十三番:出発

 五月二十四日。天気は快晴で、朝から地下深くに潜ろうとは思えない少し暑い空の下。

 学校指定の赤いジャージ服を着た真琴はアミティエ学園の恒例行事、学年別交流会を行うB4保護区オニオシに向かうため、無人貨物リニアモーターカーに通じる三番倉庫の前に同級生達と共に集まっていた。

 普段は荷物運搬用でしか活用されないリニアモーターカーに乗れる貴重な機会。同じクラスの裕也などは瞬間速度がマッハを超えることなどにはしゃいでいた。


 電子学生証に送られてきた交流会のしおりによると、学園長に代々引き継がれる能力保有プレートがあるからこそ実現できる無茶だと言われている。

 結界の仕組みを利用した緊急運搬を想定した実験でもあり、ネガティブな生徒は実験台に選ばれたのが気に入らない様子で苛立っている。

 しかし多くの生徒は浮足立っており、真琴もその一人である。横では覗見が小さな体格に似合うパンダの形を模したリュックを背負っていた。


「僕、今度は鬼に襲われないといいなぁ」

「主殿、それはフラグと言うのでござる。しかし襲われた経験がおありか?」

「アミティエ学園編入のために区間移動した際に。でも今なら能力保有プレートがあるし、遅れは取らないんじゃないかな?」

「そんなことないと思うなー、なにがしは」


 気配もなく背後に現れた斐文に、真琴は大袈裟に驚く。手荷物を一つも持っておらず、改造された赤い制服の格好で現れた。

 学年別交流会の服装は動きやすければ自由となっており、多くの生徒は私服とジャージ半々で別れている。しかし制服姿は斐文だけである。

 袖が余りまくったジャージを着ている覗見も目を丸くしており、一泊二日の別保護区へ行く姿には見えない斐文を下から上へと眺める。


「斐文殿、荷物は寮に忘れたでござるか?いや、でも斐文殿を見かけたことござらんし……自宅が保護区にあるでござるか?」

「秘密だよー。僕のことなんかより、もう少し鬼の構造について思い出した方がいいと教えてあげとくねー」


 気楽な様子で地に足が着いてないような歩き方のまま斐文は生徒達の波間に消える。影が薄いのか、あっという間に姿を見失う。

 真琴は斐文の言葉の真意がわからず、思い出せる鬼の特徴を思い出す。鬼には種類があり、五行鬼、病鬼、妖鬼、鬼武者、夜叉、修羅となっている。

 頂点には悪鬼羅刹王がいるとされているが、その姿を確認した者はいない。真琴が以前出会ったのは五行鬼の中でも火鬼と呼ばれる炎の体を持った鬼だ。


 五行鬼は鬼の中でも一番体構造の連結が弱いとされており、特異な体であっても鬼の心臓と呼ばれる角を破壊すれば消え去ると言われている。

 強くなればなるほど角と体の融合は根深く、鬼武者となれば兜で守っていると写真と実例が残っている。夜叉や修羅となれば脳まで食い込んでいるらしい。

 人語を解するのは妖鬼からであり、だからといって話が通じるとは限らない。病鬼が発生した場合は、特定の能力保有プレートでしか対処できないとまで言われている。


「……そういえば、遮音の能力保有プレートってどういうのだろう?」


 真琴は思い出したように一番仲の良い知り合いである遮音を頭に思い描く。遮音と出会った当初から不思議に感じていることがある。

 イジメの対象として意地悪をされた時、遮音は弾丸の速度で投げられた能力保有プレートが直撃し、廊下に血を撒き散らしたことがあった。

 直後になにもなかったように起き上がり、後始末や犯人追及などが雪崩れのように行われたため、真琴は聞けずじまいのまま一ヶ月が経過していた。


「遮音殿の能力保有プレートでござるかぁ……想像できぬ」

「でも動物愛護系だったらちょっと面白いかもね!犬に囲まれてる遮音とか!」

「俺は猫派だ」


 またもや誰かが背後から現れたことに驚きつつ、猫好きと判明した遮音を振り返る真琴。遮音もジャージ姿で簡素な旅行鞄を背負っている。

 隣には不機嫌そうな紫音が立っており、こちらはトランクケースを二つ持っている。一泊二日にしては多い荷物だと、真琴は首を傾げた。


「犬派は紫音だ。同族だからな。猫の方が愛くるしいのに」

「お前も同族だろうが。犬の方が忠誠心が高い!」

「やっぱ仲良いよね」

『良くない!!』


 犬か猫かで争い、真琴の言葉に揃って否定する双子に覗見は肩を竦める。色合いや趣味は真逆なのに、顔立ちや行動に言葉などそっくりな部分も多い双子である。


「ちなみに拙者はときキスの涙殿派でござる!目隠れ系おどおどミステリアス後輩最高!」

「貴様の性癖など聞いてない」

「性癖ではござらぬ!好みです、趣味です、意中の相手でござる!!そう言う紫音殿は好きな女子のタイプは!?」

「……筋肉があると良いな」


 答えるのか。そしてどうしてそうなったのか。紫音の返事に覗見はどこから攻めればいいか考えあぐね、無言になった。

 遮音は深々と溜息をつき、首を横に振っている。どうやらいつも通りのことらしく、紫音が天然でもあるらしいことが窺える。

 苦笑いしか零せない真琴は、担任であり今回の引率係でもある矢吹の生徒集合という呼びかけに気付き、人が集まっている方へと足を向ける。


 矢吹はいつも以上にやる気のない私服姿であり、養護教諭である未森の体の線を強調する過激な露出私服に鼻の下を伸ばす生徒が続出していた。

 対照的に事務員の杏里は袖のないニットに膝丈スカートに黒タイツであり、二年B組担任である万桜はテニスウェアという予想外の姿である。

 しかし意外と視線を集めるのが一年B組担任の桐生である。愛らしい天使の容姿に似合う薄手の白カーティガンに半ズボンであり、白く細い足が細身の女性である万桜と良い勝負なのである。


「おい、真琴。桐生先生、あれで男なんだぜ……やばいよな」

「え?やばいの?」

「……まぁ、強烈なのは夕鶴先生と武蔵副会長だけどな」


 そして一番注目を集める筋肉の塊と言わんばかりの二人、一年C組担任夕鶴と、二年生で生徒会副会長の武蔵。五月の空の下では少し暑苦しいくらいである。

 夕鶴はランニングシャツにズボンであり、はち切れんばかりの胸板に大腿筋が眩しい。武蔵は胸元を広げた柄シャツにジーンズであり、サングラス効果もあって学生には見えない。

 胸毛が生えている武蔵の強いフェロモンにやられた生徒数名が吐き気を催している中、真琴と同じクラスの広谷は頬を赤らめて眺めていた。


「すご……僕もあんな胸毛欲しいなぁ。どうも僕は毛が薄くて……髭も生えないし」

「広谷、お前はお前のままが一番魅力的だから。というか髭生えてなかったのかよ!?道理で朝の支度が早いと思った」

「同室だったのに気付かなかったんだね。髭かぁ……僕も薄い方だな」

「まじか!?えー、意外と俺が濃いのかなぁ」


 真琴と広谷の髭事情に引っ張られ、裕也は自分の顎を触る。年頃男子らしい悩みだが、矢吹は拡声器に向かって咳払いし、生徒達の歓談を中断させる。

 これからの予定について改めて簡単に説明し、慌てず騒がず移動するように指示していく。特にC組の若君、と指名が入るほど人の話を聞かない生徒に厳しい視線を向ける。

 タンクトップに半ズボン姿の若君は、嫌そうな顔をしている実流に向かって話し続けていたのだ。近くにいた茨木が静かに近寄って小声で注意するが、あまり効果はなかった。


「うむ、心得た!それで茨木とやらは荷物は持ってないのか?我なんかこの鞄全てにお菓子を詰め込んでいるぞ!」

「登山用の大きめリュック全てお菓子って……僕は相手の好意で荷物を持ってもらっているよ」


 話を止めない若君に対して茨木は笑顔でそつのない答えだけを返す。少し離れて会話を聞いていた紫音は自分のトランクケースと茨木のトランクケースを持ちながら溜息をつく。

 なんとなくその気配を察した実流だったが、深く関わりたくないため若君と茨木から離れようと歩き出す。しかしすぐに若君に止められ、やむなく話を聞くことに。

 矢吹は諦めたように説明を続け、細かい注意をした後は各クラス担任の後に続くように整列を促す。真琴はアトラクションに乗る前の子供のような気持ちで列に並び、地下へと足を進めた。






 約一時間後、疲れ切った様子で真琴達はB4保護区オニオシの土地を踏む。拘束具のようなシートベルトに呼吸器、体に負荷がかかるほどの速度と急ブレーキ。

 晴天の下に出られたことで一息ついたように多くの生徒が荷物を地面に降ろす。コンクリートなどではない、正真正銘の土。自然の温もり。

 適度に整えられた芝に鳥の鳴き声、木に這う虫。2222年では滅多に見れない光景に、真琴は感嘆の声を漏らした。


「写真で見た大戦前の自然みたい……これはなんていう虫かな?」

「それは蟋蟀こおろぎでござるよ。夜に綺麗な声で鳴くでござる。拙者の里にも多く生息していたでござる」

「え!?覗見が住んでいた保護区って自然が多くて虫がそんなにいたの!?」

「どっきんぐ!?いや、その……しからばごめ、って逃げ場がないでござるぅうううう!!」


 何故か逃げようとした覗見は建物が少ないキャンプ広場のような場所に絶望する。真琴はいつも通りだと判断し、黒い虫の蟋蟀に向かって手を伸ばしかけ、止まる。

 思った以上に気持ち悪い動きと足の不可解な多さ、なにより予想よりもジャンプする。一匹ならばいいが、五・六匹ともなれば慣れていない分恐怖が増す。

 近くにあった大きな石を試しに裏返してみた結果は言うまでもないだろう。即座に石を元の場所に戻し、なにも見なかったと暗示をかけるくらいは容易い。


「……自然ってもっとこうキラキラしてると思ってた」

「都会っ子のギャップでござるな、主殿。からりと揚げれば美味しい物もいるでござるよ」

「食べるの!?これを!?」


 蟋蟀を掴んだ覗見の発言に真琴は顔を青ざめる。あらゆる角度に小刻みに動かされる細く棘がついた足を口に入れると考えるだけで食欲がなくなる。

 しかし近くにいた若君が覗見の言葉の後に蟋蟀を生きたまま口の中に入れ、周囲にいた生徒が悲鳴を上げた。不味かったのか、他の要因か、若君は蟋蟀を吐き出すように口から出す。

 唾液で濡れた黒い体の蟋蟀は弱りながらも羽根を使って飛ぶ。その光景に生徒達は阿鼻叫喚になり、実流などは誰よりも早く遠い場所まで逃げた。


「うわ、歯の間に足が挟まって動いている」

「先生!!若君が怖いこと言ってます!!」

「なにをやってるのかしら?虫の腹には寄生虫がいたりするから生で食べては駄目よ?」

「未森先生も怖いこと言うでござるなぁ。だけど蟷螂かまきりとかは水に浸けてよく遊んだでござるな」


 自然との触れ合いが極端に少ない環境で育った多くの生徒達が覗見と若君から距離を取る。真琴も恐ろしさのあまり顔が青を超えて白くなっている。

 若君は生で食べてはいけないと聞き、半ズボンのポケットに入れていたライターを取り出すが、未森にすぐ没収される。火事の原因となる道具の持ち運びはしおりで禁止にしているからだ。

 毎年の光景だと矢吹など担任は微笑ましい目で眺めているが、真琴達はそれどころではない。しかし時間は彼らが自然に慣れる暇を与えてはくれない物である。


「じゃあ早速三人組に分けるぞ。謹慎や退学を除いて、現在百十一人。三十七組出来上がる計算だ。そしてバランスが整うように、あらかじめこちらで決めているから、呼ばれた奴は杏里事務員に番号札を受け取れ」


 矢吹の指示に従って名前を呼ばれた生徒は大人しめな容姿の杏里から、的確に番号札を受け取る。その番号札に書かれた数字が班の呼称にもなる。

 十八番の札を貰った真琴は残りの二人を探し、目を丸くする。覗見と紫音。だが紫音は目を吊り上げ、鋭い視線を双子の弟である遮音に向けた。

 二十一班となった遮音は広谷と茨木と一緒である。教師はなるべく違うクラスでまとめているらしいことがわかるため、これも交流会の一環なのだろう。


「遮音、変われ」

「そうだな。その方が……」

「駄目だよ、二人共。先生の指示に従わなくちゃ」


 番号札を変えようとした双子の間に笑顔で割って入る茨木。口元は笑っているが、深紅の目は笑っていない。

 生徒会所属のため、規律を重んじるのだろうと真琴や広谷は判断する。しかし紫音と遮音は、面白がっていやがる、と断定できた。

 だが下手に事を荒立てて担任に注意されるのも不本意であり、双子は視線だけで仕方ないと諦めて同時に舌打ちする。茨木は息の合う双子の様子に肩を震わせていた。


「真琴!!助けてくれー!!」

「裕也?どうし……頑張れ」

「見捨てるなー!!」


 実流と若君と同じ三十班になった裕也が涙目でいたが、真琴は自分の力ではどうしようもないと判断した。実流も大声で異議ありと担任の桐生に向かって叫んでいる。

 やはり仲の良いクラスメイトと一緒になりたい生徒は多く、番号札の交換をしようとしている生徒もいるが、多くは夕鶴と万桜に見つかって止められている。


「それじゃあ午前は自由学習。昼はカレー作りだ。班の全員で力合わせて頑張るように。精一杯頑張るように」


 念を押すように同じ単語を二回言った矢吹に対し、多くの生徒が同じ気持ちになった。絶対この交流会は一筋縄じゃない、と。





 紫音と覗見を連れて、真琴は木陰が涼しい林の中を突っ切り、保護区の端である壁に辿り着く。鬼から生活圏を守るための、結界発生維持装置の役割もある。

 白いが年季の入った汚れ方をしている壁に手を触れれば、石とも金属とも判断しにくい質感が伝わる。高さは約五十メートル、ビル十階分ほどの高さよりも大きい。

 厚さは十メートル。内部には結界発生装置が埋め込まれており、壁と同化するように隠された蓋を開くことで強度や性質調整できる操作盤がある。


「改めて見ると、大きいよね。やっぱり結界を作るのって大変なのかな」

「拙者は鬼に壊されないため、壊されても侵入に時間をかけるためと聞いたでござるよ」


 五十メートル先の壁の頂点、そこからさらに透明な結界が半円を作り上げている。結界の形を変えるのには、また別の操作盤が必要であり、それは一般人には伝わっていない。

 壁にある操作盤でできることは緊急時に直接発生装置を起動と変化させるだけのスイッチであり、遠隔操作を受け付けなくなった際の対処法でしかない。

 真琴と覗見が呑気に会話している間に紫音は電子学生証で要点をまとめていき、自由学習としての成果を残していく。その真面目な姿に覗見が感心する。


「紫音殿は意外と勤勉でござるなぁ、もしや眼鏡枠を狙っているでござるか?」


 からかうような覗見の言葉に返事どころが視線も寄越さない紫音。覗見は唇を尖らせるが、真琴は苦笑いを零すしかない。

 多くの班は虫や泉質について触れて調べているが、壁を調べたいと言ったのは真琴である。常に自分達を守る存在を、改めて真正面から見たかったのだ。

 大体の保護区では常駐している討伐鬼隊の隊員が見張りをしているため、近くで調べていたら補導される可能性がある。常駐隊員がいない保護区への移動など滅多にない、貴重な機会である。


「……鬼って、どうして人間を襲うのかな?」

「そういえば動物は襲わないでござるな。とある辺境では緑生い茂る場所もあると噂が」

「鬼は……人の感情から生まれると言う。大地に染みついた怨念、後悔、妄執……時には人でさえも」


 視線は合わさないまま会話に参加してきた紫音に、覗見が夜叉や修羅の事例を思い出して頷く。しかし真琴は紫音が感心を持った理由を知っている。

 双子の弟である遮音が話した鬼になった父の話。二人はそれを目の当たりにしており、目の前で鬼になったとはいえ父が殺されたのを見ていた。

 発狂したが故に壮絶な最期を迎えたそれを、真琴は想像でしか補えない。しかし紫音と遮音にとっては現実の光景として思い出されることだ。


「とある男は、人が愛を求めるように鬼は人の感情を求める、と言っていた」

「愛を求めるように……」

「貴様の友情を探すのと同一だ。そう考えれば、貴様も鬼なのかもしれないな」


 冷たく突き放すような言葉よりも、鬼かもしれないと言われたことが真琴には衝撃だった。真っ赤な体をした鬼の笑い声が頭の中で再生される。

 身の毛もよだつ恐怖があるとすれば、それが形になったと言うならば、鬼こそが妥当な姿である。しかし真琴は紫音の言葉を否定できない。

 実流にイジメられていた時、真琴は人間の中に鬼が混じっているのではないかと強迫観念に捕らわれた。鬼と人間の境目がわからなくなった。


「そういう紫音殿は友と呼べる者はおらぬのか?」

「……定義が、わからん。境界も曖昧で、同じクラスで話しただけで友人と認定する奴は吐き気がする」

「世の中にはそんな簡単に友達が作れる人がいるの!?」

「作ることは簡単でござろうよ。それを継続、及び強化、また編成できるか。ゲームみたいになってきたでござるな!むっはー!!」


 紫音は呆れた顔で真琴と覗見の顔を見つめる。特に覗見に関しては人間としておそらく最低の部類に入る言動をしたため、軽蔑の意味も込めた視線を向けた。

 夏に近付く青空を眺めながら真琴は衝撃の真実に驚く。同じクラスと言うだけで友達になれる人物が存在し、作ること自体は簡単でゲームになぞられた事実。受け止めきれないせいか、心臓が変な音を出す。

 しかし厳格な叔父が簡単なことをわざわざ真琴に伝えるとは思えない。言葉に隠された真の意味がわからず、真琴はひたすら困惑する。


「……友情って難しいね」

「知らん。勝手に悩め」


 素っ気ない紫音の言動にも慣れてきたため、真琴は頷くことで返事とする。それが気に入らなかった紫音から盛大な舌打ちが聞こえた。

 強めの風が林の木を揺らした時、真琴は背筋に悪寒が走るのを感じた。思わず白い壁を振り返るが、そこには生徒達を見守る役目を担った矢吹が桐生と一緒に行動していただけだ。

 壁にある操作盤の前で話しているようだが、真琴達がいる場所までは届かない。自由学習は充分だと判断した紫音が先に歩いていくので、真琴と覗見は慌ててその背中を追いかけた。





 昼にはカレー作りと意気込んでいた生徒達は、食材である玉葱と人参、ジャガイモに肉、カレー粉と付け合わせのブロッコリー、お好みで福神漬けというラインナップは納得していた。

 しかしそれらが自由学習している間に林の中に隠された上に、担任達の妨害を潜り抜けて探すという課題が出されたことには不平不満が噴出するが如く飛び交った。

 特にお腹を空かせている食べ盛り男子達は精一杯抗議したのだが、眉間に皺を作った万桜が淡々と呟いたことにより状況は一変する。


「ならば吾輩が全ての食材を奪い尽くしてやろう。カレー粉のないカレー!肉も野菜もないカレールーのみ!なんなら米すら奪ってやってもいいぞ」


 遠まわしな食事抜きの言葉に生徒達は一斉に林へ向かって走り出す。中には他の班が獲得するはずの肉を奪おうと悪巧みする者もいる。

 覗見が用意されていた鍋の一つを掴み取り、肉とカレー粉を先に取りに行くと素早く林へと飛び込む。最悪を回避するための選択肢であった。

 真琴は玉葱と人参、ついでに福神漬けも取りに行くと宣言して林の中を走っていく。聞こえてきた紫音の制止も振り切り、上下左右と視線を動かしていく。


 視界を横切った笑みに鳥肌が立ち、真琴は勘だけで地面に伏せる勢いで頭を下げた。地面に埋まっていた小石の角で手の平を軽く傷つけながらも、黒い髪の毛を掠めた蹴りに目を丸くする。

 笑いながら獰猛な輝きを灯した夕焼け色の瞳、そして遥か遠くの赤銅の瞳。色味が異なる赤い目が三つ揃うことよりも、最悪な組み合わせに真琴は木の根に躓いた流れのまま前転して叫ぶ。


「人を弾丸のように飛ばさないでよ、実流!」

「文句なら我を飛ばしてくれと頼んだ若君に言え!俺はその通りに実行した!それだけだ!!」

「はーはっはっは!!今のを避けられるとは、楽しくなってきたじゃないかぁっ!!」

「カレーの材料探しという主旨から外れんなぁあああああ!!」


 勝手に連携して真琴を攻撃してきた実流と若君に対し、一人で頑張ってカレー粉だけでも確保して走ってきた裕也が叫んだ。しかし二人を止めるには力が足りない。

 特に若君は完全な不意打ちを避けられたことで燃え上がってしまい、八重歯を見せながら笑う。真琴は相手にしてられないと背中を向けて走り出そうとして、能力保有プレートの反応に合わせて若君の顔を殴っていた。

 若君の殺意にも似た攻撃に体が応じ、能力保有プレートが反撃を先取る。殴られて頬がわずかにへこんだ若君だが、笑みを止めずに頬を殴った真琴の腕を掴んだ。


 反撃を先取るため、フェイント以外で防御は不可能。しかし防御を捨てて反撃された後の瞬間的な無防備を若君は逃さず、掴んだ腕を力任せに引っ張り、一本倒しする。

 上下があっという間に逆転したことに真琴は慌てず対処し、自由な左手で若君のタンクトップの肩部分を掴む。地面に倒された衝撃で息が詰まるが、意思の力だけで掴んだ布地を引っ張る。

 体勢が崩れて前のめりになる若君は、踏ん張ろうとして足を動かす。真琴は若君の手の力が緩んだことを感じて、体全体を転がして振り切るように動く。


「楽しい!楽しいぞ、真琴!!ここでお前を倒したいほどに!!」

「……あん?待てよ、若君!そいつを倒すのは俺!俺が倒してから倒せ!!」

「そういうのいいから食材探せよ、馬鹿っ!!カレーライスじゃなくてカレーのみにすんぞ!!ライスなんか万桜先生に捧げるぞ!!」

「僕を巡る争いなのに一切嬉しくない!!むしろ止めて!本気で止めて!!今はカレー作りに勤しもうよ!!」


 騒ぎを聞きつけた他の生徒が集まる中、茨木は腹を抱えて転がりそうになるのを堪えているせいで、広谷に心配されていた。

 遮音も見ていて呆れていたのだが、若君と実流がお互いに睨み合いを始め、実流は近くに落ちていた木の枝を拾い上げる。

 触れた物を弾丸のように飛ばす実流の能力保有プレート【万物狙撃】の威力に怯むこともなく、若君は指先だけでかかってこいと示唆する。


「あ、危険な兆候だな。ということで、遮音!」

「なっ!?」


 一瞬で真顔に戻った茨木は遮音の背中を突き飛ばして実流の攻撃の直線上へと無理矢理移動させる。文句を言う前に木の枝が遮音の頭を貫いた。

 暑いほど輝く太陽の下、生命溢れる木の幹や葉に鮮血が飛び散る。倒れていく遮音の体に真琴は声も出なかった。木の枝が血に塗れたまま地面の上に落ちる。

 広谷がショックのあまり自分の能力保有プレート【刹那治療】のことも忘れ、貧血で倒れそうになるのを茨木が背中を支え、小声で三秒カウントする。


 きっちり三秒後、不機嫌な顔で起き上がる遮音。金髪の先に血が多少ついているが、無傷である。ただし顔は青白い。


 倒れたことに反応できなかった生徒達だったが、無傷で起き上がった遮音を見て恐怖が臨界点を突破した。鳥が逃げ出すほどの絶叫が林に響き渡る。

 悲鳴を聞きつけた覗見や紫音も、飛び散った血の惨状を見て大方の事情を知るが、またこの面々かと紫音が実流と併せて真琴を睨む。

 紫音に睨まれた真琴は思わず否定の言葉を出そうとしたが、なにを否定するかわからず、黙って項垂れる。


「ふ、ふは、はははは!面妖な!では三つ巴からさらに戦いを発展させるか!」

「貴様達は調子に乗り過ぎだ……ここで全員始末してやる!!」

「紫音殿、なんだかんだ言って弟想いなのでござるな。しかしどうやら主殿も巻き込まれたご様子……拙者も加勢するでござる!!」

「だからカレー作りって言ってんだろぉぉおおおおお!?どうしてそうなっちまうの!?」


 最早カレー作りに拘るのは裕也だけとなりつつある空気の中、生温かい風を供とするように斐文が現れる。


「はーい、時間切れー!材料探しは終わりだって先生達がこっちに来ているよー。もう止めときな」


 気配もなく出てきた斐文に全員が目を丸くする中、確かに万桜や矢吹の声が真琴達がいる場所へ迫っている。実流と紫音は舌打ちし、若君は気にせずに暴れようとして、背中に回った茨木に木の枝を背中に突きつけられる。

 広谷と真琴は地面の上に座ったままの遮音に駆け寄り、覗見は血を見られたら怒られることを危惧して、袖の中からスコップを取り出して地面を掘り返し、血の跡を隠していく。

 裕也も覗見と同じように血がついた枝を隠そうと拾った瞬間、他の生徒から騒ぎの顛末を聞いた万桜が走って到着した。現物証拠付きの隠蔽工作を目の当たりにする。


「……えーと、万桜先生、めんご!」

「許さん」


 可愛らしく誤魔化そうとして失敗した裕也含め全九名、カレー作りに入る前に正座で説教を受けることになるのであった。

 ただし斐文だけは姿を消しており、夕鶴と万桜による人生観も含めた説教を受けている中、そういえば斐文はどの班所属か知らなかったことを真琴は思い出していた。

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