二十三番:混乱

 鬼。角が生え、虎の毛皮を纏い、大柄な体躯で人々を蹂躙する。脅威の具現。

 しかし遡ること縄文時代、弥生時代にて特徴的な記録や遺物は残っていない。

 一説では鬼という字自体が外来の物。つまり外来種として認識することがあるという。


 その勢いが増し、周知されたのは平安時代。煌めく雅と渦巻く病が重なった繁栄期。


 時が流れて2222年。まだ時代の名前もつかない未来で、人は人同士で争っていた。

 とても平和な内容に見えるが、金が絡んだせいで醜くもある、アミティエ学園予算会議後半戦である。


 意識を操作されてとんでもないことをしかけた生徒会長のカズラ・柳生は、片手で顔を覆い隠しながら深い息を吐く。他の生徒会の面々も既に疲れた様子で項垂れており、約一名の例外である書記のリンドウ・宮城だけが細長い抱き枕を抱いて快眠中だ。

 観戦席とも言えるテラスから様子を眺めていた教師達は苦笑いだ。体育館の蒸し暑さで汗を流しながら、開放された大窓から吹いてくる初夏の風に頬を撫でられていた。毎年のことであるが、顔ぶれによって違う様子を見せる。ただし目的は変わらないのだが。

 体育館の檀上横にある道具部屋に詰め込まれたに近い風紀委員会、その一年生達も現時点で帰りたいと思っていた。しかし委員会予算は一年間の活動費。委員長であるナガラ・空海に見回りしている時の飲食代が計上できると聞いては、やる気を出すしかない。


『えー、と次は……』

「あ、あの」

『あれ?誰も手を上げてない?用具委員会とか美化委員会は様子見なのかな』

「そ、その」

『まあそれはそれで平和というか、小休憩としては充分ですけど』

「え、えいや」


 堂々と後ろから声をかけても気付かれない図書委員会の委員長であるサイトウ・鈴木は調子に乗ってみた。柳生の肩越しから手を伸ばし、そのまま彼の手元にあった最終予算案の紙を手に取った。一番注目していた紙がなくなったことでようやく、宮城を除く生徒会全員が振り向いた。

 幽霊のように音や気配もなく、静かに立っていた鈴木は困った笑顔のまま安堵した。やっと気づいてくれた。その事実の方が最終予算案を手に入れたことよりも嬉しいのである。生徒会が気を取られている間に、壇上へと辿り着いた副委員長のチカマツ・吉丸が机の上に置かれていた副会長の判子を手に入れる。

 しかし残り二つである生徒会長と学園長の判子は会計特待枠であるリー・茨木が確保した。最終予算案は四つの判子を使って一箇所だけ修正できる代物だ。茨木は能力保有プレート【完璧偽装】で手にしていた判子を背中越しでどこに隠したかわからないよう移動させた。


「甘いぜ、一年坊主!!俺が図書委員会副委員長には理由があるんだよ!!」


 意気揚々と半ズボンのポケットから能力保有プレートを取り出した吉丸は、他人の能力を偽装して隠した判子の在処を暴く。即座に照明が設置された天井を指差した。銀色に輝くプレートに白い文字で書かれた能力名は【検索上手】である。


「委員長がどんなに影薄かろうが、これで見つけられるんだからな!!」

「ぼ、僕としては能力なしで見つけてほしいんだけどなぁ」


 自信満々に能力保有プレートを自慢する吉丸に対し、立ち上がった柳生の手を躱した鈴木はか細い声で修正を求めたが応じてもらえなかった。仕方ないと小さく息を吐いて、同じくポケットに能力保有プレートを取り出した鈴木は自らの影の中に沈んだ。

 突如として姿を消した鈴木に驚く真琴に対し、背後で空海が【潜影移動】と説明した。影の中にあると言われる反転世界を移動して、姿を隠せるのだという。出入りは影からしかできないが、同じ影に関する能力でないと太刀打ちが難しい。


「なにやってんだよ、柳生会長!」

「僕の能力保有プレートはピーキーなんだから仕方ないよ!道隆書記長、鈴木の位置を確認して!」

「役に立たない奴め!というか、いい加減起きろ宮城!!!!」


 柳生の言い方に既視感を覚えた真琴だが、その思考を遮るような大声を発したヒグレ・道隆に気を取られる。なにせ大騒ぎの中でも健やかに眠っている宮城が座っている椅子の脚を蹴り、壇上を転がったその体を蹴り飛ばして体育館のゴム床へと落としてしまったのだ。

 これは流石に風紀委員会の出番ではないかと真琴が振り向くが、明らかにわざとらしい首の角度でなにも見ていない振りをする空海。慌ててゴム床へと落ちた宮城へと視線を向けるが、むしろ大の字で寝られるのが至福といった表情で眠り続ける美青年がそこにはいた。

 その間にも道隆は能力保有プレートを手に、次々と影を指差していく。彼が手にしているプレートに書かれている文字は【正確無比】だ。宮城の件に関してはなかったことにした空海が、物事の距離感や誤字脱字の指摘、果ては機械並みの計算を可能とする能力だと説明する。その能力があるからこそ、道隆は失敗が許されない最終予算案を作成する書記に選ばれたのだ。


 しかし事態は同時進行。残り二個の判子が壇上を照らす場所に隠されているとわかった途端、各委員会の委員長と副委員長が動き出したのである。ただし体育委員会だけは一切動じない。委員長であるヒトツバシ・十文字は胡坐をかいて腰を落ち着けている。

 それに倣うように副委員長のカジキ・佑助も正座をしたまま黙想している。背後にいる入ったばかりの一年生は体を左右に動かして様子を窺っているが、上級生達が動かないとなれば従うしかない。つまらないといった様子でマナベ・実流などは歯軋りしていたが無視されていた。

 壇上へと走りだした委員長と副委員長、その数を把握した会計長のオニガワラ・壱膳が電卓機と能力保有プレートを同時に扱う。プレートには【審眼査定】と書かれており、電卓機の上に置くだけで必要数字が壱膳の眼鏡に映る。


「コゲツ副委員長、君は判子を守れ!ナガラ委員長は風紀一年生全て投入、二年生は半数に抑えろ!!」

「慎也、壱膳くんの言う通りに!今年の僕達は生徒会寄りだ!去年みたいに攻防戦じゃなく、防衛の一手のみ!さあ一年生、先輩の胸を借りる感じで風紀委員のお仕事をするよ!」


 空海が先に一歩飛び出したことにより、やっと指示された内容が頭に届いた真琴はつられるように壇上へと飛び出す。紫音が床や壁の素材を見て舌打ちしたことにも気付かず、目の前に迫った保健委員会委員長のワダ・諭吉の視線に気圧される。

 三年生の知り合いは少ない。しかし入学して数ヶ月の中で感じたのは、鬼を倒す討伐鬼隊に入るための試練が生半可ではないこと。それを三年間続け、あと少しで仕事として関わっていく三年生という存在の大きさ。攻撃しては風紀委員会としては減点だが、防衛の方法が思いつかない。

 真琴が所持している能力保有プレートは【反撃先取】という、相手の攻撃を先取るという内容だ。相手の拳が迫れば、その攻撃を先取ることで因果を逆にする。今でも真琴はその能力について理解が追いついていないため、一瞬生まれる余白。それを逃す諭吉ではない。


 他の一年生が戸惑って壁になりきれない場所を狙い、一歩の幅を大きくするため跳躍移動。街中を走り回るパルクール選手のような動きで床と壁を蹴り、十歩ほどで天井近くまで迫る諭吉。荒い息を吐きながら小さな体でやっと天井に辿り着いた吉丸は、驚異的な短時間で近付いた諭吉に対して目を丸くする。

 しかし照明を支えていた黒い骨組みが一瞬にして分解される。足場を失くした吉丸は為すすべもなく落ち始め、目の前で骨組みの一部が顔面に向かって落ちてくることを理解した諭吉も慌てて腕を顔前で交差させる。

 自らの能力保有プレート【空中足場】で透明な足場を作って登っていた慎也は舌打ちし、透明な足場で骨組みを壇上に落とさないようと考えた。しかしそうすると落ちてくる吉丸と諭吉が受け身も取れずに足場へと叩きつけられる可能性が大きい。被害の大小、その選択に迷った慎也の目の前で不思議なことが起こった。


 明らかに骨組みの一部が諭吉に突き刺さるはずだった。吉丸は瞼を強く閉じて痛みが発生する瞬間を捉えないようにしていた。そんな骨組みの落下を、体が叩きつけられる衝撃を、


 諭吉の体に突進しながら左腕で受け止めつつ、落ちていく吉丸の体を右手で掴む真琴。そして自分が着地失敗することさえも先取り、普段はあまり使わない壇上の幕に足を引っかける。落下速度は軽減されたが、二人分の男子高校生を抱えていたため背中から落ちていく。

 しかし真琴の予想以上よりも速く衝撃が体全体を痺れさせた。ただし痛みはあまりない。落下していた真琴に合わせて足場を出す位置を調整した慎也は、一息吐く。吉丸は戦隊モノの絵が描かれたシャツを掴まれていたため、微妙な宙吊り状態だが怪我は一切ない。諭吉はなにが起きたかわからない様子で真琴の胸上で目を丸くしていた。

 紫音は頭上を見上げながら仰天していた。ばらけて落ちていたはずの照明が、一瞬にして元通りに組み直された。それも正規の順番通りに。物事の逆再生を見ていた気分のまま、壇上を跳ねた音に誘われるように振り返る。小さな判子二つが空中に。それを掴むのは油が染みて汚れた作業手袋。


「この鬼才に勝てると思ったか、愚民どもめ!!今年こそ法外な開発費を手に入れる!!そしてこの鬼才の発明品こそが世界一と証明してやらぁっ!!!!」

「神楽どん、やりすぎだっぺ!!!!大体、鈴木どんが持っている最終予算案がないと意味ないっぺよぉ!」

「安心しろ平民よ!さあ大馬鹿、出番だ!あの盆栽頭の愚民が指差している場所に射出準備!!」

「あいあいさー!!」


 ガスマスクを装着しているイワナガ・神楽は生き生きとした様子で、用具委員会副委員長の権力を思う存分使う。逆に潔くて従いたくなるほどの指示の仕方に、顎で使われていると百も承知しながら用具委員会所属のフジ・裕也は大型照明器具のスイッチを入れる。

 大きいから広範囲を照らすのではない。強い光と遠くを照らすから高性能なのではない。目を奪うほどの、周囲一帯を埋める光を射出するために大きくなったのである。用具委員会の面々は予め、委員長であるゼンザイ・喜多に渡された遮光眼鏡、いわゆるサングラスで目を保護する。

 神楽自体はガスマスクを改造して取り付けた遮光レンズをスイッチ一つで目を覆わせ、強烈な光の中でも哄笑を上げた。多くの者が咄嗟の判断で瞼を閉じたが、それさえも足りないと腕や手を使って光を物理的に遮る。しかし光が消えた後も、視界は正常にならないまま黒と白が交互に現れるほどだった。


「そこだな、愚昧なる民よ!!さあ最終予算案を渡してもら……あ」


 強烈な光で影を失った鈴木は、影世界から弾き出されてしまう。上下が逆になったようなその世界で移動し、密かに学園長の後ろに隠れていたことさえも無意味にされてしまった。だが視界が戻らなくとも、耳だけは騒めく声を拾い上げていた。

 学園長であるリー・梁は所持しているプレートの【全力無効】の能力で、光という一種のエネルギーを無効にしていた。おかげで正常な視界のまま、目の前で起きていることに対して涼やかな笑顔で見守っている。

 神楽は背後に現れた威圧に肩を竦ませた。用具委員会以外はほぼ全員が動けない。その中で瞼を閉じながらも、気配だけで体育館の床を埋めるように座る他の生徒を避けながら神楽に近付いた男が一人。その赤い長学ランはアミティエ学園の模範生として相応しい、体育委員会委員長だけが着用できる伝統服だ。


「用具委員会副委員長、イワナガ・神楽よ。今起きた二つの所業……我が目は見えずとも天に輝く太陽は見逃しはせぬ!!金という光に目が眩み、命の危機を招いた貴君に与えるべきは反省なり!!精進が足りぬ!!!!!!」

「どぼぉっ!!??」


 怯えて動けない神楽に対して十文字が行ったことは誰もができることだ。礼儀正しいお辞儀。それだけである。ただし勢いが強すぎたあまり、神楽のガスマスクがひび割れるほどの威力を発揮した。頭蓋骨に直接響く衝撃に、神楽は目を回して倒れた。

 目が見えない周囲の生徒からすれば、まるで巨大な鎚を使って分厚い鉄を叩き直すような音に驚き、それが頭突きの音とは思えないため誰かが能力保有プレートで攻撃したのかと大騒ぎになる。ガスマスク内部で額から血を流す神楽に対し、十文字の額はわずかに赤くなった程度であった。


「だからやりすぎだっぺと……十文字どん、後でオイラが叱っとくんで今は見逃して」

「駄目だ!!!!前々から神楽の行動は目に余る!!貴君は優しい!!それは美点だ!!しかし甘いと同義である!!風紀委員会伝統根性叩き直しコース二日をここに命ずる!!」

「あー……わかったぺ。神楽どん、オイラじゃあ十文字どんの正論には勝てねぇんで、堪忍してけろ」

「同時に生徒会、及び全生徒に視界が戻るまでの停止を要求する!!!!健全なる学業のため、健全なる身体で挑むべし!!異論ある者は己が説得する!!さあ、健全なる予算会議の続行を!!」


 続けるのか。思わず誰かが心の中でツッコミを入れてしまうが、それを口にする勇気と余裕はなかった。


 十分後、再開された予算会議は混迷を極めた。視界が戻らないまま、鈴木は影世界に消えていた。道隆が居場所を追い続けるが、影世界に干渉できない限りは意味がない。背中が痛む真琴は、道具部屋で諭吉から湿布を貰いつつも空海に照明の骨組みが落ちた理由を尋ねる。

 簡単に言えば神楽が持つ【緻密組立】という能力保有プレートのせいだ。どんな難解な機械も順番通りに分解することが可能で、逆に組み立てることも順番通りに。そういえばと、昨日車が分解されていたのを見ていた真琴は納得する。目にも止まらぬ早業。いっそのこと神業というべきか。

 組立や分解の順序は能力保有プレートに任せ、神楽自身はただ工具を使って動けばいい。そうだとしても速度としては異常なので、一応本人の宣言通り鬼才なのだろうと空海は苦笑いだ。その鬼才も同じく道具部屋で保健委員会副委員長のカンナヅキ・大場が手当てしていた。


 本当は予算会議に参加して判子の一つでも確保したい保健委員会だが、その名前の由来から怪我人を放置するわけにもいかない。委員長と副委員長が不在であるが故、保健委員会の生徒達は座って待機中である。下手に動いて怪我人を増やしても、委員会としてはあまり意味がないという理由もある。

 いまだ目覚めない神楽のガスマスクを直すのは喜多である。能力保有プレートの【繊細作業】を使い、細かい破片一つ残さずピンセットで拾い上げ、太い指であることも気にならないほどの細やかさで接着剤を無駄なく使っていく。

 ガスマスクで隠されていた神楽の顔を見た真琴は驚く。言葉とは裏腹の可愛い顔をしているのだ。伏せられた睫毛は長く、鼻筋も整っている。小さな唇など少女のようだった。白い肌なことも相まって、美少女が寝ているようにも見えた。だが口から舌をはみ出した状態で大の字で倒れているので、色々と台無しである。


「紫音、能力で壁とか作れないの?」

「場所が悪い。俺のは無から有は作れない。壇上で盾の壁を作った瞬間、壇上自体が消える」


 神楽から二つの判子を奪い返した生徒会に向かって、壇上へと登ろうとする生徒の波。それを能力保有プレートを使って押し留めているのが風紀委員会であるが、劣勢である。慎也が透明な足場を作ったとしても、透過の能力保有プレートを持つ者があっさりと侵入できる事態だ。

 他にも破壊系、操作系、あらゆる能力保有プレートを使って進行する三百人近い男子高校生の野太い声が体を竦ませる。既に戦意喪失した一年生の半分が道具部屋で様子を窺っており、壇上で奮闘しているのは二年と三年の風紀委員である。

 空海は委員長であるが、能力保有プレートが【音声奪取】という内容であるため実践向きではない。それに一年生の面倒も見なくてはいけないため、必然として壇上で指揮を執っているのは副委員長である慎也だ。しかし自らが行動するのを好む慎也は防戦一方の状況に苛立っていた。


「貴様も交流会で見ただろうが。質量保存の法則が働くのか、武器を作った分だけ地面が抉れる。それを利用して壁に穴を開けるのも可能だが、現状において不利を呼ぶだけだ」

「便利そうな能力だと思っていたんだけど、状況にもよるのかぁ」


 紫音の説明を聞いて、真琴は能力保有プレートの短所を見た気分だった。真琴自体が能力保有プレートに恵まれなかったと考えているのだが、実は考え方次第で変わるのかと思い始めた。先程諭吉や吉丸を助けた際に【反撃先取】の能力が使えたのも、二人に襲い掛かるであろう衝撃に反撃を先取るという意味だったからだ。

 反撃と言っても、攻撃をすればいいだけではない。攻撃手段は選べるのである。交流会の時もそうやって電灯のスイッチを点けたことを思い出しながら、真琴は改めて紫音の能力保有プレートである【武器製造】のことへと思考を巡らせる。

 盾や棍棒、剣や槍などあらゆる武器を作り出せる。その大きさも自在で、交流会の時は大きくした棍棒で伸びる足場を作ったことが何度もある。しかしそれは交流会で尋ねた保護区が自然に溢れていたから可能だったのだ。多少地面が抉れても問題ないほど、広い敷地。しかし今は狭い体育館。同じことはできない。


 製造するには材料、つまり素材が必要なのだ。ただ地面から鉄の刀を作れたことから、質量保存は適用されても性質自体は紫音の意図で変更することが可能。そこまで考えて真琴は壇上の幕へと目を向ける。道具部屋から操作できる類であり、スイッチ一つで閉じることが可能だ。


「紫音、この幕を盾にしよう!そのままの状態で、鋼鉄に変えればそう簡単に突き破れないはず!」

「……貴様は馬鹿か?」


 会心の考えだと思っていた真琴は、紫音の発言で一刀両断された。肩を落とし、どうしてと言った視線を向ける。背後で二人の話を聞いていた空海が、能力保有プレートは売却していない限りは生徒全員が保有していることを思い出してごらんと助言する。

 委員長や副委員長が有能なプレートを持っているわけではない。生徒会に所属しているものだって使い方が限られていることが多い。そして真琴のようにピーキーな能力保有プレートも多く、中には金属自体に干渉できる能力保有プレートを持つ生徒がいる可能性も無視できない。

 そうなると視界を隠してしまう幕の盾は、生徒会と委員会との物理的な断絶とはならない。むしろ相手に対処された際に反応が遅れてしまう危険性が出てくる。既に生徒会の能力保有プレートの多くは知られてしまった。突然の事態に対処できないと、既にバレているのだ。


「しかし幕を利用すること自体は愚策ではない。視界全て塞ぐのではなく、侵入できる経路を限定させる。ただし俺が作り上げた武器も利用される危険性が高いが……」

「うーん、でも武器の壁で動きを止められたならば……慎也が活きる。いいよ、やって!幕が引き裂かれる音は僕が消す!一年生の中に遠隔で対象に千切るや破壊できる能力保有プレートを持つのがいたはず!全員で協力して、戦線を押し返そう!!」


 紫音に考えの一部を採用されたことに真琴は少しだけ嬉しそうな笑みを見せる。明らかに褒めてほしい犬の表情をした真琴に対し、紫音は溜息を吐きつつも意地の悪い笑みを返す。全生徒の能力保有プレートを把握することは難しく、現段階で全てに対処できるとは言い難い。

 それでも交流会で妖鬼と戦ったことに比べれば、安心感が違った。風紀委員会一丸となって、襲い掛かってくる三百人近い生徒に対処する。そんな無謀な内容に笑みが浮かぶほどだ。空海が音を消して幕が引き千切られていくのを悟られないように配慮する。

 落ちてきた幕に驚いた者達はお互いに後退する。壇上に落ちた幕は、瞬間的に棍棒が乱雑に組み合わされた壁となった。それによって檀上に登ることが難しくなったが、乱雑な組み上げたかによって隙間から向こう側を視認することが可能だ。後は壁となったそれを破壊すればいいと、前に飛び出した生徒は頭上に落ちた影に反応するのが遅れた。


 壁を見えない足場で乗り越えた慎也が一番槍となり、前に出てきた生徒の突進を利用する。その力を受け流して壁へと足が向かうように対処した。柔術の一種であり、壁へとぶつかった生徒は違反にならないように動いた慎也の判断力に感心する暇もなく倒れた。

 道具部屋から体育館のゴム床へと移動した他の風紀委員も慎也と同じく壇上の生えた壁に危害を加えさせないよう、相手の動きを別方向に逸らすなどの対処する。時には姿勢を低くして相手の懐へと入り込み、そのまま起き上がって空中前転させてゴム床の上へと落とすなど正当防衛と判断される動きで攪乱していく。

 空中に浮かぶ、飛ぶ、そういった能力保有プレートを持つ生徒に関しては慎也が素早い動きと見えない足場を連携させ、動きを阻害してからの近くにいた者にわざと衝突させてからの墜落や、眼前に突如として現れてからの威圧による竦ませを引き起こし、体勢を崩させるなどしていた。


「一年は道具部屋から侵入しようとする生徒の阻止!こちらから攻撃する必要はない!むしろ攻撃されたら受けるくらいの心持ちで!そうすれば違反者取り締まりとして、僕らの正規活動が認められる!」

「それって……意図的に相手を違反させるってことじゃあ……」

「別に攻撃して来ないなら、僕らも反撃しないさ。ただ……まあ……そこら辺に関しては慎也の方が上手いんだよねー」


 空海が乾いた笑いを零した瞬間、派手な殴打音がした。真琴が慌てて体育館の天井近くを見ると、頬に一撃食らった慎也が、翼が生えた生徒の殴ってきた腕を掴み、そのまま捻っていた。痛みで声を上げる相手に冷徹な眼差しを向け、相手が振り払うような動きをした途端に身軽に離れていた。

 人間とは飛ばない生き物である。翼で飛ぶことが慣れてない生徒は、慎也を振り払おうとして大きな動作をしたことにより翼で安定を保つことができず、そのまま落下していく。下にいた生徒が数人巻き込まれたため、待機していた保健委員会の三年生が動き始めた。

 そのまま空中で浮遊する別の生徒へと赴いた慎也は、相手の周囲を見えない足場を使って走り回る。それに苛ついた生徒の当てるつもりもなかった蹴りをわざと受け止めて、歯を見せて笑った後に脇腹に一撃を入れてきた足の脛を膝で強打する。あまりの痛みに涙目になった生徒は、能力保有プレートのことも忘れて落下した。


「……慎也先輩、問題児ってそういう?」

「相手への挑発行為、攻撃を誘う態度、威嚇としての行動を攻撃に変えてしまう手口。慎也は喧嘩好きだからね、そういう流れを作るための技術が格段に上手なんだよ。まあ尻尾を出させたい相手がいる時、慎也ほど適任はいないかな」

「感心している場合ではないであります!!空海風紀委員長、貴兄は慎也風紀副委員長のお目付け役!!このままでは怪我人続出の事態でありますのに、それを止めないとは何事でありますか!!??怠慢であります!!」


 真琴の湿布を張り終えて、救急箱の整理も終えた諭吉が大声を張り上げた。狭い道具部屋では耳が痛くなるほどの声であり、一番近くにいた真琴などは脳まで痺れるような痛みを味わった。しかし慣れている空海は片耳を塞ぐ程度で、苦笑を浮かべながら予算会議だから仕方ないと誤魔化していた。


「見ていられないであります!!自分は治療のため戻るでありますからな!!!!」

「え!?諭吉っち、大場達なら生徒会の所にすぐ行けるのに、判子とか予算は良いの!?」


 道具部屋から檀上はすぐだ。紫音が作り上げた壁もなく、攻撃をしない限り風紀委員会も手が出しにくい。そう考えていた大場は治療が終わり次第、諭吉と共に絶好のチャンスを掴もうとしていた。だからこそ壇上を指差し、諭吉の顔と檀上を交互に見やる。

 しかし大場の言葉に諭吉は怒りの形相を向けた。本当の鬼の顔を知っている者からすれば、鬼のような形相とは言いにくい、使命感に溢れた表情。肩を竦ませることはあっても、恐怖を感じることはない。


「馬鹿を言うなであります!!!!自分達は誇りある保健委員会!!目の前に怪我人がいるならば治療第一!!金の山が目の前にあれど、背中に負傷者の道ができあがるなど以ての外!!目的を間違るなど言語道断であります!!!!!!」

「……諭吉っちのそういう頭固いとこ、大場は気に入ってるよ。よし、そんじゃあ委員長に付き従うよ!!」

「そうであります!!先程の……えー……」


 道具部屋から出ようとした寸前で、諭吉は立ち止まって振り返る。視線の先にいた真琴は周囲を見やるが、諭吉の真っ直ぐな目は明らかに真琴を映していた。そういえば会話をするのはこれが初めてかもしれないと、真琴は姿勢を真っ直ぐにする。


「僕はスメラギ・真琴です、諭吉先輩」

「真琴風紀委員でありますな!!先程は自分を助けていただき感謝するであります!!いずれ恩返しをさせて頂きたいでありますが、今は怪我人の治療が優先であります故、ここで失礼するであります!!!!」


 礼儀正しく胸に拳を当てながらお辞儀をした諭吉は、そのまま振り返ることなく道具部屋を去った。道具部屋へとあと一歩まで迫った生徒が、扉から出てきた大場の柔らかい腹に弾かれたのを最後に扉が閉まる。感謝の声があまりにも大きかった故に、後半は上手く聞き取れなかった真琴は苦笑するしかない。

 隣にいた紫音などは予め両耳を手で塞いでおり、脳の奥まで響く大声を遮断していた。それでも手の平まで突き抜ける声は、否が応でも彼の耳には届いていた。もう少し危険性のない助け方もあったのではないかと紫音は考えているが、照れながら笑う真琴の腑抜けた顔を見て考えるのも止めた。


「諭吉は三年の中でも良い奴だから、恩を売っとくのは良いと思うよ。だけど恩を仇で返すのが三年に一人いるから、気をつけた方がいいからね」

「そういえば教典先輩はまだ気絶しているんですかね?」

「あえてぼかしてもすぐに正体バレるあたり、教典の日頃の行いの悪さがわかるね。教典はメディアやネット系には強いけど、戦闘になったら素人以下だから。まあ予算会議が終わる頃に目覚めるんじゃない。個人的に永眠した方が世界平和に近付く気もするけど」


 空海にしては珍しい辛辣な物言いに、真琴も広報委員会委員長のアソウ・教典の人望の低さを味わう。しかしそれもこれも本人の行動からくる因果応報であるため、フォローしようとする者はいない。思わず反面教師としてはいいのではないかと、別方向へ物事を良く捉えようとする防衛本能が働くほどだ。

 すると道具部屋の扉を勢いよく開けた者がいた。美化委員会副委員長のハナミヤ・香織である。その背中に隠れながら顔を覗かせているのは同じく美化委員会所属のハセガワ・広谷だ。言葉遣いが女性らしい香織と、雰囲気が少女に近い広谷の登場に真琴は目を丸くする。


「辿り着いてやったわよぉ!!小僧共、おどき!!今年こそは削減が激しい美化委員会の予算を増やしてみせるわ!!というか逆巻ちゃんがやる気ねぇのが問題なんだけどね!」

「あはは……委員長は冷たいハーブティー飲みながら観戦する方に回っちゃいましたもんね」


 神秘的な容姿をしている美化委員会委員長のミツイ・逆巻のことを思い出し、容易に想像できる状況に真琴は広谷と同じ困った笑みを浮かべるしかない。空海も、逆巻の能力保有プレートは【即時修復】というもので戦闘には向いてないことを知っているため納得していた。

 外見上の体裁だけ即時に直せる。植物の折れた茎や枝、落ちた花弁なども元に戻せる。ただし花弁に関しては花の寿命の関係上、直してもすぐに落ちてしまう。しかし折れた茎や枝は植物が持つ生命力により、時間が経過すれば成長を続けることができる。

 骨折、顔面の陥没、そういった物も治せるため逆巻は率先して前に出ようとはしない。本人のマイペースな性格のせいでもあるが、状況の見極めに関しては優れていた。それも強い姉三人にパシリにされていた弟の生存本能化もしれないが。


「アタシも広谷ちゃんも戦闘系の能力保有プレートではない!そして筋力があるわけでも、強いわけでもない!!だけど風紀委員会にとってこれが一番の天敵よね?アンタ達はか弱い乙女には手が出せない!!!!」

「……あれ!?」


 香織の言葉に誰かが語気強く訂正を求めると思っていた真琴は、誰もが沈黙していることに気付いて素っ頓狂な声を上げた。空海は言葉を出そうと思ったが、余計な怒りは買いたくないと口元を手で隠している。紫音などは始めから相手する気がないのでそっぽを向いている。

 風紀委員会にツッコミ役がいない。そのことに気付いた真琴は、自分が言うべきかどうか迷う。しかしその間に香織は広谷を連れて堂々と道具部屋を横切って壇上へと歩いていく。これは止めなくてはいけないと一年生達が香織や広谷の体にしがみつき、重しとなって邪魔をする。

 華奢な体を持つ広谷には効果は抜群だったが、香織は少しずつ鈍足になっているものの制止することはない。筋肉がある体には見えないが、五人程度の男子高校生を引きずって歩く姿は勇ましかった。加勢しようとした空海だが、香織に続くように入ってきた他の生徒の姿を確認して彼らを引き留めようと意識を逸らされる。


「体育館で争っている慎也達の戦線を戻すことはできない!反対側の道具部屋には三年や二年を多く配置しているけど、長く保たない!!こうなったら判子の一つを風紀側で確保して……」


 声に出さないと混乱しそうな状況を鑑みて、空海は真琴に壇上にある判子の一つを確保してほしいと指示しようとした。真琴の【反撃先取】ならば襲い掛かってくる相手から逃げるという応用ができる。そう判断したのだが、それよりも早く体育館から不穏な音が響いた。

 窓硝子が大量に割れる音だ。同時に多くの悲鳴が上がり、保健委員会を中心として騒めく声が広がっていた。そのことに嫌な予感を覚えた真琴と紫音は制止も振り切って道具部屋から飛び出す。道具部屋近くまで細かい硝子の破片が飛び散っており、靴裏から伝わる割れた感触に背筋が粟立つ。

 開けていた大窓だけでなく、体育館の窓硝子全部が割れていた。例外が一つもないため、もしかして硝子だけを全て破壊するような能力保有プレートかと誰かが叫ぶ。しかし真琴と紫音の目に映ったのは、そんな些事も頭から吹き飛ぶ光景だ。


 窓硝子の一番近くにいた保健委員会の被害が酷い。その中で一際大きな硝子の破片が頭に突き刺さった遮音が倒れていた。硝子の破片は刃物のように鋭く、勢いが強かったのか後頭部から額まで刺し貫いていた。背中にも破片が突き刺さった遮音の体の下には、他の生徒が倒れていた。

 遮音に庇われた生徒が信じられないといった表情で動かない遮音の体の下から這い出る。彼は体に細かい破片は突き刺さっていたが、大きな怪我はない。震えた手で能力保有プレートを取り出すが、そこに書かれた【自然治癒】という文字を見て、悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 遮音の能力保有プレートは【超速再生】というものだ。痛みは残るが、腕が千切れても元通り生えてくる。交流会では頭と首が離れても、その後ものの見事に再生した。しかし今回の状況は硝子の破片が体中に突き刺さった状態。


「遮音!!」


 誰よりも先に駆け出した紫音の声に、真琴は我に返る。そして走り出した紫音の背中を追いかけながら、周囲の状況を確認する。何十人、下手すると百を超えた数の生徒達が割れた硝子によって負傷している。今のところ遮音以外に致命傷を負った者はいないようだが、それも流血や時間の経過による状況の変遷でどうなるかわからない。

 ゴム床の上に散らばった硝子の破片は大小あり、それを踏んでは割れた破片が飛び散ることに舌打ちしたくなる。床を埋めるように生徒達が座っていたため、下手すると倒れた生徒に踏んだことで飛び散った硝子が当たる危険性が高い。そうとわかっていても仲のいい同級生の安否を前にして動揺するなというのが無理だ。

 あと少しで紫音の手が遮音に届くといった瞬間、ゴム床が陥没した。巨大な刃が遮音の首を断った。愕然とした表情で双子の兄である紫音が転がっていく頭を視線で追いかけていく最中、真琴はなにが起きたかを理解して壇上へと振り返る。そして叫んだ。


「茨木!!!!」


 他人の能力を偽装できる能力保有プレートを持つ茨木に対し、真琴は怒りの眼差しを向ける。壇上への侵入を阻むための武器の壁があろうとも、真っ赤な瞳による強い視線は茨木の体全体を貫く凶器に似ていた。そんな視線に晒されても尚、茨木は冷淡な顔のまま様子を窺っている。

 秒単位で変わっていく状況の中、割れた窓硝子を踏み潰しながら大勢の男達が体育館へと侵入する。その数と学園の警備が反応しないことに違和感を覚えた学園長の梁は静かに立ち上がった。それは更なる波乱を含んだ予算会議の大詰めを迎える準備だと誰も気付かないほどの混乱だった。

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