十七番:共闘

 黒い、道もない林を駆け抜ける。猿と黒板の音を引っ掻くのを混ぜ合わせたような声が響く。それが鬼の声だと、真琴は冷や汗を流しながら吐き気を覚えていた。

 鬼を退けるはずの結界が正常に機能していない。B4保護区オニオシ、現在はリー家所有の私有地であり、壁の内側にいるのは数人の教師と百人以上のアミティエ学園の生徒である。

 真琴は茨木の指示により、紫音、遮音、覗見の四人で行動していた。侵入しているのは鬼の中でも最弱と呼ばれる五行鬼。それだけで生徒六人は既に戦闘できない状態へ追い込まれている。


 鬼と戦った経験などない、能力保有プレートを所持していても対等かすら怪しい。そんな一年生が集まった学年別交流会で、偶然、などあるのだろうか。

 先輩である古寺の助言、矢吹を含めた教師達の行動、そして茨木の冷静な対応。最初から仕組まれていたことなのかと、真琴は嫌な考えに行き着く。

 しかし振り払うように頭を左右に動かす。今はただ聞こえてくる悲鳴と、襲い掛かる恐怖を根絶することこそが最優先事項だ。だからこそ保護区の象徴である壁へと向かう。


 そんな真琴の必死さも養護教諭である未森の料理をツマミに酒を飲んでいる教師陣は気にしていなかった。顔を真っ赤にした桐生は絡み酒として万桜の首筋に抱きついている。

 未森は暑がって下着姿になりながらも塩気の多い野菜炒めを作り、夕鶴は酒注ぎ役となった杏里にグラスを向ける。未成年である二年生の武蔵だけオレンジジュースを飲み続けている。

 数分前に矢吹はトイレに行くと言ったきり戻ってこない。酔っている様子はなかったため、電子煙草でも吸いに行ったかと誰も深く考えていない。


「アベベべべべべべ……えーと、ね。今の五行鬼の数はぁ、侵入している数を計測すると五十六……去年よりはいいんじゃない?生徒二人で一匹殺す目標だし」

「去年は二百の大台にいきましたからな。武蔵殿を始めとして、二年生の能力保有プレートは攻撃的なのが功を奏したので良かったようです」

「うふふふぅ……僕なんかぁ【数字演算】だからぁ、大昔に同級生から役に立たないと罵られたよぉ!知らんがなぁ!!」

「貴様の絡み酒は本当に面倒だな、桐生。今年の一年教師は戦闘に役立たない奴らばかりだ。二人しか役に立たんとは、異常事態が起きたらどうする気なのだが……」


 笑いながら頬を摺り寄せてくる桐生の顔を鷲掴み、万桜は溜息をつきながら干し肉を齧る。その塩気でさらに酒が進み、慌てて杏里が酒瓶を持って近づいてくる。

 黒の紐とレースだけの下着姿の未森は皿に乗せた野菜炒めを両手に持ち、毎年のことながら酷い有様だと、他人事のように外を眺める。五行鬼が睨んでいるが、教師達がいる建物には近づかない。

 簡易結界発生装置。保護区内でも教師たちの宿泊施設にだけ設置された道具により、生徒達とは違って彼らには余裕がある。しかし武蔵はグラス片手に違和感に気付く。


「しかし今年は誰もこっちに助け求めねぇな。去年は颯天を走らせて、先生達だけ狡いと大騒ぎしたってぇのによぉ」

「そういえばそうですね。桐生先生、数はどうですか?侵入した鬼は?」

「ん~……っとぉ……武蔵くん、出る準備。未森先生も服着て。いやー、万桜先生の勘は当たるから怖いな」


 目が覚めたかのように桐生は真っ直ぐ立ち上がる。その顔には酔い潰れた気配などなく、普段の天使のような愛らしさもない。ただひたすらに真剣な表情のまま、鬼達を睨む。

 その言葉に武蔵はサングラスの位置を直し、未森も十秒もかけずにワンピースと白衣を着る。杏里が一瞬にして変わった空気に追いつけない中、万桜は戻ってこない矢吹を探す。

 しかし屋内に矢吹の気配はない。そういうことかと納得し、杏里を手招きして討伐鬼隊への緊急連絡を準備するように伝える。それだけで杏里は顔を蒼白にした。


「妖鬼の侵入を確認。教員は二年A組トウゴウ・武蔵副生徒会長を筆頭に生徒達の安全確保を優先とする。杏里事務員と万桜先生は待機。矢吹先生が戻り次第、能力保有プレートで予測を」


 桐生の澱みない言葉に全員が頷く。予想できなかったわけではない。しかし予定外である鬼の出現に、生徒達の安全性は格段に下げられた。





 火鬼はまだいい。炎の体は、暗闇を照らす上に所在もわかる。しかし水鬼と土鬼、木鬼は風景に溶け込む。金鬼は足が遅いらしく、背後から迫る重厚な音でわかる。

 特に水鬼は透明で冷たい水の体をしている。温度の揺らぎを肌で感じていなければ、接近すらも判別できない。しかしどの鬼にも共通している気配が一つだけあった。

 視線。それに近い感情の放射。五行鬼は目で物質を捉えているのではない。それを授業で学んだ真琴だが、改めて実感するのは複雑な感情が重圧のようにぶつけられていることだ。


 鬼は人の感情に反応すると言われている。だから動物には反応しない。まるで蝙蝠が発する超音波のように、鬼は跳ね返ってくる感情の波を捉えているという。

 画面に浮かぶ教科書の文字を見た時は、そのままとしか受け止めなかった。しかし二度目の鬼との邂逅、多くの人間と関わったからこそ理解できる。鬼は壁越しでも人間を捉えて逃さない。

 木の陰に隠れても、岩に身を隠しても、的確に迫る存在。強い敵意、好意、興味、あらゆる感情を混ぜ合わせたような線が自分へと真っ直ぐ向けられている。


 例えば覗見が能力保有プレートを使って多数の立体映像を出そうとも、鬼は惑わされない。紫音の能力保有プレートで壁のような盾を出しても、鬼はそれを乗り越えてくる。

 感情的な機械。もしもそんな異質な物があるとすれば、鬼が該当するだろうと真琴は思った。黒としか認識できない林の中、槍の刃先をいくつも向けられている気分で、壁へと向かって走る。

 昼にはケイドロなどで走った道のはずなのに、月明かりが届かないだけで知らない場所へと変貌する。汗を冷やす初夏の風が生温く感じて、鼓動だけが急ぐように音を大きくしていた。


「主殿、木に近付いてはならぬ!」

「だ、いじょうぶっ!!」


 頭上を通り過ぎた蔓を確認することもなく、木鬼へと反撃を先取る。手にしていた刀は常に抜身のまま、鬼の角を斬り落とす。視界の端に漂う砂も無視して、勢いをつけたまま地面へと着地する。

 地面から土鬼が手を伸ばせば、紫音が土中から引きずり上げるように刃の壁を作り上げる。角だけでなく体ごと斬り刻まれた鬼は悲鳴を上げることもないまま姿を消す。

 覗見と遮音は視線を動かして周囲を探る。水鬼が近づけば、大声で知らせる。水の塊に閉じ込められてしまえば、一分も経たない内に動けなくなるからだ。


「紫音殿、中々やるでござるな!拙者の中の好感度が1アップでござる!」

「全く嬉しくない!口より目を動かせ!!」

「壁が見えてきた!真琴、お前の能力保有プレートを応用して先にっ」


 遮音の言葉が唐突に途切れる。首と胴体が離れていく光景が薄暗く、振り返った真琴には一瞬なにが起きているか把握できなかった。目に見えない攻撃、など理解できる類ではない。

 怒鳴っていた紫音も、茶化していた覗見でさえも足を止めた。ゴムボールのようには跳ねない。重い肉が地面に落ちる音は、どんな解釈をしたとしても綺麗になるものではなかった。

 その刹那の隙に、黒い炎が壁の上から雨のように真琴達へと向かって落とされた。土も、木も、水も、あまつさえ同じ炎である火鬼の体さえも燃やす黒い炎は、引火することもなくその場で燃え尽きた。


「あちゃー。まさかこんなに弱いとは。虐めてあげたいとは思ったけど、これはこれで困るんだよねー」


 呑気な少年の声に驚く暇もなく、真琴は自分の体が浮いている異常事態に目を丸くする。隣では覗見が超能力の類かと騒いでいるが、紫音は遮音の体を抱きしめたまま黙っている。

 片腕で体を抱え、もう片方の手では金髪を紐代わりに頭を掴んでいる。そのことに反応することもできないまま、炭となった場所を眺めて真琴は絶句した。


 捻じれた二本角の鬼。猿の体、背中に甲羅を付けており、まるで人間のように襤褸切れの布で体の一部を隠している。尖った歯を見せつけながら、その鬼は口を開いた。


「ワガエモノヲヨコドリスルカ、ヨミノモノヨ」


 言語。それは五行鬼や病鬼にはない機能。そして複数の角が、異様な出で立ちが、目の前の鬼の正体を明確にしていく。浮遊感が消えたと思った矢先、真琴は地面に尻餅をつく。

 そして見上げるのは鹿撃ち帽子の位置を直し、指一本で器用に能力保有プレートを回転させる斐文。赤い改造ブレザーが風に煽られ、暗闇の中でも存在感を主張している。


「あ、やっぱ妖鬼にはなにがしのことわかっちゃうかー。しかもかなりの言語達者ということは、年季の入った鬼だね。用意したかった鬼としては及第点かな」

「斐文?なにを言って……」

「壁にある結界発生維持装置の操作盤、そこに取り付けられた機械のスイッチを切り替えれば結界の異常はなくなるかもね。と、助言だけは残しておくね」


 言いたいことだけ告げて、斐文という少年の姿は消えた。煙のようにではない。一瞬の消去。真琴は追いつかない頭を整理したかったが、目の前の妖鬼は待つということを知らない。

 今度は金で構成された剣が妖鬼の周囲に浮かび、その刃先を真琴達へと向けてくる。防御をしようにも、刀では太刀打ちできない。そうとわかりながらも、真琴は両腕を顔の前で交差させる。

 紫音の舌打ちが盛大に響いた直後、全く同じ意味合いの違う舌打ちが真琴の耳に届いた。そして視界の端を高速で横切った金色に、真琴は理解を放棄したくなった。


 投げられた遮音の生首は妖鬼の顔に当たっただけではない。ものの見事に捻じれた角の一本に突き刺さり、それに苛立った妖鬼は浮かばせていた剣で首を細切れにする。

 地面に落ちた肉の破片を足裏で踏み潰す頃には、真琴達の姿は消えていた。それでも動く四つの気配を感じ取って、妖鬼は悠々と林の中を歩いていく。背中にある大きな甲羅が邪魔して、走れないのである。

 そんな妖鬼の事情も知らないまま、真琴は紫音に首根っこ掴まれて引きずられるように走った。前方には驚きつつも無言で走る覗見と、首筋に血の跡を滲ませながらも平然と走る遮音。


「な、なんで頭!?え!?頭なんで!?」

「やかましい!せっかくの好機を臆病で不意にしやがって!」


 いつもより荒々しい紫音の声に真琴は涙目になる。疑問は解消されないまま積み重なり、生きていたことを喜ぼうにも状況が許してくれない。

 暗闇の中でも白く浮かび上がる壁に向かって走ることに躊躇いを覚えながら、真琴は紫音の手を振り払って自分の脚を動かす。今も震える手の中で、刀の柄が汗によって色濃く、その赤を血の色へと錯覚させる。

 心臓が止まるかと思った。しかし動いている今も実感は湧かない。呼吸が上手く整えられないまま、か細い糸に操られているように手を前に出す。


「遮音!説明してよ!」


 自分の悩み全てを解き明かしてくれるのではないか。そんな望みを抱きながら声を出した真琴は、背中にぶつかった木の衝撃に息を詰まらせた。

 眼前には真琴の襟を力強く掴んで木へと打ち付けた遮音の冷たく鋭い視線。顔は暗闇の中だけではないという理由の青白さ。冷や汗が首筋の血を地面へと落としていく。


「俺に甘えるな!!あの瞬間、お前だけがあの妖鬼を倒せた!!なのに、何故防御の姿勢をとった!?お前は、鬼を倒せる能力保有プレートを持っているくせに!!」

「……なんで、怒鳴るの?僕だけ?だって僕の能力保有プレートは反撃するだ、け……」


 反撃。それだけではない。先取る。その二つが組み合わさった自身の能力保有プレートを思い出し、真琴は握っていた刀を地面に落としそうになる。

 攻撃しようとしていた妖鬼。攻撃した瞬間に、真琴が能力保有プレートを使って反撃していれば。因果律を歪め、覗見達に刃が届く前に妖鬼を倒すことができた。

 鬼は倒されてしまえば砂のように消える。それは鬼が仕掛けた攻撃も同じことだ。真琴は自分の大きなミスに気付き、指先から力が消えていくのを感じ取る。


「なんで、お前なんだ……俺だって、こんな能力保有プレートじゃなくて、お前のだったら……」


 襟を掴んだまま顔を俯かせた遮音の手の平から銀色のプレートが零れ落ちる。わずかな光で浮かび上がった白い文字には【超速再生】とある。

 回復、治療、快癒、修復、接合、蘇生、そのどれでもない。真琴は遮音に感じていた疑問が解消したことに、喜ばなかった。自分の迂闊さに嫌気が差すだけだ。

 元に戻るわけではない。それは散らばった血の跡や投げられた生首からも理解できる。痛みが消えるわけでもなく、ただひたすら速く再び体が生産される。


 生産するのに必要な栄養素、体力、精神、それらを一瞬で奪われる苦痛。顔が青白いのは栄養不足による貧血だけではない。痛みを堪えてのやせ我慢である。

 襟元に手だけではない重みが預けられる。大声を出したことで、遮音自体が衝撃を受けて立っていられない。それだけの消耗を味わいながらも、遮音は膝を地面につけようとはしない。

 胸元に滲む熱さと湿り気は汗だけではなかった。頬を流れ落ちても熱を失わないそれを、真琴は知っている。悔しい時、それは太陽の光よりも熱く鮮明になる。


「あのー、根本的な問題として主殿のせいだけじゃないでござる。なんでもかんでも主殿に押し付けるのは御門違いであると進言させて頂く」

「いいや、こいつが悪い。あれは好機だった。俺の能力保有プレートでは逃げられた可能性があるが、相手が一番油断していてフェイントも仕掛けない状況ならば最善手はこいつの能力保有プレートによる攻撃だ」

「いやいや。拙者が言うのもあれでござるが、何故、一緒に戦おうと仰ってくれぬか?その一言だけで、主殿は踏み出す勇気を持っているというのに」


 紫音が真琴を人差し指で指し示すことも気にせず、覗見はいつも通りの調子で当たり前のように告げる。その言葉に真琴だけでなく、遮音も顔を上げる。


「死ぬのは怖いでござる。それと同じくらい一人で戦うのは辛いで候。なれば、共に戦うと言葉にせぬば。空気を読め、は自己満足エゴである故、推奨はせぬ」

「……覗見」

「知ってるでござるよ。主殿は、決闘でも他人ひとのために戦うことを。そうじゃないと臆病で動けないことも」

「ひ、一言多いよ!?それさえなければ感動してたのに!」


 朗らかに笑顔で失礼なことを言った覗見に対し、真琴は思わずいつも通りの反応をしてしまう。しかし覗見はその様子を見て、笑顔を見せるだけだ。

 納得いかないと思いつつも、真琴は改めて襟元を掴んだままの遮音の顔を眺める。青紫色の瞳は少しだけ気まずそうに視線を逸らす。しかし口は開かない。


「……先に謝るね、遮音。ごめん、本音聞けて嬉しい」

「お前はなに馬鹿なことを言っているんだ?」


 真琴の突然発言に遮音は呆れ果てた目で、少しだけ苦悩した顔の真琴を見る。紫音も同じ気持ちで、冷たい視線を真琴へと突き刺す。


「その……俺も状況に合わないってわかってるんだ。でも浮かれてる。だって遮音って、俺の悩みは聞いてくれるけど、伝えてくれたことないから」

「また一人称変えて……」

「そんでもって……今更だけど、あの妖鬼を殴りたくなってきたんだ」


 そう呟いた直後の真琴の顔を見て、覗見だけでなく紫音も姿勢を正した。赤い目が炎を宿したかのように、暗闇の中でも鮮明に輝く。

 力が抜けていた手で、改めて刀の柄を握り直す。その気配に遮音はふらつきながらも真琴から離れる。真琴はまっすぐ歩いて、紫音の前に立つ。

 若干気迫に押されながらも、紫音は堂々と睨み返す。赤紫色の目は赤い目の輝きに誘導されるように、同じくらい強い光を宿す。


「紫音、力を貸して。俺はあの妖鬼を倒す!」

「……いいだろう。コンビ最初の仕事報酬としては、悪くない」


 歯を見せて笑う紫音に対し、真琴は真剣な表情のまま頷く。その様子を眺めていた遮音は、脳筋が二人になった、と少しだけ焦る。

 風紀委員としてコンビを組まされた時、紫音は絶対にわかりあえないと思っていた。しかし今の真琴の表情を見て、応じないのは面白くない。


「御二方、とりあえず操作盤の前まで行くでござるよ!殴るのはそこに辿り着いてから!そうでござろう、遮音殿!?」

「あ、ああ……そうだな」


 目的がズレ始めた二人に対し、覗見が慌てて割り込んで白い壁の方を指差す。呆気に取られていた遮音は、覗見の問いに辛うじて答えた。

 鬼の気配が周囲から遠ざかっていることも忘れて、四人は迫る妖鬼の足音を耳に捉えた瞬間、再度走り出す。今度は足並みを揃えた、迷いのないものだった。





 真琴達とは少し離れた場所では、五行鬼達が未森に向かって跪いていた。その能力を見て、裕也と一緒にいた茨木は笑みを深くする。

 教員達の能力保有プレートを目にする機会は少ない。その中でも養護教諭の未森の能力をお目にかかるのは稀有に近い。事故中の幸いと言わんばかりに、茨木は観察する。

 未森は手の中にある自身の能力保有プレートを艶やかに舐め上げる。その仕草に生徒達が本能を刺激されながらも、浮かび上がった【猛獣使役】という白い字を眺める。


「五行鬼くらいならこれで楽勝なんだけどね。病鬼より上じゃ無効になるから、早く居場所を突き止めないと。桐生先生、数は?」

「病鬼は発生してない。妖鬼が一匹のまま増える様子はないけど……五行鬼が増えるのが速い!数えきれない、なんてことは起きないけど、処理しきれなくなる」

「じゃあ同士討ちね!あ~ん、昂るわぁ。スメラギ様の下で一年ほど戦った熱い日々が、今も腹の奥底で力強い鼓動のように快感になる!!」


 目を潤ませ、赤い唇で弧を描く。その色気のある姿よりも、鬼同士の争いに生徒達は目を丸くした。まるで鞭で指導される動物のように、鬼が鬼を襲う。

 火鬼は金鬼を燃やし、土鬼は水鬼を吸い上げて養分とし、金鬼は木鬼を押し潰す。唇を舌で潤しながら、未森はあらゆる場所へ視線を向ける。


「相克、っと。相生しないように配置を……あーん!!数が多すぎる!武蔵くん、数減らして!その素敵フェロモン筋肉で!!」

「あいよぉっ!呼ばれて飛び出て俺ちゃん参上!!テメェらにゃ恨みはねぇが、杏ちゃんのためだ!往生しやがれ!!」

「アタシのためじゃないのね!?」


 サングラスの位置を整えた武蔵は、木の棒一本で五行鬼へと向かっていく。そして一撃。角ではなくとも、体に触れるだけであらゆる属性の鬼が砂のように消えていく。

 茨木は武蔵の能力保有プレート【一撃必殺】の威力を目の当たりにし、背筋を震わせた。例外的に決闘での使用が禁じられた、その名の通り一撃で必ず相手を殺すという類だ。

 鬼でも人間でも一撃で死に至らせる。死神の鎌よりも物騒と思える能力保有プレートだが、武蔵の人柄が良いせいで彼を恐れる者は少ない。


「うおぉおおお!?武蔵先輩、かっけぇ!!茨木、これなら……」

「駄目だよ。鬼が増える方が速い。今は優勢に見えても、長時間になれば疲労と数の差で押し負ける。籠城戦だとしたら、今は最悪の状況なんだから」


 憧れている武蔵の活躍に興奮した裕也にとって、茨木の冷静な言葉は意気消沈するのに充分な威力があった。その言葉を否定できる才覚も、裕也にはない。

 保護区というのは一種の逃げ場所である。自分達を守る檻や籠の中で暮らしているような物で、その中に危険物が入れば対応できる方法は少なすぎるほどだ。

 対処できたとしても、それが無限に流れ込む水ならば。茨木にとって、今の状況とは船底に穴が空いたに近いものだ。転覆するか、船底を塞ぐか。どちらにせよ鬼を一瞬で根絶させる方法は現時点ではない。


「それにしても……なにが悪霊じゃない、だよ。物理的な被害がない分、悪霊の方がましじゃないか」

「茨木ー、俺を置いてかないでー。さすがの俺も泣きそうなんだけど、おーい?聞いてるー?」


 独り言を呟き続けて苛立ちを見せる茨木に対し、裕也は律儀に言われた通りの内容を他の生徒に伝え続けている。その視界の端で、弾丸の速度で飛んだ武器が木を薙ぎ倒した。

 荒い息を吐きながら実流はその場に立ち止まりながら迎撃する姿勢に移っている。広谷もその横で四つん這いに近い体勢で、走り続けた疲労により吐き気を抑え込んでいる。

 ただ一人、誰もが疲れて足を震わせる中、意気揚々と鬼を倒し続けるのは若君だけだ。ただし今も鬼を蹴り飛ばしたのだが、飛んでいく方向にいた生徒が悲鳴を上げながら逃げていく。


「も、もうやだぁ……実流くんの攻撃は大雑把の塊だし!!若君くんなんか人助けどころが味方を窮地に追い込むし!!こんな二人の制御なんて、僕には無理なんだぁっ!!!!」

「男が泣くな!!」

「だったら女になるぅ!!!!」


 疲労と混乱と味方二人のフォローで精神に大きな傷を受けた広谷が、錯乱して訳わからないことを叫び始める。これには流石の実流も苦い顔をして、謝罪しようか迷い始める。

 特に広谷の女になる発言は中々に無視できない内容であり、目線で茨木や裕也が助けてくれないかと期待するが、茨木は笑顔で手を振って誤魔化すだけである。裕也には気付く余裕すらない。

 大声で叫びながら泣き始めた広谷に対し、拳で黙らせようかと考え始めた実流。その目の前で水鬼が一撃で消えていく。その光景に、泣いていた広谷も目を丸くした。


「大丈夫か、お前達?安心しろとは言わねぇけど、これもあと一時間くらいで決着が着くはずだ。俺ちゃんを信じて、気概を見せろ!」


 頼もしい笑みを向けてきた武蔵は、すぐさま別の鬼へと向かって走り出す。筋肉によって柄シャツ越しでもわかる厚い背中に、広谷は頬を染めて見つめる。

 その雰囲気に言い知れぬ物を感じた実流は鳥肌を立たせる。恋する乙女、というのとは少し違う空気にげんなりした気分が肩にのしかかってくる。


「カ、カッコイイ……お風呂で見た時も凄かったし、て、照れちゃうな……」

「お前、男だよな?」

「あ、当たり前だよ!いやまあ……そっちの趣味がないわけでは……」


 かすかに聞こえてきた言葉に対し、実流は二歩分の距離を広谷から取る。できれば聞きたくなかった事情が、聞きたくなかった状況で耳に入ってきたことに、今度は実流が涙しそうになった。







 水の上を歩くように、妖鬼は重く粘つくように歩み進む。人間の動きは感じ取りやすく、妖鬼には視覚という機能が備わっていた。

 暗い林を進むのは水底を歩くに似ている。静かな黒さの中、聞こえてくる人間の悲鳴や怒号に牙を見せながら笑みを深くしていく。なんと心地の良い夜かと。

 四つの輝く感情が壁の近くにある。しかし一つだけ、違和感があった。先程の斐文に似た、それよりも小さい気配が一つの感情に寄生しているような感覚。


「ソウカ……アワレナコトダ」


 甲羅が歩くたびに硬質な音を立てる。それはまるで鎧の音に似ており、確実に近付いていることを相手に知らせるようなものだ。

 しかし妖鬼はそれで構わなかった。この音を聞いて怯えるか、奮い立つか、死を覚悟するか。どんな感情でも、鬼から見れば極上の類である。

 鬼はその感情から生まれた。その感情で育った。人間がいる限り、鬼は途絶えることはない。妖鬼はそう考えていた。


 林を抜ければ、白い壁の前に四人の少年がこちらを睨んでいる。それを視認した妖鬼は木の幹で作り上げた丸太を空中に四本浮かばせる。

 一人につき一本。単純な計算であり、外れるということはない。妖術で自ら操り投げるのだ。腹を狙う。頭を潰しては、死んでいく最中に溢れる感情が味わえない。

 攻撃体勢をとる四人へと丸太が砲弾のように飛んでいく。あっさりと少年達は丸太に貫かれ、壁に打ち付けられた瞬間に乱れた映像のように姿を消す。


「やっぱり。妖鬼からは五感が発達しているようでござる。そのせいで気配を察知する能力が五行鬼より格段に下がっているでござるよ」


 声が聞こえてきた方向に目を向ければ、草むらから飛び出す覗見。それは映像だと思い、妖鬼は草むらの方へ水の塊を上空から落とす。

 通常ならば津波の如き威力を持つそれは、柔らかな草むらを押し潰すには充分である。しかしその中から溢れ出る血はなく、飛び出る肉片も存在しない。

 一人飛び出た覗見はそのまま壁に沿って走っていく。妖鬼に背中を向けながらも、手の中で小型の苦無を転がして狙いを定める。妖鬼は気配を探り、走っている覗見は本物だと確認する。


 次こそは当てると、細長い金の槍を作り上げる。一本、それさえあれば走っていく少年の背中から腹へと貫通させるのは容易い。

 躊躇いなく射出されたそれは高速で覗見へと迫り、そして物質に当たって弾け飛ぶ。白い壁の上部に突き刺さった槍は赤い血を垂らしている。

 横の草むらから現れた遮音の左腕が肩から消失していた。短い悲鳴を上げながらも、遮音は槍が飛ぶよりも速く左腕を再生した。


「奴は遠距離が基本だな……ならば、いけ!!操作盤は俺達がなんとかする!!」


 顔色を悪化させた人間がなにを言っているのか、妖鬼は一瞬把握できなかった。逃げて、傷つき、それでも諦めない目の光は夜空の星よりも強い。

 妖鬼は五感が発達したことについては感謝している。人間の感情と同時に味わえる人の表情のなんと豊かなことか。そして壁に突き刺さったままの槍を操り、遮音と覗見へと再度投げる。

 それを拒む巨大な刃が地面から生え、金の槍を粉々に砕いていく。重い質量を持ったそれは、最早刃と言うのは生易しい。鉄の塊として、地面に大きな窪みを作る。


 巨大な鉄の塊は壁としての機能も果たした。妖鬼の目では二人の少年を視覚的に捉えることはできない。しかし気配だけでも追跡は可能である。

 新たな妖術を発動させようとした妖鬼の背後に一つ、先程も違和感を覚えた存在が近づいてくる。妖鬼は振り向かないまま、気配へと小さく凝縮した土の塊を投げる。

 当たれば頭蓋骨くらいは貫通できる代物なのだが、聞こえてきたのは土が砕ける音。そして背後から伸びる巨大な影。振り向き、仰ぐ。木の幹のように長く伸びた剣の柄が足場となり、一人の少年を空高く運ぶ。


 あまりにも高いせいで、落下までの時間が長い。妖鬼は炎の矢を真琴へと向ける。それでも構わずに少年は妖鬼に向かって落ちていく。赤い目が、夜の中でも炎の光を受けて爛々と輝く。

 強い赤の目は視線を惹きつけさせるだけの感情が込められていた。妖鬼好みの濃厚な感情の揺れ動き、だからこそ他に気を配ることなどしない。炎は真っ直ぐ真琴へと飛んでいった。

 その炎を真琴は足場となった剣の柄を蹴ることで回避する。しかし操られた炎の前ではそれは意味をなさない。そう思った矢先、妖鬼は横からの衝撃に操ることを忘れた。


「抑えつけた、やれ!!」


 妖鬼の体は五行鬼と違い、直接触れても害はない。だからといって腰に抱きついてくることを妖鬼は予想していなかった。

 術を使うとはいえ、あくまでも鬼。その腕力は人間の少年の頭一つ潰すのは容易い。少年の予想以上の筋力に驚嘆しながらも、妖鬼は手を伸ばす。

 それよりも速い一閃が、一本の角を落とす。頭に直接熱した火掻き棒を入れたに近い激痛が妖鬼を襲う。あまりの痛みに紫音を振り払い、片手で斬られた箇所を押さえる。


「アッ、ガ……!?ア!?」

「あと一本、その前に!!」

「ああ、その前に!!」


 少年二人の声が合わさり、刀が地面へと捨てられる音が妖鬼の耳に響く。妖術を使う暇もなく、握りしめられた拳が二つ、妖鬼の顔にめり込む。

 仰け反った顔が見上げるのは初夏の夜空。冬の空よりも近くに感じる星の輝きを最後に、後ろ頭を貫いた刃の感触と共に二本目の角が飛んでいく。

 真琴と紫音は握りしめた拳を突き出したまま、汗が決壊したように流れ出てくるのを感じ取る。その汗で、拳の皮が破れた部分が痺れるような痛みを訴えてくる。


「……倒した?」

「倒した、だろう。というかお前!!また能力保有プレート使うことを忘れたな!!」

「ああっ!?そ、そうだった!あの炎を避ける時に……でも、使わなくても倒せること……証明できたよ!」


 自信満々な笑みで告げる真琴に、紫音は盛大な舌打ちをした。ただし目線は逸らすことなく、妖鬼を殴った拳をゆっくりと真琴の前に差し出す。

 呆気にとられた真琴だが、紫音の真っ直ぐな視線の意味を察して、同じく妖鬼を殴った拳を前に出して軽くぶつける。握手するよりも一瞬の、力強い触れ合い。


「次に行くぞ。正直、あの二人だけ先行させたものの……」

「不安しかない、でしょ?速く行こう!」


 真琴は地面に落とした刀を拾い上げ、紫音は妖鬼を倒すだけために作り上げた武器の数々を元の地面に戻す。息は荒く、汗は止まらない。

 それでも走るしかないと、足を動かしていく。後先を考える余裕などなく、今はたった一つの目的のために共に戦うことだけを意識する。

 夜が明けるまでまだ時間はある。もしもこれ以上鬼が増えるとしたら生存率は時間の経過ごとに階段状に下がることになるだろう。二人は急いで操作盤へと向かった。






 覗見は後ろで壁に肩を預けながら進む遮音の様子を気にする。頭を再生させただけでもかなりの消費であるはずなのに、今度は左腕一本の再生だ。

 歩くよりは速度があるが、それでも遅い。急く気持ちを抑えながら、覗見は周囲への警戒も怠らない。明らかに鬼の動きが先程とは違う。

 まるで誰かに従うように一か所に集められているようで、この好機を逃す手はない。覗見と遮音では鬼一匹倒すのは時間がかかってしまうからだ。


「えっと、スイッチを切り替えれば良いという話でござる。遮音殿、ファイト!なんなら、拙者の秘蔵コレクションである涙殿ストラップを」

「いらん」


 覗見の提案に体から力が抜けそうになりながらも、遮音は鮮明な意識のまま断る。その根性に覗見は素直に感心した。

 どれだけの消費かはわからないが、遮音の顔色を見る限りでは死人の肌に近い。覗見からすればそんな顔色で動けるのは最早気力の問題だ。

 事が終われば倒れる可能性が大きい。少しでも早く事態の解決を図るため、見えてきた操作盤へと足を向ける。そこには白い壁に似合わない黒い機械がつけられていた。


「明らかに細工されたとわかる跡……あー、これは拙者も謎解明できる案件でござるな。とりあえず、この機械のスイッチを」


 ONとOFFだけで操作できる機械のスイッチに手を伸ばした覗見だが、遠距離から飛んできた石が機械ごとスイッチを破壊してしまう。

 鬼の攻撃、及び操作盤への干渉が阻害されたと思った覗見は慌てて石が投げられた位置へと目を向けた。しかし予想外にも、そこにいたのは汗でシャツを濡らした矢吹であった。

 荒い息のまま操作盤に近付いた矢吹は、覗見に声をかけずに砕けた黒い機械を足で潰し、操作盤に指先を伸ばして既定のスイッチへと切り替えていく。


 半透明ながら乱れていた結界が、安定したように展開される。それを見上げていた覗見は、どういうことかと目を丸くする。

 しかし矢吹の酒臭さに若干辟易する。こんな時に教師達は酒を飲んでいた理由も既に察知している身としては、恐らく妖鬼の出現は本当の異分子イレギュラーだったのだろう。

 矢吹は手にしていた能力保有プレートを額の上に翳す。そして安心したかのように大きく息を吐き、同時に肩を盛大に落とす。


「試しに予測してみれば……まさか配線をいじられていたとは。覗見、危なかったな」

「どういうことでござるか?」

「もしもスイッチを入れ替えていれば、結界全消失。つまりは五行鬼だけではすまない鬼の流入が始まっていた。で、元凶をお前達は知っているはずだ。名前を教えろ」


 聞こえてきた言葉に覗見は背筋を震わせた。五行鬼だけでもあれほどの混乱、妖鬼一匹で何度も死ぬと感じた危機。それすらも些細なことと思える矢吹の予測。

 矢吹の【結果発表】はある程度の決定事項を先読みできる類である。先に予見してしまえば、対策を練ることもできる。それでも汗まみれなのは、鬼との直接戦闘を避けたからだろう。

 ショックで声が出てこない覗見の背後から、壁に背中を預け始めた遮音が矢吹に視線を向ける。あまりの顔色の悪さに矢吹は眉をひそめた。


「キンダイチ・斐文という男だ。俺達と同じ学年かと思ったが……違う、ようだな」

「……そうか。俺もどうしてその名前が今出てくるのはわからんが、心当たりはある。とりあえず遮音は俺が背負う。覗見は護衛としてついてくれるか?」

「承知の助!と言いたいでござるが……主殿達が来るのを待った方がいいでござる。拙者の能力保有プレートは五行鬼に通じぬ故」

「そうだな。しかし妖鬼を倒すとは思わなかった……この交流会での目的は、鬼との戦闘において自分の力を推し量ることを前提にしているんだが」


 疲れたような矢吹の声に、覗見と遮音は納得した。考えてみれば、交流会でこんな大掛かりな移動や仕掛けを作る必要性の発生には、等価となる物が必要だ。

 大型移送実験だけではない。あと三年で鬼と戦う羽目になる子供達が少しでも早く経験を積めるように。そんな善意が隠れ見えるスパルタ方式こそが、交流会の真の目的である。


「さ、朝まで掃討作戦の時間だ。去年は正直昼までかかったが、今年はその半分。夜明け頃に終わるだろう」


 ほぼ決定事項である矢吹の予測に、反論できる者はいない。今だ暴れる五行鬼達を倒すため、合流を果たした真琴達は泣く泣く茨木達がいる場所まで走り戻る。

 その後は語るも涙、聞くも涙の消耗戦。鮮やかな初夏の日の出を拝んだ後、真琴は夜の間に冷たくなった青草の地面に横たわる。隣には同じくらい疲労した紫音や実流達が倒れていた。

 流石の茨木も宿舎の壁に背中を預けて眠り、遮音を含めた多くの生徒は室内に運ばれて安静の状態である。目に染みわたる朝日を眺めながら、真琴は絞り出すように呟く。


「これ絶対交流会じゃない……」


 毎年誰もが同じ感想を抱く。しかしそれに気付いた時には全てが終わっている。だからこそ二年に進級した者はこう思うのだ。

 次の一年にはこのことを黙っていよう、と。そして同じ目に遭って頑張ればいい、と。この暗黙の了解すらも、伝統になりつつあるのがアミティエ学園の学年別交流会の正体であった。

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