氷雪よ奔れ-中編

 決闘の約束が交わされてから一刻も経っていないというのに、<銀夢亭>に集う酔漢達は既にその事を知っていた。カブリが扉を開けて鈴を鳴らすと共に、飲み仲間達は盛大な拍手で彼を出迎え口々に応援の言葉を投げかける。

 彼らはカブリが威勢の良い言葉を発してくれると期待していたのだが、そのカブリの顔は浮かないものだった。カブリは店の隅の席が空いていることを見出すと、人目から逃れるようにその席に着き、隣に老人を座らせた。


 普段のカブリからは想像できない様子に、酔漢達は顔を見合わせブレトに理由を尋ねたのだが、ブレトは決して口を開かずに首を横に振るばかり。というのも、カブリと共に危難を潜り抜けてきたブレトであってもカブリが消沈する理由が分からないのだ。

 カブリは元気のない声で店員を呼びつけると、牛乳とチーズを頼んだ。これに目を丸くしたのはブレトだけでなく、<銀夢亭>に集う全員だ。彼らはカブリが酒と肉以外のものを注文するところを未だかつて見たことがない。


「一体どうしたというのですか? あなたらしくもない。さっきまでの気合はどこへ行ったんです? オーグルの剣なんて叩き折ってやる、と豪語すれば良いでしょう」


 ブレトはカブリの向かいに座ると様子のおかしな彼の表情を覗き込もうとした。いつもなら胸を張り、大声で自らの武勇を誇りながら酒を浴びるカブリは今、沈痛な面持ちで机に浮かぶ木目を数えていた。


「ブレトよ、お前にも何度か語ったはずだ。俺は偉大なる男モウランを尊敬している、いつの日にかあのような男になりたいと、夢見ているのだと知っているな」

「えぇ、知っていますよ。というかあなた酒に酔えばすぐにその話をするんですから、聞き飽きたぐらいですよ。俺は必ず偉大な男になるのだ、足の指を使っても数え切れません」


 沈んだカブリを茶化して気を楽にしてやろうと、ブレトはわざとらしく大仰に肩をすくめた。


「俺がいつ酒に酔ったというのだ、ダンロンの酒と比べればここの酒は水みたいなものだ。この俺が酔うはずなかろうが。いや、そんな話ではない。俺は偉大なる男を目指すだけでなく、親父殿のようになりたい。そのためには……」


 ブレトの功が奏したらしく、僅かな間カブリは普段の調子を取り戻していたがすぐに顔を俯ける。剛気な彼には有り得ない事、相当な事態らしい。

 この老人が話してくれたら少しは楽になるだろうかと、ブレトは老人に視線を向けた。彼の濁った瞳は何も写しておらず、口は半開きで呆け切っている。口角から垂れる涎に気づくことなく、老人は運ばれてきたチーズに震える手を伸ばす。


「間違ったことだけはしてはならぬ、俺はそう思う。この御老人を突き飛ばしたオーグルに怒りを覚えるのは正しいことだが、御老人の代理としてこの剣で奴と決闘するのは間違っているのではないかと思うのだ。俺は<狼の爪>を見たことなぞない、口伝で知るだけだ。それでもオーグルの持つ剣を目にした時に確信してしまったのだ、あれこそが<狼の爪>であり御老人の剣は贋物であると」


 老ドワーフの剣は今カブリの腰に納まっている。カブリは悩みを色濃く浮かべながら、無骨な手の平で柄を撫でた。


「じゃあ逃げてしまえば良いんじゃないですか。ダンロンの戦士は強いのでしょう? 強い戦士は戦うべきでない時は戦わないものですよ。大体ですね、あなたはその老人の代わりとして戦うわけですけど、そんな義理がどこにあるんですか。この方は痴呆が進んでしまってます。カブリさんは鍛冶師だと断じ、剣は老人が打ったなんて思ってそうですが分からないことですよ。ここに来るまでも、そして今も彼は話してくれないんですから」

「お前の言うとおりだ、俺は既に戦意を薄れさせてしまっている。つい感情のままに大言してしまったが、戦えば地に伏すだろう。これは戦うべき戦ではない、逃げてしまえばよいのだろう。しかしどこかで信じたいのだ、これは御老人が命を賭して打った剣だと。例え偽者だろうとこの剣は素晴らしい、これがただの贋作だとされるのは惜しいのだ」


 煮えきらない返事である。カブリという男は元来このような発言を好まない、恵まれた体躯ということもあって気持ち良ささえ感じさせてくれる人間だった。その男が、優柔不断な態度を見せることにブレトは苛立ちを覚えてしまう。


「ではどうするのですか!?」


 感情のままにブレトは声を荒げた。

 カブリは何も言い返さずに机の上に置かれたチーズを見ている。その隣で老人は黙々とチーズを削るように齧っていた。ブレト、そしてカブリの沈黙が伝染したのか店内は静かで、老人の小さな咀嚼音がよく聞こえていた。


 何か言ってくれるはずだとブレトは信じていたが、カブリは唖のように黙ったままである。カブリはどうするつもりなのか、ブレトには知る由もなく彼の悩みを解決する手立てを持っているわけではない。頭が痛くなりそうだった。

 そうして無言のまま向かい合っていると、<銀夢亭>の扉が開いて鈴の値が鳴る。目を向ければ見慣れない客が店内を見渡しながら入ってくるところだった。その客はドワーフで、濃い髭と長い髪のためにすぐに年齢はわからなかったが、よく見ると肌には張りと瑞々しさがあるためにまだ若いと分かる。


 この若いドワーフは店の隅、カブリの隣に座る老ドワーフの姿を見つけると短い足で床を軋ませながら足早にやって来たのだった。


「ようやく見つけたぞ爺さん! 急にいなくなって何ヶ月も探してたんだからな、一体こんなところで何をしてるんだ!?」


 若い彼は老ドワーフの肩を強く掴むと半ば無理やりに振り返らせた。老人の白濁した瞳に僅かとはいえ若人の姿が映る。しかし彼は、己を探していた者の姿を見てもそれが誰かを認められないでいた。

 口の端から涎と共にチーズの欠片を零す老人の姿に、若者は沈痛な面持ちを浮かべながら言葉を詰まらせた。


「おいお前、この御老人の知己のようだが少し乱暴すぎやせんか。どんな関係なのか知る由もないが、年長者は敬うものだ」


 若いドワーフの態度に若干の怒りを覚えたカブリは声を荒げながら彼の腕を掴んだ。若いドワーフはここで初めてカブリ、そしてブレトの存在に気づいたらしい。驚きを露にすると丁寧に謝罪の言葉を述べると共に肩をつかむ手を離した。


「これは失礼しました。あの、もしかして……。いえ、それよりもまずは名乗るべきですね。俺は見ての通り、この爺さんと同じドワーフで彼の孫です。ここより遠く東にある<鉄産みのラリバル山>から来ました、名前をキンジャルと言います。お二人が俺の祖父の面倒を見てくれていたのですか?」


 カブリとブレトは互いの顔を見渡した後、キンジャルと名乗った若いドワーフと老いたドワーフの顔を見比べた。ドワーフという種族は毛が濃いために肉付きはわかり辛い物の、キンジャルと老ドワーフは目や鼻の形に似通ったところがある。

 俄かには信じがたいところではあったが、キンジャルと老ドワーフの間に血縁関係があってもおかしくなさそうだ。


「面倒を見ていたといえばそうなるかもしれんが、俺はこの御老人と対面したのは今日が初めてのことだ。孫のお前に言うのは心苦しいものではあるが、この御老人は耄碌しきっておるらしく数日に渡って剣を持って<王の大路>を歩き続けておってな。それでまぁ、厄介な事になってしまっておってなぁ……」

「その厄介な事、というのは?」


 キンジャルの問いにカブリは表情を曇らせた。説明しようとして口を開きかけはするのだが、すぐに口を噤んでしまう。

 それを何度か繰り返したところで、見かねたブレトは大きく溜め息を吐いた。


「代わりに私がお話いたしましょう。その御老人は自分の剣をあの<狼の爪>だと言い張りましてね、本物の<狼の爪>を持っている……もしかしたら名前を知っているかもしれませんね、オーグルという戦士と揉めたのですよ。そしてどちらの剣が本物なのか決闘する事になりましてね、といってもあちらさんもこの翁が戦えないのは承知しています。ですので、代わりにこちらのこの大男。ダンロンのカブリさんが代理として剣を振るうことになったんですよ」


 あまり深刻にならないようにと気遣ったブレトは軽い調子で説明したのだが、甲斐はなかった。キンジャルは床に膝をつけたかと思うと勢いよく頭を打ちつけ、擦り付けたまま顔を上げる気配を見せなかった。


「すみません! 爺さんのためにそのようなことに、もっと俺が早く都に来ることができていれば……」

「頭を下げんでもいい、謝られたところで何も事態は進展せんのだ。それよりも、ドワーフの一族は俺たちダンロンの男のように強い酒を好むと聞く。一杯ぐらいは奢ってやるから、酒を飲みながら話をしてくれ。俺はこの御老人の剣が気になって仕方がないのだ、老人はこれが<狼の爪>であると言って憚らん。これが本物でないだろうことは俺も理解している、けれどもこの剣は大業物。いや、それ以上のものだ。キンジャルよ、貴様の祖父について、そして剣について知っていることを教えてくれんか」


 カブリは店員を呼びつけるとキンジャルのために小樽にはいった蒸留酒を二つと果実酒を一つ注文した。蒸留酒の一つは自分のためで、果実酒はブレトのためのものである。まだ酒を飲みたい気分では無かったのだが、キンジャルは一人で酒を飲みはしないだろうと考えたのだ。

 キンジャルは床に頭を擦り付けたまま顔を上げようとしなかったが、酒が届いた頃になって顔を上げた。カブリが顎をしゃくってブレトの隣に座るよう促すと、キンジャルは無言のまま大人しく従う。


 席についてもキンジャルはすぐに話そうとはしなかったが、二口ほど酒に口をつけた辺りからぽつりぽつりとこぼし始めた。


「俺の爺さん、名前はドウジャルっていうんですが……とりあえず、俺が物心ついた時から英雄モウランの伝説に入れ込んでるところがあったんです。ドワーフの男がほとんどそうであるように、爺さんも鍛冶師でした。都までは名前が届いてないみたいですけど、東の方でラリバルのドウジャルといえばそれはまぁ有名でしてね」


 聞いたことがあるか、とカブリはブレトを見た。ブレトは手先の器用さを活かし、細工師としての活動もしているので、鍛冶師とはいえ有名な職人なら名前を知っているのかもしれないと考えたのだ。

 しかし違う業界でもあるため、ブレトもドウジャルの名前を聞いたことはなく首を横に振った。


「鍛冶師なんてものは作品が知られても、本人の名前はとなるとそうはならない事が多いんでお二人が知らないのも無理はないです。そしてあれはいつ頃からだったか、多分一〇年かもしかしたらもっと最近だったかもしれませんが具体的にはわからんですけども、歳のせいもあってか呆けだしましてね。そこから俺は<狼の爪>を超えるのだ、といって工房で延々と幾つも幾つも注文も無いのに剣を作り続けてたんです」

「話の腰を折って悪いんですが、呆け始めた年寄りに溶けた鉄を扱わせるなんて危なっかしい。多分、キンジャルさんもですがあなたのお父上も鍛冶師でしょうに、誰も止めなかったんですか?」


 ブレトの問いにキンジャルはしばし身を強張らせたがゆっくりと頷いた。


「爺さんの頭は呆けましたが、体はそうじゃなかった。何十年と鋼を叩いてたんです、肉体に染み付いた技術ってのは頭が駄目になったからといって抜け落ちるもんじゃない。さっきも言ったとおり、ドウジャルの爺さんは名前の知れた職人で作るものはどれも一級の大業物。爺さんは出来る度に、これじゃ<狼の爪>にはならない、と言ってましたがそれでも出来上がるのは良質の剣なんです。身も蓋もない話ですが、高い値で売れるんですよ。なもんで爺さんが呆けたからといって、誰も止められなかったんです」


 ここまで話してキンジャルは深い深い溜息を吐く、そこには後悔の念があった。


「金が絡んでは仕方あるまい、金というやつは人を堕落に導く力を持っているからな。負けぬためには金の魔力を知覚し、強い心を持たねばならん」


 本筋に関係のないことを口にしながらしたり顔で頷くカブリをブレトは嗜めた。そうしながらもいつもの調子を取り戻し始めたダンロンの男に安心するのだった。


「すみませんね、この人はどういうわけか暮らすに金が必要なことを知っているくせに悪者にする癖がありましてね。気にせず続けてください」


「わかりました。日が立つ毎に爺さんの呆けは酷くなってきましたが、職人としての腕は衰えなかった。いえ、むしろその逆。頭がいかれて余計な事を考えなくなったのか、考えられなくなったのか。どっちでも良いですが、雑念が無くなったらしく作り上げられる剣はより洗練されたものになっていきましたよ。高い値で売れるもんですから、嬉しくはありましたが複雑だったというのが本音です。

俺たちドワーフの鍛冶師の誇りは良い武具を作り上げること、自分の爺さんが幾つもの業物を鍛え上げていくのはそりゃ誇らしかった。けれど、けれども……ふと、俺はこの爺さんが人間性ってやつとか命と引き換えにしてるんじゃないかとか思い始めた。多分、その通りなんだろうな」


 キンジャルはまたも深いため息を付いてドウジャル老人へと視線を向けた。老いたドウジャルはチーズを食べ終えていたが、腹は満たされなかったらしい。涎を垂らしながらカブリの前にあるチーズを見ていた。

 カブリはこれに気づくとドウジャルに自分のチーズを渡してやる。老人は表情を変えることなくチーズを乱暴に受け取ると貪るように喰らい始めた。その様は獣の食事風景そのものであり、これを見たキンジャルは顔を皺くちゃにして涙を流す。


「こんなんじゃ猿と何が違うって言うんだ。爺さんは、爺さんはもう死んでしまったも同然だ。俺は、俺達は殴ってでも縛ってでも爺さんに剣なんて作らせるんじゃなかった。それが俺達の誇りだからなんて考えたことすら余計だったんだ」


 キンジャルの流した涙が頬を伝い髭を濡らす。彼はわっと声を上げて机に顔を伏せると子供のようにわんわんと泣き出した。ドウジャル老人は己の孫が泣いているというのに、瞳を白く濁らせたままチーズと格闘しているのだった。

 悲嘆に暮れるキンジャルを少しでも慰めようとしてブレトは彼の肩に優しく手を乗せたが、それ以上のことは出来なかった。慰めの言葉を掛けようとしたが、ブレトは自分の親の顔を知らない。そんなだからブレトには彼に投げかけるに適した言葉というものを想像することができなかった。


 そこでブレトはカブリにその役目を負ってもらおうと考える、以前にカブリから彼の父親についての話を聞いていた。父を亡くしているカブリなら、キンジャルに同情し彼の悲しみを和らげることが出来るのではないかと期待したのだ。

 後はよろしくと、ブレトは目配せを送ったのだがカブリは相棒の姿を見ていなかった。ではどこを見ていたのかというと、ドウジャル老人の傍ら机に立てかけられている剣である。僅かばかりの失望と共に、ブレトは直接言葉に出そうとしたが、彼が声を発するよりも早くカブリは剣を手に取った。


 ブレトだけでなく若きキンジャルの視線もカブリへと向く。ダンロンに生まれた戦士の男は立ち上がり、剣を鞘から抜き放つと店内の明かりに刃を煌かす。

 剣を取り返そうとドウジャル老人は手を伸ばすが、元々小さなドワーフとかたや身の丈二〇〇に近い大男である。老いたドワーフが幾ら手を伸ばしたところで届くはずもない。


 言葉にならない声で剣を返せと懇願する老人をカブリは深く澄んだ瞳で見下ろした。すると不思議なことに、今にも叫びそうだった老人は大人しく席に座りなおしたのである。


「外で見た時から感じていたことだが、こうして落ち着き改めて眺めると良い剣であることがわかる。俺はこの剣の素晴らしさを表現する言葉を持たぬ。詩人などといったものに憧れた事など無い俺だが、今この時ばかりは彼らのように言葉を紡げたらと悔しく思うほどだ。キンジャルよ、お前とて鉄打つドワーフの鍛冶師の端くれなのであろう。戦士として育った俺よりかは剣を見る目があるはずだ、そのお前の目から見てこの剣はどうだ?」


「どうって、俺は生まれてからずっと爺さんの作る剣を見てきた。その俺の目から見ても、爺さんの剣の中でそれ以上の物は見たことがねぇ。少なくとも、東のラリバル近辺じゃそれを超える剣なんてあるはずがないって断言できる。これは身内の贔屓目なんかじゃない、まだ未熟だって自覚してるが<鉄産みのラリバル山>で鍛冶を営むドワーフとして言ってる。嘘なんかじゃねぇ」


 痴呆が進んでしまい孫の顔すら分からなくなっているドウジャル老人ではあるが、このキンジャルの言は理解でき、そして嬉しかったらしい。濁ってしまっている瞳に少しではあったが輝いており、心なしか胸を張り誇らしげに見えた。

 カブリはそのドウジャル老人の姿とキンジャルに満足げに唇を曲げ、頷いた。


「ドワーフがそういうのであれば、これはこの世界の中心たるパンネイル=フスであろうとお目に掛かれるような代物ではないはずだ。そして俺はあることを確信し、それをより強固にするため御老人に問いたいことがある。この剣は<狼の爪>か、いや違う。<狼の爪>を超える<狼の爪>なのだな?」


 我が意を得たりとドウジャル老人は笑った。そこに痴呆の気も狂気もなかった。


「そうだ、それこそ<狼の爪>。この世に一振り、唯一無二の剣である」


 ドウジャル老人の言葉にカブリは再び頷くと剣を鞘に収め、今まで佩いていた剣の代わりに老人の剣を佩く。


「ならばこれは、これこそは<狼の爪>である。ドウジャル翁よ、例え呆けていたとしても分かっていることがあるだろう。俺は明日ドウジャル翁に代わりオーグルと剣を交え、御老人の鍛え上げたこの剣こそが<狼の爪>だと証明しよう。そしてその暁には、この剣を我が物としたい。構わぬか?」

「構わぬ、構わぬとも。剣とは振るう戦士がいて完成するもの、氷雪を奔らせよ。その時は、お前が剣の主。<狼の爪>を振るう戦士だ」


 この二人のやり取りをキンジャルはただ眺めていた。カブリの言っている事が彼には信じられなかったのである。殴られたかのような衝撃を受け呆然としているだけだったが、祖父の傑作がカブリのものになるかもしれないと理解すると慌てて声を出す。


「いやいやあんた何を言ってるんだ? 爺さんの面倒を見てくれたことは感謝してる、けれどそれはちょっと待ってくれよ」

「何を待てというのだ。御老人の作りしこの剣は紛う事なき<狼の爪>を超える<狼の爪>だ、疑うことなど何もありはしない。そしてこの剣は贋作だといわれ蔑まれているのが現状だ、俺はそれが我慢ならん。だからこそ証明したいのだ、これこそが真の<狼の爪>だとな」


「違うそうじゃない、いやそれもある。あんたはそれが贋物だと言っていただろ、それを急に本物だなんていい出し始めてわかる筈があるか」


 ブレトは狼狽を露にするキンジャルの肩を叩くと、首を横に振った。それはキンジャルへの同意と、言っても無駄だから諦めろという意思表示でもある。

 そしてブレトが思っていた通り、カブリはキンジャルの言葉を理解してなどいなかった。


「おいおい俺が何をおかしなことを言ったというのだ。お前はこれが<狼の爪>ではないと言いたいのだろうが、これは<狼の爪>を……まだ超えてはいないが、超える剣だ。つまりこれは<狼の爪>である」


 それは別物というのです。ブレトは喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、深い溜息を吐いた。キンジャルにどう解説したものかと頭を悩ませると同時に、安心してもいた。

 気味悪さを覚えるほどに消沈していたカブリがいつもの調子を取り戻し始めているのだ。ただそれはそれで恐れなければならないことである。

 普段通りの彼は一分の迷いも躊躇いも感ずることはないのだ。


「後はそれを証明するのみ、オーグルと戦い倒すだけである! おい肉だ、酒だ! 肉は脂のない真っ赤なやつを持って来いよ!」


 食欲を取り戻し店中に声を響き渡らせるカブリに、キンジャルも無駄だと悟って顔を俯かせた。ブレトは慰みを込めて彼の肩を叩き、酒をかっ食らうカブリへと視線を向ける。

 <峻険なるダンロン山>に生まれた戦士の彼が持つ肉体は強靭なもので、先達に鍛えられた剣技には力強さと素早さが同居している。荒事を好まぬブレトに戦士の知り合いは多くないが、それでもブレトはカブリがまだ至らぬ点があるとはいえ猛者だと信じているし、そう信じさせるだけのものがダンロンの男にはあった。


 だが、彼はオーグルに勝てるのだろうか。オーグルはこの都において名を知らしめている戦士であったし、彼の持つ本物の<狼の爪>の輝きを見てしまっては、カブリの勝利を確信することができない。

 このようなブレトの不安、剣の行方を気にするキンジャルをよそにカブリは酒を浴び始める。ドウジャル老人はその横で若い戦士を見上げるのだった。

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