第8話

 反狼の牙のアジトだという場所は、瓦礫まみれの廃墟だった。木々のないそこには日光が直接当たるため、アンゼリカは羽織っていたローブを引き寄せさらに深く被る。

「ああ、お帰りルゥ、ウルソン! その子が例の子かい?」

 瓦礫の奥から駆け寄ってきた活発そうな赤い髪の少女が、アンジェリカを見て「美人さんだね」と笑った。彼女もやはり異形なようで、右目から顔全体にかけて蔦が巻き付いている。

「ああ、自己紹介が遅れたね。あたしはレオナっていうんだ。あんたは?」

「……アンゼリカ」

「アンゼリカか、よろしく!」

 見た目に違わず快活な笑顔で、レオナがアンゼリカに片手を伸ばす。それに応じて恐る恐る手を差し出すと、ぱっと握られてぶんぶん振られた。レオナのような性格の人間に会うのは初めてで、アンゼリカは戸惑ってしまう。レオナの他にも数人の異形がやってきて、あっという間にアンゼリカは彼らに囲まれた。平均年齢は低めのようで、ほとんどが十五、十六歳の子供だ。笑顔で自己紹介をしてくる彼らに圧倒されてしまい、見かねたルゥが声をかけるまで、アンゼリカはどうすることも出来ず固まっていた。

「そのへんにしてやれ、お前ら。アンゼリカが困ってるだろうが」

「なんだい、ケチだねルゥは」

 ルゥに言われて、漸くレオナ達は文句を言いつつもアンゼリカから離れる。ほっと一息ついたアンゼリカに、ウルソンが笑いながら話しかけてきた。

「騒がしいだろ、ここ」

「……こんなにたくさん、異形が居るなんて思わなかったわ」

「初めは、おれとルゥだけだったんだぜ。でもさ、どんどん人が増えてきたんだよ。おれとルゥの脱走が契機だったんだ。噂が噂を呼んで、他の奴らも動き出した。そうやってここに、みんな集まってきたんだよ」

 目を輝かせて、ウルソンは誇らしげに語る。その笑顔を何故か見ていられなくて、アンゼリカはそっと目をそらした。視界の端に、ルゥが歩み寄ってくるのが見えた。

「これが反狼の牙だ、アンゼリカ」

「……ええ」

「この数年で、人数も増えた。他の国や地方で、異形が抵抗を試みているのも聞く。まだ小さく微弱だが、確かにうねりが出来てきているんだ。……異形が、自由になれる世界を創り出す、うねりが」

 ルゥと目を合わせられず、アンゼリカは俯いた。そんな彼女に構わず、ルゥは言葉を紡ぐ。

「お前はどうしたい、アンゼリカ」

「……私?」

「囚われたままでいるのか、うねりに飛び込むのか……選ぶのはお前だ」

 ルゥは急かすでもなく、ただアンゼリカの赤い瞳を見つめている。そこで、ルゥの瞳が存外透き通った色をしていることを知った。先程感じた威圧感は無い。眉間の皺はあるものの、もう怖いとは思わなかった。

「……私、は」

 ルゥが何を言いたいのかは分かっている。ローガンの元を離れ、反狼の牙に入るか否かの選択をアンゼリカに出しているのだろう。

 アンゼリカは答えに詰まって口をつぐんだ。きっと、昨日までの彼女ならば、即答していただろう。勿論、ローガンの側に居るという答えを。だが、今のアンゼリカには答えられなかった。ずっとローガンの側にいるとも、側を離れて反狼の牙に入る、とも。

 答えられなくて、結局アンゼリカは首を振る。

「……考えさせて。今は……分からないの」

 答えを紡ぐ声は少し震えた。ルゥは追求はせずに、そうか、とだけ言ってアンゼリカの横を通り過ぎ、そのまま反狼の牙の仲間達の元へ歩いていく。その途中で一度立ち止まって、顔だけアンゼリカの方に向けた。

「時間には気をつけろ。……そいつに、外出がばれたらまずいんだろう」

「! え、ええ」

 アンゼリカが答えると、ルゥは特に何も言わずまた歩き出す。半ば呆然とその背を見ていたアンゼリカの肩を、誰かが叩いて彼女は振り返る。叩いたのはにやにやとからかうような、意地の悪い笑みを浮かべたレオナだった。

「くっく、ルゥも隅に置けないねぇ」

「何笑ってんだよレオナ? 気持ち悪いぞー?」

「気持ち悪いとは随分だねウルソン。乙女はみーんな恋バナが好きなモンなのさ」

「えー、レオナは乙女って柄じゃ……いたたたたギブギブ!」

 失言を漏らしたウルソンの首にレオナが腕を回して無言で締め上げる。ウルソンが騒いで、それを見て別のメンバーが笑った。アンゼリカもつられて笑う。

 その空間にあるのは確かな信頼関係と、温もりだ。アンゼリカは、そんな空間を知らなかった。ローガンと二人きりの、あの小さな世界が嫌なわけではない。ローガンとの間に信頼関係がないわけではない、と、思いたい。


 ……断言できないのは、何故なのだろう。


 太陽が傾いて、夕焼けで空が赤く染まるまでアンゼリカはそこで、反狼の牙のメンバー達と話して過ごした。こんなにも多くの人間と接するのは初めてだ。だが緊張こそしたものの彼らの明るさに、やがて肩の力を抜いてアンゼリカも自然に笑っていた。

 彼らと、また来ることを約束してアンゼリカは帰路についた。家に着いたときには時計は六時半を指しており、焦って身だしなみを整える。今度はばれないように、ワンピースやローブに葉や土が付いていないか念入りに確かめた。靴の泥も綺麗に拭き取って、タオルは洗い流して台拭きや他の洗濯物と共に干す。そこまで終える頃には時計は七時前まで回っていた。駆け足で玄関まで走れば、丁度到着と同時に扉が開いた。勿論扉を開けたのはローガンである。

「お帰りなさい、ローガン」

「ただいま、アンゼリカ。今日は本に熱中しなかったんだね」

「……ローガンったら、失礼よ」

 ごめんごめんと笑ってローガンはアンゼリカの頬にキスをする。アンゼリカもそれに返して、ローガンはアンゼリカの頭を一つ撫でてから晩の食事の準備のために部屋の向かっていった。アンゼリカもそれを追って部屋に向かう。密かに、安堵の息を吐いて。



 ローガンは平日の殆どを市場で過ごす。だから、その間はアンゼリカがどういう風に過ごしているのか、彼には知りようがない。はぁ、と溜息をついた彼を、隣で店を開く八百屋の親父が笑った。

「どうしたよ、ローガンよぉ。元気ねぇじゃねぇの」

「少しね、心配事があるんですよ」

「ほぉー、あんたみてぇな色男の心配事っていったらやっぱコレか?」

 親父がいやらしい笑みを浮かべて小指を立てる。それにローガンは苦笑いで返して、手元の作業に目を落とした。

 親父はそれ以上追求することはなく、目の前を通った女性に声をかける。いらっしゃい、今日は苺が安いよ、食後のデザートにどうだい。

 ローガンの元にも客が来て、並べられたアクセサリーを吟味している。数年前は経済格差が広がっていたこの国も、今はだんだんと富裕層が増えてきた。この市場に買い物に来るのは大体が生活に余裕のある人間だ。人は生活の余裕が出来れば、次に己を飾るものを求める。それは学問だったり、アクセサリーや服だったりするわけだが。

「この市場も随分平和になったよなぁ」

 親父がしみじみと呟く。数年前はストリートチルドレンが行う盗みが蔓延していたこの市場で長年八百屋を続けるこの男には、感慨深いものもあるのだろう。

「昔は餓鬼共がしょっちゅう盗みにきやがるもんでよぉ、おちおちよそ見も出来なかったが、今じゃたまーにしか現れねぇ。まあ平和になったのは良いことなんだが、奴らどこいきやがったのかねぇ」

「さあ、案外拠点を変えただけかもしれませんね」

「はっは、こんだけ平和じゃ、騒ぎなんか起こしちまえば目立っちまうからなぁ」

 これも賢王様の御恩恵ってやつかねぇ、と、親父が豪快に笑った。

「その賢王様は、今は反狼の牙とやらに手を焼いているようですがね」

 ローガンがそう言うと、親父が今度は難しい顔をして、ううむ、とうなる。


 ――賢王様、とは現在この国を治める王であり、就任してから数年でこの国の技術革新を行った男だ。特に軍事面での技術向上に力を入れ、現在は『戦車』と呼ばれる新型兵器の発明に取り組んでいるらしい。

 そんな賢王は、異形を毛嫌いしている、と有名である。軍事訓練にて、兵士が撃つ的として木製の人型の代わりに異形の子供を使っているという噂が立つほどだ。

 現在巷を騒がせている異形達の革命グループ『反狼の牙』にも随分とご立腹のようで、しかし噂ばかりで尻尾も掴めない彼らに賢王様は近頃はずっと機嫌を悪くしている、とは、市場中で広がる噂だった。


「全く、王様が不機嫌ってなぁ怖いもんだ。何おっぱじめるかわかりゃしねぇ。なあ、あんたもそう思うだろ」

「そうですね」

 ローガンが脳裏に浮かべるのはたった一人だ。髪も肌も真っ白な、美しい翼を持った少女、アンゼリカ。反狼の牙も賢王も、ローガンには関係がないことだ。ローガンが関心を持つのはたった一つ、アンゼリカだけだった。

「まあ、僕は実害が出なければ、何だって構いませんよ」

「はっはっは! あんたもなかなか言うねぇ!」

 親父がまた豪快に笑う。ローガンの言葉の真意には気がついていないのだろう。それで構わない。親父がまたべらべらと何か話しているが、ローガンの耳には最早届いていなかった。彼の思考を占めるのはいつだってアンゼリカだ。

 この前、アンゼリカが外に出たことを知ったとき、頭に血が上ってしまった事は反省点だ。アンゼリカを怖がらせてしまったかもしれない。肩に痕がついてしまっていたな、痛かっただろうな、かわいそうに。


 ああ、でも、怖がるアンゼリカは、とても、


 ――これ以上はいけない。そう、頭を振ってローガンは思考を無理矢理に切った。これ以上、考えては駄目だ。『戻れなく』なってしまう。それはいけない。

 こんなことを考えていると知れば、アンゼリカはどう思うだろう。僕の本性を知れば、彼女は僕を否定するだろうか。嫌いになってしまうだろうか。それは嫌だな、それはとても悲しくて、怖いことだ。

 アンゼリカ、アンゼリカ。アンゼリカ……ああ、僕の、僕だけの。

 アンゼリカ、僕は、君を。

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