十八番:帰途

 太陽が真上に登る頃、万桜に叩き起こされた真琴は目に痛いほどの光と、指先まで動かせないような疲労に大きな息を吐いた。

 肌の上にこびりついた土も汗が流していき、寝間着用の甚平は二度と使えない有様になっている。それでも右手から伝わる刀の感触に、昨晩の光景を思い出し始めた。

 五行鬼の襲来。妖鬼の出現。まるで悪夢のような現実を乗り越えた。真琴は慌てて起き上がり、周囲を確認する。そして絶句する。


 死屍累々。というにはやや大袈裟だが、真琴と同じように疲労で動けない生徒達がゆっくり動き始めていた。誰もが明け方まで走り回っていたのだから仕方ない。

 少しでも見知った顔を探そうとした瞬間、自分の右手側に紫音が安らかに寝ていることに、真琴は心の底から驚いた。懐いてない猫が自分の布団に入ってきたのと同じ気分である。

 左手側では大の字で涎垂らしながら寝ている覗見が、寝言でときキスのキャラクター名を呟いており、気が抜けるような心地に真琴は苦笑いする。


「おはよう、気分はどう?」

「茨木……」


 声をかけてきたのは特に汚れも傷もない、誰よりも綺麗な身嗜みをしている茨木だ。それでも朝方まで動いていた疲労で、目元は冴えない。

 いつもの和やかな笑顔に対して、真琴は言葉を詰まらせる。ずっと違和感がある相手だが、今抱えているのは茨木の言動と的確な行動についてだ。

 真琴は上体だけを起こしたまま少しだけ俯く。しかしすぐに赤い目に深紅の目が鮮やかな相貌を映す。まだ多くの者が起きていない今を好機だと信じて。


「遮音の能力保有プレート……知ってたよね?」


 真琴の問いに茨木は笑みだけを深くする。それは肯定であり、それ以上の説明を必要としないを意味していた。真琴は奥歯に力が入るのを感じた。

 五行鬼が襲ってきた時、茨木はあえて人数が多く危険の高い操作盤へ向かう面々に、遮音を入れた。それは遮音を信頼しての判断かと、真琴はわずかな勘違いをしていたと思い知らされる。

 茨木は遮音の能力保有プレートを信頼していたのだ。例えば敵の攻撃が真琴達へ向けられた際、遮音は盾になる。何度も使用できる生きて動く盾として、茨木は彼を配置させたのだ。


 それは操作盤へ一人でも多く進ませるため。少しでも速く結界を復旧させるため。茨木のその判断は迷いなく、的確であったが、非道であった。

 しかし真琴にはそれを罵る権利がない。実際に遮音のおかげで助かった場面は多い。妖鬼からの最初の一撃が遮音でなければ、死者が出ていた。理屈は通る。

 ただし納得できない。必要な犠牲であったのも、遮音だからこそ死者が出なかったことに対しても、真琴は良かったと済ませたくないと感じていた。


「僕は……俺は怒ってるから。茨木、君の選択は間違いじゃない。だけど俺はそれを正しいとは言えない!!絶対に、言ってたまるもんか!!」

「うん、良いと思うよ。僕はそんな正義感は大好きだ」


 操りやすくて、と茨木は続けなかった。言ってしまえば、真琴は嫌悪の視線を向けてくるだろう。それは茨木が望むことではない。

 嫌われるにも利用できる嫌われ方をされなくてはいけない。自分の命令には絶対に従えない、そんな強い意思が宿る嫌悪でなければ意味がない。

 なにより茨木は真琴には嫌われたくないのである。尊敬する父親に最も深い関係を持ち、親族として成り立つ相手は茨木にとって貴重なのである。


「でもね、僕から一つ言わせてもらえば……そんな大口叩きたいなら、もっと実力をつけなよ」


 しかし茨木は真琴を甘やかしたいとは思わない。遮音のことも、真琴は何度でも気付くきっかけや聞き出す時間はあった。それを怠ったのは真琴自身だ。

 他にも交流会関係でも真琴は多くのヒントを与えられて尚、多くの判断を鈍らせた。そんな相手が身内とはいえ口ごたえするのは、愉快ではない。

 真琴は強く噛み締める。たった一晩とはいえ、茨木との実力差がわかったのだ。誰よりも状況を判断し、的確な指示を出し、百人近い生徒を一人も死なせなかった。


 指導者としての資質。それは茨木が他の誰よりも群を抜いていた。それは認めるしかなく、真琴は改めて自分の有様を眺める。

 泥だらけの酷い姿。目の前に容赦なく襲い掛かってくる事態に対してその場での対応しかできず、無駄に走り回った証でもある。

 反面、茨木はほぼ汚れていなかった。もしも討伐鬼隊の白い隊長服を着たならば、茨木は鬼との戦闘の場においても眩しいほど輝いたことだろう。


 悔しくて泣く資格もない。真琴はまだそんな位置にすら立っていない。鬼に恐れて、判断を誤ったのだと怒られたばかりだ。

 茨木は笑みを浮かべたまま立ち上がり、荷物を取りに行くと言い残して去る。滑らかに歩いていくその背中を、真琴は見つめ続ける。

 三年で鬼と戦い続ける日々に身を投じなければいけない。そして茨木だけでなく、多くの人を超えなくてはいけない。その難しさに、真琴は考えることを放棄したくなった。


 見上げた青い空には厚い雲が浮いている。そして半透明の結界が異常もなく展開していた。それに守られているのだと、真琴は改めて実感する。

 もしもイケブクロシティの結界が、昨晩のオニオシのように異常な状態になったら。病院にいる小毬は、一般人である風花は、どうなってしまうのだろうか。

 そんな恐ろしいことに辿り着いた真琴は、自分の両頬を強く叩く。弱気になっている場合ではなく、そんなことにはさせないと強く意識する。


「討伐鬼隊の隊長に……なるんだ」


 悲しいことが多い世の中で、真琴は恵まれている環境にいた。そのツケが巡ってきた結果が今なのである。泣き言は口に出せない。

 だから別の言葉を呟く。揺るがないように、少しでも立ち上がる力となるように。高校一年の初夏、少しだけ暑い風が頭上を通り過ぎて行った。





 その後は激動だった。荷物をまとえ終えてすぐにマッハ速度の無人貨物リニアモーターカーに詰め込まれるように急かされ、オニオシ保護区の思い出を振り返る前にイケブクロシティに到着。

 五行鬼と出会ったことにより、全ての生徒が簡易診療所で健康診断することになる。さらに妖鬼と出会ったことにより、真琴を含めた四人は追加検査まで行われることになった。

 妖鬼の恐ろしいところは呪術によって遅行型の攻撃を仕掛けてくることだ。そのため専門の機械にて呪いの跡がないかを確認するのである。呪いの跡はX線で映るのかと、真琴は若干驚いた。


 直接的な攻撃は妖術、時間差での呪術。後者に関しては被害が広がることもあるらしく、真琴は少しだけ怯えながら検査を受けた。しかし結果は問題なしである。

 覗見や遮音達も呪いの跡は見つからなかったらしく、検査をしていた討伐鬼隊の医師も一息ついていた。例として呪いの跡という写真を見せてもらえば、まるで火傷と痣の中間のような刻印が肌に刻まれるらしい。

 しかし体内部の臓器や脳髄、眼球にも刻まれると聞いて真琴は鳥肌が立つ。さらに呪いが発動すると死に悶えるほどの激痛を味わうと聞いて、血の気が引くほどだ。


 刻まれた刻印の文字と形で呪いの種類も判別できるらしく、その内容次第で発動の時間と解呪時間も判明できるとのこと。今ではそこまで脅威ではないらしい。

 発動するのも最低二十四時間の時間を要するらしく、それで移動した後の検査になったのかと真琴は納得した。医師からの説明に真琴は二百年近い鬼との戦いで、いかに人間が抵抗してきたかを感じ取った。

 無事に検査を終えた真琴は寮に帰って疲れをいやすだけでいい。翌日の五月二十六日は振替休日であり、その日に行動してもよかった。しかし真琴は無理してでも会いたい人がいた。


 イケブクロシティの中央総合病院。連絡もなく訪れた真琴に対し、小毬は穏やかな笑みで出迎える。横にいた風花は彼女の額に冷却シートを貼りつけた後、飲み物を買ってくるといって病室を出ていく。

 淡い白の病室に陽射しが射しこみ、その暖かさに目を細める。白いカーテンが初夏の風で揺れており、中庭からは入院しているとはいえ遊び盛りである子供達の賑やかな声が聞こえてくる。

 小毬はベットから上体を起こした体勢で、手近の椅子に座った真琴の言葉を待つ。少しだけ言葉を探った真琴だったが、わずかに照れた様子で呟いた。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 本当にこの言葉で合っていたかと不安になった真琴だったが、小毬から澱みのない返事を受けたことで安心する。しかし急に恥ずかしくなって、赤面してしまう。

 知人の女の子に対して家族のように接するということ。同じことに気付いた小毬も頬を赤く染め、両掌で頬を冷まそうとしている。熱が高くなりそうだと判断し、ベット備え付けの棚から新しい冷却シートを出す。

 少しだけ沈黙が広がる。しかし気まずさはなく、真琴はゆっくりと顔を上げた。同じような表情を浮かべている小毬と視線が合う。


「交流会……慎也先輩が大活躍の意味がわかったよ。だから話していいかな?少し情けなくて、弱音を吐いちゃうかもしれないけど」

「はい。是非聞かせてください」


 真琴は少しずつ思い出しながら話し始める。初めて見る虫や同級生と苦労したカレー作り。温泉での出来事は思い出せずとも、にごり湯の気持ちよさは覚えている。

 夜に起きた鬼の襲撃や妖鬼の出現に、小毬は手に汗握る様子で真剣に耳を傾けてくれる。能力保有プレートによる武器が出現した話では、魔法を眺める子供のように目が輝くのだ。

 そして真琴は自分の判断ミスや情けないところも隠さずに曝け出す。鬼が怖くて動けなくなったこと、そのせいで同級生が危険な状態になったこと。悔しくて、今でも呑み込めない気持ちがあることさえも。


 胸の奥でわだかまる繊維の塊のような、色んな思考が糸になって解けなくなった感覚。納得できることと、納得できないことが同時に存在している。

 誰かのせいにしても意味がなく、自分のせいにしても解決しない。言葉にしても解消されるわけもないまま、心臓の上に違和感が残るような重さ。

 途中からは自己嫌悪で言葉が詰まるほどだ。どうやって表現すればいいのか、妥当な言葉も見つからなくなって、黒い空中に放り投げられているに近い気分。


「……俺さ、このままは嫌だな」


 一人称が変わったことに小毬は少しだけ驚く。しかし覗見との決闘を観戦した小毬は、きっと真琴の本心はそこにあるのだろうと察知する。

 別に仮面を被っているわけではなく、真琴にとって本音を出すということは重要なことなのだ。今まではそんな相手がいなかったということにもなるが。


「ここに来て、楽しいことばかりじゃないけど……嬉しいことだって確かにあったんだ。それを奪われるのは……嫌だ」


 イケブクロシティに来て、アミティエ学園入学して、一筋縄じゃいかない人々に出会って、真琴はいつしか日常となったそれらが大切だと気付く。

 優しい人ばかりではない上に理解できない人だっている。まだ見ぬ人、名前すらも知らない人だっている。それでも大事な命であり、いつかは笑顔を分かち合う人々かもしれない。

 鬼はそれを奪う。頭の中で反響する笑い声は、背筋に悪寒を走らせる。しかし体が震えることはあっても目を逸らすわけにはいかない。交流会での判断ミスを、真琴は忘れることはできなかった。


「鬼を倒す鬼になれ……か」

「え?」


 真琴が小さく呟いた言葉に小毬は疑問を向けるが、なにかに集中するように真琴は返事をしなかった。

 入学当初のいじめられていた時期を思い出して、真琴は万桜や未森に告げられた言葉に納得し始めていた。茨木が良い例だった。

 鬼を倒すために鬼と変わらない手段、仲間を犠牲にしてでも勝利を得る。あの冷酷な判断こそが必要なのかと思い始めた矢先に、小毬が困ったように問いかける。


「泣いた赤鬼って知ってますか?」

「知ってる……けど」

「私、真琴さんに似ている気がして……好きなんです」


 優しく微笑んだ小毬に対して、真琴は一瞬思考が止まる。小さな沈黙が挟まった後、二人同時に顔を真っ赤にして慌て始める。


「あ、その、童話が!!童話が好きという意味で……ああ、でも、その……真琴さんのことが嫌いなわけじゃなくて……むしろ……」

「いや、なんというか、別に泣き虫な訳じゃなくて、けどその……小毬ちゃん相手だと、話しやすいというか……」


 お互いの言葉が重なってしまい、耳に届く言葉は断片となって聞き辛い。またもや顔を真っ赤にしたお互いの顔を眺める結果になった。

 小毬は額に貼った冷却シートの効力が薄れていると、新しいシートを貼りつける。しかし上がり始めた熱が止まるところを知らず、湯気が出そうなほどに高まっていく。

 それに気付いた真琴は慌ててナースコールを押し、看護婦を呼ぶ。迅速に氷枕を持ってきた看護婦が一時的な物だろうと、若い二人の赤ら顔を見て穏やかな笑みを向けてきた。


「えっと……その……鬼さんになるなら、優しい鬼さんになってくださいね」

「う、うん……」


 小毬の言葉に気恥ずかしいまま頷いた真琴は、頬に集まる熱に浮かれて生返事になってしまう。それを病室の外から聞き耳を立てていた風花が、コーヒーコップを片手に溜息をつく。

 横では包帯だらけの古寺が苦笑しており、包帯自体は少ないものの怪我だらけの颯天も嘆息していた。中央総合病院の緊急病棟では若干の騒がしさが発生していた。


「で、どうするの?私は小毬ちゃんが心配だから病室に入るけど」

「……帰る。熱が上がった状態で、こいつの姿を見せて精神状態を不安定にさせるのは本意ではないからな」

「せやなぁ。ワイも会いたいのは山々なんやけど……この有様はさすがになぁ」


 古寺は腕や額に巻かれた包帯を指先で触りつつ、足に巻いた包帯が血で染まり始めたのを確認する。風花に背中を向ける姿も、どこか覚束ない。

 一歩進む度に痛みで顔を歪めてしまい、息も荒いまま吐き出してしまう。颯天も似たような状態のまま唇の横を覆う大きなガーゼの具合を確かめている。

 満身創痍な二人に小声で別れを告げ、風花は病室へと入る。照れて気まずくなりかけていた二人は、救世主が現れたと満面の笑みを浮かべる。風花は古寺達と出会ったことは告げず、真琴に交流会の話を続けるように促した。




 イケブクロシティには大きな館がある。それはアミティエ学園の横に昔から存在し、保護区内では一番の権力者が住むと言われている。

 使用人も多く在籍しているが、彼らは今大きな混乱の中にいた。侍女の一人が救急箱を片手に様子を窺っており、赤い絨毯の部屋を廊下から眺めていた。


 アミティエ学園の学園長であるリー・梁は目の前の出来事に素直に驚いていた。まさか甥である生意気で可愛くない茨木が抵抗もせずに殴られたのである。

 しかも殴った相手は彼の部下とも言える紫音なのである。肩を上下させ、息を荒げている姿は怒った獣と変わらない。かなりの威力があったらしく、茨木は唇の端から血を流していた。

 床に座り込んだまま動かない茨木の襟元を掴み、揺さぶるように起き上がらせる。珍しい喧嘩の光景だが、残念ながら梁は最初から止める気はない様子のまま茶柱が浮かぶ湯呑を眺める。


「俺を利用するのはいい!しかし遮音を利用するな!あの時は素直に従ったが……お前はどこまで見通して、あの指示を出した!?」

「そんなことで怒って殴ったのかい?」

「答えろ、茨木!!」

「……はあ。あの斐文とかいう男が関わった時から、危険とは考えていただけ」


 渋々と答えた茨木に対し、反応を見せたのは梁の方であった。懐かしい名前が出たものだと、昔を思い出して一人頷く。

 紫音は意味がわからないと怪訝な顔をする。斐文というのは小学生のような外見の、同級生だという認識しかない。それ以上の情報を紫音は知らない。


「確か矢吹先生の同輩……生きていれば同い年の三十路前が若者の中に紛れているんだよ。どう考えても嫌な予感しかしないじゃないか」

「……は?」


 聞こえてきた内容が理解できず、紫音は疑問の声しか出なかった。矢吹という男は、一年A組の担任。ぼさぼさ髪と無精ひげの似合う適度に大人な男だ。

 そんな男と外見小学生の斐文が同い年、と聞かされてもすぐには納得できない。なにより何故、茨木はその事実を知っていながら黙っていたのか。

 紫音が戸惑っているおかげで怒りが沈下していくのを感じた茨木は、荒々しく襟元を掴んでいた紫音の腕を払いのける。そして叔父である梁にきつい眦を向ける。


「学園長先生はなにか知っているんじゃないでしょうか?」

「わざと仰々しく言うのが本当に……私だって今初めて彼が活動していることを知ったよ。おかげで長年の謎も解けたけどね」


 苛ついた様子の茨木に八つ当たりされ、梁は涙目になりそうなのを堪えてお茶を啜る。しかしその行為は茨木の神経を逆なでした。

 大股で近付いてきた茨木が急須が乗っている執務机に音を立てて手を置く。大きな音と衝撃で急須は倒れそうになり、整えられていた資料本が数冊ほど絨毯の上に落ちる。

 お菓子の芋羊羹を口に含みながら、梁は敵意が込められた深紅の目を見つめる。顔はやはり梁にそっくりだが、行動や態度が若さに溢れていた。


「なにを、知っているか、って聞いているんですけど?」

「能力保有プレート【幽霊実在】というのを斐文くんが持っていたことと、彼は八年前に死んでいることくらいかな」


 世間話をするように呑気な調子で梁は言葉を出す。ただでさえ茨木の言葉さえ呑み込めていない紫音は、さらなる混乱の中に突き落とされる。

 矢吹は現在二十八歳。それと同い年という男が八年前に死んでいる。となると享年二十歳ということになるが、外見はどう見ても高校生より下である。

 アミティエ学園を卒業して三年で死んだ計算になるが、まずは何故死んだ人間が目の前で動いているということだ。紫音は深まる疑問の波を前にして沈黙するしかなかった。


「というかさ、なにかあるごとに私に黒幕疑惑を押し付けるのは止めてほしいんだけど。姉さんとは違うんだからさ」

「そういうどうでもいいことは心底興味がありません。問題はあの男はなにを企んで、交流会の行事に介入したかってことです」

「だから私が知っているのは先程の二つだけだよ。目的も行動理由も、あらゆる物事が新発見状態なんだ」

「ならば彼の能力保有プレートについては判明した事実がある、ということでよろしいですか?」


 なんでこんなに可愛げのない風に育ったのか。梁の心情も知らずに、茨木は問い詰める手を止めない。浮いていたはずの茶柱は消えてしまった。


「まずは能力保有プレートの起源が曖昧なせいもあるんだけど、開発者である三葉博士がオリハルコンの調達は別として、どこで能力を保管していたかに疑問があるのはわかるよね?」

「ええ。煌家の結界技術を科学の領域まで押し上げた彼には謎が多い。電力の基盤である人工エネルギー物質のエリクサーと副産物の鉱石変化を促す賢者の石、他にもあり得ないと言われる要素が彼には詰め込まれている」

「彼に関してはこんな噂がある。彼は狭間と呼ばれる別次元空間にあらゆる情報を詰め込んでいると。一説では電脳空間に漂わせている架空情報館ではないかと」

「実証されていない噂に流されるとは。大体、それとこれとは関係ないでしょう。まさか誤魔化そうとしてませんか?」


 本当に生意気に育った上に知恵までつけては手に負えない、と梁は若干遠い目をする。血縁上の父親である男の顔を結界越しの青空に浮かべる。

 自分への意味のない敵意は父親譲りなのかもな、ということは口にしない。それは梁にとっては面白くないことであり、茨木を喜ばせるだけだった。


「しかし彼が個人所有の情報書庫データバンクを持っていたのはほぼ事実だよ。そして能力保有プレートに刻まれた能力は、そこで管理されていたはずだ」

「それが能力保有プレートの起源だとして、斐文という男に一向に繋がらないのは怠慢だと思いませんか?」

「まあまあ。で、管理されていた能力っていうのはぶっちゃけると、鬼を倒すのに必要である、というわけではない。実際、私の能力保有プレートがそれを実証している」


 梁は懐から銀色のICカードサイズのプレートを出す。白い文字で【全力無効】と書かれたそれは、茨木にとっても馴染み深い物であった。

 全ての力を無効にする。鬼が侵入しようとする力やミサイルの爆発からも身を防げる。ただしその能力で鬼を倒すことは不可能である。

 茨木も頭の中に覚えている限りの能力名を並べる。確かに大抵は鬼を倒すのに必要ではない物ばかりであり、茨木は鋏と馬鹿は使いようと割り切っていた。


「そして重ねて告げるとなると、中には生前で発動する必要のない能力もある、という可能性が出てくるわけだ」

「……それは意味がない。大変非合理じゃないですか!?」

「当たり前だろう?三葉博士が管理していた能力は恐らく、鬼を倒す以外の目的で保管していた、という理由が大部分だと思われるからね」

「じゃあもうそれでいいです!!結局あの男の能力はどんな意味があるんですか!?その一点に集中してください!!」


 痺れを切らした茨木が大声で怒鳴る。横で話を聞いていた紫音も半分理解が進まないまま頷く。梁は察しが悪いと小さく溜息をつき、面倒そうにつぶやく。


「幽霊が実在していると証明する。それが斐文くんの能力保有プレート【幽霊実在】であり、死後に彼自身が幽霊として実在する、ということさ」





 指先で能力保有プレートを器用に回しながら、斐文はアミティエ学園の校庭に浮いていた。普通の生徒が通りかかれば、少しだけ違和感を覚える程度の浮遊ではあるが。

 そんな男を前にして、矢吹は何度も顔を上げては信じられない様子で顔を俯かせるのを繰り返している。表情は苦悶に満ちており、再会の喜びなど何処にもない。


「おかしいとは思ってたんだ……真琴の口からお前の名前が出るし、昔御門と一緒に交流会の後で仕組み調べた機械の配線組み換えに……」

「気付くのおっそいなー。まー、なにがしも姿を見られないように行動していたから当たり前だけど」

「その一人称もなんだ?お前はそれがしだったじゃないか……いや、その前に一つ。お前はなんで生きている!?」

「いやいやー、ちゃんと死んでるよー。大体普通の人間は浮かないでしょ」


 そう言って斐文は空中で膝を抱える。体育座りのように、膝に頬を預けてのんびりした様子で矢吹を見つめる。そこだけ重力が消えたような不可思議。

 矢吹は膝を地面に落とし、両掌で体を支える。四つん這いの姿のまま、苦悩に満ちた声を吐き出そうとして失敗する。苦しいほど熱い息だけが心臓を往復するように排出される。

 少しずつ日が落ちていく最中、真っ赤になっていく校庭の地面に人影は一つだけ。それは少しずつ伸びていき、矢吹の目の前を暗く覆っていく。


「俺のせいだ」

「違う」


 絞り出したような矢吹の声に、明快な声がぶつかる。空中に浮いたまま、斐文は顔を近付けさせる。しかし矢吹は顔を上げないまま、首を横に振る。


「あの時……俺が油断して御門に声をかけなければ、お前が死ぬことなんてなかったんだ」

「某が死んだのは鬼のせいだよ。なんで矢吹はそうやってすぐに自分の責任にするかなー。そんなの重いだけなんだけどなー」

「……」

「って、そういう話をしたかったんじゃないの!もー、こっちは時間が足りないっていうのに!!」


 黙ってしまった矢吹の頭を何度も力ない指先で叩く斐文は、頬を膨らませながら改めて地面に降り立つ。どこか薄い印象の足元を、矢吹は眺める。

 どこか現実と解離させていいるのを証明するように、目の前の幽霊には影がなかった。手にしている能力保有プレートの影は、地面の染みのように浮かび上がるというのに。


「某が姿を現した理由は二つ。一つは怜音隊長と尊隊長が挑んだ南の離島について!もう一つは期限切れが迫っていること!」

「怜音隊長……お前は、知っているのか!?あの人が狂った理由も……修羅になったことも!?」


 切羽詰まりながらも顔を上げた矢吹に対し、斐文は深く頷いた。かつて討伐鬼隊で計画され、実行に移し、失敗に終わった大規模の討伐作戦。

 南の離島。鬼の発生源や起源とも言われているが、定かなことは誰も知らない。黒くなった海の向こうに存在し、悪鬼羅刹王が城を作り上げたという噂まであるほどだ。

 多くの優秀な隊員が失われた事件としても語り継がれており、八年前とはいえ矢吹にとって当時のことは強く印象に残っている。尊敬していた隊長二人を同時期に失ったのだから。


 そして二人を失う少し前に、斐文という男が友人二人を庇って死んだのと同じ年である。


「全部ってわけじゃないけど、矢吹達よりは知ってるつもり。でもね、今の某からその情報を提供するのは推奨されない事態なんだよ」

「どういうことだ?あの時は色んな事がおかしかった!政府の上層部の動きも、計画に携わった多くの隊員が除名や不慮の事故が続いていた!なのに阻害されているように、能力保有プレートを使ってもわからないことばかりだ!」

「だろうねー。じゃあこう考えよう。誰かが能力保有プレートを使って秘匿している。矢吹の【結果発表】を打ち消すほどのね」

「斐文、お前はなにを知っているんだ!?それに期限切れに推奨されない事態って……」


 目の前の男の肩を掴もうとした矢吹だが、その体をすり抜けたことにより目の前につんのめるように倒れる。振り返れば、上空に浮かぶ結界のように半透明の斐文が背中を向けていた。

 少しずつ夜闇が迫ってくる。それに掻き消されそうな勢いで、斐文という実像が朧になっていく。それだけではなく鹿撃帽子がニット帽に変化したかと思いきや、赤い制服が黒い隊服にも姿を変えていく。

 法則のない外見変化を繰り返し、最後に斐文は矢吹にとって見覚えのある姿に落ち着く。改造された赤い制服は昔に何度も先生に怒られたことを、笑いながら受けていた時の証。


「……なにがしは色々混じり始めてるんだ。幽霊を実在していると能力保有プレートで証明するっていうのは、某だけではなく他の死人の意識や記憶も実在させちゃうんだ」

「まさか……一人称が変わったのは……」

なにがしはもう昔の斐文それがし通りじゃないってこと。最近は物覚えも悪くなってねー、年かなー、とか笑えなくなってきてる。嗜虐趣味とかなかったはずなのに、若い子をいじめたいとか年寄りの考えだよねー、なんて馬鹿みたいだ」


 斐文の指先では器用に能力保有プレートが角だけで回り続けている。白い文字で書かれた【幽霊実在】を見て、矢吹は声を失くしていく。

 そのプレートを空中へと放り投げた斐文は、矢吹に背中を向けたまま声をかける。しかし矢吹はプレートに気を取られて、その背中を見失う。


「某の自己崩壊まであと三年。真琴くん達が卒業する前に、南の離島を目指して!」


 落ちていくプレートを目で追っていたはずなのに、瞬きの間にプレートだけでなく斐文の姿も消えていた。校庭には太陽の恩恵など何処にも残っていなかった。

 ただ生温かい風だけが頬を撫でていき、矢吹は振り返ってみたがそこには誰もいない。ゆっくりと立ち上がりながら、矢吹はポケットから電子職員証を静かに取り出す。

 そして馴染み深い相手へと電話をかける。今も討伐鬼隊に在籍し、誰よりも強く鬼の殲滅を願う友人。誰よりも一歩先に南の離島へと近付ける地位に座る男。


 交流会が終わり、五月も姿を消していく日。死者幽霊が動き始めたことにより、刻限が定められたことを知る者は少なかった。

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