二十二番:開始

「紫音、話を聞いてくれないかな」

「断る」


 即座に放たれた拒否の声。人々の声が反響する天井が高い室内でも、その声は刺さるように耳に届いた。しかし真琴も慣れてきたおかげが、鼻の奥がちょっと痛くなるくらいの感情に襲われるだけで済む。


「僕は確か君と一緒に昨日、女の子達を助けた。そのことに関して朝、覗見に怒られたよ。理不尽だとは思ったけど、まあ好きなアイドルに会いたいという気持ちは尊重した方がいいのかなと思ったんだ」

「無視すればいい話だ」

「最終的にはそうなっちゃったよ。なにせ空海委員長から緊急の呼び出しだ。まさか昨日の件について怒られるのではないか。とても不安だった」

「……」

「それでさ、紫音。なんでこんなことになっているのかな?」


 膝を抱えて真琴は空を見上げようとした。しかし視界に映るのは青い空でもなく、明るい電灯が輝く天井でもない。劇場の裏方に近い、小道具や大道具が散らばった狭い場所だ。豆電球ほどの明るさしか確保できていない。

 そこに二十人近い人間が詰め込まれているのだ。反対の狭い場所にも同じくらいの人数が詰め込まれている。希望さえ掻き消えていくような人の熱気は、六月で体験するには息苦しい以上のものがあった。真琴は諦めて膝頭に顔を埋める。

 六月五日。翌日の六月六日の六時は六が揃って縁起が悪いと昔の迷信が2222年の現在でも囁かれるが、そんな理由で今がこんな状況になっているとすれば嘆いてもいいのではないだろうか。しかし学校が決めた行事に対して、そんな迷信が通用するとは思えない。ならばあらかじめ決められたことだ。

 ただ真琴は知らなかっただけなのだ。知らないまま当日になっていた。そんな小さな問題をいつまでも根暗みたいに抱えているわけにはいかない。だからといってすぐに立ち直れるほど器用な性格でもなく、ただ騒がしい人の声に耳を澄ます。もう逃げられない。始まってしまったのだから。




「なんで今日が予算会議なの?」




 昨日の騒ぎの最中に届いた電子生徒手帳のお知らせメールをうっかり見逃していた真琴は、同じく見逃していたであろう紫音に再度問いかける。しかし返事はない。事情聴取や書類製作などで真琴と同じくらい時間を割かれていたはずだが、紫音は一切動揺していなかった。


「はい、じゃあ一年生に向けて風紀委員会の今回の仕事を簡単に説明するよ」


 風紀委員会委員長の空海が密集した人の熱気にうんざりしながらも、真剣な表情で体育館の檀上、その横にある道具部屋に集まった風紀委員会の面々に視線を向けていく。真琴達を含めた一年生はここに集められ、反対側の道具部屋では副委員長の慎也を中心に二年と三年が警戒を続けている。

 朝の授業が始まる前に覗見と軽い会話をしていた真琴は、風紀委員会集合の知らせを受けてすぐに体育館にやって来た。そこでやっと気づいたのである。今日まで疑問が残っていた予算会議が、授業を潰してでも行われるという事実に。

 一日かけて会議が執り行われる。壇上に生徒会全員が椅子と机を使って座り続ける。そして本来は室内運動場として使われるゴム床の上を委員会ごとにまとめた状態で座っていく。発言が許可されているのは委員長と副委員長のみだが、会議の重要性から全生徒参加が義務付けられている。


「僕達はあらかじめ予算はほぼ要望通りに申請を受理される。代償に予算会議を無事終わらせるためを相手取る必要があるんだ」

「え?それってどういう……」

「能力保有プレートを持った血気盛んな男子高校生が集まるんだ。そしてこの予算会議は生徒の自主性を重んじている。つまり教師は基本見ているだけ。半二階である応援テラスから見下ろしながら、本格的に危険と判断しない限りは降りてこない」


 言いながら空海は背後にある小さな階段を指差す。真琴は反対側の生徒が集まりつつある体育館へと視線を向けた。バスケットができるように高い位置に設定されたゴールポスト、その背後にあるのが応援テラスと言われる場所だ。旧時代ではバスケットの試合の時はそこに垂れ幕を下げたり、応援団以外の観客がそこから眺めるということもあったという。

 今ではそこから矢吹や万桜含めた教師達が水筒片手に集まっている。予算会議が長時間になることを見越した上で、夏場の体育館の暑さを鑑みての判断。窓を開けているとはいえ、曇り空の夏。湿り気と生温かい風が汗に冷気を与えるとは思えなかった。しかしまだ会議が始まらないのかと、ゴム床の上にいる他の委員会にとっては唯一の慰めかもしれない。

 三百人強いる全生徒の殆どがゴム床の上で思い思いの座り方をしている。入学式の時はほぼ一年生だけ、ついでに椅子が整列していたことを考えれば、今は委員会ごとにまとまって座ってるとはいえ、その境界は曖昧だ。もしも立ち続けているとなれば、貧血で倒れる生徒が続出していたと思えるほどの多さ。これ全てが男子高校生だと思うと、狭いとはいえ檀上裏の道具部屋で良かったと真琴は少しだけ安堵した。


「で、この自主性を重んじるというのが問題でね。伝統になってしまったのが嘆かわしいことではあるんだけど……委員長を筆頭に予算を増やそうと生徒会を襲ってくる。能力保有プレートを大胆活用でね」

「校則違反では!?」

「いやー、これが怖いことにね……要は人を攻撃する目的ではない、と建前を作れてしまうのが予算会議なんだ」


 そして空海は説明を受けている風紀委員会の一年生に電子メールを一斉送信する。文はなく、題名もない。ただ簡潔に写真ファイルだけが添付された、事務的な内容だ。真琴は早速その電子ファイルを開き、写真を確認する。全委員会の最終予算案と書かれた紙。それが写し出されているだけだ。


「この最終予算案に生徒会長と生徒会副会長の判子、そして委員長の判子と学園長の判子、この四つを押すだけで修正できるんだ」

「……だけ?」

「そう。なにせ委員長の判子以外の全てがこの壇上に用意されるんだ。つまり壇上からそれらを奪えば……」

「最終予算案を覆せる!?」


 誰かが発した驚愕の声に空海は重く頷いた。さらに詳しい説明が続き、最終予算案と書かれた紙に控えはない。紙が貴重な時代においてそんな無駄なことはしない。複製できないように万年筆と筆墨で書かれた旧時代の正式書類と同じ方法での仕上げという徹底ぶり。

 そして最終予算案で修正できるのは一回限り。そのため生徒会の書記は細心の注意を払って予算案の紙を完成させる。生徒会の書記と会計にとって、予算会議こそが一年の中でも一、二を争う大勝負なのである。では何故そんな面倒な方法を取ったのか。それこそ伝統の一言で終わってしまう。

 二百年近く続くアミティエ学園では旧時代の面影を少しでも残そうとした結果、変なところで古いと言われるような形式が残ってしまったのである。しかしそのおかげで一つだけ明確になった抗争形式が一つ。修正箇所は一つだけ。つまり一つの委員会の予算案しか直せないのである。


「僕らの第一防衛線は、檀上の境目。次に生徒会と学園長が座る会議席、最後に予算案の紙だ。ちなみに紙が不意の事態において破れたり消失すると去年の予算案が通ることになっている。今年は僕達風紀委員会は予算増額してもらえたので、絶対に最終予算案を守り通そう!!!!」


 空海の熱い決意に一年生からは疎らな声が出てくるだけであった。いまだに予算がどれだけ重要かわかっていないのである。なにせ通貨は画面上の数字だけしか知らない。旧時代のような札束や小銭の重さなど伝聞でしか知らないくらいだ。真琴としても実感はわかない。しかし嫌な予感だけはあった。

 なにせ若君が誇張した話を聞いていたからだ。同好会や部活動が多岐多様に渡っていた時代から限りある予算の配分が雀の涙だったと。覗見も委員会同士で激しく争うと口にしていたくらいだ。そして委員会ごとに分けられた今、普段は仲良くしている相手が壇上へと襲ってくる可能性。


『はい、これから予算会議を始めます。全生徒は速やかに私語を慎むように』


 穏やかな声が拡声器によって館内に響いた瞬間、騒がしかった声は時が止まったように消えてしまった。いつの間にか檀上には生徒会の面々が揃っており、真琴は武蔵など見たことがある相手もいれば、全く知らない人もいた。そして茨木の顔を見て、微妙な気持ちになる。

 学年別交流会から茨木に関しての印象が良くない。しかし決定的に茨木が悪いわけではなく、真琴が勝手に納得できないと憤っているだけだ。振り返れば茨木の判断は効率的だったとも思うが、効率を求めた故に全てが数値化されていたと思うほどだ。もしもその数値の中に自分がいるとすれば、それは気分が良くない話である。


『恒例の生徒会紹介に入ります。右から順に会計特待枠の一年B組のリー・茨木。会計長の二年B組のオニガワラ・壱膳。特待枠は三年ぶりということで、今年は生徒会の人数が多いのでよろしく』


 真琴は図書室で昼寝してサボっていた宮城を連れて行った壱膳には見覚えがあった。赤い髪は寝癖一つなく、茶色の理知的な瞳を隠すように細いフレーム眼鏡。それ以外に特徴はない。あえて言うならば、校則通りの規定容姿だろうか。模範生と言わんばかりの外見である。

 しかし特待枠に覚えがなかった真琴は、小声で紫音に尋ねる。茨木のことならば親しい間柄であると真琴が認識している紫音ならば知っていると思ってのことだ。私語を慎むようにと言われた矢先に話しかけてきた真琴にきつい視線を送りながらも、紫音は渋々と答えてくれた。

 生徒会は本来五人体制での活動となる。生徒会長、副会長、書記二人、会計一人という内訳だ。しかし時折突出した人材というのが現れる。生徒会長がその人材を認めた場合、特例として本来ならば一人である会計に特待枠として参入させるという。そしてその特待枠こそが未来の生徒会長と噂されるほどだ。ラノベのような制度に、真琴は現実にもそんなことがあるのかと素直に感心した。


『副会長の二年A組のトウゴウ・武蔵。そしてこの僕が生徒会長のカズラ・柳生です。先に宣言しておくと、僕は美しい人とか大好きなのでそういう人は大いに贔屓します。ので、皆。美しく健やかに育ってくれるよう祈っておきます』


 真面目にとんでもないことを言った生徒会長に対して、慣れている空海などは苦笑いだが初めて彼を見た一年生達は盛大に体勢を崩した。このことに関しては真琴の横にいた紫音も眩暈がしたのか頭がふらつき、思いっきり壁に頭の横をぶつけた。

 真琴が慌てて壇上で椅子の上で静かなまま鎮座している茨木に目を向ける。あらかじめ生徒会長の性格について知っていたようで、笑顔なのだが感情の色はない。下手すると笑顔を貼り付けた能面である。拡声器はすぐに副会長である武蔵が奪い取り、それで生徒会長の頭を軽く殴る。ハウリングした音が耳障りだったが、おかげで空気は変わった。


『えー、続きまして僕の左隣から書記長の三年C組のヒグレ・道隆。そして最後に書記の二年C組の……えー、リンドウ・宮城……宮城くん?ちょっと、こういう日は寝てはいけないと……まあいっか。美しさに罪はないし』

「良くないに決まってんだろ、カズラ生徒会長!!!!お前のそういう適当なところが昔から気に食わん!!お前もだ、リンドウ書記!!私の胃薬の量が増えるのは主に貴様とアイツのせいだ!!!!」


 柳生から拡声器を奪って容赦なく頭を殴りつつ、すぐさまに抱き枕を使って堂々と寝ている宮城の肩甲骨の隙間に握り手の部分を抉り込ませる。これには流石に宮城も寝続けることが難しくなり、蛙が潰れた声と同じ酷い声を出した。

 武蔵はまだ手加減していたらしく、柳生は痛みで頭を抱えていた。その後、拡声器で罵倒を交えた文句を宮城に向けて言い続けた道隆だったが、ハウリングしすぎた拡声器に堪えられなかった生徒からの苦情の大声で止めるしかなかった。

 腹を押さえながら座る道隆の容姿は、大まかに例えると繊細な棘が多そうな木である。手入れされていない松に近い黒の髪。緑色の目は徹夜で疲れた人間のように充血している。今日はオコジョの抱き枕を抱きしめている宮城は、そんな道隆の髪を見て小さく笑っている。宮城の髪は手入れが必要がないほど整っている長髪であり、それが気に食わなかった道隆は宮城の足を力強く踏んだ。


『で、では最後に……僕が最も贔屓したい美しさのリー・梁学園長です。ちなみに学園長は安全のため檀上の奥にいます』

『えー、とても嫌な御紹介に与りました学園長です。今日は生徒達の全力を生温かい目で見守りたいと思いますので、皆さん頑張ってください』


 茨木と同じように能面に張り付けた笑顔で梁は乾いた笑みを零している。柳生が振り向くと、目線だけを静かに横に逸らしている。かなり苦手なのか、絶対に目線を柳生と合わせない。茨木が顔を俯かせているが、紫音は知っている。あれは吹き出し笑いそうなのを必死に堪えているのだということを。


『はい。紹介が終わったので一番手の委員会どうぞ。まあ毎年決まって一番手は』

「もちろんぼくちんに決まっている!!どんなネタも逃さない!!現場に一番乗りが報道者の基本!!さあ学園長に関する黒い噂も含めて今回の予算会議で生徒会長の偏った性癖に関しても言及を」

「はい、すいません」

「どっふぅ!?」


 意気揚々と立ち上がってあることないこと吐こうとした広報委員会委員長の教典の脳天に手刀を食らわせた人物が一人。柔らかい蜂蜜色の髪に穏やかな黒の目。幼い頃には天使と呼ばれていそうな容姿であり、教典に手刀を食らわせた人物とは思えない和やかな雰囲気だ。


「二年A組広報委員会副委員長のモモチ・和彦です。うちの委員長が毎度のことながら大変失礼いたしました」

『いやー、今年は和彦くんのおかげで教典も大人しくできそう……違うね。なんか企んでるよね?その笑顔は素敵だけど、僕は騙されないんだ』

「はい。うちの委員長は悪辣な舌に狂った思考回路と意地の悪い性格ですから。こういう時はとても頼りになるんです。というわけで、颯天さん」


 壇上にいる生徒会の視線を集めていた和彦は、後ろを振り返らないまま合図を送る。そして悪い笑みを浮かべていた教典の肩を掴む手が一つ。それがいつもお世話になっている颯天だと気付いた真琴だったが、視線を向けた先からはすでに教典と一緒に姿を消していた。

 そして壇上の左奥から走り出す教典は迷わず生徒会長の手元にある最終予算案へと手を伸ばす。しかし颯天の能力保有プレートがどんなものか知っている武蔵が立ち上がる。威圧感のある巨体、実年齢に似合わない男臭い容姿と黒いサングラス。それらに臆さない教典は応援テラスの一点を指差す。


「なんと!!杏Tのスカートが風で翻っておるぞ!!!!!!」

「でじま!?」


 旧時代に使われていたという業界用語を出しながら武蔵は教典の言葉を信じ、すぐさま応援テラスへと視線を向けた。もちろん杏のスカートは翻っていない。何故ならば今日の彼女はパンツスタイル。それを武蔵は朝確認していたが、本気で教典の言葉を信じてしまった。

 教典の能力保有プレートがポケットからわずかにはみ出る。白文字で書かれているのは【誇大広告】という。どんな大法螺でも確実に一瞬だけ相手に本当だと思い込ませる。誰もその言葉を無視することができない。この能力保有プレートに苦しめられた生徒は数知れず。

 嘘だとわかって肩を落とした武蔵の隙をついて教典があと一歩の所まで指を伸ばした矢先。見えないなにかに指先がぶつかり、突き指の痛みに声を上げた。そして勢いよく道具部屋から姿を現した慎也へと悪意のある視線を向けた。


「おのれ、慎也S!!ぼくちんの指は大事な商売道具なんだぞ!!こうなったらチミと万桜Tの師弟関係から始まる繋がりを援助交際として世間にこうひょ、うひょ?」


 音もなく距離を詰めた慎也は迷わず一本背負いして教典を壇上から投げ落とす。ゴム床に受け身を取ればいいと思っていた教典だが、ゴム床のわずか上にかなり硬い足場へとぶつかって肺から呼吸を吐き出すことに。見えない足場、それが慎也の能力保有プレート【空中足場】で作り上げた透明足場だと理解して目玉だけを動かす。

 壇上から跳躍した慎也の靴底が迫る。それを理解した教典は言葉を出す暇もないことを察知して、襲い掛かる痛みを想像して口から泡を吹いた。しかし気絶した教典には与り知らないことだが、靴底が誰かを傷つけるということはなかった。

 見えない足場は一つではない。教典の鼻先に作られた足場の上に立ちながら、慎也は冷酷に泡を吹いた教典を見下ろす。そしてもう一度跳躍して壇上に戻る頃、教典はゴム床の上に大の字で倒れた。ついでに壇上を密かに移動していた颯天は、能力保有プレート【音声奪取】を使って動いていた空海に捕まり、壇上から静かに降ろされていた。


「おい、あいつをタコ殴りにする許可を出すがいい、生徒会」

『気持ちはわかるけど駄目です。どうしてもという時は決闘すればいいから。はい、次』


 今の騒動をなかったことにした生徒会の胆力に真琴は三年もこの学校にいればあんな堂々とした態度が身に着けられるのかと、少しだけ感心した。ちなみに教典は壇上から降ろされた颯天が舌打ちしそうな様子で連れて行った。足を掴まれて運ばれていくせいで、ゴム床と頭の間に摩擦がある。恐ろしい物を見る目で空海は広報委員会が離れたことを見送り、次に出てくる委員会は何処かと視線を巡らせた。


「次は自分であります!!!!保健委員会委員長三年B組ワダ・諭吉!!今年の貴兄らの予算配分、これに異を申すであります!!!!」


 とんでもない声の大きさに、真琴は思わず耳を手の平で塞いだ。視線だけを声の出所に向ければ、保健委員会所属の遮音も同じポーズをしていた。そしてマイクもなしに鼓膜を破壊しそうな大声を出した保健委員会委員長へと視線を移す。

 真面目そうな容姿。茶色の短髪に黒の目。軍服でも着せれば立派な若手の軍兵として通じる姿だ。今も胸の前に手を置いているが、それすらも旧時代に使われていた軍の敬礼に似ており、先程の口調のことも考えると討伐鬼隊に似合いそうな青年である。


「去年よりも三割減!!これは由々しき事態であります!!ただでさえ決闘などで包帯や薬品などの消耗品を買うのに苦心しているというのに、これでは異常事態の際に十分な治療を行えないのであります!!減額の理由を求める次第であります!!!!」

『去年は決闘数の異常な増加を鑑みての判断です。主に約二名の問題児による決闘の頻発と、去年の一年生が大変血気盛んでした。しかし今年は四月に一年生同士の決闘が話題に上がりましたが、総数としては三割減。ですので予算も比例して減らした次第です』


 二名の問題児という辺りで慎也と教典へと視線を向けた柳生。しかし一人は気絶しており、もう一人は素知らぬ顔で聞き流していた。真琴は決闘を二ヶ月の間に二回もやっていたため、微妙に肩身が狭い思いをする。しかもどちらも大怪我して保健室のお世話になっているくらいだ。


「大場副委員長もなにか言うであります!!今は包帯などの消耗品は高価であり、古着で作った包帯や自作消毒品ではどうにもならないことがあると!!!!」

「はいはーい、保健委員会副委員長二年A組のカンナヅキ・大場です。いやでも諭吉っち、多分消耗品のことよりも中々替えが難しい備品について説得した方がお得かもよ?柳生やんもそう思うっしょ?まあ減額に関しては大場も不満かなー」


 呑気な様子で立ち上がったのは三食団子みたいな柔らかさがある太めの体型をした青年だった。西洋絵画に描かれている天使のように天然パーマの髪、その色は黒蜜。垂れ目は抹茶色。全体的にお腹が空くような外見であり、真琴は和菓子が食べたくなってきたほどだ。

 しかしあまり覇気がない様子に苛立った諭吉はその柔らかい腹に鋭い肘をつき入れた。手加減はしていたのか、それとも柔らかい肉に阻まれたのか。肘を受けても大場は朗らかな笑みを浮かべたまま柳生の回答を待つ。保健委員会の飴と鞭だと、空海が小さく呟いた。


『備品に関しては別枠での申請を会計長の壱膳にお願いします。まあ君達の能力保有プレートでは最終予算案を奪うのは後の機会になると思うので、次いきます』

「ぐっ!!!!大場副委員長、機会を見て突撃するでありますよ!!今は忍耐の時であります!!!!」

「そういうの大声で真正直に言う辺りが諭吉っちの長所と短所だよね。まあ大場もお腹が減ったし、そういうことでしくよろー」


 憤慨しながら音を立てて座る諭吉。それとは逆に丸い体型であるが故に転ばないようにゆっくりと座る大場。そして懐から氷砂糖を取り出して食べ始めた大場に対して、諭吉はもう一度柔らかい腹に肘をつき入れた。もちろんダメージはなく、むしろ反動で諭吉の体勢が崩れたくらいだ。


「あの、空海委員長。あの二人はどんな能力保有プレートを?」

「諭吉は【万能細胞】というやつで、どんな箇所にも付着できて治癒を行える細胞を作り出せる。大場くんは【疲労回復】という、そのままの意味で触れた相手の疲労を取り除く。ただし怪我は治せないけどね」

「それは確かに……予算案を奪えそうにないですね」

「けど戦闘の際にあの二人が残るだけで効率がだいぶ変わる。特に僕達三年を中心に、大体の生徒が諭吉のお世話になってるよ」


 説明しながら空海は真琴が四月に行った決闘の時も、気絶している間に大まかの治療をしてくれたのは諭吉だと教える。それだけで真琴は思わず背筋をまっすぐにして、相手から見えないとはいえ諭吉に向かって深々とお礼する。ただし捕捉として骨折には諭吉の能力保有プレートは効果がないとも教えられた。


「はい、次!学級委員会委員長三年A組タナカ・太一!眼鏡を着けていない柳生よ、なんでこちらも減額なんだ!?文化祭の打ち上げを担当する身にもなれ、眼鏡を着けていないクソ野郎が!!!!」

『眼鏡至上主義からの暴言は慎むように。僕が伊達眼鏡着けたら前に気持ち悪い発言したから、君の前では眼鏡は着けたくないんだよ』


 柳生が呆れたように発言をした太一へと視線を向ける。濃い茶色の髪に埋もれるようにゴーグル、額にはサングラス、青緑の目を隠すように伊達眼鏡、さらに首には小型双眼鏡、胸ポケットには虫眼鏡という徹底した姿に、真琴は三年って別に地味ではないのではと疑ってしまう。

 よく見れば学級委員会のところには古寺もいるので、改めて知り合いが所属している委員会を知ることができたと真琴は新発見に心躍るのだが、空海は先程から深いため息をついている。まだ長くなりそうな気配を感じ取って、簡単に事が終わりそうにないと諦めの境地へと達しそうになっている。


「そ・れ・だ!!!!お前の眼鏡姿は最高だった!!この世全ての人類は眼鏡をかけるべきだ!!眼鏡最高!!眼鏡万歳!!眼鏡こそ人類が発明した宝!!!!」

「いやいや、話が逸れてますよ太一委員長。えー、学級委員会副委員長のナカジマ・藤木です。今年の退学数や停学数は去年よりも減少傾向にあります。予算が減らされる要因が見当たりませんが、この件に関して説明をお願いします」


 眼鏡について万歳三唱する太一をさり気なく他の学級委員所属の生徒に後ろの方へ追いやるように指示しながら、立ち上がって能力保有プレートを額に当てながら言葉を出していく藤木。その能力保有プレートには【代案浮上】と書かれていたので、今まさに代案を頭の中に浮かべているのだろう。

 清潔そうで好感の持てる容姿であり、整えられた黒髪に爽やかな色合いの緑色の目。女性から見たら胸が高鳴りそうな、運さえよければ芸能界入りしていそうな青年だ。歌って踊る仕事をしていてもおかしくない体型もしており、本人もそれを意識しているのか今流行の花の形をしたストラップをズボンのベルトから垂れ下げている。


『去年の文化祭の打ち上げが終わった後の領収書と与えた予算での差が大きかったため、その差分を引いた結果です。毎年打ち上げに関しては年度によって大きな差が見られるため、もう少し学級委員会ではそのことについて検討してください』

「……完全論破されましたけど、どうします?俺の能力保有プレートでは委員長の能力保有プレートが一番有効打ですけど」

「今こそ俺の眼鏡愛を世間に広める時!!くらえ、柳生!!お前は眼鏡を着けている俺への好感度が上がる!!」


 虫眼鏡が入っている胸ポケットから能力保有プレートを取り出した太一。そこに白い文字で書かれているのは【愛憎増減】だ。空海が説明するのが若干嫌な様子で、相手の好き嫌いを短時間だけ操作する類の能力だと告げる。所有者によっては今の太一のようなろくでもない使い方になる。

 しかし心に揺さぶりをかける類は避ける方法がない。だからこそ先程も教典の能力も武蔵にはあっさりと通じてしまった。明らかに嫌そうな表情を浮かべた柳生も、太一の言葉が終わる頃には蕩けた目でのぼせたように虚ろな笑みを浮かべた。


「さあ!俺にその最終予算案と判子を渡すがいい!!今年こそ予算をふんだくって打ち上げを豪華に!!!!」

「武蔵先輩、道隆先輩は会長を抑え込んで!!僕と壱膳先輩が判子と予算案を遠くに置きますので!!」


 茨木が咄嗟に手を伸ばして最終予算案の紙を奪い取る。そのため柳生の手は空振り、壱膳がその隙に三つの判子を回収する。武蔵が巨体を生かして柳生の背中から体重をかけて机に押し付け、道隆は暴れる柳生の両手を封じる。宮城は夢心地から覚めて、生欠伸をして上体を起こす。


「だったら次は壱膳さんに……いや眼鏡同志は駄目だ!ならば一年の」

「あ、今僕眼鏡かけたよー」


 やる気のない宮城の声だったが、眼鏡という単語に反応して太一が勢いよく視線を茨木から逸らす。しかし抱き枕を片手に笑う宮城は眼鏡など一切かけていない。むしろ片目を隠すように能力保有プレートをかざしているくらいだ。

 その能力保有プレートには【極楽浄土】と白い文字で書かれており、宮城と視線を合わせた太一は失態に気付く前に口から涎を流しながら眼鏡祭りと連呼を始めた。そして周囲に無闇に飛びかかっていくので、慌てて学級委員会全員で抑えつけ始めるが、眼鏡愛は筋力増加効果でもあるのか中々大人しくできない。

 一種の地獄絵図の仕上がりに、どこら辺が極楽浄土なのかと真琴は宮城に視線を向ける。しかし問題を一つ解決できた宮城は満足したらしく、既に抱き枕に体全体を預けて二度寝を始めていた。


「宮城君のは相手が望む物を見せて行動不能にするんだ。役に立つと言えばそうなんだけど、プレート持っている本人がやる気ないのが一番の問題かな」

「ちょ、これ収集つくんですか!?柳生生徒会長まだ暴れてますけど!?」

「うん、一旦幕を下ろして小休憩を挟もうか。まあこれからもっと大変だから頑張ろうね」


 死んだ魚の目をしている空海の指示に従い、壇上の幕を下ろす真琴を含めた風紀委員会の一年生達は全員が同じことを考えていた。予算会議、地獄の亡者会。その地獄はまだ始まったばかりだということを。六月の空気が生温かい。それ以上に嫌な予感が悪寒を呼び、背筋を大きく震わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る