二十一番:偶像

 六月四日。昼休み。スメラギ・真琴は何度も昨日見たことを一緒に昼食を嗜む覗見と遮音に話すのだが、一向に納得してもらえない。

 一階の女子トイレの扉に触れる小さな女の子の手。それは濡れていて、とても怖かったこと。そして男子校であるアミティエ学園に、女子生徒どころが女児もいないという事実。

 小ささで言えば教員のハジマ・万桜も年齢の割には若く見えすぎるが、さすがの彼女でも外見としては女子高校生、下手すると女子中学生である。真琴が見た手は明らかに小学生相当だ。


「主殿、疲れているようでござるな。そういう時は心機一転!!ときキスを勧めるでござる!!」


 意気揚々と恋愛ゲームアプリを勧めてくる覗見に対し、真琴は泣きたくなってきた。しかし食事は無事に喉を通る。男子高校生の胃袋は柔ではない。

 ただし真琴や覗見以上に、それでいてあまり脂肪がついていない体で次々と菓子パンを平らげていく遮音は、冷めた目で真琴を見ている。要は、なにを言っているんだお前、という視線である。

 学校生活が初めての身として、真琴は学園七不思議について昨日知ったばかりである。友情を学ぶために呼んでいる若者向け小説、ライトノベルの電子書籍を読んでいる真琴からすれば、前に見た学園物の季節ネタとして使われていた、というくらいしか知識はない。


「……ちなみに、ときキスでも学園七不思議とかそういうのあるの?」

「夏場の急接近フラグイベでござるな!!ここをどう攻略するかで卒業式エンドのルート分岐が決まるでござるよ!!」


 親指立てながら至高の笑顔を見せつけてくる覗見。全く参考にならない上に、フラグイベにルート分岐という謎の単語まで使われて、真琴は泣くのを通り越して溜息をつくしかなかった。

 窓硝子越しに外を見れば登校時に降っていた雨は上がっていた。ただし晴れやかな青空は顔を見せず、鉛に近い色を有した厚い雲がB1保護区のイケブクロシティ上空を覆っている。

 もう一雨来そうな、それでいて放課後には晴れそうな、という怪しい天気である。連日の雨と昨日の光景を合わせて、真琴は憂鬱な気持ちでいた。仕方ないので話の方向を少しだけ変えていく。


「ときキスは置いといて、アミティエ学園七不思議って具体的にどんな内容なの?」

「普通の怪談話でござるよ」

「僕にはその普通がよくわからないんだけど……」

「旧時代から伝わる内容とほぼ変わらないという意味だ」


 覗見のやる気のない言葉を補足するように、遮音が興味なさそうに呟く。旧時代、それは2030年以前を示す。真琴達が生きている2222年とは違うという区分で使われることが多い。

 だからといって真琴達が生きている時代を新時代と呼ぶことはない。鬼が蔓延り人を襲う環境。人々は保護区と呼ばれる結界と壁で守られた区域で生活を余儀なくされており、青かったはずの海も今は黒く染まっている。

 2030年の世界中を巻き込んだ大戦。その時の兵器使用によって環境は荒れてしまい、今も自然が元の姿に戻らないのは戦争と鬼が関係している。そんなことを衛星通信のネット放送で偉い学者達が画面越しに顔を突き合わせて議論しているくらいだ。


 下手すると平安時代に語られていた悪鬼蔓延る時代、というような環境であるため、良い意味で使われる新時代という言葉は該当しないのである。しかし暗黒時代というわけでもない。

 クローン技術や遺伝子改良による野菜や肉類の安定供給、紙幣や貨幣の価値を電子化することで資源の無駄遣いを減らし、書籍なども今では画面で見るのが主流である。それに慣れてしまった真琴としては、自宅にあった巻物はかなりの価値があったのではないかと、改めて恵まれた環境にいたのだと思い知らされる。

 なんにせよ旧時代に勝るとも劣らない時代。それなのに旧時代から伝わる怪談話がアミティエ学園にもあるのかと、少しだけ真琴は驚いた。


「アミティエ学園自体の歴史は古くてな、創立が2022年だったはずだ」

「あれ?それって今年で二百年記念なんじゃ?」

「大戦の時に校舎を破壊されて一時的に閉鎖したため、確か二百年記念は2224年に行うらしい」

「あー、そういえば中等部からの進学式の際にそう説明されたでござるな」


 高等部からの編入学性である真琴としては、その進学式について知らない。そのため初めて知る内容に、自分が高校三年生になる頃に創立二百年記念なのかと、少しだけ期待が膨らんだ。


「昔は共学だったが、鬼が女性を主に狙うことが発覚し、討伐鬼隊との補助と連携のために男子校にしたらしい。進学先や就職先も、そうやって絞っている」

「拙者も入学するなら共学が良かったでござるが、里には学校……いやあれは育成所であって違うでござるな。とにかく小学校はなかったでござるな」

「僕がいた保護区も家庭教師とか通信教育だったな。まず学校を作る土地自体が保護区の構成を考えると余裕がない、とか聞いたことがあるよ」

「……C5保護区以下にはまず教育する余裕がないという問題もあるとのことだ。家庭教師が雇える家とすると、A5保護区以上になるな」


 保護区にはAからDまでのランクに1から5の数字が付与される。A1ともなれば政府にとって重要な施設や機関、そこで働く人々などが住むことが可能だ。

 逆にD5となると貧困区という扱いであり、そこでは生活が難しい者達が集まると言われているが詳細は不明だ。というのも、生活が難しい者達、の判断基準が難しいのである。

 単純に働ける環境ではないのか、それとも人間が住むような場所ではないのか。詳しく知るには調べるしかないが、調べたところでその保護区へ移動することはほぼ無理なのは百も承知している。


 少しでも自然を保護しようという場所もあり、そういった自然保護区にもA1からD5とランク付けされている。収穫は少ないが広大な土地に植物が生えている、という保護区も風の噂で聞こえるほどだ。

 無人貨物リニアモーターカーが地中に結界を張った線路を元に運行しているので、物資がどこまで減少しているかも掴めない現状ではある。だが危機感を抱いている者は少ない。科学の発展とネット環境の充実がある程度の欲を満たしてくれるからだ。

 そんなことを考えながら昼食を少し早めに食べ終えた真琴は、なんだか最初と話がずれているような気がしたが、それも覗見の機嫌良さそうな声で忘却の彼方へと飛んでいった。


「そうでござる!!主殿のために、保護区アイドルの紹介をするでござるよ!!!!」

「……なにそれ?」

「ふっふっふ!やはり主殿がいたキヨミズシティにはいなかった存在でござるな……」

「こいつが興味なかっただけの話だと思うぞ」


 嬉しそうに電子学生証の中に取り込んだアプリの内、動画視聴アプリを起動する覗見。あまりそういうのに興味がない遮音は黙々と菓子パンを食べ続ける。

 真琴としては最近見たラノベの女の子同士がバンド結成して穏やかな日常を送るものがあったな、という程度の知識である。旧時代は地方巡業などがあったのか、と軽く受け流していた。

 嬉々として画面を見せつけてきた覗見の勢いに押されながら、真琴は画面に映った三人の少女を見つめる。中学生くらいの年頃であり、三人とも愛らしい容姿をしている。衣装も手作りらしく、それぞれの色を持っているように印象付けていた。


『全国のおねえちゃんにおにいちゃん、こんにちは☆イケブクロシティで絶賛活動中、夢への浪漫飛行で貴方のハートへずっきゅん!!保護区アイドルのサンシャインでーす!!』


 決め台詞なのかな。あまり聞き慣れない単語の羅列に女の子の可愛い声の組み合わせに、現実感が乖離していくような心地を味わった真琴は大人しく続きを見る。

 自己紹介を述べた少女は桃色の髪を二つに結っている。これがラノベで見たツインテールかと、初めて見る髪型に真琴は持ち前の知識で対応する。大きな瞳は淡い赤。笑顔で手を振る仕草が良く似合う少女だ。

 服の色も白と桃色で統一しており、あえてフリルは多用しないすっきりしたデザインの中学生の制服をイメージしたものになっている。胸元の大きなリボンは明るい黄色で、それが一層他の色を引き立てていた。


『はいはいはーい!お馴染み皆の妹、そしてサンシャインのボーカル&ギター担当、キリヤマ・愛莉あいりでーす!皆も一緒に、アイリンリン☆』


 決め台詞多いのかな。仕事として、アイドル像を膨らませるので大変なのかもしれない。アイドルって大変なお仕事なのだと、真琴は思わず同情する。

 もしもこれ全てを台本で覚えているとしたら失敗できないし、自ら考えて発言するならばどうやって好意を持ってもらおうかと悩むことだろう。人知れぬ努力を思い浮かべてしまい、真琴は自分より年下なのに頑張っているな、と少しだけ尊敬を覚える。


『こんにちは、皆さん。サンシャインのリーダー&ベース担当、モチヅキ・陽詩ひなたです。本日はご視聴ありがとうございます』


 礼儀正しい少女が穏やかな笑みを向ける。首筋までの長さのこげ茶の髪に軽くヘアアイロンをかけてふんわりさせている。フェアリーボブに近いが、それよりも自然な柔らかさだ。

 理知的な瞳は青。服も水色と白で統一しており、愛莉と呼ばれた少女と同じデザインである。他の少女よりも大人っぽく、身長などの発育も一歩先んじているようだ。真琴は少し恥ずかしくなって、なるべく大きな胸を見ないように視線をずらす。

 胸元のリボンは赤。ただし紐リボンと呼ばれる類であり、自己主張激しくないところが陽詩という少女の雰囲気によく似合っていた。


『よろよろー!サンシャインのドラム&賑やかし担当、キヌガサ・彩風さいかやんね!ウチ、めっちゃうるさいと思うけどよろしゅうにー!!』


 溌溂とした元気のいい少女は、明るい銀髪をポニーテールにしており、頭を振るたびに嬉しさを表現するが如く揺らしていた。瞳の色も少女に似合う亜麻色。前髪の長さを気にしてか、ヘアピンで軽くまとめている。

 服装は緑と白で統一しているが、他二人とは違って元気を表わすように上は袖なしパーカーだ。健康的な色合いの肌をした二の腕が曝け出されており、少女らしい細さを持ちながらも運動している者特有の筋肉も持ち合わせていた。

 胸元のリボンはないが、髪をまとめているヘアゴムに巨大な青リボンがつけられている。それこそ髪と連動して動くたびに大きく揺れており、下手すると犬耳のようである。


『それでは最初の曲はアタシ達のデビュー曲!ワンダフルスクール、いってみよー!!』


 そして始まる演奏と歌。それは明らかに苦しい練習を乗り越えた者にしか届かない領域の完成度。画面越しでも拍手しそうになったが、その前に真琴は気になることがあった。

 三人目の少女である。名前がどこかで聞いた覚えがある上に、髪色や瞳、長い前髪に独特の口調。知り合いを約三名混ぜて割ったらこんな感じになるのではないかという、疑惑が広がった。

 遮音もそれに気付いたらしく、菓子パンを口に咥えながら画面を横から覗き込む。気付いていないのはアイドルの可愛さを力説することに夢中になっている覗見くらいだ。ちなみに力説の半分は後輩系女子の魅力についてである。


「……僕、古寺先輩にメールで聞いてみる」

「どうせ病院で姉妹と思われる相手に会うくせに。そしてなんで目の前のオタクは気付かないのか。馬鹿なのか」


 遮音の冷めた罵倒に反論も同意もすることなく、真琴は密やかに電子学生証のメール機能を使う。そして覗見による覗見のための覗見が行ったアイドル力説は昼休みが終わるまで続いた。

 そして次の授業の準備を進めている内に気付いた。結局アミティエ学園七不思議についても教えてもらえなかった上に、昨日から疑問が多い予算会議についても全く触れなかったことに。




 そんな昼休みを体験した日の放課後。真琴はイケブクロシティの街中を歩いていた。ただし一人ではなく、二人である。そろそろ委員会に慣れてきた、という名目から校外活動を許可されたのである。

 風紀委員の目的は問題行動を起こした生徒の取り締まり、時には武力行使を用いた鎮圧。要は学生自身の手による自警団だ。アミティエ学園の生徒は普通とは違い、能力保有プレートを持っている。それは鬼に対して使うことが基本だが、別に私生活で使ってはいけないという規則はない。

 だからといって学校外での攻撃目的による使用は許可がない限りは禁則である。もちろん窃盗や盗撮などの犯罪に関しても同様である。そして学生の一日の半分は学校だが、もう半分は学外である。


 風紀委員では先生の目から逃れて犯罪に走る生徒を捕まえる許可を所属時にもらっている。もちろん現場証拠としての写真を撮ることや、決定的ではない状況においての暴行禁止などは課せられているが。

 そして校外活動は当番制であり、一日交替となっている。二人一組で行動することを義務付けられており、真琴の場合は遮音の双子の兄である紫音と組むように伝えられていた。そして今日が初の風紀委員校外活動の日である。

 しかし委員長である空海から言わせれば、一ヶ月に一回見つけるかどうかのことらしく、気楽に街中を散歩する程度でもいいと言われている。それに二人一組ではなく、十人五組で街中を見て回るのだ。


 イケブクロシティは東西南北のエリア、そして中央エリアと区分けされている。それぞれに特色があるが、真琴達が今日巡回するのはアミティエ学園もある中央エリアだ。

 一番問題が起きてもすぐに教師に相談することができる上に、歩く範囲としても申し分ない。一番大変なのが西の商業エリアであり、ここで窃盗が行われることが多いらしく、そこは一年生に任せるのは難しいとも説明されていた。

 なので真琴も気負うことなく紫音と行動しようとしたのだが、明らかに早足で進む紫音に置いてけぼりにされないようにするので精一杯だ。巡回を初めて三十分、ほぼ沈黙である。足音と息遣いの方が大きいくらいだ。


「し、紫音……これだとウォーキングというよりランニング……そして巡回の意味がないよ!」

「貴様と別行動ならばもう少しゆっくり歩く」

「二人一組で行動って言われたじゃないかぁっ!?」


 背中を見せたまま聞こえるように舌打ちした紫音。中々縮まることのない距離感に、真琴はどうすればいいのかと再度悩む。一時は距離が近くなった気がするのだが、それは錯覚だったのか。

 こういう時に覗見がいれば茶化して空気を和らげてくれるのだが、今日も図書委員会の仕事があるということで現れる気配すらない。遮音も保健委員で予算会議に関しての打ち合わせがあるとのことで、連絡することもできない。

 曇り空が淀んだまま重く停滞している。今日は夜空すらも見えないだろうと思う最中、学園の横を通り過ぎた際に声をかけてきた生徒がいた。


「ちょっと、そこのー!力仕事できそうな二人!!お駄賃あげるから手伝いなさい!!」


 口調に違和感を覚えた真琴と紫音は同時に立ち止まり、揃って振り向く。そのことに対してまたもや不快そうに舌打ちした紫音だったが、真琴が呆けたまま口を開きっぱなしなのを見て、改めて声をかけてきた人物を見やる。

 明るい紫色の目。黒と赤を組み合わせて全体にパーマをかけた髪。下手すると写真で見たとれたてワカメを頭に乗っけているようにも見えなくもないが、それでも青年の雰囲気に似合っていた。

 細身の顔立ちに細身の身体。革などの服が似合いそうな引き締まった体つきながら、どこか漂う色香。弧を描く唇にも紫色の口紅が塗られているが、それさえも自分の特徴として昇華している。


「えっと……僕達、ですか?風紀委員の仕事中なんですけど、ええと……」

「関係ないわよ!いいから手伝うの!ああ、アタシは美化委員会の副委員長、二年のハナミヤ・香織かおり。気軽に香織ちゃんでいいわよ!」

「え、香織先輩……」

「か・お・り・ちゃ・ん!!!!いやー、丁度良かったわー。アタシ基本的に汚れたくないのよー」


 語気強く呼び方を訂正しつつ、真琴と紫音の腕を掴んで引きずっていく香織。予想以上の筋力に、手伝う必要がないのではと思った二人。しかしその答えはすぐにわかった。

 昨日の雨で濡れた舗装地面の上に置かれた砂利袋。それが二つ。一袋の重さは見積もりで三十キロほどはあるだろう。それを笑顔で指差す香織からは有無を言わせない空気が漂っていた。

 お互いに視線を合わせた真琴と紫音、そして別方向で逃げようと足を動かした。その瞬間に、香織の長い足から繰り出された爪先払いによって、二人は一歩を踏む前に尻餅をついてしまう。


「アタシから逃げられるとは思わないことね。あーんな濃ゆい同級生に囲まれて、鍛えられていない、なんてことはないのよ!」


 赤いマニキュアが塗られた爪先で額を小突かれ、二人は観念して砂利袋を持ち上げる。そして香織を先頭に震える足を進め、目的地であるビニールハウスへと辿り着く頃には投げるように砂利袋を置く。

 そして麦わら帽子に首タオル、そして農作業用の服を着た青年が前に出てくる。旧時代懐かしの農家ルックであるが、その顔立ちとは大きくかけ離れすぎていて真琴は言葉が出てこなかった。

 腰まである長くまっすぐな髪色は銀、静かな光を湛える瞳は黒。華道や茶道などで和服を着ている先生、と言われたならば納得するであろう落ち着き方。首を傾げる動作にまで憂いと艶を持つ美貌だ。


「君はまた……こんにちは。三年生の、美化委員会の委員長であるミツイ・逆巻さかまきと申します。君達は?」

「風紀委員会のスメラギ・真琴です!」

「同じく。アイゼン・紫音」

「そうですか……彼がすいません。どうせまた汚れたくないとか言ったのでしょう。少しお待ちください……」


 どこか物静かすぎて浮世離れした雰囲気のまま、それでいて農家のおじさんのようにかけ声を出しながら腰を低くして物を探す逆巻。よく見れば髪の切り口もまっすぐで、まるでラノベに出てくる陰陽師のようだとも、真琴は見当外れな感想を抱く。

 目当ての物を見つけた逆巻は、もう一度野太いかけ声を出しながら立ち上がる。どうにも普通に喋る時の線の細そうな声と、かけ声を出す時の違いが大きくて、真琴だけでなく紫音も驚いている。

 そして差し出してきたのが栞である。しかも普通の栞ではない。瑞々しい花を本や新聞を使って水分を抜いて乾燥させた、今では貴重品の押し花の栞である。


「売れば金になります。同時に贈り物としても喜ばれるでしょう。手伝いのお礼はこちらで……あと君」

「もー、逆巻ちゃん!いい加減人の名前を呼ぶ癖つけてちょうだいな!名前聞く割には覚えないし呼ばないんだから、もう!」

「これからビニールハウス内の砂利敷き詰めは君一人でやるように。いいですね?」

「うぇー!?いやよ!!アタシは汚れたくな」


 明らかに不平不満を口にした香織に対し、逆巻は先程まで土いじりをしていて汚れた軍手を投げつける。人肌に温まっている上に湿った軍手は、良い音を立てて香織の顔に当たった。

 桜の押し花栞を貰った真琴は肩を竦ませて怯え、紫色のビオラの押し花栞を貰った紫音はなにかを悟り、さり気なく距離を取った。地面の上に軍手が力なく落ちた時、ぶつけられた香織の顔は汚れていた。

 しかし懐から即座に銀色の能力保有プレートを取り出し、それを顔前にかざした瞬間。香織の顔から土汚れは消えていた。真琴がプレートに書かれている白い文字を見れば【清廉潔白】とあった。


「さ・か・ま・き・ちゃ・ん?アタシの顔は乙女の命より重いわよ!!覚悟しなさい!!!!」

「安心しなさい。私の能力保有プレートならば、顔など、は元に戻せますよ。中身の歪みは直せませんけど」

「農家のおっちゃんみたいな恰好した女性恐怖症がなま言ってんじゃねぇわよ!!というか委員会の備品で栞作成してること仁王ちゃんにばらすわよ!!」

「残念ですね。その顧問の趣味で作っているので、無問題です!むしろそれを駄賃代わりに後輩をこき使う貴方の方が罪ありきなんですよ」


 口争いをしながら拳も足も出る喧嘩に発展し、これは私闘になると思った真琴は止めようとした。しかし他の美化委員会の面々が慣れたように首を横に振る。

 どうやら日常茶飯事らしいが、決闘以外での戦闘に似た行為や喧嘩は基本的に禁じられている。まだじゃれあいと判断できればいいが、香織と逆巻の場合はどちらかが怪我する可能性が大きい。

 やはり意地でも止めようかと動き出した矢先、アミティエ学園のすぐ横で衣を裂くような悲鳴が聞こえた。それは女性、しかも少女の声である。同時に複数人の男達の声も。


「紫音!」

「わかっている」


 一目散に白い塀に向かって駆けだす。高さは5メートルはある。それも紫音の能力保有プレートである【武器製造】を応用すればいいと、真琴は五月の交流会で体験した。

 足元の舗装地面から足場とも言える太い棍棒が伸びる。その勢いを利用して跳び上がり、軽々と塀を超えていく。そして落ちながら真琴が目にしたのは、酔っぱらった中年男性が少女を無理矢理腕の中に連れ込んでいた。

 他二人の少女は怯えながらも声を出そうとしていたが、恐怖のあまり身動きもできなくなっている。真琴は着地してすぐに中年男性の顔に掌底をぶつけた。


 勢いを乗せた掌底は破裂音に似た響きを伴い、中年男性の体全体を仰け反らせた。次に着地した紫音が腕を伸ばし、男性に引き寄せられていた少女の体を力任せに引き剥がす。

 少女の体をそのまま怯えていた少女二人の方へと放り込み、紫音と真琴は同時に身構える。よく見れば酔っ払いの中年男性の他に、車に乗っている若い男が数人嫌な笑顔でこちらを見ている。

 舗装道路の上を覚束ない足取りで後退した男性は、鼻頭を押さえる。血走った目で真琴を睨み、次に車の中にいた若者達へ視線を向ける。すると武器を持った二人が、車内から出てきた。


「アミティエ学園の生徒様か。能力保有プレートだがなんだか知らねぇけど、大人の世界に首突っ込んでじゃねぇぞ、おらぁっ!!」


 金属バットで舗装道路を叩く男は、耳につんざくほどの音を聞いて笑う。自分は威力ある武器を持っているという優越感だ。そしてもう一人が持っているのは火炎放射器だ。

 消火器を加工した武器のようで、少女達を脅すにしては大袈裟な気もした。しかし今は構ってられないと、真琴は舗装道路から作りだされた一振りの刀を手にする。

 紫音が能力保有プレートを使って作りだした武器であり、交流会の時にも似た物を作ってもらった。ただし今回は軽いことから、刃は作ってないと思われた。真琴としても一般人相手に鞘から抜こうなどは考えない。


「貴様は武器がないと役に立たなさそうだからな、ありがたく使え」

「いや、あれくらいだったら普通に撃退できるけど……心遣いも含めて受け取っておくよ」


 馬鹿にされたと思って怒鳴ろうとした金属バットの男だったが、その前に視界が反転する。一本背負いされたと気付く前に、地面にたたきつけられた衝撃で気を失う。

 技をかけた直後で隙ができた紫音へ火炎放射器の噴射口を向けた男だったが、攻撃の意思を見せた瞬間に刀の鞘先で顎を突かれていた。能力保有プレート【反撃先取】を使った真琴の攻撃である。

 手加減をしたので顎は砕けていない。それでも頭を揺らしたため、すぐには起き上がれない。次に走り出そうとしていた酔っ払いの足を紫音が払い、地面にうつ伏せにした後で刀の鞘先を背中に突きつける真琴。


 無駄な動きは一切ない鎮圧。あっという間に三人倒されたことに不利を感じた若者達は、思い思いの武器を手に車内から飛び出ようとした直後。車が一瞬で分解された。

 しかもただの分解ではない。パーツごとに整理され、舗装道路に並べられる。すぐに組み立てられるように配置された車の残骸。そして中に入ってた男達は足場を失くしてそのまま道路を転がる。

 約三人を積み上げて尻に敷く香織、二人ほど花壇の柵に使う鉄枠を持ち出して首を固定させて地面に這い蹲らせた逆巻。さらに約二人の増員が残りの男達が持っていた武器を分解、もしくは破壊していた。


 いきなり現れた二人の増員の内、一人は顔にガスマスクを着けており、排気口から零れる息の音が特徴的だ。顔面全てを覆うマスクではあったが、目の色は硝子越しで銀であることが見えた。

 マスクを固定するベルトで荒れてはいたが、白い髪は乱雑に切られているのがわかる髪型だ。機械油や錆で汚れた素肌の上に茶色の作業服。最早学生服すら着ていない潔さである。

 手には持てる限りの工具を掴んでいた。それを使って車を分解したのかと、真琴は素直に驚いた。ただしハンマーから垂れている赤黒い液体は機械油であることを願うばかりだ。


 もう一人は大柄な青年だ。筋肉質ではあるが、どこか中腰な姿勢。そして腰を擦っていることから、腰痛持ちであるらしい。穏やかな瞳の色は赤味の強い桃色だ。

 天然パーマな髪は赤毛。太い指が持っているのは針であり、針先には墨汁。もう片方の大きな掌には米粒が一つ乗っており、すでに細かい絵が描かれた形跡があった。

 繊細な作業を得意としているのかと、体の大きさからは考えられない器用さ。しかしガスマスクを着けている青年よりは朗らかで、優しそうな印象の青年である。


「この鬼才に不可能はなし!!さあ分解されたい愚民から前に出やがれ!!この鬼才の気が済むまで、分解、構築、そして分解!!!!この世の真理ってもんをみせてやらあっ!!」

「なんか騒がしかったんでなぁ、神楽かぐらどんを連れてきたっぺ。んで、なにがあったんだっぺ?」

「ああ。どうやら婦女暴行の疑いがありまして、まあ暴行容疑もあります。そうですよね、君」

「だから名前!!もー、神楽ちゃんに喜多きたちゃんまで……となると、この騒ぎを聞きつけてくるといえば……」


 逃げる隙を見ていた男達の前に、大柄な青年が現れる。赤い長学ランと番長帽子。歴代体育委員長だけが着ることを許された正装であり、使い込まれているが清潔を保たれている。

 日に焼けた肌の下は厚い筋肉、汗に濡れた黒髪、熱く燃える金の瞳。どう見ても高校生の容姿ではない、風格のある顔つき。しかし真っ直ぐな一本気質、そして誠実さは痛いくらいに伝わってきた。


「アミティエ学園三年B組ヒトツバシ・十文字。役員名は体育委員会委員長である。一体なんの騒ぎであるか?」

「あらー。ご愁傷様ねー。十文字ちゃんが来たならば、アタシ達はお役御免のようなものよね」

「……そうですね。花壇の整備など仕事は残っていますし、それでは……」

「え!?へ、ちょ、先輩方!?」


 十文字が現れたことを合図として一斉に解散する先輩達に戸惑う真琴。拘束する相手がいなくなったと考えた若者達は一斉に逃げ出そうとする。

 しかし十文字の背後に待機していた若侍に似た容姿のカジキ・祐助、外見だけは優等生のマナベ・実流、そして破天荒で知られるエゴコロ・若君など、体育委員会の面々がすぐに取り押さえていく。

 ただし若君の場合は力任せに取り押さえて、相手の骨を折ってしまう。悲鳴を上げた若者をむしろ保護するように、一緒に行動していた体育委員会の仲間が若君を遠くへ引き離す。


「己はいまだ未熟な身。ここで行われたことの全容を知ることはできぬ。しかし神聖なる学び舎の前で騒ぎを起こした者達を見過ごすわけにはいかぬ!!そこの一年生!!」

「は、はい!!」


 急に大声で呼ばれた真琴は背筋を正す。人の体奥底まで届く声、それは並大抵の努力では身に着けられない技術である。その声を聞くだけでどんな相手も意識を改めさせられるような強さがあった。

 だからといって厳しいわけでも、傷つけるわけでもない。どこまでも真面目。そして優しさを含めながらも、決して甘くない。人を正す者がいるとすれば、こんな声なのだろうかと真琴は感心する。


「今すぐ教師に報告!!万桜先生が適任であろう!!報!連!相!これを胸に留め、行動せよ!!あと若君は反省文二枚!!」


 なんだかんだで相手の骨を折った若君への罰も忘れない十文字。真琴は慌てて電子学生証を取り出し、風紀委員会の顧問でもある万桜へと電話をかける。


「佑助は用具委員会と美化委員会に後で事情聴取があると声をかけておけ。特に用具副委員長のイワナガ・神楽!!分解したら直せと伝えておくように!!」

「はい、かしこまりました」

「ついでに用具委員長のゼンザイ・喜多に、腰痛を労わっておくようにと。あまり無茶すると予算会議に支障が出ると忠告しておくのは大事だからな」

「同じ学年なんだから……いえ、伝えておきます」


 すっかり体育委員会が主導を握ってしまい、そして教師たち数人が駆けつけてきた頃。真琴は大事なことを思い出し、冷や汗を流し始めた。

 風紀委員として行動する際に、武力で鎮圧する場合は決定的な証拠、つまりは写真などが必要となる。その準備を忘れていた。真琴は密やかに祈りながら、横目で紫音の様子を窺う。

 しかし紫音も同じように冷や汗をかいており、横目で真琴に視線を寄越していた。同時に理解する。どちらも証拠となる物を確保しないまま、行動してしまった。明らかな迂闊に、声も出てこない。


「……え。ねえ、ちょっと!!聞いてるの、ちょっと!!」

「え!?あ、ごめん……あれ?どこかで……」


 意識が逸れている最中に声をかけられた真琴は、慌てて声がした方を振り向く。ただし頭の中はこれからどうしようという焦りで一杯だ。

 だがそれもすぐに切り替わってしまう。目の前で愛らしい顔を怒りに染めている少女。ツインテールに桃色の髪、そして背後にいた二人の少女も同時に見覚えがあった。


「あ!?もしかして颯天先輩の妹かもしれない人!」

「アタシを無視すんなやぁっ!!」


 思わず最初から気になっていた少女へと声をかけた瞬間、重い拳が真琴の腹に埋め込まれた。といっても少女の全力なので、かなり痛いで済んだのは不幸中の幸いである。

 真琴が蹲って腹を抱えている間に怒りで気が治まらない少女、愛莉は同じアイドルグループのリーダーである陽詩に羽交い絞めにされる。その間にマイペースな彩風が真琴に声をかけてきた。


「え?え?もしかして颯天兄はやてにいの後輩くんだったりするん!?わー、やっぱりこっちに逃げてきて正解やったわぁ!まあ、ウチとしては?古寺お兄ちゃんと颯天兄に助けられるのが一番の理想やったんやけどねー」

「あ、やっぱり……颯天先輩の知り合い、ぐふぅっ」

「ちょっと!!乙女のか弱いパンチ受けたくらいで低い呻き声出してんじゃないわよ!!アミティエ学園の生徒は強いはずでしょ、ちょっとぉおおおおお!!」

「あ、愛莉ちゃん落ち着いてぇええ!!どうもメンバーがすいません!!いつもはもう少し計算高くてしっかりした子なんですが、動転してるみたいで!!」


 何度も頭を下げてくる陽詩だが、彼女も動転しているらしく慰めかどうかわからない言葉まで出てきている。


「えーと、君はアイリンリンだっけ?知り合いに勧められて動画見たけど、かなり違うんだね」

「はっ!?あ、えーと……やっだなもー、おにいちゃんったら☆愛莉は皆のアイドルなんだゾ☆」


 なんとか立ち上がった真琴の言葉に反応し、思い出したように愛莉はアイドルスマイル、つまり営業用笑顔を浮かべる。さらにはサービスと言わんばかりの人差し指で優しく真琴の鼻頭を触れてきた。

 あまりの性格の違いに、むしろ鳥肌が立った真琴は思わず紫音の背中に隠れる。しかし紫音はそれが気に食わなかったので、力尽くで真琴を前面に押し出す。腕力では紫音の勝ちであった。

 アイドルスマイルを浮かべていた愛莉だったが、すっかり怯えた真琴に本性がばれたことを悟り、素顔になる。といっても普通の気の強い少女と変わらない、それでいて愛らしい顔立ちのままだ。


「そんなに怖がらなくてもいいじゃないですか。確かに殴ったのは悪かったですけど……」

「愛莉ちゃん。そこはちゃんと謝っておかないと駄目だよ」

「うっ……ごめんなさい。それと助けてくれてありがとうございました」


 少し落ち着いた愛莉は素直に頭を下げてきた。女の子には色んな顔があることを知った真琴は、たどたどしくもその謝罪を受け取る。

 ただしかなり恥ずかしかったらしく、膝を擦り合わせた様子で上目遣いで様子を窺っている。顔も真っ赤な上に、涙で目が濡れていた。真琴はそれを、本当に怖い目に遭ったのだと解釈した。


「どういたしまして。怪我はないかな?」

「私達は平気なんですが、マネージャーさんが殴られて倒れたのを放置して逃げてきちゃったんです……そうだ!マネージャーさん!!どうしよう、愛莉ちゃん、彩風ちゃん!!」

「ちょっと落ち着きなよ、陽詩!ね、ねえ……マネージャーさんが倒れた場所まで戻りたいんだけど、ついて……きてほしい……です」

「え!?どうしようか、紫音」

「……一人連れて行くぞ。道案内だ。貴様と他二名は先生の指示通り動いとけ。では案内を頼むぞ」


 そう言って紫音は慌てていた陽詩に声をかける。現在の彼女の状態ではまともに説明できないと踏み、とりあえず安心できる状況にしようという紫音の気遣いである。

 マネージャーの安否が確認できたならば、少女達の精神状態も安定する。だからこそ一番取り乱していた陽詩を指名した。そして陽詩が怖がらないように一定距離を保ちつつ、付かず離れずで走っていく。

 真琴はそれを見届けた後で近寄ってきた万桜に簡潔な報告をする。後に少女達の報告のおかげで真琴達の行動に正当性が認められ、反省文などの罰則が与えられることはなかったのであった。

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