三十番:雌雄

 寂れたビルの中だというのに、物々しい男達が巡回をしていた。

 骨伝導式のイヤホンから伝わる指示を元に動き、ライフル銃片手に警戒を続けていている。

 隙のない動きは軍人そのもので、物陰から様子を眺めていた真琴は冷や汗が止まらない。

 

「機械的に動く奴はいい。無機質な指示に従うからな」

 

 那留は手元の偽造電子学生証で軽快にハッキングし、巡回コースの変更を入力する。

 点滅する光の下を歩き、男達は薄暗い建物の奥へと歩を進めた。遠ざかる背中を眺め、真琴は一息つく。

 

「なんであんな怖そうな人達がいるんですか?」

「ここには回収されていない能力保有プレートの六割が集められているからだ」

 

 使い終わった偽造電子学生証が真っ二つに折られた。その光景だけで肝が冷えた真琴だが、横にいた福地が話を続けた。

 

「未回収全体割合として三割は落ち崩れなど、本来は保有してはいけない一般人が所持しているんだよ。こんな具合にね」

 

 福地が自らの革ジャケットから能力保有プレートを取り出す。そこには【完璧修繕】と書かれており、真っ二つに折られた偽造電子学生証を形だけ元に戻す。

 ただし画面に浮かんだのは「初期登録」であり、那留は慣れた様子で操作していく。一分もかからずに偽造電子学生証は元の機能へと復活した。

 

「残りの一割は?」

「コレクターとかだね。でも基本的にプレートは一人一枚。複数持っていても意味ないよ」

「僕達がこれから向かうのは落ち崩れ達が保管しているプレート金庫室だ。今、あそこの管理権限はドウバン・早坂が握っている」

 

 袖から手の平ほどの小型パソコンを取り出した那留は、配電盤に近付く。有線で内部システムを直接動かし、三階の散水設備を暴走させた。

 頼りない警報が鳴り響き、階段やエレベーターを利用した男達が駆け上がっていく。

 気配が消えた地下階段への扉を開き、真琴は二人の背中についていく。

 

 真っ暗闇に不安を覚える。特に背中にひっついて離れない三人の女子中学生が主な原因だ。

 遠慮がちに服の裾を摘んでいるが、二本の指で今にも千切れそうな強さだ。

 足元にぼんやりとした緑色の非常灯はあるが、集団で歩くには些か心許ない。

 

「灯りは点けないんですか?」

「早坂は面倒なヒステリック気質だ。バレたくない」

「だから着替えてもらったしね」

 

 暗い中でも振り向いた福地は、真琴が着ている革ジャケットを指差す。

 アミティエ学園所属を示す制服を隠すため、福地の予備だという物を借りたのだ。サイズが大きすぎて、手は隠れている上に尻まで覆っている。

 夏場に着込むには暑く、真琴は頭から汗を垂れ流していた。緊張の冷や汗も絶えないくらいである。

 

「愛莉ちゃん達も戻った方が……」

「い・や! お兄ちゃんにビシッと言わなきゃ気が済まない!」

「私も紫音さんと出会うまでは頑張ります!」

「ウチは付き合いやー!」

 

 三度目くらいの問いかけも、同じ内容で返されてしまう。真琴としては流れる汗の量が増えた気がした。

 階段を下りた先の扉には電子錠。パスコード入力用のロックキーに配線し、那留は少し時間をかけてハッキングしていく。

 

「まあシスコンがこちらを助ける要因としては、愛莉は有効手段だ。なにより一般人というのは一種の強みだ。相手の躊躇を誘えるし、駆けつけた公的機関が一番に気にかけるからな」

「那留さん、スーパードライなんですね」

「紙幣は乾いてパリッとしてる方が好きだからな」

「怖いよねー。貯金用に硬貨や紙幣を集めてるんだよ」

「電子紙幣が流通している今、歴史的付価値がついた実物紙幣の方が安全な事例が多い」

 

 会話をしている間に、ロックキーから機械的な音が小さく響いた。

 扉の取っ手に触れようとした真琴を、福地が慌てて革ジャケットを掴んで止める。ぐえっ、と真琴が小さく呻いた。

 自動的に扉が開いた先は、硬質的な廊下だった。灰と金を混ぜ合わせて薄暗くした、牢獄のような場所である。

 

「取っ手はフェイクだ。ロックキーを解錠した後に触れると、高圧電流が流れる仕組みでな」

「早坂って本当に嫌な性格だよね」

 

 もう一度、偽造電子学生証が折られる。福地が能力保有プレートで元に戻し、初期登録からやり直す那留。

 汗が止まらなくなった真琴は、目の前が眩む気がした。こんな場所に遮音達がいると思うだけで、気が急いて仕方ない。

 用心深く歩く那留の背中を見失わないように足を進めた。今にも体を押し潰しそうな緊張で息がしづらくなる。

 

「早坂はリーダーが少年院に送られてから勢力を強めた。あの事件さえなければ」

「事件?」

「知らないのか? 春先の……そうか。編入生だったもんな。無知め」

「う、はい」

 

 声を詰まらせながら答えた真琴は、頭痛もしてきた。

 知らないという事実を責められたことによる精神的苦痛なのか、それとも別のなにか。判断力さえ落ちている気がした。

 頭がぐらぐらと揺れている最中、異変に気付いた愛莉が怯えた声を出す。

 

「ねぇ……なんか、空気が薄い?」

「しまった」

 

 特に焦った様子もなく、那留は装着していたガスマスクに空気ボンベをつけた。

 それを外して真琴へと投げ渡す。ほんのり人肌の温度と、柔らかい石鹸の匂いに真琴は微妙に恥ずかしい気持ちになる。

 

「僕の使用済みだが、まあ気にするな。酸欠で脳にダメージを負うよりは良いだろう」

「にゃっ!? そ、それって間接……にゃぁあああ!?」

 

 ガスマスクで酸素を確保しようとした真琴だが、動揺した愛莉によって取り上げられてしまう。

 吐き気も覚えてきた真琴は必死に手を伸ばすが、ガスマスクは福地の顔に取り付けられてしまった。

 

「あ」

 

 装着させた本人である愛莉が一番驚いており、蹲ってしまった真琴としては涙も出ないくらい辛さを味わっていた。

 

「滅多に開かないことを利用して、空気を意図的に排出している。最初は気づかないが、足を進めると低酸素で動けないように設定されているな」

 

 冷静に判断しつつ、那留は壁に設置された空調設備用の配線盤に接続する。

 初期登録画面から機能を戻している間、真琴は廊下の床に横たわっていた。肩で息をし、ぼやける視界に幻覚さえ見えてきた。

 

「な、なんでこいつだけこんなに症状が重いの!?」

「極度の緊張状態だったんだろう。弱い奴め」

 

 舌打ちしながら呟いた那留に悪気はない。しかし朧気な意識の中で、その言葉はやけに響いた。

 強くなりたい。けれど近道の方法などわからないし、前に進んでいるかすらも怪しい。今だって遠回りしている気分で一杯だ。

 仰向けに寝転んで、天井付近に赤い目がこちらを睨んでいて、本物ではないとわかっていながら目が背けられない。

 

「俺の使用済みで良ければ使う?」

「間接的なアレは駄目ぇえええええええ!!」

「真琴くんも色々と可哀想やしなー」

 

 福地の丸々とした顔は皮脂で輝いており、美味しい油物を常に食べているのだろうと推測できた。

 彩風が苦笑いを浮かべる中、空調設備から送風による音が聞こえた。ごぉっ、と肺に空気が送られる感覚と共に、幻覚の目は消えてしまった。

 

「早坂め。落ち崩れの施設を私物化してやがる。他にも罠があると思うから、少し時間をもらうぞ」

「それは大丈夫ですけど……まず、ここは落ち崩れの施設じゃなくて廃墟じゃ……」

「そんな細かい問題はどうでもいい。過激派の奴らめ、いつの間にかあちらこちらに手を加えていやがる」

 

 陽詩の指摘など気にせず、苛立った様子で電子学生証を操作していく。ガスマスクが取れた那留の顔は整っていたが、怒りにも満ちていた。

 白い髪がさらりと撫でる肌は色素が薄く、緑色の瞳だけが鮮やかだった。厚みのない唇も赤みが少なく、陶器人形にも近い容姿である。

 わずかに起き上がった真琴は、性別が判断できないと首を傾げてしまう。

 

「あの……那留さんって女性ですか?」

 

 一番可能性が高そうな選択肢を選んだ真琴だったが、蛇の睨みつけに近い視線に刺される。

 殺意。敵意。侮蔑。那留から注がれる感情に、真琴は萎縮した。思わず廊下の床で正座するほどである。

 

「アミティエ学園所属のくせに、能力保有プレートを持っている意味すら知らないのか?」

「え? じゃあ男性ですか?」

 

 問いを重ねていくが、視線がさらに強さを増した。最早それだけで人を殺せそうな勢いだ。

 腹の辺りに痛みも感じてきて、真琴は声も出なくなってきた。

 

「那留はねー、どっちでもあるし、どっちでもないんだよ」

 

 だが場の空気をあえて読まず、福地が代わりに答える。豊かな腹に配線ケーブルの束が投げつけられた。

 答えの意味が把握できない真琴が目を丸くしていると、ゆらりと那留は立ち上がる。

 

「歩きながら話す。金庫室へ向かうぞ」

 

 真琴から距離を取る那留に付き添う形で福地が手招く。それに従って真琴もゆっくりと足を伸ばし、愛莉達を連れて足を進めた。

 

「アミティエ学園は男子校。では何故――女性隊員が討伐鬼隊にいると思う?」

「ふ、深く考えたことないです」

 

 正直に答えれば、舌打ちが返ってきた。

 

「答えは簡単だ。性別を理由に戦えないなんて腹が立つ」

「……」

 

 返事に困る。なにせ真琴にとって女性隊員というのは身近な存在だ。

 母親が隊長職に就いている。それが普通だと考えており、教師にもハジマ・万桜がいたので違和感を覚えなかった。

 しかし女性は鬼に狙われやすい。だからこそアミティエ学園が男子校という事実と、若干矛盾するのだ。

 

「僕の姉は落ち崩れから能力保有プレートを手に入れ、討伐鬼隊に入った」

「優秀だったんですか?」

「入隊三ヶ月で命を落とした。まだ十八歳のうら若き乙女が、無残に焼き殺された」

 

 討伐鬼隊では殉職は当たり前のように扱われる。本当の父親が殉職している真琴にとって、それも普通だった。

 しかし那留の口から出された内容は、真琴の感覚とは違う重みがあった。

 

「馬鹿な姉だ……けれど僕はどうしても金が欲しい。だから姉とは違う手段で能力保有プレートを手に入れると決めた」

「でも高等部の交流会でバレちゃったんだよねー」

 

 酸素は充分なのに、重くなる空気。

 だが福地が気負わない様子で口を挟めば、少し軽くなるような気がした。

 

「一年が何故温泉のある保護区に移動するかわかるか? 炙り出すためだ。僕みたいな……誤魔化している奴をな」

「三年に一人くらいいるんだって。性別を誤魔化して中等部から過ごす豪胆な人って。万桜先生もそうじゃん」

「えっ!?」

「あと三年間貫き通したのが、現隊長だったな。唯一の女性隊長だったか」

 

 動揺しすぎて開いた口が塞がらない。身近な女性達の仰天事実に頭が追いつかないまま、重厚な扉の前に辿り着く。

 ハンドルに似た大きな取っ手が特徴的で、旧時代の銀行に設置されていたような厚みがある。

 福地がハンドルを握りしめ、那留が電子錠へと有線接続する。

 

「僕はな……両性なんだ」

「?」

 

 ――蛙みたいなものだろうか。

 頭の中を見透かされたのか、那留が眼差しを鋭くした。

 

「どちらでもいいのに、どちらにもなれない。中途半端で、煮え切らない。だから金だ。手術代金さえ貯めれば、僕は……」

 

 その先の言葉は集中によって途切れた。

 解錠に苦労する那留の顔を眺めながら、真琴は普段通りに声を出す。

 

「……よくわからないですけど、安心しました」

「は?」

 

 不可解な言葉を聞いた那留は、思わず作業の手を止めた。

 

「女の人だったら対応変えたほうがいいのかなと思いましたし、男の人なら接し方を考えますけど……違うみたいですから」

「阿保。僕は年上だ、敬え。十文字や空海と同学年だったんだぞ」

「空海先輩と!? え、じゃあ福地さんは?」

「俺はリーダーよりも年上の二十三歳だよ。こう見えて落ち崩れの古株なんだ」

 

 ハンドルを力強く握りしめたままの福地は、振り向かずに明るい声で告げる。

 様々な事情を抱えているのだと、真琴としては人間の複雑性に目を見張る。

 ふと、愛莉達の方へも視線を向ける。女子中学生でありながら保護区アイドルをやっている三人組も、真琴では計り知れないものがあるのだろう。

 

「なんか混乱もしてきました」

「自主性のない奴め。お前の現時点での目的はなんだ?」

 

 少しだけ柔らかくなった声音で罵倒してくる那留。

 流されて辿り着いたような現状で、真琴は普段では言えない悩みを口に出した。

 

「助けに来た相手がいて……それを友達って呼んでもいいのかなって」

 

 一瞬の沈黙。呆れたような空気。気まずくなったのは真琴だった。

 

「アンタ、ばっかじゃないの?」

 

 女子中学生にまで罵倒されてしまった。愛莉からの強めの一言に涙が出てきそうになった真琴だが、

 

「友達だからここまで来てるんでしょ」

 

 続いた言葉に頰を打たれた気分だった。

 目が醒めるような痛烈な響きが耳に残る。視界が鮮明になった気がして、愛莉の顔を注視する。

 

「な、なによ……そんなに見つめても、握手くらいしかできないわよ」

「ありがとう、愛莉ちゃん」

 

 自分よりもしっかりしている年下の女の子。その強さにわずかな憧れが湧き出て、小さな感謝が胸の穴を埋める。

 柔らかな笑みを浮かべた真琴に対し、愛莉は真正直な言葉に照れてしまう。顔を真っ赤にした彼女の耳に、短い電子音が聞こえた。

 

「開いたぞ。さっさと目的を遂げて、お前の友達を助けに行くぞ」

「はい!」

 

 福地が腕に筋が浮かぶほど力を込め、少しずつ扉が開かれていく。

 金庫室と呼ぶに相応しい光景が目の前に広がる。金塊などを入れるための小さな引き出しが壁を埋め、中央部には能力保有プレートを山のように積んだ机。

 作業台の上に古ぼけたパソコンが設置されており、那留は素早く作業台へと近付いた。

 

「これで早坂から管理権限を奪える! ようやくリスト一覧と在庫確認できるぞ!」

「むぎぎぎ、なるべく素早く終えてよー」

 

 扉を開いた状態のまま維持している福地が、顔を真っ赤にして訴える。

 初めて入った金庫室を内部から眺め、真琴は少しずつ積まれた能力保有プレートへと近付く。

 銀に白字で【戦隊結成】や【魔法少女】など、さらには【泥中蓮花】など使い道もわからない能力保有プレートが置かれていた。

 

 ことん。

 

 なにかが動く音。目の前の光景に圧倒されていた真琴は、ゆっくりと壁へと振り向く。

 棚があったはずの場所に、黒い人影。幽霊のように存在感がなく、視界に入れても把握するまでに時間がかかった。

 那留や背中にひっついている愛莉達も気付いていないくらいに、その人影はあまりにも静かで――生気が感じられなかった。

 

 人影が顔を上げた。黒い髪と肌。服も黒一色。なのに瞳だけが吐き気がするほど真っ赤で、墨の上に血を垂らしているようだった。

 言い知れぬ鳥肌と、予感。人影が音もなく動き出し、那留の背中へと迫っていく。

 小刀が突き立てられる、寸前。真琴は【反撃先取】で不気味な男の手を蹴り上げた。肉を叩く音に遅れて、小刀が天井に刺さった。

 

「愛莉ちゃん、僕から離れて!」

「……え?」

 

 一瞬の攻防を把握できなかった愛莉は、間抜けな声を出した。

 しかし那留は振り向いてすぐに察知し、袖から能力保有プレートを取り出した。白字で【強制引力】と書かれており、女子三人の体が扉を支える福地へと引っ張られる。

 

「早坂の飼い犬か! 逃げろ、そいつは強いぞ!」

 

 那留の言葉が届くよりも先に、男の右ストレートが鼻柱を狙う。直撃する前に、真琴の蹴りが男の腹を抉った。

 

「ぅ、くっ、逃げれるほど甘くないです!」

 

 ぐにゃりと動く男の体は、どんな打撃も吸収してしまう。感触が浅いことに気付いた真琴だったが、距離を取る余裕もない。

 蛇と格闘しているようで、その場で足止めされてしまう。扉まで那留達が逃げたのを見据え、真琴は声を張り上げた。

 

「置いていってください!」

「……福地、扉を閉めろ」

 

 真琴の背中を見つめ、冷酷に告げる。愛莉達が抗議の声を上げても、福地は少しずつ扉を閉めていく。

 重い音を聞きながら、男の拳を避け続ける。だが突如として着ていた革ジャケットが引っ張られ、真琴は足を滑らせた。

 後ろに倒れそうな姿勢のまま引きずられ、金庫室の外へ。廊下の壁に背中を打ち付けた瞬間、重い扉が閉じた。

 

「これで時間稼ぎができるはずだ。さっさと逃げるぞ、真琴」

「げほっ、は、はい」

 

 背中が痺れるほどの衝撃に咽せながら、真琴は辛うじて返事する。那留に名前を呼ばれた事実に意識を向けることもできない。

 既に福地が愛莉達三人を先導しており、廊下から一階へ続く階段へと走っていた。

 壁に手を預けて進もうとした真琴の視界に、扉の隙間から大きな紙のようなものがぐにゃりと動くのが見えた。

 

 金庫室の扉など、隙間すらないはずだ。

 しかしねじ込むように薄い物――人間の体が扉から這い出てくる。

 

「那留さん!」

「っ!?」

 

 質量を取り戻した男の体が、那留の首筋に腕を絡める。そのまま首を圧迫し、腰にも腕を回して逃がさないように捕まえる。

 忌々しそうに男を肩越しに睨む那留だが、どんなに爪で腕を引っ掻いても効果がない。気道が狭まっていくのを感じ、抗いの舌打ちを鳴らす。

 そして袖に隠していた偽造電子学生証を真琴へと投げ渡した。

 

「それを持って逃げろ! リーダーに渡せ! お前の命に代えてもだ!」

「でもっ!」

「僕は見た目よりもしぶといんだ。いいから、ぐっ……に、げろ」

 

 那留を窒息させようとしている男は、真っ赤な目で真琴を睨んでいる。

 歯を食いしばっている那留が口元を歪ませ、不敵な笑みを浮かべた。右手には能力保有プレート【強制引力】が握られている。

 踏ん切りがつかない真琴の革ジャケットが引っ張られる。階段まで一直線に、走っていた福地達も追い越す勢いだ。

 

「がっ!?」

 

 階段と廊下を遮る扉にぶつかり、真琴は背中を仰け反らせた。痛みを逃がす暇もないまま、床へ仰向けに倒れる。

 追いついた愛莉達が目を丸くし、福地が心配そうに廊下を振り返る。薄暗い廊下は、奥に向かうほど暗くなって見えない。

 腕を支えに立ち上がろうとした真琴の背後で、音もなく扉が開かれる。風と人影だけが横切り、遠ざかっていく姿に真琴は驚きを隠せなかった。

 

「まこ坊? 解錠中にでっかい音がしたと思ったら……どないしたん?」

「古寺先輩? それに颯天先輩も?」

「彩風まで……」

「颯天兄! ウチのピンチに駆けつけてくれたんやね!」

 

 颯天の姿を認めた瞬間、彩風は彼の腰に抱きついた。兄に甘える妹というには些かスキンシップ過多な光景だが、それ以上に真琴は彼らの背後に驚く。

 階段を埋める屈強な男達。全員が気絶しており、動くことすらできないようだった。

 これには福地も驚愕し、再度廊下の奥を振り返った。

 

「まあ、なんちゅーか……一旦外に出るで、まこ坊」

 

 中々起き上がらない真琴に肩を貸し、古寺は階段を駆け上がっていく。時たま男達を踏んでも気にしないほどだ。

 その後を彩風に抱きつかれた颯天が走り、福地が愛莉と陽詩を抱えて動く。非常灯は赤く染まっており、暗い階段が不気味な色合いになっていた。

 

「あの、那留さんが……」

「あん人のことなら心配せんでええ。なんせ……学園内でも有数の名コンビが向かったさかい」

 

 地上を目指す古寺は、少しだけ苦笑いを零す。

 敵と思しき相手には同情しか湧かない。なにせ風紀を守る委員会のトップ二人が怒り心頭だったのだから。

 

 

 

 姉は火鬼に抱かれて焼き殺されたと告げられた。

 ならば自分は不気味な男に抱かれ、窒息死するのだろう。

 

 唇を強く噛み、遠くなっていく意識をなんとか繫ぎ止める。

 右手の能力保有プレートが汗で滑りそうだったが、意識がある内はと意地を張る。

 男とか、女とか、そんなのは関係ない。ただ那留という人間は、目の前の出来事に膝を折りたくなかった。

 

「……」

 

 男はなにも語らない。ただ前に足を進めようとしては、背中が引っ張られる感覚のせいで動けない。

 腕を縄のように柔らかく動かし、那留の細い首を殊更に強く締め上げていく。

 ――かひゅっ、と息が絞り出された直後。

 

「那留っ!」

 

 懐かしい顔が、必死の形相で声をかけてきた。

 走馬灯かと考えたが、破裂したような衝撃で発生した風が頬を撫で、突如として拘束から解放される。

 見えない足場が男と那留を断絶するように現れ、首を締め上げていた腕を跳ね除けた。

 

「慎也、容赦しなくていい! 思う存分に倒せ!」

「わかった」

 

 倒れこむ那留の体を抱えた空海が指示を出し、慎也は蛸にも似た動きの男へと接近する。

 一撃、二撃、拳や踵落としを試みるが、手応えはない。腕が伸ばされ、袖を掴まれる前に距離を置く。

 用心深く男を見据え、慎也は目を見開く。黒い髪に隠れた小さな角。田螺たにしのような二本の角が額から生えていた。

 

「また、貴様達か」

 

 ぶわっ、と毛が逆立つ感覚。春が訪れる前の、少し肌寒い日が脳裏に蘇る。

 

「早坂……あいつが、また」

 

 男はなにも答えない。ただ不気味な赤い目で、廊下の奥を睨んでいる。

 ぐにゃりと体が揺れた。紙のように薄くなり、海中を進む鰈と同じ動きで床を泳いでいく。

 その体を、真上から見えない足場が押し潰した。びちびちっ、と薄い体が跳ね回るが抜け出せない。

 

「……角だな」

 

 歯軋りをしながら、慎也は自らの拳で男の額を砕いた。

 握りしめた手から血が滴り落ちる。奥歯を噛みしめ、慎也は無言で痛みをやり過ごす。

 床まで割れるほどの力により、角の一つにヒビが入った。

 

「ギ、ギッィヤァアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 人間とは思えない金切り声を上げ、男は床をのたうち回った。角を守るために体の質量を元に戻し、両手で必死に額を覆う。

 だが固い靴底が男の頭を潰した。悲鳴が途絶え、男は体の端から崩れていく。砂の塊となった男の頭には、ICカードに似た銀色のプレート。

 書かれている文字は【柔軟体躯】とあり、慎也は黙したまま能力保有プレートを拾い上げる。

 

「また……造られたのか。鬼人きじんが」

 

 砂となって消えていった同級生。慎也にとって親友とも言える男。

 春先に消失した者を思い出し、手にした能力保有プレートを壁へと叩きつけた。

 

「那留! 呼吸はできる!?」

「かはっ、ひゅ、はっ、ぜっ、ふぅ……なんで空海がいる?」

「なんでって……う、うーん……」

 

 抱えられたまま見上げてくる那留に対し、空海は微妙な表情を浮かべる。

 その意味を理解し、那留は腕を伸ばして体を引き離そうとする。だがまだ力が上手く入らないため、あまり効果はない。

 空海の心境に少しだけダメージを与える程度の抵抗に、彼は煮え切らない返事をする。

 

「い、色々悩んだけどさ……僕にとって那留はやっぱり友達だから」

「僕がどちらでもないと知った時、あっさり対応を変えたくせに」

「だって僕だって男子校の健全な生徒だよ!? 普通は動揺するよ!」

「僕はそれがムカつくんだよ!!」


 十文字は態度を変えなかったと怒れば、空海はぐうの音も出なくなってしまった。

 かつて同室だったことも重なり、発生したズレはお互いの距離感を大きく狂わせたのである。


「しょ、正直また悩んでるけどさ……もう今年が最後だから」


 神妙な顔で那留を見つめる。高三の夏。一年もしない内に卒業し、イケブクロシティを去るのは決定事項だ。

 空海は討伐鬼隊へと進路を決めていた。イケブクロシティに来る機会など、限られてくる。


「……僕の後輩でさ、友情に悩んでる奴がいるんだ。彼を見てたらね、もっと簡単なのになとか思えてきてさ」


 世間知らずの坊ちゃん風味な少年。頼りになるのかと今でも半信半疑だ。

 けれど迷いながら進んでいるのを見てしまうと、自分が見知らぬフリをしていた悩みの種が開花してしまうのだ。

 少年と見比べて、悩みの種がとても小さい気がするのだ。ただ水をあげて日光に当てればいいのを忘れていたように。


「那留。どっちでもいいよ。それでも僕は君と友達でいたいんだ」

「……二番煎じだ馬鹿め」

「え?」


 少し考えた後、にやりと意地悪く笑った那留。その言葉に空海は心の底から動揺した。

 三十分以内に真琴が既に似たことを告げていた。空海が口にした後輩に思い当たった那留は、続けていびり倒す。


「くくっ、お前はいつでも遅いな。それで本当に討伐鬼隊で活躍できるのか? ん? 髪の毛も大分薄くなったようで、なによりだ」

「頭髪ネタは厳禁!」


 手が出そうになったが、空海はなんとか堪えた。ガスマスクを装着していない那留の顔は、性別以上に人間味が薄いのだ。

 人形の顔を傷つけるのを躊躇うように、空海は突発的な怒りを理性で押し込めた。


「おい。それより早坂だ。奴は……何処だ?」


 静かに問いかけてきた慎也へ、那留は警戒しながら振り返る。

 触れれば火傷しそうなのに、どこまでも冷たい気配。肝が冷えていくほどの緊張感で、体の奥底が震えるほどだ。


「リーダーが探っている最中だ。管理権限を封じ込めた偽造電子学生証が渡れば、一気に攻勢を仕掛ける予定だ」

「とりあえず僕達も地上へ向かおう。那留、お願いできるかな?」

「まあいいだろう。衝撃には備えておけ」


 三人の体が階段へ続く扉へと引っ張られる。少しずつ混乱が収束し、混沌としていく状況の渦中へと身を投じるように、その勢いは凄まじかった。

 夕日が怯えて息を潜めるように、沈み始めている。東エリアの放置区域には弱い電灯が一部始終を照らしていた。

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