二十九番:流動

 暗闇に白い線路レールが敷かれている。

 無機質な白箱達が荷物を載せて移動し、保護区の各エリアへと向かっていた。

 その光景を操作盤の横で眺めながら、真琴はうきうきした気持ちで尋ねる。


「保護区の地下に牧場がある話は聞いてたけど、こんな施設もあったんだね!」

「あの……牧場や養殖しても、それを搬送する経路が必要ですよね?」

「あうっ」


 陽詩からの冷静な一言に、真琴は言葉に詰まった。

 世間知らずは若干自覚していた。だが年下の女の子に当たり前のように説明されるのは、胸の辺りに重い物がぶつかるのと似ていた。

 操作盤に違法電子証で無線接続し、手慣れた様子でキーボードを打つ愛莉が顔を上げる。


「C29という箱が来るから、それに乗っていくわよ。止まらないから、全員で飛び乗ってね」

「え!? その……これ、真っ暗闇で底が見えないんだけど」


 周囲を見回す。暗闇を閉じ込めた巨大球体の中、と言われても納得できそうな空間が視界を占めていた。

 線路も縦横無尽に広がっており、それが一定の距離で視界から途絶えていた。

 走る箱の音も視界から消えると同時に消失してしまう。

 真琴達がいる場所は駅のホームのように、四角い台座にわずかな光源が上部から照らされているだけの代物だ。


「結構深いってお兄ちゃんには聞いたわよ。不正利用防止対策とかなんとか」

「あれ? 僕達って今まさにそういう状況……」

「あ、来たで! ほら、真琴くんが殿しんがりなんやから気を引き締める!」


 誤魔化すように彩風が指を差す。貨物用のC29という箱が迫ってきているのを見て、真琴はそれ以上の追求を止めた。


「じゃあ陽詩から先、次に彩風、アタシが乗ったらアンタよ!」

「わ、わかった」


 女子中学生の勢いに押され、言われるがままに頷く。

 貨物箱の速度は自転車よりも少し遅い程度だったが、飛び乗るということを考えれば難しい。

 最初の陽詩が手間取り、彩風と愛莉が迅速に乗った頃。箱は既に操作盤がある台座から離れかけていた。


「陽詩、筋トレ無理じゃない? 運動音痴だもの」

「ど、努力は無駄にならないもん!」

「それより真琴くんや! いくら高校生でも、この距離は……」


 慌てて振り返る彩風の目の前で、既に助走をつけた真琴が跳躍していた。


「あ」


 しかし跳躍に気を取られすぎて、着地地点を見誤っていた。箱の縁に足が引っかかり、前のめりに箱の中へ倒れ込んでしまう。

 盛大な音と同時に箱が派手に揺れた。肝が冷えた真琴が五感を取り戻すのに、一秒ほどの時間を有する。

 右手になんだか柔らかい感触。そして顔の頬辺りに生暖かい空気。


「……真琴くん、狙ってやってたら犯罪やで」


 背後から壁の後ろ側面に避難していた彩風の声。

 なんのことだろうと瞼を開ければ、顔を真っ赤にした愛莉が下敷きの状態だった。


「にゃ、にゃ……」


 声にならない愛莉は、至近距離の真琴を思わず凝視してしまう。

 育ちの良さそうな顔立ちに、鮮やかな赤い目。黒髪も清潔に保たれており、好感触。

 肘をついている姿のせいか、左腕の男性らしい筋肉質さに戸惑う。よく見れば肩幅や胸板も、女性とは明らかに一線を画していた。


「……っ!!」


 だが愛莉の観察も、陽詩からの無言の助けを感じ取ったことで終わる。

 仰向けのまま視線を動かしていけば、箱の前側面に避難していた陽詩が座り込んでいる。

 そして彼女の女子中学生とは思えない豊かな胸に、男の右手があった。


「わ、ごめん!」

「う、うわぁああああああんん!!」


 耐えきれなくなった陽詩が、真琴の謝罪を皮切りに動き出した。

 正拳突き。鋭い右ストレートが真琴の顔面に炸裂し、彼は体を仰け反らせた。

 それは唯一被害から逃れていた彩風の方へ向かい、真琴の後頭部には健康的で柔らかい感触。


「押し倒し、胸揉み……最後に膝枕コンボとか。真琴くん、持ってるんやね」

「わ、わけがわからない……」


 呆れて同情した彩風だが、目を回した真琴の頭を優しく撫でる。


「ちょ、彩風! そんな変態、箱から投げ捨てましょう!」

「いやー、ウチには颯天兄という大本命いるさかい、これくらいサービスしてもいいかなーって」

「うう、う、こんな脂肪……筋肉にして、紫音さんに褒めてもらうんだからぁ」

「謎の負けん気を発揮してる!? とにかく起きろ、変態!」


 すっかり変態に格下げされた真琴は、気力を振り絞って起き上がる。

 女子中学生三人相手に全く勝てない彼は、揺れる頭を押さえた。ぼんやりと箱内部が光っていることに、ようやく気付く。


「不思議な箱だね。外側から見ても白いくらいしか思えなかったのに」

「荷物を運ぶんだから、取りこぼしがないように光らせているのよ。薄暗い所での作業が多いみたいだし」

「へー。愛莉ちゃんって色々と詳しいし、リーダーシップもあるんだね。僕も見習いたいよ」

「にゃぎっ!? ほ、褒められてもさっきの行動は減点対象なんだからね!」

「あ、はい……」


 一瞬で反省モードに移行した真琴は、顔がにやけそうなのを我慢している愛莉の様子には気づけなかった。


「で、どこで降りるん?」

「そろそろよ。一応止まるように設定しておいたわ」

「それ飛び乗らずに済んだんじゃないの!?」

「駄目よ。偽装電子証を使うとすぐに監視員がやってくるシステムだもの」


 手の平にある黒いICカードを見つめながら、愛莉は深々と溜め息を吐く。


「入力した情報は読まれないけど、使った経歴は残るんですって。使い捨てだから、えい!」


 執着など一切見せず、愛莉は暗闇へICカードを投げてしまう。

 底に当たって壊れる音が耳に届くことはなかった。その前に箱は目的地である別の操作盤へ辿り着き、静かに停止した。

 今度は慌てずに済むと、四人は慎重に降りる。


「最後にこうすれば!」


 空になった箱に女子中学生の蹴りが入れられた。すると箱はのろのろと動き始め、線路に沿って再度暗闇へと消えていった。

 機械に詳しくない真琴ではあるが「扱いが雑すぎる」くらいの感想は抱くに充分だった。

 目的地は人に使われた痕跡が少なく、操作盤にも埃が積もっていた。咽せそうな空気から這い上がるように、細く薄暗い階段を歩いて行く。


「ここが東エリアの放置区域。いわゆる『落ち崩れのアジト』よ」


 錆び付いた鉄製の扉をこじ開けた先に、夕闇が大分空を覆った風景が待っていた。

 ビルが群生しているみたいに密集しており、そのどれもが古ぼけて廃棄されていた。妙に破壊の跡が生々しいのも特徴だ。

 穴が空いた壁に、割れた硝子窓。細い路地には塵が散乱しており、バイクなども捨てられていた。


「こんな場所がイケブクロシティにあったなんて……」


 呆然と廃ビルを見上げる真琴だったが、騒がしい足音が少しずつ迫っていた。


「まじだ! 愛莉ちゃんが来てる!?」

「おい、那留なる! お前の情報は正しかった!」

「よし、金払え」

「後でな! おーい、愛莉ちゃーん!」


 揃いの革ジャケットを着た男達が集団で走ってくる。特に先頭にいる丸々とした腹の男は速度が違う。山道を転がる落石に近い。

 女子中学生三人を背に庇う真琴だが、一人では手に余ると思った矢先、


「うっさい! 暑苦しい! 止まりなさいよ、馬鹿!」


 愛莉が手近にあったバイクの部品を投げた。見事に男の腹に当たったそれは、ビルの壁に跳ね返る。

 かこぉーん、という音が響き渡った瞬間、男達の進行は止まった。


「もう! 友達が怖がるようなことは止めてと言ったじゃない!」

「おっふ……ごめんよぉ……」

「まあいいや。福智さん、お兄ちゃんを見かけなかった?」


 お腹を抱えて蹲る太った男に、愛莉は話しかける。

 男――福智は黒い髪を小さなモヒカンにしており、丸い顔によく似合った団子鼻と黄色の目が特徴的だった。

 着ている革ジャケットはサイズが合っておらず、今にもはち切れそうな危うさである。同じ素材のズボンも何時破けてもおかしくない有様だ。


「リーダー? 見てないというか……戻ってきてたの?」

「え?」

「僕達はなにも連絡を受けてないのさ。おかげで酷い状況に陥っている」

「那留さんにも!?」


 那留と呼ばれた男は、福智とは逆に大きすぎる革ジャケットを着ていた。コートのように裾が長く、袖も余りすぎて手が見えない。

 ジャケットの下に着ていた黒いパーカーのフードをかぶっており、わずかに覗く白髪と緑色の瞳は真琴にも確認できた。

 彼は顔を隠すように、鼻から下はガスマスクを付けている。おかげで声はこもっており、女性か男性かの区別もつかない。


「酷いって、なにが?」

「内部派閥発生、及び分裂状態さ。忌ま忌ましいが、夕莉がいないとまとまらん」

「那留さん……一応お兄ちゃんのこと信用してたんですね」

「アイツがいると金になる。金が好きなだけだ」


 本音なのか、照れ隠しなのか。ガスマスクのせいで表情は読み取れず、声で辛うじてわかるのは前者の線が濃いくらいだ。

 愛莉もそれを悟ったらしく、感動して潤んでいた目元もあっという間に乾いた。


「そこのアミティエ学園の制服を着ている奴は?」

「あん? まじかよ……」


 那留の指摘により、一斉に注目が真琴に集まる。同時に殺気にも似た警戒の気配が強くなった。

 先程まで愛莉に向かって柔らかい笑みを浮かべていた福智でさえ、アミティエ学園の名前だけで豹変した。額に青筋が浮かび、殺しそうな勢いで睨みつけてくる。


「ぼ、僕はスメラギ・真琴です。ここには同級生を探しに来ました!」

「……スメラギ? お前が?」


 興味を示したのは那留だけだったが、福智や他の男達は武器を持ち始めた。

 釘バットや木刀、フライパンから箒まで。相手を殴れるならば身近な物で構わない、という意思が透けて見える品々だ。

 背中越しに彩風と陽詩に指示を出す。愛莉が争いを止めようと声を上げたが、それを掻き消すほどの怒号が放置区域に響き渡った。


 まずはフライパンが側頭部に打ち込まれる寸前、真琴の拳が相手の顔にめり込んでいた。

 次に箒を振りかざした男には足払い。釘バッドの女性には脇腹に一撃。そして木刀を胸に突こうとした福智には、強めの正拳突きが腹に食い込む。

 能力保有プレート【反撃先取】による乱取りは、真琴が思う以上に成功した。


 ほぼ一瞬であり、眼前で起きた出来事が把握できない愛莉は呆けていた。

 密やかに彼女の横へと避難していた彩風と陽詩も同様である。


「あの……驚いて手加減下手だったかもしれないんですけど、大丈夫ですか?」


 周囲に倒れ込んだ男達に声をかける真琴。眉を八の字にし、申し訳なさそうな態度で頭を下げている。

 唯一無事であり、手を出さなかった那留は、やる気のない拍手を送る。


「お前が祐介が言っていた編入生か。しかも四月の決闘騒ぎで僕に大損をかかせた憎い奴め」

「祐介先輩を知って……ん? 大損?」

「あの賭けだ! 勝てると思って学内システムにハッキングした僕の労力を返せ!」

「それ、僕は一切悪くない奴ですね! 謝りません!」


 あまりの勢いに押されかけたが、真琴は紙一重で正しい判断を口に出した。

 しかし那留は思い出して腹が立ったらしく、地団駄を踏んでいた。小声で「ハッキングついでに票操作もしたのに」など呟く始末だ。

 確率論を考えてみれば四月の決闘は確かにおかしかった。その事実と裏側にようやく気付いた真琴は、殴る相手を間違ったかもしれないと思った。


「というか……祐介さんが電話した相手って貴方ですか?」

「ああ、さっきのならば僕だ」

「じゃあ夕莉さんについて知っているはずですよ!」


 四月の鬱憤を少し思い出してしまったため、強きに那留を追求していく真琴。

 確かに祐介は電話相手との会話に「夕莉は妹の護衛に回っている」と口にしていた。

 ここまで流されてしまった彼だが、点と点が繋がったことに若干の興奮も見せている。


「ええ!? 那留、お前は知ってたのかよ!? なんで俺達に教えないんだよ!」

「口止め料を貰ってた」


 起き上がった福智は、太った体型からは想像できない素早さで那留に詰め寄る。

 がっくんがっくんと揺さぶられている那留は、ガスマスクから盛大な溜め息を吐いた。


「こう見えて心苦しかったぞ。仲間を騙すわけだし」

「嘘つけぇっ! 懐が暖かくなって上機嫌なのが、俺の知る那留だぁっ!」

「正解」

「そこは誤魔化せよ、馬鹿ぁあああああああ!!」


 表情を崩さずに言葉を続ける那留とは対称的に、福智は男泣きまで始めた。

 どうしようかと迷う真琴だったが、愛莉達が忍び足で近付いてくる。


「……アンタ、意外と強いわね」

「あれ? 前に助けたの忘れられてる!?」

「あ、あの時は他の奴もいたから……でも、その……かっこよかったわよ、意外と」

「ありがとう……?」


 もじもじとした態度の愛莉に慣れず、褒められたかどうかもわからないまま曖昧にお礼を告げる。

 愛莉の背後では陽詩と彩風がにんまりとした笑みを浮かべているが、二人はそれに気付かない。


「で、那留さん。一体なにが起きてるの? お兄ちゃんは変な三度笠と消えちゃうし! わけがわかんないのよ!」

「愛莉ちゃん、晴明の奴に会ったのかい?」

「知ってるんですか!?」


 福智から出てきた名前に真琴は反応したが、無視されてしまう。


「福智さん、アタシは彼の用事を終わらせるために来たの! ちゃんと答えて!」

「彼氏!?」

「ち、ちぎゃーう!!」


 動揺から盛大に噛んでしまった愛莉だが、福智はその様子さえ愛らしく見えるらしい。

 知り合いの妹が大きくなったと微笑ましい気持ちになり、真琴にも同じ視線を向ける。

  

「いやあ。僕が愛莉ちゃんの彼氏なんて恐れ多くて無理ですよ」

「それどういう意味!?」


 誤解を解こうとした真琴の足に、愛莉が強めの蹴りを入れた。脛に直撃し、真琴も流石に痛みで屈んだ。

 それさえも「青春だ」と受け入れた福智は、柔らかい態度で答える。


「晴明は春先に入ってきた新入りで、二人組なんだ。もう片方は病弱でさ、よくアイスを奢ってやってるんだ」

「なんでそいつがお兄ちゃんと知り合いなのよ?」

「落ち崩れは今、リーダー派、中立派、過激派で分裂している。晴明は本来中立派なんだが……行動が妙におかしいのは僕も知っている」

「なんか……複雑なんですね」


 真琴の味気のない感想だったが、那留と福智は深く頷いた。

 少しずつ起き上がってきた男達も渋い顔をしており、道の上に腰を落ち着けながら話を聞いていた。


「僕と福智はリーダー派をまとめている。問題は一年半前から落ち崩れに加入したドウバン・早坂――こいつを中心とした過激派さ」

「リーダーが少年院に送られる原因を作った奴なんだけど、那留でさえ確かな証拠が掴めない……いやーな奴だよ」


 相当嫌いらしく、福智は舌を出して吐き出すような真似までして見せた。

 那留も同じ気持ちらしく、舌打ちを何度も鳴らす。


「晴明は過激派に協力的なんだ。おかげで中立派全体が過激派寄りになってしまい、僕達には分が悪い数さ」

「んー……それだけの強さなら、俺達に協力してくんない?」

「へ? 僕が……ですか?」

「お友達の居場所を知りたいんだよね? 那留ならすぐにわかると思うけど、時間が必要。その間だけでいいからさ」


 友達ではない。その言葉が、真琴は出せなかった。

 ただ福地の誘いに対して無言で頷く。少しずつ夕闇が深くなり、昏くなっているのが感じ取れた。

 一刻も争う。細かい部分は無視をすると決めて、真琴は決意を固めた。


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