十四番:昼飯

 一通りの説教を受け終えた真琴達はすぐさまカレー作りへ向かう。育ち盛りにとって一食抜かすことは自殺行為である。

 割り当てられたテーブルの傍には煉瓦でつくられた原始的な網焼き。その上に大鍋と炊飯用の容器が三つ用意されていた。

 真琴は初めて見る調理器具を前に動きを止める。蝶よ花よと育てられたわけじゃないが、料理を作ったことなど一度もない。


「主殿は米を……いや、料理したことないと米は生命線故に危険……斬るのもあれでござるし……火を起こしてほしいでござる」

「いざとなったら対処できる割り振りされた!?斬るくらいなら僕だって……」

「銀杏切りは御存知か?」

「……大人しく火を点けます」


 思わず敬語になった真琴は、銀杏切りって専門用語なのか、銀杏で食材切れるのか、と見当違いな考えで混乱していた。

 各班の様子を見ている矢吹が真琴へ近寄り、薪の組み方や枯葉の使い方と枝先を利用する方法を教えた後、点火装置で火を付ける。

 後は消えないように様子を窺いながら薪を足したり枯葉を動かせと言われ、真琴はやりきれない気持ちを味わいながら覗見と紫音を見る。


「……覗見、その服は?」

「割烹着でござる!被るだけのお手軽衣服でござるよ!」


 ゴムを多用された給食服のような構造の白い割烹着姿の覗見。真琴が実流と若君に襲われている間に集めた食材を用意する。

 すると紫音の方もデニム素材のエプロンを着用し、黒い髪ゴムを口に咥えて長い後ろ髪をまとめ上げ始める。その仕草が物珍しい真琴は思わず眺めてしまう。

 ポニーテールを慣れた手つきで整えた紫音は、髪ゴムを付けようと伸ばして顔を歪める。千切れ飛んだ髪ゴムが覗見のニット帽の後ろ部分に当たる。


「イタタ……ゴム鉄砲とは古い手を使うでござるな」

「わざとじゃない。しかし……」


 予備を持っていなかった紫音は片手でまとめ上げたポニーテールを支えている。困った顔をする紫音だったが、真琴が思い出したように違う班の広谷を呼ぶ。

 広谷は上品なレースを付けたエプロンを着ており、自作だという話をしながら、持っていた簡素なポーチから髪飾りを真琴に渡す。

 投げられたボールを拾ってきた犬のような、達成感溢れた真琴が手に持つ愛らしい布髪飾りシュシュに紫音は絶句した。


「広谷がこれを使っていいって!はい!」

「はい……じゃない!!女用の髪飾りじゃないか!!」

「そんなこと言わずに……広谷の手作りで自信作なんだって!」


 真琴から布髪飾りシュシュを奪って地面に叩きつけたかった紫音だが、穏やかそうな笑みを浮かべる広谷の手作りと聞いて手が止まる。

 可愛い猫模様がプリントされた赤の布地に、飾りとして細い金色の鎖が巻き付いており、先端には水色の星ビーズが輝いている。

 これを、あの男が、手作り。思わず広谷の顔と布髪飾りシュシュを見比べてしまう紫音。そして広谷の横に隠れて茨木が爆笑していた。


 ついでに言えば双子の弟である遮音も肩を震わせており、これを着けたら確実に笑われ者になることは目に見えていた。

 紫音は遠回しに断ろうとしたが、紫音が片手の隙をついて覗見が布髪飾りシュシュを手にし、早業で紫音のポニーテールをまとめ上げる。

 やり遂げた顔をした覗見と、なにも言えなくなった紫音と、似合うと無邪気に褒める真琴と広谷。そして茨木が椅子の上で無作法に寝転がるほど笑い始めた。


 上品な仕草など忘れて両足をばたつかせて笑う茨木と、机に手を乗せて腹を抱えて座り込む遮音。その気配に気付いた実流も、紫音の姿を見て吹き出した。


「き、貴様ら全員……覚えていろ」


 真琴と広谷に聞こえない音量で、地獄の底で這うような低い声で呟いた紫音。それがしっかり聞こえていた覗見は、右から左に言葉を流した。

 怒るに怒れない状況となった紫音は怒りをぶつけるように、それでいて丁寧に食材を切り始める。まな板から響くは鈍い刃の音である。

 覗見も米を洗い始め、その手際を興味深そうに真琴は観察する。そして米は洗剤で洗わなくていいのかと、恐ろしい認識を改めていた。


「ここでときキスだとドッキリ料理ハプニングイベント発生でござるなぁ。けど涙殿ルートは甘い玉子焼きで、ちょっと焦げちゃった涙目姿が!!」


 よくわからない理由でテンションを上げた覗見が荒い動作で米を洗っていく。零れそうなほど激しい手の動きに、真琴は止めようかと迷う。


「なにを言う!?あのヤンデレ中二病の淋ちゃんが初めて作った肉じゃが、ただし血液付き、に勝るイベントはないだろうがっ!!」

「まさかの若君殿参戦だとぉっ!?しかもそのルートは倫理上問題があるとお蔵入りにされた没案でござるよ!!」

「ったく、なにやってんだよ若君……南ちゃんが作った生クリームスパゲッティぶちまけイベント一択だろ!!」

「そしてさらに追加参戦で裕也殿が!?しかし涙殿派である拙者はこの仁義なき戦いに身を費やす覚悟!!」


 もうなにがなにやら。米を洗うことも忘れて弁論を繰り広げる覗見を前にし、真琴は伸ばした手の行く先を見失う。

 大きな溜息をついた紫音が真琴に米の洗い方を教え、手で米を軽く擦って水を流すのを二、三回やるということを初めて知る。

 具材を切りながらも的確な指示を与えてくれる紫音と少し近付けた気がして、真琴は覗見に感謝しようかとも考えた。


「はぁっ!?淋殿なんてバットエンドルートがトラウマ級&レーティング引き上げ要因で、一体何人がムフフイベントを期待して涙を流したか知らないのでござるかぁっ!?」

「我が愛する女性を悪く言うことは許さん!!大体白い液体をかければ女は魅力的になるのか!?否!!真に否!!それすらわからぬ惰弱者が一端の口をきくでない!!」

「白い液体と服を溶かす謎の液体は浪漫だろ、浪漫!!謎だけど人体には安全で、都合がいい!!俺達男という名の幻想が花開く瞬間じゃねぇか!!ファンタジーとリアルは違うんだよ!!」

「どいつもこいつも聞いていれば……巨乳以外に価値はない!!よって、ときキスで一番の美巨乳同級生である朔こそ至上!!異論は認めない!!」


 激しい論争を前に感謝の二文字は吹き飛び、真琴はなにも見なかったと自己暗示する。何故か実流も参戦してたとか、見ていないと必死になる。

 米を洗い終えた真琴は紫音の指示通りに容器に米と水を入れ、直火にならないように吊るしておく。その間に鍋で刻んだ具材を炒める紫音の手つきを眺める。

 慣れた様子で火が通りにくいジャガイモや人参から炒めていき、玉葱や肉も既に準備済み。見事な手際を褒めようにも、真琴はそれがどれだけ凄いことかを知らない。


「紫音ってよく料理するの?」

「一応な。いや……するしかなかったと言うべきか」


 苦い顔をしながら箸で芋の調子を確かめる紫音。全ての具材を炒め終え、水を入れて煮込み始める。軽やかな煮立つ音が耳に心地いい。

 その横で吹き零れ始めた米に驚いた真琴が火を止めようか容器を回収しようか右往左往するが、紫音はそれでいいと説明する。

 炊飯器を使っているとわからない現象を真琴に対して丁寧に説明していく紫音。料理は真剣らしい、と真琴は紫音の言葉に頷く。


「遮音!!手を出すなって言ったよね!僕と広谷くんが調理している間は皿洗いって言ったよね!?」

「いやでも……今日はできる気がして!」

「天性の料理音痴ほどそういうこと言うんだよ!!人参の千切りって阿保なの!?無駄に器用なのが腹立つ!!」

「ジャガイモも千切りで玉葱はみじん切り……逆に凄いよ、これ。スープカレー風に仕上げようか」

「そこでドヤ顔しない!本当に君は昔から紫音と正反対……嬉しそうにしない!!」


 いつもは聞こえてこないような珍しい茨木の怒鳴り声と、その内容に、紫音は思わず手で顔を隠していた。真琴は納得した様子で頷く。

 広谷のフォローにより細かくされた野菜達は活用されるようだが、隠し味用のマヨネーズとコーヒー粉を手にしている遮音がいる限り油断はできない。

 茨木は最早調理は広谷に任せ、遮音が無駄なことをしないように見張ることに努める。それを横目に紫音がカレー粉を入れて鍋の中身をかき交ぜる。


「あ、良い匂い。僕、紫音と同じ班で良かった」

「……そうか」


 鍋から目を離さずに素っ気なく紫音は答える。しかしいつもの刺々しい雰囲気は消えていた。真琴はお皿とスプーンを用意し始める。

 七つの皿とスプーンがテーブルに並んだ辺りで首を傾げる。そしてすでに席についている斐文とときキス談義をしている四人。

 ご飯を皿に盛れと真琴に指示しようとしていた紫音も、振り返った先にある厚かましい光景に、カレールーをかき交ぜていたお玉を落としそうになる。


「いやー、某のところは料理どころじゃなくてね。御相伴に与りまーす」

「俺達の班も馬鹿二人のせいでカレー粉しかなかったからさぁ、お願い!食べさせてください、紫音大明神様!!」


 両手を合わせて頼み込んでくる裕也だが、同じ班である実流と若君は食べさせてもらうのが普通の如く平然としている。

 ご飯は三人分しかない。カレールーはまだ余分はあるが、多いわけではない。真琴が困る中、紫音が自発的に盛り付けをしていく。

 そして真琴と紫音と覗見の皿のご飯を少なくし、斐文と裕也に分け与える。ただし実流と若君の更には福神漬けとブロッコリーを山のように盛る。


「遮音に頼んで副菜を貰ってきた。泣いて喜んで食え」

「うわーい。あからさまな格差じゃねぇか、馬鹿野郎!!一回はノってやったがふざけんな!!」

「お前は文句言える立場じゃない!!貰えただけでも良しとしろぉおおおおお!!」


 ノリツッコミをした実流だが、勢いのある裕也の正論に押し黙る。それでも諦めず実流はさり気なく真琴の皿からカレーを奪おうとするが、真琴は手に皿を持って避ける。

 斐文と裕也は紫音に感謝し、お礼を言いながら食べ始める。若君は覗見と話しながら気付かれないように覗見の皿からスプーンでカレーライスを掬い上げて食べている。

 いつの間にか減っていくカレーライスに気付いた頃には時遅し。覗見は仕返しと言わんばかりにブロッコリーを取ろうとするが、スプーンで防がれる。


「食器で遊ぶな!」


 スプーンと箸で攻防を繰り広げた覗見と若君の頭に紫音が拳骨をぶつける。二人は痛みで頭を押さえ、涙目で手元の皿にある食事を食べ続けた。

 真琴は実流に横取りされないようにしながらも行儀よく食べ終え、それでも満たされない腹を抱えて少しだけ困った顔になる。

 そこへ炊飯器片手に現れた事務員の杏里が遠慮がちに声をかけてくる。炊飯器の中には満たされた白米が光り輝いていた。


「あ、あの……男子高校生にはあれじゃあ足りないから、毎年追加分を配り歩いていて……」

「じゃあお願いします。丁度欲しかったところなんです」

「杏ちゃぁあああん!!俺ちゃんにも愛情込めたおかわりー!!」

「武蔵くんはさっきもでしょ!?それに私の方が年上なんです!ちゃん付けはやめてください!!」


 嬉しそうに大皿片手に近寄ってきた副生徒会長の武蔵に対し、杏里は顔を真っ赤にして怒るが、どう見ても可愛い怒り方である。

 本人としては本気なのかもしれないが、困ったような八の字眉や、大きな丸眼鏡に大人しそうな服装も相まって、背伸びした気弱少女の印象が抜けない。

 杏里が怒る姿を楽しそうに眺める武蔵の方が年齢詐欺と言わんばかりのフェロモンを放っているほどだ。食事の席で筋肉隆々の胸板と胸毛は食欲激減である。


「そんなつれないこと言うなよ、杏ちゃん。じゃあ、あれだ!俺ちゃんのプロポーズを受け取ってくれるということで!」

「せ、生徒と恋愛なんて御法度です!駄目です!絶対駄目です!もう大人をからかっちゃ駄目なんですからね!」

「俺ちゃんは本気だぜ!退学して告ろうにも、俺ちゃんは討伐鬼隊で稼ぎ頭になって杏ちゃんに専業主婦になってもらうという夢があってなぁ……」

「もう!もうもう!そんなことで誤魔化されないんですからね!」


 目の前のやり取りに真琴を含めた全員が精神的に腹一杯になる。いっそ拷問方法としても有効かもしれない甘い空気が皿を洗いに行く前段階としては完璧だった。

 皿洗いを始めた紫音と真琴だったが、後ろから角度や切り抜きと言いながら体の位置を動かしている若君と斐文だけでなく、覗見まで視線を一点の場所へと注ぐ。

 視線の注がれ先である紫音は鳥肌を立てて、振り向こうとするが勢い良く止められる。後ろを向いたままでいてほしいと何故か頼まれる始末。


「うーん、やっぱ髪飾りによる錯覚効果かなー。あ、でも毛先とか頭の頂点辺りなら、もしかしてー……」

「筋肉が視界に入るせいでこう、ちょっと……双子の弟という方は細身なのに、何故逆なんだ……」

「長髪は罪でござるなぁ。立てば筋肉座れば男歩く姿はアスリートみたいな感じでござるからなぁ」

「……よし、貴様達が馬鹿だということはわかった。そこに並べ」


 洗っていた包丁を乾いた布で拭きながら紫音が呟いた言葉を皮切りに、三人は一斉に別方向へと逃げ始めた。無言の連携である。

 特に斐文は生徒達が集まっている場所にまっすぐ進み、あっという間に姿を消してしまう。騒ぎの気配を嗅ぎつけた矢吹が面倒そうに真琴達へ近寄る。


「生徒間で刃傷沙汰を起こすなよー。怒られるのは先生である俺らなんだからな」

「あれ?なんか先生から良い匂いが……」

「未森先生がデザートまで作ってくれてさ。あの人、あんな感じだけど料理の腕は確かなんだよ」


 皿洗いをするために腕まくりしている筋肉質の生徒を、涎垂らしながら眺める未森を指差す矢吹。獰猛な目つきは肉食獣のそれである。

 苺のムースに機嫌を良くした万桜は桐生と話を続けており、夕鶴は矢吹と同様に生徒達が問題を起こさないように見回りをしていた。

 戻ってきた覗見が苦笑いしながら洗い終えた食器を拭いていく。その手際は素早く、紫音が感心して眺めるほどだ。


「筋肉系新妻枠……は男に適用したくないでござるなぁ」

「なんの話だ?」

「いやいや、紫音殿は理解しない方がいいでござるんるん」


 胡散臭すぎる語尾にしてからかう覗見に、苛ついた紫音が足だけを動かして軽く脛を蹴る。涙目になりながらも皿は落とさない覗見。

 真琴はそれを羨ましそうに眺めながら拭き終えた食器を指定された場所へと戻していく。そして少し気になった真琴は、矢吹に軽く問いかけてみる。


「そういえば矢吹先生、斐文はどの班なんですか?」

「……どこでその名前を?」


 矢吹の表情が変わる。晴れやかな青空の下では似合わないほど、愕然とした顔。唇も青く変化していくほどだ。

 その反応に真琴は戸惑いつつも、もしかして斐文はこっそり紛れ込んだのか、と別方向に思考を切り替えていく。

 となると、矢吹に斐文について尋ねると強制送還があり得るかもしれない。せっかくの楽しい交流会を潰すわけにはいかない。


「あ、いや……ぼ、僕の勘違いでした!あは、あははは……」


 誤魔化すように笑いを取り入れてみた真琴だが、矢吹は目を細めつつも言及はしなかった。ただし見回りに戻りながら、背中を向けた状態で真琴へと呟く。


「昔のことすぎて覚えてない」


 今日、午前の班編成をもう忘れたのかと、真琴は不思議に思ったが、やはり問い詰めることなく誤魔化せたことに一息ついた。




 昼食後の午後は自由時間として、多くの生徒達が仲の良い物同士で集まって遊び始めようとする。ただし一つ問題が生ずる。

 オニオシ保護区では意図的に電波を弱めており、外部との通信接続が難しい。なので通信を必要とするアプリで遊ぶ手段は得られない。

 自然な流れで鬼ごっこやかくれんぼなど昔ながらの遊びに穏やかに発展していくはず、だった。彼らが普通の高校生ならば特殊ルールを盛り込んだ別物になっていたかもしれない。


 内容はケイドロ。警察、泥棒の二役に別れ、追いかけ合いながら協力する。そこまではいい。問題は彼ら全員が能力保有プレートを所持していることである。

 泥棒役になった真琴は逃げ続けた。もしも能力保有プレートを使ったならば、自滅となるため他に道はない。しかし警察役の相手が悪かった。


「リベンジだ!さあ我らに捕まるがいい!!」

「今度こそぶちのめす!!」

「だからもぉおおおおお!!覗見!」


 若君と実流に追いかけられていた真琴は、同じ泥棒役である覗見の名前を呼ぶ。同時に現れる実像のない真琴の群れ。

 それが覗見の能力保有プレート【立体幻影】である。影までも投影するため、直接触れてみないと本物かどうか区別がつかない。

 実流は目を閉じて走る。地面には柔らかい草しか生えていない上に、障害物はない。視覚で惑わされずに済む作戦だ。


『あ、実流!目を開けろ!!』


 脳内に響いてきた裕也の声に、実流は慌てて目を開けた。視界一杯に広がるのは白。直後に大きな衝撃が顔面を襲う。

 土が抉られたように大穴が空いており、それを吸収するように作り上げられた大きな白の盾。一体誰が作ったのかと、実流は周囲を睨む。

 すると紫音が能力保有プレートを手にしながら舌打ちし、実流から距離を取る。そして意図されたように盾が崩れて元の地面へと戻る。


「お、まえかぁあああああああ!!どんな能力か知らねぇが、アイツに与するってんなら敵だ!!」

「その前に紫音殿も泥棒役でござるよっと。よ、ほっ、てりゃ、この、しつ、こい、でござる!!」


 映像に足止めされた若君は真琴から覗見に狙いを変え、その小柄な体を捕まえようと殴る勢いで手を伸ばしていく。

 樹木を使った体捌きで躱す覗見だが、若君の動きは衰えない。むしろ鋭さを増していくほどで、木の枝を蹴飛ばして木の間を飛び交う手段に躍り出る。

 忍者と言うよりは猿のような動きをする覗見だが、若君は笑みを浮かべて追いかけていく。さすがに覗見も目を丸くし、表情を崩す。


「せ、拙者の体術についてくるって、どんな能力保有プレートでござるかっ!?」

「ふはははははは!!英雄たる者、身の内に宿す辞書に負けの二文字はない!!」

「しかし拙者も忍びの端くれ!泥棒という不名誉で捕まるわけにはいかぬっ!」


 跳躍しながら映像で自分の姿を増やす覗見は、草むらへと姿を消す。しかし草が動く音だけで若君は反応して追いかけてくる。

 地面の震えや草の動き、匂いや風の音、その全てを使って本物を見抜く若君はやはり笑顔のまま諦めることを考えない。

 その様子を牢獄を守る警察役にされた遮音は呑気に眺めていた。牢獄と言われる丸い大きな円の中に広谷が既に座っていた。


「いやー……あの二人が本気すぎて降参しちゃったよ」

「仕方がないだろう。それに……茨木も本気出そうとしているしな」


 警察の指令役として能力保有プレート【光速伝達】を駆使する裕也と、その横で全体の状況を眺めている茨木は警察役である。

 苦笑いする広谷の言葉に静かに応じながら、遮音は頬を撫でる涼しい風に眠気を誘発されていた。やる気のない姿でもある。


「裕也くん。次は実流くんをあの位置に置いて、紫音と真琴くんを鉢合わせるんだ」

「わかった」

「次にあの枝を先に折れば覗見くんが足場を失くし、二人の上に落ちていく。一網打尽だよ」

「わかった……って、うわ、本当にそうなった!?」


 茨木の指示通りに警察役の生徒達に伝令をした裕也は、目の前で折れた枝によって足場を失くした覗見に潰される紫音と真琴の姿が見えた。

 そこで捕まるかと思いきや、太い棍棒のような足場が地面を陥没させると同時に出現し、三人の体を木の高さまで持ち上げる。

 実流と若君は急に空いた地面に引きずられる形で転ぶ。真琴が散らばるように指示し、またもや三人は別方向へと動いていく。


 棍棒が地面へと元に戻る前に若君と実流は真琴を追い始める。かれこれ三十分はこの繰り返しである。


「紫音しぶといな……昔からのことだけど」

「そんな虫を見るような目で言わなくても……」

「いや、これ言うの恥ずかしいけど……僕って負けず嫌いなんだよね」


 爽やかな笑顔で告げられた茨木の言葉に、裕也は悪寒を覚えた。顔は笑顔である。ただし目つきが危ない光を宿している。


「というわけで本気出そう。まずは紫音の足を封じる!次に覗見くん!あの二人さえ封じれば、この遊びで不利な能力保有プレートを持っている真琴くんは赤子同然!!」

「いやぁああああ!!こいつ爽やか優等生と見せかけた策士だ!すまない、真琴……俺も、負けたくないんだ!!」

「……早めに降参しといて良かっただろ?」

「そうだね……」


 遮音の言葉に同意しながら、目の前で繰り広げられるケイドロの名を冠した追走劇を、広谷は遠い目で見ていた。いわゆる他人事である。

 そして勝敗はお互いに泥だらけ、汗だらけ、たまに血塗れ、になりながらも茨木の采配と時間切れによって警察の勝利となった。ただし真琴は逃げ切ったので、実流と若君は不満気味ではあるが。

 牢獄に入れられていた紫音はスポーツ観戦で熱くなるおっさんの如く、激励のような野次を飛ばしていたため、途中で遮音に煩いと言われたのは別の話だ。


 ちなみにこれで友情を育めたかと言われたならば、誰もが首を横に振るだろう。真琴としては泣きたくなる結果である。





 そんな賑やかなケイドロが行われていた横で、斐文は保護区を守る壁の前にいた。ひっそりと、人知れずに。


「懐かしいなー。某も昔はああやって遊んで、戦って……生きてたなぁ」


 郷愁に耽る斐文はのんびりした足取りで操作盤の前に辿り着く。保護区の結界に必要な、大事な場所である。

 本来なら壁に溶け込むように隠されているその場所に、無粋な黒い機械の箱が取り付けられている。斐文はその機械に手を伸ばす。

 コードを入れ替え、送られてきた信号とは逆の動作をするように弄り、さらに余計な機能が発動するように仕組みを変えていく。


「ああ、やっぱりこの機械を使うのかー。昔と変わらないね。でも今と昔は違う。だから……」


 慣れた手つきで機械の仕掛けを変えた斐文は、近付く足音を感じて姿を消す。煙のようではなく、幽霊と見紛うほど痕跡も残さずに。

 ケイドロで逃走距離を伸ばした真琴は斐文の存在にも、黒い機械にも気付かず、ただひたすら後ろから迫る警察役から逃げていた。どれだけ大事なことを見逃したかも知らずに。

 少しずつ保護区に忍び寄る夜の気配が冷たい風と共にやってくる。初夏の暑さも消えていく肌寒さは、迫る予感を訴えるように少しずつ染み渡っていた。

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