十番:一先

 真琴の予想通り、GW最終日の五月六日。遮音と一緒に向かったハンバーガーショップにて。

 相変わらず隠れる気のないキャラクター模様の壁布で姿を隠す覗見が離れた席にいた。むしろ壁布がない方が隠れるほどだ。

 外の景色が見える窓際に設置されたカウンター席で、硝子に映る不審物を見ながら真琴は包み紙を剥がしてハンバーガーを口にする。


「どう思う?」

「馬鹿だと思う」


 似たような言葉を繰り返し、確認する。隣に座る遮音はソース一滴零さずに綺麗に食べ終え、包み紙を畳んでいる。

 春用の白いジャケットコートに白のズボン。カレーを食べたら汚れそうと思っていた真琴だったが、ハンバーガーを食べる姿を見てしまえば杞憂だったことがわかる。

 そして初めてのハンバーガーに苦戦する真琴は、噛んだ直後に飛びだした肉の塊に驚き、そのまま机に落としてしまう。服が汚れなかったのは幸いだ。


 黒のジャージに青いジーンズが汚れてないのを確認し、一息つく真琴。予想以上に食べにくいハンバーガーに難色を示す。

 上下から強く力が加われば真ん中がはじき出されてしまうのは当たり前であると、遮音は真琴のファーストフードの食べ方の下手さに呆れる。

 地面には落ちなかったため、すぐさま肉の塊を拾い上げて口に放り込む。しかし美味いかと言われたら、微妙な味であった。


「でも、皆は意味があるみたいなことを言う。それに風紀委員会の慎也先輩は実力者だって判断してた……僕はますますわからなくなったよ」

「そうか?意外と簡単だ。わざと見つかりやすいようにあの布をしている、ということは別の場所を隠したいということだ……今なら右斜め後方に答えがあるぞ」


 遮音が目の前にある店内がわずかに映る硝子を指差す。外も明るいが、店内の灯りもあるため弱い鏡のような使い方ができる。

 しかし人影くらいしか掴めないため、真琴は派手な動きを見せないように静かに振り向く。そして遮音の言葉の意味にやっと気づいた。

 サングラスや帽子で顔を隠しているが、真琴達の様子を窺うようにハセガワ・広谷とフジ・裕也が隠れるように座っている。


 派手な壁布で姿を隠していた覗見に気を取られ、そちらばかり注目していたため全く気付かなかった。真琴は改めて遮音の顔を見る。


「ど、どういうこと!?」

「そういうことだ。あとはお前自身が聞くしかない……その方法も周囲がさり気なく教えているはずだ」


 真琴は少し悩んだが、その方法が一番かと電子学生証を操作してメールを送る。返事が来るまで時間があるため、食べた跡を片付け、店から出る。

 西エリアを遮音と一緒に歩く。後方には変わらず派手な壁布で姿を隠している覗見と、それを隠れ蓑として別方向で姿を隠している広谷と裕也が後を追いかけてきた。

 黙って歩いているのも変に見えるため、真琴はGWにあった些細なことを遮音へ話していく。雑貨屋で紫音と会ったことを話せば、遮音が思い出したように吹き出し笑う。


「紫音は遮音のお兄さんなんだよね?颯天先輩みたいにぬいぐるみ好き……あ、これ忘れろって言われてた」

「馬鹿兄だ。好きで兄になってもらったわけじゃない。あとあれは罰ゲームだ……帰った後、顔を真っ赤にして二度とやらんと怒っていたが」

「なんか、やっぱり兄弟なんだ。前半、紫音と似たこと言ってるよ」

「……忘れろ」


 少しムッとした表情を作った遮音だが、またもや紫音と同じことを言ったので今度は真琴が吹き出すように笑ってしまう。

 笑われたことが気にいらなかった遮音が軽く足を蹴ろうとするが、真琴は歩きながら器用に避ける。何度かそれを繰り返し、中央エリアへ向かっていく。


「あと古寺先輩の妹さん、小毬ちゃんとメール友達になったんだ!ほら、これは昨日のメールで……」

「爆散しろ、と言ってやりたいが……この御時世にメル友ぐらいでそこまで浮かれているのを見ると泣けてくるな」

「え?えへへ……そ、そんなに嬉しそうかな、僕?あと風紀委員会に入ったよ。昨日空海先輩に手続してもらったから!」

「……そうか。あれと同じ委員会か……とりあえず頑張れ。さて、目的地についたな」


 少しだけ哀れむ視線を送った遮音だが、真琴が足を止めると同時に立ち止まる。見上げるのは休日で閉めきられたアミティエ学園の校門だ。

 二人の後をつけていた覗見が怪しむように壁布をウエストポーチにしまい、声をかけて意識を逸らそうとした瞬間。ポケットに入れていた電子学生証からメールが来る。

 何事かと取り出せば、そこには決闘の申し込みメール。申し込み相手は真琴、許可担任は矢吹。驚いた覗見が顔を上げれば、近くまで真琴が迫っていた。


「なにやっても逃げられるからさ、逃げられない場所に僕が誘うしかないんだ。それに……言葉じゃ伝えきれるか不安だから」

「む、むぅ……しかし逃げ犬と笑われても、拙者には戦うメリットがないでござるよ!しからばここは……」

「波戸の能力保有プレート、行方知れずだってさ」


 矢吹に拒否する旨をメールで送ろうとした覗見の指が止まる。驚愕をそのまま顔に貼りつけ、真琴の顔を見上げる。


「どうする?ここで逃げたら、きっとなにもわからないよ」


 覗見は沈黙する。しかし指先は静かに拒否の字を消し、参加の字を新たに加えて矢吹へとメール送信する。

 バトルチップ相場アプリが稼働する。多くの学生が休日に行われる異例の決闘に驚き、保護区内の各地で観戦しようと動き始める。

 一時間後の午後二時半、地下一階に設置された決闘場C室で行われる。審判は三年B組担任のマツダ・樟蔭しょういんである。休日出勤だが無視することはできない。


「了解したでござる。広谷殿、裕也殿!すまぬが拙者は……戦うしかないで候!」

「お、おい!?なに勝手に俺達の存在を……つーか、お前だって俺達と同じ」

「だからでござる!其方達と同じままでは、拙者はなにもわからぬ愚か者のまま傷を舐め合うしかない!なれば、男として花咲かすも一興というもの!」

「え、えええ!?さり気なく僕達貶めてるのが、なんていうかもう!!あー……もう!僕は覗見に賭ける!」


 あっさりと隠れていることを晒された広谷と裕也は動じる。既にばれているのを知らないため、覗見に対して不満が浮かんでくる。

 しかし後には退けぬ事態となったため、自棄になった広谷はバトルチップアプリでどちらの味方をするか明確にした。大人しい外見に似合わない決断である。

 逆にいつまでも狼狽えているのが裕也だが、広谷につられるように同じく覗見に賭ける。真琴は期待した目で遮音を見るが、肩を竦められてしまう。


「俺は今回どっちにも賭けない。面倒なだけだ」

「そ、そんなぁ……」


 あっさりとした返事だったが、少し落ち込んだ真琴も気を取り直して目の前にいる三人を見据える。

 慌てて走ってきた樟蔭が校門を開き、生徒達が入れるように決闘場C室までの鍵を解錠していく。そして次々と学生達が集まり始める。

 中には祭りかなにかと勘違いした住人達が私服姿の生徒達に紛れて中へと入っていく。樟蔭は一般の方には退室を願おうとしたが、学園長である梁が観戦許可を特例で出してしまう。


 古寺は病院から外出許可を貰い、車椅子に乗った小毬と付き添いの風花を連れてくる。もちろん颯天も同伴している。

 真琴が自分以外に負けることを許さない実流も最前席で野次を飛ばそうと歩く中、後ろから紫音を連れた茨木に声をかけられて目を丸くする。

 前回の番狂わせを期待している生徒達はバトルチップ相場アプリを起動しては、どちらに賭けるかで賑わう。中等部の生徒達も、参考として直接観戦しに来ていた。




 きっちり一時間後。幅広い階段に似ている観覧席は満席というだけでなく、立ち見まで発生する異常事態になっていた。

 人の熱気で汗を流す者もいるため、冷房と空調が全力で稼働している。古寺は妹の小毬が熱で倒れないように細心の注意を払っている。

 何故か茨木が隣に座ってしまった実流は怪しむ視線を向け、茨木の隣に座っている紫音は実流に敵意の視線を送っては、茨木に背中を抓られていた。


 決闘場は柔道の試合を行うサイズよりも少し大きい。南側の入場口には赤い朱雀が、北側の入場口には黒い玄武が描かれている。

 東側の観覧席内部には解説用の座席と机が用意されているのが常だが、今回はあまりに人が溢れたため解説役はいない。客が机の上に自分の荷物を載せている。

 笛を手に樟蔭が決闘場の真ん中に現れる。イタリアからやって来た伊達男の名を思うがままに表す、金髪青目の美男に黄色い声が珍しく飛ぶ。


 いつもは男子生徒しか決闘場には入れないため、女性の声を歓喜して受け止める樟蔭。あまりの嬉しさに目の端に涙を浮かべるほどだ。

 しかし喜び過ぎて入場の合図を忘れたため、すぐさまブーイングが飛んでくる。男のブーイングは嬉しくないと言わんばかりに、投げやりな説明をする。


「これよりランバ・覗見対スメラギ・真琴の決闘を開催しちゃうよ、レディ達!ジェントルマン?知らないねぇ……というわけでちゃっちゃか入場しちゃってよねー」


 適当な感じの吹き方をされた笛を合図に、真琴は苦笑いで入場する。覗見も些かやる気を削がれた顔で入ってくる。

 だが視線が交われば一気に戦闘意欲が湧いてくる二人に、遮音とその横にいる広谷と裕也は観覧席から行方を見守るため集中する。

 覗見の私服は相変わらずサイズが大きい服であり、今日も茶色のパーカーの袖を捲くり、黒い半ズボンすら膝を隠している。ウエストポーチは外している。


「そんじゃあ賭けの時間は終わりだよ、悪ガキ達!ここからは熱苦しい男の戦い、嫌でも見てしまう意地の張り合いさ!それじゃあ、三、二、一、レディゴォッ!!」


 樟蔭の合図と共に真っ直ぐ走り出した真琴は、躊躇うことなく覗見に拳を当てた、が、すり抜けてしまう。

 勢いで崩れた体勢をすぐに立て直して振り返れば、そこには無尽蔵のように現れた覗見が十人。全員が寸分違わぬ同じ容姿だ。

 観覧席からも動揺の声が葉擦れのように湧いてくるが、それも気にせずに十人の覗見が一斉に口を開いた。


「これぞ忍法【立体幻影】でござる!どれが本物か見抜けるで、どわぁっ!?」

「忍法じゃなくて能力保有プレートの効果だよね?しかも動作は同じなのに、声が出てるの一人だけだし」


 冷静に状況を見極めた真琴が迷わず本物の覗見に殴りかかろうとした。慌てて避けた覗見だが、俊敏な動きに感嘆の声が観覧席から届く。

 しかし黙ってしまえばどれが本物かわからなくなってしまう。それくらい【立体幻影】は立体映像のように精密な覗見の姿を映しだしていた。

 さらに全員が同じ動きをしたかと思えば、一斉に散らばっては別の動きもする。真琴は目を動かすが、後ろから迫る気配だけで頭を下げた。


 真琴の頭に向かって回し蹴りを放った覗見だが、避けられた後も気にせずに自分の群れの中に逃げ込んで姿を隠してしまう。

 攻撃した際にすり抜けたということは、実体は持っていない。それでも目で反応しようとすれば、死角から襲い掛かる本物の動きが捉えられない。

 地面を見れば影すらも寸分違わない上、映像自体も気配を微弱ながら放っているため、集まってしまえば本物の気配も隠されてしまう。


「……波戸は、拙者にとって初めてできた中等部の友人でござる」


 声がした方を向けば、本物どころが映像もない。真琴が目を丸くする中、今度は逆から覗見の声が聞こえてくる。


「その頃から高等部に入ったらプレートを売るとは聞いていたでござる。拙者は冗談だと思い、本気にしていなかったで候」


 今度は振り向きながら拳を振るうが、真琴が殴ったのは映像だった。すると真琴の顎下を狙い、身を低くした覗見が叫ぶように声を出す。


「だけど売った!!そしていなくなった!!なんの相談もなしに、友人だと思っていたのに!!」


 無理矢理腰を捻った真琴は、下から迫った覗見の蹴りを避ける。床を転がるように動けば、あっという間に本物の覗見を見失う。

 周囲には笑い続ける覗見や、泣き続ける覗見、怒った顔をする覗見に地団駄を踏む覗見、ひたすら覗見の映像で溢れていた。

 いつも壁布で姿を隠していたため、真琴はあまり覗見の姿をじっくりと見たことがない。そのため今すぐ映像と実像を見分けるのは不可能だった。


「……まぁ、それはもう過ぎ去ったことでござる。最早語る意味もなし」

「違うと思う。覗見、今泣きそうな顔をしているだろう?」


 ただの直感で放った言葉だが、泣きそうな顔をしていた覗見が、本物が慌てていつもつけているニット帽で目元を隠す。

 あれが本物かと走りだした真琴に、素早く映像の覗見が飛びかかってくる姿が目に入る。意味がないとわかりつつも真琴は避けてしまう。

 普段から鍛えているのが仇になるかのように、惑わされる。頭でわかっていても、体が襲い掛かる敵から逃れようと反応する。


「忍者に感情は必要なし。拙者はまだまだ未熟でござるな、これは。されど……負ける要素はない!!」


 またもや襲い掛かってくる覗見達に今度は惑わされないと防御態勢で待ち構えていた真琴だが、その足元を崩す足払いが先だった。

 気配を消して近付いていたことに気付かなかった真琴は、そのまま床に手をついて飛び起きようとしたが、その前に覗見が体ごと真琴に体当たりする。

 受け身を取ることもできずに転がった真琴だが、すぐに決闘場の壁に当たって止まる。肺にあった空気が全部衝撃で吐き出され、呼吸しようと意識が逸れる。


 横になった体勢の真琴の右足首に、靴の爪先を抉り込ませた覗見は、そのまま捩じり上げて骨を外そうとした。呼吸が整う前に危険を感じ取った真琴が壁を使って体を動かす。

 腕の力だけで体全体を動かし、足首から覗見の爪先を外させ、巻き込むように覗見の体を転がり倒す。掴みかかろうとした真琴だが、覗見はねこだましという相撲の技で真琴の意識を飛ばす。

 両手で作られた真空の衝撃は強烈であり、覗見が逃げ出すには充分だった。またもや本物の姿を見失った真琴は、右膝をつきながら聞こえてくる声に耳を澄ます。


「拙者、波戸がイジメられている時に多くの者に尋ねたでござる。友人など初めてで、それがイジメられるのも初めてでだったで候。だから」

「……皆、どう助言したの?」

「関わるな。それだけでござる。自分には関わりがないし、本人が解決するべきことで、介入しても意味がない……先生も、同級生も、兄者も、長老も……同じでござる」


 観覧席にいた茨木は横目で実流を眺める。イジメの張本人であった実流は無言で、それでも苦虫を噛み潰した顔をしていた。

 覗見の声は決して大きくない。それでも鼓膜に直接響いてくるようで、真琴は続きを待つ。


「当たり前でござる……あれは波戸がプレートを売ったのが悪かった。抵抗しなかった波戸が悪かった。それだけでござ……」

「嘘だ。そんなこと少しも思ってないくせに、そうやって偽るのが忍者なの?」


 挑発するように真琴は問いかける。爪先を捻じ込まれた右足首が痛むが、動かないほどではない。


「……なにがわかる?拙者の、見ているしかできなかった拙者の気持ちなんて理解できないくせに!!」

「ああ、できないね!!しかできなかった?なにもしなかったの間違いだろう!?やろうと思えば、助けることができたくせに!!」


 激昂した覗見の声を頼りに真琴は走り出す。怒りながら鋭い視線を向けてくる覗見は気配を隠せていない。

 偽物の覗見達が真琴に攻撃する動作を見せるが、真琴はあえて無視して痛む足首を忘れたまま突っ込む。しかし待ち構えていた覗見の拳の方が速い。

 だが、真琴には能力保有プレートの【反撃先取】がある。本物の覗見のフェイントではない攻撃に対して反撃を先取りする。


 鋭い一撃が覗見の鎖骨にぶつかる。痛みで歯を食いしばった覗見は、吹き飛ばされながらも空中で器用に体勢を整える。

 すぐさま映像の覗見達が本物を隠してしまう。追いかけようとする真琴だが、足首が針を突き刺したように痛み始め、動きを止める。


「じゃあどうすればよかったでござるか!?一緒にイジメに遭えば良かったのか!?それともイジメ相手を拙者が殴れば収まることであったか!?」

「そんなのわからない!僕だって同じさ!それでも誰かを言い訳にして友人を悪く言う奴を良い奴なんて言えない!!」

「しかし、しかし!!皆、拙者より友人について詳しい!それが全部言うことが間違いだなんて、拙者には言えない!わからない!!波戸だって、真琴殿が庇っても礼の一つ言わなかったじゃないかっ!!」

「ああ、もう!そうじゃない!!そうじゃないんだよ、覗見!っ、俺が聞きたいのは正しいことじゃない!覗見の本当の気持ちなんだ!!」


 一人称を僕から俺に変えて、真琴は叫ぶような声を出す本物に向かってまたもや走る。今度は覗見も迫り、攻撃しようとする動作を見せた。

 それに反応して真琴が反撃を先に打ち込む。しかし覗見の攻撃した動作はフェイントであり、次は手の平に受け止められて防がれてしまう。そのまま引き寄せられ、頬を殴られる。

 顎の近くを殴られたため、真琴の意識は飛びそうになる。それを奥歯を血が出るほど強く噛み締めて耐え、もう一撃入れようと受け止められた反対の手で殴ろうとする。


 覗見はもう片方の拳も受け止め、両手で押し合うような体勢で固まる。映像の意味がなくなり、あらゆる覗見が決闘場から消えていく。

 お互いを睨み合いながら押し負かそうと足を踏ん張り、肩と肘を駆使して力を強めていく。一進一退の張り合いが続き、その間も言葉をぶつけ合う。


「助けるのが正しい?助けないのが正しい?そうじゃなくてさ、覗見は波戸を助けたかったんじゃないのかってことを俺は聞きたいんだよ!」

「……やるとできるは違うでござる。やったところで波戸は退学した!もういない!全部終わったことでござる!!」

「結果論だ!だったら覗見はなんで俺のことをつけまわしていた?なんで広谷と裕也と一緒にいるの?俺に聞きたいことがあるんじゃなかったの?波戸について、聞きたかったんじゃないのか!?」


 わざと力を緩めた真琴のせいで自分の力で体勢を崩す覗見。その力を利用して真琴は覗見を壁に向かって投げ飛ばした。

 またもや空中で器用に回転し、壁に一瞬ながら柔らかく着地する覗見。しかし映像を出させたくない真琴は気にせずに突き進む。

 舌打ちした覗見は大きな袖の中から自分の能力保有プレートを取り出し、手裏剣のように真琴に向かって投げる。避けるために真琴の動きが止まる。


「ああ、そうでござるよ!広谷殿と裕也殿に言われたでござる!どうしても、もう一度仲良くなりたいと!!」


 観覧席にいた広谷と裕也が立ち上がり、顔を真っ赤にして否定しようとした。しかし横に座っていた遮音が立ちはだかり、視線で黙らせる。

 一時の恥で二人の決闘を妨害するのは許さないと言わんばかりの眼光に、二人以外の観客も恐怖で身が竦んだ。


「なんで……なんででござるかっ!?見捨てたのは自分達でござる!いまさら、どの面下げて仲良くなりたいと!?」

「でも協力してる……さっき言ったよね。俺には理解できないって。でも同じ立場の覗見はわかるんじゃないの?」

「っ、そ、れは……」

「なんとなくわかってきた。覗見、もう波戸に会えないもんな……仲直り、できないもんな」


 波戸は能力保有プレートを売り払い、イジメを契機に退学してしまった。真琴はイジメられたが、在学したままだ。

 保護区間の移動は難しい。気軽に出身保護区に帰るのも難しく、夏休み以外で里帰りする者は滅多にいない。春休みも卒業生以外は多くが残る。

 どんなに会って話したくても、二度と会えない。イジメられた波戸を助けなかった覗見は、どんなに話したくてもあわせる顔がない。


 周りに言われるがまま友人を見放し、イジメられた方にも悪い理由があると言い訳し、二度と会えなくなってしまった。

 素直に謝ることもできず、二度と会えない場所まで来てしまった覗見に、まだやり直せる可能性を持つ二人が話を持ちかけた。

 同じ立場だからわかりあえるだろうと。そして覗見は嫌になるくらい、広谷と裕也の気持ちがわかってしまう。都合がいいと感じながらも、修復できればいいと。


「……要は、俺と仲直りしたい二人に覗見が巻き込まれただけなんだよね」

「ぬぐぅっ……看破されたでござる。そうでござる!拙者は二人に巻き込まれた被害者で……」

「でもそれだけじゃ通じないことが一つ。覗見、もしかして波戸が俺に吐いた暴言気にしてるんじゃない?」

「どっきんぐ!?」


 気を取り直して本音を誤魔化そうと被害者面を作ろとした覗見だが、真琴が間髪入れずに核心を突く。

 真琴の背後の床に突き刺さったプレートを取りに行こうと走り出そうとした覗見に反応する真琴。しかし予想斜め上の動きで覗見は移動する。

 壁走り。言葉にすれば簡単だが、覗見が行ったのは床を蹴り上げて緩やかな弧を描く壁を飛び跳ねることだった。三角飛びの要領に近い。


 それでも意表をつくには充分で、真琴が振り返る前に背後に着地した覗見はプレートを片手にまたもや大量の映像を出現させる。

 森の中に木を隠すような手法。もしかして本当に忍者なのかと信じかけている真琴は、一つの解決策を思いつく。

 映像に隠れながら覗見は移動し続ける。声の出し方も反響させるように意図し、場所の特定を困難にしさせる。


「波戸は……悪い奴じゃないでござる。でもいつも言っていたで候……目が赤い奴が羨ましいと」


 赤い目は煌家の血を継ぐ証。有力な家と関係を結んだ証明であるかのように、アミティエ学園にも赤味を宿した目を持つ者は多い。

 その色に宿った裏の意味は成功。実際に赤い目の子供が生まれなくなった家は没落する、という噂が密やかに信じられているほどだ。

 動き続けながら真琴の赤い目を見ようとした覗見は驚く。手の平全てを床に吸着させ、膝をわずかに浮かした四つん這い体勢の真琴がそこにはいたのだ。


「俺はあまり気にしたことないけど……でも最近褒められて、嬉しかったよ。でも俺の全ては赤い目じゃない」


 手の平に感覚を集中させながら真琴は呟く。自分からは自分の瞳の色など見えない。周囲の瞳はよく見えるのに、だ。

 しかし瞳が全てじゃない。赤い目だからといって幸せが確実な訳ではない。今も赤味を宿した目で病気と戦う少女がいる。


「俺の目が例え黒でも、俺はスメラギ・真琴だ。だから……羨ましがる必要はないんだ」

「それは……持っている者の詭弁でござる!!波戸の目は赤くない!貧しく、辛い思いを味わっていた!!」

「俺だってイジメられた!波戸と同じだ!でも波戸には……覗見がいただろうがっ!!」


 覗見が叫んだ瞬間、手の平から伝わる振動が止まった。その感覚だけを頼りに、真琴は映像全てを無視して、覗見へと走りだす。

 映像に実体はない。気配はあると言っても、動いているのは覗見一人だけだ。目は誤魔化せても、地面の震えまでは誤魔化せない。

 真琴の狙いに気付いた覗見は決闘場を埋め尽くす勢いで映像を出現させる。しかし構わずに突っ込んできた真琴は、赤い目を隠すように瞼を閉じていた。


「覗見は、どうしたかったんだよっ!?」


 問いかけると同時に振り上げた拳は覗見には当たらなかった。それでも壁にはヒビを作り、握りしめた手は赤い血で濡れた。

 真横にあるまっすぐに伸びた腕と壁を壊した衝撃に、覗見は驚きのあまり動けなくなった。間近で真琴が苦しそうに瞼を開け、鮮やかな赤い目を見せつけてくる。

 その目が燃えるように輝くので、覗見は言葉に詰まる。右足首と右手の骨が皮を突き破った痛みで汗を滲ませた真琴は、息も切れ切れに問いかける。


「友達、なんだろう?」


 乾いて喉に張り付いた声が覗見の耳に届く。疲れているのは真琴の方なのに、覗見は一歩も動けなくなる。

 何度も考えた、本当に正しいのかどうかわからない考えが頭の中で巡り回る。あまりにも回るので、混乱するほどだ。

 それでも今となっては朧にしか浮かばない波戸の顔が浮かんだ瞬間、出てきたのは簡単なことだ。


「……助け、たかった」


 できるならば颯爽と現れて、かっこよくイジメ相手を追い返して、いつも通りの日常を満喫する日々に戻る。

 ヒーローではなくて、友達として。見捨てずに、駆けつけることができたならば。その勇気が、覗見にはなかった。


「謝り、たかった……でも、もう遅いでござる……波戸は、いない……」


 最後の最後に話した日はいつだったのか。最後に交わした言葉はなんだったか。それすらもう思い出せないほどの、手遅れ。

 本当は別れの言葉の際に謝罪の一つでも渡せたならば、こんなに後悔することはなかったのに。波戸はなにも残さずに、覗見の前から消えてしまった。

 波戸が辛い時、傍にいれなかった。それが辛かったと言えるほど、覗見は厚顔になれなかった。だから壁布で姿を隠し、一線を引くように本心も隠した。


「友達、なんて言えない……拙者は卑怯者で、言い訳ばかりの愚か者でござる……」


 間違っていない証拠などいくらでも用意できた。それと同じくらい、間違ってる証拠も用意できた。

 自分にとって都合のいい部分だけ繕って、姿を隠し続けた。でなければ後悔で押し潰されて、立ち上がれなくなりそうだった。


「な、みとぉ……すまぬ……拙者は、拙者はぁ……」


 涙を零し始めた覗見はそのまま壁に背中を預け、膝をついてしまう。どう見ても戦えない姿に、状況を見守っていた樟蔭が笛を三度鳴らす。

 覗見の戦意喪失を認め、決闘を終了させた。あまり盛り上がらなかった決着に、不満そうな声が観覧席から溢れ出る。

 しかし観覧席から決闘場へと飛び降りてくる影が三つ。遮音と、気まずそうな顔をした裕也と広谷である。


 手が赤く濡れた真琴は服の袖で簡単に覆って止血するが、血管が集まる部位だったので酷い有様である。

 少しずつ観客達が外へと向かう中、裕也は恥も外聞も捨てて勢いよく頭を下げた。広谷も一緒に直角の礼をする。


「悪かった、真琴!!俺はお前を見捨てた!信じなかった……けど、自分勝手だけど、謝らせてくれ!本当にごめん!!」

「僕もごめん!!自分が痛い目に遭うのが嫌で、楽な道に逃げた!でもその方がずっと辛いってわかった!許さなくてもいい……ごめん」


 真琴は目を丸くして頭が上がらない二人の様子に、どう声をかけたらいいかわからなくなる。

 すると上から観客の流れに合わせて移動してきた古寺が、小毬達と一緒に声をかける。小毬が来てたことに気付かなかった真琴は慌てて血で濡れた手を隠す。


「まこ坊、かっこよかったでぇ。ただまぁ……壁ドンはやりすぎやろ?隣にいたお姉さんが黄色の悲鳴上げとったわ」

「か、壁ドン?あ、いやそれより……小毬ちゃんは熱大丈夫ですか?」

「私と颯天兄がいるから平気よ。熱冷ましシートも完備しているわ。貴方が痛そうな顔をするたびに蒼白になるから肝を冷やしたけど」

「ふ、風花さん!?あ、そ、その……手、大丈夫ですか?病院にいかないと……」


 小毬が車椅子から少し立ち上がって、真っ赤になった顔を覗かせながら声をかけてくる。額には熱冷ましシートが貼られていた。

 遮音が同じく観客が移動する流れで近寄ってきた紫音から救急箱を受け取り、真琴に手を出すように指示する。素直に従った真琴はどこに目を向ければいいかわからなくなる。


「え、えっと……紫音、ありがとう!あ、あと裕也と広谷は顔を上げて!僕も大人げなかったし……あ、覗見は平気?」

「お前、その一人称が変わるスイッチでも持っているのか?また決闘中に俺となっていたぞ」

「ええっ!?あ、でも……そう言えば……なんだろう?昂っちゃったのかなぁ?」


 遮音の冷静な指摘に動揺する真琴。しかし今回は最初から最後まで意識を保っていたため、思い出せばそうだったと納得できた。

 覗見は袖の中からハンカチを取り出し、涙を荒々しく拭いてから、またもや袖の中にしまう。顔を上げた広谷と裕也は袖の中が気になって、思わず視線を向ける。

 しかし覗見は大きめの袖を一切覗かせずに、真琴に向かって片膝をついて頭を下げる。手当てをされて動けない真琴は驚くしかできない。


「真琴殿!いえ、主殿あるじどの!!」

「はいぃっ!?」

「拙者、感激致しました!我が本心を見抜き、それを引き出すために仕掛けた策!かつては裏切った者を許す器の大きさ!まさに、まさに拙者が仕えるに相応しい主!!」


 真琴が遮音に助けを求める視線を投げるが、治療に集中している遮音は一切反応しない。次は古寺達に目を向けるが、苦笑いしか返ってこない。

 広谷と裕也の場合は視線を逸らしてしまったので、どうしようもない。困惑した真琴だが、むしろ好機だと判断して一つ提案する。


「あ、じゃあ僕と友達になるってことかな?それだったら父上が仰られていた内容に一歩近づく……」

「そんな恐れ多い!拙者は家臣、主は殿!誠心誠意をもって、その身に尽くす所存!遮音殿、手当ての続きは拙者が」


 包帯を巻く段階に入った遮音はあっさりと真琴から離れる。なので助けを求めて伸ばした手は空振りしてしまう。


「待って!なんか僕の目的が少しずつ離れてる!遮音は友情がわからないって言うし、裕也と広谷は一からのスタートだし……あ、小毬ちゃん!」

「は、はい!?」

「小毬ちゃんは僕と友達で……いいかな?」

「えっと、その……末永くお願いします!!あ、なんか違う!?」


 いきなり話題を振られた小毬は混乱した頭で返事してしまうが、直後に顔を赤くして熱を上げてしまう。風花が慌てて熱冷ましシートを新しい物に交換する。

 そして二人の会話内容に古寺からわずかに怪しい気配が滲む。颯天が面倒そうな顔をしてから深い溜息をつく。


「まこ坊!十八まで、十八になるまで清い交際せなあかん!言っとくけど、小毬が十八になるまでや!!いいな!」

「友情に清い交際ってどういうことですか!?は、颯天先輩……」

「……とりあえず、お前が望む命を賭けるに値する友情は、女友達では難しいと思うぞ」


 颯天からの言葉に衝撃を受けて動揺する真琴。その間に手の甲には綺麗な包帯が巻かれ、完全に血は止まっていた。


「なっ!?真琴……お前男子校に通っていながら、あんな可愛い女子と付き合いが!?坊ちゃんだと思っていたのに、抜け目ねぇ!!俺にも可愛い女の子紹介しろよぉおおおおお!!」

「ちょ、仲直りしたばっかなのにフレンドリーすぎる!?もう少し反省してよ、裕也ぁああぁぁぁああぁぁ!?」


 小毬の顔を見て即座に可愛いと断定した裕也が、真琴の首元を掴んで勢いよく揺さぶる。馴れ馴れしすぎる態度に真琴は混乱を深めていく。

 広谷は即物的な裕也の思考を羨ましく思いながら、邪魔しないように静かに微笑んで見守っている。助けてほしいと思っている真琴にとっては、見世物じゃないと言いたい気分だ。

 観覧席から真琴に彼女ができた勘違いした実流が悔しそうに舌打ちした横で、腹を抱えながら笑い声を出さないように我慢している茨木が掠れた声で呟く。


「ひっ、ふ、あ、あー……可笑しい。これは父上にいい報告ができそう……貴方が育てた少年は、楽しく学校生活していますよって」

「……言わないのか?血筋で言えば、従妹同士だろう」

「言わないよ。教えたところで意味ないし、彼を母上に接触させたくない。あの鬼女が彼に興味を持ったら厄介だからね」


 言い終わってから茨木は耐え切れずに小さく吹き出して笑ってしまう。紫音は茨木の考えに否定も肯定もせず、静かに聞き入れる。

 茨木は用が済んだと言わんばかりに音もなくその場から去り、紫音も静かに従う。実流はいつの間にか消えていた二人に首を傾げる。


「で、主殿!波戸のプレートについて行方知れずとは?」

「それは、僕もよくわからなくて……遮音は覗見に聞けって」

「知らないでござるよ?ちょ、まさか挑発するためだけにその話題だしたでござるか!?ならば独自に調べるでござる……成果がわかり次第、報告いたす故、しからば御免!」


 真琴の返事も聞かずに覗見は俊敏に決闘場からいなくなる。その素早さに真琴だけでなく、小毬や風花も驚く。

 広谷と裕也は明日詳しく話をしたいと言って、残った休日を楽しもうと外へと出ていく。古寺達も小毬を病院に帰すため真琴へと手を振る。

 去っていく面々に手を振る真琴は、唯一残った遮音に目を向ける。遮音はいつも通りの素っ気ない様子で視線を合わせる。


「GWが終わるな。次はテストがあって、五月の最後辺りに学年別交流会だ。下僕ができて良かったな」

「だから僕は友情を探してるのにぃっ!!結局覗見に振り回された休日だったじゃないかぁああああああああ!!」


 後悔はしていないが反省したくなるような事態に、真琴は頭を抱えて絶叫した。しかし誰もいない決闘場に、虚しく響くだけである。

 無駄なようで、小さな無駄を手に入れて、それでも無駄じゃない休日を送った真琴。予定が埋まった四日間はあっという間に過ぎていった。

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