一流の賭博師

 海原を行き水平線を沈んだ先にあるのか、空の上にあるのか。さらに彼方、望遠鏡を覗き込んだ先に広がる暗黒の宇宙に浮かぶ星のひとつなのか。はたまた誰かが夢想し書きしたためたものなのか。どこにあるかはわからない、けれど存在する剣と魔法の世界。名をイリシアという。

 この世界の中心はパンネイル=フス、<混迷の都>とも呼ばれる都市であった。領主のジェムズガン・ハーディガンによって治められる都は隆盛を極めており、夜が更けても松明が絶えず燃やされつづけ街路に明かりが提供されていた。


 人口も多く街の中心を南北に貫く<王の大路>には昼夜問わず多くの人が行き交い、彼らを相手にした露天が常に開かれている。この目抜き通りを<灰色石の門>から北に五ブロック進むと<酔いどれ通り>という路地に入ることができる。

 名前の通りいつだって酒に酔った者たちで溢れかえり、道の端に吐瀉物や糞尿が転がっていることが当たり前の路地で、常に酒精の匂いが漂っていた。この居酒屋ばかりが並ぶ<酔いどれ通り>に居酒屋<銀夢亭>は存在する。


 長い歴史を持つ店も少なくないパンネイル=フスの居酒屋の中でも特に古くからある店のひとつではあるが、気取ったものではない。昔からあるというだけで、誰にも分け隔てなく安酒とそれなりの料理を提供する大衆店である。

 営業時間は日の出から店主の気が済むまで。働く者さえいれば店を閉じずにいることもある店だから、やはりここにも昼夜の区別をつけず酒に魅入られた人間が集っていた。


 店の中は酒の臭いに満ち、床や壁、机には染み付いた油が光沢を放つ。酔漢たちの怒号が飛び交い、喧嘩が起きることも日常茶飯事。そんな彼らを女郎たちが見守り、そっちのけで賭け事に熱中する者、酒を浴び続けたせいで眠りこけるもの。

 中にはなんと勉学に励むものもいるのである。誰かといえばこの<混迷の都>を遥か南に聳えるダンロン山に生まれ育ったカブリだった。彼は戦いを生業としている戦士の一族の生まれであり、今まで学問というものに触れてこなかった。


 読み書きが出来る程度の教養はあったが、数字の妙に触れることはなかったし書物に残された過去の叡智を知ろうともしなかった。ダンロンの山に住んでいた頃はそれで良かったが、ここは世界の中心といっても過言ではない大都市パンネイル=フスである。

 流石にそのままではいけないと、蒸留酒の杯を片手に算術の問題と格闘していた。


「あの……まだ解けないんですか?」


 眉間に深い深い皺を寄せうんうんと唸るカブリに声をかけたのはブレトである。彼は都の北にある森から来たエルフという種族の青年で、カブリから算術を教えてくれと頼まれていたのだ。

 カブリがそうであるようにブレトも学校に通ったことはなく、学問に触れた経験はなかった。しかし、数字には強いのである。ブレトは森に住んでいた時、行商とやり取りすることが多く都に来てからも商売をすることが多い。


 そのため教養があるとは決していえないが、計算能力には長けていたのだ。


「少し黙ってくれんか、この乗算というやつが今ひとつ理解できんのだ。この三かける五という問題だが、まず三があって五があってだな……」

「それ計算するよりも暗記したほうが早いってさっきも言ったじゃないですか。ついで言うと答えは十五です」

「何? 十五だと? 本当にあっているのか?」


 ブレトの答えを信用できず黒板と白墨を使ったカブリだったが、すぐその答えが正しいと知ると目を大きく開けてブレトを見た。


「一体どうやったというのだ、俺が問題を言ってから数瞬の間しかなかったではないか。魔法でも使ったのか?」

「答えを暗記してるだけなんですって。二と二を掛ければ四、三と三を掛ければ九。組み合わせを覚えているだけなんですってば、何度も言っているじゃありませんか」


「馬鹿なことを言うな。俺はお前のように数字を扱う術を知らん、勉強というのもこれが初めてだ。だがな数字の組み合わせというものが無限にあることぐらい知っている。そして無限にあるものをどうやって覚えきれるというのだ、試しに十二と五を掛けてみろ」

「六十です。というかあなた私に問題を出しましたけど、それ自分で答えを導け出せるんですか?」


 黙りこんでしまったカブリを見ながらブレトは深いため息を吐いた。エルフの基準で言えば彼との付き合いは長いものではないが、共に幾つかの危難を乗り越えてきた仲である。カブリの知能が低いものでないことをブレトは知っていたので、算術を教えてくれという彼の頼みを快く了承したのだ。


 しかしその時、ブレトは驚きでカブリの性格をすっかりと失念してしまっていた。ダンロンに住む一族がそうなのか、カブリ個人がそういう性質を持っているのか、とにかく彼は強情なところがある。ブレトはこの性質を欠点とまで考えていなかったのだが、今こうしていると大きな欠点であると知った。

 暗記するというのが納得いかず黙ったままの生徒を前に、どう教えたものかと悩んでいると店の真ん中辺りで素っ頓狂な声が上がった。<銀夢亭>の喧騒に慣れてちょっとやそっとの音では鳥の囀り程度にしか思わない二人の男だったが、聞きなれぬ声につい視線を向ける。


 そこでは鍛冶屋のアセロが局部を隠す下着一枚だけの姿になって、黒く焼けた肌と意外にも引き締まっている筋肉を衆目に晒していた。鍛冶師の顔は酒精の働きで赤くなっていたが二本の足で床に立ち背筋も伸びている、泥酔してとち狂ったというわけではないらしい。


「ははっどうだい、女だからといってこのフラウダ様を侮るからそんなことになるんだよ」


 羞恥と憤怒で顔を赤くするアセロを指差し笑う博徒がいた。丸く大きな目、顔の輪郭も全体的に丸みを帯びていて高低差の少ない胸は彼女の幼さを強調させている。

 あどけなさが残るとはいえ、敗者を嘲笑しながらも目は油断なく次の獲物を探すと同時に手に入れたばかりの報酬を奪われないように警戒を怠っていない。これらの仕草は相応の場数を踏んでいることを思わせた。


「見ない顔ですね」

 ブレトが呟き、「うむ」とカブリが頷いた。

 <銀夢亭>に入り浸っている二人である、自分たちと同じ常連の顔は全て覚えているのだ。


「まだ若いな、俺は自分が年寄りというには早すぎるし世を未だ知らぬ若造だという自覚がちょっぴりだけある。その俺から見てもあの博徒は若いぞ」

「放っておきましょう、相手を文字通りの丸裸にしてるんです。まだ目を開いたばかりの私たちより尚若い、痛い目にあったほうが良いでしょう。辛苦を知らずして歓喜を味わうことはないのです」

「だが女だ」


 カブリが目配せした先を見ると全身に刺青を彫った男がいた。彼は誰が見てもわかるほど苛立ちを浮かべ、爪先は油で汚れた床板を何度も叩いている。カブリもブレトも男の名前は知らなかったが<銀夢亭>の仲間であることは知っている。

 そして彼がこの酒場を縄張りにしている博徒であることも知っていた。


 賭博の世界は覗いた程度しかない二人だが、博徒には互いに不可侵の縄張りがあるらしいと聞いている。刺青の彼の様子を見る限りでは真実なのだろう。彼らの法が定めるところを知る由はないが、金子それがなければ赤い雫を払わせるに違いない。


「女だからといって守られる道理はありませんよ。あんな悪目立ちまでするほうがいけないしそれにですね、女性は強いもんですよ。私らなんかよりも」


 このブレトの言葉にダンロン生まれの男は不服を覚えたが、自分の知る女達の事を思い出すとすぐにその通りであると頷いた。

 ならばもう気にすることはないと乗算の問題に取り組もうとするのだが、黒板をじっと見ているのは辛かった。どうしてもカブリの視線は女博徒のフラウダ、そして刺青の男へと向かってしまう。


 一頻りアセロをからかって満足したフラウダは自身を疎ましく思う先輩がいることに気づいていた。けれどもそれと悟られぬように彼女は店の中へ視線を巡らせ、次なる対戦者もとい獲物を探す。ただ名乗りを上げるものはいなかった。

 先住の博徒は苛立ちながらもまだまだフラウダの様子を伺うつもりであったし、酔漢達は文字通り裸にされたアセロを見てしまったがために勝てる見込みは無いと尻込みしてしまっている。もし彼女がわきまえていたのであれば、先輩に袖の下を渡して去っていたはずだ。


 けれども彼女は若く、若い人間にはよくある欲深さを持っていた。そしてフラウダは自分の勝負に大した興味も持たず、机に置いた黒板と向かい合っている二人のうち、特にカブリに目をつけた。正確に言えば彼が腰に佩いている長剣にである。

 パンネイル=フスに住む人々にとって武器は珍しいものではない。男も女も、老いも若きも持ち歩いている。なので剣はありふれた物なのだが、彼の剣は巨大な体躯に似合う長大さで知識がなくとも業物であることがわかる品だった。


 カブリは剣が狙われているとは夢にも思わず、教師ブレトに導かれて乗算との格闘を続けている。そしてフラウダは彼のこの行動が気に入らない。

 彼女は<銀夢亭>を賭けという見世物で盛り上げてやったという自負があったのだ。実際に、カブリとブレトの二人そして一部の店員を除けばフラウダの興行に釘付けであった。彼女は矜持に泥を浴びせられたような気がしていて、この大男を打ち負かしてやろうと席を立つと声をかけた。


「なんだ女、俺と床を共にしたいのか? それは嬉しい誘いだが今はそれどころではないのだ、俺は見ての通り算術の勉強をしている。それもこれも偉大な男になるために必要なことだ、あっちに戻って賽子でも振っていれば良かろう」

「そういうわけなので邪魔しないでもらえますか。賭けの相手でしたら他にもいるでしょう」


 賭け事に興味がない二人はフラウダを見ようともしなかった。その様子が酔漢達には面白く映り、小さな笑いがちらほらと聞こえる。もちろんフラウダはいい気がするはずもない、断るだけならまだしも視界にすら入れようとしないのには小さな怒りを覚えた。


「はっ、そんなでかい体してる割には小さな男なんだね。こんな小娘と簡単な賭けにすら興じられないだなんて、偉大な男になるため? 笑わせてくれるよ。大方、身包み剥がれるのが怖くって逃げてるだけなんだろう。そんなじゃ腰に吊るしてる立派な剣だって泣いちまうよ」


 ブレトの顔色が変わった。見え透いた挑発だが、カブリという男はこの手の言葉に非常に弱いのだ。それでもカブリは湧き上がる激情を一度は抑えた、だが二度目の挑発を受けてしまうと我慢ができない。

 大男が勢いよく立ち上がるとけたたましい音を立てて椅子が倒れ、店内の視線が一挙に集まる。しん、と静まり返った中カブリは酒精以外の要素で顔を赤くしながら、自身と比べ遥かに小さいフラウダへと肩をいからせながら詰め寄った。


「俺がこの剣を、<狼の爪>を持つ資格がないというのか。はっきり言ってやるがこのカブリは狭量などというものとは程遠い男だ。貴様が俺のことをどうこう言うのは勝手だが、我慢ならん。良いだろう、賭けだろうがなんだろうと相手になってやる」

「そうこなくっちゃな、偉大でなくても良いけどさ。男っていうのは挑まれた勝負から逃げないもんだもんな、なぁに難しい事はしないよ。賽子を二個投げてより大きな目を出した方が勝ちっていう単純なもんさ、純粋に運だけさ」


「なるほど、俺は賭博をしない男だが賭けにはイカサマが付き物だということは知っているぞ。しかし賽子を二個振るだけの単純なものであればイカサマのしようもあるまい」

「いやいやカブリさん、ちょっと待ってくださいよ。本当に賭けに乗るつもりなんですか!?」


 すぐにでも勝負を始めようとする二人を見てブレトは慌ててカブリへと手を伸ばし静止をかけた。だが頭に血が上ってしまっているカブリが止まるはずがない。


「おうとも。簡単な賭け、運の勝負ではないか。お前だけでなく俺以外の誰もが知りようのないことだが、俺は運が良い男だ。日々<炉のゴルドクルム>への祈りを欠かすことはないからな、ゴルドクルムが俺を助けてくれているのだ」

「何を言ってるんですか、幾らあなたが幸運の持ち主だからといって警戒したほうが良いですよ。だって彼女の服を見なさいよ」


 ブレトはフラウダを見るよう指し示し、カブリは彼女の服を注視したようだが何も気にならないようだった。これにブレトは危機を覚える、フラウダの服の袖は長く袖口が広い。手を隠すのは容易なはずだし、そこに何かを仕込んでいてもおかしくない。


「おや気づかなかったけど、そっちはエルフさんじゃないかい。へぇエルフさんはちょっと心得があるみたいだけど、心配は無用だよ。あたしはイカサマなんてしないよ」


 両腕を広げて笑うフラウダだが明らかに演技であり、ブレトは騙されない。だがカブリは騙される。


「ブレトよ、俺の心配をしてくれるのは嬉しいが無用だ。この女はイカサマをしないと言っているではないか、それに賽子を振って出た目を競うだけだ。これは俺と女、どちらが幸運であるかを比べるのであって小手先の技で決まる勝負ではない」

「そうだよにいさんわかってるじゃないか。こいつは運の勝負であって、ちょこまかとした技だとか仕掛けだとかが出てくるようなもんじゃあないんだよ。それにエルフさんさ、こいつはあたしとこの男の勝負さ。友達だかなんだか知らないけど、横から物言いつけるのは止めて欲しいもんだね」

「あぁそうだ女の言う通りだ。これは俺たち二人の勝負だ、例え賭けという形であろうとも戦いだと俺は考える。そして戦いというのものは神聖なものだ、特に一対一の戦いというものは尊ばれなければならん。なにブレトよ心配は無用だ、如何な勝負であろうとこのダンロンに生まれた戦士の俺が負けようはずがないんだからな」


 こうなってしまえばカブリが言う事を聞くはずが無い事は承知しているブレトである。エルフが呆れて肩を落とし、深い溜息を吐きながら椅子に腰を下ろしたのを見ると大男と女博徒は店の中心にある机に向かい合って座った。

 机の上にあるのは動物の骨を削りだして作った何の変哲もない二つの賽子である。改めて二人が勝負の内容を確認しあっているうちに観衆が彼らを囲み、その中にはまだ下着一枚だけのアセロの姿もあった。


 カブリは初めての賭けというだけでなく、群集の注目を浴びていることに胸を高鳴らせ机の上に掛け金を置く。それを見たフラウダも同額の金貨を机の上へと置き、勝負が始まった。

 互いに賽子を振る、ただそれだけの行為に観衆は声を上げ単純な賭け事は見世物と化す。勝負は一進一退であり、二人は勝ちと負けを繰り返していたが少しずつ少しずつ差がつき始めていた。勝負をはじめるまでは大きく膨らんでいたカブリの財布だったが、今やそれは袋ではなく布切れと呼ぶべき姿となっている。


 対するフラウダは自分の前に金貨銀貨の塔を築き上げ、優越に浸りながら控えめな胸を強調するかのように突き出していた。

 カブリは新たな勝負のための掛け金を取り出そうと袋に手を入れたが、触れるものがなかった。そこでようやく自分が負けている実感を得て目を見開き、巾着袋を逆さにして振ったが無いものが出てくるはずがない。


 本来ならもっと早くに気づくべきことで、カブリはその能力を持っている。だが彼は油断していた、戦いだと豪語しておきながらも自覚をしていなかった。遊びだと思っており本来の警戒心を失ってしまっていた、気づけばもう後はなく断崖へと立たされていた。

 ただこれは命のやり取りではなく、勝負といえど遊びの範疇を出るものではない。ここで引けば良いのだが、カブリという男の傲慢さがそれを許すわけがなかった。ここから巻き返しを狙うのだが、勝負には掛け金がいる。


 女賭博師フラウダは望んだ状況が来た事に唇を歪め、頭に血が上りつつあるカブリはそれに気づかない。


「別に賭けるのは金じゃなくたっていいんだよ、例えばほらあんたの腰にあるその剣。それでもいいのさ、素人の私にだってそれと分かる業物だ。あんたがそれを賭けてくれるっていうんなら、あたしは今この机に積み上げてる金貨全部……賭けようじゃないか」


 場の全員がフラウダが何を狙っていたのか気づいた、流石のカブリもこうもあからさまに言われて気づかないわけがない。腰に佩く業物<狼の爪>はカブリにとって命よりも大事なものだ。賭けろと言われて即断できるものではない。

 しかし衆人環視の中、勝負から背を向けて逃げ出すのはカブリにとって耐え難く死にも等しい屈辱である。呻き声にも似た音を喉の奥から漏らし、悩みつつも手はそろりそろりと剣へと伸びつつあった。


 フラウダは不敵に笑い、観衆は本当の勝負がこれから始まるぞと手に汗を握り始める。彼らの熱気は場の中心にいるカブリにも伝わり、これがまた彼の退路を立ってゆく。


「退きなさい」


 短く言い放ちながらブレトは友人を蹴飛ばした。予想外の一撃にカブリは床へ転がされ、立ち上がると共に声を荒げようとしたのだが、短く刈りそろえられたエルフの髪が逆立っているのを見ると出掛かっていた声は引っ込んだ。


「見てのとおり、私はエルフですが勝負してくださいますか?」

「そら構いやしないけど、エルフさんは何を賭けようってんだい」


 上手く事が運んでいたところに邪魔が入ったのだ、フラウダは機嫌も悪く舌打ちをするがブレトは意にも介さない。中身がたっぷりと詰まった巾着袋を机の上に置くと、中が見えるように口を広げた。


「これ、ハーディガンの森で狩りをする権利のために用立てたものです。あなたも都の人間なら、あそこの狩猟権に幾ら必要になるかは知っているでしょう。参加するには充分な額ですよね、あぁ心配なら触って確かめてもらってもいいですよ。袋には贋物なんて入ってませんし、きっちり一五枚ありますから」

「そんだけ言うならみさせてもらおうじゃないか」


 広げられた袋の中にフラウダは手を伸ばした。枚数はブレトが申告したとおり一五枚、手触りそして重さを一枚ずつ調べていったがどれも本物だった。


「言うとおり、どれも本物だね。けどあたいと勝負するっていうんだったら、その一五枚をいっぺんに賭けてもらおうじゃないか。文句ないね」

「もちろん構いませんよ。それよりもあなた、本当に私と勝負するんですか? もう一度言いますよ、私はエルフです。それでも良いんですね?」


 ブレトは袋の中から取り出した金貨を積み上げながら問うた。フラウダはその真意を理解できない、不穏なものを、首裏の産毛が逆立つ感覚を覚える。これは良くない事になっているのではないか、まだ若いとはいえ博徒の直感が告げていた。

 フラウダは充分過ぎるほどに勝ちを重ねた、そこそこどころではないほど稼いだ。カブリのような矜持を持っているわけでもない、嫌な予感は逃げる理由になる。しかし、逃げられない。


 観衆は固唾を呑んで女博徒とエルフの勝負が始まるのを待っていた。彼らを楽しませてやる義務も義理もあるはずがない、だが重圧はある。


「あぁ、私は差別をしない性質なんだ。勝負はそこの大男とやったのと同じ内容で良いよな? 互いに賽子を振って、大きな目を出したほうが勝ち。にいさんも賭け事に慣れてるようには見えないし、こんぐらい単純な方が良いだろ?」

「そうです仰る通りカブリさんのような博打童貞ではありませんが、賭けというのは慣れていないのです。数札を使うような複雑な規則がないものの方が嬉しい。後は、単純に運の勝負がしたいので公平にいこうじゃありませんか、ね?」


 微笑みかけながらブレトは服を脱ぎ、上半身を露にした。背が高く痩せていながらも密度の高い筋肉が骨を覆う彼の肉体を見た<銀夢亭>の酔漢たちは息を飲む。ブレトの隣にはカブリがいることが多いため誰も気づいていなかったのだが、彼の肉体もまた一流の戦士のものだった。


「公平な勝負ってのはわかるんだけどなんで脱いでんだい? あんたまさか、そういう趣味か?」

「馬鹿を言わないでくださいよ。公平というのはつまるところ、イカサマを一切せずにやろうというのです。服を着ていたら文句つけられるかもしれませんからね、あなたも脱いでくださいよ。下着まで脱げとは言いません」


「ちょっとあんた! 私があんたが蹴飛ばした大男との勝負でイカサマしてたって言いたいのかい!?」

「えぇそうですよ。私もずっと勝負を見てたんですが、あなたが勝つ時って二つの賽子のうち必ずどちらかが六の目がでています。カブリさんが勝つときはそういうことはなく、負けるときは必ずどちらかが一の目を出していました。賽子の出目を偏らせるのは簡単ですよ、重心を偏らせればいい。机の上の賽子はカブリさんが振ったものですね、これ重心偏ってますよね?」


 ブレトは机の上に置かれたままだった賽子二つを手のひらに乗せ、転がしながらフラウダへと突きつけた。彼女はそれを見ようとしない、賽子からあからさまに目を逸らすだけでなく後ろへ下がる素振りすらみせた。

 下着一枚のアセロも観衆の中からブレトの言うとおりのことが起こっていたと野次のような口調で飛ばす。それを皮切りにフラウダと勝負をした酔漢たちも同じことを口走り始めた。


「黙りやがれ! てめぇら自分の言ってることがおかしいとおもわねぇのか!? 頭ん中にまで酒が回ってるみたいだね、あたしが賽子に仕掛けしてたってんなら何で出る目が違うっていうのさ? まさか私が振るたびに賽子をすり替えてたとでもいうのかい?」


 フラウダの言葉にアセロをはじめとした観衆たちははっと気づかされ、口をつぐむと皆恥ずかしげに顔を背けた。


「えぇそうです、摩り替えただろうと私は言っているのです。カブリさんと始める前から疑ってますよ、あなたのその袖。賽子程度の大きさなら隠すのは容易でしょうし、博徒を名乗るのであればそのぐらいの器用さは持っていて当然でしょう」

「ふざけんじゃないよ、勝負する前からイカサマしてるだなんて疑って食って掛かるとか常識ってもんを知らないのかい! そんなやつと勝負してやる義理なんてないよ、悪いけどこの勝負は無かった事にしてくんな」


 慌ててカブリから奪った金貨をかき集め始めた、しまったやりすぎたとブレトは唇をかみ締める。確かにフラウダの言うとおりだ、彼女がイカサマをしているという確信は持っているし手に乗せた賽子の重心は著しい偏りがある。

 けれどそれだけでは足りないのだ。最後の一手が足りないし、止めに必要な要素を持っていない。巻き上げられた金子を取り返したくあったのだが、彼女を逃がすしかないのだろうか。


 背を向けようとするフラウダを指を咥えて見ているしかないのか。だが諦めかけていたブレトに助けの手が差し伸べられた。随分と前から<銀夢亭>を根城にしている名も知らぬ刺青の博徒がフラウダの手を掴むとそのまま捻り上げる、苦悶に顔を歪めたフラウダの袖口から二個の賽子が転がり落ちた。


「お前も博徒だったら知っているだろう、バレないイカサマはイカサマではない。だがお前の仕込みはバレたぞフラウダ、逃げるなら逃げると良いだろう。しかしそうなると、お前はイカサマでしか勝てない詐欺師ということになってしまうな。あちらのエルフは肌を晒してまで公平な勝負をしようというのだ、それを受けて立たなければ博徒を名乗る資格はない。それに――」


 彼は最後だけ周りに聞こえないようフラウダにだけ囁いた。聴力に自信のあるブレトですら聞き取れないものだったが、彼女にとって悪い内容ではなかったらしい。

 証拠に、彼女はブレトと向かい合うと威勢よく服を脱ぎ払い柔肌を衆目へと晒した。意外だったのは、小さいとはいえ彼女は胸に何も覆っていなかった。小さな膨らみと色づく突起までもが晒されたのだ。


 この場にいるのはほとんどが男だ。皆の視線は一様にフラウダの女性的な箇所へと集まるが、ブレトは彼女の目から視線を離さない。一瞬とはいえ彼女の胸に気をとられたならば、そこで仕掛けられる可能性があったからだ。


「賽子は俺の物を使え。俺はフラウダにもエルフのブレトにも味方をしない中立だ、二人だけでなく観客も、誰一人としてこの提案に差し挟む者はいない」


 フラウダとブレトだけでなく観衆の全員が首を縦に振る。

 机の上に二個の賽子が置かれた。フラウダの物と同じく動物の骨を削りだして作ったものだ。それをブレトとフラウダは交互に手に持って検分し、重心に偏りの無い普通の賽子であることを認め合う。


「あんたから振れよ。イカサマなし、というより仕掛けのしようようがないからね、順番なんてどっちでもいいだろ?」

「えぇそうです、あなたの言う通り。互いに裸だ、賽子のすり替えることなんて出来ませんしこれだけ注目されているんです。相手の目は誤魔化せても、観客の目すべてを誤魔化すのは難しい」


 フラウダから一時も視線を離すことなくブレトは賽子を手のひらに乗せると、零すようにして机の上へと転がした。無音の中、賽子が転がる乾いた小さな音が酷く大きなものに思える。

 音が止んだ。一つは三の目を、一つは四の目を出していた。


「七ですか。私が負けない確率はおおよそ二分の一といったところですか、いや勝負がわからなくなりましたね」

「平然としてるじゃないか、負けないのは半々だって言ったね。それは負けるのも半々だってことだよ、金貨一五枚とお別れの挨拶しといても良い確率じゃないか」


 もうフラウダは勝ったつもりになって揚々と賽子を拾い上げる。彼女には勝算があったのだ、仕掛けを施した賽子を使っていた彼女だったがそんなことをしなくても出目を操ることはできる。

 そのためには賽子の重心の位置を把握している必要があるのだが、検分の時にもう済ませていた。どうせなら圧倒してやろうと、早くも勝利の美酒に酔いしれながらフラウダは賽子を振った。


 彼女の指は見事に出目を操り、机の上を転がった賽子が見せたのは六のぞろ目である。わっと歓声が上がり、フラウダは高笑いしながらブレトの巾着袋を引っさらうと金貨を一枚取り出し、これ見よがしに齧ってみせた。

 フラウダはエルフの悲愴な表情を浮かべると思っていたのだ、それを美酒の肴にしようと考えていたのだが、ブレトは平然と腕組みしたまま結果を受け入れるとこう呟いた。


「もう一戦お願いします」


 このブレトの言葉にフラウダは目をぱちくりとしばたたかせた。彼にはもう賭ける物が無くなっているはずだ、まだ持っているというのだろうか。一五枚の金貨を一度に使った男なのである、持っていてもおかしな話ではない。

 だからといってすぐ承諾するフラウダではない、次は何を賭けるのか確かめるのが先決である。


「あたしは構いやしないよ、けど何を賭けるっていうんだい? まだ金があるのかい? それとも別の物を賭けてくれるとでもいうのかい?」

「えぇもちろん、私が賭けるのはカブリさんが腰に佩いている長剣<狼の爪>です。ただこの剣は誰が見てもわかるほどの大業物であるだけでなく、偉大な英雄モウランが使っていた剣でもあります。売れば間違いなく一財産が築けるでしょう、なので私はあなたに……私とカブリさんから巻き上げた金子を全て賭けていただきたい」


 カブリが<狼の爪>の名を出した時からもしやと思っていたフラウダであったが、このブレトの言葉で本物だという気持ちをより一層強くした。例え違ったとしても、相当な価値があることは間違いないのである。

 元々、その剣を狙っていた女博徒にとって願ってもない事態である。加えてこちらが賭けるのは今日の売り上げだけでいいと来た。美味すぎる話であるために、謀られているのではないかと疑うほどである。しかし、もしブレトが仕掛けをしていて負けたとしてもフラウダに失うものはない。今日の稼ぎの一部がなくなるだけだ。


「貴様らだけで決めるんじゃない! この女もそうだがブレトよ、お前こそ何を考えている。お前はこの俺と<狼の爪>の話を知っているだろう、それを知って尚、賭けの対象にするというか! いや以前にだ、俺はお前を無二の友だと認めているしお前もそうであろう。だからといってその友の得物を勝手に賭けるとはどういう了見だ!」


 カブリの怒声が<銀夢亭>に響き渡り、フラウダは耳を塞いだが彼女よりも優れた聴覚を持っているブレトはどこ吹く風で友の怒りを右から左へ流した。そしてブレトがカブリに耳打ちすると、カブリの顔から赤みは抜けたがまだしかめ面のまま。

 けれども剣を賭けに出すのは承諾したらしく、憮然としながらも腕を組んで賽子の乗る机を見下ろした。


「で、勝負していただけますか? もっとも、負けるのが怖くなければ、ですが。あなたはもう私には勝てませんし、宣言しときますよ。あなたが磨き上げた技を披露したところで、あなたの出目は一のぞろ目以外になく、私の出目は六のぞろ目ですからね」

「へぇ随分な自信じゃないか。私に断る理由はないんだから受けようじゃないか、けど今の大言壮語を忘れんじゃないよ。あんたが六のぞろ目を出すことは有り得るだろうね、けれど私が一のぞろ目を出すだ都合が良いことは起こらないよ」


 フラウダは机の上の賽子を手に取り、再び六のぞろ目を出すべく技を使って振ろうとしたのだが手を止めた。首裏の髪の毛が逆立つような感触を再び得ていたのである。言いようのない、名状しがたい不安があった。

 エルフは裸で何かを隠しているようには見えない、髪の毛も短い。一挙手一投足を見逃さないよう、目を凝らして見張っていたが怪しい動きは無かった。けれどもフラウダには嫌な予感がある、何かを仕掛けられているのではないか。このまま先に振れば彼の予言が成就してしまうのではないのかと。


「あんたが先に振りな、順番なんてどうでもいいんだろ? これはどちらの運が良いか、ヤハハーリヤ神の恵みがどちらに注がれるかの勝負なんだからね」

「もちろん構いませんとも。私はヤハハーリヤを信仰してはいないので恩恵を授かることはありませんが、それでも結果は変わらないでしょうね。私が出すのは六のぞろ目、あなたが出すのは一のぞろ目。これは絶対に変わることがない」


 フラウダが賽子を突き出しと、ブレトは嫌な素振りを見せることなく受け取り、そして振った。コロンコロリと机の上を転がる賽子がどんな顔を見せるのか。誰もが固唾を呑んで見守った。

 そして出たのは六のぞろ目。歓声が沸き起こり、フラウダの額にじわりと汗が浮かび始める。これはたまたまだと言い聞かせるが、本当に偶然なのだろうかと疑うところもあった。


「ね? 言ったとおりでしょう、私は六のぞろ目を出しました。さぁ次はあなたの順番だ、振らなくても構いませんよ。博徒の技巧を凝らしたところで、あなたが出すのは一のぞろ目だ。決して、変わらない」


 獲物を狙う肉食獣の如く細められた鋭い瞳に身すくめられ、フラウダの肩は震え、体は強張った。心の内に恐怖の感情が芽生え、自覚できるほどであったが降参する意思はない。

 危険を感じて心臓が縮み上がることは以前にもあった、その時もフラウダは逃げなかった。ここで下がるのは博徒の名折れと、息を吸い込んだ後に笑う。ただの強がりでしかないが、効果はあった。


 筋肉を硬直させる緊張は抜け、フラウダは賽子を拾い上げた。対峙するブレトの威圧的な視線を真っ向から見据え、跳ね返そうと白い歯を覗かせる。そのまま手の平の賽子を見ないまま、転がした。

 一回、二回。賽子は机の上を七回転がり、一個は一の目をもう一個も同じ目を出した。一のゾロ目、ブレトの言葉は現実のものとなった。戦慄が電流となって背筋を駆け上がり、表情筋が引き攣った。


「ね? 私の言ったとおりでしたでしょう? というわけですので、私の金貨一五枚と幾らあったか知りませんがカブリさんから儲けた分は頂戴します」

「あぁかまわねぇよ、勝負は勝負だからな。負けた分はきっちり払う、けどもう一回! もう一回だ! てめぇは今イカサマしやがっただろう、けど見破れなかった。バレないイカサマはイカサマじゃない、だから次の一回で見破ってやる。もう一回勝負しろ!」

「それはもちろん構いませんが、私はイカサマなんてしてませんよ? ねぇみなさん?」


 おどけて肩を竦めながらブレトは観衆を見渡すと、皆は彼の言葉に同意した。その中でも刺青の博徒は意味ありげに口元を緩め、フラウダの肩に手を置いた。


「フラウダ、良い事を教えておいてやる。このエルフはイカサマなんて一切していない、そして俺とエルフは互いに名乗りあったことすら無い仲だが、イカサマなどするような者ではない。何せ毎日のようにこの<銀夢亭>で彼の姿を見かけるが、彼が賭けに興じているところを見たことはなかった。賭博を日常的に行わぬものが、付け焼刃のイカサマをしたところで見抜けぬお前ではないだろう」


 肩に置かれた手を振り払い、刺青の博徒に一瞥をくれてからフラウダはブレトを犬歯を剥き出しにして睨み付けた。この刺青の博徒がブレトの味方をしているとは考えづらいことで、嘘を言っているようにも思えない。

 けれども信じられなかった。賭博で賽子を使うことは多い、なのでフラウダも当然のようにどんな賽子でも出目を操る術を習得している。そして今、その術を使った。振った賽子に仕掛けがないことは確認していた、出す目を間違えるはずがない。自身の腕に対する絶対の自信が、ブレトへの疑いを生んでいた。


「外野は黙ってろ、いいからやるのかやらねぇのか!? どっちなんだよ!?」

「構いません。では私はまたカブリさんの<狼の爪>と、今あなたから勝ち取った金子。それだけでなく、ここには持ってきていませんが私の弓もつけましょうか。大事な大事な商売道具、失うわけにはいかないものです。良いですよね?」


「あぁ良いぜ、良いともさ。けれど、そんだけ大層なものを賭けられてもあたしは何を賭けたら良いんだい。釣り合うだけの金は今あたしは持ってないよ、それともこの体を賭けろとでもいうのかい?」

「いいえ、私は女体に興味ありません。それを自由にできる権利を得たとしても金銭に換える方法を知りません。最もお金を賭けて欲しいと思ってませんので、私が勝った場合は賭博から足を洗っていただきましょうか」


 すぐに返事は出来なかった、負ければ博徒を止めねばならぬというのはいささか釣り合わない。フラウダの手元にはまだ勝ち得た金子があった。具体的な額を数えてはいないが、かなりの金額があるはずだ。可能であるならば賭けるものはそちらにしたい。

 フラウダは今日の稼ぎが入った幾つかの巾着袋、アセロから奪った衣服を机の上に置いた。即座にブレトは机を蹴りつけ、振動で袋も衣服も油で光る床へと落ちた。想像できなかった事に恐る恐るブレトの表情を伺ってみると、笑ったまま。


 頬杖をつき明らかな作り笑いを張り付かせたまま、彼はじっとフラウダを見つめるばかり。拒否の意思表示だった、要求したものを賭けねば勝負はしないという確固たる意思がブレトにあった。それを知ったフラウダはさらに悩み、歯を食いしばらせた。

 賭けの対象を提示してきたのはブレトの方だが、勝負そのものを仕掛けたのはフラウダなのだ。仕掛けておいて勝負から逃げるのは矜持がが許さない。だがもしここで負けたら、もう賭博は出来ない。と、ここまで考えてふと思ったことがあった。


 そんな気はもちろん無いのだが、仮に負けたとしても<銀夢亭>で賭けが出来なくなるだけ。別の場所でやればいいだけのことではないか。どうしてすぐ気づかなかったのか、フラウダは勘の悪い自分を馬鹿らしく思うと同時に取られるモノなど皆無に等しい。自然と口角が吊り上ったのだが、これに気づいたブレトの目の色が変わった。


 表現するのは難しい、どこがどう変わったというのも良く分からない。だが確かに、微笑を浮かべたままではあるが彼の表情は変わった。矢となった彼の視線がフラウダを貫き、床へと縫いつけられる。全身の毛が総毛立ち、顔を背けようとするが首が回らない。

 理屈ではなく本能に近いところで逃げられぬのだと悟った。いつ、どこで、どうしてなのかは分からないが既にここは虎口の中。どんな手段を取るのか予測できないが、このエルフは決してフラウダを逃がすことはないだろうという確信がある。


 恐怖が内にあったが幾つもの鉄火場を潜り抜けてきたフラウダである。彼女の心臓は鍛え上げられており、恐れがあっても拍を乱すことはないどころか火が付き燃え上がり始めた。その火は瞳に映し出され、輝く眼は負けじと相対するブレトを見据える。


「私の出目は八といったところでしょうか、九以上を出されては負けてしまいますが……あなたは決して出せません、あなたが出せる目は六だ」

「予言のつもりだろうけど、そんなもんで臆すと思ってんのかい。さっき、あんたの予言はあたったけどあんなのはまぐれさ。二度目なんてないんだよ」


 微笑みながらも睨みを効かせ続けるブレトの圧を押し返そうと唾を飛ばしながらフラウダは吠える。


「予言ではないですよ、私はそんな力を授かってはいませんし未来を見通すような魔道にも通じておりません。ですが私の言ったことは現実になるんです、それを証明しようじゃないですか」


 軽い調子で言いながらブレトは賽子を拾い上げ、振った。出目は言ったとおりの八である。


「ね? 言ったとおりでしょう、今ここで負けを認めてくれるのなら賭博を止めろとまでは言わないことにしますよ。今日、この<銀夢亭>で稼いだ分を差し出してもらうだけに止めましょう」

「馬鹿いうんじゃないよ、今更ここで引き下がるわけがないだろう。私だって博徒の端くれさ、あんたが何をしようと勝ってやるさ。六のぞろ目でね!」

「そうですか、ではあなたの手番です。さぁ、どうぞ」


 ブレトが賽子を広い差し出した、それを受け取ったフラウダは手の中で転がした。賽子をすり替えているかもしれないと疑いをかけたのだが、そんなことはなかった。

 指先に神経を集中させる。怪しい動き、例えば魔法を使うための呪文を唱えるのではないか、等に警戒しブレトから視線は動かさないまま賽子を振った。勢いを強めに付けて振られた賽子はコロコロ。


 賽子の勢いが弱まった頃になってから視線を落とす、先に止まった一個が出した目は六。狙い通りの目を出したことに拳を握り締めたがまだ油断はできない、もう一つはまだ転がっていた。

 六が出るよう狙って投げたが、心臓の拍は乱れそうだ。そして賽子の回転が止まり、出た目は六。


 喜びに口が開き始め、喝采を叫ぶために息を吸い込むフラウダの目の前で止まったばかりの賽子が動いた。一回、二回と転がり現れたのは一の目。六と、一。フラウダの出目は七となり、八のブレトを超えることはない。

 有り得ない動きにイカサマをしたに違いないと、中途半端に口を開けて両手を挙げかけたまま状況を分析していったが見つけることはできない。息がつまり、視界が歪んだ。敗北の文字がフラウダの脳裏に浮かぶと共に、彼女の眼前は暗闇に包まれた。



 頭から机に倒れこんだフラウダに声を掛ける者はいなかった。観衆の数は一〇を超えていたが彼らの注目はブレトへと向き、異口同音に賞賛の言葉を投げかけた。

 しかし当のブレトは喜ぶどころか、浮かない顔でカブリに金の詰まった袋を渡すのだった。


「一体お前は何をしたのだ? 賭博を嗜むようには見えんが、イカサマをしたのだろう。そうでなければ出目を的中させることなど出来ようはずもないし、最後の賽の動きは平常のものではない。あれは魔術のような超自然の力を利用したものだと思うのだが、俺にだけでも教えてはくれないか?」

「あーイカサマも何もしてないんですよ。したといえばしたになるかもしれないんですけど、カブリさんはそこにいるものが見えますか?」


 こう言ってブレトは机の真ん中あたりを指差した。もちろんカブリはそこを見たのだが、何もいるようには見えない。二つの賽子ぐらいであるが、ブレトが示しているのはそれではないのだ。


「いいや分からんな。あえて言うなら賽子が出しっぱなしになっているぐらいだが、もちろんそれを指しているわけではないのだろう」

「精霊ですよ。彼らどこにでもいますから、ここにも火の精霊や水の精霊はいるんです。この賭博師に勝負を仕掛ける前、精霊たちと話をつけたんです。私が言ったとおりに賽子を動かしてくれ、ってね。重すぎる物は彼らに動かせませんが、賽子を動かすぐらいは出来ますから」


「勝負の前にエルフ族であることを強調したのは何故か気にしていたのだが、それが理由か?」

「そうですよ。エルフは精霊と対話のできない人間と賭けはしません、精霊に頼めば好きなように出来ますし人間に見破ることはできません。人間も、というか賭けを生業にする人間にとってそんなことは常識なんですよ。知らない彼女が悪い、大方、この都以外で賭けをしたことはないのでしょう。私みたいな物好きでもない限り、エルフは都市生活を好みませんから」


 カブリは腕を組み、感心したように何度も頷いた。そして疑問が湧き上がった。


「ならばブレトよ、お前は小遣い程度なら幾らでも賭博で稼げるはずだ。どうしてそれをせんのだ」

「そんな分かりきった勝負をしても面白くないじゃないですか。賭けっていうのは勝つか負けるか分からないから楽しいんですよ」


 種を見破れなかったのが余程悔しいのか、目を覚ます気配のないフラウダを見ながらブレトは大きなため息を吐いた。それを見ながらカブリが一言。


「なるほど、お前こそが一流の賭博師だ」

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