかった。愛するメナリアを悪く言われたと感じた途端、オクトンの血液は沸騰し顔どころか全身の肌を真っ赤なものへを変えてゆく。


「その言い方はあんまりでしょう、彼女は豪商の娘だ。婚約者がいることぐらいあなただって承知のはずだ、それを何ですか自分からたぶらかしておきながらその物言いは。私は深くメナリアを愛しておりますが、婚約は親の決めたもの。メナリアはこの婚姻にどこか納得していない雰囲気は感じております。愛する女が別の男を選ぶというのなら、彼女の幸せのためにも私は身を引こうと決意しておりました。しかし今、私は絶対に身を引いてなどやらぬと決心しました。あなたがメナリアから離れぬというのであれば、例え刃を交えようとも私はあなたとメナリアを引き離す!」


 オクトンが机を叩きつけ、勢い良く立ち上がるとけたたましい音を鳴らして椅子が転がる。音の大きさだけでなく、彼の剣幕にブレトは萎縮するしかなかった。

 幾つもの修羅場を命を落とすような場面を経験しているブレトだったが、そんなブレトですら身を小さくしてしまうほどの剣幕である。このあまりの怒り様に困惑も感じたブレトは友に助けを求めて目配せしてみたが、カブリはブレトを助ける気がない。


 何せカブリはオクトンの愛を感じているため、若き商人に味方をすると決めている。もしここでオクトンがブレトに刃を向けても、カブリはブレトを守る気はなかった。


「ちょっちょっと待ってください。私の物言いが酷く気分を害すものだったということは謝ります、確かにあんまりな物言いでした。しかし、しかしですよ私にも名誉というものがありましてですね、メナリアさんに許婚がいるだろうことは感じていましたし、お二人の仲を裂こうという気は一切ないのです。私としてはですね、メナリアさんには婚約者と一緒になって仲睦まじく暮らして欲しく私などの事は綺麗さっぱり忘れて欲しい位なんですよ」


 弁明を試みたブレトの内心は不安でいっぱいだった。オクトンは怒りのために仄かに湯気を立ち上らせるほど熱くなっている。ここまで怒っている人間が、どこまで話を聞いてくれるというのだろうか。もしかすると一言も耳に入っておらず、刃傷沙汰になってしまうかもしれないのだ。


 だが幸いなことにオクトンは怒りながらも我を忘れず、冷静さを失わない男だった。商人の仕事には交渉が付き物で、交渉というのは弁舌の場でもある。そのような場面で冷静さを失えば損をするため、若き商人オクトンも平静さを忘れない術というものを身に着けていた。


「今言ったことは本当でしょうね? 私とメナリアが仲睦まじく暮らして欲しいと願っていると仰りましたが、それはあなたの神あなたの信仰に誓えるものですか?」

「もちろん、もちろんですよ母なる大地に父なる空に誓いましょう。あなたとメナリアさんが一緒になる方が私にとっても嬉しい事です。メナリアさんと私では暮らす世界が違いすぎる、見ての通り私はチンピラみたいなものですからね。彼女が私の周囲に居るのはお互いにとって良くない事です」


「では信じましょう、エルフが地と空に誓うことの大事さは理解しているつもりです。しかし現実、メナリアはあなたに好意を抱きあなたと共に行動しようとしている。あなたは事の渦中にいる、事態をあなたと私二人にとって良い方向に転がそうとすればあなたの力が必要だ。手を貸していただけますね?」


「喜んで手を貸しましょう」


 と、頷いて返事をした所でブレトは「あっ」と声を出しそうになった。オクトンの怒りを宥める為にもこう答えるしかなかったが、オクトンに仕向けられたと察したのである。相手は契約にうるさい商人である、例え一時しのぎのためだろうと手を貸すと言ってしまえば最後までその通りにするしかない。

 そしてオクトンはブレトがメナリアを奪おうとしているわけではないことを信じられただけでなく、協力者を二人も得られたことで肌の色が元に戻る。何事もなかったかのように店員に酒と肴を新たに注文すると、静かに椅子を起こして座りなおした。


「ふむ、俺はあまり頭が良くないが二人の利害が一致したということは理解したぞ。無論、俺も手を貸すつもりでいる。しかしここからどうする? 俺たちがしなければならぬこと、というのはブレトからメナリアという女を引き離し、そしてオクトンと引っ付けなければならんというわけだ。さてどんな方策があるだろうか?」


「そんな考え込むようなことは何にもありはしませんよ。私が思うにですね、メナリアさんが私に惹かれているのは気の迷いでしかないのです。ですからここでオクトンさんがそう、男を見せてやれば良いのですよ。商人なんですからそうですね、何か大きな商談をまとめてみせる。あるいは世にも珍しい品物を手に入れ、メナリアさんに贈るのなんてどうでしょうかね?」


 カブリがなるほどそれは良い考えだと手を叩いてブレトの言葉に賛同を示す。ブレトも提案した手前ということもあり、オクトンが望むのであれば珍奇な品を入手するのに尽力するつもりでいる。ただオクトンはひどく浮かない顔をしていた。


「どうしたオクトン。ブレトの案は最良のものでないかもしれないが、これより堅実な方法はないだろう。お前がメナリアの心を取り戻すことが肝要なのではないか。俺からするとブレトから引き離してしまう方が簡単ではあるが、お前はいずれメナリアと家庭を築くのだ。ならばメナリアの心を掴み、離れなくしてしまうのが良いに決まっている」


「そうですまったくもって、カブリさんの言う通りですよ。大きな商談を纏めるのは機というのもありますし、難しいでしょう。ですが珍しい品、ならどうでしょう? 私たち二人は隊商の護衛を勤めることもあり、顔馴染みもいるんです。その私たちが手伝えば、オクトンさんだけでは手に入れるのが難しいものも手に入れられるかもしれません。やってみませんか?」


 二人は難しい提案をしたつもりはない、にも関わらずオクトンの反応はいまひとつなもの。これはもしかして、と思い始めたところでオクトンが口を開いた。


「提案して頂いたのはとても嬉しく思います。ですがそれは既に試みたのですよ、<凍てつくノートラ>に咲く枯れない氷の花や、<沈まぬ都市>で手に入れた時と共に色を変える宝石。私とて商人の端くれ、珍品を手に入れる術は持っております。ですが彼女の目は私に向けられなかった」


 彼は深い溜息を吐き出すと消沈してしまった、心なしか彼の周りだけ暗く見えてしまうほどである。これにはカブリもブレトも何もいえない。

 オクトンが贈ったという二つの品は世界の中心たるこのパンネイル=フスでも珍しい品である。それらを手に入れられるオクトンの手腕は見事としか言いようがなく、敬われるべきものだろう。オクトンは性格も悪くなく、商人としての力もありそうだ。だというのに振り向かないとなれば、メナリアに男を見る目がないに違いない。


 そんなことを思い浮かべたとしてもブレトは決して口に出さないが、カブリは違う。彼の口に抑えはない。


「すまんがオクトン、お前はそのような品を手に入れる力量があるし、金持ちにありがちな鼻につくところが感じられん。顔立ちが整っているとは決して言えんが、お前は立派な男だ。だが、そのメナリアという女はそこまでに良い女なのか? お前のような男が女が手に入らんといって悩むのはおかしな話だぞ」


 ブレトは両手で顔を覆った、覆うべきはカブリの口の方なのだが間に合わなかったのだ。指の隙間からこっそりオクトンの様子を覗いてみると、彼は俯き今にも泣きそうなほど目を赤くしている。


「かもしれません。ですがこれは私と彼女の親同士が決めた婚約ということもあり、彼女以外の女を妻として迎えるわけにはいかないのです。いいえ、違いますね。そんな取り決めなど無くとも私はメナリア以外の女は目に入りません。最初は親が決めたことだったかもしれません、けれどもう私には彼女しか考えられないのです。何としても彼女の視線を、彼女の心を私に向けたい」


 オクトンの瞳が潤み始めたが彼もまた男だ、目尻を赤くしてはいても嗚咽を漏らすこともないし溜まった涙を零すようなこともしない。オクトンのこの姿はカブリだけでなく、ブレトの同情を誘うのにも充分すぎた。

 当初はメナリアが離れてくれさえそれで良いと考えていたブレトだったが、今はカブリと同じく彼の力になろうと思っている。ただ思ったところでブレトにもその手段が中々に思い浮かばない。ブレトは童貞であり、カブリ以上に女というものを知らなかった。


「オクトンさんの頑張りで袖を引くことができないのなら、相対的な手段で評価を上げるというのはどうでしょうか? メナリアさんの視線は私に向けられていることですし、彼女の目の前で私が格好悪いところ無様な所を見せ付ければ彼女の中でオクトンさんの地位が上がるのではないでしょうか?」


 あまり有効といえる手段でない自覚がありはしたが、ブレトが考え付くのはこのぐらいしかない。

 オクトンはこの提案を否定する気はなかったし、嬉しく思うほどだったが頷くことはできなかった。例え演技とはいえ、この手段で彼の評判が落ちるようなことがあっては申し訳がない。

 そしてカブリはこのブレトの策に否定的であり、しかめっ面を浮かべていた。


「お前もそれが効くとは思っておらんだろうからハッキリ言ってやる。そいつは下策というやつだ、女の中でブレトの評判を下げるだけならば効果があるだろうよ。だが、だからといってオクトンに心が向くという保証はないのだぞ。もしかするとだ、オクトンでもお前でもない別の男にときめくようになるだけかもしれん。いや悪くない、悪くない方法だぞ。だが俺たちが考えねばならんのはオクトンがメナリアの心を得る方策であって、お前が嫌われることではないのだ」


 もっともな言い分でありブレトはぐうの音も出ない。思いついた、たった一つの案を棄却するのであれば代案を出して欲しくはあったがダンロンの男は何もないに違いなかった。証拠に、カブリは今も悩ましげに眉間に皺を寄せている。


 こうして三人は袋小路へと入り込んでしまった。誰一人として案を出せず、男三人は雁首そろえて黙りこくってしまう。どうせ周りの酔漢連中は聞き耳を立てているのだし、いっそのことそいつらに尋ねてみようかと顔を上げたがどれもこれも目を逸らす始末だった。

 これはいよいよ打つ手なしかとなり始めたところ、何の予兆も微塵の気配もなく隣に誰かが座った音がする。オクトンは何の気なしにそちらに目を向け、カブリとブレトはぎょっと目を丸くして背筋を強張らせ身を縮こまらせた。


 カブリは険しい山中に育った戦士で、ブレトは獣を相手にしていた狩人である。泥酔しているならとにもかくにも、素面であるなら別のことに集中していようとも誰かが近づいてくれば気配で分かる。そして察知できない場合、それは手練の暗殺者であるか優れた肉食獣のどちらかだ。


 だが今は暗殺者に狙われる謂れはなく、都の中に獣がいるはずもない。となればこの察知できずに接近を許したものの正体は一つしかなかった。


「女のことで悩むのであれば女に聞いてしまえば良いというのに、ここの男は皆奥手なようで。それが私の子らだと思うと、嘆かわしく思うところもあれど可愛らしいと思うところもあります。さて、そんな口上はどうでも良いのです。子の悩みは母の悩み、口にするだけで解決するものもあるでしょう。この私<妖艶なるニグラ>は口が固いのです、あなた達の悩みを言ってみなさい」


 機械仕掛けの人形のように、ぎこちない硬質な動きでカブリとブレトはニグラを見た。いったい何がそんなに嬉しいというのか、ニグラはいつものように露出の多い衣装に巨大な山羊の角を生やしてオクトンに微笑みかけている。


「あの……カブリさんブレトさん、こちらの方はお知り合いでしょうか?」


「知り合いだと認めたくはないが知りあいだ、しかしオクトンよ。この女、ニグラの言う事に決して耳を傾けてはならんぞ、こいつはとんでもない魔女だ。俺の知り合いの中には魔法使いもいる、しかしこやつの使う魔法はそこらの魔法使いの比ではない。だからといって絶対にこいつに頼ったりするんじゃあないぞ、何をやらされるかわかったもんじゃない」

「えぇそうです、カブリさんの言う事はまったく正しい。ニグラさんの用いる魔術というのはそれはもう常軌を逸している、だからといって彼女の手を借りることは決してしてはいけないしその言葉を耳に入れてもなりません」


 表情から内面を読み取る術を身に着けているオクトンから見て、ニグラの見せる笑顔には悪意というものが毛ほども感じられない。豊かな肢体を強調する衣装に、頭から伸びる山羊の角を奇異に思いはするものの善人にしか見えなかった。


 だが彼女の知り合いらしい二人の大男は焦りと怯えを見せている。商人にとって人を見る目というものは、戦士にとっての剣と同様のものだ。そしてオクトンは己の武器に相応の自信がある。

 この自信はニグラを信じても良いと言っているが、彼女の知己だという二人は信じるなと言っている。オクトンはこの相反する二つのどちらを選ぶか逡巡したが、それは束の間のことだった。


「ではそのニグラさん、男では分からぬ悩みというのは確かに存在するんでしょう。女性にしか分からぬ女の考えというものがあるということを私は理解しております。出来るなら力になって頂きたいのですが、少なくとも今、私はあなたに差し上げられるものが無い。それでも構わないのですか?」


 オクトンはニグラを信じた。会ったばかりの二人よりも己を信じただけの事である。

 そしてカブリとブレトは目も当てられぬ、だから言ったのにと顔を覆う。ニグラは満足げに豊かな胸を揺らして頷いた。


「無償ですとも、ご安心くださいな。私は魔女、魔力を持つ獣や異界の物と約定を結ぶこともある者。口約束といえど契約は契約だと理解しております、私はあなたに何も求めませんとも」


 世の中に真に無償の物など存在していないことをオクトンは知っている。大方、この魔女は商人との繋がりを欲しているに違いないとオクトンは考えた。そしてオクトンにとってもそれは利益をもたらすことであるため、躊躇うことなく彼女の好意を受け取ることにした。


「それではこちらをどうぞ。御伽噺などで聞いたことがあるでしょう惚れ薬、というやつになります。使い方は非常に簡単ですけれども、ちょっとばかり注意しなければならぬことがありますのでよぅく聞いてくださいな」


 そう言ってニグラは豊かな胸の谷間に手を突っ込むと、そこから透明な液体の入った小瓶を取り出した。オクトンの視線は小瓶に向いたが、カブリとブレトは谷間へとくぎ付けになっていた。

 幾ら彼女の胸が大きいといえど、物を収納できるわけは無かろう。これも一種の魔術であろうかと二人は顔を見合わせ無言で言葉を交わしあったが、理解できるはずもなく首を傾げた。


「使い方はこれをあなたの想い人に飲ませるだけ。無味無臭ですので、飲み物に混ぜてしまうのがよろしいでしょう。但し、必ず二人きりの時に使う事。飲んだ直後、最初に目にした者に恋心を抱く薬ですからね。他の者がいる時に使ってしまいますと、あなたではない別の方に惚れてしまうことになります」


「これは実にありがたいことです。あなたの力は存じませんが、魔女の薬であるのならさぞ効力があるのでしょう。しかし、本当にこれを無償で頂いてしまっても宜しいのでしょうか?」

「えぇ構いませんとも。世に生きる全ての生物はこのニグラの愛しき仔、その仔らが悩んでいるというのであれば私は惜しむことなく持てる力を使いましょうとも」


 相変わらず笑顔を崩さないニグラに、流石のオクトンも訝しんだものの惚れ薬の魅力には抗えない。カブリもそしてブレトも力にならないだろうと感じることもあり、オクトンは恭しく一礼をしてから小瓶を懐に収めた。


「早速試しに行くと宜しいかと。あなたの幸福は私の悦び、想い人の心を手に入れ思う未来を手中に収めてきなさいな」

「ではお言葉に甘えさせていただきます。ニグラさん、そしてカブリさんとブレトさんもありがとうございました」


 落ち着いた様子を見せてはいたが、オクトンの内心は逸っていた。立ち上がり、早口で三人に礼の言葉を告げると足音を響かせて<銀夢亭>を飛び出していく。

 その後ろ姿に言葉を掛けたかったカブリとブレトだが、有力な助言を授けられなかった負い目から句が告げなかった。そしてニグラは一仕事を終えたとでも言うように息を吐き出すと、店員を呼びつけて三人分の酒を頼むのだった。

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