盲いた女-2/4

 <混迷の都>は大きく広い。貴族をはじめとした富裕層が住んでいる地区はごみ一つ落ちていない清潔さだが、庶民が暮らしている地域はといえばその逆である。そういった地域の中に、酒の匂いのする吐瀉物や生ごみで汚れた通りがあり、そこは<酔いどれ通り>と名付けられていた。

 この<酔いどれ通り>は居酒屋が立ち並び、昼夜問わず酔漢達で賑わっていた。そしてこの通りに並ぶ居酒屋の中でも特に古くからある<銀夢亭>という居酒屋で、ざんばら髪の偉丈夫が一人で骨付き肉に齧りながら蒸留酒を飲んでいた。


 男の名はカブリといい、パンネイル=フスから遥か南の<峻険なるダンロン山>にて生まれ育ったならず者である。

 カブリは骨に肉の一片も残さずにしゃぶり尽くした後、杯の蒸留酒を一気に飲み干した。しかし彼の胃は満足した様子がなく、度数の高い蒸留酒を飲んだにも関わらずこれっぽちの酩酊も得られない。その理由を彼は自覚していた。


 ダンロンの高山から都に来たこの男には、ブレトという赤い髪をしたエルフの友人がいる。ブレトとは約束を交わしているわけでもなんでもないのだが共に行動することが、多くほぼ毎日のようにこの<銀夢亭>で食事の席を同じくしていた。

 そのブレトがここ数日、カブリと共に食事を摂らないだけでなく<銀夢亭>に姿を現さない。これは今までになかった事であり、種族は違えど無二の友人である彼に良からぬ事があったのではないかと気がかりになっていた。このためにカブリは食が進まず、酔うことも出来ないでいる。


 カブリはどうしたものかと考えながら真っ白な骨が乗った皿を見つめ、空っぽの杯を揺らしてみせた。


「おいおいしけた面してどうしたよ? いつもの相棒がいないから調子がでねぇのか?」


 浮かない顔をしているカブリにアセロという男が発泡酒の杯を片手に声をかける。彼はいつも革のエプロンを身につけ、鍛冶を営んでいる男であり、そしてカブリと同じ<銀夢亭>の常連客だった。


「奴の事は代えのきかない友だと思っているが、相棒にした覚えはないな。だが奴が全く顔を見せないせいで調子が狂うのも事実だ、それはお前だって同じことだろうに」


「違いねぇや。俺はカブリの旦那ほどあいつと仲良くしてねぇけど、同じ店でしょっちゅう飲み食いしてる仲間みてぇなもんだとは思ってるよ。ま、そうでなくともいつも見てる顔がみえねぇと気になっちまうわな。んで、ブレトの旦那は何してんだい?」


 アセロは自分の酒を飲み干すと店員を呼びつけ、自分の発泡酒と奢るための蒸留酒を注文すると笑いながらカブリの真向かいに座った。アセロもカブリと同じように、ブレトの事を気にかけていたがカブリほど真剣ではない。

 というのも、アセロはカブリならブレトの事を知っているだろうと考えているからだ。しかし彼の予想は現実とは異なっており、カブリもブレトの行方を知らなかった。


「俺の方が教えて欲しいものだな。ある日を境にぷっつりと来なくなってしまったからな。そうだアセロよ、お前は鍛冶屋つまり商人だ。ブレトの奴は手先が器用で、良く木の彫り物をこさえては商人に売りつけている。鍛冶と細工は違うことは知っているが、商人であることに代わりないだろう。お前の友人が知っていたりするんじゃないのか?」


「旦那の言うとおり細工商をやってる友達はそりゃいるぜ、けれど細工商は細工商でも金細工だ。俺は鉄を扱ってる鍛冶屋だからな、木彫りを扱ってる商人とは縁が遠いのよ。というかカブリの旦那も知らないってのは意外だったぜ、俺ぁてっきり旦那は知ってるもんだとばかり思い込んでたんだがね。とくれば、厄介な病気にでも掛かって寝込んでるんじゃねぇのか」


 届いた発泡酒に口を付けたアセロをカブリは鼻で笑った。


「馬鹿なことを言うなアセロよ、あやつはエルフだぞ。俺達と違って幾百という時を生きる種族だ、そんなブレトが病気になんぞ掛かるはずあるまい」

「馬鹿言ってんのは旦那の方だぜ。エルフは長いこと生きるけれど、永遠じゃねぇ。いつかは死ぬ、俺たちと同じじゃねぇか。寿命が長いから病気に強いように思っちまうけどよ、絶対に病気にならねぇってことは幾らなんでも無いだろうよ」


 アセロが真面目くさった顔をして言うものだから、カブリも真面目に考えた。そしてなるほど、アセロの言うとおりであると考えを改めると途端に不安がやって来る。今、都で病が流行っているわけではないが病気に掛からないというわけではない。

 ちょっとした拍子に風邪を引いて寝込んでしまうことは誰にだってある。もしかするとブレトは熱を出してうんうんと唸っているのかもしれない。


「気になるんだったら下宿先に行ってみたらどうなんだい。俺ぁブレトの旦那がどこで寝泊りしてんのか知らないけどよ、旦那はもちろん知ってんだろ?」


「いいや知らん」


 カブリの返した答えは予想外な上に即答であり、しかもきっぱりと言い切るものだからアセロは椅子から転げ落ちそうになってしまった。


「ブレトとは良く一緒に行動しているが、特段そう決め合ったわけでもなくてな。街を歩いていてもどういうわけだか顔を突き合せるし、<銀夢亭>に来ればほぼ間違いなく会える。俺とあやつの縁というやつなのだろう、過去に困ったことがあるわけでもなかった。しかしふむ、そうだなぁ……」


 今言ったとおり、カブリはブレトの下宿先を知らなかったがために困ったことは一度としてない。現に今もブレトの力が必要というわけでもなく、困っているわけではなかった。しかしアセロの言ったとおり、彼が病気だとしたらどうだろう。


 カブリにとってブレトは友であり、ブレトもカブリのことを友として認識している。向こうから言われたわけではないが、その友が困難に直面しているかもしれない。であるなら、友としては助けるべきであろう。それこそが人の道というものであるとカブリは信じている。


「旦那が知らなくても他の誰かが知ってるかもしれないぜ。ブレトの旦那だってこの店で飲み食いして、俺らと違う常連とだってくっちゃべるんだ。ブレトの旦那と良く話してるやつに聞いてみりゃいい、誰か知ってんだろ」

 なるほどその通りだとカブリは頷き、<銀夢亭>にいる時のブレトのことを思い出した。アセロに言われたとおり、ブレトと仲の良さそうな顔を思い出そうとする。しかし、思い浮かばなかった。


「わからんな」


 これにはアセロもとうとうたまらずに椅子から転げ落ち、慌てて座りなおす。


「ま、まぁそうかもな。俺も旦那以外にブレトの旦那が誰と喋ってるのかなんて思い出せねぇしな。けど心配する必要は無いんじゃねぇか? 病に臥せったところで、命を落とすようなもんに掛かってたら噂になってるだろうし。そしたら俺んとこにも、旦那の耳にだって入るだろう」


「それはそうかもしれんがなぁ」


 アセロの弁には一理あるが腑に落ちるものではない。かといってカブリに出来ることはなく、蒸留酒を煽るしかなかった。せめて酔えれば良いのだが、心配事があるために体が火照りはするものの酩酊はやはりやってこない。

 気持ち良く酔うにはどうしたら良いか、などと益体もないことを考えていると<銀夢亭>の扉が勢いよく開かれ、扉につけられた鈴が大きな音を鳴らした。常連客がするような開け方ではなかったため、酔っ払い連中の視線が一斉に向く。


 入ってきたのは見るからに純朴な男で、仕立ての良い絹織物の服を着ていた。どう考えても<酔いどれ通り>にやってくるような庶民ではなく富裕層である。男はまだ若いため、貴族の坊主が笑いに来たのだろうかと酔漢達は嫌悪感を抱き、警戒した。


「酒を食をお楽しみにところにすみません! こちらのお店にブレトというエルフの方はおられませんでしょうか? 人伝にこちらに来れば会えると伺ったのですが」


 よく見ればこの男、走り回っていたのか額に汗を浮かべて息も切らしていた。そして護衛がいない、貴族の坊主なら護衛の二人や三人ぐらいつけていそうなものだが、その気配すらないのだ。


 これは何だかおかしいぞ、面倒ごとの気配がするぞと考えた酔漢たちは、ブレトの名前が出たのを良いことに皆一様にカブリを指差した。そしてカブリも、友の名前が口にされたので男に向かって手招きする。

 男がどこかほっとした様子でカブリの傍へとやって来たので、アセロは彼のために席を空けて座らせてやった。


「あなたがブレトさん……? というわけではないですよね、髪の色が違いますしエルフ族の耳をしていませんし。申し訳ないのですが、ブレトさんとはどのような関係なのでしょうか?」


「尋ねたくなる気持ちはわかるが、どうしてブレトを探すのか。お前が理由を言うのが先だ、そしてここは酒場だ。酒も飯も食わないやつが座る席は一つ足りとてない、お前は武器を持っていないし武器を持った付き人もおらん。ということはお前は商人なのだろう、であれば今の店主がどのような気持ちなのかは理解できるはずだ。もし、俺の言ったことが理解できぬというのであれば……」


 カブリは男を見据えると腰に佩いた愛剣<狼の爪>を握り、揺らした。

 男の肩がびくんと跳ねあがり、唾を飲む音がした。彼はこめかみから汗を滑らせ、きゅっと鳴りそうなほど身を縮こまらせはしたが決して席を立とうとはしない。


「仰るとおり、あなたの見立て通り私は商家の生まれです。衣を取り扱う店の次男でして、今はまだ自身の店を持っておらずいずれ継ぐ兄の手伝いをしております。名をオクトンと申します、私が何故ブレトさんを探しているのかお話したいと思いますがそれよりもまず、ここの店主と皆様方に水を差してしまいましたから補填をさせて頂きたく思います」


 どうやるのか見ものであるとカブリが腕を組んでいると、オクトンは背筋を正して店主を呼んだ。相手が歴史あるとはいえ場末の居酒屋、だというのに慇懃に謝罪の言葉を述べると今、店にいる人間全員に店で一番の酒を奢ると宣言した。


 <銀夢亭>で一番高い酒といっても知れた値段だが、それを全員にとなると相応の価格にはなる。これに客達はわっと歓声を上げ、カブリもオクトンのお大尽ぶりと格下にも礼を失せぬ態度にほぅと息を漏らし、信用できる男かも知れないと評価を改めた。


「俺は商人、というよりかは金貸しのように人の道を外れている者が大嫌いだ。しかしお前は礼儀を忘れぬ男であるようだ。さておき、オクトンと言ったな。お前はどうしてブレトを探しておるのだ?」


「お話させていただきますと、私にはメナリアという許婚がおります。早ければ来年、遅くとも三年後には婚姻の儀を執り行おうと考えている女なのですが、その彼女がどういう経緯で出会ったのかは存じませんがブレトさんに大層惚れ込んでしまいました。私は彼女を愛しております、<巡るウルトルナルカ>に誓っても構いません。ですが元々、彼女との婚約は両家の親が取り決めたもの。私が彼女を愛しているとしても、彼女が私を愛しているかどうかは別の話です。好意を持ってくれてはいますが、それが愛であるかは怪しいところでした」


 ここでオクトンは大きな落胆の息を吐き出した。カブリとしては複雑である、友に女が出来るのは喜ばしいところだがそれが略奪によるものであれば手放しに喜べぬ。そして臆面もなく自身を童貞であると言ってのけるあのブレトが、人の許婚を奪うような大胆な恋に落ちるとは思えなかった。


「愛する女を取られたのだ、頬面を一発ぶん殴ってやりたいというのなら至極理解できる。しかしお前の話し振りだと違うらしいときた。オクトンよ、お前はブレトを探して一体どうしたいのだ?」


「どうしたいのかと問われるのでしたら、私は彼を知りたいと答えます。メナリアが私に愛を抱いていない自覚があります、そんなところに彼女が好むような男が現れましたらなびきもしましょう。何の未練もないといえば嘘になりますが、私は彼女を愛しております。自分の惚れた男と一緒になるのが幸福への道だというのなら、私は身を引くのもやぶさかではありません。愛するメナリアが幸せになることが私の望みなのです。

 ですが、妻の幸せは夫で決まるものです。ブレトさんが彼女を、メナリアを幸せに出来るのかを見極めたい。もし彼にその力があるのなら私は二人を応援しましょう。けれども違うというのなら、生まれてこの方喧嘩なぞしたことすらありませんが、私は腕づくでも二人を引き離します」


 オクトンの言葉は力強く、双眸には覚悟が輝きとなって煌いている。彼が本気であることを心の底まで理解したカブリは腕を組んだまま大きく頷き、例え友ブレトと違える事になろうとも彼の力になってやろうと決意した。


「あいわかった、俺はお前のために手を尽くそうではないか。俺は今まで心から女を愛したことはないが、お前が許婚を深く愛していることが誠に良く伝わってきた。俺は婚姻とはほど遠い身ではあるが、女を幸せにするのはお前のような男ではないかと思ったほどだ。ダンロンに生まれた戦士として、偉大な男になる者としてこの男カブリがお前の力になろう」


「おぉ! それは実に嬉しく思います、しかしカブリさんと仰いましたか。具体的にどのようにして私に力を貸していただけるのでしょうか?」


「なぁにこのカブリ、ブレトの事は良く知っておる。この店で、いやこの都で最もあやつのことを知っているのは俺であろう。ブレトは共に多くの難事を乗り越えてきた友だ、その友の事で知らぬことなどありはせぬ」


 ブレトの友人に出会えただけでなく、その友人は自分に力を貸してくれると言っている。オクトンにとって大いに喜ばしいことで、カブリのような偉丈夫が味方になってくれるのは力強いもので、体が軽くなった錯覚すら覚えるほどだった。


「なんとそうでしたか! ウルトルナルカよ、この巡り会わせに感謝いたします。では早速で申し訳ないのですが、私はブレトさんと直接会ってお話したいのです。住まいを教えてはいただけないでしょうか?」


「知らん!」


 当然、即答である。オクトンは身を乗り出した姿勢のまま、時が止まったかのように固まってしまい、二人のやり取りを終始眺めていたアセロは思わず両手で顔を覆うのだった。


 ようやくブレトに繋がる道が見つかったと期待をかけていただけに、オクトンの驚きはアセロのそれとは比較にならぬほど大きなもの。彼は一〇拍以上もの時を固まっていたがようやくカブリの言葉を飲み込み租借することができた。

 それでも口にできたのは「えっ?」という拍子抜けな、問い返す声ともただの音とも取れるようなもの。


「何を素っ頓狂な顔をしている。知らんもんは知らんのだ、背伸びしたってわからんそもそも知らんのだからな。だが下宿先は知らんが、あいつが都のどの辺りを歩くことが多いのかは知っているぞ」


「うーん、でしたらそれを教えていただけませんか?」


 オクトンはしばし悩んでいた、他に頼れるものもないので尋ねはしたのだがカブリというこの男をどこまで信じていいのか量りかねたのだ。オクトンからすれば友の住居は知っていて当然のものなので、それを臆面もなく知らないと言われてしまえば拍子抜けしようというもの。

 加え<銀夢亭>は見るからに荒そうな連中が集まっている、程度の低い居酒屋である。もしかするとこのカブリはオクトンを謀ろうとしているのではないか、そう疑いたくなるのだがどうにも嘘を吐いているようには感じられなかった。


「あやつはエルフだけあって実に手先が器用でな、木材を買ってきては彫り物をして木彫り細工をしょっちゅう拵えておる。その拵えた物をどうするのかといえば商人に売るわけだ。売る先はその都度で変わったりしているようだが、木彫り細工を扱う商人のいる地区というのは決まっておるだろうことは誰でも知っておることよ。その辺りをぶらついていることが多いのだ

 他には肉屋のある地域だな。どうも奴の中で狩人の血が時折騒ぐらしく、たまに狩猟権を購入しては森で狩りを楽しんでくる。といっても森を探せとは言わん、そんなことをせんでもやつは必ず獲物を捕らえて帰ってくるからな。その獲物というものも鹿や猪、たまに熊を狩ってくることもある。当然、一人で食いきれるわけではないから肉屋で売っておる、だいたいそんなところだな」

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