二十四番:乱入

「おい、ジョー。これはどうなる?」


 体育館の応援テラスから様子を窺っている教師達の視線が矢吹へと集まる。ICカードサイズの能力保有プレートを額に当てている彼を見つめながら、万桜は生徒達の叫びを聞き続ける。今すぐ助けてもいい。しかし生徒達は全員が将来鬼に関わっていく。

 窓硝子を破って侵入してきたのは人間だ。屈強な男もいれば、明らかに薬品で理性を失った者など様々だ。その数は桐生の能力保有プレートによって三百五十六人と判明した。異様なのは侵入者の約十分の一である三十五人が、手に能力保有プレートを持っているという点だ。本来は討伐鬼隊とアミティエ学園高等部に所属する者にしか与えられない。煌家が作り上げた秘術の一つ。

 ただし与えられる機会は一度だけ。金に困った生徒がネットオークションに出して売り払ってしまうことさえ、本人の戦術の一つとして暗黙する。代わりに他の能力保有プレートを手に入れることは難しくなる。なにせオークションでさえ天井知らずの値段になってしまうのだ。


 そして売却された能力保有プレートは討伐鬼隊が法の名の下に回収する。結局は購入者は損するだけの仕組みなのだが、憧れという感情や希少価値が付随することにより、購入者は後を絶たない。ただし最近では少し不思議なことが起こっていた。

 矢吹も討伐鬼隊に所属する友人から聞き齧った程度ではあるが、オークションに出された能力保有プレートの行方が掴めないのだという。春先に少しだけ気になることもあった矢吹は、余裕がある時に調べてみると確かにおかしいことがあった。

 高等部に進学してすぐに自主退学した一年C組のラクルイ・波戸。彼は大金を手に入れるためだけにアミティエ学園に入学し、その目的を果たした。そして彼が売却した能力保有プレートは速やかに討伐鬼隊に回収されるはずだったのだが、その行方は二ヶ月以上経った今でも掴めない。


「……状況が複雑すぎて難しいところですね」

「そうか。ならばいい」


 言うが早く万桜は応援テラスの手摺に足をかけ、迷うことなく硝子が散乱するゴム床へと落ちていく。軽やかに飛び降りた彼女に続くように、他の教師達も正規の階段から降りていく。それを眺めながら矢吹は能力保有プレートを白衣のポケットにしまい、同じく降りようとした。


「お待ちなさい」

「鷹尾先生?」


 禿げ頭の紳士。そう呼ばれるほど優雅な佇まいの教頭は、いつもと変わらない様子で矢吹を呼び止めた。彼は壇上で座ったままの学園長、梁と視線を合わせながら柔らかく微笑む。


「こんな時だからこそ君に尋ねておきたいことがあったのですよ」

「なんですか?」

「類似した能力保有プレートではたまに相互干渉することがあるのを御存知ですね?」


 鷹尾の問いに矢吹は頷く。例えば水を操る能力保有プレートがあったとして、氷から水へと戻す能力保有プレートと共に同一の氷に向けて使った場合。能力保有プレートがエラーを起こして能力発動を停止するのである。これが相互干渉である。

 プレートに使われているオリハルコンにはまだ眠る可能性があると言われているが、要するに未知な部分が多いだけだ。この相互干渉は同一物体に作用するのではなく、能力同士の反発であるため他にも例が多い。まだ未検証ではあるが、矢吹は一年生の遮音と二年生の武蔵の能力保有プレートでは相互干渉が起きるだろう、とまでは予想している。

 一撃で相手を必ず殺す武蔵の【一撃必殺】と、致命傷を負っても体力がある限りは再生できる遮音の【超速再生】は相性が非常に悪い。特に武蔵の能力保有プレートの場合、殺すのであって確実な死に至らしめるわけではない。この【一撃必殺】による細かい定義と、再生条件が複雑な【超速再生】が干渉することでお互いに能力の処理限界を軽く超える。そのためエラーが起きる可能性が高い。


 細かくすると【一撃必殺】というのは武蔵が能力保有プレートの能力を発動して一撃を入れた後、その一撃が当たった箇所から生命活動などが停止するほどの損傷を発生の後に拡大する。即死の一撃だが、遮音の【超速再生】はそれすらも条件さえ整えば復活してしまう。

 つまり必ず殺すという能力保有プレートとしての定義と、再び生き動くという能力保有プレートしての定義がぶつかり合ってしまう。生殺与奪が混線しているようなものだ。遮音の条件が整っているかを判定する前に、既に判明している能力保有プレート自体の定義がぶつかることでお互いの能力が停止する。またこの二人の場合は生死に関わるエラーなので、検証は難しいがほぼ間違っていないだろう。

 他にも何人か相互干渉が起きそうな能力保有プレートを知っているが、矢吹として問題なのは何故こんな状況で鷹尾がそんな話題を出したかだ。しかも下の叫び声からして、丁度思考していた遮音の能力保有プレートの条件を整えるために首を斬った者がいるらしく、真琴の怒号が響いた。


「君の能力保有プレートは【結果発表】です。それは予測を立てるとありますが、一種の観測者効果が期待されています」

「はあ……俺が能力を使うことで変わるものがあると?」

「もちろん。では君のような観測者効果を跳ね除けたい相手は、どんな能力保有プレートを用意したいと思うのでしょうか……久しぶりの宿題ですよ、矢吹くん」


 懐かしい、生徒であった頃の呼び方に矢吹は目を丸くする。同時に悪寒が背中を走った。かつての友、今は幽霊となって活動している斐文の言葉を思い出す。誰かが矢吹の能力保有プレートと相互干渉する能力保有プレートを使って邪魔をしている。矢吹に限定したのではなく、似た効果を持つプレート全てに相互干渉できる能力。

 そして矢吹が能力保有プレートを使ってもわからないことしかなかった件は一つ。南の離島で行われた悪鬼羅刹王討伐。討伐鬼隊内部でも大規模作戦であったのに、多くが闇に葬られ続けている。当時を知る者の多くも、この件に関しては口を噤む。

 鷹尾がこんな混乱した状況で話題を出したこと。その違和感の正体を掴む。何処に耳があるかわからない。少しでもこの会話を耳にする相手は少ない方がいい。心の傷を抉られる苦しみと、それでも前に進んでいると錯覚できるような希望が胸を押し潰す。生唾を飲み込んで、矢吹は真面目な顔で告げる。


「わかりました。必ず解き明かします」

「よろしい。時間は少ないですが、君ならばできるでしょう。それでは我々もそろそろ生徒達を助けに行きましょうか。それとですね──」


 そう言って鷹尾は愛用の杖を支えにしつつも、軽快に歩いていく。その優雅な歩行方法は昔から変わってないと、矢吹は場違いにも和んでしまう。なにせ体育館では謎の集団の乱入から三分も経っていないのだから。




 真琴の強い視線をものともせず、茨木は侵入してくる男達を無言で指差す。その指先に誘われるように真琴は改めて入ってきた男達が手にしている能力保有プレートに目を丸くする。討伐鬼隊の隊員ではない者が、能力保有プレートを手にアミティエ学園に攻撃したという事実。

 そんな真琴の前に万桜が着地する。硝子が散乱しているため、膝や手の平を使うことはない。それでも体全体を使って足裏から伝わる衝撃を和らげ、一息ついてから立ち上がる。その間に首元に手を添えながら遮音が立ち上がった。

 遮音は転がっている自分の頭、その死に顔を見て明らかに嫌そうな顔をした。しかし自分の頭を叩き潰すのも気分が悪いため、結局は放置するしかない。遮音に庇われた生徒は再生した彼が動き出したことに驚きを隠せず、むしろ死人が蘇えったという驚愕から意識を失ってしまった。


「おい。助けられた方が死にそうになるな。起きろ」

「遮音!気軽に死にそうになるな!!」

「好きで死にかけているわけじゃない。頭がぐらぐらするからな……あとは脳筋に任せる」

「誰が脳筋だ!まあいい、物陰にでも隠れてろ!」


 ふらつく頭を腕で支えようとする遮音に対し、荒い息を吐きながら紫音は怒鳴る。弱っていると目論見を付けた侵入者の一人が迫ってくるが、大声を出しながら紫音が回し蹴りで相手の頬を抉る。硝子の上を転がった男が痛みの声を上げた。

 倒れて転がったことで割れた硝子が体中に刺さる痛みを想像して、真琴は青い顔をした。この状況では膝をつくことさえ危ういのだ。そんなことも気にせずに颯爽と生徒達の足元を低姿勢で潜り抜けた万桜が、一番前にいた金槌を持つ男の顎を蹴り上げていた。

 負傷者を運ぶにも硝子を抜くと出血量が増える可能性もあり、迂闊に触れば自分自身が怪我をする。引きずっていけば硝子による傷が多くなる。まずは硝子をどうにかしないといけないと思ったが、真琴はどんな能力保有プレートならば直るか想像もできなかった。


「君、どいて」


 物静かな声だったが屈む際のおっさんのような声のギャップ。聞き覚えがあると思って振り向こうとした真琴の目の前で、散らばっていた硝子の一部が空中に浮いた。それはそのまま窓へと戻っていき、足りない部分は補填するように増えていく。


「逆巻先輩?」

「はい。私はなんでも直せますから。体裁だけですけどね」


 神秘的な長い銀髪を揺らしながら、特に感情が見えない顔で説明する美化委員会委員長。ただしどうにも上手くいってないらしく、少しだけ眉根を寄せた。実際に今触れた部分だけで治せたのは大窓の百分の一以下だ。


「細かく割れているせいで修復が間に合いませんね。もっと一箇所に集められたらいいのですが」

「もしくは床の上に散らばっているのが問題なのだから、これを敵を攻撃するのに使えばいいのよ」

「香織先輩!?」

「か・お・り・ちゃ・ん!!んもー、早く憶えてほしいわ。じゃあそういうことよん、古寺ちゃん。あと外見も好みの実流ちゃん!」


 呼び方を間違えた真琴の額に軽くデコピンしつつ、香織はウインクをする。そして物陰に隠れて作業していた古寺が親指を立てて合図をする。貴重な紙、形式としては俳句などを書く時になど使う細長い物に筆ペンで同じ文字を書き込んでいた。

 古寺が書いた紙を受け取った颯天が真琴の視界から消えた。それは颯天の能力保有プレートである【視線外行】というのは理解できたが、古寺が作っている紙の意味はわからない。考えてみれば真琴はまだ古寺の能力保有プレートについて知らないのだ。

 知らない場所で繰り広げられている作戦については全容を把握していなかったが、香織に投げキッスをされて鳥肌を立たせた実流の背中には少しだけ同情したが、同時に香織の趣味は悪いのではないかとも思ってしまう。顔は良いが、性格は最悪。それが真琴の実流に対する評価であった。


「ああいう生意気盛りの男の子って可愛いのよ、からかうと真っ直ぐ反応してくれるから。女の子は素直でもツンデレでも可愛いのが多くて目移りしちゃうんだけどねぇ……」


 そう言いながら近づいてきた男の股間を蹴り上げた香織。なにかを思い出したように逆巻が顔を青ざめさせて顔をそむけた。股間を押さえた男が蹲るのを見て、真琴は両手を合わせた。同じ男であるはずなのだが、香織の行動は容赦なかった。

 そんな香織に対して棍棒を振り下ろした男がいた。瞬時に背後へ回ったことから、能力保有プレート所持者かと反応する前に真琴の拳が棍棒を握っていた男の顔面にめり込んでいた。殴った後にその背後に控えていた男が抜刀の構えをしている。斬られると思った真琴の目の前で、刀の鞘に手をかけていた男の手の甲に硝子が突き刺さった。

 弾丸の速度で飛んできた硝子の破片。その数について嫌な予感を覚えた真琴は、香織と逆巻の手を掴んで五歩ほど後退る。そして散弾銃のように大量の硝子が五人ほどの男を巻き込んで突き刺さった。拾ってすぐに投げているためか、脇腹や太腿に刺さっていることが多い。


「危ないなぁ!!もう!!」

「トロくせぇテメェが悪い!!」


 あらゆる物を狙撃できる実流の【万物狙撃】に対して真琴は文句を言うが、内心では少しだけ感謝していた。敵として戦えば恐ろしいことこの上ないが、味方であっても厄介ではある頼りがいがある。さらに実流は近付いた男の胴体に潜り込んで触れれば、それすらも人間の弾丸になる。

 期待通りと香織は微笑むが、逆巻は乱暴だと溜息をつく。そんな実流がもう一人近付いてきた男に触れて弾丸の速度で飛ばそうとしたが、能力保有プレートへと視線を向けるほどの動揺を実流は見せた。能力が発動しないという状況を目の当たりにした真琴は、実流が触れている男が金槌を振り上げたのをゆっくり感じ取ってしまう。

 その後はコマ送りのようで、呆けた顔で金槌が振り下ろされていくのを見上げていた実流の目前で、金槌が握り潰され、次に肘鉄を相手の顔に突き入れ、姿勢を変えるために実流の背中を蹴り上げた若君が踵落としで男の脳天に大きな衝撃を与えた。


 背中を蹴られた反動でゴム床の上へ無防備に倒れそうになった実流の服を、竹刀片手に佑助が掴む。若侍のような佑助の整えられた黒い髪が、柔らかく反発するように揺らめいている。冬場によく見る現象だと思いつつ、実流が無事なことに真琴は安堵する。

 苦手で嫌いな相手だが、目の前で血塗れになるのはまた別問題だ。そして実流を助けつつも窮地に陥れかけた若君だが、既に他の侵入者へと向かっていた。素足にビーチサンダルを履いている若君の足裏は血塗れだが、それを感じさせない生き生きとした動きをしている。

 若君の能力保有プレートは【英雄造詣】というもので、自分の理想をそのまま体現するという類だ。どうやら彼にとって英雄とは血塗れでも笑いながら戦う存在らしい。英雄を目指すと日々豪語している若君と相性抜群の能力保有プレートとはいえ、見ている側としては肝が冷える光景だ。


「若君め。あれだけ委員長が周囲を見て行動しろと口酸っぱくしているというのに……」


 佑助が反省しない若君に対して頭を悩ませている背後から電流が流れる警棒を振りかざした男が目に見えない速度で佑助の頭を殴った。手応えはあった。しかし違和感を覚えた男は、頭を殴られても微動だにしない佑助の後頭部を見つめる。


「不意打ちか……この外見で誤解されがちだが、そういうのは──大好きだ」


 かつての不良時代を思い出しながら歯を見せて笑う佑助がゆっくりと振り向く。男は慌てて電流が流れる警棒から手を離した。空中に浮いている警棒から不審な音が響く。電流が弾ける音ではなく、火花が散る音。強制的に高圧電流が流された警棒は、佑助が竹刀を振るって侵入者が密集している場所へ飛ばした。瞬間、爆発した。

 実流が佑助の手に掴まれている所から静電気が大量に発生していることに痛いと声を上げる。忘れていたと言わんばかりに佑助はあっさりと実流を離し、頭上で一つにまとめていた長い黒髪の揺らめきが大きくなる。そして懐から取り出した能力保有プレートには【電撃発生】と書かれていた。

 続けて攻撃を行おうとした佑助は上から降ってくる物に驚いて、動きを止めてしまう。大量の水が降りかかって来て、佑助の周囲一帯を濡らした。実流もついでに濡れてしまい、体に張り付くシャツを指で摘む。それ以上に不快そうに舌打ちしたのは佑助だった。


「やっぱり不意打ちは嫌いだ」

「おい」


 水に濡れたことによって電撃を発生すると周囲に被害が出ることを想定した佑助の手の平返しに、実流は思わず短いツッコミを入れてしまう。しかし若君だったら迷わず能力を発動させたと思うと、まだ佑助は判断能力が残っていて助かったと思うしかない。


「古寺、颯天!準備はまだか!?」

「急かすなや!書く文字失敗して紙無駄にするんはワイの誇りが許さん!!」

「貧乏性め!!」


 物陰に隠れながら作業を進めている古寺だが、侵入者達もその動きに気付いて古寺から倒そうと動き始めている。それを颯天が手助けして逃げていくが、そのせいで古寺の文字を書くのが遅くなっていた。銃口を向けた敵に関しては、気絶から復活した神楽が即行で対処していく。銃に関しては率先して分解、もしくは破壊をしていく。

 吉丸が次の逃げ場を指示していき、そこへ辿り着いては文字を書き進めて完成した物を受け取った颯天が視界に届かない場所へと貼っていく。それが終わるまでは派手な動きができない者も多いらしく、侵入者の方がやや優勢になりつつあった。

 天井近くで見えない足場を使って移動し続けている慎也は、少しずつ息が上がって動きのキレがなくなり始めた。それを察知した投石武器を持つ男が石を投げ飛ばそうとしたが、影の中から伸びてきた手に足を掴まれて体勢を崩される。


「こういう武器は危ないんだなぁ」


 のんびりした声で訛った口調、そして体勢が崩された男の肩を掴んで持ち上げた巨体。繊細な作業を好むが、力仕事も得意な喜多は男の体を力技で外へとぶん投げた。硝子が散らばっている所に落とすのは可哀想という優しさだが、それは敵に通じない。

 重いのを抱えたために腰を擦る喜多を倒そうと刃渡りがない包丁を突き刺そうとした男の前に、太一が現れる。多様な眼鏡を持つ太一だが、決して強そうには見えない。楽勝だと笑う男を前に、喜多は慌てて先程使ったサングラスを装着する。


「眼鏡こそ至上!!お前は眼鏡を着けてない者に殺意が湧く!自分も含めてな!!!!」


 そう宣言した太一の目の前で、包丁を持っていた男の動きが止まる。そのまま自らの腹を突き刺そうとした男だったが、再度動きが止まる。嫌な予感を覚えた太一はサングラスを付けた喜多を庇いながら男から距離を取る。眼鏡を着けた者は愛すべき同志であるらしい。


「おい……もしかして俺と同じ操作系能力保有プレートでを持つ奴がいるのか?」

「ん?それにしては相互干渉が起きてないっぺ?」

「行動自体を操作するのと、感情を操作する暗示では微妙に差異ができるんだ!!今の奴は感情では自分を刺すほどの殺意があるはずなのに、手が動かない!」


 その言葉を証明するように包丁を持った男が動き出す。なんで自分がこんな動きをするかわからず、ただひたすら喜多と太一を目指す。よく観察すれば侵入者の多くが自分の行動に納得していない様子だが、動きだけが攻撃的であった。

 それを理解した梁は壇上に置かれた椅子に座ったまま、生徒会が奮闘するのを見守っている。ただし生徒会長である柳生が王子様を気取って守ろうとしてくるのはさりげなく避けている。道隆と壱膳は武蔵と一緒に体術で壇上に来た者達を蹴散らしており、茨木は寝続けている宮城を文字通り叩き起こしていた。


「宮城先輩!起きてください、先輩!!ちっ……この屑が、僕が目覚めろって言ってんだろうが!!!!」


 怒りのあまり普段では使わない口調で宮城の耳に罵倒を浴びせている茨木に対し、梁は思わず咽るほど笑った。録音しておきたかったが、体育館の騒ぎが大きすぎて音が拾えそうにない。特に教師陣は苦労しているようで生徒達の把握に勤しんでいた。

 教師になる者達に攻撃的な能力保有プレートを持ってないことが多い。もしも鬼を簡単に倒せる能力保有プレートを所持しているならば、討伐鬼隊で活躍しているに違いないからだ。戦うことが難しく、それでも討伐鬼隊に関わっていきたいとなった際の進路の一つにアミティエ学園教諭という道ができるのだ。

 もちろん戦えないとわかっていても討伐鬼隊に入る者はいる。活躍するかは別として、能力保有プレートは将来を確定する要因ではない。ただ選択肢の難易度を変えるだけだ。梁は視線を動かして天井近くを見上げる。


 見えない足場を移動していた慎也の動きに変化があった。天井に紙を四枚ほど貼っている。何事かと侵入者で宙に浮かべる者が剥がそうと能力保有プレートを使うが、生徒の中にも同じ能力保有プレートを持つ者がいる。

 慎也は飛べるわけではない。彼を庇いながら戦い続ける生徒達の尽力もあり、古寺が準備完了したと体育館の中央に向かって走っていく。そのことを察した香織は真琴と逆巻を連れて同じく中央へ。攻撃して来た相手には、真琴が【反撃先取】の能力保有プレートで因果を曲げていく。

 無傷のまま辿り着いた古寺は、ゴム床に『硝子破片集約』と書かれた紙を貼る。痛む拳を擦りながら、真琴は体育館のゴム床を囲むように貼られた紙の文字を確認する。すると『効果範囲』と書かれており、次に古寺が取り出した能力保有プレートに注目する。そこに書かれていた文字は【実現御札】だった。


「これだけの御札を消費したんや!失敗なんてあらへん!!」


 ゴム床に貼られた札が赤く光り出す。そして潮が引くように硝子の破片がそこへと集まっていく。ただし硝子の破片が刺さった生徒までもが引きずられるように集まってしまい、古寺が御札に書く定義を甘くし過ぎたと少しだけ反省した。

 だが山のように集まった硝子の破片に手の平で一気に触れる逆巻。普段から美化委員会で軍手を使って作業し、棘のある植物で怪我したことも数知れない。そんな彼の手の平は見た目の優美さから少しかけ離れた、固めの皮膚をしていた。

 それでも尖った硝子に触れれば怪我をする。血が滲む手の平には目もくれず、自らの能力保有プレート【即時修復】を発動する。足りない欠片は能力で補填されるらしく、多くの欠片が窓硝子の形に戻ったが一部は床や体に刺さったままだ。


「さて、出番かな」


 椅子から重い腰を上げた梁は、能力保有プレート【全力無効】を使う。すると天井近くにいた慎也を含め、能力保有プレートを使って浮かんでいた者達が落ちてくる。それだけでなく影世界に隠れて密やかに侵入者の動きを邪魔していた鈴木さえも体育館へ再び姿を現す。

 そして侵入者の多くが体の自由を取り戻したこと、中には悪い夢を見ていた気分で痛む頭を押さえる者などが戸惑いながら動きを止めた。落ちてきた者達に関しては鷹尾が矢吹と共に歩いていた際、教師達を集めて落下防止用網を応援テラスから張ることを提案しており、梁が腰を上げた後に教師達は再び応援テラスに集まって協力して網を張った。

 そのため重量で応援テラスが少し軋んだ音を立てたが、天井から落ちてきた者に怪我人はいない。真琴が上を見て一息つきながら、どういうことかと周囲に目を配る。すると誰も能力保有プレートが使えない状態に陥っており、若君などは足裏の痛みで動けなくなっていた。


『今、この学園敷地を【全力無効】の範囲にした。私の能力保有プレートは有名なんだけど、対策を立てなかった時点で侵入した君達の負けは確定していたよ。さあ、自分は関係ないと無罪を主張するならゴム床に這い蹲って手の平を上に向けろ!!』


 拡声器を使って命令した梁の言葉に、侵入者の多くが従った。その数は二百九十三人。中には手にしていた武器の切れ味に恐怖して投げ捨てる者もいるほどで、関係ない者を能力保有プレートで操っていたことは明らかだった。

 そして侵入者の中で倒れて動けない者が三十九人。数が逆転されて動けなくなったのが十一人。残った十一人は能力保有プレートを全員が手にしているが、使えなくなった今は虚勢を張って武器を振り回すしかない。そんな彼らの前には鬼と戦う未来のために日々鍛えられている学生が三百余名。

 応援テラスから侵入者の数を確認していた桐生は首を傾げた。最初の数より二人足りないのである。戦っている最中に逃げたのかとも思ったが、それにしては数が少なすぎる。そして思い出したかのようにアミティエ学園の警報が鳴りだした。やっと警備システムが反応したのである。


『じゃあ残った人達に関しては当校自慢の体育委員会からの礼儀を叩きこんでもらおうか』

「承知。神聖なる学び舎に不届きにも侵入した者達よ、そこに整列せよ!!」


 体育委員会委員長である一文字を筆頭に、実流や佑助も他の体育委員会と一緒に隊列を整える。若君も参加しようとしたが、足裏の負傷が酷すぎるため諭吉に治療が先だと怒られていた。そして体育委員会の誓詞十二か条の輪唱が始まり、腹から出た声を一方的に浴びせられて侵入者たちの頭は痺れた。

 あっという間に事態を解決してしまった壇上の梁に尊敬の視線を送りつつ、なにかを忘れている気分の真琴は思い出そうとする。その最中にシャツの裾を引っ張られる感触に振り向き、片膝を床につけた覗見が両手に大量の電子身分証明を抱えていた。どれも生活するのに必要な物だが、他人が操作できないように設定されているはずだ。


「拙者の能力保有プレートでは混乱を増長するだけだと思い、奴らの行動を制限する目的で盗んでいたで候。どうぞ、主殿。献上するでござるよ」

「い、いらないよ!というか……全く気付かなかった」


 常日頃からオタク忍者を名乗っている覗見だが、日々の生活の中で悪目立ちするという認識だった。しかしこうやって忍者らしく隠密行動で成果を上げているのを見てしまうと、本当に忍者の修行を受けていたのかとも思ってしまう。

 警備会社から警察にも通報があったらしく、多くの警官が体育館に入り込んできた。警備会社の人間も警備システムの不具合でもあったのかと慌てており、体育館で大勢の侵入者がいたことに驚いていた。手錠の数が足りないということで服や布を使っての捕縛も行われ、生徒達は混乱が終わりつつあることを少しずつ実感していく。


「真琴くんがいらないなら、それ警察に渡してよ」

「茨木……」


 壇上からゴム床に降りてきた茨木は、人当たりの良さそうな笑みで真琴に声をかけた。そのことに関して今までの複雑な想い、そして今回の遮音の首切断の件で真琴の感情は溜まり過ぎた。爆発しそうな勢いそのままに大声を出す。


「茨木は!!もう少し言葉増やしてよ!!!!」

「…………は?」

「茨木が合理的なのわかったし、最善を選んでるのはわかるよ!?でも事前にもう少し言葉があってもいいんじゃないの!?いっつも心臓に悪い!!そういうところは悪いけど嫌いだよ!!そりゃあ俺がもう少し役に立てばいい話かもしれないけどさぁ!!茨木が全て正しいわけじゃないんだよ!いつか背中から刺されそうで怖い!あー、もう!!言葉が上手くまとまらないけどさぁ!!」


 言葉を出す内になにを言いたかったかを忘れ始めた真琴は、自分の一人称がまたもや変わっていることに気付かないまま捲し立てる。ただ言葉の勢いに珍しく押された茨木は目を丸くしていた。あまりにも感情的すぎて理解する必要がない気もしてきたが、茨木は黙って耳を傾ける。


「俺……茨木が酷いことするのは嫌だなぁ……」


 親しい相手が、同じくらい親しい相手を殺しかける。その光景は何度見ても慣れそうにないし、慣れたいと思わなかった。遮音の首が転がっていくのはもう二度と見たくないとも思うし、それを実行する茨木の姿だって目の前全てを壊される衝撃を胸の奥に与えてくる。

 まるで泣き言に近い言葉に、真琴は情けなくなって手首で額を擦る。顔が隠れる仕草であり、目頭の熱を誤魔化す動作だった。少しの間が空いた後、茨木は吹き出すように笑い始めた。それは喉の奥が痛くなるほどで、最終的には咽すぎて目に涙を浮かべていた。


「げほっ、ごほ、ぜ……っ、はぁ。あ、甘ちゃん……甘々坊ちゃんだね……」

「わ、悪かったな!!だって茨木って顔の印象が強いんだもん!!やっとここ最近の苦手意識の正体わかった!!茨木って実流みたいに顔は良いのに性格悪いでしょ!?」

「おお、主殿……やっとそこへ至ったでござるか」

「ぶっはぁ!!き、気付くの遅すぎ……まあ隠しきるのは難しいからね、もう誤魔化さないさ。と言っても実流くんより百倍くらい僕の方が性格悪いかもよ?」


 笑顔で自己申告することではなかったが、茨木が言うと本当のように聞こえた。ここだけで性格の悪さが滲み出ているというものだ。全く自嘲や卑下している気配もない。茨木は心の底から自分は実流よりも性格が悪いと確信しているのだ。


「というわけで、僕はこれからも遮音や紫音は利用していくからね。嫌だったらもう少し頑張りなよ」

「本性曝け出した途端にとんでもないことを!?畜生、言われなくたって頑張ってやるさ!!君の力を借りなくていいくらい、強くなってやる!!」


 開き直った茨木に向かって真琴は大声で宣言した。そして体力がなくなって壁に体を預けている遮音、その傍にいる紫音へと近付くために歩き出す。収まらない怒りを表す大股な歩き方など気にしない。紫音は喧嘩でもしていたのかと怪しんでおり、真琴への視線は厳しい。


「紫音!俺は絶対強くなるから!!」

「俺に宣言するな。勝手にしろ。弱い奴よりはいい」

「遮音!」

「なんだ?」


 勢いの強い語気のまま遮音へと声をかける真琴。能力保有プレートを使ったことによって体力を奪われているため、あまり声を出したくない遮音はそっけなく返事する。だが鼻息荒い真琴は全く気付かないまま声を出す。


「無事でよかった!!」

「……」

「紫音も心配してたっだだだだだだ!?え、なんで!?心配じゃなかったの!?」

「黙れ」


 心底安堵した顔で余計なことを言い始めた真琴の顔は、力が込められた紫音の手によって鷲掴みにされた。痛みながらも疑問を投げるが、紫音はさらに力を込めていくだけだ。双子の兄が心配していたという単語に、遮音は笑おうとして痛む腹を擦る。そしてシャツから滲み出た血に気付いた。


「遮音殿!?腹から血が!!」

「頭以外は再生してないからな……いたたた」

「それを早く言え、馬鹿!!」

「ゆ、諭吉先輩を呼ばなきゃ……あれ?」


 慌てて保健委員会委員長の姿を探した真琴だが、三年生の委員長全員が壇上前で動きを止めていた。そして影が薄いながらも、騒動が終結する頃合いの忙しさの隙をついた図書委員会委員長の鈴木が片手で最終予算案を掲げていた。四つの判子による予算修正。

 ものの見事に予算増額を押し通した図書委員会に、体育と風紀を除く他の委員会の長達は呆然とした。少しの間を置いた後、阿鼻叫喚の騒ぎ。体育館で侵入者の捕縛を続けていた警官達は仰天し、真琴や紫音も忘れていたことを思い出した。

 ただし覗見などは狂気の踊りをして、これでときキスの小説版初版が買えると大喜びだ。驚きはしたが、これで予算会議も終わりかと一息つこうとした真琴だったが、肌に感じる突き刺すような緊張感に違和感を覚えた。直後に空海の慌てた声が体育館に響く。


「風紀委員会緊急集合!!!!!!!!!!!」


 聞こえてきた言葉に耳を疑う。すると生徒会の方でも動きがあり、その気配に嫌な予感を覚えた鈴木が能力保有プレートで影世界に潜ろうとした。その寸前で茨木が【完璧模倣】で鈴木の能力保有プレートと相互干渉を起こす能力を模倣する。

 停止した能力保有プレートに気付き、鈴木は図書委員会に最終予算案の保守を指示する。予算増額になった図書委委員、特に覗見など購入したい電子書籍がある者の動きは速かった。そして学級委員会、保健委員会などを筆頭に激しい動きがみられた。


 次は『今年度の最終予算案消失』のために。


 最終予算案が不慮の事態で消失、破損、破棄された場合。前年度の予算案が通ることになっている。つまり前年度よりも減額された委員会が最終予算案を覆せなかった時、今年度の最終予算案を潰すことで減ったという事実がなくなるのだ。

 そして厄介なのは減額された委員会同士で結託を始めることだ。最終予算案が修正された今、敵対する理由がなくなった。生徒会としても最終予算案の修正は委員長の手に委ねられているため、とんでもない金額を書かれていたら大問題である。つまり生徒会も最終予算案消失に動き出す。


「これで終わりじゃないんですか!?」

「むしろここからだよ!!さあ頑張ろう!!!!」


 頑張ろうとは言っていても空海の目は死んでいた。これが予算会議。地獄の亡者会の真の姿。

 既に教師達は応援テラスに戻っているが、警察達が被害に遭わないようにと誘導していた。学園長である梁は今回の件について事情聴取のために退室している。背水の陣となった委員会の勢いは凄まじく、一時の同盟とはいえ協力し合う姿は世界の危機に立ち向かう戦士の如き。

 それとまたもや戦っていかなくてはいけない真実に、こんなの毎年やっていたら絶対いつか死人が出るのではないかと真琴は恐れるのだが、運悪くというべきか運良くというべきか──予算会議で死人が出た前例はない。だから行事として引き継がれていくのだ。


 五時間後。予算案を死守した図書委員会は勝利を勝ち取った。ゴム床に散らばる倒れた男子高校生の無残な姿に、教師達は慣れた様子で戦いを見届けた実感を覚える。そしてその光景を生き生きとした様子で写真に収めるのは、最後の最後に気絶から復活した広報委員会の教典である。

 壁に背中を預けて、真琴は息をするのも難しいと瞼を閉じる。気力も燃え尽き、精魂は尽き果てた。横では紫音が床の上に倒れている。遮音は腹の傷を癒すために自主的に保健室へと逃れていた。壇上近くでは覗見が幸せそうな顔で眠っている。

 無様な姿は晒したくないと思いつつも、さすがの茨木も疲れのあまり椅子に座った状態で項垂れていた。風紀と体育は手を組んで他の委員会に対抗したが、体育委員会は予算の変更が少ない委員会であるため士気に欠けていた。そのため体育委員会は委員長の十文字以外が倒れている。


 こうして長い一日は終わった。夏へと続く事件の予感を漂わせながら。

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