十六番:夜戦

 浴場での記憶が曖昧な真琴は、体育館のように広い大部屋で鼻の上に残る柔らかい感触に首を傾げながら布団の上で寛いでいた。

 就寝時間が差し迫っている中でも男子高校生の気分高揚は止められないようで、枕投げ大会が一通り終わった後のカードゲーム大会が始まっていた。

 人数が多すぎるので、誰が一番数字の大きいカードを引けるかの一発勝負により、何度も色彩鮮やかな切札ジョーカーを引き当てる茨木に注目が集まっていた。


「まーたー、茨木殿でござるかぁっ!?一体どんな手を使ったら最強カード連発できるんでござるか!?」


 あまりの引きの良さにアニメキャラクターが背面に描かれたパーカーを着ている覗見が抗議の声を上げた。自前で買った物らしく、珍しく袖は余っていない。

 甚平浴衣を寝間着代わりに持ってきていた真琴からすれば、多くの者が着ているラフな格好に視線を向けてしまう。ただし若君の桃色ランニングシャツとズボンはどう見ても寝間着に向いていないとも思っていた。

 団扇で自らの顔を煽ぐ紫音は黒のタンクトップと七分丈の迷彩柄ズボンと動きやすそうだ。双子の弟である遮音は冷えを気にしているのか、青い薄手の長袖に足首丈まであるズボンだ。


「いやいや。僕は正々堂々と好きなカード選んでるだけだからなぁ。あははは」


 覗見の抗議を笑顔で受け流す茨木は育ちの良さそうな白シャツと黒ズボンであり、真琴は若干親近感を抱いた。逆に上半身裸でパンツ一丁姿が寒々しいのが裕也であった。

 横ではナイトキャップを被った星模様のパジャマを着ている広谷が眠たそうに目元を擦っている。寝る前の準備として化粧水が出てきた時は多くの者が驚くほどの女子力溢れる姿だ。

 そんな賑やかな同級生の姿を眺めながら、真琴はそういえばと思い出す。先輩である古寺から夜は寝てはいけないと言われている。あれは楽しいゲーム大会が開かれることを予測していたのだろうか。


 しかしそれにしては服を選ぶ際に動きやすいだけではなく、汚れてもいい服装と言ったことが気になる。小さな棘が刺さったような感覚に、枕を抱えながら真琴は上体を起こす。

 今も知らない土地で呑気に笑い合っているのは保護区を守る結界の存在があるからだ。昼にはその操作盤周辺を眺めていたのを思い出し、その次にそこで矢吹と桐生がいたことも思い出す。

 あの時は担任達が不具合がないか確認していたのだろうとも思ったが、嫌な予感が風船のように少しずつ膨らんでいく。それも下着一枚の裕也を見てしまうと、どうでもよくなっていくのが怖い。


「ぬがぁああああ!!実流殿、実流殿もなにかって意外と早く就寝してるでござるぅううううう!!」


 手を組んで仰向けの姿勢な実流の寝相の良さに、突如カードゲームは打ち切られて何人かが近づいていく。まるで悪戯を仕掛ける子供のような気配の隠し方だ。

 一般的な灰色のパジャマを着ており、黙ってさえいれば顔立ちも相まって優等生の雰囲気が増長していた。そして覗見はそっと顔の上に白い布を置き、両手を合わせた。

 笑いを堪えていた者はいたが、寝息で白い布が浮かんだ瞬間に茨木が声を上げて大笑いした。不意打ちには我慢できなかったようで、その声で実流が目を覚ます。


 寝ぼけた様子で起き上がり、周囲の状況と今にも逃げ出しそうな覗見の姿と、手の上に落ちた白い布を見て浅く笑う。そして立ち上がった。


「寝てる奴で遊ぶんじゃねぇええええええええええ!!」

「実流殿が珍しく正論を言い放ったでござるぅうううう!!」


 次は室内での鬼ごっこかと思った矢先、部屋の電気が消えた。予告もなく消えたので、起きていた生徒は何事かと周囲に目を向ける。

 しかしいきなり暗くなったので、目が闇に慣れないままだ。最初は担任の誰かが就寝時間超えたから消したのかと思ったが、その気配すらも感じない。

 誰もが動かないまま黙っている状況で、滴が落ちる音がやけに強く響いた。誰かがホラー映画の定番だと空騒ぎしたのをきっかけに、次々と声が上がっていく。


「やべーって!俺なんだが空気が生温く感じてきた!!なのに寒気も感じる!やべーって!!」

「うわ、足になんか冷たいの当たった!誰か飲み物隠し持ってたのかよ!?しかも臭い!酒かよ!?」

「いてっ、俺の足踏んだの誰だよ!?しかも重い!!あいたたたたた、踏み続けてるって!!」


 真琴も生温い空気に寒気を感じた。しかしそれよりも強く覚えがある感覚に、体の震えが止まらない。喉の奥が乾いていくのも気のせいではない。

 茨木は室内が暗いまま、冷静に部屋の構造を思い出す。一学年を収容する大部屋で、水が零れるような器具や施設はなかった。なにより鼻に突き刺さる臭いは酒ではない。

 野生の感が働いた若君と常日頃から忍者として鍛えていた覗見は、誰よりも速く警戒態勢を取る。紫音も息を潜めて耳を澄まし、人間以外の足音がするのを聞き取る。


「あ、あ……うわぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 真琴が大声を上げて叫んだ。そして能力保有プレートである【反撃先取】を応用して、スイッチを探していた誰よりも速く電気のスイッチを殴る。

 白熱灯に照らされた部屋の中、捻じれた角を持つ鬼が何匹も笑っていた。中には既に生徒の一人を水球の中に閉じ込めて溺れさせている鬼もいた。突き刺さる臭いは、突然のショックで小水を垂らしたせいだ。

 五行鬼。鬼の中でも一番弱い鬼であるが、そこからさらに細分化されて五種類の鬼がいる。部屋の中にいたのは水鬼、金鬼、木鬼だ。蔓で床に縫い付けられた生徒が、涙目で助けを求めて爪先で床を削っている。


 部屋の中の生温さは、外で火鬼が集まってきているから。気持ち悪い熱を真琴は強く憶えている。今にも燃やされそうな、猿の形に近い炎の鬼。

 足に痛みを感じた生徒は自分の足の上に金鬼が乗っていることに気付き、笑いかけられた次の瞬間に足の甲の骨が砕ける音を自らの耳で感じた。遅れてやってくる痛みに、声すら上げられない。

 金色の鬼は両手を頭上に持って行き、まるで猿のように何度も叩いて笑う。その度に足踏みするものだから、下にある足の骨はどんどん細かくされていき、踏まれていた生徒は白目を向いて泡を吹いた。


「結界は!?だってあれが破られるって、万が一の確率で……」

「紫音、金鬼を吹っ飛ばす!覗見くんは木鬼の蔓を、若君くんは水球の中にいる生徒!」


 動揺して状況を確認しようとした裕也の言葉を遮り、力強く茨木が指示を飛ばす。紫音は床に手を当て、能力保有プレートを使って金鬼を床から生やした棍棒で突き飛ばした。

 覗見はパーカーの下に隠していた手裏剣を指の間に挟み、回転させながら木の蔓に向かって投げ、千切れやすいように傷をつける。そして若君は木鬼の頭を踏み越え、勢いよく水球の中に飛び込む。

 渦巻き始めた水の中でも気にせず、気絶した生徒を抱えて若君は泳いで水球の外に飛び出す。対応された鬼達は嬉しそうに微笑み、他の無事な生徒へとそれぞれの材質でできた目を向ける。


「部屋から逃げて!!こんな狭い所で大人数が戦えるはずがない!!」


 真琴の声に今度こそしっかりと危機を理解した生徒達から悲鳴が上がる。我先にと飛びだすせいで、どうしても詰まる場所がある。そこへ鬼は嬉々と走り出す。

 能力保有プレートで反撃しようとした真琴だが、相手が金鬼だと理解して踏み止まる。どうしてもプレートの能力上、拳で殴るしかないが相手は金属製の堅い体の持ち主だ。

 無闇に殴れば拳の骨が砕ける。最悪なのはそのまま体の上、胸辺りに乗っかられてしまえば内臓ごと潰される。悩んだ矢先、床から一本の刀が生えてくる。


「使え!」

「紫音!?あ、ありがとう!!」


 訳がわからないまま真琴は生えてきた刀を手にする。赤い鞘が特徴の日本刀。木刀ならば扱ったことはあるが、真剣は初めてだった。しかし迷っていられない。

 父親代わりの叔父との稽古を思い出し、正しい構えをしてから能力保有プレートの力も相乗して踏み出す。一瞬で迫る金色の鬼に嫌悪しながら、捻じれた角めがけて刃を振り下ろす。

 外見と打って変わって豆腐を斬るように柔らかい感触で角を斬ることができた。背筋を痺れさせて鼓膜を破りそうなほどの大声で鬼が悲鳴を上げ、床の上を転がった後に砂となって消えた。


 その砂も数秒後には影も形もない。真琴は刀の切れ味なのか、それとも鬼の角が弱点だからなのかと迷ったが、水が泡立つ音に慌てて振り向く。

 冷たい水の体を持つ水鬼が眼前まで迫っていた。刀で対処しようにも間に合わない距離で、弾丸の速度で飛んできた布団が水鬼の水分を吸収しながら壁へと叩き潰す。

 実流が面白くなさそうに舌打ちして目線を逸らしたのを見て、真琴は助けられたことに礼を言った方がいいのか迷う。しかし覗見のくぐもった悲鳴を耳にし、音の方向へ目を向ける。


 木鬼の蔓で首を絞められ、天井から浮かんで暴れている。手で緩めようとしているが、首の皮に皺がつくほど強い絞め方をされている。

 駆け寄って助けようと走り出すが、距離がある。間に合うか五分の所で、部屋の壁を蹴って距離を詰めた若君が素手で木鬼の角をへし折る。悲鳴と同時に蔓が枯れて砂となる。

 解放された覗見は床に盛大に体をぶつけ、咳き込みながらも痛む場所を擦る。首には赤黒い蔓の跡が残っており、どれだけの力で絞められたのかを如実に語っていた。


「ぐぇっぼっ!!げほっ、ぐはっ、あ、助かったで候。感謝する、若君殿」

「英雄たる者、これくらい朝飯前よ!ただ……朝飯前に鬼が溢れる可能性があるな」


 若君は部屋の窓硝子に貼りつく火鬼を見て笑みを消す。吐き気がするほどの熱が部屋を多い、窓硝子も少しずつ溶け始めている。あまりの熱さに眩暈も襲う。

 下着一枚だと危険と判断して着替えるために出るのを遅らせていた裕也だが、部屋の中を見回せば六人ほど動けない者がいる。その内二名は意識を失っていた。

 遮音と広谷が散らばっていた者達に手を貸して一か所に集め、茨木が脈を確認する。真琴や実流も自然とそこに集まり、輪を作るように部屋の中に視線を巡らす。


「そいつらは見捨てるか?下手に庇えば俺達が死ぬぞ」

「なら、庇う必要性がない状態にしよう」


 そう言って茨木は自らの能力保有プレートを出す。銀色のプレートには白い文字で【完璧偽装】と書かれていた。瞬時に動けなかった六人の姿が消え、真琴は目を丸くする。

 見捨てる発案をした実流も驚きを露わにしていたが、窓硝子熱に耐えきれずにひび割れる音が破裂するように部屋の中へ響く。その音に驚いて広谷は頭を抱えて怯えた。


「外に早く出た方がいいね。混乱が広がって、指揮する頭もない。先陣は若君くん、頼めるかな?」

「うむ、この英雄を目指す者に任せるがよい」

「殿に紫音と遮音。広谷くんと裕也くんは僕から離れないで。実流くんは紫音と遮音のフォロー、真琴くんと覗見くんは若君くんのフォロー」

「おい、なに勝手にお前が決めて……聞けよ!?」


 文句を言おうとした実流の言葉を無視して若君がいち早く部屋から飛び出す。その後ろを慌てて覗見と真琴が追いかけ、次に茨木が裕也と広谷を連れて走り出す。

 言う通りにするのは癪だったが、動き出しては止められないと思った実流も走り出し、その後ろを紫音と遮音が背後に注意しながら部屋から去る。そして窓硝子が割れ、布団が燃え始める。

 外へ向かうにつれて聞こえてくる悲鳴と助けを呼ぶ声に、真琴は体の感覚を失っていくようだった。それなのに心臓だけ見えない手で握り潰されそうな圧迫感を訴えてくる。


 自分の息遣いまで煩いくらいに聞こえるのに、耳が痛いほど怒号や恐怖の声が飛び込んでくる。一つ一つが銅鑼の音のように頭の中まで響いてくるほどだ。

 足が無意識に震える。逃げ出せるならば逃げ出したい、だけど廊下は出口にしか続いていない。歯の根が合わないくらいに、怖いという感情が意識を埋め尽くす。

 そして見えたのは五行鬼が全て揃い、約三十体の襲撃にあっているということ。それだけなのに約三倍以上いる人間の、討伐鬼隊を目指す生徒達が圧倒されているという事実。


 逃げ惑い、躓き、捕まれば弄るように襲われて痛めつけられる。鬼達は嬉しそうに逃げる生徒達を追いかけていた。まるで遊びの鬼ごっこのように。

 捕まれば終わる。遊びが遊びじゃなくなる。本物の鬼が加わることで、まるで地獄に放り込まれたような気分だ。救いなのは初夏の夜空が藍色で、地面は冷たいまま燃えていないという点だ。

 まるで木乃伊のように蔓に巻き付かれた者、渦巻く水球から逃れようとして口から泡を吐き出す者、足の一部が土の中に埋め込まれたせいで走れない者。笑い声が、止まない。


「予想以上に酷いな……」

「う、うん。そうだよね……」

「まさかここまで能無しなんて。期待外れだな」


 茨木の冷静な発言に、同意しかけていた真琴の理性が少しだけ戻ってくる。茨木の相貌を確認すれば、わずかに苛立ちが勝っている。真琴は紫音と遮音へと振り返るが、双子は慣れたように首を横に振るだけだ。


「はい、裕也くん。鬼ごっこの時と同じように僕の伝言を全員に伝える。先生達が決めた三人の班で行動すること。補えあえない時は、班単位で応援を呼ぶこと」

「わ、わかった……」

「紫音は背後の出口を塞いで。そして無差別でいい、そこらの地面にありったけの武器を作って。僕も……その能力を偽装する」


 茨木の言葉に返事する暇も勿体ないと、紫音はすぐさま行動に移る。剣、槍、鎚、根、考えられるあらゆる武器が高速で伸びる樹木のように地面から乱立する。

 横目で紫音の能力保有プレートを確認した真琴は、白い文字で書かれた【武器製造】という単語に納得する。そして背後から襲おうとした火鬼達も、目の前に現れた刃の壁にぶつかって閉じ込められる。

 裕也が【光速伝達】で何度も茨木の言葉を繰り返し、最初は動揺していた者達も三人組となって固まり始める。やっと余裕ができ始めたことを確認した茨木は次の言葉を流すように伝える。


「素手では絶対攻撃しないこと。角を狙うこと。十人以上で集まらないこと。これを徹底して」

「そ、そんな一気に言うなよ!?というかなんで!?」

「五行鬼が一番弱いと言っても、体の構造が普通とは違う。水鬼は下手したらそのまま取り込まれかねない。また仲間が蔓で捕えられても、本体を倒せばそういった付属物は同時に消滅する。そして鬼は人が集まる場所を狙う……妖鬼以下は目が見えないからね」


 裕也の疑問に冷静に答える茨木は、動揺もないまま周囲に視線を巡らす。担任の姿は見えず、二年で副会長であるはずのトウゴウ・武蔵もこの場にはいない。

 少し考え込んだ後、茨木は真琴に視線を向ける。急に対象にされた真琴は肩を尖らせたが、それ以上に一定距離から近付こうとしない鬼達も気になっていた。

 茨木を中心に半径十メートルの安全地帯。まるで小型の結界ドームに守られているような気分に、真琴は茨木の能力保有プレートの仕業かと混乱する。


「真琴くんを中心に、紫音、遮音、覗見くんは結界発生維持装置まで向かうこと。遮音、君の役目はわかっているね?」

「……言われずとも」


 有無を言わせない茨木の指示に、遮音は少しだけ顔を俯かせて応える。紫音が茨木を軽く睨むが、それ以上の強さで睨み返されてしまう。

 三人の関係性がよくわからない真琴は慌てたかったが、逸る気持ちがそれを許してくれない。早く鬼を目の前から消したい、その意思で頭が揺れるほどだ。


「若君くんと実流くんはとにかく強そうな鬼を散らす!武器は紫音と僕が作ったのを好きなだけ使えばいい!そして広谷くんは二人の後を追いかけて」

「え、えええええ!?む、無理……」

「やる。それだけだよ。というか、君の能力保有プレートがないと、あの二人を野放しにしたら逆に被害が広がるだけなんだよね」


 涙目で何度も首を横に振る広谷に対しても、茨木は有無を言わせなかった。綺麗な笑顔で文句は全て黙殺している。その手腕に真琴は人知れず恐ろしさを感じた。

 手の中にある日本刀の感触を確かめながら、手の平に流れる汗を追い出すように力を込める。予想以上に角は斬りやすいことは理解した。それでも本当に五行鬼だけなのだろうか。

 結界がどうなったかもわからず、思わず夜空を見上げる。するとノイズが走るように、透明に近い結界が動いているのを確かめた。結界は消えてなんかいない。


「……全く。これ全部が仕掛けだなんて、悪趣味な交流会だよ」

「え?なんか言った?」


 小声で呟かれた茨木の言葉に真琴は聞き返そうとしたが、茨木は笑顔で黙っている。どうやら指示は出し終えたから、さっさと行けということらしい。

 紫音に対して覗見が苦無や針などの小型武器を作るように頼んでおり、遮音は真琴に視線を向け続けている。深呼吸してから、真琴は自分の頬を強く叩く。

 迷えば迷うほど事態が悪化する。夜の闇に慣れた目が、鬼達の残虐な行動と自然の風景を捉え始めていた。朝まで未熟な身体の体力が保つか、それすらもわからない闇の中だ。


「行こう!結界が動いてるのに、鬼が入るなんておかしい!きっと装置になにかあったんだ!!」

「拙者はどこまでも主殿に従う所存!思う存分に前へ進むが良いでござる!」

「茨木の命令だからな。ただし下手な指令には反抗する」

「……お前を信じる。なにがあって前に進めよ」


 それぞれの言葉を胸に真琴は踏み出す。ただ遮音の言葉だけ、どこか嗅ぎ慣れない気配が滲んでいたことに違和感を覚えたが、追及する暇もなかった。

 他が三人組で行動する中、真琴は四人組で行動している。一人多いだけでも、近くにいた鬼達は目標をすぐさま切り替えてしまう。まるで動く物に反応する機械のようだ。

 しかし背中を向いた鬼に他の班が角を狙って攻撃する。茨木の狙いはここにもあったのかと、真琴は素直に感心した。冷静で容赦はないが、非常に効率的に指示を出していたのだ。


 さらに実流と若君の勢いが破竹だった。地面から生えた武器を手にしては弾丸とする実流、そして素手や蹴りで鬼の角を正確に折る若君。その後ろを懸命に追いかける広谷は周囲の被害に涙目だ。

 あまりにも強すぎて、味方への被害が酷いのだ。特に実流の能力のせいで頭に武器が掠っただけでも血が流れてしまう。広谷は怪我した味方へ【刹那治療】を使って傷口を塞ぐ。

 ただし塞いだだけで完璧な治癒ではない。無茶をすれば傷が開くのだが、それを伝える暇もなく実流達を追うしかない。遠目で指示した茨木に恨みがましい目を向ける。


「……なんか、凄いな茨木。鬼ごっこの時もそうだけどよ、先まで視通している上に味方の能力まで把握してるんだな」

「そういう能力を【完璧偽装】したからね。ただ今は叔父の能力を【完璧偽装】してるから、他の能力は使えないけどね」


 茨木は自分を中心に半径十メートルの結界に近い能力を目線で指し示す。アミティエ学園を総括する学園長の能力保有プレート【全力無効】の恩恵。

 あらゆる力、鬼が内部に侵入しようとする力さえ無効化してしまう。この能力があるからこそ、別保護区での学年別交流会が開けるのであり、政府関係者は研究したいと願う逸品だ。

 ただしこれはあくまでも能力であり、プレート単体では効果を発揮しない。扱う人間がいないとなると変哲のない板になってしまうの能力保有プレートの悩みどころである。


「じゃあさ、若君と遮音の能力ってなんだ?あの二人だけは俺もわからないんだけど」


 茨木の能力保有プレートのおかげで襲われないと安心した裕也は口が軽くなる。茨木は小さく呆れつつ、律儀に質問に答える。


「若君くんのは【英雄造詣】と言って、簡単に言えば自分が思い描く理想……若君くんが理想とする英雄像を自分に反映するんだ。これは馬鹿みたいに前向きな彼と相性が良くて、僕とは悪い」

「ほ、褒めてんだよな?いやまあ確かにいくら理想とはいえ、素手で鬼を倒すのって気後れするよな、普通……」


 人間離れした俊敏な動きで鬼に掴みかかっては角を次々と折っていく若君を眺め、裕也は首を傾げながらプレートの相性も大事なのかと苦悩する。

 理想が自分自身に投影されました、はいそうですか、とは簡単に返事できないのが人心だ。それを簡単に返事しているのが若君とも言えるが、明らかに精神構造が違うと裕也は叫びたくなる。

 もう少し武器を使って賢く戦う英雄像とかなかったのかとも思うが、そんな選択ができる人間ならば逆に能力保有プレートを十全に信じることができず、疑いのまま戦ってしまうだろう。


 愚直と言えるほどの英雄への憧憬。だからこそ今も水鬼の角を素手で掴むという、あり得ない現象を我が身に反映している。若君の中の英雄に不可能はないらしい。物理法則すら無視している。

 最早苦笑いしか零せない裕也は目の前で大暴れしている若君の生き生きとした姿に頼もしささえ感じ始めた。しかし実流が能力で飛ばした武器が茨木の偽装した能力にぶつかり、そのまま力なく地面に落ちるのを見る。

 無効、ということははじき返すことはない。無力化するわけでもなく、ただひたすらに力を無効にする。完全な防御は、反撃の糸口ではなかった。


「ああ、そうそう、遮音の能力はね──」


 思い出して笑う茨木の微笑みに、裕也は一瞬頭が白くなる。どこに笑う要素があったのか、それすらもわからない能力保有プレートの名前に寒気が走るほどだ。

 ただしはっきり言えるのは戦いに向いていない。長期戦や短期戦という段階ではなく、あらゆる戦いにおいて役に立たない。しかし勘違いした者は喉から手が出るほど欲しいかもしれない能力だ。

 それでも茨木の笑みは消えない。心底おかしいのか肩まで震わせるほどだ。なんとなく笑い上戸なのは気付いていたが、それでもどこかおかしいと思うには充分な笑みだった。





 結界発生装置の壁上でキンダイチ・斐文は呑気に戦況を眺めていた。侵入する鬼は次々と数を増やしているが、全て五行鬼。学生程度でも頭を使って集団で攻撃すれば倒せる相手だ。

 鹿撃帽子を指の中で回しながら、茨木が出てきた後の統制に素直に感心した。さすがはリー家の血筋だと、大いに納得する。しかしまだ甘いのも学生故か。

 どこか想定内で動き、その中で十全に動けるように配置や指示を出している。その分、余裕がない。予想外を叩きつけられた時の顔が見てみたいと、嗜虐心が疼きそうになる。


「おおっと、いけない。どうにもなにがしなにがしが疼いている。どこまでなにがしは斐文でいられるのかねぇ」


 呑気な様子で呟く斐文は体の向きを反転させる。それは保護区の外側、荒れた大地で鬼達が結界の異常に気付いて集まっては入れないことに悔しがっている。

 その数は百に近くなり、朝までには千を超える速度だ。人気者は大変だと、他人事のように斐文は肩を竦めた。壁を登る五行鬼達は仲間を踏み潰し、人間が襲えることに悦楽を感じているようだ。

 しかし壁を登り切った鬼達は斐文には一切見向きもしなかった。ただひたすら応戦する生徒達に向け、足を進めている。斐文はつまらなさそうに鹿撃帽子を改めて頭の上に乗せる。


「まずは担任おとなを頼らないのが、最大の判断ミスだよねぇ。あれで学園長の甥とは、不安だね」


 自分が子供であることを自覚するどころが認めないような無意識の意地。それを感じ取っていた斐文は、やはり詰めが甘いと可愛くなってきてしまう。

 そして林の中を真っ直ぐに突き進む真琴の必死な顔に、斐文は懐かしい顔を思い出す。もちろん遮音や紫音の顔を見ても同じだ。親友の男二人、その結末を斐文は知っている。

 知らないのは子供達だけかもしれない。それでも繰り返すように、まるで業のように惹かれあうのは罪滅ぼしなのか。斐文はらしくないことを考えつつ、四人組が走っていく先を眺める。


 結果発生維持装置。その操作盤。黒い機械が取り付けられた場所に鬼はいない。鬼は人間を狙う。だからこそ、まだ、いないのだ。


「矢吹が慌ててくれると楽しいんだけどね。昔みたいに、さ」


 言いながら斐文は指を鳴らした。機械は配線が変えられたことも気付かないまま、見えない力でスイッチが切り替えられたの合図に操作盤へと新しい干渉を始める。

 不穏な機械音が呼び声のように一匹の鬼が保護区へと侵入しようとする。その様子を尻目に、斐文は笑う。一切被害を受けない傍観者のように。

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