棄てられた寺院-後編

 鍛冶師のアセロが<銀夢亭>を飛び出した頃、カブリは既に酔漢達が千鳥足に歩む<酔いどれ通り>を抜けてパンネイル=フスを南北に貫く<王の大路>へと出ていた。

 <混迷の都>の本通りであるこの<王の大路>を行き交う人の数は、<酔いどれ通り>の酔漢達と比べるのもおこがましいほどに多い。自然とカブリの歩みも遅くなると共にブレトを掴む力が弱まった。


 器用さで知られるエルフであるブレトがこの隙を見逃すはずも無く、するりとカブリの手から逃れる。気づいているのかいないのか、ダンロンの男は歩みを止めない。有無を言わさずして連れ出された怒りもあって、ブレトは半ば殴りつけるようにしてカブリの肩を叩く。

 頑健な彼は殴られたのだと露とも思わずに平然と振り向き、怒気を発している赤髪のエルフを見据えた。


「カブリさん、まさかとは思いますけれどこのまま向かうつもりじゃないでしょうね?」

「当然だともギンギルは金貸しなんていう小ずるい商売をしているが、やつは今困っているのだ。人を助けるのは早ければ早いほど良いに決まっているではないか」


 呆れて溜息を吐き出すと怒りも一緒に出て行ってしまい、ブレトの肩から力が抜けてしまう。そのまま項垂れて首を横に振り、空を見上げた。

 風が強いらしく都を覆う生活の煙はほとんど無く、暮れ掛けた空には力強い星が我先にと争うようにして輝き始めているのが見えた。この分だと城壁を出る頃には太陽は地平へと沈みこみ、夜がやって来るのは明らかだ。


 これから向かおうという荒れ寺には良からぬ連中、魔法使いがいるかもしれない。どれだけ準備をしても決して万端にならないだろうというのに、態々目が利かなくなる夜に赴こうというカブリのその精神がブレトには信じられなかった。


「良いですか荒事になるかもしれない、アセロの話を信じるなら悪漢は一人だけです。ですが魔法使いだというじゃないですか。それに居るのは捨てられた寺院です、どう考えたって悪い企みをしているに違いなく、そういう魔法使いは侵入者を決して許すはずが無い。下手に向かえば返り討ちになってしまいますよ」

「うむお前の言うことは最もだとも。俺は<峻険なるダンロン山>で戦士として生まれ、戦士として育てられたのだそのぐらいのことは知っているとも。そんな俺に意見するのだからお前は策というやつを持っているのだろうな」


「もちろんです、まず夜に向かうのは良い手とは言えません。夜の闇は遠くばかりか近くも見えなくしてしまうものです、かといって明かりを手にすれば目だってしまう。だから夜には行かない、行くのは昼間です。ですがいきなり中に入りはしません、遠くから様子を伺い情報を集めるのです。こうして荒れ寺に屯している者のことを知ってから、赴く算段を改めて立てるべきです」


 カブリは腕を組み、うんうんと頷きながら話を聞いていた。ブレトの言う事に同意しているように見えたが、彼は最後まで話を聞き終えると「悪手だ」と一言で切って捨てる。


「俺は戦士だぞ、そんなことを考えなかったと思っているのか。お前に随分と低く見られていたことが悲しく思うが、今は置いておこう。お前の言うことは最もだ、そして基本的であり誰でも考えることなのだ。寺に魔法使いがいるとしてだな、その魔法使いはお前のようなやつが来ることを考えるに決まっているのだ。だからそれは悪手だ、俺たちが昼間にのこのこと近づけば罠に嵌められてしまうだろう」


 なるほどカブリの言う事には一理あるとブレトは納得した。けれど、ならどうするというのだろうか。ブレトは森で動物を追い、仕留めるときの事を思い出していた。

 狩りで大事なのは獲物を知ることだった。どこで食事を取り、どこで水を飲み、いつ寝床へと向かうのか。矢で射抜く獲物の行動を知ることから狩りが始まる、それは相手が魔法使いだろうと同じだとしか思えなかった。


「だから今行くのだ。ニグラのような例外を除けば魔法使いとて人間だ、人間にとって夜というのは休息の時間でありそれは飯を食う時よりも油断をしている時でもある。夜に働く盗人共でも、深まれば寝るために床に就くのだ。そこを襲うのは常道だと、俺は親父を初めとした偉大な戦士たちに教わったのだ」


 猪のやることではないかとブレトは思うがダンロン流よりも良い案を持ち合わせてはいないし、浮かびもしなかった。ダンロンの教えに一理あるのだからそれに従おうとした、しかし武器がない。これを伝えると彼もはっとした表情を浮かべる。

 カブリは煌く鋼を腰に刷いてはいたがそれだけだった。お互いに準備を整えるために下宿へと戻り、別れた場所で再度落ち合った時は既に夜が更けている。けれど暗くはない。


 役人が等間隔に並べて火を点けた松明の明かりがあったし、雲がないために星と月の明かりは都にまで達していた。

 ブレトは愛用の鉄弓だけでなく、夜闇に溶け込めるよう暗色の服を着込み、腰には短剣だけでなく小道具を詰め込んだポーチを吊るし盗賊のようである。対しカブリはといえば準備したにもかかわらず、別れた時とほぼ変わらなかった。


 服を着替えてもいないし鎧を着込んできたわけでもない、違いといえば腰帯に幾つか巾着袋をぶら下げていることぐらいか。夜襲を仕掛けようと言った当人が軽装であることに疑問を抱きはしても、ぶつけたところで返ってくる答えが容易に想像できたのでブレトは何も言わない。

 こうして落ち合った二人は<王の大路>から<貫き通り>へと入ると会話もなく西へ真っ直ぐに進む。<西湖の門>を守る退屈を持て余す番兵に軽く声を掛けて城壁の外へと出る。そこは都を守る壁の外ではあるが、まだ都の一部だった。


 西の門の外は鍛冶師だけでなく革細工や染物だけでなく、屠殺などを生業とする職人たちの工房と住居がある区画なのだ。日が暮れているためどこの工房も静かなものだったが、昼の活動が残した香りが二人の鼻を貫いた。

 馴染みの薄い場所であるだけにこの臭いに慣れないダンロンの男は顔をしかめていたが、エルフは捨てた森のことを思い出してしばし郷愁に浸る。


 そうして歩き続け家屋がまばらになり、<輪転の湖>が見えそうになった所で二人はギンギルの荒れ寺へと辿り着いた。捨てられた寺院は建物よりも高く積まれた石造りの壁で覆われており中は見えない、朽ち果て開かれたままになった門へと向かう前に二人は中を覗ける場所がないかを探す。

 長く捨てられ省みるものもいない寺院の壁はそこかしこに欠けたところがあり、望みのものは労することなく見つけることができた。視力に自信のあるブレトが代表してそこから中を覗いたのだが、ブレトはすぐ穴から目を離すと首を横に振る。


「駄目ですね、中は霧が濃くて何も見えません。この壁が風を遮ってしまうので霧が溜まっているのでしょう」

「そんな馬鹿なことがあるものか、幾ら壁があるからといえ何も見えん程の霧があるわけないだろう」


 ブレトの言う事が信じられずカブリもまた中を覗くが、言われた通りだった。濃密な霧が充満しており一寸先も見えそうにない、友の言うことを信じていないわけではなかったが想像を超える霧の濃さに思わず息を呑む。

 けれどもカブリは諦めず、霧が晴れることを願って瞬きもせずに中を伺い続けた。すると何かが蠢く気配がする、濃霧は蠢く何かを巧妙に隠し通していたがそれは姿だけ。ひゅーと吹いた風と共に乾いた音が二人の耳へと入ってきた。


 それだけではない、小さなものだったが地の底から響くような低いおどろおどろしい声も確かに聞こえた。蛮族とエルフは顔を見合わせるとどちらともなく、ごくりと唾を飲み込んだ。これは魔法使いがいるに違いないと確信すると、足音を潜めて壁から離れ手近な物陰に身を隠す。


「こいつは驚いた本当に魔法使いがいたとはな、あの霧は魔法によるものに違いあるまい。しかしこんな荒れ寺で魔法使いが何をしようというのだ」

「ここで祀られていた忘れ去られた神に用事があるのかもしれませんよ。ただ良からぬ事をしようというに違いはありません、霧なんてものを出して隠れるぐらいです。人に害をなす邪悪な外法かも、引き返したほうがいいのでは?」


 慎重になるべきだというブレトの主張を聞きながらも、カブリは物陰から顔を出してじっと寺院を眺めていた。険しい山の中、屈強な戦士達に育てられたカブリの肌はぴりぴりと危険を察知している。ブレトが言うように、軽々しく行動しないほうが良い。

 それが分かっていてもカブリの中に引き返すという選択肢はない。彼に仕事を依頼したギンギルのためではない、もしあそこにいるであろう魔法使いが邪悪な行いをしているのだとしたら、そんな想像をするだけでいてもたってもいられなくなるのだ。


「わかりました、なら行こうじゃありませんか。戦士の教えに従いましょう、夜に襲うなら素早さが大事でしょうし。後ろは任せてください、<峻険なるダンロン山>の戦士がどういうものか。私に教えてくださいよ」


 カブリが背後を振り返ればそこではブレトが弓に弦を張り、戦う姿勢を整え不敵に笑っている。これを見たカブリの内側に<炉のゴルドクルム>が好む猛々しい炎が燃え上がった。

 ダンロンの戦士は頷き、鞘から引き抜いた剣を星の明かりに煌かせつつも足音無く朽ち果てた門へと向かう。姿を見られても構うものかと、堂々と正面に立つ。


 壁の穴から覗いた様に、寺院の敷地には濃霧が漂う。その奥からは風に乗って乾いた音と、低い祝詞が小さく響いた。月と星の明かりがあるとはいえ今は夜、そして霧。

 荒れ寺に待ち受けるものの正体は分からなくとも、カブリは鋼を振るい息を吸い込み胸を膨らませた。


 そして全身の筋肉を動員し吼える。山をも振るわせる雄叫びは霧を揺らし、戦士はその中へと駆けていく。霧に覆われ左右すら分からなくなりそうだったが、ほんの一瞬のことだった。五歩も進めば霧は晴れ、荒れたお堂とその前に築かれた祭壇、その前で呆然と立ちすくむローブの男がいる。それこそが魔法使いに違いなく、勢いのままに進もうとしたがカブリの足は止まっていた。


 寺院にいたのは魔法使いだけではなかった。

 幾体もの骸骨が生前と同じように立ち上がり、空ろな眼窩の奥で目玉の変わりに蒼く燃える炎を湛えている。お化けが怖いと口にするカブリだが、動く骸骨を恐れることはない。けれども一〇近い数と、瞳の代わりに燃える炎には流石に恐怖を覚えた。


「随分と体格が良いな、力強さを自負しているのだろう。でなければ人払いの霧をこうも易々と突破できるはずもない、しかしは蛮勇よ。立派な剣を手にしていようと、この骸の数に敵うはずも無し」


 魔法使いは立ち止まったカブリの姿を見て己の優位を信じたのだろう。フードを目深に被って顔を隠したまま彼が嘲ってみせると、それに習うように骸骨どもはカタカタと歯を打ち鳴らす。

 カブリは剣を息を短く吐くと剣を基本の型に構えた。この時にはもう恐怖はなく、胸の内には漲る闘志が溢れている。動く髑髏を目にしてすぐは驚きもあったが、眼前の魔法使いが死霊術師と知れば恐怖は怒りに置き変わった。


 死とは生を全力で謳歌した者に対する安らかな報酬であるとダンロンでは教えられている。これを奪った死霊術師をそのままにしておくわけにはいかぬ、カブリの怒りは意思に先んじて筋肉を蠢かせ大気中に殺意を伝播させた。

 これに魔法使いがたじろぐと操られた骸骨達は主人を守ろうと自らを壁とする。そこにカブリは突撃し、振り被った剣を振るうと二体の骸が打ち砕かれ、土の上に骨の欠片が散らばった。鼻息も荒く次の一太刀を振るおうとするが、骸骨の動きは肉の重みがない分素早い。


 背後と左右から近づいた三体はカブリの腕と肩を掴む、抵抗するが骸骨は力強い。振り払おうとしても彼らの指の先端が爪のように食い込み、肌を貫き鮮血が筋となって流れ出す。それでも尚、縛めを解こうとするが鋭い骨が肉に食い込むばかりだけでなくついに剣までも落としてしまった。

 大男の手から武器が離れると魔法使いは安堵すると共にまた嘲り、残りの骸骨を後ろに控えさせたまま大胆にもカブリへと近づいた。指輪の嵌る痩せた指でカブリの顎を掴み、舌なめずりをしながらじっくりと検分するように視線を這わせる。


 普段のカブリならまたとない嫌悪を露にしただろうが、今の彼はある事を信じているため打倒の意思を持って魔法使いを見据え続けた。

 この眼差しが死霊術師には気に入らない、どちらが上か教えてやろうと細い腕を振り上げて拳を作る。そこに一本の矢が貫通した。痛みと驚愕に魔法使いは金切り声を上げた、集中力も失われたのだろう。僅かにだが外法の力が弱まり、縛めが弱くなった。


 カブリは己の拳を槌として死霊術師の顎へと叩き込む。一撃で昏倒させられてしまった魔法使いは地面に横たわるとぴくりとも動かない、骸骨達も糸が切れたように崩れ落ち、元の亡骸へと戻るのだった。

 寺院を隠していた霧も晴れ、空を見上げてみれば月と星の明かりが勝利を祝福し輝いている。二人は仕事が一段落したことを喜び合ったが、それも束の間の事。死者と死そのものへの敬意を忘れない彼らは死霊術師を警吏に引き渡すことを忘れ、埋葬をどうするか議論しあった。


 カブリは火葬を主張し、ブレトは土葬を主張した。どちらも互いの信仰を譲りはせず平行線を辿りそうだったが、ダンロン山で行われているよう火葬することに決まった。再び土に埋めようとしても掘る物が無かったし、二人では手が回らないからである。

 こうして二人は使うかもしれないと持参していた油を撒き火を放った。風が強いこともあり延焼しないかが心配だったが、寺院の周囲を囲む壁は朽ちていても立派にその勤めを果たす。これを見届けると二人は放火したと知られぬうちに颯爽とその場を去った。


◇◇◇

 

 <銭金通り>にある事務所兼住居で目を覚ましたギンギルは日課であり門前の清掃を行おうと外へ出た。暖かな日差しを浴びて今日もまた良き一日が訪れることを信じている彼の元に、二人の英雄が晴れやかな顔でやって来た。

 ギンギルの頼みを受けたダンロンの男も連れのエルフも煤で顔を汚し、カブリに至っては両の腕が黒く変色した血に塗れていたが、彼らの表情で望みが果たされたことを知る。早速、残りの報酬を彼らに渡すだけでなく細君に彼らを歓待するように伝えるとギンギルは足早に<銭金通り>を離れた。


 向かう先はもちろん今や自身の物件となった荒れ寺である。あの土地は資産としてはあまり意味のないもので、金貸し仲間からは馬鹿にされたものだがギンギルにとってはまたとない価値あるものなのだ。

 今は城壁の内側で金貸しをしているギンギルだが、元々彼は職人の次男坊でありあの荒れ寺の近くに住んでいたのである。大人は忘れ去られてしまった神を気味悪がって寺院に近づかなかったが、子供だったギンギルとその友人にとっては関係がない。


 遊び場所としてあの荒れ寺は大層居心地の良い場所だったのだ。そしてギンギルはある時、友人と共に大人になったら掘り起こそうという約束と共に宝物を埋めたのである。まだ約束の時は来ていなかったが、もしその時に寺を自由にできなかったら、そんなことを思ってギンギルはあの荒れ寺を買ったのだ。

 怪しげな人影が出入りしているのが不安だったが、それはダンロン出身の大男がどこへかは分からずとも追い払ってくれている。子供の時に遊び慣れた荒れ寺を、懐かしい思い出と共に堪能しよう。


 胸を躍らせる楽しみにギンギルの足は速度を増したが、思い出の場所に到達した時、彼は唖然とし叫び声を上げて地面にくず折れた。荒れ寺に過去の面影は無かった、登って遊んだ壁は真っ黒に焦げ、走り回った地面には草の一本もなく灰となった骨に覆われ、隠れて楽しんだお堂は黒く焦げた骨組みだけとなっていた。

 まさかの事態にギンギルは湖から吹く冷たい風に吹かれながら一刻は慟哭し続けただろう。辺りに人だかりが出来ていることにも気づかず、涙が枯れるまで目から雫を落とし続けた。嗚咽が小さくなる頃には体から水気がなくなってしまっている。


 枯れるほどに泣いた後、顔は赤く目を吊り上げ歯を剥き出しにした怒りの形相を浮かべ<銭金通り>へと向けて駆け出した。あまり運動をしないため肺腑は引き裂かれそうだったが、速度を落とすことなく走り続けた。

 けたたましい音を立てて住居の扉を開け放ったが、そこに英雄の姿はない。床には彼らが飲み干した酒瓶が転がり、机の上にはしゃぶりつくされた骨が山積みで、細君がどう片付けようかと思案に暮れながらその光景を眺めていた。

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